秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

NHK

0232/潮匡人・司馬史観と太平洋戦争(PHP新書、2007)をほんの少し読む。

 潮匡人・司馬史観と太平洋戦争(PHP新書、2007.07)を一昨日に買って第二章「「昭和」に通底する司馬史観の陰影」の最初の方だけをとりあえず読んだ。
 <司馬史観>を問題にする前に半藤一利らの<歴史観>を批判している。叙述の順序どおりに辿るとこうだ。
 1.2005年7/18テレビ東京の戦後60年特別企画番組(企画協力・半藤一利)には新鮮さはなく、「陸軍悪玉・海軍善玉という通俗的歴史観に彩られ」、「反戦平和教」の健在を示す「一般人の声」の紹介もあった。
 2.昨2006年8/15民放各局は早朝からヘリを飛ばして小泉首相の靖国神社参拝を報道した。しかし、何故、正午からの政府主催・全国戦没者追悼式、すなわち「両陛下も頭を垂れた厳粛な黙祷の模様」は中継しなかったのか。「戦没者の冥福を祈る」姿勢のないテレビ人が首相靖国参拝を批判するとは「不公正を通り越して不潔」だ。
 3.昨2006年8/07NHK「硫黄島玉砕戦」は「戦争の惨たらしさ」だけを強調。
 4.昨2006年8/12NHK週刊こどもニュースは戦争の原因についての質問に「資源の乏しい日本…が、資源のある中国に攻め込み、そして戦争に」なった、と「古びた帝国主義戦争史観」による「史実からも遠い」回答をした。
 5.昨2006年8/13NHK「日中戦争」は南京事件に触れたが「便衣兵自体が国際法違反」で「ハーグ条約の保護を受ける資格がない」ことを述べず、取材協力者リストには笠原十九司吉田裕各氏などの<大虐殺派>と秦郁彦氏らの<中間派>しか名前がなかった。
 6.篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」を観たが、篠田の「希望」とは「この世に国家なんか存在しない」状態で、「二〇世紀が生んだ夢と理想」とはゾルゲの最後の言葉「国際共産主義万歳!」にある「国際共産主義」を指すようだ。佐藤忠男執筆の映画パンフ中の文には、ゾルゲは「ドイツのナチズムと日本の軍国主義の打倒のために行動」した、とある。この作品の「バランス感覚には疑問を禁じ得ない」。
 7.加藤周一は「欲しがりません勝つまでは」や「撃ちてし止まん」の戦時中の標語を日本政府が作ったと書いているが、これらは朝日新聞等による「国民決意の標語」募集の入選作だ。
 8.中央公論2005年9・10・11月号は「戦争責任」という視点による連続特集企画だが、この視点自体が「一定の立場に偏して」はいないか。
 9.文藝春秋2005年11月号も大座談会「日本敗れたり-あの戦争になぜ負けたのか」で対抗した。発言者は半藤一利・保阪正康・中西輝政・加藤陽子・福田和也・戸高一成の6名(のち文春新書化)だが、この座談会も陸軍悪玉史観
で、また、軍事学的知識が不十分。
 福田和也は「海軍の草鹿任一」を揶揄している。また、「どこか別の国の戦争を語るかのような彼らの姿勢」に違和感を覚えた

 10.半藤一利・昭和史(平凡社)は、ア.「広田内閣がやったことは全部とんでもないことばかり」等と広田弘毅内閣を断罪するが、昭和20年までの「昭和史」で広田内閣のみを批判するのは妥当でなく、「公正さを欠いている」。仮に一人挙げるなら、近衛文麿だろう。
 イ.南京事件につき30万という「大虐殺説」は否定するが、「南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、私は日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたい」、「三万人強ということになりましょうか」・「だんだん自己嫌悪に陥ります」と書く。だが根拠とする陸軍関係者の文献は「不当」な行為だったと認めてはいないし、上の後半は「文字通り、自虐史観」だ。
 ウ.ミッドウェー海戦に関する「運命の五分間」は定説なのに勝手に否定し、さらに、草鹿龍之介元海軍中将を誹謗・罵倒している。半藤の理解が正しいならば、文藝春秋発行の別の昭和史に関する本の中の叙述と矛盾し、後者も訂正すべきだ。
 エ.「何とアホな戦争をしたものか」との締め括りには、「どこか別の国の歴史を振り返っているかのようだ。同胞の歩みを想う姿勢は微塵も感じられない」。
 このあと、潮氏は憲法九条に関する岩波冊子上の半藤氏の文章を批判しているが、別に扱う。
 11.保阪正康・あの戦争は何だったのか(新潮新書)も半藤の本と同じ認識が多いし、「通信傍受や暗号」に関する「基礎知識」もない。「原爆を落とされ、負けた。…アメリカに占領されてよかったという見方もできる」と書く、この本がなぜベストセラーになるのか。大東亜戦争肯定論者に「戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよ」と書いているが、保阪自身もまた「日本で安穏と暮らし」てきたのでないか。
 このあと「司馬史観」に論及していっているが、別に扱うことにしよう。
 わずか30頁分の紹介に長文を費やしたが、
NHKを含むマスコミのいいかげんさを批判したくなるのも分かる。
 また、昭和史(戦前)の細かなことや議論は知らないが、私は半藤一利と保阪正康を信用していないので、どちらの本も読んでいないが、潮の批判的指摘を快く感じる。また、おそらくは当たっているのではないかと思われる(なお、草鹿任一、草鹿龍之介
両氏は従兄弟の関係で、いずれも著者・潮氏の母方の親戚らしい)。
 なぜか半藤一利に関連する書き込みが続いた。

