池田信夫ブログマガジン2021年1月18日号は興味深い内容を含んでいるので、当否についての議論はしないで、またその能力もないので、可能なかぎり、そのまま引用しておく。同号の<21世紀は『新しい中世末期』>から。言及されている著書ではなく、池田自身の見解・文章だと見られる。
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1・冷戦終了とともに「新しい中世」に回帰したとの説があるが、「今はむしろ中世末期にヨーロッパの封建社会が崩壊した時代」に似ている。
・「中世にはヨーロッパが精神的にはキリスト教で統合され」た。一方、「政治的には領邦が分立していた」。その頃まで「日本とヨーロッパは(キリスト教を除いて)よく似ていた」。
・「しかし、12世紀ごろから」、領邦を超える商取引・貿易が盛んになり、「領主の支配」を逃れて「ヨーロッパ全域」を商圏とする商人が増えた。この商人たちは「個人の契約による株式会社を組織し、株式でリスクを分散して全ヨーロッパ的に活動した」。
・一方、「領邦はローカルな統治機構を維持」し、「カトリック教会による精神的支配を維持」しようとした。
・これに対し、プロテスタントは、教会を超える『聖書による救済』を主張し、全ヨーロッパ的な普遍主義を掲げた」。その(プロテスタントの?)「組織が株式会社のモデル」になり、個人が「地域を超えてヨーロッパを移動」し始めた。
・かかる動きと、「伝統的な地域支配を維持しようとした領主とカトリック教会が戦ったのが、宗教戦争」だった。
・「いま起こっている主権国家を超えるGAFAMなどのグローバル化」は、「中世末期に起こった領邦を超える商人の活動とパラレルな現象」だ。
・それが「宗教戦争のような内乱」を招くとは考え難いが、「アメリカの現状を見ているとその可能性はゼロではないようだ」。
2・「GAFAMに国家の司法権は及ばない」。「ドイツ政府のような言論統制は無意味」だ。
・「国家に課税権」があっても、「GAFAMのように実体のない企業は『世界最適立地』によって納税額を最小化できる」。「実効税率」はAmazonで12.7%、Googleで15.8%、Appleで17.1パーセントと推定されている。
・中世末期と似ている。「個人に対して領主は課税しようとし、カトリック教会は個人を支配しようとし」た。しかし、200年以上の「宗教戦争でヨーロッパは分断され」た。かつまた、「個人が所属する共同体を失って法の支配のもとに置かれる近代国家が成立した」。
・日本は「中世の領邦が成立している状況を固定して江戸時代の平和を守り、ヨーロッパに300年ぐらい遅れをとった」。
・「明治以降」に、「キリスト教の模造品である天皇制でその遅れを取り戻した」。そして、「内戦がなかった分、共同体から自立した個人の形成が遅れた」。
・こういう「ローカルな共同体に依存するシステムは、グローバル化に適応できない」。「労働者を企業に閉じ込める日本型企業コミュニティの優位性」がなくなり、「クラウド・コンピューティングで契約ベースのビジネスが増える」。こういう状況は、「こうした変化を加速するだろう」。
・生成のときから、「契約ベースの社会」は「快適」でなかった。「人々を不断の競争にさらし、貧富の格差を広げ、伝統的な社会を破壊する」。これを「神の秩序に反する」と攻撃したのが「カトリック教会のイデオロギー」だったが、これは「今日『市場原理主義』を攻撃して、貧しい人々に施しを与えようとする人々」に似ている。
・だが、「経済圏がグローバルに広がるときは、両者の効率の圧倒的な差によって、このシステム間移行は避けられない」。
・それはかつて100年以上の「宗教戦争を引き起こした」くらいの「大きな変化」だ。そして、「国家がグローバル資本主義をコントロールしようとする動き」は今後強まるだろう。GoogleやFacebookに対する「独禁当局の訴訟は、その第一歩にすぎない」。
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以上。「国家」、「共同体」、「個人」。「領邦」制、「江戸」・「明治」、「天皇」制、キリスト教、「カトリック」、「プロテスタント」、「宗教戦争」・「内乱」、「日本型企業コミュニティ」、「契約ベースの社会」、「市場原理主義」、「グローバル資本主義」、等々。
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1・冷戦終了とともに「新しい中世」に回帰したとの説があるが、「今はむしろ中世末期にヨーロッパの封建社会が崩壊した時代」に似ている。
・「中世にはヨーロッパが精神的にはキリスト教で統合され」た。一方、「政治的には領邦が分立していた」。その頃まで「日本とヨーロッパは(キリスト教を除いて)よく似ていた」。
・「しかし、12世紀ごろから」、領邦を超える商取引・貿易が盛んになり、「領主の支配」を逃れて「ヨーロッパ全域」を商圏とする商人が増えた。この商人たちは「個人の契約による株式会社を組織し、株式でリスクを分散して全ヨーロッパ的に活動した」。
・一方、「領邦はローカルな統治機構を維持」し、「カトリック教会による精神的支配を維持」しようとした。
・これに対し、プロテスタントは、教会を超える『聖書による救済』を主張し、全ヨーロッパ的な普遍主義を掲げた」。その(プロテスタントの?)「組織が株式会社のモデル」になり、個人が「地域を超えてヨーロッパを移動」し始めた。
・かかる動きと、「伝統的な地域支配を維持しようとした領主とカトリック教会が戦ったのが、宗教戦争」だった。
・「いま起こっている主権国家を超えるGAFAMなどのグローバル化」は、「中世末期に起こった領邦を超える商人の活動とパラレルな現象」だ。
・それが「宗教戦争のような内乱」を招くとは考え難いが、「アメリカの現状を見ているとその可能性はゼロではないようだ」。
2・「GAFAMに国家の司法権は及ばない」。「ドイツ政府のような言論統制は無意味」だ。
・「国家に課税権」があっても、「GAFAMのように実体のない企業は『世界最適立地』によって納税額を最小化できる」。「実効税率」はAmazonで12.7%、Googleで15.8%、Appleで17.1パーセントと推定されている。
・中世末期と似ている。「個人に対して領主は課税しようとし、カトリック教会は個人を支配しようとし」た。しかし、200年以上の「宗教戦争でヨーロッパは分断され」た。かつまた、「個人が所属する共同体を失って法の支配のもとに置かれる近代国家が成立した」。
・日本は「中世の領邦が成立している状況を固定して江戸時代の平和を守り、ヨーロッパに300年ぐらい遅れをとった」。
・「明治以降」に、「キリスト教の模造品である天皇制でその遅れを取り戻した」。そして、「内戦がなかった分、共同体から自立した個人の形成が遅れた」。
・こういう「ローカルな共同体に依存するシステムは、グローバル化に適応できない」。「労働者を企業に閉じ込める日本型企業コミュニティの優位性」がなくなり、「クラウド・コンピューティングで契約ベースのビジネスが増える」。こういう状況は、「こうした変化を加速するだろう」。
・生成のときから、「契約ベースの社会」は「快適」でなかった。「人々を不断の競争にさらし、貧富の格差を広げ、伝統的な社会を破壊する」。これを「神の秩序に反する」と攻撃したのが「カトリック教会のイデオロギー」だったが、これは「今日『市場原理主義』を攻撃して、貧しい人々に施しを与えようとする人々」に似ている。
・だが、「経済圏がグローバルに広がるときは、両者の効率の圧倒的な差によって、このシステム間移行は避けられない」。
・それはかつて100年以上の「宗教戦争を引き起こした」くらいの「大きな変化」だ。そして、「国家がグローバル資本主義をコントロールしようとする動き」は今後強まるだろう。GoogleやFacebookに対する「独禁当局の訴訟は、その第一歩にすぎない」。
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以上。「国家」、「共同体」、「個人」。「領邦」制、「江戸」・「明治」、「天皇」制、キリスト教、「カトリック」、「プロテスタント」、「宗教戦争」・「内乱」、「日本型企業コミュニティ」、「契約ベースの社会」、「市場原理主義」、「グローバル資本主義」、等々。