秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

L・コワコフスキ

2790/レシェク·コワコフスキ追想②。

 いっとき、L・コワコフスキに関する情報をネット上で探していたことがあった。
  日本語でのWikipedia、英米語でのWikipedia、当然にいずれも見たが、前者・日本語版のそれはひどかった。
 現時点(11/15)では少しマシになっているようで、新しい邦訳書についても記載がある、しかし、L・コワコフスキの哲学に「無限豊穣の法則」が一貫している、などという今もある説明は適切なのか、どこからその情報を得ているのか、きわめて疑わしい。
 日本語と英米語でWikipediaの叙述の内容は違うということを明確に知ったのはL・コワコフスキについて調べていたときだった。
 仔細に立ち入らない。英米語のWikipedia での‘Main Currents of…’ の項は、この著に対する数多くの書評(の要旨)が紹介されていて、興味深い。2005年の一冊合本版について、重すぎる、開きにくいとかの「注文」があったのには苦笑した。
 ともあれ、日本には、<明瞭な反共産主義者>であるL・コワコフスキの存在自体を隠す、あるいは、この人物についてできるだけ知られないようにする、という雰囲気があったのではないか。
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  L・コワコフスキは、ノーベル賞の対象分野になっていない学問分野での業績を対象にして贈られる、アメリカ連邦議会図書館Kluge賞の初代受賞者だった。のちに、ドイツのHarbermath も受賞している。
 日本語Wikipedia は、この点をほとんど全く無視している。私は、その選考過程等も示す議会図書館の記事を探して、この欄に紹介した。→「1904/NYタイムズ」。さらに、→「1906/NYタイムズ,訃報」
 L・コワコフスキは授賞式で、Kluge 氏は「klug (賢い、ドイツ語)です」とかの冗談を含めて挨拶していた。
 その授賞式に、あるスウェーデン女性も同席していたらしいので調べてみると、スウェーデンの皇太子(次期国王予定者、女性)だった。これは、ノーベル賞の対象外の学問分野についての賞で、元のノーベル賞との関係も意識されている、ということを示していると、秋月は推測している。
 同じワシントンのホワイト・ハウスでのG. W. Bush (小ブッシュ)と並んでのL・コワコフスキの写真では、彼の顔はいくぶんか紅潮している。つねに冷静そうな彼であっても、アメリカ大統領官邸に招かれること自体がさすがに感慨深いことだったのだろう。
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 Kluge 賞受賞(2003年)は当然に1991年のソ連解体以降のことで、その授賞理由には<現実(ソ連解体、ポーランド再生 )にも影響を与えた>旨が明記されていた。
 たぶんそれよりも後のものだろう、ポーランドの放送局員がイギリス・Oxford の(たぶん)コワコフスキの家の部屋でインタビューしている動画を私はネット上で探して見た。
 ポーランド語だったので、内容はさっぱり分からなかった。
 だが、印象に残ったのは、①頭の中の回転スピードに口と発する言葉が追いつかないのか、しきりに咳き込んでいた。
 ②全く「威張っている」、「偉ぶっている」ふうがなかった。本来、真摯な人物であり、また謙虚な人なのだろう。と言うよりも、奇妙な「自己意識
」がなくて、自分を「演技」することもないのだろう(そんな人は日本にはいそうだ)。
 なお、カメラに視線をじっと向けて語るのは、コワコフスキやポーランド人に特有ではなく、たぶん欧米人に共通しているのだろう。
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  L・コワコフスキとその妻タマラ(Tamara、精神科医師)の二人がコワコフスキの生地であるポーランド・(ワルシャワ南部の)Radom の町の通りを歩いている動画か写真を見たことがある。
 郷土出身の著名人ということで、ある程度は人が集まっていて、一緒に同スピードで歩いている少年もいたが、大きなパレードでは全くなく、夫妻が人々に手を降るのでもなかった。人々がある程度集まってきて申し訳ないというがごとき緊張を、L・コワコフスキは示していた。
 こうした場合、日本人の中には、<オレはこんなに有名になったのだ>という高揚を感じる者もいるのではないか。とくに「自己」を異様に意識する人の中には。
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  以下は「追想」ではなく、つい最近に知ったことだ。
 たまたまL・コワコフスキ夫妻の(たぶん一人の)子どもである1960年生まれのAgnieszka Kolakowska をネット上で追求していたら、その母親はユダヤ人またはユダヤ系である旨が書かれていた。娘の母親ということは、L・コワコフスキ本人の妻・タマラのことだ。(なお、父親のポーランド語文についての娘の英語訳は、母国語が英語でないためだろう、非英語国人にとって理解しやすい英語文になっている可能性が高いと思われる。)
 不思議な縁を感じざるを得なかった。
 まず、Richard Pipes (1923〜2018)は「ポーランド人」かつ「ユダヤ人」だった。
 両親は「オーストリア=ハンガリー帝国」時代にその領域内で生育し、R. pipes は家庭内では「ドイツ語」を、外では「ポーランド語」を話して育った、という。チェコと川で接する国境の町で生まれたが、1939年のドイツによるポーランド侵攻直後にポーランド(ワルシャワの南部)を親子三人で「脱出」、アメリカに移住して、20歳で(1943年に)「アメリカ合衆国」に帰化した。したがって、以降は「アメリカ人」。
 ついでながら、ワルシャワ近く→ミュンヒェン(独)→インスブルック(墺)→ローマ(伊)→ニューヨーク(米)という「逃亡『劇』」は、十分に一本の映画、何回かの連続「テレビドラマ」になる、と思っている。
 R.パイプスの自伝からこの時期について、この欄に「試訳」を紹介した。→「2485/パイプスの自伝(2003年)①」以降。
 ついで、T・ジャット(1948〜2010)の2010年の最後の書物(邦訳書/河野真太郎ほか訳・真実が揺らぐ時)の序説で、編者・配偶者のJennifer Homans が書いていることだが、T・ジャットは逝去の数年前以内に、<ぼくの伯母さんはナツィスに(ホロコーストで)殺された>と言って<泣き出した>、という。
 ということは、T・ジャットもユダヤ人であるか、少なくともユダヤ系の人物だった。
 さらには、L・コワコフスキも、上のような形で、「ユダヤ人」と重要な関係があった。
 言語・民族・国家を一括りで考えがちな日本人には分かりにくいことが多いが(今でもほとんど理解し得ていないが)、たまたま最もよく読んだと言える、L・コワコフスキ、R・パイプス、T・ジャットのいずれも、ユダヤ人と関連があったことになる(次いでよく読んでいるのは、Orlando Figes だろう)。
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2682/西尾幹二批判075・トニー·ジャット。

  Tony Judt(トニー·ジャット)の文章を最初に読んだのは、つぎの著の、Leszek Kolakowski=レシェク・コワコフスキに関する章だった。
 Tony Judt, Reappraisals -Reflections on the forgotten 20th Century, 2008.
 L・コワコフスキの大著がアメリカで一冊となって再刊されることを知って、歓迎するために書いたものだった。L・コワコフスキに対する関心が、私をT・ジャットにつなげた。
 この著にはつぎの邦訳書があった。
 トニー·ジャット=河野真太郎ほか訳・失われた20世紀(NTT出版、2011)。
 原書も見たが、この訳書にほとんど依拠して、L・コワコフスキに関する章をこの欄に引用・紹介したこともあった。→No.1717/2018年1月18日·①、以下。
 T・ジャットの最後の著は、つぎだった。
 When the Facts Change -Essays 1995-2010, 2010.
 L・コワコフスキ逝去後の追悼文がこの中にあった。敬愛と追悼の念が込められたその文章には感心した。それで、この欄に原書から翻訳して、この欄に掲載した。→No.1834/2018年7月30日。
 のちに、つぎの邦訳書が刊行された。
 T・ジャット=河野真太郎ほか訳・真実が揺らぐ時(慶應大学出版会、2019)。
 この訳書にも書かれているように、上の2010年著は著者の死後に妻だったJennifer Homans(ジェニファー·ホーマンズ)により編纂されて出版されたもので、冒頭に‘Introduction :In Good Faith’ という題の彼女の「序」がある。
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  この「序」の文章を読んで、日本の西尾幹二のことを想起せざるを得なかった。
 私(秋月)はT・ジャットの本を十分には読んでおらず、L・コワコフスキについての他は、Eric Hobsbawm とFrancois Furet に関する文章の概略を読んだにすぎない(前者は2008年の著、後者は2010年の著にある)。
 したがって、J. Homans が書くT. Judt の評価が適切であるかどうかを判断する資格はない。
 だが、その問題は別としても、彼女の文章の中のつぎの二点は、日本の西尾幹二を思い出させるものだった。その二点を、以下に記そう。
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  第一。編者で元配偶者だったJ. Homans はまず冒頭で、T·ジャットの人物と「思想」(the ideas)は区別されなければならないとしつつ、彼の「思想」は「誠実さをもって」または「誠実に」書かれた、と指摘する。冒頭にこの点を指摘するのだから、よほど強く感じていたことに違いない(私にその適否を論じる資格はないが)。
 「誠実さをもって」、「誠実に」とは、原語では、「序」の副題にも用いられている、’In Good Faith’ だ。
 邦訳書にほとんど従うと、そして編者によると、これはT・ジャットの「お気に入り」の表現(favorite phrase)だった。そして、編者は、これをつぎのような意味だと理解している。
 「知的なものであろうとなかろうと、計算(caluculation)や戦略(maneuver)ぬきで書かれた著述」のことであり、「純粋(clean)で、清明で(clear)、正直な(honest)記述」だ。
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 秋月瑛二は、西尾幹二について、こう感じている。
 西尾自身は「書けることと書けないことがある」と明言し、「思想家」も「高度に政治的に」なる必要がある旨を明言したこともある。また、月刊正論では安倍内閣批判が許容されたとか語ったことがあるように、雑誌の性格によって執筆内容の範囲や限界を「忖度」していたことを認めている。
 西尾幹二の「評論家」生活、「売文」業=「自営文章執筆請負」業生活は、<計算>と<戦略>にたっぷりと満ち満ちていたのではないだろうか。
 当然ながら、「純粋」でも「清明」でもなく、重要なことだが、「正直」ではない。
 西尾幹二の<戦略>についてはほとんど触れたことがないが、この人は、とくに2000年頃以降、広い意味での<保守>派の中で、どのような立場を採れば、どのような主張をすれば、目立つか、際立つか、注目されるか、という「計算」を絶えず行なってきた、と思われる
 西尾の反安倍も、反原発も、その他も、このような観点からも見ておく必要がある。近年ではやや薄れてはきているが、少なくとも一定の時期は、<産経>または<月刊正論>グループの中でも、櫻井よしこ・渡部昇一ら(八木秀次はもちろん)とは異なる立場にいることを<戦略>として選んできた気配がある。
 J. Homans が書いているとおりだとすると、T. Judt は、西尾幹二とは真反対の著述家だったようだ。たしかに、この人のL・コワコフスキ追悼の文章は、「計算・戦略」など感じられない、一種胸を打つようなところがある。彼はあの文章を、自分自身の<ゲーリック病>による満62歳での死の10ヶ月前に書いたのだった(病気のことを全く感じさせない文章だった)。
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  第二。「序」の最後に編者、J.Homans が書いているところによると、T・ジャットは死の直前の1ヶ月に「来世」(the Afterlife)と題する小論を書き始めた。だが完成しなかったようで、2010年著にも含まれていないと見られる。
 編者に残された断片的原稿の中に、つぎの文章があった、という。ほぼ邦訳書による。
 「影響や反応(impact, response)に関する何らかの見込みをもって、ものを書いてはならない。
 そうすれば、影響や反応は歪められたものになってしまい、著作そのものの高潔さ(integrity)が汚されてしまう。」
 「無限の可能性が将来にある読者の動機(motives)が生じる文脈(context)も、予期することはできない。
 だから、それが何を意味していても、きることはただ、書くべきことを書くことだけだ。
 読者や出版社・編集者の「反応」、彼らへの「影響」を気にして文章を執筆してはならない。書くべき(should)ことを書くだけのことだ。
 西尾幹二は、かりに知ったとして、T・ジャットの死の直前に書かれたこの文章をどう読むだろうか。
 自分の文章の読み方、解釈の仕方は、読み手に任せる他はないのではないか。前回に記したようなこの人の<足掻き>、あるいは<妄執>は、いったい何に由来するのだろうか。
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 書きたいことを書くだけだ。影響などないに決まっているし、反応を気にしても仕様がない。—これは全く、この欄についての秋月瑛二の心境でもある。
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2628/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌⑥。

 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
 つづき。
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 第一章④。
 (14) 精神の歪曲と身体の責苦を目的とするこのような皮肉な弁証法の利用を、西側のマルクス主義講釈者たちは、通常のこととして、見逃した。彼らは過去の理想または未来の展望の黙考に沈潜して、とくに彼らがかつての犠牲者や目撃者だった場合には、ソヴィエトの現在に関する不愉快な情報に動かされないままでいることを好んだ。(注12)
 Kolakowski がこのような者たちと遭遇したことが、疑いなく、「西側の」マルクス主義と彼の進歩的な同調者の大部分に対する彼の痛烈な軽蔑を説明する。
 「教養のある人々にマルクス主義が人気のある理由の一つは、マルクス主義は単純な態様ではきわめて理解し易い、ということだ。Sartre ですら、マルクス主義者は誤っており、(マルクス主義は)あれこれと研究し終えることなく、歴史と経済の総体に対処するのを可能にする道具だった、ということに気づいていた。」(注13)
 このような遭遇は、ずっと以前に出版された論考集〈My Correct Views on Everything〉という嫌味溢れる表題となった小論の動機となったものでもあった。(注14)
 イギリスの歴史家のEdward Palmer Thompson は1973年の〈The Socialist Register〉に、Leszek Kolakowski に宛てた公開書簡を掲載した。
 そこで彼は、かつてのマルクス主義者に向かって、若いときのマルクス主義修正主義からの転向によって擁護者を見捨てたと、叱りつけた。
 この公開の書簡が際立って示したのは、Thompson の自己満足と地域性だった。すなわち、彼は饒舌で(書簡は100頁に及んだ)、慇懃無礼で、偽善的だった。
 Thompson は、威張った扇動的な調子で、亡命したKolakowski の鼻の前に修辞の指先を突きつけて彼を払い落とし、彼を—その思慮深くて進歩的な公刊物を斜めに一瞥しながら—非難する。
 「我々二人は、1956年に共産主義修正主義の見解で一致した。…我々はともに、スターリン主義批判の先頭の立場から…を経てマルクス主義修正主義の態度へと至った。
 時代を経て、あなたとあなたが支持した物事は、我々の最も内的な思考について現在のようになった。」
 Thompson は、イギリスの地方の居心地よい安全な所から、こう示唆した。
 あなたは、どのようにしてあえて我々を裏切ることができるのか? 共産主義ポーランドでのあなたには不都合な体験でもって、我々に共通するマルクス主義の理想を覆い隠すことによって。//
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 (15) Kolakowski の反論文である〈My Correct Views on Everything〉はおそらく、政治的議論の歴史上、最も良く書かれた知識人の解体作業だ。すなわち、これを読んだあとでは誰も二度と、Edward Palmer Thompson を真面目に受け止めないだろう。
 この小論は、マルクス主義の歴史と体験によって「東側」と「西側」の知識人の間にあることが明らかになった、かつ今日まで存在している、大きい道徳的な溝を解説するものだった(そして症候として例証するものだった)。
 Kolakowski は情け容赦なく、Thompson の懸命の利己的な努力を解剖し、分析した。その努力とは、マルクス主義の欠陥から社会主義を、共産主義の拒絶からマルクス主義を、そして彼自身の犯罪から共産主義を救おうとするものだった。—全ては、一つの理想の名のもとに行なわれた。表面的には「唯物論的」現実に根ざし、信頼性もそれに依存していて、決して現実世界の経験や人間の不可能性に言及されることがない理想。
 Kolakowski はThompson に向かってこう書く。
 「あなたは、『システム』という概念で思考するのは傑出した成果をもたらす、と言う。
 私も、確かにそう思う。—たんに傑出しているばかりか不可思議な成果をだ、という点で留保はするが。
 人類の全ての諸問題を、それは一撃のもとですぐに解決するのだ。」
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 (16) 人類の諸問題を一撃のもとで解決する。現在を説明すると同時に将来を保障することのできる、全てを包括する理論を追い求める。
 現実の体験の苛立つような複雑さと諸矛盾を回避するために、知性的または歴史的な「システム」という松葉杖に逃げ場を求める。
 腐敗した果実から、想念または理想の「純粋な」種子を救い取る。
 このような近道は、永遠の魅力をもつが、マルクス主義者(または左翼)の独占物ではない。
 少なくともこのような人間の愚昧さのマルクス主義という変種から別離することだけは、至極当然のことだ。
 Kolakowski のようなかつてのマルクス主義者の洗練された洞察とThompson のような「西側」マルクス主義者の独善的な偏狭さのあいだで、歴史の審判自体について完全に沈黙するならば、問題は自明のこととして処理されたかのように思われるだろう。
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 注記。 
 (12) このような目撃証言には信頼性がないという主題に、西側の進歩主義者によるスターリン主義の釈明は注目した。
 全く同様に、アメリカのソヴィエト学者は、東方圏からの逃亡者または移住者による証拠物提出や証言を、無視した。—あまりにも個人的体験で、一致していないため、概観することを歪曲し、客観的に分析することを妨害する。
 (13) 「社会主義に残るものは何か ?」((注08)を見よ)。ポーランドの人々その他の「東方圏人」は、迎合的な西側の進歩主義者に対するKolakowski の嘲弄に共感していた。詩人のAntoni Slonimski は1976年に、Jean-Paul Sartre が20年前に、アメリカに対抗して「社会主義陣営」を弱めないために、社会主義リアリズムを放棄しないよう、ソヴィエト圏の文筆家たちを激励したことを、思い起こさせた。「彼にとっての自由、我々にとっての全ての制約!」。「L'Ordre regne a Varsovie」〈Kultura, 3〉(1976), S.26f. 所収、Marci Shore,〈Caviar and Ashes: ワルシャワ世代の生とマルクス主義の死, 1918-1968〉(2006), S.362 による引用、を参照。
 (14) 例えば、Leszek Kolakowski,〈Chretiens sans eglise. La conscience religieuse et le lien confessional au XVIIe siecle〉(1969)。同〈God Owes Us Nothing. A Brief Remark on Pascal's Religion and on the Sprit of Jansenism〉(1995)。並びに、論文集〈My Correct Views on Everything〉,South Bend, Indiana (2005)、とくに、George Urban との対話、「歴史における悪魔」と小論「Concern with God in an Apparently Godless Era」。ドイツ語では、Hans Rössner(編),〈Der nahe und der ferne Gott. Nichttheologische Texte zur Gottesfrage im 20. Jahrhundert〉,序言 (1981)で出版された。
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 第一章〔表題なし〕、終わり。第二章へつづく。

2627/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌⑤。

 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。(Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
 つづき。
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 第一章③。
 (08) マルクスをスターリン(およびレーニン)による「歪曲」から「救い出す」ために、三世代の西側のマルクス主義者たちは果敢に、マルクス主義と共産主義を控えめに結合しようとした。—そう、Kolakowski は明確に述べる。
 20世紀のロシアまたは中国の歴史について、ヴィクトリア朝のロンドンで生活したドイツ人著作者のKarl Marx (注8)に責任があるとは、ほとんど誰も、何らかの思想的に理解可能なやり方では主張しないだろう。
 ゆえに、創設者たちの真の意図を探り、Marx とEngels が彼らの名前で始まるはずの将来の負い目に関して考えていたことを解明しようとするマルクス主義純粋主義者の数十年間の努力は、いく分か時代遅れで、無意味だった。
 それでも、神聖な文献の真実に立ち戻ろうとする絶えず繰り返された訴えは、Kolakowski が特別の注目を向けた、マルクス主義の党派的な次元の大きさを示していた。
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 (09) やはりなおも、教義としてのマルクス主義は、それから生まれた政治運動やシステムの歴史と分離することはできない。
 実際には、Marx とEngels の思想には決定論的中核がある。人間が何ら力を奮うことのできない諸論拠によって、事物は「最終的分析では」そうであるべきであるようになっている、という主張だ。
 この強固な主張は、古きヘーゲルを「転倒させて」、争いの余地なき物質的根源(階級闘争、資本主義的発展の法則)に歴史の解釈をもとづかせようとするMarx の望みに由来していた。
 プレハノフ、レーニンや彼らの後継者たちが歴史的「必然性」の構築物全体とそれを導く実施機構を依りかからせることができたのは、この安逸な認識論的擁壁だった。
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 (10) さらには、プロレタリアートは被搾取階級という特別の役割—彼らの解放は全人類の解放の号砲となる—にもとづいて、歴史の最終目的を特権的に洞察することができる。そしてこの見識は、プロレタリアートの利益を具現化すると主張する独裁党のもとへプロレタリアートの利益が従属することで生まれる、共産主義の成果と密接な関係がある。
 マルクス的分析を共産主義独裁に結びつけたこの論理的足枷がいかに強固だったかは、—Michail Bakunin からRosa Luxemburg までの—多くの観察者や批評家たちに委ねよう。彼らは、レーニンがその勝利の途を歩み始めるべくペテルブルクのフィンランド駅近くへ到着するずっと前に、共産主義的全体主義を予見し、警告していた。
 もちろん、マルクス主義は異なる方向へと展開することもあり得ただろうし、あるいはどこかで終焉することもあり得た。
 しかし、「レーニンによるマルクス主義の見方は、唯一の可能なものではなかったとしても、きわめて尤もらしいものだった」。(注9)
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 (11) 当然ながら、マルクスもその承継者たちも、産業プロレタリアートによる資本主義の打倒を説く教理は後進的で広く農民的な社会でも有効だろうとは、意図しなかったし、感じてもいなかった。
 だが、この逆説はKolakowski には、マルクス主義の信仰体系としての力を強く意識させるものだった。すなわち、レーニンやその支持者たちが自分たちが勝利する不可避の必然性に固執しなかったならば(そして、それを理論的に正当化しなかったならば)、彼らの努力は決して成功しなかっただろう。
 同様にまた、彼らは数百万の外部の崇拝者たちにとって、確信を与える模範者にもなれなかっただろう。
 レーニンを封印列車でロシアに行かせることでドイツ政府が容易にした機会主義的な蜂起を、「不可避の」革命に変えること、これには単純な戦術的天才性ではなく、イデオロギー的信念上の包括的な実践が必要だった。
 Kolakowski は、確実に正しかった。政治的マルクス主義は、何よりも先ず、世俗的宗教なのだった。//
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 (12) 〈主要潮流〉は、唯一の傑出したマルクス主義に関する叙述ではない。だがそれはしかし、群を抜いて、意欲的だった。(注10)
 この著をとりわけ特徴づけるものは、Kolakowski のポーランド的視座だ。
 一つの終末論だとする彼のマルクス主義解釈を強調すれば、このことは十分に明らかになる。—「ヨーロッパの歴史全体を覆う黙示録的予想の、現代的な変種の一つ」。
 そしてそれは彼に、妥協なき道徳的な、そうして宗教的な、20世紀の歴史の見方を生み出した。
 「悪魔は、我々の経験の一部だ。
 我々の世代は、それを十分に見て、きわめて深刻な教訓を引き出した。
 私は、悪は生まれるものではなく、美徳の不在や歪曲あるいは劣化(あるいはその意味において美徳と対極にある全ての何か)ではなく、執拗な、解消することのできない事実だ、と主張した。」(注11)
 西側のどのマルクス主義観察者も、いかに批判的であろうとも、このようには語らなかった。//
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 (13) Kolakowski は、マルクス主義だけではなく共産主義のもとで生きた者としても書く。
 彼は、一つの政治的生活様式における知性的な理論からのマルクス主義の変容の生き証人だ。
 こうして内部で観察され、体験されたマルクス主義は、共産主義と区別することがほとんど困難だ。—結局は、最も重要な実践的帰結であったばかりか、その唯一の結果だった。
 自由を抑圧するという世俗的な目的のためにマルクス主義の諸範疇が日常的に利用されて—そのために権力を握る共産主義者によってマルクス主義がとくに用いられて—、時代の経過とともに理論の魅力自体が損なわれた。//
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 注記
 (08) 〈主要潮流〉はマルクスを、彼の精神的風景を支配したドイツ哲学にしっかりと位置づけた。社会理論家としてのマルクスは、簡単に扱われている。経済学に対するマルクスの寄与については、—労働価値説であれ、先進資本主義の利潤率の低下傾向の予見であれ—Kolakowski はほとんど注意を払っていない。
 マルクスですら自らの経済的研究の結果に関して不満だったことを考えれば(その理由の一つは〈資本論〉が未完のままだったことだ)、これは慈悲深かったと言うべきだろう。つまり、マルクスの経済理論の予見能力は、とっくに左翼によってすら否認されていた。少なくとも、Joseph A. Schumpeter の〈資本主義、社会主義および民主主義〉(Bern, 1946年)以降は。その20年後に、Paul Samuelson は、Karl Marx はせいぜいのところ「二流のリカード後継者」だと慇懃無礼に語った。
 (09) Kolakowski「歴史の中の悪魔」,〈Encounter〉(1981年1月)所収。〈My Correct Views on Everything〉前掲書, S.125に再録。
 (10) 最良の一巻本のマルクス主義研究書、素晴らしく凝縮されているが人間性や思想とともに政治と社会史を包括する研究書は、依然としてGeorge Lichtheim の〈マルクス主義〉のままだ。1961年にLondonで出版された〈歴史的、批判的研究書〉だ。
 マルクス自身に関しては、私には、70年代の二つのきわめて異なる伝記が、最良の現代的な描写になっている。すなわち、David McLellan,〈Karl Marx, 人生と著作〉1974年と、Jerrold Seigel,〈Marx の運命. 人生の造形〉1978年。
 これらの叙述は、だが、Isaiah Berlin の注目すべき小論〈Karl Marx〉によって補完される必要がある。これは1939年に英語で出版され、1968年にドイツ語に翻訳された。
 (11) 「歴史における悪魔」,〈My Correct Views on Everything〉上掲書所収, S.133.
 Kolakowski は同じ講演で、政治的メシア主義の終末論的構造を簡単にもう一度強調する。すなわち、地獄への転落、過去の罪悪との絶対的な決別、新しい時代の到来。だが、神が不在であるため、このような所業は本来的に矛盾していると非難され得る。知識だと誤称する宗教は、実を結ばない。
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 つづく。
 

2626/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌④。

 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット
 (Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
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 第一章②
 (05) このような経緯によって、〈主要潮流〉の特徴がいくぶんか明らかになる。
 第一巻の〈生成者〉(ドイツ語版、成立)は、思想史として伝統的手法で執筆されている。すなわち、弁証法のキリスト教的淵源、ドイツのロマン派哲学での完全な解決の構想、その若きマルクスへの影響から、マルクスとその同僚のFriedrich Engels の成熟した文献までを辿っている。
 第二巻は、元々は(皮肉ではなく私は思うのだが)素晴らしい、〈黄金の時代〉というタイトルだった。(注4)
 彼は、1889年まで存在した第二インターナショナルから1917年のロシア革命までの歴史を叙述している。
 ここでもKolakowski は、とりわけ、急進的なヨーロッパの思想家の目ざましい世代が高度の精神的水準に導いた思想や論争を扱う。
 この時代の指導的マルクス主義者たち—Karl Kautsky、Rosa Luxemburg、Eduard Bernstein、Jean Jaures、そしてWladimir Iljitsch Lenin—、彼らはみな正当に一つの章を与えられ、それらの章は慎重にかつ明晰に彼らの歴史上の主要な議論と位置を概括している。
 このような総括的叙述では大して重要な位置を占めてこなかったためにさらに大きな関心を惹くのは、イタリアの哲学者のAntonio Labriola、ポーランドのLudwik Krzywicki、Kazimierz Kelles-Krauz、Stanislaw Brzozowski や「オーストリア・マルクス主義者」のMax Adler、Otto Bauer、Rudolf Hilferdinng、に関する章だ。
 Kolakowski の叙述で比較的に多くのポーランド人が登場するのは、疑いなく、部分的には著者の地域的観点によるのであり、それまでは軽視されたものを補うものだ。
 しかし、オーストリア・マルクス主義者たち(この巻の最も長い章の一つが割かれている)のように、彼らは、ドイツとロシアのマルクス主義が忘却して長らく抹消した、中世ヨーロッパの〈世紀末〉を呼び起こしてくれる。(注5)
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 (06) 〈主要潮流〉の第三巻—多くの読者が「マルクス主義」と理解するもの、すなわちソヴィエト共産主義の歴史と1917年以降の西側マルクス主義者の思想を扱う—は、明けすけに〈瓦解〉と題されている。
 この部の半分弱はスターリンからトロツキーまでのソヴィエト・マルクス主義を扱い、残りは他諸国の選び抜いた理論家を論じている。
 彼らのうち若干の者、とくにAntonio Gramsci とGeorg Lukacs は、20世紀の思想史にとって継続的な関心の対象であり、Ernst Bloch やKarl Korsch(Lukacs のドイツの同時代者)には古物的な魅力がある。
 さらに他の者たち、とくにLucien GoldmannとHerbert Marcuse は1970年代半ばよりも今日ではさらに関心を惹かなくなったようなのだが、Kolakowski は数頁で済ませている。
 この著作は、「近年のマルクス主義の変遷の概観」で終わっている。これはスターリン死後のマルクス主義の展開に関する小論であり、Kolakowski は、自分の「修正主義」の過去に短く触れたあとで、ほとんど一貫した調子で、時代のはかない流行(Mode)を取り上げる。そして、Sartre の〈弁証法的理性批判〉やその〈余計な新造語〉から、毛沢東の「農民マルクス主義」やその無責任な西側の賛美者までがきわめて愚昧であることを語る。
 この部分の読者は、第三巻の緒言で警告される。この著者は、最後の章は数巻へと拡張できただろうと認めつつ、「ここでの主題がそのように詳細な叙述をする意味があるのかどうか、確信がなかった」と付記しているのだ。
 最初の二巻は1987年にフランス語で出版されたが、Kolakowsk の代表著作の第三巻はそこでは今日まで公にされていない、ということにここで触れておく価値がたぶんあるだろう。
 ここでKolakowski によるマルクス主義的教理の歴史の驚くべき射程範囲を紹介するのは、不可能なことだ。
 彼の叙述を上回ることは、ほとんどどの後継者によっても行なわれ得ない。この領域をこれほど詳細にかつこれほどの巧みさをもってあらためて掘り返すことができるために、いったい誰がもう一度十分な知識を得るだろうか? あるいは、いったい誰がもう一度十分な関心を呼び醒ますだろうか?
 〈マルクス主義の主要潮流〉は、社会主義の歴史ではない。
 この著者は、政治的論脈または社会的制度には表面的な注目だけを示した。
  これは動かされない思想史であり、かつて力をもった理論や理論家の一族の勃興と崩壊に関する教養小説(Bildunfsromane)であって、懐疑的で濾過したした時代に、残存している最後のその末裔たちについて、語っている。
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 (07) 1200頁にわたるKolakowski の論述は、率直であり、明晰だ。
 彼の見解では、マルクス主義は真摯に受けとめられるべきものだ。
 それは、階級闘争に関する宣明(しばしば正しいが、新鮮な何かではない)のゆえにではなく、また不可避の資本主義の破滅とプロレタリアによって導かれる社会主義への移行(完全に挫折した予言)の約束のゆえにでもなく、マルクス主義が、唯一の—そして本当に独自性をもつ—プロメテウス的なロマン派的幻想と妥協なき歴史的決定論の混合物を提示しているからだ。
 このように理解されるマルクス主義の魅惑は明白だ。
 それは、世界がどのように〈作動している〉(funktionieren)かを説明する。資本主義と階級関係の経済的分析だ。
 それは、世界はどう作動〈すべき〉かの態様を提示する。若きマルクスの唯心論的考察がそうだったような人間関係の倫理だ(そして、Kolakowski が、その妥協的な人生を軽蔑したものの、相当に一致したGeorge Lukacs のマルクス解釈)。(注6)
 最後に、マルクス主義は、マルクスのロシアの支持者たちがその(およびEngels の)文献から導き出した歴史的必然性に関する一連の主張に支えられたのだったが、世界は将来にそれに応じて作動する〈だろう〉との信仰を告知した。
 経済的記述、道徳的命令、政治的予見のこうした結合は、途方もなく魅力的である—かつ目的に適している—ことが分かる。
 Kolakowski が気づくように、マルクスは、なおも一層、読む価値がある。—その伝統の膨大な多面性を理解するためにだけであっても、別の者がそれに秘術をかけて、そこから飛び出してくる政治システムを正当化するためにも。(注7)
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 注記
 (04) ドイツ語訳書では、三つの巻は〈成立、発展、瓦解〉と区分された。
 (05) 歴史家のTimothy Snyder は、その書物、〈Nationalism, Marxism and Modern Central Europe: A Biography of Kazimierz Kelles-Krauz, 1872-1905〉(1997年)でもって、Kelles-Krauz を少なくとも忘却から救い出した。
 (06) Kolakowski は別の箇所でLukacs について書く—この人物は、Bela Kun ハンガリーRäte共和国で短期間に文化委員として働き、のちにスターリンの要請にもとづき、かつて書き記していた全ての興味深い言葉を放棄した—。彼は「優れた知識人の相当に尋常ではない例」だった、「生涯の最後まで…その精神は党に奉仕することにあったが、彼の著作は我々にもはや思考の衝動を与えない、彼は自らハンガリーに生き残った」。「文化形成としての共産主義」を参照。Gesine Schwan (編)所収の、〈Leszek Kolakowski, Narr und Priester. Ein philosophisches Lesebuch〉,S187-209, 1995年。
 (07) 「社会主義に残るものは何か」を参照。最初に出版されたときのタイトルは、「Po co nam pojecie sprawiedliwosci spolecznej ?」。〈Gazetta Wyborcza〉6-8号所収、1995年5月。〈My Correct View on Everything〉上掲に、再録された。
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 つづく。

2625/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌③。

 Tony Judt の論稿から、試訳を始める。
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 全ての別れのために—今日に読む〈マルクス主義の主要潮流〉/トニー·ジャット。
 (Andreas Simon dos Santos により英語から独語に翻訳。)
 第一章①
 (01) Leszek Kolakowski は、ポーランド出身の哲学者だ。
 だが、このような性格づけは、全く適切ではない—または、十分ではない—と思える。
 Czeslaw Milosz やその前のその他の人々においてそうだったように、Kolakowski の知的および政治的な軌跡は、彼の反対派的立場によって明確になり得る。伝統的なポーランドの文化の深く根づいた経緯、すなわち聖職者主義、差別主義、反ユダヤ主義によって特徴づけられるものに対する立場によって。
 1968年に出国を強いられたのち、Kolakowski は、彼の故郷に戻ることも、そこで自分の著作を出版することもできなかった。
 1968年と1981年のあいだ、彼の名前はポーランドの検索対象になることが禁じられた著者だった。そして、彼はそのあいだに、今日に彼が最も知られている著作の大部分を執筆し、外国で公にした。
 亡命中のKolakowski は、ほとんどをイギリスで過ごした。彼は1970年以降、オクスフォードのAll Souls College の研究員だ。
 しかし、会話の際に言っていたように、イギリスは島であり、オクスフォードはイギリスの中の島であり、All Souls(学生のいないCollege)はオクスフォードの中の島だった、そして、Leszek Kolakowski 博士は、All Souls の中の島、四重に囲まれた島だった。(注1)
 イギリスの文化生活は、ロシアや中央ヨーロッパからの移民知識人たちに対して、かつては一つの場所を提供した。—Ludwig Wittgenstein、Arthur Koestler、あるいはIsaiah Berlin を想起することができる。
 だが、かつてのマルクス主義的カトリックのポーランド出身哲学者は、さらに異国者的で、彼の国際的な名声にもかかわらず、イギリスではほとんど知られていなかった。そして、驚くべきほどに低い評価を受けていた。//
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 (02) しかし、他の国では、Kolakowski は有名だった。
 彼の世代の多くの中央ヨーロッパの学者たちと同様に、彼は複数の言語を用い—自宅でのポーランド語や英語と同じようにロシア語、フランス語、ドイツ語を使った—、とくにイタリア、ドイツ、フランスで栄誉と賞を受けた。 
 Kolakowski がシカゴ大学の社会思想委員会で4年間教育したアメリカ合衆国では、彼の業績は惜しみない評価に恵まれた。その絶頂は2003年で、連邦議会図書館の第一回のJohn Kluge 賞が与えられた。—この賞は、ノーベル賞の対象になっていない学問分野(とくに思想科学)での生涯にわたる研究に対して付与されたものだった。
 しかし、一度ならずパリにいるときが最も落ち着くと述べていたKolakowski は、イギリス人以上にアメリカ人ではなかった。
 おそらく、20世紀の学者共和国の最後の輝かしい市民だと彼を叙述するのが、最も適切だろう。//
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 (03) 彼の本当の故郷のほとんどで、Leszek Kolakowski は、とくにその著名な三巻のマルクス主義の歴史書、〈マルクス主義の主要潮流〉で(そして多くのところではそれだけで)知られている。
 1976年にポーランド語で(パリで)出版されたこの著作は、1年後にドイツで、2年後にイギリスで出版され、現在のアメリカ合衆国では一巻本の書物として再発行されている。(注2)
 この著作は、疑いなく、最大の高い評価を得ており、現代の人文学の記念碑的傑作だ。
 もちろん、Kolakowski の著作の中でのこの作品の卓越さには一定の皮肉がなくはないが、この著者は「マルクス学者」(Marxologe)では決してない。
 彼は、哲学者であり、哲学歴史家であり、カトリック思想家だ。
 彼は初期キリスト教の教派と異端派の研究を行ない、ヨーロッパの宗教と哲学の歴史に最後の四半世紀の大部分を捧げた。これは、最良の哲学的神学的研究と称し得るものだろう。//
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 (04) 戦後ポーランドの同世代の中での洗練されたマルクス主義哲学者という高名から始まる、1968年の離国までのKolakowski の「マルクス主義」段階は、実際は全く短いもので、この時期の大部分で、彼はすでに異端者だった。
 すでに1954年、彼が27歳のときに、「マルクス=レーニン主義からの逸脱」を非難されていた。
 彼は1966年に、Posenでの労働者抗議運動(「ポーランドの十月」)10周年記念日のために、有名な批判的講演をワルシャワ大学で行ない、党指導者のWladyslaw Gomulka から公式に「いわゆる修正主義運動の主要イデオローグ」と咎められた。
 Kolakowski が講座を剥奪されたとき、その理由とされたのは、「国の公式の方向に逆らって」歩むという「若者の考え方」を作り出している、ということだった。
 西側に到着したとき、彼は、(我々には今でもそう思えるように、贔屓の者たちを困惑させることには)もはやマルクス主義者ではなかった。そして、そのあとで彼は、最近の半世紀のマルクス主義に関する最も重要な書物を執筆し、二年後に、ポーランドのある研究者が奥ゆかしく表現したところでは、「この主題に関するなおもささやかな関心だけ」を掻き集めた。(注3)//
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 注記
 (注01) Leszek Kolakowski とDanny Postel の対話、〈追放、哲学、未知の深淵での不安定なよろめきについて〉。〈Daedaulus〉2005年夏号所収、S.82.
 (注02) Leszek Kolakowski, 〈Glowne Nurty Markzmu〉1976, Paris. ドイツ語版、〈マルクス主義の主要潮流、成立・発展・瓦解〉1977-79, München. 再版、1981.
 英語訳の初版は、Oxford で1978年に出版された。ここで言及した新版は、著者の新しい緒言とあと書き付きで2005年にNew York で刊行された。タイトルは、〈マルクス主義の主要潮流、生成者・黄金時代・崩壊〉。
 (注03) Andrzey Walicki, Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom :The Rise and Fall of the Communist Utopia, 1995, S. VII.
 楽観的正統派から懐疑的反対派への転遷について、Kolakowski は、つぎのようにだけ言った。
 「たしかに、20歳のとき、(完全にでなくとも)ほとんど知ったつもりだった。けれど、お分かりのとおり、年をとるにつれて、人々は愚かになる。28歳で、ほとんど分からなくなり、今でも一層そうだ。」
 以上、最初は〈Socialist Register〉(1974)に発表された〈My Correct Views on Everything. E. P. Thompson への返答〉。〈My Correct Views on Everything>、上掲書、S.19.
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 つづく。