0171/山崎行太郎は自分の安倍晋三批判を赤面することなく読めるか。

 産経5/23によると、韓国の盧武鉉大統領が政府内等の記者クラブ数の縮小を発表してマスコミの反発を買っているらしいが、その記事の中にこんな文章がある。
 「盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否で対応してきた…」。
 坂真・韓国が世界に誇るノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録(飛鳥新社、2007.01)p.63以下によると、盧武鉉は2005年の5月、ソウルでの世界新聞協会総会の祝賀演説でこう言ったそうだ。
 「権力と言ってもいい。言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」。
 同書によるとまた、韓国では、最大発行部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限し、中小新聞には支援を行う「新聞法」(新聞等の自由と機能の保障に関する法律)が2005年07.28に施行されている。
 坂真氏は「文字通りの「権力による言論への介入」と言わざるをえない」とまとめている。
 いちおうの自由主義国・韓国ですらこうなのだから、中国や北朝鮮では果たして「言論の自由」が存在するのかどうか自体が疑わしいだろう。政府又は言論警察機関が許容した範囲内でのみの「言論」行使ができるらしいことは、逐一関係資料を確認しないがこれまでの日本の中国等に関する報道によっても明らかだと思われる(これらの国の「憲法」がどうなっているのかは知らないが、少なくとも現実には、憲法で保障された人権としての表現の自由という意識・観念が恐らく存在しない)。
 ところで「山崎行太郎」という人は、自ら書くところによると、「文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。東工大講師を経て、現在埼玉大学講師、日大芸術学部講師、朝日cc「小説講座」講師」らしい。
 もともと小説又は文学作品を書かない文評論家とか、小説を書かないで(又は売れた小説を書いたこともなく)「小説の書き方」とかを講じている人は何となく胡散臭く感じてきたし、自ら「or哲学者」などと名乗る人にロクな人はいないだろうとも思うのだが、この山崎行太郎という人も、失礼乍ら、やはり<胡散臭い>人で、<ロクな人>ではないように見える。
 この人は言論統制・言論弾圧に関心を持っている(研究対象としている?)らしいのだが、過日すでに一部紹介したように、安倍首相について、5/18にこんなふうにブログ上で公言している。
 「安倍が総理就任以前から言論統制や言論弾圧にこだわっていることは明らかだが、総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」→「誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出しの体質がミエミエで哀れ」。
 「安倍シンゾーは、どうした風の吹き回しか知らないが、総理総裁に就任する以前から言論弾圧に異常に固執している政治家である。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。」→「言論弾圧や言論統制を武器にして政権維持を画策するような、こんな低レベルのチンピラ政治家を総理総裁として持たざるをえない日本国民の一人として、かなり恥ずかしいと思うだけだ。
 「安倍は、これまでもNHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた」→「そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 山崎行太郎なる人物は、1.安倍晋三氏による総理就任以前からの「言論統制や言論弾圧
とは具体的にどのような行為で、かつなぜそれが「言論統制や言論弾圧に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 2.安倍氏が総理就任後も「新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」とは具体的にどういう行為で、かつなぜそれが「
脅迫と恫喝」に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 3.安倍氏が「
女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝した
ということのうち、とくに下線部分を、朝日新聞の記事や同社記者・本田雅和らおよびNHKの長井暁の発言以外の資料又は記録文書を使って、きちんと通常人ならばなるほどそうだっただろうと納得できるように十分に説明していただきたい。
 関連してついでに、言論弾圧を「
「やった」に決まっている。
」とは断定的文章ではなく強く推測しているとの趣旨だと思われるが、そう「強く推測」する根拠を示していただきたい。
 4.なお、安倍氏が「NHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた
という部分については、上の2.の質問によって代える。
 以上の問いに具体的に回答できないとすれば、山崎行太郎なる人物は、確たる根拠もなく、いわば「思いこみ」に近い心理にもとづいて、安倍晋三を、「
誠に情けない」・「馬鹿丸出し」・「低レベルのチンピラ政治家」・「政治家失格というより、人間失格」、キチガイ(に刃物
)」と罵倒していることになる。文芸評論家(+哲学者)だから許される又は甘く見てもらえる、ということはなく、むしろ逆であることは当然のことだ。
 再度簡単に繰り返しておくが、安倍晋三のどの行為が「言論統制や言論弾圧」で、どの行為が「脅迫と恫喝
」なのか。
 加えていえば、この山崎某なる人物は、次のような奇妙なことも書いている。
 1.「政治家や権力者にとってマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒は、不可避である。有名税というようなレベルの問題でもない。マスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるかどうかが、政治家としての資質の有無を判別する基準である。安倍シンゾーにマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるだけの人間的包容力がないことは明らかだ」。
 この人は何を言っているのか。「
マスメディアや一般大衆」からの批判をいわば「有名税」として甘受又は無視する必要がある場合もむろんあるだろうが、この文章は、何を書かれても、どんなひどいことを書かれても「人間的包容力」をもって「許容」しろ、それが「政治家としての資質
」だ、旨を言っている。
 そんな馬鹿なことはない。常識と「理性」を持った「マスメディア
」の批判等だけならよいが、十分な根拠を持たないままの、政治的影響力減少・政治家失墜を狙った、表向きだけは報道機関らしきものの記事もありうるし、秘書等が殺人犯の所属する団体の関係者だと書かれてしまうこともありうる。それらに<十分な根拠>があれば別だが、そうでない限り、「人間的包容力」をもって「許容」
できない場合もあるのは当然ではないか。
 上の方で紹介した韓国・盧武鉉大統領の対マスコミ言動に比べれば、安倍首相の対応は、遙かに穏便だ(穏便すぎるかもしれない)。
 こんなまともと思われる議論も、自称「文藝評論家(or哲学者)」の方には通用しないのかもしれない。国際女性戦犯法廷NHK問題につき、「山岡俊介」という人のブログの次の文章をそのまま引用している。山崎某自身のそのままの理解でなくとも、肯定していると思われる。
 「疑惑の中川昭一代議士と違い、安倍氏の場合、放送直前にNHK幹部に会い、「公正な報道を」と番組に関する発言を行っていることを自ら認めているのだから、完全に真っ黒と言わざるを得ない。/例え、恫喝しなくても、また、NHK側から出向いたのが本当だとしても、そんなことは本質論からいえば些末なこと。番組の件で、放送直前に会ったこと自体が大問題なのだ。
 これまた、馬鹿ではないか。こんなふうに批判されるのであれば、NHK等の放送局、さらにはいかなるマスメディアの人物とも「会う」ことができなくなる。
 放送局であれ、新聞社であれ、それらの関係者と「会う」ことは、全てが、何らかの番組放送又は記事の公表(新聞配送)の「直前」になってしまうのだ。お解りかな?
 そして何らかの番組放送・記事公表の「直前」に「会った」ということだけで、<政治家の圧力>があったと言われてしまうのであれば、たまったものではなかろう。
 具体的にNHK問題について言えば、既に何度もいろいろとネット上でも話題にされた筈なので、詳しく繰り返さないが、当時において安倍の耳にも入っていた<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、放送上の規定に即した一般的な発言をするのはむしろ当然のことだ。上坂冬子等もどこかで書いていたが、あの<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、何も言わない方がむしろおかしく、その方が政治家としての良識・見識が疑われる。
 山崎某あるいは上の山岡某は、見事に、朝日新聞と全く同じく、<国際女性戦犯法廷>に関する番組がどういう内容のものだったかには全く触れていない
 そして、山崎某はNHKの松尾に対する安倍の発言を、大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ。
 あるいはまた、<政治家が圧力>との旨の記事を書いた本田雅和等や朝日新聞社に抗議し批判したことを、同じく大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ(「脅迫」とは刑法犯罪になる行為を示す言葉でもある)。
 これで「文芸評論家(+哲学者)」か? いや、だからこそ、上に紹介してきているような粗雑な文章を書けるのかもしれない。
 つまり、基本的には大江健三郎と類似しているとも思うが、この人にとって<真実>・<事実>がまず第一に重要なのではない(社会系の学者・評論家とは違うところがあるようだ)。そうではなく、自分の描いているこの世のイメージに現実を合わせる(そして満足する)ことの方が大切なのだ、と思われる。
 そして、山崎行太郎は、上に紹介したようなことを公然と書いて公表したままにしておける、日本の「言論の自由」の保護の状況を直視すべきだ。そして、有り難いものと感謝すべきだ。
 私は、この人の上のような叙述は「言論の自由」の枠を超えており、<侮辱罪>の構成要件は充足していると思うが、「言論の自由」に対する恣意的な規制になるおそれを回避するために、実際には警察が動くことなどありえず、言論の一つとして、ネット上に残したままにしておける。日本は何と「自由」な国だろう。
 言論統制・言論弾圧に関心がおありならば、ソ連・東独等の旧「社会主義」国、そして中国や北朝鮮等の現存「社会主義」国の言論統制・言論弾圧の状況にも関心をもち、日本の状況と比較して欲しいものだ。産経5/22には、「露、強まる言論統制/大統領選控え/反政権派”排水の陣”」という見出しの記事もある。
 「文芸評論家(or哲学者)」という肩書きで、安倍首相を罵倒し、あるいは私は知らない某々等の人物への個人的な批判のようなことを書き連ねて生活していけるのだから、結構なことだ。
 最後に「政治ブログ」とやらに参加しているようだが(だからこそこの人のブログの存在を知ったのだが)、たしかに「政治」に関する文もあるが、<文芸>に関することの方が多そうだ。私の上の質問にきちんと答えたあとで、「政治ブログ」エントリーは止めたらいかがか。その方が、私の精神衛生にはよろしい。
 こんな、今回のような内容の文章を本来は書きたくないのだが、山崎某の、無責任な、好き勝手な言いぐさを読んでいると、何やら腹が立ってきて、<義憤>らしきものも湧いてきたのだ。山崎某に関心のない方は、許されたい。

