Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 〈第15章・ニーチェ〉の試訳のつづき(再開)。
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 第9節①。
 (01) ニーチェはある意味では、人間が本質的に美学的な見地から生に立ち向かうことを要求した。
 人間は生の現象を見つめて、そして自分たち自身の内的存在から、外部が誘導する権威にもとづかず、判断するようにならなければならない。
 (02) ニーチェは、世界は根本的に形をもたないと確信して、人間が形を作り上げなければならない、と考えた。
 世界は、我々がこうあるべきだとするものだった。
 我々がComte やDarwin が考えたような知識をいずれ獲得する、そのような客観的世界は存在しない。
 (03) ニーチェにとっては、科学は本当(genuine)の知識ではない。
 科学は、伝来的な、または有用な知識だ。
 世界で我々を成功させてくれる場合のみ、科学は真実(true)になる。
 科学は、世界を理解しようとする一つの方法にすぎない。
 科学は、最終的な知識へと帰着しなかったし、そうできなかった。
 彼はその明瞭さと有用性のゆえに科学を称賛したが、科学それ自体は、最終的叡智またはその他の価値の源泉ではあり得ない。
 〈陽気な科学(The Gay Science)〉でこう書いたとおりだ。
 「生は、論拠ではない。
 我々は生きることができるように世界を整序した。—物体、線、面、原因と効果、運動と休止、形式と内容、こうしたものを配置することによって。
 こうした信仰(faith)の対象がなければ、誰も生きることに耐えられないだろう!
 しかし、このことは信仰対象の正しさを証明しはしない。
 生は、論拠ではない。
 生の諸条件は誤りを含んでいるかもしれない。」(注17)
 実際にニーチェは、ほとんど真実は道具(instrumental)だと言うに等しい所まで来ていた。
 この点では、初期プラグマティストたちの哲学者陣営にきわめて近い立場にあった。
 彼にとっては、真実は決して永遠のものでも、無限のものでもない。
 真実は、世界に入り込み、そこを通り抜ける方法なのだ。//
 (04) ニーチェは、こうした急進的な懐疑主義を抑圧的とも悲観的とも見なさなかった。
 多数の人々はとても恐いと感じるだろうとしても、彼は、解放の基盤だとそれを見なした。
 最初の段階では、真実に関する彼の考えによって、自分をキリスト教から解放することができた。
 Ipsen やその他の同世代者のように、ニーチェは、現今の道徳を愚かなものだと考えており、その道徳は基本的にはキリスト教に由来するものと見ていた。
 今の道徳は、キリスト教であれ功利主義であれ、禁欲的で、生に対して拒否的だった。
 彼のキリスト教に対する、そしてキリスト教道徳に対する批判は、ヨーロッパでかつて道徳であり道徳的経験だと見なされたものの核心部分へと及んだ。
 彼はキリスト教道徳の起源を、プラトンとユダイズム(Judaism)へと跡づけた。
 キリスト教は2000年前に、これら両者の最悪の部分を結合させ、人類を凡庸へと向かわせたのだ。//
 (05) この主題に関する彼の完全な議論は、〈道徳の系譜〉(The Genealogy of Morals)となった。
 ニーチェはこの書物で、何が善かの判断の起源はどうだったかを問題にした。
 彼はこう主張する。「善」の判断は確実に、善が最初に示されたものを起源とはしていない。
 最初の時代の何が善であるかの決定はむしろ、強くて高貴な人々に由来した。彼らは、自分たち自身に役立つように何が善かの判断を行ってきたのだ。
 彼はこう説明する。
 「こう起源を理解する理由は、『善』という言葉は必ずしも『非利己的』な行動と結びついていなかった、ということだ。『非利己的』な行動というのは、道徳の系譜学者が伝えてきた迷信だ。
 反対に、『利己主義』と『非利己主義』の対置が人々の良心の中にますます大きくなったがゆえに、貴族的な価値判断が衰亡している。
 —そうなのだ。私の用語法によれば、そうして最終的にこの言葉を掴み取るのは、〈畜群(herd)の本能〉なのだ。」(注18)//
 (06) 善という語の貴族的な理解が衰亡したことは、ニーチェが古代ギリシャに発見した強い古代の貴族の本能に対する、畜群の本能の勝利を象徴した。
 その貴族的な価値判断は、健全で力強い、肉体的に活発でつねに戦いや強さ試験に備えている人々を想定していた。
 その価値判断は、生と力を肯定することで成立していた。
 時代の推移とともに、畜群、聖職者、そして世界を否定する者たちの道徳に、入れ替わってしまった。//
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 第9節②へと、つづく。