François Furet, Lies, Passions & Illusions —The Democtratic Imagination in the 20th Century.
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
試訳のつづき。
——
第8章第2節①。
(1)三方ゲームというだけではない。ファシズム、自由(liberal)民主主義、ボルシェヴィズムの三つ全ては、歴史上の比較し得る意義を分け持った。
ファシストにとって、ボルシェヴィズムは自由民主主義の未来だった。ファシストは自由民主主義を、ボルシェヴィズムを培養する基盤と見なしていたのだから。
反対にボルシェヴィキにとって、自由民主主義は、ファシズムを培養する基盤だった。彼らは、自由民主主義は必然的にファシズムになると考えていたのだから。
結局のところ、これらは三つの陣営だった。そして、中間にいる一つは、他の二つへと導く経路にすぎなかった。
要するに、ファシストにとっては、自由民主主義の真実はボルシェヴィズムであり、ボルシェヴィキにとっては、それはファシズムだった。
ファシストとボルシェヴィキのいずれも、相手が聴こうとすることを多く語った。
そして、両者ともに、ブルジョア民主主義を一緒になって攻撃するができるようになった。かつ、両者ともに、ブルジョア民主主義の最終的な継承者だと主張したのだ。//
(2)神秘的であるのは、人々がブルジョアジーを嫌悪していることではない。
民主主義者にとって、ブルジョアジーを嫌悪するのは「ふつう」(normal)のことだ。
ブルジョアジーは、その正統性が全て富に由来する階級だ。したがって、象徴的価値を待たず、正統性がない。
ブルジョアジーを好ましい階級にするのはむろんのこと、尊敬できる階級にすることは決してできないだろう。
ブルジョアジーを侮蔑することは、現代社会の夢の一つだ。
しかし、そのことは必ずしも、20世紀に充満した恐怖につながるわけではない。
神秘的であるのは、物事がひどく悪く進行し、体制がひどく犯罪的で、そして反ブルジョア感情があのような集団的狂気(collective madness)にまで至った、ということだ。
近代世界はこの300年間、ブルジョアジーへの憎悪を引き摺ってきている。
そしてついには、その憎悪とともに生きている。
その憎悪から、芸術や思想を作り出してすらいる。
だが、正統性のない地点から我々はどうやって、あの収容所に、数百万の死に、肉体と精神に対して向けられた暴力に至ったのか?
私の問題は、これを「神秘」と呼んでいるのだが、20世紀の悲劇的性格だ。//
(3)我々は、全てを理解したとか、説明したとか、そういう自惚れには抵抗しなければならない。
とっくに時代の政治的熱情の底に到達し、それを育てた複雑な条件をもう一度作った。
しかし、20世紀のヨーロッパの文明化の程度とその歴史の特徴である残虐な狂気の間にある対照さについては、理性的な説明が行われていないままだ。
制服を着たドイツ人の集団的加虐性は、Daniel Goldhagen が叙述したけれども解明しなかった神秘のままだ。//
(4)H・アレントはたしかに、20世紀の偉大な目撃者の一人だった。その著作への私の敬意には留保がつくけれども。
彼女の思考はしばしば混乱していて、ときには矛盾しており、少しばかり煽動的だ。同時に反モダン、反ブルジョアジー、反共産主義者、反ファシスト、反シオニストでいることはできない。そして、これらを全て拒否したとしてもまだ、20世紀の政治の歴史に関して明瞭に思考することはできない。//
(5)分かるだろう。H・アレントの歴史の仕事は弱い。—例えば、彼女は〈全体主義について〉の最初の二巻で、深い専門的知識をとくには示していない。
彼女のドレフュス事件(Dreyfus Affair)の知識は大雑把なもので、同じことはファシズムの由来に関する彼女の知識についても言える。
彼女のあの大著の歴史の部分は、むしろ総じて弱い。
素晴らしいのは、悲劇、収容所に関する彼女の知覚力だ。
H・アレントは、このようなことが起きたのは人間の歴史上初めてだと主張する。
そして、彼女は、Vassily Grossmann とともに、だが別個に—もう一度言う、彼らだけであり、二人ともにユダヤ人で、彼はソヴィエト軍におり、彼女はアメリカへの亡命者だった—、アリストテレス、モンテスキュ—、あるいはマックス・ウェーバーが説明することのできない恐ろしい仕組みにある何かを見た、その何かを理解するには我々には新しい道具が必要であるものを見た、最初の人物だった。
私が彼女に対して最も敬意を払うのは、近代民主主義の観点から、個人で成る社会や民主主義的細分化と技術の射程から、彼女はファシズムと共産主義を論述しようとしたことだ。
彼女は哲学者として、「全体主義」という観念を再び作出した。
私が示そうとしたのは、H・アレントよりも前に何人かの20世紀の思考者はすでにこの観念を探究しており、部分的には発展させていた、ということだ。
彼女はほとんど極端なほどに、その観念を利用した。//
(6)全体主義という観念は、ナツィズムとスターリニズムにある比較対照することのできない側面を持ち出して、つねに反駁され得る。また、両者にある比較対照することのできるものを用いて、つねに擁護することができる。
別言すると、私はこの観念に執着しないけれども、スターリンのソヴィエト同盟とヒトラーのドイツにある比較対照可能な要素を的確に指し示すために、なおも私はこの観念を用いることができる。
しかし、全体主義という思想が最も厳格な形態を持たされ、ナツィ・ドイツとスターリン体制にはともに新しい政治的観念があり、同じ経験的実体が組成されていると理解するのは、行き過ぎているだろう。//
——
②へとつづく。