0130/「きわめて執拗な悪意と恐ろしさ」-朝日新聞社。

 読売夕刊5/09によると、4/24発行の週刊朝日の今西憲之らによる記事<長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との「接点」>について、安倍首相の公設秘書2人と元公設秘書1人、計3人が、朝日新聞社、週刊朝日編集長、記者らを相手に総額約5000万円の損害賠償、記事取消し、謝罪広告を求めて、この日、東京地裁に提訴した。朝日の広告のみでなく、記事本体も対象にしている。
 安倍首相事務所の5/09の談話がよい。読売によると、こうだ。
 「根拠薄弱な記事でも、〔安倍〕首相に関することであれば、躊躇なく掲載する判断が朝日新聞社でまかり通っている事実に、きわめて執拗な悪意と恐ろしさを感じる」。
 この通り、朝日新聞は安倍首相に「きわめて執拗な悪意を持っている。彼が若いときから<保守的>活動をしていたことに目をつけていたのだろうが、再度書くと、成功しなかった2005年1月からの<NHKへの圧力>キャンペーンは「きわめて執拗な悪意と恐ろしさを感じ」させるもので、かつ訂正も謝罪もしなかった。
 朝日新聞社は日本国家そのものに対しても「
きわめて執拗な悪意」を持っているに違いない。教科書書換え検定の虚報、「従軍慰安婦」の虚報を放って日本を貶めて、虚報であると分かっても、訂正も謝罪もしない。
 安倍首相が進め、日本を<強く>する憲法九条二項削除等の憲法改正に、この新聞が賛成するわけがない。
 構図は明白だ。安倍政権を長期化させること、憲法改正すること-朝日新聞、そして日本共産党が主張していることとは反対の方向に進むこと、これを選択すると少なくとも相対的には日本はうまくいく。これが戦後の歴史的教訓だ。

0120/中西輝政・日本の覚悟(2005)でも安倍晋三は朝日を批判。

 中西輝政・日本の「覚悟」(文藝春秋、2005.10)の第14章は「「朝日」の欺瞞を国民は見抜いている」で、その初出は、諸君!2005年3月号の「慰安婦も靖國も「朝日問題」だ」と題する安倍晋三との対談だ。現首相の当時の発言を要約し又は一部引用して記録にとどめる。
 1.「A級戦犯分祀」論批判-「A級戦犯」で有罪判決を受けた人は25名で、死刑でなく禁固刑でのちに釈放された重光葵元外相も含む。「中国側の言い分に従って、東京裁判の正当性を認め、A級戦犯の責任を改めて鮮明にするのであれば、重光さんからも勲一等を剥奪しなければ筋が通りません」。
 (なお、重光の他にのちに法相となった賀屋興宣もいる。この旨を安倍は2005年9月にも民主党・岡田克也に答えて述べたが、岡田は有効な反論をできなかった。この対談でのかなり詳しい安倍発言の内容を岡田はおそらく知らないままだったのだろう。)
 2.対NHK「政治圧力」問題a-2001年にNHKが報道した「元朝日新聞記者・松井やよりなる人物が企画した…イベント」である「女性国際戦犯法廷」は昭和天皇を「性犯罪と性奴隷強制」の責任で「有罪」とした異常な「疑似法廷」で、「検事席に座っていたのは、なんと北朝鮮の代表二人。いずれも対世論工作活動を行っているとされ」、日本再入国を試みたときは政府はビザ発給を拒否したような人物たちで、うち一人は「黄虎男」という。2005年01/13のテレビ朝日・報道ステーションでこの旨指摘すると、朝日新聞編集委員・加藤千洋は不審そうに彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識があります」とも言った。加藤は「工作」の意味が分からず、かつ「工作」の対象になっていたのでないか。
 (朝日・加藤千洋の「お人好し」ぶりを安倍は皮肉っている。)
 3.対NHK「政治圧力」問題b-「松井氏らの茶番法廷」につき「主催者の意向通りの番組が放送されるらしいというのは、当時、永田町でも話題」だったが「この件について私がNHKを呼びつけたという事実はまったくありません」、幹部が「予算・事業計画の説明に来訪した折、向こうから自発的に内容説明を始めた」のだが、「良からぬ噂は私の耳にも届いて」いたので「私は「公平、公正」にやってくださいね」という程度の発言」はしたが「与党議員、官房副長官として、圧力と受け取られるような発言をしてはならないという点は強く自覚して対処」した。しかし、「朝日は、私の反論、回答要求に、何ら新たな根拠や資料を示すこと」がなかった。
 (周知のとおり、にもかかわらず朝日は謝罪も訂正もしなかった。外部者から成る委員会が「真実と信じた相当の理由はある」などと言ってくれたのを受けて、取材不足だが真実でないとはいえない、と結論づけて自ら勝手に幕を閉じた。外部者の委員会(「「NHK報道」委員会」)の4委員名は、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大学(法)教授、だ。)
 4.「女性戦犯法廷」と朝日の安倍攻撃の背景-2001年頃には拉致問題が注目され始めたので、北朝鮮は被害者ぶることで「日本の世論における形勢を立て直そうとしていた」。そこで、「日本の過去の行状をことさらに暴き立てる民衆法廷のプランが浮上したのでしょう」。2005年の1/12に朝日は中川経産相とともに「事前検閲したかのような記事を載せた」が、「4年も前の話を、なぜいまこの時期に?」。 かの「法廷」に「北朝鮮の独裁政権が絡んでいたことを考えると、私がいま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」。
 (この指摘は重要だ。安倍は、2005年01月の朝日の(本田雅和らによる)記事と安倍が「いま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」と明言している。正しいとすると朝日の本田雅和らは北朝鮮と何らかの密接な関係があることになる。もともとの「女性戦犯法廷」が北朝鮮と関連があったことはほぼ明白だが。)
 5.朝日への姿勢-中西の「従来から朝日の安倍さんへの個人攻撃はどう見ても常軌を逸しているとしか思えません」との発言をうけて、「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるか」を「国民は見抜いている」、「いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は…朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は、国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない
」。
 以上