2624/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌②。

 雑誌<Transit—Europäische Revue>第34号・2007年/2008年冬季号。原語は、もちろんドイツ語。
 編集者まえがき(「編集の辞」、Editorial)
 (01) 2007年10月に、Leszek Kolakowski は80歳になった。
 彼は、1940年代の学問上の経歴を、正統派マルクス主義者として始めた。 
 この哲学者は、1956年以降の雪解けの時期にワルシャワ大学に1959年に招聘され、1966年に党から除名されるまで共産主義の改革の支持者になっていたが、1968年にその講座を失い、西側へと亡命(emigrieren)した。
 彼は1970年以降、オクスフォードのAll Souls College の研究員だ。 
 Krzysztof Michalski は、Kolakowski 思想の中心主題の軌跡を追っている。
 Tony Judt とJohn Gray は、1970年代に執筆された彼の最高傑作である〈マルクス主義の主要潮流〉から新しい意味を見出している。
 Kolakowski によるマルクス主義の思想史的再構成は、グローバル化への抵抗者のかたちを採るのであれ、Gray が驚くべき診断を下しているような、軍事力を媒介として民主主義政体を拡大するという新保守主義的な構想のかたちを採るのであれ、今日の夢想主義(Utopismus)の亡霊たちを見れば、完全に現在的であることが分かる。
 Marci Shore は東欧共産主義におけるユダヤ人の役割に関する論稿で、「夢想主義の慢性的な病理」(Gray)というとくに今日的な章を想起させている。//
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 (02) Kolakowski は、早くから社会主義思想に取り組んできた。
 彼は、1957年に書いて検閲により発禁となった皮肉たっぷりの小冊子「社会主義とは何か?」で、共産主義体制を映しだした。
 この—この雑誌に再録した—政治風刺の傑作の後のほとんど50年後に、Kolakowski は、「社会主義から残るものは何か」(注1)という小論で、もう一度確認した。
 世界中に広がる不平等に鑑みれば、社会主義は今日再び、道徳的信頼を獲得しているように見える。 
 Kolakowski は、こう続ける。マルクス主義が全てについて間違っていたということは、まだ永らくは、社会主義の伝統を時代遅れのものにはしない。
 また、社会主義思想が悪用されたということは、まだその思想を失墜させはしない。
 結局は、社会主義的諸価値はリベラルな諸価値と結びついて、民主主義的な市場経済の範囲内で実現されたのだ。
 社会主義運動は、我々の社会の政治的風景を変え、今日には自明のことになっている福祉国家を生む、そのような改革を誘発した。
 Kolakowski は、さらにこう書き続ける。
 「たしかに、『代替可能な社会』の構想としての社会主義思想は、死んだ。
 しかし、被抑圧者や社会的に不利な者との連帯を表現するものとして、社会的ダーウィン主義に対抗する動機づけとして、競争とは少しは離れたところにあるものを我々に思い出させる光として、こうした理由でもって、社会主義は—システムではなく、その理想は—、今だになおも利用され得るのだ。」//
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 (03) ロシアのジャーナリスト、Anna Politkowskaja は2001年に、…。
 <以下、省略>
 2007年12月、ウィーンにて。
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 (注1) 「社会主義に残るものは何か」, in: L. Kolakowski, My Correct Views on Everything (2005).
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2623/L・コワコフスキ誕生80年記念雑誌①。

 ドイツ・フランクフルト(am Main)のNeue Kritik という出版社が、<Transit>と題するおそらく季刊雑誌を発行している(または発行していた)。
 その第34号=2007年/2008年冬季号は、二つの特集を主内容にしており、その第一は、「レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)の80歳の誕生日に寄せて」だった(試訳者注1)。L.Kolakowski、1927.10生〜2009.07没。
 巻頭の編集の辞はほとんどをL.Kolakowskiへの言及で費やしており、特集は、そのKolakowski の1957年のエッセイ「社会主義とは何か?」(試訳者注2)を再録しているほかは、つぎの四つの論稿で成っている。番号数字は原雑誌にはない。日本語は、試訳。
 1/Krzysztof Michalski, 全体の裂け目。
 2/Tony Judt, 全てのお別れに?—今日に読むKolakowski の〈マルクス主義の主要潮流〉。
 3/John Gray, 共産主義から新保守主義へ。
 4/Marci Shore, 家族のドラマ—ユダヤ人とヨーロッパの共産主義。
 興味深いのは、この4名のうちの2名がTony Judt(トニー・ジャット)とJohn Gray(ジョン・グレイ)だ、ということだ。
 この二人が書いたものの一部は、この欄で何回にも分けて試訳を掲載したことがある。(試訳者注3)
 この二人の政治的立場は同一ではないだろうが、いずれも明確な反共産主義者で、L・コワコフスキを高く評価している(かつ敬愛の念を抱いている)ことでは共通していた。(試訳者注4)
 二人の著書の邦訳書はあり、とくにJohn Gray 著には多い。だが、ジョン・グレイ(London大学教授)の邦訳書が多いのは「新保守主義」、「自由原理主義」ないし「新自由主義」に対するこの人の批判的立場が日本の出版業界隈で「左翼(的)」だと受けとめられた可能性があるからだろう、と私は思っている。明確な「反共」の立場の欧米の書物は、日本では翻訳書が出版され難い。
 現に、この欄にかなり(と言っても半分にはるかに満たないが)試訳を掲載した〈マルクス主義の主要潮流〉は、邦訳書が出ないままで終わりそうだ。日本の近年のいわゆる「保守」派も、「反共」を唱えつつ、欧米の共産主義・反共産主義に関する文献に興味を示さない。
 以下、「編集の辞」のほとんどのLeszek Kolakowski に関する部分と、上の四つの論稿をできるだけ邦訳してみる。
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 (試訳者注1) もう一つの特集は、「Anna Politkowskaja 追悼」だ。
 この女性はロシア人ジャーナリストで、第二次チェチェン紛争、RSB(ロシア連邦保安庁)、プーチンに対して批判的だった。2006年に暗殺された。Anna Politkowskaja、1958.8生〜2006.10没、満48歳。
 (試訳者注2) この小論は、加藤哲郎・東欧革命と社会主義(花伝社、1990)の表紙裏に掲載された。「ポーランドの哲学者・コラコフスキー」と執筆者名を記しているが、加藤は「コラコフスキー」へのそれ以上の関心を継続させなかったようだ。参照→No.1976/2019.09.13「加藤哲郎著とL・コワコフスキ」
 (試訳者注3) それぞれに言及した最初は、→トニー・ジャット(No.1525/2017.05.02)、→ジョン・グレイ(No.1565/2017.05.29)。
 (試訳者注4) いずれにもその点が分かる論稿があるが、とくにT・ジャットは、〈マルクス主義の主要潮流〉(原著、1976(パリ)。第一巻独訳書、1977。全巻英訳書、1978)のアメリカでの再発行決定を歓迎する文章を2006年に書き、Kolakowskiの死の直後の2009年に哀惜感溢れる(と私は感じる)文章を書いた。彼自身が、翌2010年に難病のために死亡したのだったが。Tony Judt、1948.01生〜2010.08没、満62歳。
 上の雑誌への寄稿は亡くなる2-3年前で、すでに病魔と闘っていたのではないかと思われる。
 コワコフスキ追悼文、参照→No.1834・2018年7月30日付。この追悼文はのちに、つぎの邦訳書の中に収載された。当然ながら、訳は上と同じではない。
 T・ジャット=河野真太郎ほか訳・真実が揺らぐ時—ベルリンの壁崩壊から9.11まで(慶応大学出版会、2019.04)。原書は、Tony Judt, When the Facts Change, Essays 1995-2010 (2015)
 妻のJenniffer Homans が編者で、「まえがき」を彼女が書いている。そして、「人と思想」は区別しなければならないと冒頭に書きつつ、結局はT・ジャットの著作と人物像が入り混じった追悼の文章になっている(と私には思えた)。その点が興味深く、かつ感動的でもあって、いつか試訳してみたいと思っていたが、上の邦訳書に含まれている。
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2505/西尾幹二批判057—「自由」論①。

  「自由」は、西尾幹二にとっての「生涯」の主題のようだ。
 同・あなたは自由か(ちくま新書、2018)で、こう書いている。p.205。
 「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。」
 また、『自由の悲劇』と題する新書(講談社現代新書、1990)もあり、それを収めた同じ表題の巻が全集の中にある。
 しかし、西尾の<自由論>の最大の特徴は、第一に、上に引用の文も含めて、そもそも「自由」の意味・意義が明瞭ではなく、法学・政治学・経済学等の社会系はもちろん「哲学」系でもなく、ほとんど「文学」的にまたは「文芸評論」的にこの語・概念が把握されていて、おそらくその結果だろう、暫定的、仮定的にすら何の「定義」も示されていないことだ。
 他の多くの言葉と同様に、西尾にとっては、極論すれば、言葉やその集合の文章は「味合う」もの、「感動を与える(べき)」ものであって、厳密に分析したり、正確な意味内容を追求すべきものではないのだ。ここにすでに、少なくとも秋月が不思議さ、大きな違和感を覚える点がある。
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 西尾もまた叙述しながら自分で戸惑うことがあるようで、例えば、同・あなたは自由か(2018)第二章3「自由は量の概念ではなく、量と質の問題でもない」では、こんなことを呟いている。p.115〜p.117。
 「自由」概念をあれこれ語ったが、「その概念にふさわしいものの言い方」をしてきたか、「疑問もあります」。自由の「過剰」を語ったりその「収縮」を語ったりしたが、「自由」は「量的概念として扱われるには決してふさわしい概念ではありません」。「さりとて質的概念」だとして「正反対の概念を持ち出しても」、自由の「説明には役に立ちそうもない」。「質の上下の問題は、結局のところ量的な価値判断に再び還元されてしまうのです」。「こうした場合、本当に自分の自由が増大したのかどうかは誰にも分からないのが常です」。
 人間には「『自由』は存在しない、という明白な認識にあえて踏み込むべきだ」と言っていいいかもしれないが、この当否は「今しばらく不問にしておきたい」
 「不自由」が宿命であるのは「自明の理」だが「生への情念」を抱える以上、その「不自由」を「必然であり、かつ運命であると…説教師ふうに断案することに私はためらいがあります」。
 「さりとて、『自由』は可能であり、どういう瞬間にどういう形態で人間は真の『自由』に襲われるものであるかを、具体的に明らかにすることは私には不可能でもあります」。「考えれば、私は何も分かっていないのです」。
 ここで区切る。以上は新書の二頁ぶんの抜粋引用。こんな文章を読まされる読者は気の毒だし、書き写すのもアホらしいのだが。
 そうなっている根源は、西尾幹二における「自由」という観念が全く明晰ではなく、いわば<情緒>的言葉として使われているにすぎないことにあるだろう。
 同じ表題での最後のまとめ的な部分には。つぎの文章がある。p.118。
 「『自由』は存在しない、そこからすべてが始まることだけは確かだ、と私は先に申しました。
 おそらく、想像するに、『自由』は持続形態ではなく、量の概念でも質の概念でもなく、人間が四方八方において不自由な存在でありながらそのことをすら超えた境地にあるという認識の大悟徹底の只中から、わずかに瞬間的に発現する何ものかでありましょう。
 はて、西尾が「想像」するという「自由」は「…何ものか」を、読者は理解することができるだろうか。
 あえて言って、文章書きとして<悲惨>だ。むろん「思想家」ではない。
 読んだときの感想として、手元にある現書のp.115-p.119の余白部分には、違う二箇所にいずれも、「笑」・「わけがわからない」という、たぶん数年前の私の手書き文字が記入されている。
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  この欄に昨年、L・コワコフスキのつぎの著作の一部の試訳を掲載した。邦訳書はない。 
 Leszek Kolakowski, Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 =レシェク.コワコフスキ・自由,名声, 嘘つき,背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 その中に「自由について」(On Freedom)と題する章があった(第13章。第18章まである)。
 小ぶりの書物で、一頁あたり(横書き)26行で、この章はわずか9頁余りあるにすぎない(2回に分けての掲載で済んでいる)。→No.2374〜5/2021.05.25〜05.26.
 大きな期待もせず、所持しているL. Kolakowski の書物だからというだけで試訳してみたのだったが、「自由について」の部分だけで、上の西尾幹二・あなたは自由か(2018年)よりもはるかに分かりやすい。また、再言及はしないが、内容的にも教示的で刺激的だ。
 その根本的理由は、概念や論述対象の明瞭さだ。
 冒頭の、決して長くはない計二段落の文章を、さらに抜粋的に要約してみる。
 ①自由の問題に関する思想領域には、つぎの大きな二つがある。
 第一、太古からある、人間(human being)としての自由(freedom)という問題。「人はその人間性(humanity)だけの理由で自由(free)なのか、換言すると、自由な意思と選択の自由をもつから自由なのか、という問題」。
 第二、「社会の一構成員としての人の自由」を対象とする「社会的な行動の自由(freedom)」の問題。この場合の「自由」は、「Liberty」と称することもある
 ②意味について言うと、第一に、「人間性の本性からして自由だ」と言うことがとくに意味するのは、「人は選択することができる、その選択は、人の良心の及ばない力(forces)に全体として依存しているのではなく、かつまたそれによって不可避的に生じたのでもない、ということ」だ。
 第二に、「しかし、自由とは、現存のいくつかの可能性の中から選択する力(capacity)」だけを意味しはしない。「自由とは、全く新しい、全く予見できない状況を作り出す力でもある」。
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 西尾幹二が、あくまで例えばだが、「『自由』は持続形態ではなく、量の概念でも質の概念でもなく、人間が四方八方において不自由な存在でありながらそのことをすら超えた境地にあるという認識の大悟徹底の只中から、わずかに瞬間的に発現する何ものかでありましょう」、などと叙述しているのと比べて、何と明晰な概念の意味の明確化(と問題・対象の設定)だろう。
 これを前提として、残りの9頁足らずが「エッセイ(小論)」として論述されているので、外国語ながら、日本語での西尾の長々しい文章よりも理解しやすい。
 若いときに<思想史>の講義を担当していた「思想家」または「哲学者」か、ニーチェのドイツ語文の日本語翻訳とドイツ文学的研究から出発した、たんなる「もの書き」または「文筆業者」か、の違いだ、と言ってよいだろう。 
 ——
 (つづく)

2405/L·コワコフスキ・Modernity…第二章②。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳をつづける。第一部第2章。邦訳書はないと見られる。
 ——
 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第二章・野蛮人を求めて—文化的普遍性という幻想②。
 (5)数年前に私はメキシコの前コロンビア遺跡を訪れて、そこで幸運に著名なメキシコの文筆家と知り合った。そして、その地域のインディアンの人々の歴史を十分に熟知した。
 彼がいなければ私は知らなかっただろう多くの物事の意味を私に説明する過程で、彼はしばしば、スペインの兵士たちの野蛮さを強調した。彼らはアステカの彫像類を破砕して、美しい金の人物像を溶かして皇帝の像の付いた硬貨を鋳造した。 
 私は彼に言った。
 「この者たちは野蛮だとあなたは考える。だがおそらく、そうではない。彼らは真(true)のヨーロッパ人だった。じつに、最後の本当のヨーロッパ人ではなかったか?
 彼らはキリスト教とラテン文明を真面目に信頼した。真剣にそうしたがゆえに、異宗徒の偶像を守る理由はないと考えた。異なる、したがって敵対的な宗教的意義が染み込んだ自分たちの物事の考察方法に、考古学者の好奇心や美的公平さを持ち込む理由もない、と。
 彼らの振る舞いにひどく立腹するとすれば、その理由は、彼らの文明と我々の文明のいずれにも無関心であることだ。」//
 (6)もちろん冗談だが、しかし、完全には無邪気とは言えない冗談だ。
 我々の世界の生き残りにとって決定的な問題は何かを、考えさせるかもしれない。すなわち、我々自身の文明に対する真剣な関心もつことをしないままで、他の文明に対して寛容さや好意的な関心を示すことは可能なのか?
 言い換えると、他の文明を破壊しようとしないで、我々が一つの文明の排他的な構成員であることを肯定することは、我々はどの程度に可能なのか?
 自分の文化の尊重という理由だけで野蛮さを拒否するというのが本当ならば、野蛮でないという性格をもつ文明だけは生き残ることのできないものだ。—これは慰めとなる結論ではない。そして思うのだが、本当の結論でもない。
 私は逆に、我々の文明の発展には虚偽を裏付ける論拠が含まれている、と考える。
 コルテス(Cortés〔メキシコ征服者〕)の兵士たちは野蛮人だったと言うのは、どのような意味で正しいのか?
 彼らは遺跡の保存者ではなく征服者だった、彼らは残虐で貪欲で容赦がなかった、ということに疑いはない。
 彼らはまた敬虔で、信仰に真摯に向き合っており、自分たちの精神的優越性に自信をもっていた、ということも十分に言えそうだ。
 彼らが野蛮人であるなら、征服者の全てはその定義上野蛮人であるか、または異なる習慣をもって異なる神を崇拝している者たちを何ら尊重しなかったかのどちらかの理由でだろう。
 要するに、他の文明に対する寛容という美徳が、彼らには欠けていたからだ。//
 (7)しかし、ここで困難な問題が生じる。すなわち、他の文化に対する敬意はどの程度であるのが望ましいのか? そしてどの点でまさにその望ましさは野蛮になったり、今そうであるように賞賛すべきものになったりし、野蛮さに無関心になり、あるいはじつにその野蛮さを肯定するに至るのか?
 <野蛮な>(barbarian)という術語はもともとは、理解し難い言語で話す人々を指すものとして用いられた。だがすみやかに、文化的意味で侮蔑の意味を帯びるようになった。
 哲学を勉強した者ならば誰でも、Diogenes Laertius 〔3世紀頃の哲学史学者—試訳者〕の有名な序文を思い出すだろう。その序文で彼は、ギリシア人より前に野蛮人、インドの裸行者やケルト族(Celtic)の聖職者たちの間に哲学があったという誤った見解を攻撃した。これは、文化的普遍主義や3世紀のコスモポリタン主義に対する攻撃だった。
 いや、彼が言っているのは、哲学と人間の種が生まれたのは、ここ、つまり神々の息子たちである、アテネやテーベの人々の中でだ、ということだ。
 彼は、カルディア(Chaldean)の魔術師たちの奇妙な習慣やエジプト人の粗野な考え方を引き合いに出す。
 <哲学者>という呼称がトラキアのオルフェウス(Orpheus of Thrace)、神々に人間の最も基礎的な感情すら与えて恥じなかった男、について用いられる可能性があることに、彼は激しく怒っている。
 この防衛的な自己肯定が書かれたのは、古代の神話が有効性を失うか哲学的議論へと昇華したとき、そして文化的および政治的秩序が目に見えて解体していく状況だったときだった。この頃すでに、一種の懐疑が這入り込んでいた。
 そうした秩序を継承しようとした者たちは、野蛮人だった。—つまり、キリスト教徒。
 我々はときどき、シュペングラー(Spenglerian)哲学や何らかの「歴史形態学」の影響を受けて、我々は似たような時代を生きていて、非難宣告を受けた文明の最後の目撃証人だ、と心に描く。
 しかし、いったい誰に非難されているのか?
 神によってではなく、想定される何らかの「歴史法則」によってだ。
 なぜなら、どんな歴史法則も我々は認知しないけれども、我々は実際には全く自由にそのようなものを考案することができ、そのような歴史法則はいったん考案されると自己実現的予言のかたちで実現されることがあるからだ。//
 (8)しかし、この歴史法則なるものに関して我々が感じるのは曖昧さであり、一貫性がない、ということだ。
 我々は一方では、異なる文明に関する価値判断をするのを拒む普遍主義と何とか折り合おうとしてきた。本質的な対等性を強調することによって。
 他方で、この対等性を肯定することによって、全ての文化の排他性と不寛容さもまた、肯定してきた。—同じような肯定をする際に生まれたと我々が主張するのは、まさにこのことだ。//
 (9)このような曖昧さには逆説的なものはない。こうした混乱の真只中ですら、我々は成熟の頂点にあるヨーロッパ文化の際立つ特質を肯定しているからだ。すなわち、排他性の外側へと踏み入り、自問し、他の文明の目を通して自らを理解するという能力。
 Casa の司教バルトロメ(Bartlomé)は彼が専門とするキリスト教の同じ原理の名でもって、侵略者に対する激しい攻撃を開始した。
 彼の闘いの直接の結果とは関係なく、彼は、他の文化を擁護し、かつヨーロッパ拡張主義がもつ破壊的影響力を非難しようとする自分の仲間の人々に対して反対の側に回った、最初の一人だった。
 ヨーロッパが精神的な優越性を主張することに関する一般的な懐疑論が広がるには、宗教改革と宗教戦争の開始が必要だった。
 それはモンテーニュ(Montaigne)とともに始まり、自由思想家(Libertines)や啓蒙の先駆者たちの間では常識的なことになった。
 (Bayle の辞典の中の記事によって有名になったRosario に続いて)人間を動物と比較させて後者に対する優越性だけを認め、人間という種を全体としては侮蔑をもって見るという、のちに一般的となる趨勢の開始者となったのも、モンテーニュだった。
 攻撃するために他文明の目を通じて自分たちの文明を見て、その趨勢は啓蒙主義の書物に広く行き渡った著作上の常套手法となった。そして、「他文明」とは、十分に対等に、中国人、ペルシア人、馬、あるいは宇宙からの訪問者であり得た。//
 (10)つぎのことを言うために、よく知られた以上のことに言及している。つまり、我々は、おそらく大部分はトルコの脅威のおかげでヨーロッパがそれ自体の文化的一体性の明確な意識を獲得したのとまさに同時に、ヨーロッパの価値の優先性を疑問視し始めたのだ。そうして、ヨーロッパの強さだけではなく多様な弱点と脆さの根源となることになった、際限のない自己批判の過程が始まることになった。//
 ——
 ③へとつづく。

2404/L·コワコフスキ・Modernity…第二章①。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳をつづけて、第2章へと進む。邦訳書はないと見られる。
 ——
 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第二章・野蛮人を求めて—文化的普遍性という幻想①。
 〔脚注⏤1980年3月にフランスの大学で行われた講演、"Ou sont les barbares ? Les illusions de l'univesalisme cultured" を、Agnieszka Kolakowska がフランス語から翻訳〔英訳〕したもの。〕
 (1)私は歴史的叙述をするつもりはない。
 また、予言にも関心はない。
 私は先ず、認識論的(epistemological)性格の前提条件を考察しようと思う。次いで、提示したい価値判断に進むつもりだ。
 価値判断は、この数十年間に容赦なく攻撃されてきたためほとんど完全に用いられなくなっている、そういう考え方の防衛に関係する。—ヨーロッパ中心主義(Eurocentrism)という考え(idea)だ。
 この言葉自体は疑いなく、広い範疇の雑多な物屑入れの中にある。我々がそれらの定義を無視して軽く用い、論駁する意味がないほどに露骨に馬鹿げたことを種々混合した、そういう言葉の一つだ。真偽は別として、事実の言明。擁護できるか否かは別として、価値判断。
 このような言葉に関して最も重要な点は、それらを用いる際にそれらに漠然と結びついている論理矛盾(absurdity)に注意を向けることだ。そして、我々の目的は、擁護する価値がきわめて大きいとされている考えを攻撃することにある。
 実際に、このような考えを擁護することは文明の運命にとっては致命的であることが、判明するかもしれない。//
 (2)さて、これらの言葉は、きわめてイデオロギー的なものだ。一定の規範的要素をもつからではなく、表向きは率直な叙述である言明の範囲内で規範的内容を隠蔽することによって、論理的には区別される問題を分離して考察することを妨げるという機能を果たしているからだ。
 ジャーナリズム的専門術語ではこのような言葉の一覧表は長くつづき、<ヨーロッパ中心主義>を別とすれば、<平等主義>、<社会的公平さ>、<人間中心主義>、<解放(liberation)>等々の肯定的含意を伴う言葉のとともに、<エリート主義>、<リベラリズム>、<男性優位主義>のような言葉がある。
 <ヨーロッパ中心主義>という言葉に関して行う仕事は、この言葉に連結している多数の論理矛盾をそれらを強調することで目立たせ、この考えを全体として疑問視することだ。
 つぎのような前提条件は、この類の論理矛盾の例だ。すなわち、ヨーロッパ人には世界の残余部分に関心をもつ理由がない。ヨーロッパ文化は、他の文化から一切何も借用してこなかった。ヨーロッパはその成功をヨーロッパ人という人種的純粋さに依っている。世界を永遠に支配するのはヨーロッパの宿命であり、その歴史は理性、美徳、栄冠と廉潔の物語だ。
 この言葉は、18世紀の(当然に、白人の)奴隷取引者や19世紀の単純素朴な進化論の同志たちのイデオロギーに対する憤りを伴うべきだ。
 しかし、それが現実にもつ機能は異なっている。これらのような簡単な標的を選択して漠然として明快さなき集積物へと一括りにしている。全ての独特さ(specifity)をもつ、まさにヨーロッパ文化という考えだ。
 この文明は結果として、たんに外部の脅威のみならず、おそらくはより危険ですらあることだが、自滅的な心性(mentality)に侵されやすいものになっている。この自滅的な心性の特徴は、自分たち自身の明確な伝統への無関心、疑問、実際に自動的に破壊的となる錯乱状態を特徴とする。これらはは全て、一般的普遍主義のかたちでの言語表現で示されている。//
 (3)ヨーロッパ文化を一定の価値判断に頼ることなく定義するのは不可能であるのは、完璧に正しい。—地理的に、年代史的に、あるいはその内容をに関して、いずれにせよ。
 ヨーロッパの精神的領域を、恣意的でない方法でどのように画定できるのか?
 学者が言うには、その名前自体が起源はアッシリアにある。
 ヨーロッパを創出する文章、優れた書物は、ほとんどの部分が、インド=ヨーロッパ語ではない言語で書かれた。
 哲学、芸術、宗教に示された莫大な豊かさは、小アジア、中央アジア、東方(the Orient)およびアラブ世界の知識を利用し、吸収したものだった。
 <いつ>この文明は生まれたかと問うならば、我々は多数のあり得る回答を見出すに違いない。すなわち、ソクラテスとともに、聖パウロとともに、ローマ法とともに、カール大帝とともに、12世紀の精神変革とともに、新世界の発見とともに。
 この問題について正確に判断するのが我々に困難であるのは歴史知識の欠如によるのではなく、これらの回答のいずれも尤もらしいからだ。あれこれの要素は混合物にとって本質的に重要であり、決定は価値の領域にある、ということから出発するのに同意するならば。
 地理的な限界について語ろうとするときにも、類似の問題が生じる。ビザンティウム(Byzantium)を含むべきなのか? ロシアは? ラテン・アメリカの一部は?
 歴史—どちらの回答も支持し得るだろう—に訴えるのではなく、我々が住んでいる文化空間の構成にとって本質的だと我々が考える要素に考察を集中させて、問題の根源へと突き進まないかぎりは、議論は際限なく引き摺りつづける。
 そうしても、科学的研究の問題だというよりも票決(vote)のそれだろう。この文化の廃絶が、これに帰属したいとはもう願わないと、またはそんな文化は存在しないと宣告する多数派による票決で決定されることはあり得ないのだとしても。
 この文化の存在は、それがあると信じることに固執する少数派によって保障されている。//
 (4)我々が知るように、ヨーロッパ人はいったいどの点で独自の文化的一体に帰属していると意識するにいたるか、というのが論議の対象だ。
 この独自性は、少なくとも、西側キリスト教の単一性に帰一させることはできないものだろう。
 イベリア半島のサラセン人(the Saracens)、シレジアのタタール人、ダニューブ低地のオスマン帝国軍に対抗した人々は同一の一体性(identity)の意識を共有していなかった、と想定する理由はない。
 だがなお、ヨーロッパ文化が信仰心の統一性(unity)から発生したこと、その統一性が異端の島々のみならずヨーロッパじゅうで砕け散っているときにこそそれが確立し始めたこと、は疑いない。
 その時代は、芸術と科学での急速できわめて創造的なうねりの時代でもあった。そして、芸術と科学は絶えず増大する勢いで発展し、今日の世界の全ての偉大さと悲惨さに行き着いた。
 そして今日、恐怖と惨めさが自然に我々の感覚を支配するに至って以降、ヨーロッパ文化という考えそのものが、疑問視されてきている。
 論争の要点はおそらく、この文化の現実的存在というよりもむしろ、その独特の価値、なかんづくそれには優越性(superiority)がある、少なくとも一定の分野では優越的な重要性をもつ、という主張にある。
 意味が明確にされ、かつ肯定されなければならないのは、この優越性だ。//
 ——
 ②へとつづく。

2403/L·コワコフスキ・Modernity…第一章⑥。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳のつづき。邦訳書はないと見られる。
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 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・際限なく審判されるModernity ⑥。
 (22)文学的にせよ哲学的にせよ、Modernityに対する批判は、我々の文明の自己防衛機構としてますます多様に、看取され得るかもしれない。しかし、これまでのところ、Modernity が予測できない速さで進展していくのを阻止することができなかった。
 我々のどんな生活領域を思い浮かべようと、悲嘆は全てに横溢し、我々の自然の本能は問いかけざるを得ない。何がおかしいのか? 
 そして、問いつづける。神に間違いがあったのか? 民主主義に間違いがあったのか? 社会主義にか? 芸術? 性? 家族? 経済成長にか?
 我々はまるで全てを覆う危機の感情をもって生きているように見える。それにもかかわらず、安易な言葉一つによる見せかけの解決(「資本主義」、「神は忘れ去られた」等々)に逃げ込まなければ、危機の原因を明確に特定することができないままで。
 楽観論はしばしば大きな人気を博し、熱狂的に傾聴される。しかしそれは、知識人界による嘲笑を受ける。我々は、陰鬱であるのが好きなのだ。//
 (23)変化の中身よりも、我々を恐れさせ、終わることなき不安状態に我々を置く目が眩むほどの速さの方が印象的だとときには思える。その不安とは、もはや確実なものや確立されたものは何もなく、新しいものはそのうちに全てが廃れてしまう、という感情だ。   
 我々の中には、自動車もラジオもなく、電灯が驚くべき斬新なものである地球の場所で生まれて今なお生活している数少ない人々もいる。
 彼らの生涯の間に、どれほど多数の文学、芸術の派が生まれて消滅したか、どれほど多数の哲学的またはイデオロギー的な流行が生起しては去って行ったか、どれほど多数の国家が建設され、消失したか!
 我々はみんな、そのような変化に関与し、にもかかわらず、そうした変化を嘆き悲しんでいる。我々が安全に依拠することのできる何らかの実体を、その変化は奪い取っているように思えるからだ。//
 (24)犠牲者たちの無数の焼却された遺体の灰できわめて肥沃となったので、そのような土壌があるナツィの絶滅収容所の近くでは、キャベツが早く成育しすぎるので玉となる時間がなく、葉が離れた幹が出来た、と聞いたことがある。
 明らかに、そのようなキャベツは食用にならない。
 この話は、病的な速さの進歩に関する思考に役立つ寓話であるかもしれない。//
 (25)文明の多様な分野での最近の成長曲線—ある程度は潜在的なものだが—でもって推論してはならないし、その曲線は何かの理由で下降するか、またはおそらくSカーブに変わる違いないと、そして変化は相当に遅れてやって来るか、文明を破壊する大厄災が原因となって初めて生じるだろう、と我々はもちろん知っている。//
 (26)Modernity に対して<だけ>(tout court)「賛成」すると「反対」するのいずれかであるのは、むろん愚かなことだろう。技術、科学、経済的合理性の発展を止めようとするのは無意味であるだけが理由ではなく、Modernityも反modernity も野蛮かつ反人間的な形態で表現されるかもしれない、というのが理由だ。
 イランの宗教革命は、明らかに反modern だ。そしてアフガニスタンでは、ナショナリストと貧しい種族の宗教的抵抗を攻撃して多様な形態でModernityの精神を持ち込んでいるのは侵略者だ。
 伝統主義の愉楽と悲惨がそうであるように、進歩の恩恵と恐怖がしばしば分ち難く結びついていているのは、明らかに本当だ。//
 (27)しかしながら、Modernityの最も危険な特徴を指摘しようとするとき、私は一つの決まり文句で自分の恐怖をまとめてしまいがちだ。すなわち、禁忌(taboos)の消滅。
 「良い」禁忌と「悪い」禁忌を区別すること、わざとらしく前者を支持して後者を排除すること、はできない。
 非合理的だと偽って一方を排除すれば、将棋倒し的に他方を排除してしまう結果になるだろう。
 性的禁忌のほとんどは廃棄され、数少ない遺物は—近親相姦や小児性愛のように—攻撃されている。
 多様な国々の諸グループは公然と子どもたちとの間に性的関係を結ぶ権利を主張する。彼らをレイプする権利をだ。そして、—首尾が良くなければ—該当する法的制裁の廃止を主張する。
 死者の遺体への敬意に関する禁忌は、消滅する候補の一つであるように見える。そして、有機体を移植する技術は多数の生命を救い、疑いなくもっと多くの生命を救うだろうが、死者の遺体が多様な産業目的のための生きている又は原料たる素材の補用部品を貯蔵したものにすぎなくなる世界を、恐怖でもって予期する人々に共感を覚えないことは、私にはむつかしい。
 死者と生者への—そして生命自体への—敬意はおそらく、分けることができない。
 共同で生活するのを可能にした多様で伝統的な人間的絆は、それがなければ我々の存在は欲望と恐怖にのみ支配されていただろう人間的絆は、禁忌のシステムがなければ存続することができそうにない。
 一見は愚かな禁忌ですらもつ有効性を信じることの方が、それらを消滅させてしまうよりも、おそらく良いことだ。
 合理性と合理化が我々の文明にある禁忌の存在自体の脅威となる程度にまて、それらは残存しようとする禁忌の力を侵蝕している。
 しかし、意識的な計画によってではなく本能によって作られた障壁である禁忌は、理性的技術によって救われ得るし、または選択的に救われるだろう。
 この領域では、我々はつぎのような不確実な希望にのみ依拠することができる。すなわち、社会的な自己保持衝動は十分に強くてその消散に反応することができるだろう、そして、この反応は野蛮な形態で発生することはないだろう、という望み。//
 (28)要点は、つぎのことだ。すなわち、「合理性」の通常の意味では、人間の生命や人間の個人的権利を尊重する合理的根拠は、ユダヤ人の小エビの消費、キリスト教徒の金曜日の肉食、イスラム教徒の飲酒、これらを禁止することの合理的根拠以上には存在しない。
 これらは全て、「非合理的」禁忌だ。
 そして、国家の必要に応じて利用し、廃棄し、破壊することのできる国家装置の中の交換可能な部品として人々を扱う全体主義システムでは、ある意味では、合理性が勝利している。
 今でもなお、生き残るためには、嫌でも非合理的な価値のいくつかを復活させて、その合理性を否定せざるをえない。それによって、完璧な合理性は自己を破壊する到達点であることが判明するのだ。//
 ——
 第1章、終わり。第2章の表題は、「野蛮人を求めて—文化的普遍性という幻想」。
 

