いっとき、L・コワコフスキに関する情報をネット上で探していたことがあった。
  日本語でのWikipedia、英米語でのWikipedia、当然にいずれも見たが、前者・日本語版のそれはひどかった。
 現時点(11/15)では少しマシになっているようで、新しい邦訳書についても記載がある、しかし、L・コワコフスキの哲学に「無限豊穣の法則」が一貫している、などという今もある説明は適切なのか、どこからその情報を得ているのか、きわめて疑わしい。
 日本語と英米語でWikipediaの叙述の内容は違うということを明確に知ったのはL・コワコフスキについて調べていたときだった。
 仔細に立ち入らない。英米語のWikipedia での‘Main Currents of…’ の項は、この著に対する数多くの書評(の要旨)が紹介されていて、興味深い。2005年の一冊合本版について、重すぎる、開きにくいとかの「注文」があったのには苦笑した。
 ともあれ、日本には、<明瞭な反共産主義者>であるL・コワコフスキの存在自体を隠す、あるいは、この人物についてできるだけ知られないようにする、という雰囲気があったのではないか。
 --------
  L・コワコフスキは、ノーベル賞の対象分野になっていない学問分野での業績を対象にして贈られる、アメリカ連邦議会図書館Kluge賞の初代受賞者だった。のちに、ドイツのHarbermath も受賞している。
 日本語Wikipedia は、この点をほとんど全く無視している。私は、その選考過程等も示す議会図書館の記事を探して、この欄に紹介した。→「1904/NYタイムズ」。さらに、→「1906/NYタイムズ,訃報」
 L・コワコフスキは授賞式で、Kluge 氏は「klug (賢い、ドイツ語)です」とかの冗談を含めて挨拶していた。
 その授賞式に、あるスウェーデン女性も同席していたらしいので調べてみると、スウェーデンの皇太子(次期国王予定者、女性)だった。これは、ノーベル賞の対象外の学問分野についての賞で、元のノーベル賞との関係も意識されている、ということを示していると、秋月は推測している。
 同じワシントンのホワイト・ハウスでのG. W. Bush (小ブッシュ)と並んでのL・コワコフスキの写真では、彼の顔はいくぶんか紅潮している。つねに冷静そうな彼であっても、アメリカ大統領官邸に招かれること自体がさすがに感慨深いことだったのだろう。
 --------
 Kluge 賞受賞(2003年)は当然に1991年のソ連解体以降のことで、その授賞理由には<現実(ソ連解体、ポーランド再生 )にも影響を与えた>旨が明記されていた。
 たぶんそれよりも後のものだろう、ポーランドの放送局員がイギリス・Oxford の(たぶん)コワコフスキの家の部屋でインタビューしている動画を私はネット上で探して見た。
 ポーランド語だったので、内容はさっぱり分からなかった。
 だが、印象に残ったのは、①頭の中の回転スピードに口と発する言葉が追いつかないのか、しきりに咳き込んでいた。
 ②全く「威張っている」、「偉ぶっている」ふうがなかった。本来、真摯な人物であり、また謙虚な人なのだろう。と言うよりも、奇妙な「自己意識
」がなくて、自分を「演技」することもないのだろう(そんな人は日本にはいそうだ)。
 なお、カメラに視線をじっと向けて語るのは、コワコフスキやポーランド人に特有ではなく、たぶん欧米人に共通しているのだろう。
 --------
  L・コワコフスキとその妻タマラ(Tamara、精神科医師)の二人がコワコフスキの生地であるポーランド・(ワルシャワ南部の)Radom の町の通りを歩いている動画か写真を見たことがある。
 郷土出身の著名人ということで、ある程度は人が集まっていて、一緒に同スピードで歩いている少年もいたが、大きなパレードでは全くなく、夫妻が人々に手を降るのでもなかった。人々がある程度集まってきて申し訳ないというがごとき緊張を、L・コワコフスキは示していた。
 こうした場合、日本人の中には、<オレはこんなに有名になったのだ>という高揚を感じる者もいるのではないか。とくに「自己」を異様に意識する人の中には。
 --------
  以下は「追想」ではなく、つい最近に知ったことだ。
 たまたまL・コワコフスキ夫妻の(たぶん一人の)子どもである1960年生まれのAgnieszka Kolakowska をネット上で追求していたら、その母親はユダヤ人またはユダヤ系である旨が書かれていた。娘の母親ということは、L・コワコフスキ本人の妻・タマラのことだ。(なお、父親のポーランド語文についての娘の英語訳は、母国語が英語でないためだろう、非英語国人にとって理解しやすい英語文になっている可能性が高いと思われる。)
 不思議な縁を感じざるを得なかった。
 まず、Richard Pipes (1923〜2018)は「ポーランド人」かつ「ユダヤ人」だった。
 両親は「オーストリア=ハンガリー帝国」時代にその領域内で生育し、R. pipes は家庭内では「ドイツ語」を、外では「ポーランド語」を話して育った、という。チェコと川で接する国境の町で生まれたが、1939年のドイツによるポーランド侵攻直後にポーランド(ワルシャワの南部)を親子三人で「脱出」、アメリカに移住して、20歳で(1943年に)「アメリカ合衆国」に帰化した。したがって、以降は「アメリカ人」。
 ついでながら、ワルシャワ近く→ミュンヒェン(独)→インスブルック(墺)→ローマ(伊)→ニューヨーク(米)という「逃亡『劇』」は、十分に一本の映画、何回かの連続「テレビドラマ」になる、と思っている。
 R.パイプスの自伝からこの時期について、この欄に「試訳」を紹介した。→「2485/パイプスの自伝(2003年)①」以降。
 ついで、T・ジャット(1948〜2010)の2010年の最後の書物(邦訳書/河野真太郎ほか訳・真実が揺らぐ時)の序説で、編者・配偶者のJennifer Homans が書いていることだが、T・ジャットは逝去の数年前以内に、<ぼくの伯母さんはナツィスに(ホロコーストで)殺された>と言って<泣き出した>、という。
 ということは、T・ジャットもユダヤ人であるか、少なくともユダヤ系の人物だった。
 さらには、L・コワコフスキも、上のような形で、「ユダヤ人」と重要な関係があった。
 言語・民族・国家を一括りで考えがちな日本人には分かりにくいことが多いが(今でもほとんど理解し得ていないが)、たまたま最もよく読んだと言える、L・コワコフスキ、R・パイプス、T・ジャットのいずれも、ユダヤ人と関連があったことになる(次いでよく読んでいるのは、Orlando Figes だろう)。
 ————