0117/NHK「憲法九条-平和への闘争/護憲と改憲」の偏向=放送法違反。

 NHKが5/02に放映した「その時歴史は動いた」は憲法九条や60年安保がテーマだった。
 占領終了から60年安保、池田内閣発足あたりまでの歴史を振り返るとき、この番組を生で部分的に、録画を早回しで観てもそうだったが、二つのことを強く感じる。
 第一。占領終了=主権回復後すみやかにではないにせよ、保守勢力は自主憲法制定を目標に掲げたにもかかわらず、日本社会党等の反対勢力が国会各院で1/3以上を占め続けたために、憲法改正=日本人だけの手による自主的な憲法制定ができなかった。この責任の過半は、日本社会党等の反対勢力、所謂「革新」勢力にあり、多数講和論ではなく全面講和論の主張に続いて憲法改正阻止を主張し、日本社会党等を指導・支援した「進歩的知識人」たちの責任は頗る大きい。<60年安保>闘争を煽った人たちも同罪だ。
 1950年代遅くにでも憲法が改正され自衛隊が正規の防衛軍と認知されていれば(自由民主党結成は1955年)、常識的にみて「…軍その他戦力」に他ならない自衛隊を、核兵器を持たないことを除けば世界有数の兵力があるらしい日本の自衛隊を「戦力」とは見ないなどという「大ウソ」をその後50年も継続して吐きつづける必要はなかった。
 「解釈改憲」という名の「大ウソ」なのだが、国家の基本問題についてこんな「大ウソ」をついておいて、まともな国家とは見られないし(東アジア諸国の考えはまた別だろうが省略)、そんな「大ウソ」つきの大人たちを子どもたちが信用して成長する筈がない。若い人たちについて指摘されることのある道徳規範の希薄さ等を、大人たちは批判する資格はないのではないか。
 第二。国会で2/3以上の議席を占める可能性はないと予想したのか、改憲を実質的に諦め、九条のもとで自衛隊の兵力の「近代化」を進めつつも、「大ウソ」をつき続けた自民党、とくに池田勇人内閣の情けなさ。
 その代わりに、種々の弊害・反作用を撒き散らしつつ、「高度経済成長」政策に邁進したのだ。
 次に、それにしても、NHKのこの番組制作者の歴史理解は相当に狂っているのではないか。深夜にある視聴率が低そうなニュース解説で奇妙なことを大真面目で言っていることがあるが、この番組はけっこうな人気番組の一つだろう。そんな番組が奇妙な立場と見解にもとづくものであっては困る。
 明瞭ではないが、「憲法九条-平和への闘争」とのタイトル自体が「憲法九条を守ろうとする闘い」は「平和への闘争」だったということを十分に示唆していそうだった。
 私もまた「平和主義」者であり、「平和」を愛するが、問題は、どうやって現実に「平和」(と安全)を確保するかにある。平和主義と戦争主義などという対立はありえない(侵略された時の非武装無抵抗主義と自衛戦争主義の対立はありうる)。
 九条を守ることのみが平和につながるが如きタイトルは、それ自体が国民を欺瞞するもので許せない。中立的に考えても、保安隊、自衛隊の設置等もまた、日本の「平和」(と安全)を確保するための措置であった、との見方は十分に成り立つ筈で(当時の政府はそう考えていた筈だ)、これを(侵略)戦争と結びつけるのは公平さを欠いている。
 今改めて観てみると、開始後45分辺りで「国民の多くが岸(信介)の政策は九条一項の精神に反し、戦争に向かっていると感じたのです」と松平定知にナレーションで語らせている。
 九条一項のうち自衛戦争の余地を(同項自体は)残している根拠とされる「国際紛争を解決する手段としては」の部分を省略して同条項の内容を紹介している。意識的であれば犯罪的だし、無意識であれば無知も甚だしい。
 岸の政策とは日米安保の60年改定を意味するが、これが戦争につながるのではなく、日米を対等化し、米国に日本を防衛する義務を負わせることで日本の「平和」(と安全)をより確保しようとするものだったことは、<60年安保闘争>参加者の一人だった田原総一朗も同・日本の戦後上-私たちは間違っていたか(講談社、2003)の中で認めている。しかるに、NHKのこの番組は、そういう異なる見解を紹介もしておらず、不公平で<偏向>している。
 それに、「国民の多く」が岸内閣の政策に反対していたなら、1960年の後半にあった総選挙で何故、岸が属していた自民党は第一党のままで、日本社会党は政権を取れなかったのか。NHKの制作担当者はいい加減な言葉を使うな、と言いたい。
 どの程度<60年安保闘争>のことが触れられたかをきちんと観てはいないが、これもまた「平和への闘争」でないことは明らかだ。中心は日本社会党・日本共産党・共産党を離党して共産主義者同盟(ブント)に結集した多数派「全学連」の学生たちで、「平和への闘争」という美しいものでは全くなく、反米・親社会主義国の闘争だった。資本家階級(日本独占資本)に支持されるとする岸政権(すでに日本帝国主義?)と米国(アメリカ帝国主義)に反対して、混乱を生じさせ、あわよくば日本社会党を中心とする政権の樹立を目指した、<社会主義への闘争>だった、というのが本質に近いだろう。
 60年当時日本社会党委員長の浅沼稲次郎(1898-1960)の顔がこの番組に頻繁に出ていたが、この人物は1959年3月の書記長時代に、中国で<アメリカ帝国主義は日中両国人民の共通の敵である>と、彼のいう「毛沢東先生」の前で演説した。
 <60年安保闘争>をどう評価するかについてすでに大きな対立があるのだろう。この<闘争>に参加した(要するにデモに参加という意味だが)立花隆・滅びゆく国家(日経BP、2006)はこれを肯定的に捉えている。私は消極的に評価する。余計なことだが、この<60年安保闘争>のおかげで貴重な青春を犠牲にした多くの青年男女がいた(樺美智子の死はその究極だろう)。
 反米や戦争反対だけならまだよいが、客観的に見てソ連や中国に利することとなる<闘争>など、決して行ってはならなかったのだ。
 NHKは他局以上に、例えば8月には、戦争や安全保障に関する番組を放送することが多いだろう。偶々気がついた番組が以上までに述べたようなものだったので、些か、げんなり、又はうんざりせざるを得ない。NHKの中にも朝日新聞と同様の考え方をもつ者が多いようで、要注意だ。
 ところで、2年前に泣きながら記者会見し、上司が政治家の圧力を受けた「らしい」と語った長井暁は、当然にNHKを辞めているはずだが、まさか居座っていないだろうね。