2401/L·コワコフスキ・Modernity—第一章⑤。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳をつづける。邦訳書はないと見られる。
 L・コワコフスキにつぎの著があり、邦訳書もある。L. Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing ?(2004,英訳2007)=藤田祐訳・哲学者は何を問うてきたか(みすず書房、2014)。
 この著は30名の(西欧の)哲学者・思想家を「簡便な(人名)辞典」ふうに概括したものではなく、長々とした文章によらずして、一定の関心をもって論評している(この書の緒言も参照)。
 多数の文献を読み込んでいることは、そのマルクス主義に関する大著でも(日本ではほとんど名を知られていないポーランドや東欧の哲学者を含めて)見られるが、以下でも、その一端は見られる。
 欧米の哲学者・思想家を読んでもおらず、従って当然に言及することすらできない者でも、日本では「知の巨人」と称されることがある(国書刊行会ウェブサイト参照)。不思議なことだ。
 ——
 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・際限なく審判されるModernity ⑤。
 (19)しかしながら、我々の文化で何がModernityを表現しているのか、何が反modern の抵抗を表現しているのかに関して判断する場合に、我々は慎重でなければならない。 
 歴史的経験から、我々は、文化の進展上で新しいものはしばしば古いものを装って出現してくることを、知っている。逆もまた然りだ。—古いものが簡単にいま流行している服装を着ているかもしれない。
 改革とは、明白にかつ自己で意識しつつ、反動的だ。宗教改革の夢は、世俗的理性の成長のもとで、キリスト教という制度的形態をとりつつ、神学上の数世紀にわたる発展が生んだ堕落した影響を逆転させることだった。また、十二使徒の時代の信仰の初期の純粋さを回復することだった。
 しかし、宗教改革は実際には、知的かつ道徳的権威の淵源として積み重ねられてきた伝統を排除することによって、その意図とはまさに正確に反対の運動を勇気づけた。
 宗教改革は、宗教的諸問題の理性的な研究の精神を解放した。それは理性を教会や伝統から自立したものにした—そうでなければ激しく攻撃した—からだ。
 空想的なナショナリズムはしばしば、今は喪失したが前産業世界がもった美しさを、郷愁をもって追求するものだった。しかし、<過去>(praeteritum)を称揚することによって、ネイション〔国民〕国家の考え方という、著しくmodern な現象の発生に大きく貢献した。
 そして、ナツィズムという見事にmodern な産物は、その非現実的空想が怪物的に再生したものだった。それによって、「伝統的合理性」という軸の上で我々は適切にmodernityを測ることができるという考えをおそらくは反証明した。
 マルクス主義は、同じく古風な共同体への慕情とともに、紛れもなくModernity を求める熱狂、合理的組織化、科学技術の進歩の、混合物だった。そして、未来の完璧な社会の夢想的期待へと行き着いた。その世界では、いずれの価値の組み合わせも用いられ、調和のとれた混ぜ物となる。つまり、modern な工場とアテネの公共広場が何とか一つに融合するだろう。
 実存主義哲学は、きわめてmodern な現象だと見えたかもしれない—その語彙と概念上の網状回路において—。だが、今日の観点からすると、進歩を強く主張する新しい世界に直面している、そのような個人の責任という理念の正しさを再び証明しようとする絶望的な試みだった。その世界では、人間個々人は自分たちの合意のもとで、社会的、官僚主義的、または技術的諸集団がそれらを表現する匿名のメディアにすぎなくなり、人々は社会の非個人的作業の無責任な装置に変えられていることに気づかずに、自分たちの人間性を奪ってしまっている、というのだ。//
 (20)同様に、歴史の「狡猾な理性」もおそらく作動を停止しなかった。そして、何人も、集団的生活に対して自分自身がModernityの脈絡で寄与しているのか、それともその反動的抵抗として寄与しているのか、について推測することができず、まして確信をもって言うことはできない。さらには、どちらが支持するに値するのか否か、についても。//
 (21)つぎのような考えに慰めを探し求めることができるのかもしれない。文明は自ら切り抜けることができ、自己修正メカニズムを動員させることができ、あるいは、自己の成長に対する致命的効果と闘う反対機構を産出することができる、という考え。
 だが、このような考えに至るとしても、経験からして、全く安心できるものではない。結局のところは、病気の兆候はしばしば有機体の自己回復の試みなのだけれども。
 我々のほとんどは、身体が外部の敵と闘うために採用している自己防衛装置の結果として死ぬ。
 反対機構は、死ぬこともあり得る。
 したがって、自己調整の予見し得ない代価として、追求した平衡を回復する前に文明は死んでしまうかもしれない。
 我々のModernity への批判は—Modernityは工業化の進展と連関している、またはおそらく工業化の進展に動かされているという批判は—Modernity とともに始まった、そしてその批判はそれ以来広がり続けている、ということは疑いなく正しい。
 18世紀-19世紀に大きな危機はあったが—Vico、Rousseu、Tocqueville、ロマン主義者—、それは別として、操作の対象になりやすい<大衆社会>(Massengesellschaft)における意味の継続的的喪失を指摘し、非難する多くのすぐれた思想家たちがいることを、我々は知っている。
 フッサール(Husserl)は哲学的用語を用いて、modern科学がそれ自体の対象を意味をもって特定できないこと、事物を我々が予見し統制できる力を向上させるが、理解できないままの現象主義的厳密さで満足していること、を攻撃した。
 ハイデガー(Heidegger)は、我々の出自の根源を形而上学的洞察が忘却している非人格的なものに見出した。
 ヤスパース(Jaspers)は、見かけは解放されている大衆の道徳的、精神的受動性を、歴史的な自己意識の低下、その結果としての責任ある主体性の喪失や信頼の上に個人的関係を築く能力の喪失と関連づけた。
 オルテガ(Ortega y Gasset)は、芸術や人文学での高い水準の崩壊は知識人たちが大衆の低い嗜好に適合するのを強いられた結果だ、と指摘した。
 フランクフルト学派の者たちも、表向きはマルクス主義の語彙を用いて、同じようなことを行った。//
 ——
 ⑥へとつづく。

2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)
 試訳をつづける。邦訳書はないと見られる。
 西尾幹二が影響を受けたと2019年著でも明記しているニーチェに関する記述が興味深い。
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 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・際限なく審判されるModernity ④。
 (16-02)ニーチェの破壊的熱情は、中産階級の上辺だけの精神的安全性に大恐慌をもたらし、神の死の目撃者となるのを拒否している者たちの虚偽の信仰だと彼が考えたものを粉砕した。
 ニーチェは、現実に起きていることに気づくことができない、そういう人々の偽りの精神的安定を情熱的に攻撃することに成功した。なぜなら、最後に至るまでの全てを語ったのは、彼だったからだ。すなわち、世界は意味も、善悪の区別も生み出さない。
 現実は無意味だ。そして、その背後に別の隠された現実があるのでもない。
 我々が現に見ている世界は最終通告(Ultimatum)だ。
 我々に対して伝えようとする言葉はない。何にも言及しない。
 自己を消滅させ、何も聴こえず、何も発声しない。
 これらは語られなければならなかった。そして、ニーチェは、この絶望状態での解決方法または救済策を発見した。解決するのは、狂気だ。
 大して多くのことは、ニーチェの後でその提示した方向では、言うことができなかっただろう。//
 (17)Modernity についての予言者になるのは、ニーチェの宿命だったように見えたかもしれない。
 実際には、彼は曖昧すぎて、その責務を果たせなかった。
 一方で、彼は監禁されながら、取り返しのつかない知的および道徳的なModernity の結末を断言し、古い伝統から何らかの救済を得ようと臆病に望んでいる者たちを嘲笑した。
 他方で彼は、Modernityへの、進歩の苦い収穫物への恐怖を非難した。
 彼は、自分が知って—かつ語って—怖れ慄いたものを受容した。
 彼は、キリスト教の「ウソ」に対する科学の精神を称揚した。しかし、同時に彼は、民主主義的平準化の悲惨さから逃れようと欲し、粗野な天才という理想に避難場所を見つけようとした。
 だが、Modernity が望んだのはその卓越性に満足されることであり、疑念と絶望によってバラバラに引き裂かれることではなかった。//
 (18)ゆえに、ニーチェは、我々の時代の明快な正統説(explicit orthodoxy)にはならなかった。
 明快な正統説は、なおもつぎはぎで成り立っている。
 我々のModernity を主張しようとしつつ、我々は多様な知的な仕掛けを用いてその努力から逃れようとしている。意味は人類の伝統的な宗教的遺産とは別個に復活し回復され得るのであり、Modernity によって生じた破壊にもかかわらずそうだ、と納得していたいがために。
 いくつかの判型のリベラルなポップ神学(pop-theology)が、この作業に寄与している。
 いくつかの多様なマルクス主義も、同様だ。
 どの程度長く、またどの範囲まで、妥協のためのこの作業が成功し得るのかは、誰も予見することができない。
 しかし、先に述べた、世俗性の危険に知識人層が覚醒することは、我々が置かれている現在の苦境から抜け出す、期待できる通路であるとは思えない。そのような考察が間違っているからではなく、我々人間は、一貫しない、操作可能な精神をもって生まれている、と疑ってよいからだ。
 知識人層にあるのは、人騒がせに絶望的になる何かだ。その知識人たちは、宗教的愛着心、信仰心、あるいは忠誠さそのものをもたないが、我々の世界における宗教のもつかけがえのない教育的、道徳的役割を執拗に主張し、自分たちがまさに代表的な目撃証人であるそれらの脆弱さを嘆き悲しんでいる。
 私は、無信仰であるとか、あるいはひどく苦しい宗教的経験の価値を擁護しているとか、いずれの理由でも、彼らを責めはしない。
 ただ、彼らの作業が彼ら自身が望ましいと考える変化を生み出し得るのかについて、納得することができないだけだ。なぜなら、信仰心を広めるために必要なのは信仰であり、信仰心の社会的効用という知識人たちの主張ではないからだ。
 人間生活における宗教的なものの位置に関するmodern な考察は、マキャベリ(Machiavelli)の意味での、あるいは慈悲は愚者に必要で懐疑的不信が啓蒙された者には似つかわしいと認める17世紀の自由思想家たち(libertines)の言う意味での操作的巧妙さをもつものであってほしくはない。
 ゆえに、このような考察方法は、いかに理解しやすいものであっても、我々を以前の状態に置いたままにするだけではなく、その考察自体が、限定しようとしているのと同じModernity の産物なのだ。そしてそれは、憂鬱にもModernityがそれ自身に満足していないことを表現している。//
 ——
 ⑤へとつづく。


 L・コワコフスキ

2399/L·コワコフスキ・Modernity—第一章③。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳をつづける。邦訳書はないと見られる。
 ——
 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・際限なく審判されるModernity ③。
 (10)Modernity の淵源をどの程度昔まで遡るべきかは、むろん、この観念で我々が何を意味させようと考えるかに依っている。
 かりに大事業、合理的計画、福祉国家、そして続いて起きている社会関係の官僚主義化がそれなのだとすると、Modernity の範囲は数世紀というよりも数十年の単位で測ることができるだろう。
 しかしながら、Modernity の基礎が科学にあると考えるとすれば、17世紀の前半に淵源があるとするのが適切だろう。その頃に、科学研究の基本的なルールが形成され、まとめられ、科学者たちは、—主としてガレリオと彼の継承者のおかげで—物理学は経験が伝えるものだと理解してはならず、決して完全には経験的状態に具現化されない抽象的なモデルを練り上げたものだと理解しなければならない、ということを認識した。
 だが、さらに過去へと遡って検証することは妨げられない。現代科学の最も重要な条件は、黙示録から世俗的な理性を解放しようとする運動だった。そして、人文学(art)の諸分野を中世の大学の神学のそれから自立させようという闘いは、その過程の重要な一部だった。 
 11世紀以降のキリスト教哲学から出てきた、自然の知識と神から得られる知識の区別こそが、その変わり目で、その闘いの観念上の基礎となった。
 そして、どちらが先だったかを決定するのは困難だろう。純粋に哲学上の知識の二つの領域の分離か、それとも知的な都市階層の者たちが自治の要求を獲得する手段となった社会的過程か。//
 (11)では、我々の「Modernity」は11世紀に投射させるべきで、聖Anselm とAbelard は(それぞれ無意識に、意図的に)その主唱者だったのか?
 このように拡張することに観念上の誤りは何もない。しかし、どちらもきわめて役立つというものではない。
 もちろん我々は、曖昧にしたままで、我々の文明の根源を跡づけようとすることができる。しかし、我々の多くが取り組んできた問題は、いつModernity は出発したかではなく、—明示的に表明されているかは別として—現代に蔓延する<文化のうちの不快感>(Unbegahen in der Kultur)の核にあるのは何か? だった。
 ともあれ、Modernity という言葉が有用なものであれば、前者の疑問の意味は、後者への回答に依存していなければならない。
 そして、自然に心の裡に浮かんでくる前者の答えは、もちろん、Weber 的な<暴露(脱魔法化)>(Entztäuberung)—魔力からの解放(disenchantment)—、あるいは同じ現象を大まかに表現する何らかの類似の言葉にある。//
 (12)我々は、いわゆる西洋文明の世俗化、表向きは宗教的遺産の進歩的な霧散、かつ神なき世界の悲しい光景、のもつ破壊的影響に関する今日の議論を追ったりそれに参加したりして、圧倒的でかつ同時に屈辱的な既視(deja vu)の感覚を経験する。
 我々はまるで突然に目覚めて、慎ましくて必ずしも高い教養をもっていない聖職者がこの3世紀の間に見ている—そして我々に警告している—事態を、そして彼らが毎日曜日の訓話で繰り返して非難してきた事態を、感知しているようだ。
 彼らは信者たちに、神を忘れた世界は善と悪の区別自体を忘れ、人間生活を意味のないものにし、虚無主義(nihilism)に陥った、と語りつづけた。
 今では、社会学的、歴史的、人類学的な知識をいっぱい身につけて、我々は、同じ単純な叡智を発見している。その叡智を我々は、僅かばかり洗練された語句を用いて表現しようとしているのだが。//
 (13)古くて単純であっても叡智は必ずしも真実ではなくなることはない、と私は認める。そして実際に私は、真実だと考える(いくつかの条件付きで)。 
 Decartes〔デカルト〕は最初の、かつ主要な元凶だったのか?
 たぶん、そうだ。彼は哲学的に、彼の以前から既に進んできていた文化的趨勢を集大成(codify)した、という仮定条件のもとであっても。
 彼は、明らかに—あるいはそう思えるのだが—、つぎのことを行うことで、Cosmos〔体系的宇宙〕という観念を、そして自然の目的ある秩序という観念を、排除した。物質を拡張物と同一視することで、したがって物理的な宇宙(universe)の現実の多様性を廃棄することで、この宇宙を若干の単純な、かつ全てを説明し得る力学法則に従わせることで、そして神を論理的に必要な創造主と支援へと変えることで—しかし、経常的で、そのためにどんな個別の事案も説明するという意味を奪われた支援。
 世界は魂のない(soulless)ものになった。そして、この前提条件のもとでのみ、modern 科学は進展することができた。
 奇蹟も、神秘も、事態の推移への神聖なまたは悪魔的な干渉も、もはや想定することができなくなった。
 古くからのキリスト教の叡智といわゆる科学的世界観の間の衝突を取り繕おうとする、のちの継続的な努力の全ては、この単純な理由で説得力がなくなるのを余儀なくされた。//
 (15)たしかに、この新しい宇宙(universe)の意味が明らかになっていくのには時間を要した。
 大量の自覚的な世俗主義は、比較的に近年の現象だ。
 しかしながら、我々の現在の見通しから言うと、容赦なく教養ある階層に進行している信仰心の風化は、避けることができないように見える。
 信仰心は残存し得ているかもしれないが、多数の論理的仕掛けによる合理主義の侵食から僅かにしか守られておらず、無害でかつ無意味だと思える片隅へと追いやられている。
 何世代もの間、多数の人々が、自分たちは二つの両立し難い世界の住人であることを認識しないで生きることができた。かつまた、一方では進歩、科学的真実およびmodern 技術を信頼しながら、薄い貝殻でもって信仰心という慰みを守っていくことができた。//
 (16-01)この貝殻は、やがて破壊されることとなった。最終的に破壊したのは、ニーチェ(Nietzche)の荒々しい哲学的ハンマーだった。
 ——
 ④へとつづく。

2393/L·コワコフスキ・Modernity—第一章②。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)
 試訳をつづける。邦訳書はないと見られる。
 この前に試訳していた1999年の著でも、L・コワコフスキは、人の「好奇心」はヒト・人間という生物種の本性ではないか旨書いていた。以下にも似たようなことに触れている箇所がある。いずれにせよ、L・コワコフスキは我々が生物・動物の一種であるヒト・人間であることをつねに忘れてはいない(そしてマルクス主義に関する大著ではアインシュタインにも量子力学にも、哲学者としてのマッハにも論及する)・
 自然科学は「敵」だと明言し(西尾幹二)、あるいは「殺伐たる」自然科学(岩田温)としか評せられない日本の一部の<文学畑社会評論家>の視野狭窄、<観念肥大>・<現実無視>ぶりは相当にひどいもので、日本の現況には本当にげんなりする。一端に触れただけの、余計な前ふりだった。
 ——
 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・限りなく審判されるModernity②。
 (3)それでもなお、変化し続け、その変化にはふつうは十分な数の狂熱的な支持者がいる。
 古いものと新しいものの間の衝突はおそらく永く継続し続け、我々はそれから逃れようとはしない。構成物と進化の間の自然な緊張関係が示しているように。この緊張関係には生物学的な根源があるように思われる。
 我々は、この緊張関係は生(life)の本質的な特徴だと、考えてよいかもしれない。
 明らかに、いかなる社会も持続と変化の両方の力を経験することが必要だ。 
 既存のいかなる社会にもこれら二つの対立する力があるが、いずれかの相対的な強さを判断することのできる信頼するに足る手段を、何らかの理論が提供しているか否かは、疑わしい。そういう理論があれば、方向量(vector)のごとくそれらに加えたり減じたりして、それを基礎にして、予見する力をもつ発展の一般的図式を描くことができるだろうけれども。
 いったい何が一定の科学者たちに挫けることのない急速な発展を取り込む能力を与えるのか、何がその他の科学者たちをきわめて緩やかな発展の速度で満足させるのか、そして厳密にはいかなる条件のもとで発展または沈滞が暴力的危機または自己破壊を生むのか、について、我々はただ推測することができるだけだ。//
 (4)好奇心、つまり世界を危険や生理的な不快さに影響を受けることなく虚心坦懐に探査したいという別の衝動は、進化に関する学生たちによると、我々の種に特有の発生形態学的特質に根源をもつ。そして、そのゆえに、我々の種がその同一性を維持するかぎりは、我々の心性(minds)からそれを抹消することができない。
 パンドラの最も悲痛な事故と我々の祖先の楽園への冒険がいずれも証拠立てているように、好奇心という罪悪こそが、人類が遭遇した全ての厄災と不運の主要な原因だった。そしてそれは、疑問とする余地なく、人類の全ての偉業の根源でもあった。//
 (5)探査の衝動は、世界の文明の間に同じように配分されてはこなかった。
 何世代もの学者たちは、ギリシャ、ラテン、ユダヤ教、そしてキリスト教の淵源が組み合わさって出現した文明はなぜ、科学、技術、芸術、および社会秩序の変化を促進し、急速に伝搬し、加速させるのに独自に成功したのか?、と問うてきた。数世紀にわたってほとんど発展せず、稀にしか感知されない変化にのみ影響された多くの文化が残存したり、創造性の短期間の激発のあとで無活動の状態に陥ったりしたのだったとしても。//
 (6)満足し得る回答はない。
 どの文明も、多様な社会、人口統計、気候、言語、心理にかかわる環境が偶然に凝集したもので、その文明の出現や衰亡の一つの究極的原因を追求しても、成功する見込みはないように思える。
 つぎのような研究成果を示されても、その有効性には強い疑問を抱かざるをえない。
 例えば、ローマ帝国は上流階級の者たちの脳に毒を入れて損傷する鉛の鉢が普及したがゆえに崩壊した。宗教改革はヨーロッパでの梅毒の蔓延で説明することができる。
 他方で、「原因」を探そうとする誘惑に打ち克つのは困難だ。相互に無関係の説明できない要因で文明は勃興したり破滅したりする、と思ったとしても。同じことは、新種の動物や植物の出現について、都市の歴史的配置について、地球の表面上の山岳の配分について、あるいは特定の民族的言語の形成についても言える、と考えたとしても。
 自分たちの文明を見究めるために、我々は、我々自身を認識して、独特の集団的自己意識(ego)を把握しようとする。その集団的自己意識は、知覚するために必要であり、それが存在しないことは私自身の不存在が私にとってそうであるように耐え難いものだ。
 したがって、「我々の文明はなぜ現在のようであるのか」という疑問には答えが存在しないとしても、この疑問を我々の心から完全に排除することはできそうにない。//
 (7)Modernity それ自体は、modern でない。しかし、若干の文明では他の文明よりも modernityに関する衝突が明らかに顕著で、現在が最も深刻になってきている。
 Iamblichos は4世紀の最初に、ギリシャ人はその本性からして新奇さ(novelty)を好み、—野蛮人と対照的に—伝統を無視する、と述べた。
 彼はしかし、それを理由としてギリシャ人を褒めたのではなく、その反対だった。
 新奇さを好むという点で、我々は依然としてギリシャ人の後継者なのか?
 我々の文明は、<新しい>ものはその定義からして良いものだという(多言をもって表明されていないが確かにある)信念に、もとづいているのか?
 これは、我々の「絶対的な前提条件」なのか?
 こうした問題は、<反動的(reactionary)>という形容詞とふつう結びついた価値判断を、想起させるかもしれない。
 この言葉は明らかに非難の意を含んでおり、自分自身を叙述するためにこの形容詞を用いようとする人々はほとんどいない。
 だが、「反動的」であることは、いかに二次的であってもある側面のいくつかでは、過去は現在よりも良かったということを意味しているにすぎない。
 反動的であることは自動的に間違い(wrong)だということを意味しているとすれば、この形容詞はほとんどつねにそうした前提を伴って用いられることになる。—過去はどんな点についても今より良かったかもしれないと考えるのは間違いだ、ということになるように思える。これは、何であってもより新しいものはより良い、と言うことと同じだ。
 さらには、このような大胆な言い方では、我々の「進歩主義(progressism)をほとんど何も叙述していない。
 まさに<modern>という言葉にも、同じ曖昧さがつきまとっている。
 ドイツ語では、この言葉は「新しい(modern)」と「流行している(fashionable)」の二つとも意味する。だが、英語やその他のヨーロッパ言語はこれら二つを区別しない。
 ドイツ人は適切(right)なのかもしれない。
 だが、少なくとも二つの形容詞を使うことのできる文脈では、この区別がどのように境界づけされるのかは明瞭でない。
 確かに、ある場合には、これらの言葉は交換可能ではない。
 <moderm 技術>、<modern 科学>、そして<modern 産業経営>。これらの場合に、<流行している(fashionabe)>は当てはまらないだろう。
 しかし、<modern 思想>と<流行している(fashionable)思想>の違いを説明するのはむつかしい。同じことは、<modern 絵画>と<流行している(fashionable)絵画>の違い、<modern 服装>と<流行している(fashionable)服装>の違いについて言える。//
 (8)多くの場合には、<modern>という語は価値から自由で、中立的であるように見える。<流行している(fashionable)>という語と同じだ。すなわち、<modern>とは我々の時代を覆っているものだ。そして実際に、この言葉は、しぱしば皮肉たっぷりに使われている(チャップリンの<モダン・タイムズ>のように)。
 他方で、<modern 科学>や<modern 技術>という表現は、少なくとも通常の用語法では、<modern>なものはそれを理由をしてより良い、ということを強く示唆している。
 こうした意味の曖昧さはおそらく、すぐ前に述べたように、変化に対する我々の態度につきまとう曖昧さを反映している。変化は、歓迎されることもあるし、怖れられることもある。望ましくもあれば、呪詛されもする。
 多くの企業はその製品を、両方の姿勢を示唆する語句を用いて宣伝する。例えば、「良い、古い様式の(old-fashioned)家具」あるいは「おばあちゃんが昔作ったようなスープ」が、「全く新しいスープ」あるいは「洗剤産業界のわくわくさせる新製品(novelty)」とともに用いられる。
 二種の妙技が働いているようだ。
 おそらく宣伝広告の社会学は、どのようにして、どこで、なぜこうした矛盾する宣伝文句が成功したのかに関する分析を提供したのだ。//
 (9)<modernity>とは何かが明確ではないので、我々は近年は、<postmodernity>(いくぶん古い表現の<ポスト産業社会>、<ポスト資本主義>等を拡大したものか模倣だ)について語ることで問題を回避しようとしている。
 私はpostmodernism とは何でpremodern とどう違うのかを知らないし、知るべきだとも感じていない。 
 postmodern の後には何が来るのだろうか。
 ポストpostmodern、ネオpostmodern、ネオ・反modern か?
 名前の問題はさて措き、本当の疑問が残っている。
 すなわち、なぜ、modernity の経験と結びついた不快感がこうも広く感じられているのか? そして、この不快感をとくに大きくしている一定のmodernity の淵源はどこにあるのか? //
 ——
 ③へとつづく。 

2392/O·ファイジズ・人民の悲劇-ロシア革命(1996)第15章第2節①。

 Orlando Figes, A People's Tragedy -The Russian Revolution 1891-1924(The Bodley Head, London, 100th Anniversary Edition,2017/Jonathan Cape, London, 1996).
 =O·ファイジズ・人民の悲劇—ロシア革命・1891-1924。
 第15章の第2節に入る。一文ずつ改行し、段落の区切りに//と原書にはない数字番号を付す。
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 第15章第2節・人間の精神の技師①。
 (1)伝説によると、1919年の10月にレーニンは密かに偉大な物理学者のパプロフ(I. P. Pavlov)の実験室を訪れて、彼の仕事が脳の条件反射ならば、それはボルシェヴィキが人間の行動を統御するのを助けるかと尋ねた。
 レーニンはこう説明した。
 「私は、ロシアの大衆を共産主義的な思考と反応の様式に従わせたい。
 過去のロシアには個人主義が強すぎる。
 共産主義は、個人主義的傾向を甘受しない。
 個人主義的傾向は有害だ。我々の計画を阻害する。
 我々は、個人主義を廃絶しなければならない。」
 パプロフは、愕然とした。
 レーニンは、犬に対して彼が既にしたことを人間に対してさせたいと考えているように見えた。
 パプロフは尋ねた。「ロシアの民衆を均一化(standardize)させたい、と言いたいのか? 全員を同じように行動させる?」
 レーニンは答えた。「そのとおり。人を矯正することはできる。我々が人に対して望むようにその者をさせることができる」。(14)//
 (2)実際にこうだったかはともかく、この物語は、一般的な真実を例証している。すなわち、共産主義体制の究極的狙いは、人間の本性を変形させることだった。
 その狙いは、戦間期の別のいわゆる全体主義体制によっても共有されていた。
 結局のところ、これが象徴した時代とは、人間の生活(life)を変化させる科学の潜在的能力に対するユートピア的楽観主義の時代であり、かつ同時に逆説的に、第一次大戦による破壊の後での人間の生活の価値に対する深い疑念と不確実さの時代だつた。
 ナツィ・ドイツの優生学運動の先駆者の一人は、1920年に述べた。
 「まるで人間性(humanity)という観念の変化を目撃してきているようにほとんど思える。…
 戦争がひどく差し迫ってきているので、個人の生活には以前とは異なる価値があると考えざるを得ない。」(*15)
 しかし、共産主義者の人間改造計画と第三帝国による人間工学の間には、決定的な違いがあった。
 ボルシェヴィキの計画は—マルクスよりもカントに由来する—啓蒙(Enlightenment)の理想にもとづいていた。この啓蒙の理想は、このポスト・モダンの時代でも、西側のリベラルたちが共感したもので、あるいは少なくとも、かりに政治的な目標は同一ではなくとも、それを理解するよう迫られたものだった。
 これに対して、「人類を改良する」ナツィの試みは、優生学を通じてであれ大量殺戮によってであれ、啓蒙というものを唾棄し、我々に嫌悪感だけを抱かせるものだった。
 大衆の啓蒙を通じて新しい類型の人間を創り出そうという考えはずっと、19世紀ロシアの知識人たちの救世主的(messianic)使命を示していた。その中から、ボルシェヴィキは出現した。
 マルクス主義哲学も同様に、人間の本性は歴史的発展の産物であり、従って革命によって変造することができる、と教えた。
 レーニンの青年時代のロシア知識人たちの間で宗教たる地位を占めていた、ダーウィンとハクスリーの科学的唯物論は、人間は生きる世界によって決定される、という見方を教えていた。
 かくしてボルシェヴィキは、革命は科学の助けで新しい類型の人間を創り出す、という結論に至っていた。//
 (3)レーニンとパプロフの二人は、Ivan Sechenov (1829-1905)に敬意を払った。この人物は生理学者で、脳は外部の刺激に反応する電子工学的装置だと主張していた。
 彼の著の<脳の反射>(1863)は、Chernyshevsky に大きな影響を与え、そしてレーニンに対してもそうであり、かつ条件反射に関するパプロフ理論の出発点でもあった。
 ここで、科学と社会主義が遭遇した。
 パプロフは歯に衣を着せず革命を批判し、しばしば国外逃亡を迫られたが、ボルシェヴィキによる経済的保護を受けた。(*)
 (*原書注記—パブロフはBulgakov の風刺の対象だったと結論づけたくなる。彼の<犬の心臓>(1925年)では、世界に有名な実験科学者はボルシェヴィキを軽蔑したが、支援を受けており、犬の脳と性的器官を人間へと移植した。) 
 2年の経歴ののち、パプロフは手厚い配給を受け、モスクワに広いアパートを得た。
 慢性的な紙不足があったにもかかわらず、彼の講義録は1921年に出版された。
 レーニンはパプロフの著書について、革命にとって「きわめて有意義だ」と語った。
 ブハーリンは、「唯物論という鉄の兵器庫からの武器だ」と評した。
 トロツキーですら、彼は総じて文化政策を詮索しなかったものの精神医学には多大の関心があったのだが、人間の再建造の可能性を、つぎのように熱心に語った。
 「どんな人物か? 彼は決して、完成されたもしくは調和のとれた人ではない。
 いや、いまだに臆病な人だ。
 生物としては計画どおりにではなく自発的に進化していて、多数の矛盾を蓄積している。
 どのようにして人間の肉体的および精神的な構成を鍛錬して統御し、改善して完成させたかは、とてつもなく大きな問題であって、社会主義を基盤にしてのみ理解することができる。
 我々はサハラを横断することができ、エッフェル塔を建設することができ、ニューヨークと直接に会話することもできる。しかし、我々はきっと、人間を改良することはできない。
 いや、できる!
 人間の新しい『改良版』を作り出すこと。—これが、共産主義の将来の任務だ。
 そのために、我々は、人間について、その解剖学的構造、生理学、および心理学と呼ばれる人間生理学の一部について、全てを先ず、解明しなければならない。
 人は自分自身を生の素材(原料、raw material)だと、あるいはせいぜいのところ半ば製造された産物だと見つめ、かつそう理解しなければならない。
 そして、こう言うのだ。『ああついに、私の大切な<ホモ・サピエンス>よ、私はきみの上で働くだろう』」(*16)//
 (4)革命の時期頃に流行した未来小説やユートピア冊子で描かれた新しいソヴィエト人は、機械の時代のプロメテウスだった。
 新ソヴィエト人は理性的な、紀律のある集団的人間で、生きている有機体の一細胞のように、最大の善という利益のためにのみ生きる。
 個人的な「わたし」の語法ではなく、集団的な「我々」の語法で思考する。
 ボルシェヴィキ哲学者のAlexander Bogdanow は、彼の二冊の科学小説、<赤い星>(1908年)と<技師メンニ>(1913年)で、21世紀のいつかに火星(Mars)にあるユートピア社会について叙述した。
 個人のあらゆる痕跡は「マルクス主義火星社会」では除去される。全ての仕事は自動化され、コンピータで稼働する。全員が性差のない衣服を着て、同じそっくりの住居に住む。子どもたちは特別の区画で養育される。
 異なる民族はなく、誰もが一種のエスペラント語を話す。 
 <技師メンニ>のある箇所では、主要な主人公の火星物理学者は、個人たる人間を創出した地球のブルジョアジーの使命を、社会の「原子を集めて」、それらを「単一の、知的な人間有機体へと融合する」という火星上のプロレタリアートの任務に喩える。(*17)//
 (5)集団を通じての個人の解放という理想は、ロシアの革命的知識人層にとっては基礎的なことだった。
 Gorky は、1908年に書いた。
 「『わたし』ではなく『我々』。—これが、個人の解放の基盤だ。
 そして最後には、人は世界の全ての富の、世界の全ての美の、人類の全ての経験の化身だと、そして精神的に全ての兄弟たちと同等の者だと、感じるだろう。」
 Gorky にとって、集団的精神の覚醒は、本質的に人間中心主義者(humanist)の責務だった。彼はそれを、啓蒙の公民(civic)精神になぞらえた。
 「ロシアは、文化革命の機会を逃してしまった」。
 彼の見方では、数世紀もの隷従制と帝制支配は「卑屈で鈍感な民衆」を育てた。受動的で 、進歩の影響を受けたくなく、 突如として破壊的暴力を爆発させがちだが、国家による強制がなければ建設的な国民的作業を行うことができない、そういう民衆を。
 要するに、ロシア人は、<nekulturnyi>、つまり「公民となっていない(文明化していない, uncivilized)」。積極的な公民であろうとする文化に欠ける。
 政治的および社会的革命が依って立つ文化的革命の任務は、この公民たる意識を培養することだ。
 Gorky の言葉では、その任務は「ロシア人を西側に並ぶよう駆り立てること」であり、「アジア的野蛮と怠惰の長い歴史」から彼らを解放することだった。(*18)//
 ———— 
 ②へとつづく。

2391/L·コワコフスキ・Modernity—緒言・第一章①。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。同(Encounter,1986)の修正つき再印刷だとされている(1990年版のp.3 の脚注)。
 この書を、冒頭から試訳する。邦訳書はないと見られる。 
 <Modernity>は訳しずらいので、そのまま用いる(小文字のmodernity も同様)。modern も、そのまま使うことがあるかもしれない。
 一行ごとに改行し、本来の段落を示すために原文にはない数字番号と//を用いる。
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 緒言(Foreword)
 (1)この書物に収載された諸小論は、多様な場合に、様々な言語で、1973年から1986年の間に、書かれた。 
 この書で、何らかの「哲学」を提示するつもりはない。
 そうではなく、我々の文化、政治、宗教生活について語って完全に一致していようと努めるときにつねに立ち現れる、多数の不愉快で不可解なデレンマの指摘を試みて、ほんの少し哲学的な話をする。
 しばしばあることだが、矛盾に充ちた世界で最良のものを得ようとして、その結果、我々は何も得るものがない。
 それができずに、あるときに精神的資産を質入れしても、我々はそれを再び買い戻すことができず、一種の教条的(dogmatic)な不動の状態に嵌まり込んでいる。 
 我々は自分たちを森の中の宝捜し(tresure hunter)だと想像しているのかもしれない。しかし、森の中の伏兵を避けることに力を費やしているのであり、かりにそれがうまくいっても、成果はただ、伏兵を避けた、ということだけだ。
 もちろん純益はなく、我々が追い求めたものはない。//
 (2)ゆえに、この書の諸小論は、教訓を垂れるものではない。
 そうではなく、調和のうちに中庸さを求める訴えだ。—そして、私が多年にわたって多様な視座から見つめてきた主題だ。//
 (3)この書の文章は別々に、一つの書物としてまとめられて出版されるという考えなどなくして、書かれている。
 私はこのことに大して悩んではいない。なぜなら、—拘禁状態にある私を別とすれば—、いったい誰が、ともかくも全体を読み通すことができるほどに、我慢強いだろうか?
 レシェク・コワコフスキ
 1990年 3月 3日// 
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 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第一章・限りなく審判されるModernity①。
 (1)ヘーゲルを—あるいはCollingwood を—信じるとすれば、時代も、文明も、それ自体を概念的(conceptually)に把握することはできない。
 それらが終焉した後で初めて、そうすることができる。そしてそのときでも、きわめて十分に知っているように、間違いのない把握や普遍的に受容されるような把握の仕方はあり得ない。
 文明に関する一般的形態論も文明の構造的特性に関する叙述も、いずれもひどく異論があり得るもので、大きなイデオロギー的偏見を伴っている。表現しているのは、過去と比較しての自己主張をする必要か、それとも自分の文化的環境の不安とそれによって生じている古き良き時代への郷愁か、そのいずれにせよ。 
 Collingwood は、どの時代にも多数の基本的な(「絶対的な」)前提条件(presuppositions)がある、だがその前提条件を明瞭に説明することはできず、その前提条件は典型的な反応と願望である明白な価値と信条に潜在的な刺激を与える、と説く。
 もしそうならば、そうした前提条件を古代や中世の祖先たちの生活のうちに見破り、おそらくはそれにもとづいて「心性(mentalities)の歴史」を築き上げることができるのかもしれない。
 しかし、ミネルヴァのふくろうはすでに飛び立って我々が黄昏時に、時代のまさに終末に、生きているのでないかぎり、自分の時代の前提条件を明瞭にすることは原理的にすることができない。//
 (2)そうなのだから、我々自身の精神的(spiritual)な基盤についての救い難い無知を受け容れよう。そして、我々の—この語が何を意味しているのであれ—「modernity」の表面を概観することだけで満足しよう。
 この言葉が何を意味していようと、確実に、modernity はmodernityに対する攻撃がそうであるほどにはmodern でない。
 「ああ、現代は、…」、「もはや…でない」、「昔は、…」といった嘆きの言葉や、腐敗した現在を過去の偉大さと対照させる同様の表現は、たぶん人類の歴史と同じ昔から見られる。
 聖書や<オデッセイ>に、そうした表現はある。
 永続的な住処を持った方がよいという愚かな考えに怒って抵抗する、あるいは車輪という邪悪な発明物のために人類の衰退が切迫しつつあると予言する、旧石器時代の遊牧民を、我々は想像することができるだろう。
 知られるように、衰亡と把握される人類の歴史は、世界の多様な地域で最も長く持続している神話的主題の一つだ。追放された者の象徴および五つの時代に関するヘシオドス(Hesiod)の叙述の両者を含めて。
 このような神話が頻繁に見られることは、考えられ得る社会的および認知的機能を別にすれば、人間に普遍的な、変化に対する保守的不信感を示しているし、また、よく考えれば「進歩」は少しも進歩ではないという疑念や、いかに利益となるように見えても、物事に関する確立した秩序の変化に順応することには気乗りがしないことも示している。//
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2387/日本共産党の大ウソ32—「真に平等で自由…」とは。

  不破哲三は現在でも日本共産党常任幹部会委員の一人で、何と50年以上、同党の幹部であり続けている。
 その不破哲三は、日本共産党は「将来構想」がある点で、他政党とは異なる、ただ一つの政党だと、自慢していたことがあった(何かに明記されている)。
 ここでの「将来構想」とは10年後のことでは、もちろんない。不破の言う「未来社会」のことだ。
 日本共産党の現綱領(2020.01.18)も、この部分を変更していないだろう。
 最後の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」の中((十六))にこういう部分がある。
 (なお、同党は(不破理論・「解釈」?に従い)「共産主義は社会主義の高次の段階」という社会主義、共産主義の用語法を1990年代から採用していない。「社会主義・共産主義」と並列させるのが正しい?慣例だ。)
 ①「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。」
 ②「社会主義・共産主義の社会がさらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会
への本格的な展望が開かれる。
 人類は、こうして、本当の意味で人間的な生存と生活の諸条件をかちとり、人類史の新しい発展段階に足を踏み出すことになる。」
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  あまりにアホらしいので、逐一言及するのもアホらしいが、<暴力革命を諦めていない>などという幼稚な、何とでも反論できる批判しかできない人が多いので、以下も、少しは意味があるかもしれない。
 第一。これは予言・予測か、それとも「目標」か?
 真面目な共産党員は両者を統一・統合したものだ、<理論と実践の一致だ>などと言うかもしれない。
 しかし、上の区別は重要なことだ。
 かりに「正しい予言」を含んでいるというならば、何ゆえに、何の資格と能力があって、(少なくとも日本の)将来・未来を「正しく」予見できるのか?
 「科学的社会主義」によって「正しく」予言・予見しているのだ、などと主張しているなら(たぶんそうだろう)、すでに「狂っている」。
 誰も、ヒト・人間それ自体、それが形成する社会の将来・未来を、「正しく」予見することなどできない。
 <歴史の発展が証明する>のだ、などというおバカさんは、もうやめて欲しい(と言っても、<聞く耳を持たない>という表現の仕方も日本語にはある)。
 実践的な「目標」だというならまだよいが、将来の社会について「科学的予測」などという戯れ言葉を使ってはいけない。
 ++
 第二。「原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」の展望が(ようやく?)開かれる、という。
 こうした表現に「美しさ」を感じる面妖な人もいるのかもしれない(真面目な共産党員はきっとそうだ)。
 だが、例えば、①「原則としていっさいの強制のない…」と言うなら、「原則」と「例外」を区別する指針くらい示してもらいたい。
 ②「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」と言うなら、「真」に「平等で自由な…」と、そうではない、つまりニセ・虚偽の「平等で自由な…」を区別する指針くらい示してもらいたい。
 さらに、「自由」と「平等」は完全には両立し難いとするのが、少なくとも現在の人類の一致した「知見」ではないかと思われるが、上の「共同社会」では(なお、この言葉はもともとはドイツ語のGemeinwesen だろう)、「自由」と「平等」はいかにして統合・統一されるのか、少しくらいは気にかけて欲しいものだ。
 いろいろな「価値」がある。それらがせめぎ合って、現在の社会や国家ができている。「自由」と「平等」だけではない(諸「価値」としてこの二つに加えてただ一つ「効率」=「便利さ」を挙げていたのが40歳代のL・コワコフスキだった)。生命尊重とか「民主主義」とか、次元や層の異なる諸「価値」もある。
 ++
 第三。上の「共同社会」への「本格的な展望が開かれ」たあと、どうなるのか?
 展望が開かれて、その「…共同社会」が実現・完成したとかりにしよう。
 その後について日本共産党綱領が語るのは、「人類史の新しい発展段階に足を踏み出す」ということだけだ。
 これでは、「真の」将来・未来の<科学的予見>には厳密にはならない。
 「人類史の新しい発展段階」とは何か? ここで再び原始共産制(・アジア的生産様式)→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義・共産主義という「歴史の発展法則」がまるで輪廻転生のごとく?反復するのではあるまい。
 「人類史の新しい発展段階」とは何か?
 そこでは、IT技術はどうなっているのか、脳科学あるいは生物科学はどう「変化」しているのか?
  情報通信技術の将来・未来は? ゲノム発見技術はどのように利用されているのか。「ガン」はとっくに克服されているのか?、「心不全」で死ぬ人はもういないのか? おや、人間の生も死も「消滅」するのか?
 ひょっとして、「人類史の新しい発展段階」に入って、人類・人間の歴史は「終わる」のか?
 いや、何かが「終わる」と、通常は、つぎの何かが「始まる」はずなのだが。
 ++
 もっと前の段階についてすでにある、「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」などという、完璧に空虚な言葉を、政党の綱領に掲げたりしない方がよい。
 日本共産党には、あるいはそれが依って立つその「主義」には、<思考方法>自体に、根本的に「狂っている」ところがある。「暴力革命」うんぬんといった低次元の問題ではない。
 日本共産党に対しては、こうした「言葉」に酔った「夢見ぶり」(夢想者ぶり)をこそ批判すべきだ。
 ——

2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 第12章の後半。原書、p.88〜p.93。この書に邦訳書はない。
 ——
 第12章・退屈について(On Boredom)②。
 (7)毎日の決まり事と単調さは、実際に退屈だったように見ることもできる。
 マス・メディアが好んで印刷したり放映する報道はいつも悪いことで、旱魃や飢饉、戦争や危機、殺人や大虐殺と全く同じようだと、我々はしばしば不満をこぼす。
 人々は、全くしばしば、悪いニュースだけがニュースなのだから、とその理由を答えるだろう。 
 スミス氏が通りで殺されれば、ニュースになる。
 だが、スミス氏が起床し、朝食を摂り、仕事に出かけて、また家に戻っても、ニュースにならない。つまり、これらは退屈なのだ。
 ジョーンズ氏が離婚すれば、ニュースだ(少なくとも彼の友人には)。だが、彼が妻と幸せに仲睦まじく生活していれば、ニュースではなく、退屈させるものだ。
 ニュースは、蓋然性がなく、予見し難いことで出来ている。そして、予見し難いことは、我々には、好ましくないことの方が多い。
 我々が世界の混乱から利益を得ることはない。
 人間の歴史は、予見不可能性や偶然との長い闘いだ。
 しかし、かりに偶然が全体として我々に好ましいものならば、我々の生活への偶然の影響を少なくしたいと思う何の理由もないだろう。
 スミス氏が宝くじに当たることもニュースだ。良いニュースだけれども。
 スミス氏にだけ良いニュースで、券を買って負けて、スミス氏が勝つのを許す残りの我々には、そうではない。
 そして、スミス氏にとってすら、宝くじに当たることは全体としては結局は悪いニュースだったことが判明する。//
 (8)例えばだが、人生の大部分を読書に費やす、我々のうちの好運な者たちは、総じて、関心を掻き立てる事物がなくて困るということはない、という意味で、退屈しはしない。 
 その者たちには、そのような事物はつねに、手の届く範囲内にある。
 実際のところ、ラジオ、テレビ、音楽その他の形態の娯楽をつねに利用できる世界で、いったい誰が退屈することがあるだろうかと、思うかもしれない。この世界では確かに、興味を抱かせる何かを見つけるのは十分に容易だ。
 だがなおも、我々はいつも、暴力をふるう若者の一団がいて世界中の都市で略奪し回り、通り道で何かまたは誰かを理由もなく破壊したり襲ったりしていると、聞いたり読んだりしている。そして、彼らは退屈しているのだと言って、彼らの振る舞いの理由を説明している。
 興奮させる映画を観る理由は、観ているのがフィクションであることを忘れることができない、あるいは行動に現実に参加していると感じることのできない、そのような消極的な気分で観ていることではおそらくない。
 テレビの英雄たちの最も刺激的な冒険ですら、じつに、一種の刺激物に対する我々の退屈や空腹感を増加させる。そして、不公平だとの感情すら生じさせる。「エリザベス・テイラーほどの金を、なぜ自分は持てないのか? 公正じゃない。」
 食べる物も着る物もあるが、豊かさはなく、映画スターなら持つだろうと想像する現実のまたは虚構上の冒険をすることのできない、貧しい若い人々がいる。このような人々に対して、我々はどうすればよいのか?
 我々は彼らの好奇心や刺激を求める気持ちを「建設的な」方向へと流し込む必要がある、と言うのは容易だ。そのようになれば、彼らは理由もない破壊行為や無意味の演奏会と喧しい騒音での集団的恍惚状態でもって自己を表現しはしないだろう、と。
 しかし、どうやって?//
 (9)好奇性は、退屈さと同様に、人間に独特の性質で、<とくに秀でた>人間の性質だ。
 肉体的必要を充足させて、脅威となる危険はないことが確実になった後ですら、世界を探検に向かわせる衝動を与えるのが、好奇性だ。
 言い換えると、我々を動物の状態を超える場所へと導くのが、とりわけこの性質だ。
 退屈さと退屈するという特性と同様に、好奇性と関心をもつという特性、つまり好奇の客体は、その客体についての我々の経験と客体それ自体のそれぞれの属性であり得るものだ。
 一方は、もう一方なくしては存在することができない。
 そして、「好奇性」と「関心をもつ」や「退屈さ」と「退屈している」はそれぞれ反意語かつ補完語であるがゆえに、退屈さは好奇性を求めて我々が払う代償だ。すなわち、我々が少しも退屈していなければ、我々はきっと好奇心を持たないだろう。
 言い換えると、我々のもつ退屈するという能力は、我々の人間性の不可欠の一部なのだ。
 我々は、退屈することができるがゆえに、人間だ。//
 (10)退屈だとの感情は、我々が当然に逃れることを望むものだ。そして逃れようとするには、破壊的形態と建設的形態のいずれも必要になり得る。
 破壊的形態は、しかしながら、より容易だ。
 例えば、戦争は、恐ろしいものだが、退屈させはしない。
 闘争心と戦いの中で生まれる本能は、退屈を防止する良い手段だ。そしてこれらは、多くの戦争の原因の中にあったに違いない。
 さらに加えて、退屈はしばしば反復によって生まれるがゆえに、我々の存在の根源にある興味が薬依存者のように尽きてしまい、多くのかつより強い刺激を絶対的に必要とするようなもの以上に、多く発生し得る。
 このような状況が何をもたらすかについて、語る必要はないだろう。//
 (11)我々が考察してきた現象のうち一つの個別の事例は、「退屈させる人」だ。
 退屈させる人というのは、叙述するのがきわめて困難だ。
 この人の退屈さは、彼の学歴やその欠如、あるいは彼の性格に関係はない。
 彼には、常時同じことを反復させる誰かが必要なのではない。
 退屈させる人は、重要なものとそうでないものを識別することのできない人物である可能性が高い。
 この人に関する逸話は、不必要で煩わしい些細なことでいっぱいだ。
 彼は、ユーモアと皮肉のいずれにも縁がない。
 彼は、他の全員が興味を失ったあとでも、長く一つの主題を奏でつづけるだろう。
 要するに、彼には人間の相互関係の通常のメカニズムが欠けているように見える。
 たぶんこのことの理由は、正確には、人間の意思疎通に必要な対照関係(contrast)を作り出すことができない、ということにある。
 そうだとすると、この人物は、私が概述してきた退屈という一般的概念には適応しないだろう。//
 (12)対立やストレスのない完全な充足の状態は、これを我々はユートピアと呼ぶが、かりに万が一生じるとしても、人間性の終わりを意味するだろう。
 なぜなら、人間性のうちにある好奇(curiosity)を求める我々の本能もまた消滅するだろうからだ。
 これが、我々の種(species)が現実にそうであるのとは異なり、ユートピアが決して建設され得ないことの理由だ。
 しかし、最近にFrancis Fukuyama が予言したように、「歴史の終わり」を、すなわち現存する政治諸制度に対していかなる別の選択肢も想定できず、戦争も貧困も、芸術も文学もない世界—要するに、全面的でかつ永続的な退屈の世界—を想像することができないのか?
 その見込みは果てしなくなさそうなので、深刻に悩む必要は全くない。だが、もしもあるとすれば、我々はこうするだろう。すなわち、絶望的になってまさに街中の略奪集団が選ぶような解決方法—それ自体が目的の破壊衝動—を探さないで、我々自身の退屈な生活をすぐには諦めない。
 これこそが、普遍的な人間の現象全てと同じく、退屈は利益にもなるし危険にもなり得る、ということの理由だ。//
 ——
 以上、第12章、終わり。
 下は、原書の表紙。
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2384/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 第12章へと進む。原書、p.85〜。この書に邦訳書はない。
 —— 
 第12章・退屈について(On Boredom)①。
 (1)退屈について語って、退屈させようとしているのではない。
 換言すると、私は簡潔でなければならない。
 退屈の問題それ自体は、退屈なものでも瑣末なものでもない。我々みんなが経験している感覚(sensation)に関係するからだ。
 極端な場合(例えば、感覚喪失を伴う心理実験)を除いて、退屈は楽しい感覚ではない。だが、それを苦痛と呼ぶこともできない。//
 (2)退屈は、美学上の性質に似て、経験し得るものと、経験した事物に帰属するものとの、両方であり得る。すなわち、私はある小説に退屈し得るが、その小説自体がまた退屈なものであり得る。
 ゆえに、ある人々が何のために「現象論理学」研究と称するのを好むかは、適切な主題だ。//
 (3)この言葉の日常的な用法を考えるとき、まず最初に気づくことは、我々がそのうちに経験する事物についてのみこの語を使っていることだ。
 かくして、演劇、演奏会、歴史論文や仕事は、全て退屈であり得る。
 我々はしかし、絵を描くことは退屈だと通常は言わないだろう。絵を描くのは、我々が一瞥すれば理解することだからだ。
 風景は、長い間それを見ていると、退屈なものになり得る。列車の窓から見える雪で覆われた平原は、その単調さと目立つものの欠如のために退屈なものになり得る。
 我々が経験する事物は、繰り返しが多いか、または混沌、無意味、支離滅裂かのどちらかの理由で、退屈であり得る(混乱や支離滅裂を描写する小説または戯曲は必ずしも退屈ではないけれども。Beckett やJoyce は好例だ)。
 そして、こうした事物に関する我々の経験が不変で連続していて、新しさの見込みがないために、その結果として何も新しいことが生じるのを期待できない、かつかりにそうであっても何ら気にしない、つまり我々に関しては期待することが全く起きないと思う、そういう世界にいると感じるときに、我々は退屈する。//
 (4)それ自体で退屈なものは何もない、と人は論じることができる。なぜなら、人々は世界の些少な違いにかなり異なって反応するのであり、退屈かどうかは、人々の過去の経験や現在の環境条件によるのだ、と。
 かつて面白いと感じた映画は、のちにすぐにもう一度観ると退屈になる。その映画の中で起きることはもうすでに我々に発生したからだ。
 音楽についてほとんど知らない人は、ブラームスの一定の交響曲に退屈するかもしれないだろう。だが、例えば、チャイコフスキーやパガニーニのバイオリン協奏曲、あるいはショパンのピアノ協奏曲には退屈しないかもしれない。一方で、音楽の知識が多い人は、そのような人の反応に同意せず、その人を無知だと非難するだろう。
 他者には魅力的な歴史論文であっても、その主題に習熟しておらず、関係もないために、私には退屈かもしれない。そうして、違いを感知して、今までになかった重要さや独自性を見極めることができなくなる。
 長期間にわたって決まりきった事として行ってきた人には退屈だと感じる仕事も、初めての人にとっては必ずも退屈でない。
 あるアガサ・クリスティの殺人事件小説は、我々が知らない言語で読もうとすれば、極端に退屈だろう。等々。//
 (5)退屈というものは相当の程度は我々の経験や世界に対する個人的な反応いかんによっている、というのは明瞭だと思える。また、これについては全員一致というものはない、ということも。
 ゆえに、ある何かはそれ自体で退屈であり得るか否かと問うことは、美学的特性はつねに我々の個人的反応の反射にすぎないのか、それとも、何らかのかたちで我々の知覚の対象、つまり「物それ自体」、の中に内在しているのか、と問うことにむしろ似ている。
 確かに、上の両者のいずれについても、同意も不同意もある。
 また、いずれの場合も、議論の性格は文化依存的(culture-dependent)だ。
 しかし、問題はたんに答えられないということかもしれない。つまり、こうした退屈の性格を知覚するときに心(mind)と客体(object)は相互に働き合っており、我々の知覚と知覚される客体の間の相互影響関係は、どちらが最初なのかを語ることを、いやそれを問うことすら、不可能にしているのかもしれない。//
 (6)我々は退屈について、普遍的な人間の現象であるのみならず—我々みんなにむしろ、例えばBaudelaire やChateaubriand〔いずれもワインの銘柄—試訳者〕に限定されるような、特権を与えてくれる感情—、人間に独特なものだとも考えている。
 我々は動物について、退屈を感じる生物だとは考えない。
 危険がなく、肉体的な欲求が充たされれば、彼らは何もしないで横たわり、活力をたくわえる。そして、彼らが退屈していると考える根拠はない。
 (我々がときどき想像するように、犬が退屈しているとすれば、それはたぶん、我々から退屈を学んだからだ。)
 いつ、我々人間は退屈という経験を最初に明確に語り始めたのかも、明瞭でない。
 この言葉それ自体は存在していたとしても、19世紀より以前の文学上や哲学上の文章の主題ではなかったように見える。
 伝統的な原始的村落で、農民たちは、生存し続けるために明け方から夕暮れまで同じ場所にいてこつこつと働いた。そのような毎日繰り返す仕事の同じさに、彼らは退屈していただろうか?
 我々はこれへの答え方を知らない。だが、ほとんど時間を超えた、変化する見込みがないその農民たちのような運命ですら、退屈という恒常的な感情を誘発することがなかった。
 日常から生まれて継続するものがあった。子どもたちが生まれ、死んでいき、隣人たちは姦通し合い、干魃や激しい雷雨があり、火事や洪水があった。予期できない、神秘的な物事全ては、危険なものも慈悲あるものも、彼らの存在の単調さを救い、自分たちの生活は予測し難い運命の気まぐれに掴まれている、と感じさせたに違いない。//
 ——
 ②へとつづく。

2383/L・コワコフスキ「暴力について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 邦訳書はない。一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
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 <背信>の項で、著者=L・コワコフスキは自分の(国内での教育と研究発表の場を剥奪されても形式上は)「自由」意思で母国・ボーランドから離れたことをある程度は意識していると想定される(党からは一方的除名だったので、そこに「自由」はなかったと見られる)。
 この<暴力>の項の最後の部分では、自ら援助・協力したポーランドの「連帯」運動が意識されていると見られる。以上、ほとんど行なっていない、試訳者の解説・注記もどきのもの。
 —— 
 第11章・暴力について(On Violence)②。
 (7)正当化される暴力とそうでない暴力の区別は、特定の多数の事例については明確だけれども、そう簡単に見極められるものではない。
 しつけの定期的な一部である子どもへの体罰は、疑いなく不必要な暴力だ。だが、子どもたちが自分を傷つけるのを阻止するために小さな子どもに我々が課す多様な肉体的制約を、暴力だと叙述することはしない。
 洗脳(indoctrinaton)はどうなるのか?
 我々の信条を、抵抗する精神的な力をもたない我々の子どたちに課すのは暴力か?
 我々の文化について子どもたちに教えるとき、我々は洗脳をしている。
 これは避けられないことだ。
 では、洗脳には善と悪の二つの形態がある、そして後者だけが暴力だと叙述されるべきだ、と言わなければならないのか?
 しかし、我々がかりに正しい信条、原理、規範だと考えるものを基礎にして善の洗脳と悪の洗脳を区別するとすれば、我々の暴力の定義は、我々自身の世界観にもとづくことになるだろう。そしてそれは、きっと良いことではなさそうだ。//
 (8)非肉体的な強制を一般に、「道徳的暴力」だと叙述することができるか?
 脅迫は、明らかに暴力の一例だ。
 おそらくは政府に何がしかの譲歩を強いることを意図してのハンガー・ストライキは、より明瞭でない事例だ。
 それがかりに非人間的な刑務所の条件に抗議するために行われるのであれば、我々はおそらく、正当視できると考えるだろう。受刑者が行うことのできる、唯一の抗議の形態なのだから。
 しかし、民主主義的政府に政治的譲歩を強いる手段としてそれが行われるのであれば、我々はおそらく、それを暴力の一形態と呼ぶだろう。//
 (9)正当化される暴力とそうでない暴力を区別するためには、我々はそれが用いられる目的を評価することができなければならない、ということが明らかだと思われる。
 その目的が問題なく価値がある場合には、当該目的を達成する方法が他にない<とするならば>、その暴力は正当化されるものと考えることができる(つねに賢明ではないとしても)。
 例えば 専制に対しては、暴力を用いてのみ闘うことがことができる。そして、キリスト教神学者ですら、専制者を殺すのは正当化されると主張した。
 全体主義国家で、非暴力的だが成功した闘争を我々は見てきた。だが、その闘争の成功は、全体主義がすでに相当に弱体化していたときに生じた。
 全体主義が強くて、何事もなく苛酷でいることができていれば、非暴力の闘争は、成功する可能性がなかっただろう。体制側は、初期の段階での不服従の試みを鎮圧し、その試みの報せが伝搬するのを抑止する手段をもつていたのだから。//
 (10)暴力の行使を正当化することのできる目的は、明確で、十分に画定され、そして明瞭に定義されていなければならない。別の国家に従属している国の独立の獲得、暴君の殺害、犯罪者に対する制裁。 
 1960年代の青年運動の参加者たちは、「選択肢のある社会」(どのようなものかを彼らは正確には語れなかったが、彼らには関心よりも誇りの問題だった)を建設するために「革命的暴力」と称するものに訴えた。
 だが、いずこにも正当化を見出し得なかった。
 かつまた、彼らの教師たちも、とりわけサルトルやマルクーゼだが、何ら正当化されない。
 彼らはたんに、民主主義的諸制度を破壊して自分たちの専制体制を確立する、という欺瞞的な展望をもて遊んだにすぎない。
 幸いにも、彼らは成功しなかった。
 しかし、同じ時期に、共産主義諸国にいる他の者たちは、武器としての言葉だけでもって、専制体制と闘っていた。全ての暴力は、体制の側にあった。
 最後には、彼らの闘いは成功したと判った。その闘争は人々の思考方法をゆっくりと変え、人々に恐怖は克服されるということを示し、体制のウソと無法ぶりを暴露した。
 彼らの場合は、何らかの形態での暴力の行使は正当化されただろう。たぶん、効果的ではなかったけれども。//
 (11)暴力ではなく言葉を求める、と言うのは容易だ。しかし、誰もまだ、そのような世界をつくる分かり易い処方箋を見つけてはいない。
 全ての暴力を絶対的かつ無条件に非難することは、生活(life)を非難することだ。
 しかし、暴力が犯罪、隷従、侵略および専制に対してのみ向けられている世界は、これらの消失を求めるために、非合理的なものではない。そのような結末の蓋然性を疑う、多くの十分な根拠があるとしても。//
 ——
 第11章、終わり。

2382/L・コワコフスキ「暴力について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれている。邦訳書はない。
 第11章へと移る。一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
 —— 
 第11章・暴力について(On Violence)。
 (1)暴力は文化の一部であり、自然の一部ではない。
 鳥が昆虫を飲み込むとき、あるいは狼が鹿に咬み付くとき、我々はこれらを暴力の行為だとは言わない。
 動物の権利を狂信していなければ、エビを茹でることは暴力だとも言わないだろう。
 我々は「暴力」という言葉を人間との関係でのみ用いる。
 人間だけが暴力を行使し、その被害をうける。
 暴力行為を行うことは有形力(実力、force)を行使することであり、有形力で脅かすことは人々を一定の態様で行動させたり、一定のことを阻止したり、あるいはたんにそれ自体を目的として人々を苦しめることだ。//
 (2)我々のほとんどは、有形力の正当な行使と不当な行使とを区別する。例えば、警察、裁判所、および法的制度のような国家の装置は、我々が犯罪だと考える一定の類型の行動を阻止したり制裁を課したりするために、有形力の行使が正当化される。
 しかしながら、国家による有形力行使を含む、全ての形態の暴力を非難する人々がいる。法による制裁が何もない世界を想定するのは困難だけれども。
 全ての形態の暴力は間違っていると考える人々は、イエスが悪魔に反抗しないでもう一方の頬を向けよと語った山上の垂訓を引き合いに出して、自分たちの信念を正当化しようとする。
 しかしながら、イエスは、個人について、かつ個人が他者の暴力にさらされているときの対処方法についてだけ、語っていた。彼自身の殉教と死の例で言うと、怖れることなく確信と精神的強さをもって、暴力に対して暴力で返すのを拒否することができる、そしてなお世界を克服することができる、と我々に示したのだ。
 イエスは国家の働きについて語っておらず、政治的な教義を残してもいない。
 世界の終わりは切迫していると、彼は確信していた。受容しつつも、いつそれが訪れるかは知らなかったけれども。
 しかしながら、彼自身が、神殿から金貸しを追い払うとき、暴力に訴えた。//
 (3)暴力は、まさにその最初からずっと、人間の歴史の抹消できない一部だった。
 戦争も同様で、これはたんに集団的な暴力を組織化したものだった。
 戦争と暴力は良いものと考えられるべきだ、と言いたいのではない。
 そうではなく、これらを自然であるばかりか有用な生活の一部だと考えてきた多数の人々がいた、ということだ。この人々は、多くの美徳を注ぎ込むものとこれらを考えてきた。勇気や自分の種族のための犠牲精神のような美徳。
 彼らにとって戦争は、若者の中に精神の気高さ、英雄主義、耐久力を育む最良の方法だった。
 今では、勇気は疑いなく良いものだが、かつての人々にとって、その際に役立つまさしく美徳を発展させる機会を与えてくれるがゆえに、戦争は良いものだった。
 言い換えれば、いつも戦争があったというだけではなく、将来もつねにそういうものだと、彼らは考えていた。//
 (4)多様な形態での暴力は我々の運命にある恒常的な部分でありつづけるだろう、と言うのがかなり安全であるために、戦争もまた行われつづけるだろうと言うことが可能だ。
 戦争は現実に行われつづけるだろうと考える、十分な根拠がある。
 戦争とは、かつての敵の種族の存在のみならず、例えば水や農場の利用に関する純粋な対立の進展をも含んでいる。人々の居住密度が耐え難くなり始めたときの、いろいろな種類の領土や領域の利用に関する対立も、その例だ。
 しかし、戦争それ自体を美化することは、第二次大戦とその全ての恐怖を経験した圧倒的大多数の人々には、間違いなく理解し難いことに違いない。
 Pierre Proudon は、のちにGeorges Sorel は、なおも戦争を称賛することができた。しかし、Ernst Jünger のような後の世代の人々がそうしたとき、彼らが想定していたのは、第一次大戦だつた。//
 (5)今日では、戦争それ自体が称賛されるのをほとんど聞かない。
 アフリカでの際限のない種族虐殺やボスニアの恐怖によって、戦争芸術に魅力を与える根拠はほとんどなくなっている。
 そして、第一次大戦後には世界のほとんどどの一角でも起きていた大小の無数の戦争があったが、民主主義諸国の間では一つも戦争は発生しなかった、というのは意義深いことだ。
 というのは、戦争は専制(tyranny)から生まれるものだからだ。
 世界の民主主義諸国には、疑いなく豊富な良心の呵責があつた。そして、主権の政策として有形力の行使に頼ることを熟知してきた。
 しかし、諸国は相互の間で戦争を起こすことをしなかった。
 民主主義諸国はその代わりに、紛争を交渉と妥協で解決するメカニズムを生み出した。
 そして、このメカニズムにはときに恐喝や欺瞞が含まれるが、大規模の殺戮し合いを包含するものではなかった。
 アテネとスパルタの間の対立を我々が固定観念とする(stereotype)十分な理由がある。すなわち、我々の文化は本当にアテネに由来しており、それは若者に(むろん市民で、奴隷ではない)詩、哲学、芸術を教えた。軍事技術が主要な教育科目だったスパルタに由来してはいない。—アテネでも、国家の政治を習熟させたけれども。
 暴力は我々の生活の不可避の一部かもしれず、我々はつねにそれを予期しなければならない。
 しかし、暴力を悪魔扱い(lacedaemonize)する—換言するとスパルタ市民のように考える—、あるいは暴力を不幸な必要物にすぎないと見なす、そのような理由は存在しない。//
 (6)理論上は、正当化された暴力とそうでない暴力を区別すること、あるいはこの区別の特定の例を挙げると、防衛的戦争と攻撃的戦争を区別することは、相当に単純なことのように見える。
 しかし実際には、明瞭な状況というのは少ない。
 もちろん20世紀には、「侵略の犠牲者」だけはあった。
 どの国も自らを攻撃者と呼ぶのを好まなかった。侵略の行為には、ナツィ・ドイツの場合(支配する人種のための「生命空間」の必要)やソヴィエト同盟の場合(戦争は社会主義国家が行うならばつねに正当化されるというレーニン主義の原理的考え方。そこでは社会主義国家は「進歩的階級」の具現物で、誰が戦争を開始したかは重要ではない)のように、イデオロギー上の根拠があったとしてすら。
 一定の場合には、攻撃者を識別するのは容易だ。すなわち、1939年のドイツ、1941年の日本、そして再び1956年のハンガリー、1950年の北朝鮮。
 他の場合には明瞭さはより少ない。
 「誰が開始したか」を決定することは、遊び場での子どもたちの取っ組み合いを種別化するがごとく、困難だ。
 (「彼が最初にぼくを押した!」—「でも、彼がぼくを最初に蹴った!」—「でも、彼がぼくを最初に押した!」—「それは彼がぼくをブタと呼んだからだ!」—「ウソだ。彼が最初にぼくの名を呼んだんだ」、等々。)
 ——
 ②へとつづく。

2381/L・コワコフスキ「背信について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれている。邦訳書はない。
 一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
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 第10章・背信(裏切り)について(On Betrayal)②。
 (8)我々は、何の分類もなくして、当該の国家が正統なものでないならば背信は許される、と言うことすらできない。なぜなら、国家の正統性(legitimacy)という規準は、決して明瞭ではないからだ。
 国際法では、いわゆる国際共同体で、換言すると国際連合(the United Nations)によって承認されているならば、その国は正統だ。
 しかし、国際連合によって承認された国家の中には、最悪の専制的体制や、その国民の大量殺戮を行なっている国家もある。
 このような国家に対する背信は、非難ではなく賞賛に値するように思えるだろう。
 イデオロギーが規準であるために、そしてイデオロギーは様々であるために、何が背信となるかについての合意は存在し得ない。
 民主主義諸国に反対して共産主義専制体制のためにスパイをしたソヴィエトの工作員たちは、たいていは、少なくとも共産主義体制の初期の時代にはイデオロギー上の理由を動機としていた。
 のちになって、金銭または脅迫あるいはこれら両者がイデオロギーに取って代わった。
 さて、このような人々—例えばCambridge スパイ網—は、理由がイデオロギー上のものだという理由で正当化され得る、と我々は言うべきなのか?
 かりにそうではなく、そのイデオロギーが間違っているか、または犯罪に該当する場合にはどうか?
 困難さがあるのは、明瞭だ。
 イデオロギー的動機はしばしば感情的なものにすぎないことが判っている。
 そして感情を正当化できるならば、我々がしたことの全てが正当化されるだろう。そして、悪いものとしての背信という観念は、その意味を失う。//
 (9)だがしかし、背信という観念に含まれる曖昧さをたんに指摘するだけでは、満足できないところがある。
 我々は背信という観念をまさにその本性から生じる行為として必要としていると感じているという理由で、問題を放置することには我々は同意しない。
 そしてそれがもつ我々にとっての重要性のゆえに、明確にすることができるようにすべきだと感じる。何かの哲学や政治的イデオロギーによって相対的にではなく、絶対的に、正しいか間違いかの明瞭で簡潔な言葉を用いることによって。
 例えば、内密に語られた他人のことを、自分の個人的な利益の獲得のためであれ、娯楽のためであれ、暴露する人々は、明らかに背信であって有責だ。
 実際に我々はこのような人々について、「信頼を裏切った」と語る。
 個人を対象にしているこのような場合では、誰かが背信したか否かを決定するのはかなり容易だと我々は考える。
 背信の行為が許されても、それにもかかわらず、それは背信の行為であるままだ。St, Peter は危急の場合に非難したことを君主と救済者に許された。だがなお、その継承者と教会の設立者として指名された。  
 この事件の神学上の解釈は、しかしながら、ここでの我々の関心である必要はない。//
 (10)政治的な背信または反逆は、多くの理由で、もっと曖昧な観念だ。
 第一に、政治では正しいか間違いかを明確には区別し難いため、第二次大戦のような明瞭な状況は滅多に発生しないからだ。
 第二に、その結果として、我々はしばしば大きな悪と小さな悪とを見極めなければならないからだ。
 かくして我々は、共産主義と戦争の結果に関して全てを知っているにもかかわらず、戦争中にソヴィエトの情報機関のために働いた人々はドイツに反対して仕事をしたのだから、また当時のナツィ・ドイツは最大の悪魔で最大の脅威だったのだから、良い教義のためにに奉仕したのだと結論づけるように強いられる。
 そして第三に、人々の動機は、水をさらに汚すからだ。悪の教義であることを理由としてではなく個人的な利益を得るために悪の教義に背信する人々は、我々の尊敬には値しない。
 他方で、個人的利益のためではなくイデオロギー上の理由で悪の教義に奉仕する人々は、その教義が本当に悪だと相当に明瞭ならば、正当化されない。
 要するに、政治には絶対的に善であるようなものはなく、そのためにできることは我々にはない。
 このことはつぎには、政治には絶対的な悪のようなものはないと、推測させるかもしれない。
 しかしながら、これはより疑わしい。//
 (11)さて、人々が特定のある行為は背信かどうかに関してしばしば同意できないだろうというのは、かなり確かだ。
 しかし、背信の被害者が国、国家や教会ではなく個人である場合について論じるのは容易だと言えるとすると、それはこの場合は我々は多少とも何が重要で、何が維持されるべきかを知っているからだ。
 それを知っており、かつ維持するならば、背信の被害者が国、国家や教会である場合についてもまた、論じるのが容易になるだろう。//
 ——
 第10章、終わり。

2378/L・コワコフスキ「背信について」(1999)①。

 L・コワコフスキの以下の著の<第3章・平等について>と<第13章・自由について>の試訳を終えた。
 生じる感想の大きな一つは西尾幹二のつぎの著(・部分)との間のとてつもない違いだ。同じまたは類似の言葉・概念を使った文章でも、基礎にある人間観・思考方法・法や政治に関する「素養」等々のあらゆる点が異なる。
 西尾幹二のあまりのひどさを再確認する。
 ①西尾幹二・国民の歴史(初版、1999)第34章「人は自由に耐えられるか」。
 ②西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)第1章「自由の二重性」・第2章「資本主義の『自由』の破綻」・第3章「…—自由と平等のパラドックス」。
 <平等>はとくに第3章が関連。上の計三章で新書版で計約150頁にもなる。
 例えばつぎの文章の(コワコフスキの短い文章とすら比べての)幼稚さはいったいどういうことか?
 同p.119—「…『自由』と『平等』の矛盾相克の関係にひとまず目を注いでおくことが本書の必要な課題でもありましょう」。
 同p.154—「…オバマは『平等』にこだわりつづけ…。トランプは…『自由』の自己主張の復権を唱え…。二人の…ページェントがこれから、何処に赴くかは今のところまだ誰にも分かりません」。
 これらのほとんど無内容さと、試訳済みのL・コワコフスキの文章の内容とを比べていただきたい。なお、コワコフスキは<日常生活に関するエッセイ>として書いているが、西尾幹二は馬鹿らしくもまるで<思想書>のごとくして書いている。
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 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれている。邦訳書はない。
 第1章〜第4章の「権力」・「名声」・「平等」・「嘘つき」についで、第13章の「自由」も終えた。
 著者本人の選択かどうかは不明だが(少なくとも事後了承はしているだろう)、この書全体の表題には、18の主題のうち<自由・名声・ 嘘つき・背信>の4つが選ばれている。そこで、残る「背信(裏切り)」に関する章を試訳してみる。
 一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
 —— 
 第10章・背信(裏切り)について(On Betrayal)。
 (1)我々はみんな、ある民族(ethnic)共同体の一員として生まれる。
 我々がその共同体の一員であるというのは、我々とは無関係の事実だ。すなわち、我々は、家族を選ぶ以上には、自分の国(nation)を選択していない。
 一方で、我々がのちにもつ人々との—社会的、政治的、職業的あるいは性的な—関係は、たいていは、我々自身による選択の結果だ。//
 (2)我々が生まれて入る立場は、我々の意思とは無関係に、我々に事実として提示されるがゆえに、拘束力ある義務的なものではない。換言すれば、責任を伴わない。
 結局、我々は、国の一員になると署名しなかったし、両親にこの世に生まれることを頼みもしなかった。
 ゆえに、我々は自分で選択した関係にのみ拘束される、と考えてもよいだろう。
 しかしながら、現実には、我々には反対のことを感じる傾向がある。つまり、我々の国と我々の家族に対する無条件の忠誠が義務づけられていると感じる。そして、それらに対する背信(betrayal)は最悪の罪だと見る。
 しかし、承認されないことを怖れる気持ちなくして、我々は、自分で自由に選択した人間関係—例えば、政治的組織の構成員たること—を放棄するのは自由だと感じる。//
 (3)これら二つの間のどこかに入る我々の忠誠の第三の形態は、教会または宗教共同体に対するものだ。
 我々の宗教的帰属は、われわれの血の中にあるものではなく(St. Jerome が言ったように、人々はキリスト教徒として生まれるのではなく、キリスト教徒となるのだ)、圧倒的多数の場合は、我々が生まれた環境によつて決定されている。
 そして、生まれてすぐにキリスト教の赤児になるのが慣例だ。例えば、ローマ教会でのように、人々はほとんどつねに、両親の宗教を採用する。
 転宗または棄教は、したがって、その人の元来の宗教共同体から非難される。
 イスラムでは、転宗または棄教は、例外なく死の制裁を受ける罪だ。//
 (4)しかしながら、選択によってではなくたまたま出生によって帰属する共同体に対する背信はそれほどの苛酷な非難を伴うはずだ、ということに驚いてはならない。
 国(nation)は、個人のように、人間が企図して作ったものではなく、自然の産物だ。そして、そのようなものとして、それ自体の存在を正当化する必要はない。
 たんに存在するがゆえに、それは存在する。これ自体が、正当化となる。
 個人の場合と同様だ。個人の存在は、それ自体の正当性を含んでいる。
 我々が国に帰属していることは、それが我々自身の選択の結果ではないというかぎりで、我々の内部につねに同行させていることだ。
 その正当性を拒絶したり否認したりすれば、まるで我々は国自体を無効なものとしている(annihilate)がごとくになる。//
 (5)このことは、教会(上述のように我々自身の選択という範疇に入るのだが)や政治的団体のような、我々が選択によって帰属する団体にはあてはまらない。
 これらの団体は、その存在を正当化する必要がある。特有の目的のために存在し、その有効性(validity)はその目的を達成することにあるからだ。
 教会は、真実を広く伝搬し、真実の救済に必要な物を配分する目的をもって存在する。
 政治的団体も、彼らの真実を広く伝搬し、宣言した目的のために活力を制御する目的をもって存在する。—すなわち、理想的世界を建設し、敵を破壊することによって一時的な救済を獲得するために。または少なくとも、あれこれの具体的政策を通じて人類の運命をより良くするために。
 ある特定のセクトに入っていると想定しよう。
 あるときに、私は欺されていたと気づく。セクトの長はペテン師だと判明する。自分は神だと称して、人々から金を巻き上げたり性的な利益を受け取るパクリ屋だと。
 それで私は、そのセクトを去る。—言い換えると、背信する。
 同じように、もしも政党の本当の狙いは自由ではなく隷従だと気づくならば、私はその政党を離れることができ、そして、政党に対して背信する。
 このような場合に「背信〔裏切り〕」という言葉は、当該のセクトまたは政党の構成員によってのみ用いられる傾向がある。これは中立的な言葉ではなく、非難を含んでいるからだ。
 我々のほとんどは、非良心的な馬鹿者が設立したセクトを離れたという理由で、あるいはファシスト党や共産主義者党を去ったという理由で、その誰かを非難しようとはしないだろう。 
 「背信〔裏切り〕」という言葉を我々が用いるとき、背信された団体は何ら良いことに値しないのだから「背信」は良いことであり得る、という可能性を排除している。これには、賛同することができない。//
 (6)述べることができるのは、背信されたことまたは人に関する我々自身の見解だけが、ある特定の行為が背信なのか、そうでないかを決定するよう我々を誘導している、ということだ。
 戦争中に連合国のために働いたドイツ人は、彼の国、ナツィ国家の敵に協力していた。しかし、我々はその人物を「背信者(裏切り者)」とは呼ばない。
 反対に我々は、正当な信念を守ろうとする勇気を示した、と考える。
 換言すれば、ある特定の行為が我々の道徳上の義務だとあるいは少なくとも道徳的に正当だと考えるものに従えば、背信なのかそうでないかを、我々は決定している。//
 (7)しかしながら、このような説明は曖昧さという紛糾の中に我々を巻き込むということが、ただちに明白になる。
 なぜなら、我々は、背信という概念にすでに我々自身の道徳上のまたは政治上の見解を含ませており、かつまたこれらは必ずしも明確ではない。だが、その概念上の理由だけで、ある背信の行為は道徳的に正当であり得ることを認める気持ちに我々はなれないからだ。
 我々の忠誠心を期待することのできる権利をもつ誰かの死の原因を故意に作り出すことは、とくに瞠目すべき、かつ 嫌悪を催す背信の一例だ。そしてこれが、ユダとブルータスがいずれもダンテの地獄の最底辺に置かれることの理由だ。
 しかし、ヒトラーもまた確実に、彼の将軍たちからの忠誠心を期待する権利を持っていた。だがなおも、我々はヒトラーを殺そうとした将軍たちを同じ場所に追いやらないだろう。//
 (8)この困難さから抜け出す方法は、こう言うことだ。すなわち、国(nation)と国家(state)は別の異なるもので、おなじ名前の国にいても、我々は悪の道具である国家を拒絶または裏切ってよい、たとえその国家に主権があり、第二次大戦後の東および中央ヨーロッパはそうでないが、ヒトラーのドイツやスターリンのソヴィエト同盟のように、国の大多数が支持しているとしても。
 今日と現今の時代では、「私の国は正しい、または間違い」とたんに繰り返しつづけることは困難だろう。
 19世紀には、これは容易だった。いかほどに正しさや間違いがあっても、王や国に対する背信は間違いだと人は感じていた。もちろん、その国が本当にその人自身のもので、外国の権力に占領されていないかぎりで。
 しかしながら、20世紀には、規準はもはや伝統や国への忠誠ではなく、イデオロギーにある。つまり、イデオロギーが正しいならば、叛逆(treason)は叛逆ではない。//
 ——
 ②へとつづく。
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2375/L・コワコフスキ「自由について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれている。邦訳書はない。一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
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 第13章・自由について(On Freedom)②。
 (7)この意味での自由は、これをゼロにまで減少させることができるとしても、逆に無制限ではあり得ないとということを理解するのは困難でない。
 社会理論家が言う仮定の「自然状態」、誰もがつねに相互に闘い合っている、全ての種類の法や規則が存在しない状態は、これまで決して存在してこなかった。
 しかし、かりに存在したとしても、それは無制限の自由の状態ではないだろう。
 そのような状態では全てが許される、と言うのは正しくないだろう。何かは許されることがあるのであり、またそれは法によってのみではないのだから。
 そして、法がないところには、自由はない。つまり、この言葉は単直に意味を失う。
 自由とは、我々の世界では、つねに条件づけられているものだ。
 ロビンソン・クルーソーは無制限の自由を享受しなかった。彼はじつに、あらゆる意味での自由を享有しなかった。
 自由は、大きかろうと小さかろうと、何かが許される一方で別の何かが禁じられるところでのみ存在し得る。//
 (8)第一次大戦前からあったに違いないつぎの冗談は、おそらくこのことを明瞭にすることができる。
 「オーストリアでは、禁止されていないことは、全て許される。
 ドイツでは、許されていないことは、全て禁止される。
 フランスでは、禁止されていることも含めて、全てが許される。
 そしてロシアでは、許されていることも含めて、全てが禁止される。」//
 (9)「自由」という言葉のこれら二つの意味はきわめて異なるけれども、そして一方を享受できるが他方はそうでないということもあるが、それにもかかわらず、両者のために同じ言葉を用いることのできるほどに、この二つは近接している。
 いずれも、選択の可能性に関係している。すなわち、第一の意味での自由は、人間として選択して創り出すまさに我々の力だ。この能力は現実に我々の前に開かれている選択の範囲については、何も前提条件にしていないけれども。
 第二の意味では、自由は、社会と法が我々自身が自由に選択することを認めている領域だ。//
 (10)自由について語るときにしばしば生じている二つの誤りについて知っておくべきだ。
 第一に、自由を、我々の願望や正当な要求だと考えているものの充足と混同してしならない。
 「苦痛からの自由」あるいは「飢餓からの自由」について語るのは何ら過ちではない。痛みや飢餓に苦しまないことは、じつに我々人間の最も基礎的な要求だ。
 にもかかわらず、これらの要求が実現するときに、何らかの特有な自由を享受する、と言うことはできない。
 この場合に「自由」という言葉を用いるのは、選択とは何の関係がないがゆえに、誤解を招く。
 選択する自由の範囲または選択し創出する我々の力について、語っているるのではないからだ。
 苦痛は除去されて嬉しいものだ。なくなれば、それでよい。
 苦痛が除去されるのはとても望ましい、良いことだ。
 一個のりんごを飢えた者が、睡眠を疲れた者が、何らかの全てのものを、我々はある特有のときに欲しがる。
 しかし、痛みがなくなったりりんごを食べたりすることは、自由の一種ではない。たんに望ましい物事にすぎない。
 (飢餓がない集中収容所を想像できるが、リベラル民主主義は別のものを与える一方で、収監者に一定の自由を与えていると言うだろうか?)
 我々の世紀の、そして過去の世紀の多くの人々が、言葉の適切な意味での自由のために生涯をかけて闘ってきた。そのために、誰かが欲しがるもの全てを含むまでにその意味は広がって、この観念の把握の仕方が曖昧になり、この言葉は全く意味を持たないようにまでなった。
 この観念の根底が、削り取られてしまった。
 「〜からの自由」と「〜への自由」の区別は、無用のものだ。//
 (11)自由に関して語るときに知っておくべき第二の誤りは、第二の、法的意味での自由は、我々の他の必要や欲求が達成されなければ無意味だ、と思ってしまうことだ。
 この誤りはしばしば、共産主義者たちが行う想定だ。
 彼らは問うものだ。「飢えて、失業している者に、政治的自由はどれほど重要なのか?」
 そう、重要なのだ。
 飢えは政治的自由の欠如よりも切迫していると感じられるかもしれないが、この自由が存在するならば存在しないときに比べて、飢えも失業もその状態を改善する可能性がはるかにある。この自由は権利のために闘うよう人々を組織し、彼らの利益を守る。//
 (12)「自由」の旗のもとで全ての善なる財物を欲しがるのは不適切だが、疑いなく、法的意味での自由は、それ自体が、きわめて望むに値する財物だ。
 さらに、自由はそれ自体が善なる財物であり、たんなる他の財物を獲得するための道具または条件ではない。
 しかしながら、このことは、(ここでの意味での)自由は多いほど良い、という原理的考え方を無制約に受容してよい、ということを意味しはしない。
 我々のほとんどはたぶん、魔術や同性愛のようなかつて犯罪と見なされた一定の活動が、少なくとも文明国家ではもはやそうは見なされないのは良いことだと感じている。
 しかし、まともに思考する者は誰でも、たまたま自分が好むように道路上の右側または左側を運転する権利を要求しはしないだろう。
 ますます頻繁に、またそうした国の数も増えていることだが、学校の生徒たちは自由を多く与えられ過ぎて紀律が不十分だとか、その結果として彼らの勉強だけではなく議論の教育や公民教育に悪い影響が出ているとか、言われているのを聞く。
 子どもたちは小さいときからあり得る最大限度の自由が与えられるのを望んでいるのかは、全く定かではない。
 欲求は自然に、年齢とともに増える。だが、小さな子どもたちは大人たちの権威を全く自然に受容するものであり、総じては自分たちが選択するのを認めてくれるように要求したりはしない。
 成人である我々自身も同様に、とくに自信がないときには、一定の選択を他者に委ねることができてしばしば安心する。また、専門家の助言に従って行動するのを選ぶだろう。—必ずしも全ての専門家が信頼できるのではないとしても。
 正しく選択することはしばしば正しい情報があるかどうかにかかっていることを我々は知っており、選択する場合に頼ることのできる全分野に関する知識を十分に持っているとは、誰も言うことはできない。
 我々には選択する自由がある。しかし、慣れ親しんでいない問題に無駄にかかわることを好みはしない。//
 (13)要するに、どの程度の範囲の自由が我々にとつて良いかを正確に決定するために用いることのできる一般的な規準は存在しない。
 我々はときには、自由が十分でないのではなく多すぎる、一定限度を超えた自由は有害であり得ると、正当に考えることができる。
 この点で言うと、疑いなく、多すぎることは不十分であるよりも安全だ。そして、法により授けられる自由の多さを警戒するよりもむしろ、<自由性>(liberalty)の側に立って法が逸脱することについて、より思慮深い方がよい。
 しかし、この原理的考え方もまた、無条件に受容されることはないだろう。//
 ——
 第13章、終わり。

2374/L・コワコフスキ「自由について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれている。邦訳書はない。
 第1章〜第4章の「権力」・「名声」・「平等」・「嘘つき」を終えて、<第13章・自由について>へと移る。
 一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
 ——
 第13章・自由について(On Freedom)。
 (1)自由の問題を対象とする思想には、大きな二つの分野がある。
 これら二つは、明確に別のもので、相互に論理的には独立したものだ。その程度はじつに大きいので、実際には同じことを論じていると疑っても許容されるほどだ。
 第一は、太古からある人の思想上の潮流で、人間(human beeing)としての人の自由(freedom)という問題を論じてきた。
 この潮流は、人はその人間性(humanity)だけの理由で自由(free)なのか、言い換えると、自由な意思と選択の自由をもつから自由なのか、という問題を論じてきた。
 第二は、社会の一構成員としての人の自由を対象とし、我々が<自由>(liberty)とも称する社会的な行動の自由(freedom)について論じる。//
 (2)人はまさに人間性の本性からして自由だと我々が言うとき、我々がとりわけ意味させるのは、人は選択することができる、その選択は、人の良心の及ばない力(forces)に全体として依存しておらず、またそれによって不可避的に生じたのでもない、ということだ。
 しかしながら、自由とは、すでに存在するいくつかの可能性の中から選択する力(capacity)のことだけではない。
 自由とは、全く新しい、全く予見できない状況を作り出す力でもある。//
 (3)我々の歴史の中でずっと、この意味での人の自由は、断言してよいだろうようにしばしば、否定されてきた。
 議論は、全く同一ではないけれども、一般的決定論(determinism)に関する論議にかかわる。
 かりに全ての事象がその条件の総体によって全体的に決定されているとすれば、自由な選択の可能性は発生すらしない。
 しかし、かりに普遍的な因果関係が本当に変え難いものであるなら、むしろいくぶん逆説的な結論へと至り得るだろう。
 なぜなら、もしも何かがその条件によって全体的に決定されているなら、その何かはまた、原理的には(実際には必ずというのではないが)予見することができる。
 そして、厳格な決定論が正しいとするなら、我々は、こう想像することができるだろう。我々の予知能力がいったん十分に完全なものになれば、朝の新聞を開き、つぎのような報道を読む。
 「昨夜、Twickenham で、有名な作曲家のJohn Green が生まれた。
 明日、ロンドン交響楽団は、彼が37歳のときに作曲する交響曲第三番を演奏して、この誕生を祝うだろう。」//
 (4)物理学者、そしてたいていの哲学者が、厳格な決定論を信じた時代があった。これが、科学的で理性的な思考の本質的な定式だったときがあった。
 これを支える証拠は何もなかったけれども、平易な常識の問題だと考えられ、自明の真実なので狂人だけが疑うものだとされた。
 我々の世紀では、量子力学(quantum mechanics)が、もっと最近ではカオス理論(chaos theory)が、こうした信念を打ち崩すために多くのことをなした。そして、物理学は、決定論のドグマを捨て去った。
 量子力学の発見は、もちろん、人は自由意思をもつということを必要としない。—つまり電子には自由意思がない。しかし、少なくとも物理学は、自由意思の存在への我々の信念を馬鹿げたまたは非理性的なものとは見なさなかった。
 そして本当に、このいずれでもないのだ。
 我々は自由意思を信じてよいのみならず、信じる「べき」だ。先に既に私が定義したような意味で。つまり、選択することができる力としてのみならず、新しい可能性を生み出す(create)ことのできる力として。
 この意味での自由の経験は全ての人間にとって基本的なことなので、とくに切り離して、構成する要素を分析することによって証することはできないけれども、その現実は抗い難く明確であると思われる。
 しかし、当然に明確だと見えるほどに基本的なことだということは、それが現実のものであることを疑う理由ではない。
 我々は本当に、行うことについての自由な主体(agent)なのであり、世界に存在する様々な諸力のたんなる装置にすぎないのではない。—もちろん、我々は自然の法則に服するけれども。
 また、我々は本当に、善であれ悪であれ、自分たちを目標に向かわせて、それを達成しようと懸命に努力するのだ。
 外部条件や他人が我々の努力を無駄なものにするかもしれない。—例えば、効果的に選択することができないほどに、肉体的に無力であるかもしれない。
 しかし、選択するという我々の本質的な力は依然として存在する。たとえそれを利用することができないかもしれないとしても。
 また、St. Augustine またはカントのように、善を選択するときにのみ自由であり、悪を選択するときはそうでないと主張することのできる、いかなる根拠もない。
 このような主張は、我々の自由をまさにその力によってではなく、我々の選択の内容によって定義するものだ。そして、このように自由を定義することは、自由というまさにその観念を、我々自身の道徳諸原理でもって複雑にすることになる。//
 (5)さて、自由は人間性とともに我々に与えられているものであり、その人間性の基礎となるものだ。
 自由は、我々のまさに存在そのものに稀少性(uniqueness)を与える。
 (6)自由に関する思想の二つの領域のうちの第二は、相当に異なる問題を対象とする。その主題が人間としての我々の自由ではなく、社会の構成員としてのそれだからだ。
 この意味での自由は、我々の存在の本性を源にするのではなく、我々の文化、社会および法に由来する。
 この自由は、つぎのことを意味させる。人間の活動分野については、社会的組織が禁止したり命令したりできず、制裁を怖れないで行動の態様を選択する、そのような自由を与えなければならない。
 これは、我々が<自由(liberty)>とも称する自由(freedom)だ。//
 (7)この意味での自由は、もちろん、程度でもって測り得る。より多い自由、より少ない自由があり得る。そして、我々は一般に、付与されている自由の程度によって、異なる政治体制を評価している。
 これを測る目盛りは、(スターリン主義のロシア、毛沢東主義の中国、その他のアジア共産主義諸国、または第三帝国のような)完全な全体主義体制から、禁止や命令のかたちでの政府の介入が厳格な最小限に制限されている一番端の政治体制にまで及ぶ。
 全体主義体制は、人間の活動の全分野を、個人の選択の余地が何もなくなるように規制することを意図する。
 多様な非全体主義の専制体制は、その体制に対する脅威を示している可能性のある領域で自由を抑圧することを意図するが、それ以外の問題については全体的統制をしようとはしない。
 また、専制体制は、いかなる種類の全世界的または全包括的なイデオロギーも有しない。//
 ——
 ②へとつづく。

2371/L・コワコフスキ「嘘つきについて」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)
 第4章の試訳のつづき。この書物に、邦訳書はない。
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 (8-2)もしも誰かが言うこと全てをもはや信じることができないとすれば、人生はじつに耐え難いものになるだろう。
 だが、相互の信頼が完全に消失するとは、想定し難い。
 我々は通常は、どのような場合に、誰かが語ることを安全に信頼することができ、反対に、どのような場合に、我々を惑わせようとしている理由が対話者自身にあるために、ある程度は疑わしいかを、知っている。
 人々は、稀にしか、何の理由もなくてウソをつきはしない。
 もちろん、悪名高いウソつきはいる。
 私はかつて一人の作家を知っていたのだが、その作家は、そのときどきの環境や聴衆に応じて、彼の人生について色彩豊かな物語を作り出すのが好きだった。その彼は、すぐれた想像力と機知でもつてそれを行ったため、苦情を言うのは無作法に感じるほどだった。
 その上に、彼の物語は聞いて楽しいものだった。しかし、誰もが真面目に受け取ってはならないことを知っていた。そのため、真実性という美徳が著しく欠如しているのは彼の性格によるという理由があるので、他人が苦しむという危険はなかった。
 さて、何事についても真実を語ることが全くできない、病的なウソつきはいる。
 その者たちは、それらしい理由が何らなくして、かつまた想像力を発揮することもなく、全てを捻じ曲げ、歪曲するのだ。
 しかし、このような人々は、誰も語ることを信じないで、彼らにふさわしい軽侮の気持ちで対応するために、人畜無害でありそうだ。//
 (9)事業、政治および戦争にウソが蔓延していることは、これらと私的な関係をもつ他者に対する我々の信頼を脅かしている。
 これらの分野で仕事をする人々は、誰がなぜ騙す可能性があるかを完全によく気づいており、警戒すべきときを知っている。
 宣伝広告で語られるウソでも、これらの分野に比べればまだ無害だ。
 全ての国々は、消費者を虚偽表示から保護しようとする法制をもっており、商品についての宣伝広告にある虚偽の主張は、法律によって罰せられることがある。
 例えば、水道水をガンに絶対的効用がある治療法だとして市場で売り出すことは違法だ。
 他方で、奇蹟石鹸(Miracle soap)またはハンブルク・ビールは世界最良だと主張することは、違法ではない。
 違いがどこにあるかと言うと、後者の場合は、広告者は奇蹟石鹸やハンブルク・ビールは本当に世界最良だと我々に信じさせようと意図してはいない。
 そうではなく、彼らの意図は、奇蹟石鹸を特徴のある包装で我々に印象づけ、つぎには一個の石鹸を買わなければならないかのように誘引することにある。我々が何度もテレビでその宣伝広告を見た後では、その商品は我々に馴染みがあるように見えてしまうのだ。
 広告者は、正しく、我々の保守性(conservatism)への自然な志向を考慮している。
 奇蹟石鹸の画像を十分に頻繁に我々に見せれば、我々はかりに実際はそうではないとしても、それに馴染みがあるように感じるはずだ、と知っているのだ。//
 (10)しかしながら、政治の分野で語られるウソに目を向けるとき、重要な区別をしておかなければならない。
 政治では、頻繁にウソがつかれている。だが、民主主義諸国では、言論と批判の自由は、我々を一定の有害な影響から守るものだ。
 真実か虚偽かの違いは、変わりなく残されている。
 かりにある大臣が完全によく知っている何かに関する知識を否認したとすれば、彼はウソをついている。
 しかし、彼が見破られるかどうかはともかく、真実と虚偽の違いは明瞭なままだ。
 同じことを、全体主義国家について言うことはできない。とくに、共産主義が絶頂期にあった、スターリン主義の時代については。
 その国家と時代では、真実と政治的な正しさの区別は、全体として曖昧なままだった。
 その結果として、人々は自分たちが口に出して言ってきた「政治的に正しい」スローガンを、全くの恐怖から、半ば信じるようになった。なぜなら、長い期間だったし、政治指導者たちですらときには自分たちのウソの犠牲者となったからだ。
 このことがまさしく正確に意図されていた。真実と政治的正しさの区別を忘れるさせるような混同を人々の意識(mind)に十分に惹き起こすことができるならば、政治的に正しいものは何であろうとそのゆえに不可避的に真実だと、人々は考えるようになるだろう。
 このようにして、国民がもつ歴史の記憶の全体が、変更され得ることとなつた。//
 (11)これは、たんなるウソつきの例ではない。言葉の正常な意味での真実というまさにその観念をすっかり抹消してしまう、という試みだった。
 この試みは全体としては成功しなかったが、とくにソヴィエト同盟で、それが惹起した精神(mental)の荒廃は巨大だった。
 全体主義体制がその完全な能力を獲得しなかったポーランドでは、影響はより穏やかだったけれども、しかし、やはり強く感じられた。
 かくして、言論と批判の自由は、政治的なウソを排除できないが、それにもかかわらず、「虚偽」、「真実」および「正直」といった言葉の正常な意味を回復し、守ることができる。//
 (12)ウソつきが許され、あるいは「良い動機」があるから望ましいと見なされ得る環境条件はある。しかし、このことは、「ウソつきはときには間違いで、ときにはそうではない」、だから放っておけ、ということを意味しない。
 これでは曖昧すぎて、原理的考え方として依拠することができない。なぜなら、これでは、ウソつきの全ての場合を正当化するために用いることができるだろうから。
 また、このような教訓に従って我々の子どもたちを育てるべきだ、ということにも全くならない。
 どんな環境条件のもとでも、ウソをつくのはつねに間違いだと、子どもたちを教育する方がよいだろう。
 このようにすれば、子どもたちは、ウソをつくときに少なくとも心地悪さを感じるだろう。
 残りは、彼らが自分で、速やかにかつ容易に、大人たちの助けなくして、学ぶことができる。//
 (13)しかし、ウソをつくことの絶対的禁止は、効果がなく、またより重要な道徳的命令と矛盾する可能性もある。ウソをつくのが許される場合を説明することのできる一般的原理をどうすれば見出せるだろうか?
 先に述べたように、答えは、そのような原理的考え方は存在しない、ということだ。どんな一般論も、全ての考え得る道徳的な環境条件を考慮することはできず、過ちがあり得ない結論を与えることはできない。
 しかしながら、この問題の考察から抽出できるかもしれない、また役立ち得ると判るかもしれない、一定の道徳を語ることができるだろう。//
 (14)第一の道徳は、自分たち自身に対してウソをつかない努力をすべきだ、ということだ。
 これが意味するのは、とりわけ、ウソをつくときに我々は事実を知っているはずだ、ということだ。
 自己欺瞞はそれ自体が別の重要な主題で、私はここで論じることができない。
 良い動機から我々がウソをつくときはつねに、ウソをついてることを知っているべきだ、と言うだけにとどめる。//
 (15)第二に、自分たち自身へのウソを正当化する方法を憶えておくべきだ。ウソをつく名目となる「良い動機」という我々の観念は、その「良い動機」が我々自身の利益と合致している場合には、つねに疑わしい。//
 (16)第三に、ウソをつくのが何か別の、より重要な道徳的善の名のもとで正当化されるときでも、ウソをつくことそれ自体は道徳的に善ではないことを、心にとどめておくべきだ。
 (17)第四、そして最後に、ウソをつくのは他人をしばしば傷つける一方で、もっとしばしば我々自身を傷つける、ということを知っておくべきだ。ウソをつくことの効果は、精神(soul)の破壊だ。//
 (18)これら四つの事項を覚えていても、我々は、あるいは我々の大多数は、聖人にはなれないし、この世界からウソを廃絶することもできない。
 しかし、ウソを武器として用いるときに、かりにそうしなければならないときであっても、我々に慎重さを教えてくれるかもしれない。//
 ——
 第四章、終わり。

2370/L・コワコフスキ「嘘つきについて」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由・名声・ 嘘つき・背信—日常生活に関するエッセイ(1999)
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。順序どおり、第四章「嘘つきついて」へと進む。
 この書に邦訳書はない。一文ごとに改行し、段落の区切りを//と原初にはない数字番号で示す。
 第8段落の中途で区切る。
 ——
 第四章・嘘つきについて(On Lying)①。
 (1)偽りの情報の意図的な伝搬は、言ってみれば、物事の自然な状態の一部だ。
 蝶々は鳥に言う。「でも、私は本当は蝶々ではなく、枯葉にすぎない」。
 ハチは巣箱を守る蜜蜂に言う。「でも、私は本当はハチではなく、蜜蜂だ。…蜜蜂くんよ、きみは自分で見て分かる。」
 ハチは学者ふうに付け加える。「嗅覚器官の助けを借りてだ」。
 (どうやら、本当にこういうことをする多種のハチがいるらしい。)
 虚偽のこれら二つの類型の間にある違いは、ただちに明らかになる。
 我々は、食ぺられてしまいそうな捕食者から枯葉のふりをすることで自分を守ろうとしているという理由で、蝶々を称賛する。
 一方で、巣箱に入って蜜蜂の懸命の労働の成果を奪うために蜜蜂のふりをしているだけだという理由で、ハチを非難する。//
 (2)人々が語るウソについて、我々は類似の道徳的判断をする。あるものには衝撃を受け、別のものは正当だと見える。
 ある哲学者たち、とくにカントとSt. Augustine は、どんな環境条件でもウソをつくのは厳格に禁止されるという極端に道徳的な立場を擁護した。
 しかし、どんな環境条件でもウソをついてはならないとする道徳的命令は、実現されそうにないというだけではない。
 一定の環境条件のもとでは、その命令は仲間に対する親切さのような別の命令と、あるいは公共の利益と矛盾し得る。
 当然に戦争が、一つのそのような環境条件として思い浮かぶ。敵を欺くことは、交戦方法の本質的部分なのだから。外交や事業でもそうだ。
 しかし、現実の生活から採った最も単純な事例は、第二次世界大戦の間の占領期間にある。もしユダヤ人があなたの家に隠れていて、SSがその人物を探してドアを叩いたとき、あなたは、あるいは良心を一片でも持つ誰でも、ウソをついてはならないという高貴な命令に従って、そのユダヤ人を確実な死へと引き渡すか?//
 (3)政府はその国民に対して、しばしばウソをつく。直接的にか、割愛することで。
 批判を回避し、過誤や非行を隠蔽するために、しばしばそうする。
 しかしながら、純粋に国民の利益となっているために、政府のウソを正当化し得る場合がある。
 秘密が保持されなければならない国家の安全保障の諸問題は別とすると、このようなウソは経済に関係しているかもしれない。例えば、政府が通貨切り下げを意図しているとき、質問されてもそのような意図を完全に否定しなければならない。そうでなければ、簡単に獲物を得ようとしてバッタのように群がる金融投資家によって、その国は多大な損失を被るだろう。//
 (4)さらに、虚偽と、適宜の判断や思慮深さという社会的美徳の間には、しばしば微妙な差しかない。しかし、ウソがなければ社会生活は実際よりもはるかに悪くなると、我々はみんな認めるだろう。真実という清潔な空気を吸うどころか、がさつで野暮な世界で窒息するだろう。
 我々は、つねに真実を、あるいは本当であれ間違いであれ真実だと考えることを語って、正しさを主張する者たちを高く評価しはしない。そういう者たちを、無骨者と呼ぶ。//
 (5)より複雑で頻繁に論議された問題は、死期に入っている病人に対処している医師の正直さに関係する。
 患者の状態に希望がないことをその両親に告げないとすれば、その医師は、直接的であろうと省略によってであろうと、ウソをついている。
 国によって習慣は異なっており、賛成や反対の論拠を見つけるのは困難ではない。
 しかし、そのような論議は総じて、人道主義(humanitarian)の原理に対する、そして、真実それ自体の価値ではなく両親や家族の利益に対する、訴えかけを含んでいる。//
 (6)要するに、良識が我々に語るのは、ウソつきが良い動機で行われる環境条件がある、ということだ。
 問題は、我々自身の利益となる全てを包含するまでに広げることなく、「良い動機」(good cause)をどのように定義するかだ。
 我々にとって有利な全てのことが、他の誰にとっても「良い動機」であるとは限らない。かつまた、想像し得る全ての動機を含むような定義を思いつくのも困難だ。//
 (7)ウソをついてはならないという厳格な道徳的命令の擁護者たちは、好ましいと感じるときはいつでも、あるいは都合が好いと思えるときはいつでも、全ての者がウソをつくとすれば、他の人々に対する我々の信頼は完全に崩壊してしまうだろう、と主張する。信頼は、秩序ある社会での我々の共存にとって不可欠の条件なのだ。
 この擁護者たちは、こう付け加える。誰も別の誰かが言ったことの全てを信じないのだから、ウソつきはつねに、自分のウソに裏切られることになる、と。//
 (8-1)これはそれ自体は不合理な議論ではないが、ウソをついてはならないという絶対的な道徳的命令を正当化するものとしては、なおも説得力に欠ける。
 ——
 ②へとつづく。

2368/L・コワコフスキ「平等について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。この書に邦訳書はない。一文ごとに改行し、段落の区切りを//と原書にはない数字番号で示す。
 ——
 第三章・平等について(On Equality)②。
 (9)私が述べた意味で我々が平等だということから、法の下での不平等は人間の尊厳とはじつに反対のものだ、ということが導かれる。
 しかしながら、財物の平等な配分という意味での平等を要求する権利を我々はもつ、ということを導くことはできない。
 このような平等は、もちろんしばしば公然と主張されている。先ずは中世のある宗派によって、のちにフランス革命期のジャコバン左翼(the Jacobin left)によって。そして、19世紀以降は、社会主義運動の多様な集団によって。
 この理由づけは、簡単だ。すなわち、人間は平等だから、全員が地上の全ての財物を分かち合うのがふさわしい。
 じつに、いくつかの平等主義(egalitarianism)では、平等には最高の価値があるがゆえに、最も貧しい者も含む全員がより悪くなる場合であっても、目標地点が残りつづけなければならない、と想定されていた。
 最も貧しい者ですら以前よりもさらに貧しくなる、といったことを気にしてはならない。誰もが他の誰よりも良くなってはならないというのが、ここでの主要な関心事なのだ。
 しかし、この理由づけは、間違っている。
 このようなイデオロギーは、人間の運命を良くすることには関心がなく、たんにある者の運命が他の誰かよりも良くはならないことを確実にすることにのみ、関心がある。 
 公正という意識にではなく、嫉妬心に刺激(inspire)されているのだ。
 神がロシアの農民にこう言ったという逸話がある。「おまえが欲しい何でも与えよう。だが望んで受け取ったものが何であっても、おまえの隣人はその二倍のものを得るだろう」。
 そうすると、その農民は答える。「神よお願いだから、私の眼を一つ引き抜いて下さい」。
 ここに、本当の平等主義がある。//
 (10)しかしながら、この平等という理想は、実現するのが不可能だ。
 かりに実践に移されるとすれば、経済全体が全体主義的統制に服従しなければならないだろう。
 全てが、国家によって計画化されなければならないだろう。
 もはや誰にも、国家の命令に従う場合を除いて、いかなる種類の活動を企てることも許されないだろう。
 そしてやがて、強制されないかぎりは、自ら努力するいかなる理由もなくなってしまうだろう。
 その結果、経済全体が崩壊するだろう。だが、そこに平等がなおもあるのではない。
 我々が経験上知っているのは、全体主義体制では不平等は不可避だ、ということだ。なぜなら、統治する者たちは、かりにいかなる社会的統制にも服していないとしても、つねに物質的な財物についてのライオンの取り分を自分のものにしておくだろうから。
 彼らはまた、非物質的であって、より重要でないとしても、同等である情報への接近や統治への参加のような、その他のものの統制を行うだろう。
 これらは、大多数の民衆が到達し得ないものになるだろう。
 かくして、最終的な結末は、窮乏と抑圧の両方だ。//
 (11)もちろん、財物の配分に際しての平等を、修道院やキブツ(kibbutz)で行われているように、自発的な制度によつて達成することができないかどうかを、問題にすることはできる。
 答えは、簡単だ。そのような制度が物理学や化学のいかなる法則をも破らないという意味では、可能だろう。
 しかし、不幸なことに、そのような制度は、我々が人間の行動について、少なくともその典型的様相について知っている全てに矛盾するだろう。//
 (12)しかしながら、こう言うことは、財物の配分に際しての不平等は、とくに大規模の恐ろしい貧困があるところでは、深刻で憂慮しなければならない問題ではない、と示唆しているのではない。
 進歩的な税制はこの不平等さを緩和する最も有効な方法だとこれまでに判ってきた。しかし、ある点を超えると、その税制も、富者にとってと同様に貧者にとっても不利になって、経済に対してきわめて悪い効果をもつ。
 したがって、我々は、経済生活に関する一定のルールを安易になくしてしまうことはできない、ということを認めなければならない。
 もちろん、文化的(decent)な生活と称するものの基本的部分を我々が享受することが可能であるべきなのは、きわめて重要だ。例えば、食料、着る衣類、家、医療の利用、子どもの教育。
 文明諸国家では、こうした原理的考え方は、完全には実現されていないとしても、一般に承認されている。
 しかし、財物の配分の完全な平等を達成しようとする全ての試みは、災難を生む処方箋だ。—全ての人々にとって。
 市場は公正でないかもしれないが、それを廃棄することは、困窮と抑圧につながる。
 他方で、人間の尊厳のうちの平等は、そしてそれから生じる権利と義務の平等は、我々が野蛮状態へと堕落してはならないとすれば、本質的に重要な必要物だ。
 それがなければ、例えば、異なる人種や民族を何事もなく根絶することができると、決することができるだろう。同じく、女性に男性と同じ公民的権利を認めるのは理由がないとか、社会のために役に立たない老人や身体的弱者はさっさと殺してしまえばよいとか、等々と。
 平等に対する我々のこの考え方は、我々の文明を守るだけではない。これは、我々を人間(human being)にするものだ。
 ——
 第三章、終わり。

2367/L・コワコフスキ「平等について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。順序どおり、<第三章・平等について>へと進む。
 この書に邦訳書はない。一文ごとに改行し、段落の区切りを//と原書にはない数字番号で示す。
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 第三章・平等について(On Equality)①。
 (1)「全ての人間は平等だ」。このかつては革命的で、今はたんに陳腐な言明の意味を、考えてみよう。
 これは、全ての者が法のもとで平等に取り扱われる<べきだ>、という命令ではない。
 かりにそうであるなら、このような命令はそれ自体が恣意的なものだ、なぜ結局は法は全ての者を平等に取り扱う<べき>なのか、と議論をすることができるだろう。
 むしろ、この命令は、全ての人間は平等<である>という記述的な言明から導かれる。そしてこの理由でこそ、法は全ての者にとって同じであるべきだ。
 かくして、この命令は、事実から得られる事物の一定の状態に根拠がある。
 しかし、何が事物の一定の状態なのか? 我々はそれが本当に得られることをどのようにして知ることができるのか?//
 (2)ある人々は、全ての人間は平等だという言明の真実性を、つぎのことを指摘することで、否定しようとする。我々の全てはきわめて多くの点で異なっている—能力、知識、等々—、また、おそらくは平等であることはできないのでないか。
 しかし、この人々は、間違っている。
 なぜなら、我々の全てが、人々は同一ではなく、多様な面で異なっていることを知っている。
 そして、事実として、多様な相違とは別の事物の状態として、平等を主張する人々もまた、そのことを知っている。
 ゆえに、我々の中にある違いを指摘することで我々が平等であることを否定しても、無意味だ。なぜなら、この違いは、平等を力説する人々が心に抱く平等という特有の考え方とは何の関係もないからだ。//
 (3)我々の全てがみな同じ種に属し、同じ生物学的な成り立ちと同じ生物形態的かつ生理的特徴を共有しているということを根拠として、我々はみな平等だ、と主張することもできない。
 かりにそうであるなら、人は「全てのガチョウは平等だ」とか「全ての蝿は平等だ」とか「全ての刺草は平等だ」と同等に十分に言えるかもしれない。
 しかし、そのようなことを我々は言わない。じつに我々は、そう言ったときに何を意味させたいのか、分かっていないのだ。
 平等なのは人間であり、蝿ではない。//
 (4)啓蒙主義思想家は、装飾なき石板のように全ての人は生まれながらに同じで、我々の相違は全て育ちと我々の環境の影響で生じる、と考えた。
 我々は今日では、これをもう信じることができない。疑いなく、人々は異なる遺伝子因子の構成をもって生まれ、そして人間遺伝学の分野ではまだ多く研究されて説明されるべきものが残っているけれども、我々が遺伝で継承したものでそれぞれ異なっており、決して育ちによってのみ異なるのではない。
 我々は、遺伝と生育環境の両方の産物なのだ。
 ヒトラーの経歴の全てはその遺伝子で詳細に説明されるとは、あるいは
マザー・テレサの思考と行動は最初から彼女に刻まれていたとは、誰も主張することができない。
 しかしながら、—必然的ではないとしても—誰かがヒトラーよりもマザー・テレサに似るようにする、またはマザー・テレサよりもヒトラーに似るようになるのを可能にする、一定の遺伝子継承性の特徴があると、かなりの程度安全に想定してよいだろう。
 しかし、ヒトラーもマザー・テレサも、同じ種に属しているということに加えて、一定の意味で—我々が説明をしたいまさにその意味のかぎりで—同じだ。つまり、二人は、きわめて似ていないとしても、<平等>だ。//
 (5)たしかに、全ての人間は平等だという主張を正当化するために、キリスト教の—キリスト教のだけではないが—宗教的伝統を持ち出すことができる。
 人間は全て一人の父の子どもたちであり、富者であれ貧者であれ、地位や教育や階層や出生地が何であろうとも、同じ規準に従って神によって判断されるだろうと言うとき、心に描くのはこの宗教的伝統だ。
 この意味で我々は全て、道徳的主体として平等だ。その我々に対して、神は自然の法の一定の戒律を明らかにし、それらの戒律を遵守するまたは破る自由な意思を授けている。//
 (6)しかし、神の目からすると我々はみな同じだという信念とは別個に、命令としてのみならず事実として、全ての人間は平等だと宣言することができるだろうか?
 私は、できると思う。しかし、道徳的性質の一定の前提、人間それ自体の成り立ちにも関係する前提を充たすことが、必要だ。
 人間は全て平等だと我々が言うとき、我々は、我々全てがもち、誰もそれを侵害する権利をもたない、そのような人間の尊厳(human dignity)について平等なのだ、ということを意味させる。
 しかし、我々全てがもち、何人かの哲学者たちによると我々の思考能力や自由に選択する能力ではない、とくに善と悪の間の選択能力とは別のものである人間の尊厳とは、いったい何か?
 それはたしかに、我々が見ることができるものではない。そして、それが何かを叙述するよりも、それが侵害されたときについて語ることの方が容易だ。//
 (7)問題を一つの側面に限定すれば、より明瞭に我々の考え方を理解することができるかもしれない。すなわち、自分から進んで、かつ外部からの圧力や環境条件から独立して、善と悪を区別して選択することができる存在としての人間という、我々の観念に限定するならば。
 (社会参加を全くすることができず、もっぱら他者に依存する重度の障害者という特別の場合に立ち入ってはならない。)
 人々は明らかに、選択を行う能力をもち、何をするか、善と悪のいずれをするかについて、責任を負うことができる。
 人々に同等に尊厳を与えるのはまさにこの能力を有していることであり、それが用いられる態様ではない。
 全体としての人間性(humanity)は、その言葉からして、尊敬に値するものだ。そうであるがゆえに、全ての人間はそれを自分自身の権利としてもつ。
 このどこについても、とくに論争となるようなものはない。
 しかし、自由を殺戮や拷問または暴力行使のために用いて、他者の尊厳を辱め、蹂躙する者たちを我々はどう扱うべきであるのかについて、人間性は何か特有のことを示唆しているのか?
 紛れもなく、つぎのことだ。その罪のゆえに制裁を受け、収監されなければならない最悪の人間にすら、人間の尊厳が授けられている。なぜならば、この尊厳は、人々を相互に区別するもの—性、人種、国籍、学歴、職業、経歴—とは全く無関係であるからだ。//
 (8)かりに、その思考と行動が外部的な諸力や環境条件に、そして身体的世界に、全体として必然的に依存しているたんなる機械装置にすぎないと、我々が自分たちについて考えるとすれば、じつに尊厳という観念は、したがってまた平等という観念は、何ら意味をもたなくなるだろう。//
 ——
 ②へつづく。

2359/J・グレイ2002年著でのコルィマ(Kolyma)①。

 一 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。=<わらの犬-人間とその他の動物に関する考察>。
 =J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 上の邦訳書からの要約・抜粋または一部引用を掲載してきたが、外国語の翻訳ではなく、邦訳書の日本語文の要約・抜粋等にすぎないにもかかわらず、全部を了えていない。邦訳書の本文計6章、計209頁のうち、第4章の途中のp.139までにとどまっている。最後は→No.2122/2020.01.15.
 とどまってている理由は自分の事ながら今の時点で推測するに、一つは、J・グレイのこの本の文章は綿密で長々としたものではなく、要約・抜粋するのがかなり困難な、アフォリズムにかなり接近するものにますますなっていること、だ。
 二つは、同じJ・グレイの、Johh Gray, Grays's Anatomy: Selected Writings (2015, New Edition)<邦訳書なし>を入手して、L. Kolakowski 、Eagleton & Hobsbawm、Tismaneanu の人や書物に関する論評を同じこの欄で試訳してしてきたことだ。L・コワコフスキにつき→No.2126/2020.01.19。
 なお、L・コワコフスキの文章は多くは原語から英訳されているので、まだ読解しやくすいように英語訳されているが、J・グレイの英語文は、現役のイギリス人の英語だけあって、はなはだ読み(理解し)難いところがある。
 J・グレイは好き・嫌いをわりあいと明確にしていて、前者にKolakowski、後者にHobsbawm が入る。Richard Dawkins に対しては批判的なのだが(理由の一つを勝手に推測すると、きっと、自信満々に書き過ぎることだろう)、そのドーキンス部分の翻訳=試訳を開始したが、読解と実際の試訳に難渋して、今のところ挫折している。
 --------
  コルィマまたはコリマ(Kolyma)という場所(シベリアの東北の極北部)に旧ソ連の収容所があったことを知ったのは、たぶん、上の<わらの犬>によってだ。そしてJ・グレイは、V・Shalamov の<コルィマ物語>に依拠して、コルィマに言及していると見られる(但し、この欄で最近に試訳した書物によると、シャラモフによるコルィマの<物語>の全文ないし完全版ではないようだ)。
 すでに邦訳書の要約・抜粋等として掲載したところだが、あらためて、邦訳書を参照しつつ、J・グレイの原書にほぼ即したかたちで、より長く試訳して紹介しておく。
 John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 まず、第3章第5節(邦訳書p.103-)あたり。
 <邦訳書要約→No.2121/2020.01.14>。以下は、これよりも長い。
 「」をはずし、原文の一行ごとに改行する。段落の区切りには○と//を付す。
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 (ここでの便宜的な数字)
 今日ではキリスト教徒と人間中心主義者(humanists)は、一緒になって、悲劇を不可能なものにしている。
 キリスト教徒にとって、悲劇とは偽装した天恵以外の何ものでもない。すなわち、世界は—ダンテが述べたように—、神聖な喜劇なのだ。そして、全ての涙がすっすり拭われてしまう来世がある。 
 人間中心主義者にとっては、全ての者が幸福な人生を送る可能性をもつときを、心待ちにすることができる、ということになる。
 そのうちに悲劇は、我々は逆境のもとでも生き抜けることを教訓として記憶させるものになるのだ。
 しかし、極限状態の苦痛によって人間は高貴になる、というのは、お説教または舞台上のセリフだけにすぎない。//
 収容所を生き延びたGustaw Herling によると、ヴァーラム・シャラモフ(Varlam Shalamov)の前で、「Solzhenitsyn も含む全ての収容所文学者は、頭を垂れなければならない」。この作家は、わずか22歳でまだモスクワ大学の学生だった1929年に最初に逮捕された。
 彼は、Solovki での3年間の重労働の判決を宣告された。そこは、正教の男子修道院がソヴィエトの強制集中収容所へと改造された、一つの島だった。
 1937年に再び逮捕されて、シベリア東北部のコルィマでの5年間の判決を受けた。
 控えめの推計でも、この極北の収容所でおよそ300万人が絶命した。毎年、受刑者の3分の1かそれ以上が死んだ。//
 シャラモフは、コルィマで17年間を過ごした。
 彼の書物の<コルィマ物語(Kolyma Tales)>は簡潔なChekhov 的文体で書かれ、Solzhenitsyn の作品がもつ教訓臭は全くない。
 だがなお、ときおりの素っ気なく離れている行の間に、一つのメッセージが示されている。
 すなわち、「違って行動することができると考える者は誰もみな、人生の本当のどん底に触れたことがない。そう考える者はみな、『英雄のいない世界』で最後の息を吐かなければならなかったということが決してない」。//
 コルィマは、道徳が存在しなくなる場所だった。
 シャラモフが冷ややかに「文学的おとぎ話(fairly tales)」と呼んだ状況では、人間の深い結びつきが、悲劇と窮乏の圧力のもとでやむなく作り上げられる。
 しかし、実際には、どんな友情や同情の絆も、コルィマで生き延びるに十分なほど強くはなり得ない。すなわち、シャラモフはこう書いた。
 「悲劇と窮乏が人々を一緒にさせて、人々の間に友情を生んだのだとすれば、その場合には、窮乏は極限状態ではなく、悲劇は大きくなかったのだ」。
 人生から生きる全ての意味を奪われて、受刑者たちには生き続ける理由が存在しないように思えたかもしれない。
 だが、ほとんどの者は体力が弱くて、自分たちが選択した方法で自らの生命を断つ機会がときおり訪れたとしても、その機会を利用することができなかった。
 「死ぬという気持ち(will)を失わないように、〔自殺を〕急がなければならない場合もあった」。
 飢えと寒さに痛めつけられて、受刑者たちは、無感覚のままで、無意識の死に向かって動いていった。//
 **
 ——
 以降の試訳も含めて、次回以降へ。

2351/L・コワコフスキ「名声について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。第2章②。この書物に、邦訳書はない。
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 第二章・名声(fame, 有名さ)について②。
 (6)このように考察すると、名声はいくぶん「不公正に」配分されている、という愚かな考えが生まれる。
 このような考え方は、名声の「公正な」配分とはどのようなものかを、さらにはそれをどうすれば実現できるかを、我々は知らないがゆえに、愚かだ。
 実際そうであるように、ほとんど読み書きのできない何人かのボクシング王者は、純粋に人類の利益のために働く偉大な学者や科学者が、例えば医学研究者が一握りの者たちにだけしか知られていないのに対して、世界じゅうに有名であり得る。しかし、これのどこに問題があるのか?
 なぜ名声は、知的な大きな成果に対する正当な褒賞である<べき>で、スポーツ技量またはテレビ・ショーの司会術に対する報償であってはならないのか?
 名声は、しばしば全くの好運の問題だ。宝くじ当選者ですら、自分の努力や長所がなくとも、短期間は有名であり得る。
 我々自身もまた、しばしば、聴衆や観衆として誰かを有名にすることができる。例えば、その女優が出演している映画を観に行くことによって、ある女優を有名にすることができる。
 多数の人々—Xanthippe〔ソクラテスの妻〕、Theo van Gogh〔画家ゴッホの弟〕、Pontius Pilate〔キリスト処刑許可者〕 —は、たまたま何らかのかたちで有名な人々と関係があるために有名さを獲得している。
 そして問おう、なぜそうであってはならないのか?
 名声の「不公正な」配分について、文句を言っても無意味だ。名声は、善良さ、知恵、勇気その他の美徳の報償ではないし、かつそう考えられてはならないからだ。名声とはそのようなものでは全くないし、決してそうはならないだろう。//
 (7)これは良いことだ。なぜなら、かりに我々の生活がその大部分が予見不可能でなく、偶然に支配されていないとすれば、そのような生活はじつにひどく退屈なものになるだろうから。偶然は総じて我々の有利にはならないという事実があるとしても、やはりそうだろう。
 世界は、公正な報償なるものを基盤にして編成されてはいないし、実際そうであるのとは異なって世界を編成し得ると言うことが何を意味するのか、思い描くことすらできない。
 おそらく天界では、名声や栄誉は異なる規準で従って授与される。おそらく最高のレベルにまで昇りつめた有名な人々がおり、彼らは地上では誰もその名を聞いたことがない人々なのだろう。
 しかしながら、地上で熱烈に名声を追求する人々は、偶然によって有名になった者たちを見て嫉妬心を使い果たして、有名な人々の中には入らない、と想定しておくのが安全だ。
 ノーペル賞受賞者やアメリカ大統領になろうとする絶望的な多数の者たちは、彼ら受賞者らが明瞭に獲得した褒賞を拒否されたという憤懣をもって、天界に行けば自分たちの苦痛に褒美が与えられる、と考えることに慰めを見出してはならない。
 なぜなら、実際には、神は、我々の嫉妬心や虚栄心に対する褒賞として我々を着飾ってくれそうにはないからだ。//
 (8)名声を求める渇望やそれを得られないこと、または値するほどには多く名声を得ていないことは不公正だとする感情は、もちろん虚栄心の結果であり、聡明さとは何の関係もない。
 道徳家たちはこの数世紀の間に、我々の知性はその我々の虚栄心や傲慢さを前にしては無力だ、と知ってきた。
 我々はみなたぶん、さもなくば全く知的な人々が、尊大で傲慢で独善的だという理由で、疫病のごとく避ける人々に遭遇したことがある。
 我々に説教をしたり望んでいない助言をするこの種の人々は、我々がその仲間でなくなるときには、それに気づいていないふりをするか、または自分たちの道徳の高さや知的な卓越性に原因を求める。
 我々はみな、知識と先見性があるにもかかわらず、誰も自分を認めてくれないと常時不満をこぼしている、そして、自分たちが嘲弄に値する者であると理解するのを拒否する、全く知的な人々を知っている。
 彼らは、自分たちを殉教者に仕立て、絶えず我々の同情を惹こうとする。我々の時代の出来事からして、彼らの殉教ぶりは些細な程度であるとしても。
 彼らはまた、自分たちの馬鹿げさ加減を理解するのを拒む。
 我々にあらゆる機会を使って、世界の女性たちは全員がベッドに一緒に行くことしか望んでいないことを明確に教えようとする、完全に知的な人々がいる。
 知性は、虚栄心を克服できない。
 「虚栄(vanity)」という言葉が「空虚(void)」に近いのは、決して偶然ではない。//
 (9)しかしながら、名声の追求は、二つの条件が充たされるならば、卑しいことでも、無価値のものでもない。
 第一に、主要な目標に対して付随的なものでなければならない。主要な目標とは、それ自体が価値があるものを達成することだ。
 その目標へと、我々の努力は傾注されなければならない。その結果として生じ得る名声の見込みに、誘惑されることがかりにあるとしても。
 第二に、名声の追求は、強迫観念(obsession)に転化してはならない。ほとんど余計なことを追記すれば、この強迫観念は、世間に対する憤懣という破壊的な感情を生むことがあり、これは人生を破綻させてしまうことがあり得る。
 概して言えば、名声については全く考えないで、家族や良き友人たちの小さな仲間うちの愛情や敬意に満足しておくのがよいだろう。//
 ——
 第2章、終わり。

2349/L・コワコフスキ「名声について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。第2章へと進む。この書物に、邦訳書はない。
 ——
 第二章・名声(fame, 有名さ)について。
 (1)我々みんなが知るように、名声(fame)は、諸々の物の中で、人々が最も望むものだ。
 なぜそうなのか—なぜ名声はさほどに名高く(famously)望ましいものなのか—に立ち入る必要はない、というのは明らかに正しい。
 有名であることは、どのような理由であれ、自分を肯定し、自分自身の存在を確認することだ、そして自己肯定は人間の自然の欲求に見える、と言うので十分だ。//
 (2)しかしながら、名声を求める渇望は、我々自身の文明では名声は執拗に追求される目標だという事実があるにもかかわらず、普遍的なものではない。
 何人かの古代の哲学者たちは(当然に有名な人々だが)、とくにストア学派やエピクロス学派の哲学者たちは、名声は避けられるべきものだと教えすらし、隠れて生活するよう助言し、無名であることの幸福を説いた。
 名声には、疑いなく煩わしい側面がある。有名な人々は、テレビに登場したり新聞に名前を載せたりすべく最大限の努力を同時にしているがゆえに、総じて信頼が措けないというひどい負担を負わされていると不満を述べるけれども。
 しかしながら、純粋に名声を追い求めない多数の人々がいる。—自信がないか、光に当たるのが好きでないか、またはたぶん自分自身について強い意見を持っていないか、のいずれかの理由で。
 (3)我々が知るように、名声は、しばしば—つねにではないが—富をもたらす。
 名声は、一定の職業の人々に富を与える。俳優、映画監督、ロック歌手、スボーツ選手、等々。
 名声を追求するほとんどの人々は、しかしながら、それがもたらす利益のためではなくそれ自体のために、そうしている。—たぶん、名声を得たいというただ一つの理由でDiana の寺院を全焼させたと言われるヘラストラトス(Herostrates)の不朽の例を忘れないで(きっと、彼が見事に達成したと言われる目的。数世紀のちにでもこうして我々が話題にしているのだから、見事にだ)。
 我々は毎日、有名になりたいというだけの理由で、テレビで観るようなおぞましい犯罪を冒している、まだ十代の粗野な若者たちを見ている。
 一方の天秤の端には、大きな富のごとき、ときには名声の結果として生じるものをすでに持つているが、名声そのものは避けて無名のままでいるのを好む人々もいる。
 しかしながら、総じて言って、名声ははそれ自体で、他の望ましい良きものを獲得するたんなる手段としてではなく、望ましいものと考えられている。//
 (4)名声は、まさにその性質上、僅かの者にしか与えられない。稀少性は、その定義の一部だ。
 我々はみないつかの日には、15分間の名声を得られるべきだ、ということが(有名なAndy Warholによって)言われた。だが、これは馬鹿げている。
 二つの理由で、無意味だ。第一に、単純な計算をしてみても、我々の全員に15分間の名声を与えるには、現在の世界人口を前提にすると、おそらくは何らかの国際テレビ網で、およそ20万年の類の年数を必要とするだろう。そのテレビ網が一日じゅう放送し、その連続する15分間の名声への熱望以外には何も放送せず、世界の全ての人々が一日じゅうそれを観たとしてすら。
 第二に、そんな馬鹿げた平等の状態では、誰一人少しも有名にならないだろう。
 名声は、稀少なものでなければならない。だからこそ、名声を得たいと夢見る人々のうちごく僅かの者だけが、その夢が実現するのを見るのだ。そして、ほとんどの者は、悲しく幻滅するだろう。
 ほとんどの者は、多大の時間と努力を無駄に費やすことになっただろう。人生の目標を名声の獲得に設定すると、時間を無駄に消費することになる。
 もちろん、人々が求めるが滅多に得られない多数のものがあるが、得られそうでなくとも求める努力をする価値があるものも多い。
 例えば、数百万の人々が、大当たりする可能性はごく小さいことを知っていても、宝くじを買う。
 しかし、宝くじを買う費用は安くて(義務的にそうしないかぎり)、時間や努力をほとんど必要としない。他方で、名声を望むのは、多くのことを必要とし、ふつうは無駄に終わる。//
 (5)名声と言っても、多数の程度の違いがある。程度の差が大きいので、誰が本当に有名で、誰が有名でないかを厳密に決定するのは不可能だ。
 職務のために有名な、世界諸大国の大統領や首相、国王や教皇のような人々を無視するならば、今日での名声(知名度)は、通常は、映画やテレビに人々が登場する長さに比例している、と言うことができる。
 アメリカでは、誰もが報道の読み手や人気のあるテレビ・ショーの司会者の名前と顔を知っている。
 我々は誰もが、Jack Nicholson や(もっと最近だが)Emma Thompson を知っている。また、Antonioni やWajda について聞いたことがある。
 我々は、Einstein、Planck、Bohr、あるいはMarie Curie-Sklodowska のような、今世紀の前半以降の何人かの科学者の名前を知っている。
 しかし、化学者または物理学者ではない我々のうちどの程度多くが、最近40年間の物理や化学のノーベル賞受賞者の名前を挙げることができるだろうか?
 我々は彼らの名前を知らない。ときには、彼らをどう区別すればよいのか、あるいは正確にはどの分野の人物なのかすら、知らない。
 我々は、彼らは傑出していて優秀であるに違いない、とだけ推測する。
 しかし、彼らは有名ではない。なぜなら、我々のうちほとんど誰も、彼らについて聞いたことがないからだ。//
 ——
 ②へとつづく。

2344/L・コワコフスキ「権力について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、および背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 この書物に、邦訳書はない。
 ——
 第一章・権力について②。
 (9)我々はみな、この意味での権力を欲しがるというのは本当か?
 たしかに、我々はみな、我々が適切だと考えるように、つまりは我々に利益となるように、または我々の正義の感覚と合致するように、他の人々が行動するのを好むだろう。
 しかし、このことから、我々はみな国王でありたいと思っている、ということが導かれるわけではない。
 パスカルが言ったように、自分が国王ではないがゆえに不幸であるのは、王冠を剥奪された王様だけだ。//
 (10)権力は—つねにではないがしばしば—腐敗する、と我々は知っている。
 また、かなりの長期にわたって権力の実質的手段を享有してきた者たちがしばしば、君主たちがかつて神が与えた権利でもって統治していたように、権力に対して一種の自然的な権利をもっていると感じるに至る、ということも知っている。
 このような者たちがあれやこれやの理由で権力を失ったとき、その者たちは、その喪失はたんなる不運ではなく宇宙規模の大災難だと考える。
 そして結局は、我々が知るように、権力闘争が、戦争その他の世界を苦しめる厄災の主要な源泉になってきている。//
 (11)こうした権力と結びついた多数の悪が存在することは、自然に、子どもじみた多様な無政府主義的ユートピアを生み出す。これによると、世界の病悪に対する唯一の治療法は、権力をすっかり排除することだ。
 より極端な考え方では、「権力」は、最も広く理解されている。その結果として、例えば、子どもたちに対する親の権力は、まさにその本性において、可能なかぎりすみやかに廃棄されるべき恐るべき専制だと考えられている。
 この考え方からすると、例えば、我々が子どもたちに母国語を教えるとき、我々は恐るべきほどの専制的暴力を現実に行使していることになる。権力のおかげで、我々は子どもたちを支配しており、我々は力づくで子どもたちに我々の望みを押しつけ、そして子どもたちの自由(liberty)を剥奪しているのだ。
 このような考え方によれば、子どもたちを獣の状態に放任するのが最善なのだろう。そうすれば、子どもたちは、自分たち自身の言語、習慣や文化を発明することができる。//
 (12)しかしながら、無政府主義のうちのより馬鹿げてはいない考え方は、政治権力の廃棄を目標としている。
 この理論は、全ての政府、行政機関、法廷が消失するならば、人間は平和と友愛に充ちた自然状態で生きていくだろう、というものだ。
 幸いにも、無政府主義革命が起きるのは不可能だ。そうしようとたんに決定するだけならば、いつでも好感をもたれるとしても。
 無政府状態は、権力の全機構と全制度が崩壊し、制御する者が誰もいないときにのみ発生する。
 このような状態によるつぎの結果は、不可避だ。すなわち、絶対的権力を追い求める何らかの勢力(force)が独自に(そのような組織がないわけではない)、自分たちの専制的秩序を押しつけるために、あらゆる荒廃状態から利益を得ようとするだろう。
 このことの最も劇的な実例は、もちろん、ロシア革命だった。そのときにボルシェヴィキ体制は、一般的な無政府状態の結果として、権力を奪取した。
 無政府とは、実際には、専制のための小間使いだ。//
 (13)権力を廃棄することはできない。権力は、ある種の政府をつぎつぎと交代させることで、より良くなったり、より悪くなったりする。
 不幸なことだが、政治権力が廃棄されるときにのみ我々みんなは平和な友愛状態で生活するだろうと言うのは、正しくない。
 我々の利益を分岐させて相対立させるのは、偶然ではなく、人間の本性それ自体だ。
 我々全員が攻撃の手段をもち、我々の必要や願望には制限がない。
 ゆえに、政治権力の仕組みが奇跡のように消え失せるとすれば、その結果は普遍的な友愛ではなく普遍的な殺戮だろうということは、きわめて平易に分かることだ。//
 (14)言葉の字義どおりの意味としての「人民の政府」は、存在してこなかったし、これからも存在しないだろう。
 他のことをさて措いても、そのような政府は技術的に見て実現されないだろう。
 人々が政府が行なっていることを監視し続け、選択できるならば別の政府と置き換える、ということによる一定の安全装置は、存在し得る。
 もちろん、ある政府がいったん権力を手にすれば、我々は多様な規制に服し、多数の重要な分野で我々は選択できなくなる。
 我々は選ぶことができない。例えば、子どもたちを学校に通わせるべきか否か、税金を支払うべきか否か、自動車を運転したいときに運転試験を受けるべきか否か、等々。
 政府を監督するために人々は種々の統制手段を設定するが、それらは絶対的な頼りにはならない。
 民主主義的に選出された政府は、腐敗することもある。そして、その決定はしぱしば、多数派国民の意向とは反対だ。
 どんな政府も、全員を満足させることはできない。
 等々。これらは全て、我々がよく知っていることだ。
 人々が政府を統制するために行使できる手段は、決して完全なものではない。だが、人類が専制を回避するためにこれまでに考案してきた最も有効な方法は、まさに、政府に対する社会的統制の諸装置を強化し、政府の権力の範囲を社会秩序を維持するのに必要なぎりぎり最小限にまで限定することだ。すなわち、我々の生活の全領域の規整(regulation)を認めることは、結局は、全体主義権力について語られていることになる。//
 (15)さて、我々は政治権力の全ての機構に疑いをもって対処し、必要とあれば(つねに必要だろう)、それについて抗議することができる。いや、じつに、そうすべきだ。
 しかしながら、権力や権力諸装置の存在自体について不服を言ってはならない。我々は異なる世界を考案することができないとすれば。—誰か多くの者がこれを試みてきたが、誰として成功しなかった。//
 ——
 第一章・権力について、終わり。

2343/L・コワコフスキ「権力について」(1999)①。

  レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski。
 1927.10.23〜2009.07.17、満81歳で、Oxford で死去。
 この人の大著<マルクス主義の主要潮流>の英語版を試訳しようと思ったのは(結局半分以上の試訳を済ませたのは第3巻だけで、第2巻はレーニン以降だけ、第1巻はごく一部だけしか終わっていないが)、2017年の春だった。
 しかしただちに開始したのではなく、試訳してみる価値または意味がある(マルクス主義に関する)大著だ、という確信はなかった。
 そこで、この人のより短い文章を読んでみることとし、つぎの順で読んで試訳してみた(この欄に掲載済み)。
 ①「『左翼』の君へ」。これは8回を要して試訳を掲載した、このブログサイト上で勝手に付けたタイトルで、正確には、My Correct Views on Everything (1974), in : Is God Happy ? -Selected Essays(2012)。→No.1526以降。
 「(新)左翼」のEdward Thomson というイギリスの知識人を「解体」する作業をした文章だったと、Tony Judt はその2008年の文章で書いた。→No.1720。
 (ついでに、フランス等のヨーロッパ史を専門とするTony Judt によるL・コワコフスキ死後の追悼文は、哀惜感に溢れ、かつ学問的だ。→No.1843。
 ②「神は幸せか?」。Is God Happy ? (2006), in : Is God Happy ? -Selected Essays(2012)。これは2回の掲載で済んでいる。冒頭にシッダールタ(仏陀)が出てくる。最後にShakespeare, Hamlet からの引用があることが、試訳した当時は分からなかった。→No.1559以降。
 これらを読んでみて、この人の書物ならばたぶん大丈夫だろうとの感触、または確信めいたものを得た。
 とくに前者によってだっただろう、再確認しないが、<(試訳しながら)思考能力が試される気がした>という旨を記した憶えがある。
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  久しぶりに試訳しようとするL・コワコフスキの以下の書物は、上の二つを最初に読んだときに感じた、この人の文章、あるいは思考の仕方を、その大著その他以上に思い起こさせるもので、懐かしい気すらする。
 彼は最初から「エッセイ」と銘打っている。もちろん、自分の「思想」だとか「歴史哲学」だとは主張していないし、それらを示そうとする気持ちなど全くなかったに違いない。もちろん、この人がポーランド出身の傑出した thinker、Denker だと他者が称していることは別として。
 また、キリスト教を含めて相当の「知識」・「教養」を持っているはずだが、それらを特にひらけかすという<衒学>趣味も感じられない。
 もちろん文章構成の技術・能力をもつのだろうが、この人がニーチェに強く感じているらしい余計な<レトリック>、あるいは<美文趣味>はないだろう。
 内容が簡単だ、というのではない。そうではなく、(実娘のAgnieszka Kolakowska による英語訳書なのだが)この人が用いる概念にある程度は困惑しつつ注目し、提示される「論理」に、ある程度は困惑しつつゆっくりと浸ることができそうなのは、なかなか幸せな感じがする。
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 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski。
 自由、名声、 嘘つき、および背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999).
 計18の章に分かれていて、全ての表題が「〜について」となっている。
 もちろん(?)、邦訳書はない。
 一行ずつ改行し、段落の区切りごとに原書にはない数字番号を付す。
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 第一章・権力(power)について①。
 (1)イギリスの前の財務大臣は、首相になりたいかとのテレビ・インタビューを受けて、やや驚いて、誰でもきっと首相になりたい、と答えた。
 これは私には、かなり驚いたことだった。というのは、私は、誰もが首相になりたいとは決して考えていないと確信しているからだ。
 反対に、きっと大多数の人々はそのような夢を決して思い浮かべない、と考えている。そのような野望を実現できる可能性は微少だと感じているからではなく、しなければならない仕事は恐るべきものに違いないとたんに考えているからだ、と思っている。
 絶え間ない頭痛、莫大な責任。そして、何をしようとも永遠に批判と嘲弄の対象になることを知っている。また、 最悪の意図の責任を負わされることになるだろう。//
 (2)さて、「誰もが権力を欲しがる」というのは本当か?
 答えは、この言葉をどれだけ広く理解するかによる。
 最も広い意味では、「権力」(power)とは、人間であれ自然であれ、我々を取り囲むものに対して望んだ方向へと影響を与えることを認めるものの全てだ。
 これを行なったときには、我々は周囲のものを「支配(master)」したと言われる。
 子どものときに最初の一歩を進んだり、初めて自分で立ち上がったとき、見ても明らかにこれらを愉しんでいるのだが、その子どもは、自分の身体に対する、ある程度の権力を獲得する。
 そして、一般に、身体や、制御することのできる筋肉、関節のような身体の一部を支配しないよりは支配することを我々はみな好む、というのは正しい(true)だろう。
 同様に、新しい言語、あるいはチェス、あるいは水泳、あるいは我々には新しい数学の一分野を学ぶとき、我々は、文化の新しい領域を「支配」することのできる技巧を獲得している。//
 (3)「権力」のこのような広義での理解は、人間の諸活動は全て、多様な形態での権力を得たいという望みによって動かされている、と結論づける理論の基盤になってきた。
 この理論によると、全ての我々の努力は、人間の活力の源泉である権力を渇望していることの別表現にすぎない。
 人々は、富は事物のみならず一定の(しばしば相当の)範囲で人々を支配する権力を与えてくれるがゆえに、富を追い求める。
 性行為(sex)すらも、権力という観点から説明できるかもしれない。我々は他の者の肉体を、それを通じて現実の人間を、所有したいと欲するのか、それとも、それを所有することで他人が所有するのを排除していると考えるか、のいずれであっても。
 いずれかの考え方をして、我々は、誰か別の者に対する権力を行使しているという感情を得て、満足する。
 もちろん性行為は、人間以前の自然の創造物の一つだ。
 そして、この理論によると、権力を望むのは自然世界の至るところにある本能だ。人間社会で我々が、文化的に影響されたどのような形態を採用しているとしても。//
 (4)少し考えれば、利他感情(altrueism)を、権力の観点から説明することすら可能だ。つまり、他人に対して親切であるとき、意識していようといまいと、他人の生活を支配する手段を行使したいとの望みが動機となっている。親切という我々の行為は、他人を部分的には我々の権力のもとにおいているのだから。
 権力の追求を動機としないような領域は、我々の生活にはない。
 他には何も存在しない。別の言い方をすれば、自己欺瞞だ。
 この理論は、このようになる。//
 (5)この種の理論は、表面的にはもっともらしくとも、実際には、ほとんど何も説明していない。
 人間の行動全てを動機という単一の観点から説明しようとする、または社会生活の全ては動機づけをする単一の力によつて動かされていると主張する、そのようなどんな理論も、擁護することはできない。
 しかしながら、まさにこのことが、この種の理論全てが究極的には哲学的な心象(constructs)であって、そのゆえにほとんど役に立たないことを、示している。
 例えば、人々の動機は仲間のために自分を犠牲にしようと彼らを苦しめようと同じだ、と言うことは、我々を前方に連れていきはしない。我々がそのような行為について判断を加えたり、ましてやこれらを区別して弁別する、そのために有効な原理的考え方は存在しない、つまり、どんなに異なって見えようとも、本質は全く同じだ、と言うまでに至るだろうからだ。
 しかしながら、このような理論は、使い途がある。というのは、誰かが、他のみんなは心の底では本当は不誠実だと自分に言い聞かせることができれば、冒した過ちはその者の良心には大した負担に全くならないだろうから。//
 (6)キリスト教思想の一定の潮流は、今日では廃れていてもかつては有力だったのだが、似たような気持ちを我々に生じさせ得るものだった。すなわち、神聖な上品さ(divine grace)がなければ、何をしようとも、必ず悪を行うことになると我々が言われるとき、必ずや善だけを行うことになるのだとしても、我々が仲間を助けるのかそれとも苦しめるのかは、ほとんど重要ではないことになる。
 神聖な上品さがなければ、いずれであっても我々は地獄へと放逐されることになるはずだ。
 このことが、全ての異教徒の運命であってきた。しかしながら、気高い(noble)。//
 (7)このような理論の支持者はつねに、全てのドアを開けることのできる単一のマスター・キーを追い求めている。
 しかし、全てのことを十分に満足させる説明のごときものは、存在しない。そのようなキーはない。
 文化は、人々が異なる事物によって喚起され、新しい必要(欲求、needs)に動機づけられるがゆえに、発展し、成長する。古い必要は人々の従前の役割への依存を流し去り、文化の自律神経的(autonomous)部分になる。//
 (8)我々の行動の全ては本質的には権力への渇望によって動かされていると主張する理論は、無邪気なもので、ほとんど説明する価値をもたない。一方で、それにもかかわらず、権力それ自体は、追求するにきわめて値する善であるままだ。
 我々が権力について語るとき、一般に、すでに述べてきたようなものよりも狭い意味で用いようと考えている。つまり、個々人や社会全体が他人に影響を与え、彼らの行為を制御するために、有形力(force)を用いて、または有形力を行使すると威嚇して、利用することのできる手段として理解する。
 この意味での権力は、ある程度は組織された、強制(coercion)という手段を必要とする。そして、現今では、これは国家を意味する。//
 ——
 ②へとつづく。第一章は②で終わり。
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2324/H.J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I(2011)②。

 ハロルド·J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I-欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011/原書1983)。
 つづき
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  L·コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(ポーランド語版、1976)の英訳書は1978年に三巻揃って刊行された(なお、第一巻のドイツ語訳書は1977年に出ている)。
 そして第三巻はなぜか?フランスでは出版されなかったというが、それを除くフランス語訳書も含めて、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語等々の翻訳書が世界中で広く刊行された。
 しかし、この欄でしきりと書いたことだが、L·コワコフスキの大著の日本語訳書(邦訳書)は出版されなかった。
 英語が読める関係学界の学者、とくに1970年代後半以降にヨーロッパに留学経験のある者はポーランドを出てOxford にいたコワコフスキとその大著を全く知らなかったとは考え難い。しかし、それでも、邦訳書は出なかった。今後も永遠に出版されないかもしれない。
 今後のことはともかく、1978年以降の日本で、なぜ邦訳書が出なかったのか。
 要するに、その<反マルクス主義>性・<反共産主義>性によって、日本の出版社・出版業界、関係学者(とくにアカデミズム内にいる者)は、国家による<検閲>ではなく、<自主検閲>をしたのだと考えられる。その内容を、日本の学界や読者に知らせたくなかったのだ。
 なお、<反マルクス主義>等と書いたが、一片の「反マルクス」の呼号をしているのではなく、第一巻のほとんどはマルクスに充てられているなど、コワコフスキはマルクスを読んで、マルクス主義研究をしている。彼は、若いときはワルシャワ大学の「思想史」講座の正教授だったのであり、当然にマルクスやレーニン等を読んで、それらを用いて<正統な>?講義もしたことがあったと思われる。それだけの蓄積が早くからあったのだ。
  かなり似た感想をもつのは、上掲のハロルド·J·バーマンの著だ。
 1983年には母語・英語で刊行されたようだが、すみやかに邦訳書が出たわけではない。上の邦訳書は2011年刊行で、30年近く経過している。
 コワコフスキの著もバーマンの著も1991年のソ連解体前に出版されている。
 その時代に、明確な<反共産主義>の書物を日本で日本語訳として出版するのがいかに困難で、危険?だったかが、分かろうというものだ。
 むろん、<反ファシズム>・<反ナツィス>・<ヒトラー批判>の書物ならば、岩波書店のものを中心に多数刊行されていただろう(日本共産党系出版社ではもちろん)。
 上の邦訳書の訳者である宮島直機(1942〜)は、マルクス主義・共産主義というよりも、むしろ「キリスト教」との関係に着目して(この方がこの書の読み方としてはおそらく適切だろう)、「訳者あとがき」で、こう書いている。キリスト教との関係という意味では、秋月瑛二もまたきわめて納得でき、了解することのできる感想だ。一文ごとに改行。p.709。
 「再度、強調しておきたいのは、30年近くまえに出版された本書が、ヨーロッパ各国語のみならず中国語にまで訳されながら、日本語に訳されなかったことである。
 我々はキリスト教の教義に無関心なのだろうか。
 それとも、欧米の法制度がキリスト教の教義を前提にしていることを認めたくないのだろうか迷信としか思えないものが自分たちの継受した法制度を作ったなんて !!)。」
  じつに重たい主題だ。
 池田信夫が最近、「個人主義」発生の基礎には「キリスト教」や欧州領域内での長い「戦争」があった、日本では欧米的「個人主義」は根づかなかった旨を数回書いていることにもかかわる。
 上の著や池田の指摘は、日本の(とくに戦後の)法学界・法学者に重要なかつ厳しい批判を含むことになると考えられる。
 しかし、何と言っても、日本国憲法自体が、直接にはアメリカかもしれないが、その背景にある<ヨーロッパ>の法思想を基礎にしていることの影響は甚大だ。
 「西欧近代立憲主義の基本的約束ごと」をキリスト教には触れることなく無条件に擁護したいらしい樋口陽一(元東京大学教授、元日本公法学会理事長)は、1989年の岩波新書で、日本人は「…力づくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、その痛みとともに追体験する」必要がある、と明言した(No.0524/2008.05.30)。→No.0524
 つぎの現行憲法の条項は、秋月が(理論的には)最も改正・削除すべきものとして、この欄で何回か書いたことがある。こんなに単純には語りえない、と考えるからだ。むろん、憲法の一条項でありながら、「法的」意味の希薄性も問題だ(この条項が現在の人権条項の「改正」をいっさい認めない趣旨だとは一般には解釈されていないと思われる)。
 日本国憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
  現在も残る<自主検閲>とその主謀?学者、一方で、共産主義・「宗教」についてまるできちんとした知識・素養がなく(「左翼」も似たようなものかもしれないが)、まともな議論をする能力のない、とくに(西尾幹二を含む)「いわゆる保守」の悲惨さ、といった論点もある。
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2299/西尾幹二批判018—『国民の歴史』⑤。

  西尾幹二・国民の歴史(全集版、2017)の最後の章にあたるのは「34/人は自由に耐えられるか」だ。その最後の節にあたるものの表題は、数字番号を勝手に付せば、「04/ハイデッガーの三つの『退屈』」だ。
 前の節の最後には、西尾らしい、つぎの文章がある。全集18巻p.633。
 「自由というだけでは、人間は自由にはなれない存在だからである。
 言い換えれば、われわれは深く底抜けに『退屈』しているのである。」
 さすがだ。<自由だけでは、自由になれない>、<自由でも自由になれない>、<自由でも自由ではない>。これらにはきっと深遠な意味があるのに違いない。
 もっとも、西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)での「自由」概念や「自由」論からしても、ここでの、または章の表題にすら使われている西尾における「自由」という語・観念の意味は、さっぱり分からないのだが。
 上の点はともかく、表題のとおり、ハイデッガーに言及がある(ハイデッガーを使っている)。そして、この哲学者は「退屈」には三種類あると述べているとし、西尾は三番目のそれに着目しながら、「自由に耐えられない」「人間の悲劇」の前で立ち尽くしてるという「自覚」を記して、この節、この章、そしてこの書物の本文全体を終えている。
  この最終節でのハイデッガーの扱いを見て、ただちにつぎの疑問が生じる。
 ハイデッガーは、「退屈」について叙述した、論述しただけの哲学者なのか? なぜこの部分についてだけハイデッガーを取り上げるのか?
 『国民の歴史』全体を通じて、西尾はほかにハイデッガーには言及していないはずだ。
 上のことが示唆しているのは、西尾幹二はほとんどハイデッガーを読んでいない、ということだ。そして、「退屈」論だけを利用した、ということだ。
 L・コワコフスキの大著等々におけるハイデッガーに関する叙述やナツィスとの関連が問題とされることのあることを知ってはいるが、この欄での紹介等に再度言及はしない。池田信夫もブログで「反啓蒙」主義者として言及していたことがある(→No.2130/2020/01/24参照)。なお、この欄でこれまで言及していないものに、L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014 )p.217〜p.226の10頁にわたる、難解な内容の論述がある。
 ただ、英国の政治思想学者のジョン・グレイ〔John Gray〕は(反キリスト教・反啓蒙では共通性があるようにも思えるが)よほどハイデッガーをお気に召さないようで、こんなことを書いているので、再度紹介しておく。
 ハイデガーのごとく「哲学者がかくまで自己を主張し、妄想に取り憑かれることはきわめて稀である」。 →No.2077/2019/11/16参照。
 ついでに、グレイによる悪罵は(キリスト教的啓蒙批判ではやはり共通性もあると見られるが)ニーチェに対する方がより強いようで、例えばこう書いている。 
 ニーチェは「人類の歴史」の無意味を「知っていながら承服できなかった」。「最後まで信仰に囚われて」いたので「動物である人間もどうかなるという迷妄を断ち切れず」、「笑止千万な超人の思想を生み出した」。彼は「支離滅裂な人類の夢に、…悪夢を加えるだけで終わった」。同上、参照。
 回り道をしたが、指摘しておきたいのは、西尾幹二における<哲学>の欠如または希薄さだ。
 L・コワコフスキが<…のような意味での哲学者ではない>とニーチェを断じていたことと関係するだろうが、既述のように、西尾は、西欧哲学における、①<認識論>(epistemology, Erkenntnisstheorie) 、②<存在論>(ontology, Ontologie)に関する知識・素養がないのだと思われる。
 そうでなければ、最近にその2020年著の「あとがき」について紹介したような、<哲・史・文>全体によって初めて「外部の全体を見る」ことができる(No.2295/2021/02/19参照)、というような安易な文章は出てこないものと考えられる。
 すなわち、ヒト・人間という<主体>が「外部を見る」、<認識>する、ということの意味を哲学者たちは<思考>してきたのであり、「外部」現象や人間・「個人」・「私」が「ある」・「存在」するということの意味をあれこれと論じてきたのだ。カント、ヘーゲル、そしてマルクスも。
 ハイデッガーもこれらに否定的だとしても、例外ではないだろう。主著に『存在と時間』(1927)がある。
 (ついでながら、茂木健一郎・生きて死ぬ私(ちくま文庫、2006/原書1998第二章「存在と時間」の方が、西尾の文章内容よりもはるかに興味深く、刺激的だ)。)
  以上、多くはかつて指摘したことの反復だ。西尾『国民の歴史』がまるで(その挙げる書の全体を読んで理解したかのごとくして)<ハイデッガーの「退屈」論>だけを取り上げていることの異様さ(・大胆さ?)に刺激されて、記した。

2274/西尾幹二批判007。

 西尾幹二の<反大衆>性については、また別に記す。
  L・コワコフスキによるニーチェに関する小論考のうちで、関心を引いた文章群はつぎだった。邦訳書・藤田祐の訳に添って、つぎのように略述した(No.2259)。 
 ニーチェは諸論点を自信満々に語るが、批判者は相互矛盾を指摘する。「しかし、ニーチェの標的は明確だ。ヨーロッパ文明である」。彼はロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では「哲学者ではなかった」。彼の目的は、「ヨーロッパ文明が幻想で虚偽で自己欺瞞に満ちていて世界をありのままに見られない」ことを明確にさせて、「当時のヨーロッパ文明がいかに脆弱で軽蔑すべきで堕落しているのかを示す」ことだった。
 この部分の主要な意味は、ニーチェの<反科学・反ヨーロッパ文明・反近代文明>性の指摘だろう、と思われる。
 だが、併せて付随的に印象に残るのは、ニーチェは「ロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では『哲学者ではなかった』」、という部分だ。
 この部分の紹介は、邦訳書および英語原書をあらためて参考にしても、誤ってはいない。全体を「」で包んで引用しておこう。
 「ニーチェは、ロックやカントが提起した問題(the quetions posed by Locke or Kant)と格闘(wrestle)しなかったという意味で言うと哲学者(a philosopher)ではなかった」。
 換言すると、ニーチェはロックやカントのような哲学者ではなかった、という意味になるだろう。
 これは、いったいどういう意味だろうか。ニーチェもまた<哲学者>の一人ではないのか。少なくとも日本では、一般的にそう理解されているはずだが。
 あためたてニーチェの文献を読む気のないことは既述のとおりだが、L・コワコフスキによる紹介・分析等々と併せて考えると、ニーチェはつぎのような意味で、欧米の<ふつうの>哲学者とは異なる、のではないかと思われる。
 すなわち、L・コワコフスキ等々の哲学関係文献を読んでいてしばしば、またはときどき出てきて、意味不分明なままで、または立ち入った意味探索を省略して「試訳」として使ってきた言葉・概念だが、ニーチェには、つぎの二つが欠如している、またはほとんどないのだ、と思われる。
 ①<認識論>=epistemology, Erkenntnisstheorie 。
 ②<存在論>=ontology, Ontologie 。
 これらは古くから(西欧)哲学の重要な対象、または中核的に「哲学」された問題だった。安易な紹介は恥ずかしくなるので避けたいが、後者は「存在・不存在』の区別と各々の意味を問題にし、前者は「認識」するということの意味、つまり「主体」・「主観」と「客体」・「客観」の関係や各々の意味を問題にする。
 たしかに、ニーチェの諸主張・諸見解には、これらについての「哲学者らしい」考察はなさそうだ。
  さて、西尾幹二はニーチェの研究者であったらしく、ニーチェを中心として西欧(・欧州)の哲学・思想一般に造詣がある、という印象を与えてもいるが、この点は相当に疑わしいだろう。
 なるほど、欧州・世界の学問研究・「論壇」の市場でどの程度通用するかは別として、西尾は<日本では>、<日本人の中では>、ニーチェについて詳しい知識を持つ人物なのだろう。
 だが、ニーチェはロック、カント等の系列にはない、<ふつうの>哲学者ではない、という指摘があることを知ると、ニーチェが哲学者の一人だとしても、ニーチェについての知識が多いことは西欧(欧州)の哲学やその歴史について造詣があることの根拠にはまるでならないだろう。
 そして、西尾幹二の文章を読んでいると、ニーチェの名前が出てくることはあっても、アリストテレス、プラトンを初め、カント、ヘーゲル、ハイデッガー等々の名前が出ていることはまずない(かりにドイツ系に限っても)。ハンナ・アーレントの名を出していることがあったが、邦訳書自体ですでに大部なので、どの程度詳細に彼女を読んだかははなはだ疑わしい。
 以上が示唆するのは、西尾幹二は、①<認識論>、②<存在論>について、ほとんど何も知らない、ということだ。先走れば、西尾幹二のある書物の最終頁にこんな文章がある。
 これらは「ごく初歩的な歴史哲学上の概念」を提示している。すなわち、「歴史は果して客観たり得るのか。主観の反映であらざるを得ないのか」。
 こんな「ごく初歩的な」問題をあらためてくどく記していることにも、こうした問題についての初歩的・基礎的な思考・考察をしてこなかったことが現れているだろう。
 西尾幹二全集第17巻(2018)、p.760。
 こうした、「主体」・「主観」と歴史を含む「外界」の関係・区別にかかわる問題領域についてある程度は知っていないと、哲学・思想畑に関係する文章を書き、書物を出版することはできない。
 では、西尾幹二は、ニーチェについてだけは、正確に理解しているのだろうか。
 この欄ですでに紹介したことだが(No.2249)、西尾は、例えばつぎのようにニーチェに言及する。月刊WiLL2011年12月号。
 「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、西洋の古典文献学、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです。
 明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」 。
 このような文脈でニーチェの名前を出すことに、どういう意味があるのだろうか。
 すでに指摘したことだが、ニーチェはキリスト教上の「神」について、「神は死んだ」と書いた(はずだ)。しかし、そのことと、「日本の儒学、シナの清朝考証学」や「明治以後の日本の思想」とはどういう関係があるのか。
 また、新たに指摘すれば、ニーチェは「神の廃絶と神の復権」について、いったいどういう発言をしたのだろうか。
 要するに、「神」に触れる段になってニーチェの言葉を「思いついて」、あるいはその名前が「ひらめいて」挿入したにすぎないと思われる。ニーチェについてならば、自分は言及する資格がある(ニーチェ専門家なのだ)、と思ってのことだろう。
  ニーチェにおける<反大衆>性に関係するが、ニーチェは「弱い」、「劣った」民衆には無関心で、そのような人々を侮蔑し、<力への意思>をもつ「強い」人間になれ、自分はその「強い」人間だ、というようなことを言ったらしい。
 こうした気分は、西尾幹二にも見られる。<反大衆>性には別に言及するが、そのような<思い上がり>は、西尾の例えばつぎの文章に顕著だ。 
 西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(2018)、p.751。
 「中国をを先進文明とみなす指標で歴史を組み立てる」のを「克服しようとしている『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えていて、もうひとつの私の主著『江戸のダイナミズム』と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」。
 何と、自分自身の著書を二つ挙げて、「グローバルな文明史的視野を備えていて、…と共に、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」、だと‼︎。西尾、83歳のときの言葉。
  上の部分は、30歳のときから計算しても50年間の自分の「主著」は(ニーチェに関するもの以外に?)上の二つしかないことを自認しているようで、その意味では興味深い(現在の上皇后批判書、雅子妃は(当時の)皇太子と離婚せよ、小和田家が引き取れ、という内容の書物は「主著」ではないのだろう。きっと)。
 また、上は西尾幹二全集の(西尾自身が執筆した)「編集後記」の中にある文章なのだが、西尾幹二全集という「全集」の編集の仕方は異様であって、看過できないところが多々ある。この点は別にもっと詳しく書かなければなない。

2260/L・コワコフスキによるF・ニーチェ②―西尾幹二に関連して。

 前回のつづき。L・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)より。p.196〜。
 (9)ニーチェの言う「力への意思(意志)」には狭義と広義がある。狭義では、「周辺の軽蔑すべき弱者より高みに昇ろうとし、群衆から嫌われ孤立することを恐れない、高貴で勇敢な戦士にふさわしい精神」を示す。かかる戦士は「人間の高度な形態」を具現化し、人類の「目的」・「終着点」を実現する。この「目的」・「終着点」の意味は不明なままだが。
 広義では「宇宙に働くメカニズム」で、「形而上学的な原理」と称し得る。実際には無数の「力への意志の核」の集積体であり、「われわれ一人一人」である各核が「自分の力」の拡大を目ざして格闘する。方向性・目的・意味は不明なままで。
 (10)「力への意志」をもつ人間は自己の「私的利益に関心がない」が、同時に「思いやりや良心や罪」も知らない。これは「種の劣った個体に苦痛」を課したいからではなく、「単に劣った人々に無関心」だからだ。
 (11)「普通の人々」への「激しい軽蔑」は、偉大さを求める「主人の道徳」とニーチェが「群衆」と呼ぶ者たちの「奴隷の道徳」との対照から生じる。ニーチェには街角の「パン屋にも靴職人」も興味がなく、その嫌悪と軽蔑の対象は主に「自由主義や社会主義に染まった教養ある」「群衆」―作家・政治家・哲学家・「多数者の権利と人間の平等」への信念を広める人々―だ。ニーチェが非難するのは、「ヨーロッパ文明を腐敗させ堕落させて」現実に向き合っていない点にある。
 (12)B・ラッセルによると、ニーチェ哲学はつぎのリア王の言葉でまとめられる。―「復讐」を行う、してやる、地上の「恐るべきものに」。
 (13)ニーチェの「自負」からするとB・ラッセルの軽蔑にも根拠はある。しかし、ニーチェは「ある程度正しい」。なぜなら、「20世紀はポスト・ニーチェの時代」とされ、彼は「思いやりや友愛やその他キリスト教の徳を捨て去った」のちのニヒリズム・シニシズム・無神論の描出に「ある程度成功」している。
 ニーチェ像は彼を「先駆けとして持ち上げた」ナチスによって傷ついた。ニーチェは「ナチスでも反ユダヤ主義」でもないことは論証し得るが、大が小に勝つ「自然法則」にもとづき、「他民族の絶滅を伴うにしても第三帝国」の計画を是認しただろう。しかし彼は、孤独で高貴な戦士ではなく、「群衆の本能と感情」を具体化した「ナチスの群衆」を軽蔑したに違いない。その意味で、「ナチスのニーチェ主義」は半分は捏造だ。
 (14)だが、ニーチェが「生を称揚して高尚で力強く偉大なものすべてを神格化」する背後にあると感じられるのは、「制御できずに揺れ動いている」「絶望」だ。存在が無意味であることを悟った精神に生じる「癒しえない絶望」だ。
 我々は以下を問う。「ニーチェのレトリックによって刺激を受け人間の営みの一部で、ある種の完成を成し遂げた人」、「そうすることができないとわかりニーチェ哲学に殉じて自殺した人々」、「どちらが多数派なのか」?
 (15)以下は、ニーチェが設定する「問いかけ」のいくつかだ。
 ①無限に細部まで人生を反復するという「永劫回帰」の理念を支持することによる見通しは「喜ばしい」ものか、「恐るべき」ものか?
 ②ニーチェによれば「生と力に敵対する弱さと恐怖」の宗教であるキリスト教が「世界の大部分を支配する」という成功を収めたことは、ニーチェの主張の「反証」になり得るか否か?
 ③ニーチェによると、「伝統的道徳律」と伝来の「善悪に関する考え方」とは無関係に「力への意志を働かせて自分自身で人生の意味を創りださなければならない」。この見方によれば「偉大な芸術家」と「大犯罪者」はどう異なるのか? いずれも「人生において望んだ意味を創り出している」ので、ともに「同等に賛美すべきなのか」?
 ―――
 以上、邦訳書、訳者・藤田祐の訳に従っての、レシェク・コワコフスキによるF・ニーチェ「哲学」に関する簡潔な?論述。
 さて、こうした要約作業を行ってみたのは、著者がL・コワコフスキであることによるのは当然として、日本の西尾幹二についての「把握」作業の一環として、L・コワコフスキの一文に関心を持ったからだ。
 西尾幹二がたんなるニーチェ「研究者」であるだけではなく、ニーチェにかなり、又はある程度「傾倒している」、少なくとも「強い影響」を受けている、又は少なくともその基礎形成に影響を強く受けただろうことは明らかだ。
 西尾は1970年代に40歳を過ぎてもニーチェに関する(訳書でもない)研究書らしきものを出版しているので、ニーチェに馴染んだのは20〜30歳代の「若い」時代だけではない。
 西尾・全集第4巻(中身は多くは1972年。国書刊行会、2012)参照。
 また、1995年(60歳の年)以降になっても、しばしば、又はときに、「ニーチェ」又はその主張・見解に言及している。
 (かつまた、西尾が研究・分析の対象とした欧米「哲学者」はほぼニーチェに限られることも明らかだ。ついでながら、欧米の(その他世界に広げても同じだが)特定の「哲学者」の研究者は同時代に多くて十名もいないだろうから、日本では容易に〜に関する「専門家」、「第一人者」になれる。このことは外国(の人物・制度・理論)に関する日本の人文・社会系学問分野にほぼ一般に当てはまると思われる。)
 ニーチェの文献を読むことも西尾のニーチェに関する作業に目を通すこともしないが、当然に、近年もつづく西尾による言及の仕方がニーチェの主張・見解を適切に理解したうえのものであるかは。問題になりうるだろう。
 それは別としても、L・コワコフスキによるニーチェの紹介・概括は、西尾幹二を「理解」するうえでも、十分に参考になるところがある。別に書くことにしよう。

2259/L・コワコフスキによるF・ニーチェ①―西尾幹二批判に関連して。

 レシェク・コワコフスキ=藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)。
 30人の(欧米の)哲学者に関する上の著のp.191-p.199.は、F・ニーチェを対象とする。
 むろんL・コワコフスキの読み方・解釈がニーチェに関して一般的なものだと主張するつもりはないし、その資格もないが、先ずはL・コワコフスキの論述をできるだけ忠実に、と言っても要約的にならざるを得ないが、邦訳書に即して段落ごとに追ってみよう。その際、藤田祐の訳しぶりを信頼することにする。
 以下の数字は何段落めかを示す。最終段落(15)だけは実際には4段落から成る(あくまで邦訳書による)。
 (1)ニーチェは①神、②世界の意味、③キリスト教による善悪の区別、を認めないことで「ニヒリスト」とも呼ばれる。しかし、彼は自己の思想を「ニヒリズム的」と説明しないし、生命や本能に「敵対するキリスト教の道徳律」を非難するために「ニヒリズム的」という形容を用意している。もっともこの表現に通常は値するのはキリスト教ではなく、彼自身だ。「しかし、このことは単なる言葉の問題で、取るに足らない」。
 (2)哲学者の著作はその人生の一部だとして、ニーチェの人生の中に「思想の源」を見つけんとする多数の研究者がいる。しかし、詩人や画家の場合とは異なり、「通常は明確でそれ自体で理解できるテクスト」を生もうとする哲学者に関しては人生での出来事・病気・特異な性格に言及する必要はない。そんな言及が必要ならば、哲学者の著作は研究するに値しない。よって、「ニーチェの著作はそれ自体テクストとして研究」でき、「体調不良と、精神病にかかって晩年は施設で過ごしたという事実」は「無視」してよい。
 ニーチェの人生は彼の「レトリックがもつ魅力に屈した」多くの著述家・思想家に何の影響も与えていない。彼の精神生活の有益性・有害性を議論できる。但し、「ドイツ語散文の名人だった」ことに疑問はない。
 (3)ニーチェは諸論点を自信満々に語るが、批判者は相互矛盾を指摘する。「しかし、ニーチェの標的は明確だ。ヨーロッパ文明である」。彼はロックやカントが取り組んだ問題を扱わなかったという意味では「哲学者ではなかった」。彼の目的は、「ヨーロッパ文明が幻想で虚偽で自己欺瞞に満ちていて世界をありのままに見られない」ことを明確にさせて、「当時のヨーロッパ文明がいかに脆弱で軽蔑すべきで堕落しているのかを示す」ことだった。
 どう世界を見るべきかのニーチェの答えは明確だ。「世界全体にも人類史にも、全く意味も合理的な秩序や目的もない。理性なきカオスがあるだけで、<摂理>によって監視されてもおらず、向かうべき目的も方向性もない。他の世界もない。この世界しかなく他のすべては幻想なのだ」。
 (4)ニーチェの時代までに無神論は新奇ではなくなっていたが、彼の有名な一文「神は死んだ」は瞠目すべき効果をもった。たんに神が存在しないことを意味しはせず、「ドイツとヨーロッパのブルジョワ文化の核心に届いた一撃」で、その目的は「キリスト教の伝統」による「ブルジョワ文化」の不存在を指摘し、存在を語るのは「自身を欺く」ことだと示すことだった。ニーチェの意図は、「世界は空虚だ」と人々に「認識」させることにあつた。
 (5)ニーチェによると、「科学」は神・目的・秩序なき世界を把握できない。彼には科学称賛の論考もあり、その時代にはまだ新奇だった「ダーウィニズムに魅了されてもいた」。彼は「自然選択と適者生存」の考え方を是認した。但し、ニーチェが感銘を受けたのは「種の中の弱く劣った個体は取り除かれ、…最も高貴で最善の個体だけが生き残る」という考えだった。この法則が「人間という種」でも働くべきであり、「他より弱々しい個人は死ぬべきで、他より強い個人は生き残って劣った個人が死ぬのを手助けする」のだとした。ニーチェがキリスト教を軽蔑したのは、不幸な者・弱者を自然・生の法則に反して「保護し生き延びさせる」という原理のゆえだった。彼によるとキリスト教は「単純に生に反している」。
 彼はまた、「人間は動物である」とのダーウィニズムも支持した。これはその哲学において「人間は単なる動物にすぎず、それ以上の存在ではない」ことを意味した。
 (6)ニーチェはまた、「ストア派の教説―永劫回帰の理論」を信奉した。これは「進歩や衰退という考え方を含まず、単に同じことが無味乾燥に繰り返されるだけなので、東洋の宗教にある輪廻に対する信仰とは異なる」。彼はこの教説を「科学的仮説」と見なして真剣に取組んだ。
 (7)だが全体としては、部分的に「科学への賛辞」を述べても、科学が<真理>を生み出すことを期待しない。ニーチェによれば、科学は全ての認識と同じく「偏った観点」から解放され得ず、科学のいう「事実」は存在せず、「存在するのは解釈のみ」だ。天国と神の空虚を知るために科学が必要であるのでない。
 (8)我々の「存在の意味」、生きるための「価値」、つまりは「人生の意味」を創出できる―ニーチェはこう言う。そのためには「迷信」を廃し「弱さや謙虚を強め生に反する」キリスト教道徳を廃棄する必要がある。キリスト教道徳とは「復讐を求める欲望とルサンチマンから生まれる道徳」、「奴隷の道徳、高貴な主人に対する復讐を夢見る無力な群衆の道徳」だ。この福音書道徳を「生を力強く肯定する」ものに置換え、「高貴で力強い人々の道徳」・「主人の道徳である力への意思」で武装しなければならない。この道徳には「奴隷道徳」上の「善悪の区別」はなく、「悪」evilではなく「有害」badの言葉に意味がある。生への敵対、「力強く勝利する生の拡大」への敵対が badだ。
 ――
 ほぼ半ばに達したので、ここでいったん区切る。

2257/池田信夫ブログ019-遺伝・環境・自己。

 池田信夫ブログマガジン8月24日号(先週)は①技術は遺伝するか、②国民全員PCR検査がもたらす「アウシュヴィッツ」、③新型コロナは「一類相当」の感染症に格上げされた、④名著再読:例外状態、のいずれも、関心を惹く主題で、密度が濃い。
 上の①の一部についてだけ「引っかかって」、それに関連する文章を書く。
 つぎの一文だ。すでになかなか刺激的だ。
 「獲得形質は遺伝しない、というのは中学生でも知っている進化論の鉄則である

  先祖が<偉い>からその子孫も<偉い>のかどうか。
 万世一系の天皇家の血は「尊い」という意識の適否に関する問題には触れないでおこう。
 だが、例えば源頼朝は伊豆に流されても「貴種」として大切にされた、といわれるように、かつては「親」がどういう一族・身分かは「子」にとって決定的に重要だった。
 そんな意識・感覚がまだ残っている例がある。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)は、重要人物として登場させる小田村寅次郎について、何と少なくとも四回も、小田村は<吉田松陰の妹の曾孫>だった、とわざわざ付記している。一度くらいは当該人物の係累紹介として言及してよいかもしれないが、四回は多すぎる。しかもまた、文章論理上、全く必要のない形容表現なのだ。
 これが、吉田松陰一族関係者だととくに書くことによって(小田村は吉田松陰ではなくその妹の「血」を直接には引いているのだが)、小田村寅次郎の評価または印象を高めるか良いものにしようという動機によるだろうことは明らかだ。
 なお、その影響を受けて、この書に好意的な結論的評価だけを与えた知識人・竹内洋(京都大学名誉教授)もまた、小田村について吉田松陰の係累者だとその書評の中でとくに書いている。
  獲得形質は遺伝しないのではなく遺伝し、かつまた生来(生得)形質も「子」に遺伝する、と多くの人が考えた国や時代もあった(ある)ようだ。
 北朝鮮では全国民が十数の「成分」に区別されている、という話を読んだことがある。あるいは、「成分」の違いによって、国民は十数に分類されている。
 日本帝国主義と戦った勇士の子孫から、旧日本協力者あるいは「資本家」の子孫まで。日本育ちか否かも考慮されるのかもしれない。これは、「親」の職業・地位・思考は「子」に遺伝する、という考えにもとづくものと思われる。
 かつてのソヴィエト連邦でも、少なくともスターリン時代、革命前の「親」の職業はその子の「思想」にも影響を与えると考えられたと見られる。
 ブルジョアジー・「資本家」(・富農)の「子」はその思想自体が<反社会主義>だと考えたのだとすると、「遺伝」を肯定していたと見てよいのではないか。
 上のことを側面から強く示唆する件が、自然科学・生物学・遺伝学の分野であった。<ルイセンコ事件>とも言われる。
 L・コワコフスキによると(2019/02/21、No.1921の試訳参照)、ルイセンコ(Lysenko)は「遺伝子」・「遺伝という不変の実体」は存在せず、「個々の生物がその生活を通じて獲得する特性はその子孫たちに継承される」と出張した。この考えは雑草のムギ化やムギの栽培方法の改革(「春化処理」)による増産、そして農業政策に具体的には関係するものだったが、1948年には党(・スターリン)の「公認」のものになった。
 参照、L・コワコフスキ著試訳/▶︎第三巻第四章第6節・マルクス=レーニン主義の遺伝学
 池田のいう「中学生でも知っている進化論の鉄則」をソ連共産党やスターリンは少なくともいっときは明確に否認していたわけだ。
 この否定論は、人間全改造肯定論であり、人間の改造、思想改造(・洗脳)は可能だ、そしてそれは子孫にも継承させうる、という考え方となる。
 「獲得形質」の強制的変更によって将来のヒト・人間も<変造>できる、というものだ。数世紀、数十世紀にわたっての自然淘汰、<変化>はありうるのだろうが、人間の、特定の「権力」の意思・意向による人間の「改造」論こそ、マルクス主義、あるいは少なくともスターリン主義の恐ろしさであり、このような<人間観>こそ、「暴力革命」容認とやら以上に恐ろしいイデオロギーではないだろうか。
 ルイセンコ説はソ連末期には否定されたが、フルチショフによる寛大な対応もあったとされ、かつまたこの説は、日本の生物学界にも影響を与えたらしい。
 戦後の民主主義科学者協会(民科)生物部会はルイセンコに好意的で、そのような説を説いた某京都大学教授もいた、とされる。ソ連の<権威>によるのだろうから、怖ろしいものだ。
 なお、ほとんど読んでいないが、つぎをいつか読みたい。
 中村禎里/米本昌平解説・日本のルイセンコ論争(新版)(みすず書房、2017)。計259頁。
  J・ヘンリック/今西康子訳・文化がヒトを進化させた-人類の繁栄と<文化・遺伝子革命>を取り上げての池田信夫の文章に少し戻る。
 リチャード・ドーキンス・利己的遺伝子(邦訳書、40周年版・2018)を読んでいないし、文化的遺伝子(ミーム)のこともよく分からない。但し、技術や文化をヒト・人間が生むととともに、そうした技術・文化自体がヒト・人間を「進化」させ、変化させたことも事実だろう。
 しかし、言葉や宗教・道徳の発生を含むそうした「進化」・変化はそれこそ数万年、数千年単位で起こったものだろう。それもまた「獲得形質の遺伝」と言えなくもないとしても、「技術は遺伝するか」(あるいは文化・宗教は遺伝するか)というように、「遺伝」という言葉・概念を用いるのは、やや紛らわしいのではないかと感じる。
 

2250/L・コワコフスキ著第一巻第6章第3節②。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第一巻第6章の試訳のつづき。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第3節・労働の疎外・非人間化される人間〔Die Entfremdung der Arbeit. Der entmenschte Mensch〕②。
 (4)しかし、労働者の解放はたんに私有財産〔私的所有〕の廃棄にもとづくのではない。
 共産主義は、ゆえに私有財産の否定も、多様な形態をとり得る。
 マルクスはとくに、古代の共産主義ユートピアの原始的な全的(totalitär)平等主義を考察した。
 マルクスからすると、これは、いかなる者の私有財産にもなり得ない物を全て、ゆえに諸個人を特徴づける点を全て、廃棄しようとする、一つの共産主義だ。
 この共産主義はまた、才能を消失させ、人間的個性の全てを消去しようとするもので、文明を摘み取ってしまう。
 このように理解される形態の共産主義は、疎外された世界を決して我が物にすることはなく、反対に、疎外を極端に増大させる。そこでは、労働者の現在の条件はかき乱されるだろう。
 かりに共産主義が私有財産〔私的所有〕の<完全な>(positive)廃棄を、そして自己疎外の廃棄を意味するのだとすれば、共産主義は<人間のために人間によって>人という種の固有の本性を獲得し、社会的存在として人間が回帰することになるはずだろう。
 このような共産主義は、人間と人間の、本質と存在の、個体と種の、自由と必然の間の矛盾を解消する。
 しかし、その言う私有財産の「完全な」廃棄とは、いったいどこに存在するのか?
 マルクスは、宗教の廃棄に喩えることを示唆している。
 人間を肯定するために神の否定にもはや依拠しないならば、無神論はその意義を一瞬にして失う。これと全く同様に、完全な意味での社会主義は人間性の直接的な肯定であり、私有財産の否定に依拠する必要はない。
 ゆえにまた、完全な意味での社会主義とは-確実に-、財産〔所有制度〕の問題が解消され、人々の意識に上ることがなくなる、そういう状態なのだ。
 社会主義は、長期間の残虐な歴史過程の結果としてのみ成立し得る。しかし、その完全な形態での社会主義は、全ての人間的本質の、全ての人間的特性と能力の全的(total)な解放なのだ。
 社会主義の新しい生産様式のもとでは、国民経済上の<富裕と困窮>に代わって、<豊かな>人間とそれと同時に豊かな<人間的>需要が生じるだろう。
 そして、「<豊かな>人間とは同時に、人間的な人生表現の全体性(Totalität)を<必要とする>人間のことだ」。(11)
 疎外された労働の条件のもとでの人間の需要の増大は疎外という現象の深化をもたらす。つまり、生産者は人為的な手段でもって需要を増加させようとし、人々を量的にますます多くの生産物に依存させようとする。この環境ではこうしたことは隷属状態を増加させる。これに対して、社会主義の条件のもとでは、需要の豊かさは、人間の本当の豊かさのうちに認められる。//
 (5)『経済学哲学草稿』(パリ草稿)はこのようにして、社会主義を人間性の本質を実現するものとして設定することを試みる。この論脈では社会主義は同時に、たんなる純粋で単純な理想だと叙述されるのではなく、歴史の必然的過程が進む自明の前提として想定されている。
 マルクスはこの理由で、私有財産も、労働の分割も、あるいは人間の疎外も、人間が自分自身の条件を適正に理解するに至るならばいつでも訂正することのできる『誤り』だとは考えない。そうではなく、マルクスはそれらを、将来の解放のための不可欠の条件だと考えている。
 『草稿』がかなり概括的にだけ述べている社会主義観(Sozialismus-Vision)では、それは人間相互、そして人間と自然の間の<全的で>かつ<完全な>調和だと考えられている。それは、人間の本質と人間の存在の完全な一体化は、すなわち人間の究極的宿命とその経験的存在の完全な調和は、将来に達成可能であることを前提にしている。
 このような意味での社会主義社会は、需要が完璧に充足される場所であるに違いない、ゆえにさらに発展する必要はなく、発展のための動機づけも必要がない究極的な社会に違いない、と想ってしまうだろう。
 マルクスは、このような言葉を用いてその社会主義観を表現してはいない。しかし、彼はこのような解釈を排除するように限定してもいない。そして、社会主義に関する彼の展望から明らかになるのは、社会主義は人間の対立の全ての根源が除去されている状態であり、経験的生活で『人間』(人間性の本質)が実現される状態だと把握されている、ということだ。
 マルクスが叙述するように、共産主義とは、「歴史の謎(Rätsel, riddle)を解くものであり、自らがその解決だと知っているものだ」。(12)。
 しかして、ここで生じる疑問は、歴史の謎の解決とは歴史の終焉と同じ意味ではないのか否か、だ。//
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 (11) MEW, Ergänzungsband(補巻), 1. Teil, S. 544を参照。
 (12) 同上, S. 536. <=マルクス・エンゲルス全集第40巻(大月書店、1975)、457頁。
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 第3節、終わり。次節の表題は、<フォイエルバハ批判>。

2249/西尾幹二批判002。

 
 前回に引用した、つぎの西尾幹二の発言もすでに奇妙だ。月刊WiLL2011年12月号。
 ①「『神は死んだ』とニーチェは言いましたが、」
 ②「西洋の古典文献学、日本の儒学、シナの清朝考証学は、まさに神の廃絶と神の復権という壮絶なことを試みた学問であると『江戸のダイナミズム』で論じたのです」。
 ③「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」 。
 上の①・②は一つの文、①・②と③は一続きの文章。
 第一に、前回に書き写し忘れていた「西洋の古典文献学」においては別として、ニーチェが「死んだ」という<神>と「日本の儒学、シナの清朝考証学」における<神>は同じなのか? 一括りにできるのか?
 ニーチェの思い描いた「神」はキリスト教上の「神」であって、それを、インド・中国・日本等における「神」と同一には論じられないのではないか。
 ①と②の間に何気なくある「が、」がクセモノで、いわゆる逆接詞として使われているのではない。
 このように西尾において、同じまたは類似の言葉・観念が、自由に、自由自在に、あるいは自由勝手に、連想され、関係づけられていく、のだと思われる。
 したがって、例えば1999年の『国民の歴史』での「歴史・神話」に関する論述もまた、元来は日本「神話」と中国の史書における「歴史」の差異に関係する主題であるにもかかわらず、「本質的」議論をしたいなどとのカケ声によって、ヨーロッパないし欧米も含めた、より一般的な「歴史・神話」論に傾斜しているところがある。
 そのような<発想>は、2019年(月刊WiLL別冊)の「神話」=「日本的な科学」論でも継承されているが、しかし、神話・歴史に関するその内容は1999年の叙述とは異なっている。西尾において、いかようにでも、その具体的「内容」は変化する。
 連想・観念結合の「自由自在」さと「速さ」は、<鋭い>という肯定的評価につながり得るものではあるが、しかし、「適正さ」・「論理的整合性」・「概念の一貫性」等を保障するものではない。
 ついでに、すでに触れたが、「神話」に論及する際に、「宗教」に触れないのもまた、西尾幹二の独特なところだ。日本「神話」が少なくとも今日、「神道」と切り離せないのは常識的なところだろう。しかし、1999年の『国民の歴史』で<日本>・<ナショナリズム>を示すものとして多数の仏像の「顔」等の表現を積極的・肯定的に取り上げた西尾幹二としては、仏教ではなく神道だ、とは2019年に発言できなかったに違いない。
 もともと1999年著を西尾は、神道と仏教(等)の区別あるいは異同(共通性を含む)に関心を持たないで執筆している。この当時は、神道-神社-神社本庁-神道政治連盟という「意識」はなかった可能性が高いが、これを意識しても何ら不思議ではない2019年の対談発言でも、日本「神話」の「日本の科学」性を肯定しつつも、<仏教ではなく神道だ>とは明言できないのだ。
 ここには、まさに西尾幹二の「評論」類の<政治>性の隠蔽がある。<政治評論>だからいけない、という趣旨ではない。その具体的「政治」性を意識的に隠蔽しようとしている欺瞞性を指摘している。
 第二に、西尾は「明治以後の日本の思想は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません」と何げなく発言している。だが、上の第一の問題がそもそもあることのほか、「ニーチェの問い」を問題として設定する、あるいはそれに対して回答・解答する義務?が「明治以後の日本の思想」にあるわけでは全くないだろう。
 したがって、これは西尾の「思い」にすぎない。ニーチェに関心がない者、あるいはニーチェの「問い」を知ってはいても反応する必要がないと考える者にとって、そんなものは無視してまったく差し支えない。
 もともとはしかし、「神は死んだ」というのはニーチェの「問い」なのか?(上の西尾の書き方だと、そのように読める)、という疑問もある。
 
 上の部分を含む遠藤浩一との対談は『西尾幹二全集』の「刊行記念」とされていて、2011年10月の第一回配本の直後に行われたようだ。
 したがって、西尾幹二の個別の仕事についてというよりも、<全体>を視野に入れたかのごとき対談内容になっている。
 そのような観点からは、つぎの西尾幹二の自らの発言は、すこぶる興味深い。p.245。
 「(遠藤さんもご存知のように、)私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。
 …を皮切りに、…まで、『私』が主題でないものはありません
 私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません。」
 自分が書いたものは全て①「自己物語」で、②「『私』を主題」にしており、③「『私小説的な自我のあり方』」を問題にしてきた。
 上の③の要約はやや正確さを欠くが、いずれも同じ、またはほとんど同じ趣旨だろう。
 西尾幹二の発言だから、多少の<てらい(衒い)>があることは、差し引いておくべきかもしれない。
 しかし、ここに、西尾幹二の<秘密>あるいは、西尾幹二の文章(論説であれ、評論であれ、研究的論述もどきであれ)を読む場合に読者としてはきちんと把握しておかなければならない<ツボ>がある。
 瞞されてはいけないのだ。
 つまり、西尾自身が明記するように「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語」だ、というつもりで、読者は西尾幹二の文章を読む必要がある。
 この辺りの西尾自身の発言が興味深いのは、西尾の「論述」に、「自我=自己肥大」意識、その反面での厳密な「学術性・学問性」の希薄さをしばしば感じてきたからだ。
 少し飛躍してここで書いてしまえば-これからも書くだろうが-、政治や社会やあるいは「歴史」を<文学評論>的に、あるいは<文芸評論>的に論じてはならない。
 政治・社会・国家を<文学的・文芸的>に扱いたいならば、小説等の<創作>の世界で行っていただきたい。三島由紀夫のように、「戯曲」でもかまわない。
 「オレはオレは」、「オレがオレが」の気分で溢れていなくとも、それが強く感じ取れるような「評論」類は、気持ちが悪いし、見苦しいだろう。西尾幹二個人の「『私小説的な自我のあり方』」などに、日本や世界の政治・社会等の現状・行く末あるいはそれらの「歴史」に関心をもつ者は、関心を全く、またはほとんど、持っていない。
 
 レシェク・コワコフスキにつぎの書物があり、邦訳書もある。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - Quetions from Great Philosophers(Penguin Books, 2008/原著2004ー2008).
 =レシェク・コワコフスキ(藤田祐訳)・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014.01)。本文p.244まで。
 後者の邦訳書の藤田祐「訳者あとがき」も参照して書くと、この書はつぎのような経緯をたどったようだ。
 まず、ポーランドで(ポーランド語で)2004年、2005年、2006年に一部が一巻ずつ計3巻刊行された。
 そして、2007年に1冊にまとめての英訳書が出版された。但し、この時点では23人の哲学者だけが対象とされていて、副題も含めて書くと、英訳書の表題はこうだった。
 Leszek Kolakowski, Why Is There Something Rather Than Nothing - 23 Quetions from Great Philosophers(Allen Lane/Basic Books, 2007)。
 2008年版では、扱っている哲学者の数が、30にふえている。2007年以降に著者がポーランド語で追加したものも含めて、2008年の英訳書にしたものと見られる。
 なお、英訳者は、2007年版も2008年版も、Agnieszka Kolakowska。父親のLeszek Kolakowski は2009年に満81歳で逝去した。
 2008年版と上記のその邦訳書は30人の哲学者を取り上げている。
 つぎの30名だ。横文字で、全てを列挙する。()内の7名は追記版で加えられた人物。
 01-Socrates, 02-Parmenides of Elea, 03-Heraclitus of Ephesus, 04-Plato, (05-Aristotle), 06-Epictetus of Hierapolis, 07-Sextus Empiricus, 08-St. Augustlne, 09-St. Anselm, (10-Meister Eckhard), 11-St. Thomas Aquinas, 12-William of Ockham, (13-Nicholas of Cusa), 14-Rene Descartes, 15-Benesict Spinoza, 16-Gottfried Wilhelm Leibniz, 17-Blaise Pascal, 18-John Locke,(19-Thomas Hobbes), 20-David Hume, 21-Immanuel Kant, 22-George Wilhelm Friedrich Hegel, 23-Arthur Schopenhauer, 24-Sören Aabye Kierkegaard, 25-Friedrich Nietzsche, 26-Henri Bergson, 27-Edmond Husserl, (28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus)
 原著・第一の英語版では23名で、つぎの7名が後で加えられた(この説明は日本語版「訳者あとがき」にはない)。再掲する。
 05-Aristotle, 10-Meister Eckhard, 13-Nicholas of Cusa, 19-Thomas Hobbes, 28-Martin Heidegger, 29-Karl Jaspers, 30-Plotinus.
 さて、西尾幹二と比べてL・コワコフスキは遥かによく知っているなどという当たり前のことを記したいのではない。
 上に(25-)Friedrich Nietzsche があるように、L・コワコフスキはニーチェも当然ながら?読んでいる。30人の哲学者を一冊で扱っているので(但し、簡易辞典類のものでは全くない)、ニーチェについても邦訳書で8頁しかない(文庫本のごとき2007年版英訳書では、計10頁)。
 それでも、L・コワコフスキのニーチェに関する記述を参考にして(幸いにもすでに邦訳書がある)、ニーチェが西尾幹二に対して与えた深い?影響は何かを、少しは探ってみたい、と思っている。
 つづける。

2237/L・コワコフスキ著第一巻第6章④・第3節①。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第一巻第6章の試訳のつづき。
 ドイツ語訳書を第一に用い、英訳書も参照する。注記はドイツ語訳書にのみ付いている。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第3節・労働の疎外・非人間化される人間〔Die Entfremdung der Arbeit. Der entmenschte Mensch〕①。
 (1)マルクスは、労働の疎外過程を、資本主義的諸関係の発展形態を土台にして考察した。その資本主義的諸関係では、土地所有権も市場経済の全法則に服している。
 彼の見解によれば、私的所有権は、疎外された労働の帰結であって、その原因ではない。
 伝えられている草稿には、この疎外の始まりに関する説明は含まれていない。
 資本主義的所有の発展した諸関係では、労働者の活動もその生産物も労働者には疎遠なものだ、ということに労働の疎外が表現されている。
 労働は、どの他商品とも同じく一つの商品となった。これが意味するのは、労働者自身が商品となり、市場価格で売られるよう強いられた、ということだ。その市場価格は、生存するための最小限の費用によって決定される。
 ゆえに、労賃が最低限の水準にまで下がっていく、絶えざる傾向がある。その労賃は、一人の労働者が生命を維持し、生殖活動を保持するためにちょうど十分なものだ。
 こうして生じる生産過程では、フォイエルバハが人間の意識での神の創出過程を分析して論述したのと同様の状況が再生産される。
 労働者は富を多く生むほど、それだけ貧しくなる。
 物的世界の価値の増加に応じて、それを生産する人間の価値は下落する。
 労働の対象は、生産者から独立し、自立した、外部の物としての労働過程自体から外れている。
 労働者が自然をより多く我が物にすれば、それだけ多く、労働者は生活手段を奪われる。
 しかし、主体から疎外されるのは、<労働生産物>だけではない。
 労働自体も、疎外される。労働自体は自己確認ではなく、反対に、破壊的過程となってその主体の不幸の源泉となるからだ。
 労働者は自分の労働需要を充足するために労働するのではなく、生命を維持するために労働する。
 労働者は、労働過程にいることを本当に感知しているのではない。つまり、人間に特有な活動を遂行しているという感覚はない。そうではなく、喰い、眠り、子どもを生むというその動物的な活動をしているという感覚だけがある。
 だが、労働が人間の顕著な徴表であるならば(動物とは違って、『人間は肉体的必要から自由なときに生産をし』、『その必要から自由なときに初めて、本当の意味で(wahlhaft)生産をする』(9))、従って労働の疎外が同時に労働者の疎外であるならば、労働は人間から、人間である可能性を、すなわち人間的な態様での生産者である人間となる可能性を、奪う〔非人間化する〕。
 労働者は人間的生活を喪失し、労働はたちまちに外部的過程となり、そしてその人間的本質は、純粋に生物的な活動へと削減される。
 種としての生活(Gattungsleben, life of the species)-労働-は、これによってもっぱらその個々の動物的生活のための手段となり、人間の社会的な本性は、その個々の存在のための道具たる役割へと落ちこんでしまう。
 疎外された労働は人間から種としての生活を奪い取る。そうして生じるのは、他者たる人間がその人間には疎遠な者となり、人間的な共同性が否定され、生活が相争うエゴイズムの世界とと化してしまう、ということだ。
 疎外された労働から発生する私的所有権は、一方では疎外の増大の源泉であるが、疎外を際限なく新たに再生産しもする。//
 (2)労働者の物象化(Verdinglichung, reification)、すなわち、物に対するその人格的性質、筋肉と脳髄、活動と願望が売買と交換のために提供される商品となるという状態は、所持者がそのことによって自由と人間性を保障される、というようには決して働かない。
 その反対に、物象化の過程は、別の態様で資本主義者をも包摂し、その人格に幻影を与える。
 労働者がその動物的性質へと減退するように、資本主義者は不可避的に金銭の抽象的な力に成り果てて、金銭の人格的代表者となり、その人間的特性は金銭に内在している力の形態を帯びる。
 「金銭の力が大きければ、私の力も大きい。
 金銭の特性は、私-金銭の所持者-がもつ特性であり、私の本質的な力だ。
 ゆえに、私が何<であり>何が<できる>かは私の個人性によって決定されるのではない。
 私は醜い。しかし、<最も美しい>女性を購うことができる。
 ゆえに、私は<醜くは>ない。なぜなら、<醜さ>のもつ効果、他人を怯ませる力は、金銭によって無効となっているからだ。
 私は-私の個人性からすると-<足が不自由>だ。しかし、金銭は私に、24本の足を提供してくれる。
 ゆえに、私は<足が不自由>ではない。
 私は、性悪の、不誠実な、良心のない、愚かな人間だ。しかし、金銭は尊敬されており、ゆえにその所持者も尊敬されている。
 金銭は最高に良きものであり、ゆえにその所持者も善良なのだ。」(10)
 (3)疎外にもとづいて、人間の種としての生活と人間の共同社会は、そしてそれらによって個人的生活もまた、麻痺してしまう。
 発展した資本主義社会では、社会的な不自由の<総体>が、疎外の全ての形態が、労働者の生産に対する関係のうちに含まれている。そのゆえに、労働者の解放はたんに、細分化した利益がある一階級としての<彼らの>解放であるのみならず、全体としての社会や人類それ自体の解放なのだ。
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 (9) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 517.
 =マルクス・エンゲルス全集第40巻/マルクス初期著作集(大月書店、1975)、437頁〔第一草稿四〕。
 (10) 同上, S.564. =同上、486-7頁〔第三草稿六〕。
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 第3節②へとつづく。

2231/L・コワコフスキ著第一巻第6章③・第2節②。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第6章の試訳をつづける。
 ドイツ語訳書を第一に用いる。英訳書も参照する。注記はドイツ語訳書にのみ付いている。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第2節・認識の社会的性格と実践的性格②。
 (3)カントの二元論に代わってヘーゲルの観念論が提示した解決方法の恣意性と観想性(Spekulativität)をマルクスに最初に感得させた者は、フォイエルバハだったと思われる。
 ヘーゲルは全く単直に、現実の存在は疎外された自己意識であって、外部化した自己意識のために世界を回帰させるためのものにすぎない、ということから出発する。
 しかし、自己意識は、それを疎外することでは、現実の事物ではない、それの抽象的な見せかけ以上のものを生むことができない。
 そして、人間生活でこの自己疎外の産物が人間を支配するに至って、その支配に人間が服するときには、我々人間の任務は、それを本来の場所へと立ち戻らせて、実際の姿の抽象物だとそれを見分けることだ。
 人間はそれ自体が自然の一部であり、人間が自然のうちにある自らを認識するならば、それは、人間がそのうちに、絶対的に自然に優先する自己意識の働きを再認識するという意味でではない。そうではなく、労働を通じた人間の自己創出の過程で、自然は人間<のための>対象となるという意味でのみだ。これは人間的方法で知覚された対象であり、人間の必要という規準に従って認知的に構造化されており、種の実際的な働きかけと連結してのみ生じる。
 「しかし、自然もまた、人間と切り離されて固定され、抽象的に把握されると、人間にとっては<何ものでもない(nichts, nothing)>」。(5)
 人間という種と自然との間の能動的な対話が出発点だとすれば、また我々が認識する自然も自己意識も純粋に固有の意味でではなくこの対話によってのみ生まれるのならば、人間は、我々人間が知覚する自然を人間化された自然(vermenschlichte Natur)と称することができる。同様にまた、自己意識を自然の自己意識と称することもできる。
 人間は、自然の産物および自然の一部として、自然を自らの一部に変える。自然は、人間の実践の素材(主体的事項)であり、同時に、人間の物理的身体を延長したもの(Verlängerung, prolongation)だ。
 このような観点からすると、世界の創造者に関する問題を設定するのは無意味だ。そういう問題設定は、自然と世界は存在しない(Nicht-Seins)という、人間が本当は架空の出発点としてすら設定することのできない、非現実的な状況を想定しているのだから。
 「きみが自然と人間の創造に関して問うとき、人間と自然を抽象化している。
 きみは人間と自然は<存在しない>ものと考えつつ、私がそれを存在しているときみに証明することを望んでいる。
 そうなら、こう言おう。きみは抽象化を止めよ、そうすればきみはその問題も捨て去るだろう。」(6)
 「しかし、社会主義的人間にとって<いわゆる世界史全体>は人間の労働による人間の創出に他ならず、人間のための自然の生成に他ならないがゆえに、社会主義的人間は、自分の誕生それ自体に関する、つまり自分の<発生過程>に関する、直想的で異論の余地のない証拠を有していることになる。
 人間と自然の<本質性>が、つまり人間が人間のための自然の存在としてあり、自然が人間のための人間の存在としてあることが実践的、感覚的に直観することができるようになっていれば、<外部(fremd)の本質>に関する問題設定、自然と人間を超える本質に関する問題設定は、…実践的には不可能になっている。
 この非本質性を否認する<無神論(Atheismus)>は、もはや意味を有しない。なぜなら、無神論は<神の否定>であり、その否定によって<人間の存在>を設定するものだからだ。
 しかし、社会主義は社会主義として、そのような媒介物をもはや必要としない。
 社会主義は、人間と自然は<本質>だという<理論的かつ実践的に感覚的な意識>から出発するのだ。
 社会主義は、積極的な、宗教の止揚にもはや媒介されることのない人間の自己意識だ。<現実の生活>が、積極的な、私的所有権の止揚、つまり共産主義、に媒介されることのない人間の現実であるのと同様に。」(7)
 (4)ここから見て取れるように、マルクスにとって、認識論上の問題設定は、形而上学上の問題設定とともに、正当性を失う。
 人間は、自分がまるでその外にいるように世界を見ることはできないし、人間の行為の全体性から純粋に認識行為だけを取り出すことはできない。なぜなら、認識する主体は、自然への積極的な関与者である全的な統合的主体の一面だからだ。
 自然が人間についてそうであるように、人間の係数(Koeffizient, coefficient)は自然のうちに現存する。そして、他方では、人間は世界との交渉から人間自身に固有の受動性という要素を排除することはできない。
 この点で、マルクスの思考は、伝来的な唯物論の諸範型と対立するとともに、固有の外部化として対象を構成するヘーゲルの自己意識の理論とも同等に対立している。マルクスが衝突する伝来的な唯物論では、根源にある認識行為は対象の受動的な反応であり、対象を主観的な内容へと変形させる。
 マルクスは自分の立場を、「徹底した(durchgeführt, consistent)自然主義」、あるいは人間主義(humanism)と称した。これらは、彼が言うには、「観念論とも唯物論とも同等に区別され、両者を同時に統合した真実(Wahrheit, truth)だ」。(8)
 これは人類学的な立場であり、人間化された自然のうちに実践的な人間の意図の反対項(Gegenglied, counterpart)を見ている。人間の実践が社会的な性格をもつように、その認識上の効果、つまり自然に関する像は、社会的な人間が作り出した物なのだ。
 人間の意識はたんに自然との社会的関係に関する思考に表現された物であり、共同社会的な種の活動の所産だと、把握されなければならない。
 従って、意識の変形もまた、意識自体の逸脱または不備によるものとして説明されるべきではなく、その根源はより固有の過程のうちに、とくに労働の疎外のうちに探し求められなければならない。//
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 (5) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 587
 =マルクス・エンゲルス全集第40巻/マルクス初期著作集(大月書店、1975)、510頁。
 (6) 同上, p.545. =同上、466-7頁。
 (7) 同上, p.546. =同上、467頁。
 (8) 同上, p.577参照。=同上、500頁。
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 第2節、終わり。第3節の表題は、<労働の疎外・脱人間化される人間>。

2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第6章の試訳をつづける。
 ドイツ語訳書を第一に用いる。英訳書も参照する。
 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
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 第2節・認識の社会的性格と実践的性格①。
 (1)マルクスにとって、人間を根本的に性格づけるのは労働だ。労働は、人間が能動的あるいは消極的に同時にかかわる、自然との接触だ。そのゆえに彼は、伝統的な認識論上の諸問題について、新しい観点からその考え方を検討しなければならなかった。
 マルクスは、デカルトやカントが設定した諸問題の正統性を承認することができない。
 自己意識という行為が対象へと移行するのがどのようにして可能であるのか、という問題を探求するのは間違っている、とマルクスは主張する。なぜなら、出発点たる行為として純粋な自己知覚を前提とすることは、自然と社会でのその主体の存在から完全に自立して自分自身を把握することができるという、主体に関するフィクションにもとづいているからだ。
 他方で、彼は、自然をすでに知られている現実だと見なすことや、人間とその人間の主体性を自然の産物だと見なすことも、同様に間違っていると考える。あたかも、人間の自然との実際的な関係を無視して、自然それ自体を考察することが可能であるかのごとくなのだから。
 正しい出発地点は、人間の自然との能動的な接触(aktiver Kontakt, active contact)にある。そして、この接触を、一つに自己意識をもつ人間、二つに自然へと分別することは、抽象化によってのみ成り立つことだ。
 世界に対する人間の関係は、元来は観想(Kontemplation, contemplation)や受動的な感知ではない。事物が主体に対して表相を伝えたり、あるいはその本来の存在を主体が感知し得るものへと変換させることによって可能となるような、観想や感知ではない。
 知覚(Wahrnehmung, perception)とは最初から、自然と人間存在の実際的な指向とが結びついた、協力の結果なのだ。人間存在は社会的意味での主体なのであり、事物を適正な対象だと、「何かのために」役立つものとして作られたものだと、見なすのだ。//
 「人間は、多面的(allseitig, many-sided)なやり方で、ゆえに全面的(total, whole)人間として、自分の多面的な存在を我が物とする(aneignen, assimilate)。
 世界に対する<人間的>関係の全ては、つまり、見る、聴く、嗅ぐ、味わう、感じる、思考する、直観する、看取する、意欲する、活動する、愛すること等々は、簡単には、人間の個性(Individualität, personality)たる全ての諸器官が、直接に共同体的器官の形態である諸器官のごとく、それらの<対象的>関係またはそれらの<対象に対する関係>において、その同一物たる対象を我が物とすることなのだ。
 <人間的>現実を我が物とすること、人間が対象と関係するということは、<人間的現実を確証すること(Bestätigung)>だ。」(2)
 「眼は、<人間的>眼になってきた。眼の対象が社会的で<人間的>で、人間によって人間のために由来する対象になってきたのにつれて。
 人間の感覚(Sinn)はゆえに、直接にその実践の中で<理論家>になってきた。
 感覚は、物事それ自体のために<物事>と関係するが、しかし、物事それ自体は、物事自体や人間に対して<対象的で人間的な>かかわり方をするのであり、また逆のことも言える。」(3)
 「対象は、眼に対しては耳に対するのとは異なるものになる。眼の対象は、耳の対象とは別のものだ。
 それぞれの本質的力がもつ特有性がまさしくその<特有の本質>(eigentümliches Wesen)であり、ゆえにまた、対象化する特有の仕方や、生き生きとした<対象的で現実的な存在>でもある。<中略>
 最も美しい音楽であっても非音楽的な耳に対しては何の意義をも有しないように、それだけでは対象にはならない。なぜなら、私の対象は私の本質的力を確証するものでのみあり得るからだ。
 また、私には、私の本質的力が主体的能力であるような場合にのみそうなのだ。なぜなら、私にとって対象がもつ意義は、私の感覚が非社会的人間の感覚とは異なる社会的人間の感覚となるような場合にこそ生じるからだ。」(4)
 (2)看取できるだろうように、マルクスは、カントおよびヘーゲルが哲学的著作で設定した認識論上の関心方向を取り上げている。すなわち、どのようにすれば、人間の意識(Bewußtsein, mind)は世界を「手元に」(bei sich, at home)再現することができるのか。
 合理的意識(rational consciousness)と、直接に非合理的な形で単直に存在している世界の間の外部性(Fremdheit)を止揚することは可能なのか、可能ならばどのようにして?
 我々がこの問題に一般的内容を与えるとすれば、マルクスはこの問題を古典的ドイツ哲学から継承した、と言うことができるだろう。
 しかし、マルクスが問う特有の問題は、詳しく立ち入れば異なり、とりわけカントが設定する問題とは区別される。
 カントの教説においては、自由で理性的な主体と向かい合う自然の外部性(Fremdheit, alienness)を克服することができない。
 認識する主体的事項の二元性、すなわち所与のものと<先験的>(a priori)形態との間の基本的な区別は、現実の条件のもとでは除去することができないし、経験的データの多様性が合理化されることもない。
 自己決定をする、そのゆえに自由な主体は、必然性によって制約される自然と向かい合う。自分とは別個のものとして、耐え忍ばなければならない非合理性と。
 同様に、理想や倫理的要請も、非合理な世界から派生することはあり得ない。このことで、理想と現実の対立は避けられないものになる。
 世界の統合は、すなわち主体と客体、人間的自由と自然の必然性、感覚と思考とを含む統合は、理性が効果的には達成することのできない限界的仮定(Grenzpostulat)だ。それは、理性が現実には決してどこにも生成させることができず、止むことなく追い求めなければならないものだ。
 かくして、現実は主体にとって、その精神的能力や倫理的理想にとって、到達することのできない限界(Grenze, limitation)だ。
 ヘーゲルの見方では、カントの二元論は合理主義の放棄を意味しており、止むなき努力では達成できない限界である統合という仮説は、反弁証法的な世界観(Weltsicht)の例だ。
 人間が帰属している二つの世界の分裂が全ての個々の認識上および道徳上の行為についてやはり同等に甚だしいものであれば、それの止揚を目指す際限なき努力は、不毛なまま無限に続くもの(Unendlichkeit, infinitude)であり、内部的分裂を自分で治癒することのできない人間を際限なく再生産するだろう。
 ゆえに、ヘーゲルは、主体が存在を漸次的に我が物とする過程を提示しようとする。主体がもつ元来は隠れている理性を、つまりその精神的本質を、連続的に再認識するものとして。
 存在しているというまさにその事実のうちに理性を発見できないならば、理性は無能だ。また、理性がそれ自体の完全さを押し包んで、同時に非理性的な世界の重荷を負うならば。
 しかし、理性がその世界に出現している理性を発見するとき、現実を自己意識の産物だと、絶対的なものが自己限定する活動の結果だと理解するとき、世界を主体のために我が物として回復することができる。
 哲学は、その作業を行う責任をもつものだ。//
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 (2) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 539f.
 =マルクス・エンゲルス全集第40巻/マルクス初期著作集(大月書店、1975)、460頁。
 (3) 同上, S. 540. =同上、461頁。
 (4) 同上, S. 541. =同上、462頁。
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 ②へとつづく。 


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2228/L・コワコフスキ著第一巻第6章・経哲草稿①。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流/第一巻。
 =Leszek Kolakowski, Die Hauptströmungen des Marxismus-Einleitung・Entwickliung・Zerfall. -Erster Band〔第一巻〕(P. Piper, München, Zürich, 1977).
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism. -Vol. 1: The Founders(Oxford, 1978).
 第6章の試訳を行う。
 上のうち、これまでのL・コワコフスキ著の試訳とは異なり、ドイツ語訳書を第一に用いる。適宜、英訳書も参照する。いずれによるかによって、文構造や表面上の訳語はかなり異なる。いずれも分冊版で、独訳書、p.151~。英訳書、p.132~。
 第6章の第1節にあたるものの前には見出しがないので、たんに「(序)」とした。
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 第6章・1844年の草稿(=パリ草稿)・疎外労働理論・青年エンゲルス。
 (序)
 (1)1844年、マルクスはパリで、論考を執筆していた。それは政治経済学を批判し、経済学上の基本概念を一般的哲学的に分析しようとするものだった。経済学上の基本概念とは、資本、地代(Grundrente, rent)、労働、所有権(Eigentum, property)、貨幣、需要(Bedürfnisse, needs)、賃金(Arbeitslohn, wages)。
 この論考は完成せず、1932年に初めて公刊され、「1844年の経済学哲学草稿」という表題で知られる。そして、マルクスがスケッチ風に叙述したものだったにもかかわらず、公刊後には、マルクス主義の進展に関する研究者が依拠する、最も重要な典拠の一つになった。
 マルクスは実際に、社会主義を一つの総体的世界観として叙述しようとしている。社会主義を社会改革の綱領としてのみならず、経済学の諸範疇を自然と人間の間の哲学的に解釈される関係へと統合しようとしている。その際、この関係は、認識論上の問題と形而上学上の問題を論述するための基礎にもなっている。//
 (2)マルクスは、ドイツの哲学者や社会主義著作者だけではなく、彼がそれらの著作の研究を開始していた、政治経済学の創設者たちも、その出発点としていた。すなわち、ケネー(François Quesnay)、A・スミス、リカルド、セイ(Jean-Baptiste Say)、ジェイムズ・ミル(James Mill)。//
 (3)自明のことだが、『草稿』から『資本』の全内容を抽出することができるというのは、完全に誤っている。
 それでもしかし、『草稿』は、マルクスが生涯の終わりまで書き続け、最終型が『資本』と称される書物の、輪郭(Umriß)だ。
 最終型は決して初めの型を否定しておらずその発展型だ、ということを支持する重要な根拠がある。
 「成熟した」形でのマルクス主義の基礎だと考えられている価値理論も剰余価値理論も、『草稿』には存在しない。
 特殊マルクス的内容をもつ価値理論は(すなわち抽象的価値と具体的価値の区別や労働力の商品性の承認と連結させたものは)、しかし、疎外労働の理論の明確な範型に他ならない。//
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 第1節・ヘーゲルへの批判・人間の基礎としての労働。
 (1)ヘーゲルの『精神現象学』は、とりわけ疎外(Entfremdung, alienation)の理論と疎外過程としての労働の理論は、マルクスにとっての消極的な準拠点(Bezugspunkte)だった。
  マルクスにとって、ヘーゲルの否定の弁証法の偉大さは、人間の自己生産の過程を疎外とその止揚(Aufheben, transcendence)の連続的段階だと把握する、という点にある。
 ヘーゲルによると、人間はその種としての本質をつぎのようにして明らかにする。まずは具象的な状態での自分に固有の諸力と関係づけ、次いで言わば外部からそれらを再び自己のものとする(=同質化する)ことによって。
 人間の本質(menschliches Wesen, essence of man)を実現するものとしての労働は、ヘーゲルにとってはそのゆえに、もっぱら積極的な意義をもつ。それ自身の外部化を通じて人間性が発展する、そのような過程なのだ。
 しかしながら、ヘーゲルによっては、人間の本質は自己意識と同一視され、労働は精神的活動と同一視される。
 したがって、その本来の形態での疎外は自己意識の疎外であり、全ての具体的実在は疎外された自己意識だ。
 ヘーゲルによると、人間が自分の本質を改めて我が物とすることは、具体的対象の止揚であり、それを人間の精神的本質へとそれを帰還させることなのだ。
 人間の自然との統合は、精神の次元で行われる。その理由で、マルクスにとっては、抽象的で表面的なものになる。//
 (2)マルクスはこれに対し、人間を考察するに際して、フォイエルバハに従って、自然との肉体的(sinnlich, phiysical)な交渉という意味での労働を、出発点に据えた。
 労働は人間の全ての精神活動の条件であり、人間は労働のうちに自己の創造力の対象である自然はもとより、自分自身を創り出す。
 人間が必要とする対象は、ゆえに人間がその本質を発見して実現する対象は、人間とは別個のものだ。すなわち換言すれば、人間は被る(leidend, passive)存在でもある。
 だが、人間はたんに自然的存在であるのではなく、人間自体のための存在(Fürsichsein, being-for-himself[対自存在])だ。したがって、事物は人間にとって、人間・対象・存在という状況を考慮しないで済む(=人間の対象であるということとは無関係の)単純なものとして、存在しているのではない。
 「ゆえに、<人間の>対象は、人間に直接に提示される自然的対象ではない。また、直接的な<人間の感覚(Sinn)>は、<人間的感覚(Sinnlichkeit)>や人間的な対象でもない。」(1)
 従って、疎外されたものとして対象を止揚することは、ヘーゲルが言うのとは反対に、対象たるものの止揚では全くあり得ない。
 人間が自然と対象を再び我が物とする可能性は、疎外労働のメカニズムを通じて明らかになる、疎外という現実の現象が発生する態様を明確にすることによって、初めて生まれる。//
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 (1) MEW, Ergänzungsband, 1. Teil, S. 579.〔マルクス=エンゲルス全集補巻第一部、579頁〕
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 「序」と第1節、終わり。

2199/L・コワコフスキ「保守リベラル社会主義者になる方法」②。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial (The Univerity of Chicago Press, 1990).
 第三部・リベラル・革命家・夢想家について。
 第19章・保守リベラル社会主義者になる方法
 =How to Be Conservative-Liberal-Socialist. Credo.
 (原文/1978年10月-Encounter。著者による修正あり。)
 B/、C/、は、原文にはない。
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 L・コワコフスキ「保守リベラル社会主義者になる方法」②。
 ***
 B/あるリベラルはこう考える。
 1.国家の目的は安全確保(security)だという古代の思想は、依然として有効なままだ。
 「安全確保」という観念が法による人身や財産の保護のみならず、保険の多数の諸条項をも含むように拡張されてすら、有効なままだ。
 人々は失業しても、餓死すべきではない。貧困な人々は、医療の助けの不足で死亡しても、非難されるべきではない。子どもたちには、教育を自由に受ける機会が与えられるべきだ。-これらも全て、安全確保の問題だ。
 だが、安全確保を自由(liberty)と混同してはならない。
 国家は、積極的に行動したり生活の多様な領域を規整したりすることによってではなく、何もしないことによって、自由(freesom)を保障する。
 安全確保は実際には、自由(liberty)を犠牲にしてのみ拡張され得る。
 ともかくも、人々を幸福にするのは、国家の役割ではない。
 2.人間の共同社会は、不況によってのみ脅かされるのではない。人々が個人の主導性と創造性がなくなるまで組織されるときには、頽廃によっても脅かされる。
 人類の集団自殺は、考えられ得るものだ。しかし、我々はアリではないがゆえに、永続的な人間のアリ山は考えられ得ない。
 3.全ての形態の競争がなくなってしまう社会は、創造と進歩のために必要な刺激を持ち続けるだろう、というのは、ほとんどありそうにない。
 平等性の増大は、それ自体が目的なのではなく、手段にすぎない。
 換言すれば、かりに結果が豊かな人々の生活条件を下落させるだけで、恵まれない人々の生活向上にはならないとしても、平等性の増大を求める闘いには終わりがない。
 完璧な平等とは、自己を打ち負かす理想だ。//
 ***
 C/ある社会主義者はこう考える。
 1.利潤の追求が生産システムの唯一の調整者である社会は、利潤という動機が生産調整力から完全に排除される社会と同じく、悲しい-おそらくはより悲痛な-大災難に陥っている。
 経済活動の自由が安全確保のために制限されるべきであり、金銭が自動的により多額の金銭を生み出してはならないことには、十分な根拠がある。
 しかし、自由の制限は正確にそう称されるべきであり、より高次の形態の自由だと称されてはならない。
 2.完全な、対立なき社会は不可能であるという単純な理由で、全ての現存する形態の不平等は不可避であり、利潤獲得のための全ての方法が正当化される、と結論づけるのは、馬鹿げており、かつ偽善だ。
 進歩的所得税は非人間的で忌まわしいという驚くべき考えにいたる保守派の人間学的悲観論は、収容所列島がもとづく歴史的楽観論と全く同様に疑わしい。
 3.経済を大切な社会的統制に服せしめようとする志向は、かりに官僚機構の増大という対価を支払わなければならないとしても、奨励されるべきだ。
 しかしながら、この統制は、代表制民主主義の範囲内で加えられなければならない。
 かくして、まさにその統制の増大が自由に対する脅威を生じさせるのであるから、その脅威に対抗することのできる諸制度を構想することがきわめて重要だ。
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 このように理解することができるかぎりで、制御に関するこれらの一セットの思想は、自己矛盾はしていない。
 そして、そのゆえに、保守・リベラル・社会主義者になることが可能だ。
 このことは、三つのそれぞれの主張はもはやお互いに排他的なものではない、と言うことと同じだ。//
 私が最初に言及した偉大で力強いインターナショナルについて言えば、-。
 幸福になるだろうと人々に約束することができないがゆえに、これは決して存在しないだろう。//
 ----
 終わり。
 

2198/L・コワコフスキ「保守リベラル社会主義者になる方法」①。

 Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial (The Univerity of Chicago Press, 1990).
 第三部・リベラル・革命家・夢想家について。
 第19章・「保守リベラル社会主義者になる方法-信条」。
 =How to Be Conservative-Liberal-Socialist. Credo.
 (原文/1978年10月-Encounter。著者による修正あり。)
 A/、B/、C/、は、原文にはない。
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 L・コワコフスキ「保守リベラル社会主義者になる方法」①。
 標語・「後ろの方へ前進して下さい!」。
 これは、私がワルシャワの路面電車の中でかつて聞いたお願いを、ほぼ適切に翻訳したものだ。
 決して存在しないだろう力強いインターナショナルのスローガンとして、私はこれを提案する。
 ***
 A/ある保守派(Conservative)はこう考える。
 1.人間の生活には、堕落や邪悪という対価がないような改良はなかったし、今後もないだろう。
 そうだから、改革や改善を行ういずれの企てを考察する場合にも、その対価が必ず査定されなければならない。
 別の言い方はすれば、多数の邪悪は共存できるものだ(すなわち、我々は包括的に全てにかつ同時に、これらに苦しめられることがあり得る)。
 しかし、多数の善は、お互いに制限し合い、傷つけ合う。ゆえに、我々は決して、善を完全にかつ同時に享受することはないだろう。
 全ゆる種類の平等がなく全ゆる種類の自由(liberty)もない社会は、完璧に可能だ。
 しかし、全ての平等と全ての自由(freedom)を結合させている社会秩序は、可能ではない。
 同じことは、計画化と自律という原理の両立可能性、安全確保と技術の進歩、についても当てはまる。
 また別の言い方をすれば、人間の歴史には幸福な終わり方はない。
  2.かりにある社会における生活が耐えられるもので、あるいは可能ですらあるとすれば、我々は、社会生活上の多様な伝統的形態-家族、儀礼、民族、宗教的共同体-がいかなる程度に不可欠のものであるかを分かっていない。
 これら諸形態を破壊したり非合理的だと烙印を捺すときに、我々は幸福、平和、安全、あるいは自由を得る機会を増大させる、と考えるいかなる根拠もない。
 例えば、かりに一夫一婦制家族が廃止されるとすれば、あるいは死者を埋葬する際の古き良き慣習が産業目的のための死体の合理的再利用に取って代わられるとすれば、いったいどのようなことが起きるのか、我々は確実には分かっていない。
 しかし、我々はきっと、最悪のことを予期するだろう。
 3.啓蒙主義の固定観念(idée fixe)-嫉妬、虚栄、貪欲、および攻撃心は全て社会制度の欠陥によって惹起される、また、その制度がいったん改良されればこれらもまた一掃される-は、全く信じ難い、全ての経験に反するものであるのみならず、きわめて危険なものだ。
 人間の本性に反するものであるなら、それら諸制度は、いったいどのようにして発生したのか?
 我々は友情、愛、および利他心を制度化することができる、という希望を抱くのは、専制体制への信頼できる青写真をすでに持つ、ということだ。
 ***
 B/へとつづく。
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