(The University of Chicago Press/Chicago & London、2014/原仏語書、2012)
試訳のつづき。
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第8章第2節①。
(1)三方ゲームというだけではない。ファシズム、自由(liberal)民主主義、ボルシェヴィズムの三つ全ては、歴史上の比較し得る意義を分け持った。
ファシストにとって、ボルシェヴィズムは自由民主主義の未来だった。ファシストは自由民主主義を、ボルシェヴィズムを培養する基盤と見なしていたのだから。
反対にボルシェヴィキにとって、自由民主主義は、ファシズムを培養する基盤だった。彼らは、自由民主主義は必然的にファシズムになると考えていたのだから。
結局のところ、これらは三つの陣営だった。そして、中間にいる一つは、他の二つへと導く経路にすぎなかった。
要するに、ファシストにとっては、自由民主主義の真実はボルシェヴィズムであり、ボルシェヴィキにとっては、それはファシズムだった。
ファシストとボルシェヴィキのいずれも、相手が聴こうとすることを多く語った。
そして、両者ともに、ブルジョア民主主義を一緒になって攻撃するができるようになった。かつ、両者ともに、ブルジョア民主主義の最終的な継承者だと主張したのだ。//
(2)神秘的であるのは、人々がブルジョアジーを嫌悪していることではない。
民主主義者にとって、ブルジョアジーを嫌悪するのは「ふつう」(normal)のことだ。
ブルジョアジーは、その正統性が全て富に由来する階級だ。したがって、象徴的価値を待たず、正統性がない。
ブルジョアジーを好ましい階級にするのはむろんのこと、尊敬できる階級にすることは決してできないだろう。
ブルジョアジーを侮蔑することは、現代社会の夢の一つだ。
しかし、そのことは必ずしも、20世紀に充満した恐怖につながるわけではない。
神秘的であるのは、物事がひどく悪く進行し、体制がひどく犯罪的で、そして反ブルジョア感情があのような集団的狂気(collective madness)にまで至った、ということだ。
近代世界はこの300年間、ブルジョアジーへの憎悪を引き摺ってきている。
そしてついには、その憎悪とともに生きている。
その憎悪から、芸術や思想を作り出してすらいる。
だが、正統性のない地点から我々はどうやって、あの収容所に、数百万の死に、肉体と精神に対して向けられた暴力に至ったのか?
私の問題は、これを「神秘」と呼んでいるのだが、20世紀の悲劇的性格だ。//
(3)我々は、全てを理解したとか、説明したとか、そういう自惚れには抵抗しなければならない。
とっくに時代の政治的熱情の底に到達し、それを育てた複雑な条件をもう一度作った。
しかし、20世紀のヨーロッパの文明化の程度とその歴史の特徴である残虐な狂気の間にある対照さについては、理性的な説明が行われていないままだ。
制服を着たドイツ人の集団的加虐性は、Daniel Goldhagen が叙述したけれども解明しなかった神秘のままだ。//
(4)H・アレントはたしかに、20世紀の偉大な目撃者の一人だった。その著作への私の敬意には留保がつくけれども。
彼女の思考はしばしば混乱していて、ときには矛盾しており、少しばかり煽動的だ。同時に反モダン、反ブルジョアジー、反共産主義者、反ファシスト、反シオニストでいることはできない。そして、これらを全て拒否したとしてもまだ、20世紀の政治の歴史に関して明瞭に思考することはできない。//
(5)分かるだろう。H・アレントの歴史の仕事は弱い。—例えば、彼女は〈全体主義について〉の最初の二巻で、深い専門的知識をとくには示していない。
彼女のドレフュス事件(Dreyfus Affair)の知識は大雑把なもので、同じことはファシズムの由来に関する彼女の知識についても言える。
彼女のあの大著の歴史の部分は、むしろ総じて弱い。
素晴らしいのは、悲劇、収容所に関する彼女の知覚力だ。
H・アレントは、このようなことが起きたのは人間の歴史上初めてだと主張する。
そして、彼女は、Vassily Grossmann とともに、だが別個に—もう一度言う、彼らだけであり、二人ともにユダヤ人で、彼はソヴィエト軍におり、彼女はアメリカへの亡命者だった—、アリストテレス、モンテスキュ—、あるいはマックス・ウェーバーが説明することのできない恐ろしい仕組みにある何かを見た、その何かを理解するには我々には新しい道具が必要であるものを見た、最初の人物だった。
私が彼女に対して最も敬意を払うのは、近代民主主義の観点から、個人で成る社会や民主主義的細分化と技術の射程から、彼女はファシズムと共産主義を論述しようとしたことだ。
彼女は哲学者として、「全体主義」という観念を再び作出した。
私が示そうとしたのは、H・アレントよりも前に何人かの20世紀の思考者はすでにこの観念を探究しており、部分的には発展させていた、ということだ。
彼女はほとんど極端なほどに、その観念を利用した。//
(6)全体主義という観念は、ナツィズムとスターリニズムにある比較対照することのできない側面を持ち出して、つねに反駁され得る。また、両者にある比較対照することのできるものを用いて、つねに擁護することができる。
別言すると、私はこの観念に執着しないけれども、スターリンのソヴィエト同盟とヒトラーのドイツにある比較対照可能な要素を的確に指し示すために、なおも私はこの観念を用いることができる。
しかし、全体主義という思想が最も厳格な形態を持たされ、ナツィ・ドイツとスターリン体制にはともに新しい政治的観念があり、同じ経験的実体が組成されていると理解するのは、行き過ぎているだろう。//
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②へとつづく。