0100/池津洋一・虚報-朝日新聞「NHK番組改編」報道-(新風舎文庫)に接して。

 すでに旧聞に属するが、NHKを被告として2001.01.30にNHK教育テレビが放映した「女性国際戦犯法廷」を報道する番組の「取材協力団体」が起こした損害賠償(慰藉料)請求訴訟の東京高裁判決が2007.01.29に出て、NHKの敗訴だった。
 その結論はともかく、傲慢さと欺瞞に満ちていて、怒りを覚えるほどだったのは翌2007.01.30の朝日新聞社説だった
 そもそもNHKが放送しようとしていた内容は、例えば天皇の戦争責任を肯定する某過激派団体の集会を、あるいは昨秋の佐高信らの週刊金曜日の集会をそのまま、何ら批判的コメントもなく放映するようなものだった。そして、元朝日新聞記者=松井やよりも含む主催民間団体(その集会には北朝鮮関係者も登場した)に親近感を持っていたに違いないNHKの担当ディレクター=長井暁が制作していたものだった。
 最終的には昭和天皇に対して一般的な戦争責任の故ではなく「対女性性犯罪」者として「有罪判決」を下すという偽法廷のやりとりの内容がそのまま放映されれば、客観的または常識にみて放送法3条2項に違反するもので(「政治的に公平」違反、「事実をまげない」違反、意見対立問題には「できるだけ多くの角度から」論点明確化違反)、NHKの、一般的には放送局、さらには報道機関の「政治的中立」性を著しく侵すものだった。
 上のごとき内容を知ったNHK幹部=松尾武放送総局長等が事前に是正・改変しようとしたのは当然のことだ。朝日の社説は松井やより等が主催・参加した「女性国際戦犯法廷」との集会がどのようなものだったかには全く触れていない。
 朝日社説は「NHKは国会議員らの意図を忖度し、当たり障りのないように番組を改変した」と冒頭に書いて、NHKの「政治への弱さ」をさも得意そうに批判している。だが、この件でのNHKの問題は、昭和天皇に有罪判決を下す偽法廷集会を放送しようとした長井暁というディレクターがいたこと、上層部が放映直前になるまで内容を知らず是正(改変)が遅れたこと、にある。その限りでは、当然にNHKは批判されるべきだ。
 そして、その遅れた是正(改変)の時期が安倍晋三・中川昭一両氏とNHK幹部が会った時期に近いことに着目して、両政治家の「圧力」によりNHKの番組が「改変」されたとのストーリーを4年後に考え出し、二人を批判し政治的に失墜させようと図ったのが朝日新聞だったのだ。朝日は2001年1月以降の頃には、政治家による政治的「圧力」の存在には何ら言及していなかった。本田雅和は01.03.02に「直前に大改編」と批判する記事を書いたが、この時は<政治家の介入>には全く触れていなかった。
 朝日社説は「NHK幹部は番組への強い批判を感じ取ったのだろう。…予算案の承認権を国会に握られている。それが番組改変の動機になったと思われる」と書く。「思われる」としか書けないのは自信がないからで、判決の認定によるわけではなく、当該NHK幹部も否定している。
 この朝日1/30社説の最大の欺瞞は次の文だ。
 朝日の報道につき「政治家とNHK」から事実につき反論があったので「検証を重ね…一昨年秋、記事の根幹部分は変わらないとしたうえで、不確実な情報が含まれてしまったことを認め、社長が「深く反省する」と表明」した。
 今回の判決の要点の一つは、「政治家による圧力」の存在を認定しなかったことだ。にもかかわらず、上の文はこの点を曖昧にしつつ、「記事の根幹部分は変わらない」との見解を確認的に述べて、実質的に判決の事実認定に反する主張をしている。自分たちに都合の悪い事実の隠蔽・誤魔化しがここにもある。
 ネット情報に依拠しておくが、本田雅和高田誠両記者による2005.01.12の朝日の記事の政治家関係部分はこうだ。
 リード-「中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった」、「外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある」。
 本文-2001年1月「29日午後、当時の松尾武・放送総局長…らNHK幹部が、中川、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した」、「両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。NHK幹部の一人は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と話す」等。
 上の記事に中川・安倍両氏、NHK幹部・松尾氏は事実に反すると抗議したが、朝日は訂正も謝罪しなかった。今回の判決は上の事実を逆に否定しているにもかかわらず、その点を曖昧にしか触れず、再述になるが、朝日にとっては都合の悪い筈のことを巧妙に誤魔化しているわけだ。
 朝日社説は「社長が「深く反省する」と表明」したなどと書いて、さも潔かったかの如き印象を与えているが、社長がのちに詫びたのは取材方法や「不確実な情報」も含んでいたことに対してである。「記事の根幹部分」については訂正も謝罪もしておらず、むろん「反省」もしていない。
 多少は関心を持っている人なら知っているこの辺りを明瞭に書かないまま、「この問題は朝日新聞が05年1月に取り上げ」などと社説に自慢げに書ける神経の人物がいるとは信じ難い。
 政治家二人が「放送前日にNHK幹部を呼んで…と指摘していた」というのは事実ではないだろう。この事実が判決によって認定されなくともヌケヌケと「記事の根幹部分は変わらない」と強情になお言い張り、まるで朝日が潔い態度をとったかの如く偽装しているのが、今回の社説だ。騙せるかもしれないのは、朝日新聞のみを講読し、かつ社説の<雰囲気>のみを感じている読者だけだろう。
 多少は多面的・総合的にこの問題に関心をも持っていた読者を、そして歴史の真実を、瞞着することはできない。何度でも言う、朝日新聞よ、恥ずかしくないのか
 そのような朝日のもともとの記事について、「真実と信じた相当の理由はある」等として一昨年秋の検証を実質的に支えた外部者の委員会メンバーは、次の4名だった。
 丹羽宇一郎・伊藤忠会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大学法学部教授(憲法学)。
 この人たちは自らに疚しさを感じるところはないのだろうか。「真実と信じた相当の理由はある」としても、結果的には「真実」でないことが明らかになったことを書いてしまっているのであれば、それは訂正され、謝罪されるべきではないのか。
 朝日1/30社説には他にも奇妙な点がある。
 「今回の判決は政治家の介入までは認めるに至らなかったが、NHKの政治的な配慮を厳しく批判したものだ」。このように理解したいのだろうが、今回の訴訟はNHKと「取材協力者」間のもので、後者の法的地位こそが主たる争点だ。朝日は訴訟の第一の争点が何だったか自体を誤魔化している。
 「政治家の介入までは認めるに至らなかったが」と副文でさりげなく自社に都合の悪い部分に触れ、「NHK-裁かれた政治への弱さ」との見出しとともに、「NHKの政治への配慮」の有無が最大の争点だったと言わんばかりだ。これは朝日の主観的かつ「政治的」な理解の仕方に他ならない。
 一方で、読売社説と比べるとよく解るが、法的争点だった編集権と「取材協力団体」との関係、後者の「期待権」の存否及び侵害の有無については、言及が少ない。
 読売は冷静に、「政治家の介入」否定の旨の事実に二次的に触れてはいるが、一次的には、「メディアが委縮してしまわないか心配だ」、「報道の現場では、番組や記事が取材相手の意に沿わないものになることは、しばしばあ」り、「編集幹部が手を入れたり、削ったりする」のは「「編集権」の中の当然の行為だが、それすら、「期待権」を侵害する」のか、今回の判決では「期待権」の「範囲が…NHK本体にまで拡大された」等と疑問視し、最高裁の判断を持つ姿勢を示している。
 どちらが報道機関らしく、どちらが「政治運動団体」らしいだろうか。朝日は、自社に都合のよい部分を強調し悪い部分を巧妙に隠蔽しようとする「政治運動団体」だ。
 ……上のようなことを改めて書きたくなったのも、池津洋一・虚報-朝日新聞「NHK番組改編」報道-(新風舎文庫、2006.04)に接したからだ。
 この本は事実関係に関する資料として役立つとともに、内容も説得的、論理的でもあるように思える。
 上で書いた以上にNHK幹部と政治家二人の関係・会話や本田雅和の取材方法等々が詳細に叙述されている。改変開始の時期とNHK幹部と政治家の接触の時期(前者の方が早いこと)も指摘して、上で紹介した社説の、「NHKは国会議員らの意図を忖度し」とかNHK幹部は番組への強い批判を感じ取ったのだろう」とかの勝手な<推測>が成立し得ないことも示している。
 上記の4人の委員会の「検討」作業には全く言及がないのは残念だが、その代わりに、上では言及しなかった、2005.08.01発売の月刊現代誌上の「魚住昭レポート」のかなり長い批判的分析もある。
 著者・池津もまた、私と同様、朝日新聞の姿勢はジャーナリズムではなく「運動家」のそれだと言い切っている。
 「朝日新聞の態度にこそ現在のジャーナリズム、マスメディアの深刻な病理と頽廃を見ざるを得ない。…事実を伝えるよりも報道する側の価値観、信条から見て好ましいもの、正しいものを流布し、その結果、産み出された世論の力で彼らの価値観や信条に反する対象を否定し屈服させる…。その点は、…取材した側の思い込みの産物でしかなかったという事、…にもかかわらず朝日新聞は…自身にとって不利に展開するこをおそれ政治家が介入したという当の番組の内容は問題ではないと言うことによって読者の目をそらそうとしているところにはっきりと現れている。そして、…このような態度をとるのは、かつての従軍慰安婦問題の発端となった記事が全くの詐術であったことが暴露され、その結果、虚偽の報道を行って世論をミスリードしてでも自己の価値観、信条に反する対象はこれを否定し、あるいは屈服させるべきであるという誤った使命感にとらわれている事が…気づかれるのをおそれているからではないか。/…それはもはやジャーナリズム、マスメディアの態度ではなく、むしろある種の政治運動、社会運動の運動家のそれである」(p.199-200)。
 そう、そもそもが、NHKの番組の内容だった慰安婦問題=「戦時性犯罪」問題に火をつけたのも、吉田清治(「詐話師」)を少なくとも一時期は信用し、吉見某教授らの協力を得た朝日新聞そのものだった。
 池津洋一(1958-)の本は税込みでわずか682円(古書ではない)の、好著だ。

0070/安倍晋三は2005年に朝日新聞を明瞭にかつ厳しく批判した。

 自民党中心内閣あるいは安倍内閣というよりも安倍晋三首相を私が強く支持しているのは、彼の明瞭な反朝日新聞姿勢、朝日新聞に対する確固たる対決的態度によるところが大きい。
 安倍は中公ラクレ編集部編『メディアの迷走-朝日・NHK論争』(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしている。引用すると、次のとおりだ。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 こうした対朝日批判には、活字として明々白々な記録として残るだけに、かなりの勇気が必要だと思われる。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)の中には、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になる者もいるに違いない。
 むろん、一昨年のNHK・朝日問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。

0031/新聞各紙はNHKに遅れをとったか?-沖縄集団自決命令・教科書修正

 以下は、昨夜午後8時台にNHKのニュースを聞いたあと書いたものだ。その時点で探したが、イザ・産経ウェブにはこれに関する情報はまだ出ていなかった。
 同じ内容だが、記事へのコメントの形にして再掲する。なお、教科書ではなく訴訟や大江に傾斜して書いたので、フォルダは「大江健三郎」にした。
 以下、再掲。
 NHKのスクープなのかどうか、3/30の今夜7時のニュースで、終戦前の沖縄戦の時期の沖縄の若干の小島における<軍による一般住民への集団自決命令>が発せられた旨の記述が検定の結果として教科書から消えることになった、と報道された。
 戦後当初の関係住民の証言を素材にして沖縄の新聞社発行の沖縄戦史がこの<軍の集団自決命令>を事実として書き、それを信じた大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書、1970)がずっと売られ続け、命令を出したとされる軍人の遺族等が訴訟を起こしている。大江と出版元の岩波を被告とするいわゆる沖縄自決命令損害賠償請求訴訟で、現在大阪地裁で審理中だ。
 これに関して、昨年から今年にかけて、私は以下のようなことを綴った。
 大江は、沖縄タイムズ社の本に書いてあったから信用したというだけでは、沖縄ノート(1970)の記述を30年以上訂正しなかった過失を否定するのに十分ではないことは明らかだろう。ノーベル賞作家は、あるいは誰についても言えるが、原告の政治的背景をアレコレ言う前に(大江・朝日新聞2005.08.16)、真の「事実」は何だったかに関心をもつべきだ。大江等を擁護するサイトの意見も読んでみたが、事実よりも「自由主義史観」者たちに負けるなとの感情過多の印象が強かった。
 2005年10/28に大阪地裁法廷で朗読された訴状要旨の最後は次のとおりだ(徳永信一・正論06年09月号による)。-「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言および証言をする人物も近日登場したようだ(これの影響が今回の検定方針には大きかったと推測される)。
 週刊新潮1/04・11号を買い櫻井よしこ氏のコラムを読んで驚いたのは、この訴訟の原告は命令したとされる軍人の遺族とばかり思いこんでいたところ、座間味島にかかる一人は、命令したとされるその人本人であり、90歳で存命で、櫻井氏が今年逢って取材している、ということだった。
 原告が虚偽としている大江・沖縄ノート(岩波新書)の関係部分を探して読んでみた。例えばp.169-170、p.210-5が該当するとみられる。興味深いのは、前者ではすでに集団自決命令が事実であることを前提にしており、つまり事実か否かを多少は検証する姿勢を全く示しておらず、後者では(上の存命の人とは別の)渡嘉敷島にかかる軍人の(沖縄を再訪する際の)気持ちを、彼が書いた又は語った一つの実在資料も示さず、「想像」・「推測」していることだ。「創作」を業とする作家は、事実(又はそう信じたもの)から何でも「空想」する秀れた能力をもつようだ。当然に、「創作」とは、じつは「捏造」でもあるのだ。大江・沖縄ノートp.208のその内容を引用すると、長いが、次のとおりだ。
 新聞は「「命令」された集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が…渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた」と記した。大江は続けてその元守備隊長の気持ち・感情を「推測」する。
 「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ」、「いかにおぞましく怖しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減していく、…その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいと願っている場合にはことさらである。かれは他人に嘘ををついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく」(p.208-9)。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいと願う。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいて…過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、…本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。…1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」(p.210)。
 「かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。…とかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう」(p.210-1)。
 「あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へ追いやったかの、…およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の…再現の現場に立ち入っているのである」(p.211-2)。
 以上は全て、大江の「推測」又は「想像」だ。ここで使われている語を借用すれば「夢想」・「幻想」でもある。
 このような「推測」・「想像」は、「若い将校」の「集団自決の命令」が現実にあったという事実の上でこそ辛うじて成立している。その上でこそようやく読解又は論評できる性格のものだ。だが、前提たる上の事実が虚偽だったら、つまり全く存在しないものだったら、大江の長々とした文は一体何なのか。前提を完全に欠く、それこそ「夢想」・「幻想」にすぎなくなる。また勿論、虚偽の事実に基づいて「若い将校」=赤松嘉次氏(当時大尉、25歳)の人格を酷評し揶揄する「犯罪的」な性格のものだ。大江は赤松氏につき「イスラエル法廷におけるアイヒマン、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とも書いた(p.213)。
 1992年刊行の曽野綾子・ある神話の風景(PHP文庫、初出は1970年代)の改訂新版である同・沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実-日本軍の住民自決命令はなかった!(ワック、2006)の冒頭で、曽野氏は「私は、「直接の体験から「赤松氏が、自決命令を出した」と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない」と書き(p.7)、大江・沖縄ノートを「軍隊の本質を理解しない場合にのみ可能」(p.280)、大江による「慶良間の集団自決の責任者も、…あまりに巨きい罪の巨塊のまえで…」というような「断定は私にはできぬ強いもの」だ等と批判する(p.295-6)。そして曽野の「私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである」という言葉は極めて良識的であり、「人間的」だ。
 大江健三郎とは、いったい何者なのだろう、とこれまでも浮かんだことがある想いが疼く。1974年頃にはすでに日本軍による住民集団自決命令の事実には疑問が出ていたにもかかわらず、(岩波書店とともに)沖縄ノートを現在も売り続けており、人々に読ませている。沖縄タイムズ等の報道を根拠にして「日本軍ならやったに違いない」と偏見をももって思い込み、その強い「感情」をもって、命令したとされる人物の感情につき、「夢想」・「幻想」又は「妄想」を膨らませのではないか。とすれば、大江こそが「自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきた」のではないか
 大江の文を読んでいると、失礼な表現だとは思うが、「偏執」的「狂気」すら感じざるを得ない。また、やや反復になるが、作家という職業の人は、現実と非現実との境界をたやすく飛び越え、また再び戻れる人種で、かつ現実と非現実の区別すら曖昧になってしまうことのある人種なのではないか、と感じる。
 元に戻ると、NHKニュースは歴史研究者のコメントとしては、「命令はあった」、「今回の検定は事実を歪曲するもの」とするもののみを放映した。住民から疑問や落胆の声のみが上がっているようなコメントも含めて、NHKのかかる報道の仕方は、公平さを明らかに欠いていて、大いに問題だと考える。

0029/日本軍による沖縄戦・集団自決命令はなかった-教科書検定意見つく。

 NHKのスクープなのかどうか、3/30の今夜7時のニュースで、終戦前の沖縄戦の時期の沖縄の若干の小島における<軍による一般住民への集団自決命令>が発せられた旨の記述が検定の結果として教科書から消えることになった、と報道された。
 戦後当初の関係住民の証言を素材にして沖縄の新聞社発行の沖縄戦史がこの<軍の集団自決命令>を事実として書き、それを信じた大江健三郎・沖縄ノート(岩波新書、1970)がずっと売られ続け、命令を出したとされる軍人の遺族等が訴訟を起こしている。大江と出版元の岩波を被告とするいわゆる沖縄自決命令損害賠償請求訴訟で、現在大阪地裁で審理中だ。
 これに関して、昨年から今年にかけて、私は以下のようなことを綴った。
 大江は、沖縄タイムズ社の本に書いてあったから信用したというだけでは、沖縄ノート(1970)の記述を30年以上訂正しなかった過失を否定するのに十分ではないことは明らかだろう。ノーベル賞作家は、あるいは誰についても言えるが、原告の政治的背景をアレコレ言う前に(大江・朝日新聞2005.08.16)、真の「事実」は何だったかに関心をもつべきだ。大江等を擁護するサイトの意見も読んでみたが、事実よりも「自由主義史観」者たちに負けるなとの感情過多の印象が強かった。
 2005年10/28に大阪地裁法廷で朗読された訴状要旨の最後は次のとおりだ(徳永信一・正論06年09月号による)。-「以上のとおり、被告大江健三郎が著した『沖縄ノート』を含む被告岩波書店発行の書籍は、沖縄戦のさなか、慶良間列島において行われた住民の集団自決が、原告梅澤裕元少佐あるいは原告赤松秀一の兄である亡き赤松嘉次元大尉の命令によるものだという虚偽の事実を摘示することにより原告らの名誉を含む人格権を侵害したものである。よつて、原告らは、被害の回復と拡大を防止するため、それらの出版停止、謝罪広告及び慰藉料の支払いを求めるものである」。
 原告側に有利な発言および証言をする人物も近日登場したようだ(これの影響が今回の検定方針には大きかったと推測される)。
 週刊新潮1/04・1/11合併号を買い櫻井よしこのコラムを読んで驚いたのは、この訴訟の原告は命令したとされる軍人の遺族とばかり思いこんでいたところ、座間味島にかかる一人は、命令したとされるその人本人であり、90歳で存命で、櫻井が今年逢って取材している、ということだった。
 原告が虚偽としている大江・沖縄ノート(岩波新書)の関係部分を探して読んでみた。例えばp.169-170、p.210-5が該当するとみられる。興味深いのは、前者ではすでに集団自決命令が事実であることを前提にしており、つまり事実か否かを多少は検証する姿勢を全く示しておらず、後者では(上の存命の人とは別の)渡嘉敷島にかかる軍人の(沖縄を再訪する際の)気持ちを、彼が書いた又は語った一つの実在資料も示さず、「想像」・「推測」していることだ。「創作」を業とする作家は、事実(又はそう信じたもの)から何でも「空想」する秀れた能力をもつようだ。当然に、「創作」とは、じつは「捏造」でもあるのだ。大江・沖縄ノートp.208のその内容を引用すると、長いが、次のとおりだ。
 新聞は「「命令」された集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が…渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた」と記した。大江は続けてその元守備隊長の気持ち・感情を「推測」する。
 「おりがきたら、この壮年の日本人はいまこそ、おりがきたと判断したのだ」、「いかにおぞましく怖しい記憶にしても、その具体的な実質の重さはしだいに軽減していく、…その人間が可能なかぎり早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいと願っている場合にはことさらである。かれは他人に嘘ををついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく」(p.208-9)。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいと願う。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいて…過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、…本土での、市民的日常生活においてかれに届かない。…1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう」(p.210)。
 「かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。…とかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう」(p.210-1)。
 「あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、とひとりの日本人が考えるにいたる時、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へ追いやったかの、…およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の…再現の現場に立ち入っているのである」(p.211-2)。
 以上は全て、大江の「推測」又は「想像」だ。ここで使われている語を借用すれば「夢想」・「幻想」でもある。
 このような「推測」・「想像」は、「若い将校」の「集団自決の命令」が現実にあったという事実の上でこそ辛うじて成立している。その上でこそようやく読解又は論評できる性格のものだ。だが、前提たる上の事実が虚偽だったら、つまり全く存在しないものだったら、大江の長々とした文は一体何なのか。前提を完全に欠く、それこそ「夢想」・「幻想」にすぎなくなる。また勿論、虚偽の事実に基づいて「若い将校」=赤松嘉次(当時大尉、25歳)の人格を酷評し揶揄する「犯罪的」な性格のものだ。大江は赤松につき「イスラエル法廷におけるアイヒマン、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」とも書いた(p.213)。
 1992年刊行の曽野綾子・ある神話の風景(PHP文庫、初出は1970年代)の改訂新版である同・沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実-日本軍の住民自決命令はなかった!(ワック、2006)の冒頭で、曽野氏は「私は、直接の体験から「赤松氏が、自決命令を出した」と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない」と書き(p.7)、大江・沖縄ノートを「軍隊の本質を理解しない場合にのみ可能」(p.280)、大江による「慶良間の集団自決の責任者も、…あまりに巨きい罪の巨塊のまえで…」というような「断定は私にはできぬ強いもの」だ等と批判する(p.295-6)。そして曽野の「私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである」という言葉は極めて良識的であり、「人間的」だ。
 大江健三郎とは、いったい何者なのだろう、とこれまでも浮かんだことがある想いが疼く。1974年頃にはすでに日本軍による住民集団自決命令の事実には疑問が出ていたにもかかわらず、(岩波書店とともに)沖縄ノートを現在も売り続けており、人々に読ませている。沖縄タイムズ等の報道を根拠にして「日本軍ならやったに違いない」と偏見をももって思い込み、その強い「感情」をもって、命令したとされる人物の感情につき、「夢想」・「幻想」又は「妄想」を膨らませのではないか。とすれば、大江こそが「自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきた」のではないか
 大江の文を読んでいると、失礼な表現だとは思うが、「偏執」的「狂気」すら感じざるを得ない。また、やや反復になるが、作家という職業の人は、現実と非現実との境界をたやすく飛び越え、また再び戻れる人種で、かつ現実と非現実の区別すら曖昧になってしまうことのある人種なのではないか、と感じる。
 元に戻ると、NHKニュースは歴史研究者のコメントとしては、「命令はあった」、「今回の検定は事実を歪曲するもの」とするもののみを放映した。住民から疑問や落胆の声のみが上がっているようなコメントも含めて、NHKのかかる報道の仕方は、公平さを明らかに欠いていて、大いに問題だと考える。

-0065/安倍晋三現首相は2005年01月14日にこう語った。

 中西輝政の日本の「敵」(03.10)、日本の「死」(05.02)につづく「日本の選択を問う第三作」の日本の「覚悟」(05.10、文藝春秋)を入手し、第11章と第14章を読んだ。現在に近いだけに臨場感がある。
 14章は「『朝日』の欺瞞を国民は見抜いている」との題での05.01.14に行われた安倍晋三との対談で諸君!05年3月号が初出のもの(原題は「慰安婦も靖國も『朝日問題』だ」)。
 現首相の当時の発言を要約して又は一部引用して記録にとどめておく。
 1.「A級戦犯分祀」論批判-「A級戦犯」で有罪判決を受けた人は25名、死刑でなく禁固刑でのちに釈放された重光葵元外相も含む。「中国側の言い分に従って、東京裁判の正当性を認め、A級戦犯の責任を改めて鮮明にするのであれば、重光さんからも勲一等を剥奪しなければ筋が通りません」。重光の他にのちに法相となった賀屋興宣もいるが、こうした旨を安倍は今年9月にも民主党・岡田克也に答えて述べていた。岡田は有効な反論をできなかったが、この対談でのかなり詳しい安倍発言の内容をおそらく知らないままだったのだろう。
 2.対NHK「政治圧力」問題a-2001年にNHKが報道した「元朝日新聞記者・松井やよりなる人物が企画した…イベント」である「女性国際戦犯法廷」は昭和天皇を「性犯罪と性奴隷強制」の責任で「有罪」とした異常な「疑似法廷」で、「検事席に座っていたのは、なんと北朝鮮の代表二人。いずれも対世論工作活動を行っているとされ」、日本再入国を試みたときは政府はビザ発給を拒否したような人物たちで、うち一人は「黄虎男」という。01/13のテレビ朝日・報道ステでこの旨指摘すると、朝日編集委員・加藤千洋氏は不審そうに彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識があります」とも言った。加藤氏は「工作」の意味が分からず、かつ「工作」の対象になっていたのでないか。昨日この日記に登場させたばかりの朝日・加藤千洋の「お人好し」ぶりを安倍は皮肉っている。
 3.対NHK「政治圧力」問題b-「松井氏らの茶番法廷」につき「主催者の意向通りの番組が放送されるらしいというのは、当時、永田町でも話題」だったが「この件について私がNHKを呼びつけたという事実はまったくありません」、幹部が「予算・事業計画の説明に来訪した折、向こうから自発的に内容説明を始めた」のだが、「良からぬ噂は私の耳にも届いて」いたので「私は「公平、公正」にやってくださいね」という程度の発言」はしたが「与党議員、官房副長官として、圧力と受け取られるような発言をしてはならないという点は強く自覚して対処」した。
 しかし、「朝日は、私の反論、回答要求に、何ら新たな根拠や資料を示すこと」がなかった。秋月が口を挟めば、にもかかわらず朝日は謝罪も訂正もしなかった。外部者から成る委員会が「真実と信じた相当の理由はある」などと言ってくれたのを受けて、取材不足だが真実でないとはいえない、と結論づけて自ら勝手に幕を閉じた。外部者の委員会(「「NHK報道」委員会」)の4委員名、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大(法)教授、も永く記憶されてよい(肩書だけはみんな立派そうだ)。
 4.「法廷」と朝日の安倍攻撃の背景-2001年頃には拉致問題が注目され始めたので、北朝鮮は被害者ぶることで「日本の世論における形勢を立て直そうとしていた」。そこで、「日本の過去の行状をことさらに暴き立てる民衆法廷のプランが浮上したのでしょう」。
 2005年の1/12に朝日は中川経産相とともに「事前検閲したかのような記事を載せた」が、「4年も前の話を、なぜいまこの時期に?」、 かの「法廷」に「北朝鮮の独裁政権が絡んでいたことを考えると、私がいま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」。秋月には、日本国内の朝日系人脈やフェミニストの「右派」・「国粋的」安倍攻撃で、北朝鮮は資金援助等の協力者というイメージだったが、安倍自身は北朝鮮こそが最奥にいる「策謀者」と想定しているようだ。とすると、朝日は意識的にか結果的にか北朝鮮に協力したことになる-成功はしなかったが。
 5.朝日への姿勢-中西の「従来から朝日の安倍さんへの個人攻撃はどう見ても常軌を逸しているとしか思えません」との発言をうけて、「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるか」を「国民は見抜いている」、「いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は…朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は、国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない」。
 以上、長くなったが。対談の最後に中西氏が「朝日新聞は戦後日本を支えた大宰相に対してのみ、常に厳しい態度で臨んできた」として、吉田茂、鳩山一郎、岸信介と中曽根康弘を例示している(「宮澤喜一さんにはまったく違う態度だった」という)。とすると、安倍晋三にも「大宰相」になる資格が十分にある。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー