秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

D・トランプ

1855/「ポピュリズム」考-神谷匠蔵の一文から②。

 ポピュリズムとは字義からして、人種とか民族には関係がないと漠然と感じてきた。
 神谷匠蔵が2017年に「人種差別」や「排外主義」をも要素とするものだと「左翼」が意味を転倒させたとして嘆き又は批判しているのは、アメリカや欧州(とくにルペンのフランス)を意識してのことだろう。
 おそらく1年以上前にドイツに関する日本での報道特集的なものを見ていたら、ドイツ・メルケルの難民政策に批判的な活動をしている中年男性ドイツ国民を取り上げていて、同時に、その国民の話しかけに対して‘Schweine!’と吐き捨てた若い夫婦らしき二人のうちの男性も映像に捉えていた。
 邦訳されていなかったが、Schweine!とはたぶん、<ブタ野郎!>とかの意味だ。
 ドイツ政府の難民政策の見直し要求・批判をする者を侮蔑する国民も、一方にはいる、ということだ。
 欧米でのポピュリズムなるものが、各国での「難民」政策にかかわっており、したがってそれに関する議論が人種・民族に関連している、ということなのだろう。
 アメリカのトランプ(大統領)やフランスのルペン(この当時に大統領候補)を批判した(している)「左翼」の側が、この人たちを支持し、難民政策の変更または移入制限を求める人々や運動をポピュリズム(・ポピュリスト)とか称したのだろう。
 関連して思い出すのは、NHK等の日本のテレビ・メディアが、フランス・ルペンやドイツの政党・AfD(ドイツのための選択肢)を明瞭に「極右」と表現していたことだ。
 フランス社会党の候補が大統領決戦投票の二人の中に存在しなかったという状況で、二人の候補の一人を「極右」と形容したのは、フランス国民に対して失礼だっただろう。
 共・社・中道左派・中道右派そして「極右」という時代のままの、すでに古くさい図式に日本のメディア関係者は嵌まったままだと感じたものだ。しかも、日本にこそある、日本的な外国人移民・労働政策への真摯な検討の姿勢を新聞も含めた日本のメディアにはあまり感じないような状態であったにもかかわらず。
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 日本でポピュリズムという語を使った批判があることを知ったのは、橋下徹に対する佐伯啓思による批判によってだっただろうか。その後に昨年も小池百合子に対する批判の中で、「ポピュリズムに陥ってはならない」というようなことが説かれていたように思う。
 日本での議論・評論の特徴の一つは(あるいはどの国でもきっとそうなのだろうが)、意味不分明なままで言葉がすでに何らかの評価(ポピュリズムの場合は批判的・蔑視的評価)を持ったものとして使われることだ。
 一年ほど前だろう、天下の読売新聞が「ポピュリズム」についてこれをとくに「大衆迎合主義」と言い換えて、言葉・概念の説明する小さい欄を設けていた。
 これもどとらかと言えば、批判的・消極的な評価を伴うものだったが、違和感を感じた。
 神谷匠蔵によると「大衆の熱狂」の喚起又はその利用がこの言葉の中核要素らしいのだが、そこまで進まない「大衆迎合」くらいは読売新聞社もどの新聞社も行っていることで(そうでないと販売できないだろう)、他人事のごとく大新聞社が「大衆迎合主義」と訳して解説していたのが奇妙で、あるいはむしろ面白かった。
 厳密には違うと訂正されそうでもあるが、民主主義とは民衆主義・大衆主義でもあるのであり、もともと「大衆迎合主義」の要素を含んだ概念ではないのだろうか。Democracy のDemo とは「大衆」であり、あるいは「愚民」のことだろう。
 「大衆迎合」を批判できる民主主義体制など存立し得るのだろうか。
 これは言葉の意味・射程の問題で、少なくとも、決まり切った答えはないだろう。
 しかし、この言葉になおこだわって想念を働かせると、新聞や雑誌の販売部数もテレビ番組の視聴率も、あるいは全ての(物やサービスの)商品の売れ行きも「大衆に迎合」してこそ高くなるのであって、「大衆迎合はけしからん」などとは、ほとんど誰も口にできないのではないか。
 にもかかわらず「大衆」を何となくバカにする、ポピュリズム=「大衆迎合主義」批判はどうも偽善的だ。本音では、販売部数を、視聴率を、販売額等々を読者・視聴者・消費者大衆との関係で「上げたい」はずなのに。
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 ところで、佐伯啓思は2012年かその次の総選挙の際に、<ポピュリズムがどう評価されるか、それが今回の選挙の争点だ>と投票前に何かに書いていた。選挙後にこれについての総括をこの人はたぶん何も行っていなかったはずだ。
 今日に捲っていた本の中で原田伊織が「学者」と「物書き」の区別をしていた。
 佐伯啓思の新聞や雑誌での文章はたぶん学者・研究者の「論文」ではなく評論家という「物書き」の仕事としてのものなのだろう。この人は一年くらいからは「死に方評論家」にもなったらしく、また西部邁逝去後には西部に関連して「右か左かなどはとるに足らない問題だ」とか某雑誌に書いていた。佐伯啓思に全く限りはしないのだが、「学者」の議論は専門家すぎるか全体・大局を見ない議論・主張であることも少なくなく、たぶん「評論家」なるものも含まれるだろう「物書き」は玉石混淆だが「玉」は滅多にいなくて、アホらしくて読めないものがや多い。
 この感想に圧倒的に寄与した大人物は、佐伯啓思ではなく、月刊正論(産経)毎号執筆者・江崎道朗。第三者には理解し難いかもしれないが、とりわけ日本会議系「保守」論者の低レベル、いやそういう高低の評価自体になじまないほどの悲惨さ・無残さには唖然とした。こんなヒドさでも、平気で出版できる日本のアマさ、ユルさは相当の程度に達している。
 あまり意味のない、退屈な文章を書いてしまった。

1716/中西輝政はかなり異常②-西尾幹二との対談本。

 西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」を取り戻す(祥伝社、2017)。第二章のp.106。
 西尾幹二がアメリカについて「絶え間なく戦争をする。今度も危ない」と発言したのを受けて、中西輝政はこう言う。
 「そこにこそアメリカという国の本質や生命力の根源がある。私はトランプ政権は戦争をする政権だと思います。ただ、米中でやるんだったら、できるだけ日本を巻きこまない形で、日本から離れたところでやってもらいたいですがね」。
 この中西の発言はいったい何だろうか。冗句・冗談だと理解したいが、それにしては明確に言い過ぎている。
 この中西発言は、<一国平和主義>あるいはアメリカが起こす戦争に日本が巻き込まれるという平和安全法制に対する日本共産党その他の日本の「左翼」の議論と、どこが違うのか。
 中西は2015年平和安全法制に反対せず、その前から日本の集団的自衛権の容認と行使(憲法解釈および法律上の)を主張してきたはずだが、<改説>でもするのか。
 特定の意味での日米同盟の実在は認知せざるをえないだろう。そしてまた、東アジアでの米中の実力・軍事衝突に、日本が「巻き込まれない」可能性があるとでも、中西は本当に考えているのだろうか。
 少しずつさかのぼる。まず、p.103-4。
 中西によると、欧と米は「根っこから違う」、アジア人のほうが、アメリカ的なものとの共通部分があるようにさえ思う」。 
 これはかなりの共通想念を覆すものだ。本当に中西の指摘のとおりだろうか。
 p.101。西尾幹二がアメリカにおけるトランプ当選の意味を何度か言及しているのをおそらく受けて、中西輝政は、こう言う。
 「ポリティカル・コレクトネス」的な「近年の偽善的なリベラリズムに彼は反撥しているのだ、という人がいますが、私の見るところ、それもたぶんトランプ一流の偽装」だろう。「宗教ポピュリズムの世俗版のような大衆運動を起こす」のが自己目的で、「それから、トランプ個人の権力欲、それ以上ののものは何もない」。
 「トランプ個人の権力欲」うんぬんは別として、この部分は、明言されていないが、西尾幹二の見解・理解との決定的な対立点だ。
 中西は他にも、トランプとクリントン、共和党と民主党との違いを無視するか相対化する発言をしきりに行っている。
 p.89で西尾は、いずれも「アメリカ=帝国」という意識はもつとしつつ、上の二つの差違を問題にしているが、p.90で、中西はこう言う。
 ・トランプについての「始めからの私の見方」は、「徹底した金持ち優遇の古いネオコンの、さらにより乱暴なバージョン」だ。
 ・メキシコ国境に壁、日本も核武装をは、「どちらも就任すれば、うやむやにしてしまう」だろう。
 ・「そもそも、トランプが勝とうと、ヒラリーが勝とうと、私には、もともとそんなことはたいして興味がなかった。…、いまのアメリカは孤立主義に行くしかないのです」。
 中西輝政の発言は櫻井よしこによるトランプに関する些末な言及よりは本質を衝こうとしているようで面白くて刺激にはなる。
 しかし、トランプとヒラリーの闘い、つまり共和党と民主党の戦いに「もともとそんなことはたいして興味がなかった」と言ってしまうのは、日本の「知識人」としてもやや異様だが、<保守>派論客を自認しているとすれば、かなり異常だろう。
 こんなふうに考えていると、現在のアメリカを理解できないだろう。
 もっとも、中西輝政はもっと高い次元で「世界史」的にアメリカを観ているのだ、と主張するのかもしれないが、それはそれでもよいとして、問題は、疑問は、そういう主張が、いまの現在、いまの日本で、いかほどの意味・意義を持ちうるのか、だ。
 なお、念のため。中西輝政はかなり異常だと評するのは、この対談本の読んだかぎりでの部分についてであり(その後も想像はつくが)、私の言う<保守>の立場の発言としては、という意味だ。

1714/中西輝政はかなり異常だ-西尾幹二との対談本。

 西尾幹二=中西輝政・日本の「世界史的立場」を取り戻す(祥伝社、2017)。第二章まで読んだ。~p.106。 
 前回にこの本はトランプ等のアメリカ現代政治には言及していなさそうと予想したのは誤っていて、第二章「アメリカの正体」の主眼は、むしろこれだった。
 中西輝政による2015年安倍談話批判は冷静で論理的とも感じたが(それでも、自説の無視・軽視という経緯に対する腹立ちもあるだろうと想像したが)、この書での中西輝政の<狂信的な>アメリカ観・トランプ観には驚いてしまった。
 そして、前回にこの人の「共産主義」感覚を疑問視しておいてよかった、とも感じた。
 また、前々回(11/27)に西尾幹二の最近の論考(産経新聞「正論」欄)について、「ほとんどすんなりと読めた」と何気なく記したのだったが、重要な意味を持っていたことにも気づいた。なぜなら、この西尾の文章は、トランプ・アメリカ大統領のアジア歴訪を好意的に、少なくとも批判的・糾弾的にでなく、記述したものだつたからだ。
 櫻井よしこは、立ち読みした週刊新潮(新潮社)の最新号で、相変わらずトランプ批判を繰り返している(しかし、なぜかトランプに100%同意した安倍晋三を批判することは依然として全くない)。トランプのアジア歴訪は、とくに対中国は「大失敗」だった、とする。そして、相も変わらず、アメリカは信用できない→日本はしっかりしよう→そのために憲法改正を、と何とかの一つ憶えのように繰り返している。その際に、相も変わらず、他人の文章・言葉(今回も?田久保忠衛)の引用・抜粋・要約で紙数の過半を埋めるという<技巧>を使っている。
 桜井のもち前の技巧、他人の文章・言葉を自分の言葉・考えのように用いる・語ることのできる能力というのは、他人の原稿を自分の考え・自分が収集した情報のごとく読んでいた、テレビ・キャスターという過去の履歴と関係があるのではなかろうか。
 余計なことを、つい書いた。一年前にこの欄で、トランプ当選は「精神衛生」によかった、と記したことがある。トランプに対する印象は、西尾幹二のものの方が、私のそれ にはるかに近い。
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 前回に記し遺した中西輝政発言に対する違和感、あるいはコメントを要するとの感触は、とりわけ、つぎのようなものだ。
 p.56。詳細な引用は省くが、中西は、アメリカの奇妙な国際法思想、国際法秩序への挑戦の歴史なるものに言及する。そして、こう言う。
 「ですから、いまの中国のやっていることも、世界史的に見れば、けっこう通用性のあることなのです」。
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 一般に、全ての社会・政治事象は、何らかのかたちで連関し合っている。社会・政治事象は、自然現象ともまた関係し合っている。大地震もその他の自然災害も人間社会に政治に大きな影響を与える。豊作・豊漁といったもの、あるいは天照大神の岩隠れ(神隠し)伝承と皆既日食の事実との関係のように、自然界では珍しいが異常のことでなくとも、人間の政治・社会に強い影響を及ぼすことがありうる。
 自然現象ですらそうなのだから、人間界の「政治」現象は地域・国家が異なっても、何らかの関係を相互に持ち合っている。
 Aがあり、一方でBがあって、それらが対立・反発し合っている、というとき、どちらが根本・究極の原因にせよ、両者が成立した以上は、相互に何らかの影響を及ぼしうる。
 「いまの中国」の原因は「アメリカの歴史」にある、と中西輝政は言っているのと同じだ。
 「いまの中国のやっていることも、世界史的に見れば、けっこう通用性のあることなのです」。 
 このこと自体は、「世界史的に見れば」誤りではないのかもしれない。中西によると、「国際法秩序に異を唱える」ことによる「パクスアメリカーナ」の構築に対する反撥、あるいはそれの摸倣が「いまの中国のやっていること」らしい。「世界史的に見れば」。
 しかし、こう発言して指摘することの、実際的、実践的意味もまた問われなければならない。
 悪辣なアメリカがあった(ある)から、今の中国もある。こう中西は言っているのと同じではないか?
 これは、厳密な主観的意図はともかく、現実的な機能としては、現在の中国を(共産党中国を)擁護する議論だ。
 現在の中国を引き合いに出してまで、アメリカの歴史を批判している。
 中西輝政とは、そのような「学者」なのだ。
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 今回は第二章にまで立ち入れなかったが、「アメリカ憎し」の発言は、第一章以上に烈しい。<狂信的>とまで形容したほどだ。
 西尾幹二はほとんど聞き役で、何とか共通点・同意できる点を見出そうとするかのごとく、まだ冷静に(言葉数は少ないが)発言している。
 中西輝政の現在のアメリカ政治観・トランプ観には、唖然とするものがある。とても「保守」派とは評し難い領域にまで入ってしまっている。また別の日に。
 なお、中西の反アメリカ姿勢を批判しているから秋月は<親米>だ、などという二分法、二項対立図式の単細胞的思考をする人が多いから困る。私は、<対米自立、*日本的な*自由・民主主義の必要性>くらいは、何度でもこの欄で述べている。

1517/アメリカのR・パイプスと日本の保守・櫻井よしこ。

 ○ 櫻井よしこは相変わらず米大統領トランプに対する「ケチつけ」をしているようで、今年の最初の頃はサッター(David Satter)を使ってその対ロシア政策(らしきもの)にケチをつけているかと思ったら、週刊新潮の4/27号では、トランプの対中国・対北朝鮮政策にケチをつけている。
 そしていつものように ?、大半は自らの頭から出てきたものではなく、今週は、産経新聞外信部に属するらしき「矢板明夫」を情報源にしており、直接の「」引用だけでも20行を超える。
 そしてまた、上のDavid Satterもそうだったが、アメリカに関するこの人なりの情報源は、「保守」派だとはされるWall Street Journal にあるようで、この新聞の名がまた出てくる。
 いいかげんにしてほしい。
 それにまた、トランプにケチをつけるのならば、この大統領が Chemistry が合うといい、実際にもほとんどつねにこの米大統領を支持している日本の安倍晋三首相に対して、何らかのケチつけ、批判の矛先を向けてもよいと思うが、櫻井よしこは決して、安倍晋三を批判しない。
 安倍首相を批判しないからいけない、と言っているのではない。
 櫻井よしこの、論旨一貫性の全くの欠如を、非難している。
 そして、米大統領への批判的コメントのあとで、余行がある場合に必ずあるのは、<アメリカは信頼できない、ゆえに日本はしっかりしなければならない>、という呪文のような一文だ。
 <日本はしっかりせよ>。誰だって、こんなことくらい書ける。
 秋月瑛二はナショナリストのつもりなのだが、こんな櫻井よしこのような人物がどこかの「研究所」理事長として、ナショナル保守的な言辞を吐いて満足しているのかと思うと、本当にげんなりする。
 いいかげんにしてほしい。この人を「長」として戴いている人々は、もともとアホな人たちは別として、どうかしている。これはまた別に論及する。
 ○ ジャーナリストと言えば、下村満子という人物が、朝日新聞社にいた。
 つぎの書物は、内容はほとんど他人の言葉(インタビュー記事)で、それを(翻訳しつつ)要領よくまとめて少しコメントしているという点で、さすがにジャーナリストで、櫻井よしこによく似ている。
 下村満子・アメリカ人のソ連観(朝日文庫、1988。原著は朝日新聞社・1984)
 下村満子は、1983年の夏(7-9月)に、アメリカのおそらくはハーバード大学の研究室で、リチャード・パイプス(Richard Pipes)と逢い、インタビューしている。その内容は、p.95-114。
 下村の、朝日新聞記者らしき質問や反応も興味深い。さすがに、朝日新聞だ。
 同時にまた、この年の初めまでソ連・東欧問題専門家としてワシントンにいてロナルド・レーガン政権に協力していた、R・パイプスの諸発言も、現下の諸軍事・外交問題を考えるにあたっても、すこぶる興味深い。
 すでにこの欄で少しは紹介したが、なるほど、研究者と同時に政策立案・提言者として、R・パイプスはこんなことを考えていたのか、と思わせる。
 次回以降に、より詳細は回す。
 ○ 当初の設定テーマと異なるが、再び櫻井よしこのことを考える。
 この人は「研究」者では全くなく、「評論家」としても三流だろう。ただし、反復するが、情報を収集して要領よくまとめて自分の言葉か文章のようにして発表するのは巧い。
 そしてまた、その際に、語っていない何らかの単純な<観念>・<前提命題>を持っている。例えば、D・トランプにケチをつけても、安倍晋三には絶対にケチつけせず、安倍首相を批判しない。
 もとより、櫻井よしこは政策提言家ではなく、それだけの思索も研究実績もなく、実際に日本政府等の政策提言的機関の一員だったことはないだろう。
 具体的な政策に関する意見が、けっこう揺らいでいる、変わっていることは、ある程度は述べたし、まだ根拠材料を持っている。
 こう書きたくなるのも、R・パイプスと比べているからだ。
 このR・パイプスの書物を見ても「研究者」であることは歴然としている(もっとも、いつか述べるが「情熱的」な部分はある。「研究」者であることと矛盾しているわけでもない)。
 しかし、同時に、かつてのレーガン政権の対ソ連政策の具体化に、実際に影響を与えた、具体的な<政策立案・提言家>でもあった。
 R・パイプスにすっかり惚れ込んだというわけではなく、この欄に書いていない種々のことも知っている。
 だが、櫻井よしことは、何という違いだろうか。この日本の人には、実際に現実に働きかける、強い執念も熱情もないだろう。それだけの知性も知識もないだろう。
 ただ毎日を、忙しく過ごしているだけだ。多数の書物を出版しているからといって、勘違いをしてはいけない。諸書物の内容のほとんどは、他人・第三者の考えだったり、文章だったり、あるいはとっくに公にされている事実だったりで、これらの寄せ集めなのだ。
 表面だけを見て、幻想を持ってはいけない。幻惑されてはいけない。この人物を何らかの目的でたんに<利用>しているだけ、という人々を除いては。

1492/日本の保守-歴史認識の欺瞞・櫻井よしこ③。

 ○ 「歴史認識」という日本の保守にとって譲れないはずの基本的な問題領域で、日本の保守は、大きく崩れてしまっている。正確にいえば、読売新聞系ではない産経新聞系「保守」あるいは自国の歴史について鋭敏なはずの<ナショナル・保守>の保守「論壇」人についてだ。
 おそらく、「観念保守」の人々の歴史認識は、ほとんど全ての人々において、狂っているだろう。あるいはそもそも、きちんと正確に日本の歴史を見つめる勇気がない。あるいは語る勇気がない。あるいは、関心自体がない。
 以上のことを、2015年8月の安倍内閣・戦後70年談話に対する論評の仕方で、残酷にも知ってしまった。
 秋月瑛二自身も、これによって、産経新聞や一部の<保守>をきわめて強く疑うようになった。そして、「観念保守」という概念も見出した。
 ○ もちろん、正気の、まともな<保守>の人たちもいる。
 水島総が月刊正論(産経)誌上の連載を中止しているのは、産経新聞や月刊正論編集部の基本的な<歴史認識>(日韓慰安婦最終決着文書も含む)に従えないという理由でかは、私は知らない。
 だが、安倍晋三とその内閣の<歴史認識>の表明内容を、水島総はきちんと批判している。
 但し、この人の発言等を全部信頼しているのではもちろんない。この人の天皇・皇室への崇敬の情は、私には及びもつかない。
 中西輝政は、歴史通(ワック)2016年5月号で、上記談話への反応に関して、つぎのように書いた。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。p.97。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 西尾幹二は、この欄に既に引用していることを上に続けてさらに掲載するが、月刊正論2016年3月号で、つぎのように書いた。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。
 西尾幹二と中西輝政の二人が、今年に入ってから読んだ雑誌で対談していたが、すぐには見当たらないので、関係する部分があるかもしれないが、省く。
 記憶に頼れば、戦後70年安倍談話を正面から批判したのは、われわれ二人だけだった、という旨を西尾が語っていた。
 二人だけではない。雑誌上でも、伊藤隆は批判派だったし、藤岡信勝や江崎道朗もおそらくそうだろう。他にも、渡部昇一、櫻井よしこ、田久保忠衛らの迎合的反応を苦々しく感じている人々が多数いると思われる(国家基本問題研究所の役員の中にも。しかし、全てではない。「アホ」もいるからだ)。
 小川榮太郎の見解は、知らない。
 ○ ふと気づいたが、櫻井よしこは、週刊新潮2016年12/8号で、朝日新聞社説を批判して、つぎのように言った。
 「朝日社説子は歴史認識について」某を批判した。「噴飯物である。如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係がどれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省しているとは思えない。」
 櫻井よしこは、2015年末日韓慰安婦最終決着を、2015年夏の戦後70年安倍内閣談話を、どう論評したのか。「噴飯物である」。
 歴史認識について、朝日新聞を、上のように批判する資格が、この人にあるのだろうか。
 ひどいものだ。日本語の文章の趣旨を理解できない人物が、「研究」所理事長になっており、田久保忠衛という同じく日本語の文章を素直にではなく自分に?都合良く解釈できる人物が、その研究所の<副理事長>におさまっている。
 いずれこの「研究」所の役員たちには言及するとして、櫻井よしこが戦後70年安倍内閣談話をどう読んだか等について、さらに回を重ねる。
 ○ ついでに、先走るが、櫻井よしこによる米大統領・トランプ批判の底にある、単純な<観念>的なものにも気づいた。
 櫻井よしこは、天皇や日本の歴史にかかわってのみ「狂信者」になるのではない。いや、正確には、「狂信」とまではいかないが、この人は、詳しい知識があるような印象を与えつつ、じつは単純・素朴な<観念>に支えられた、要領よく情報を収集・整理して、まるで自分のうちから出てきたかのように語ることのできる、賢い(狡猾な)「ジャーナリスト」だ。
 心ある、冷静な判断のできる人々は、例えば「国家基本問題研究所」の役員であることを、恥ずかしく思う必要があるだろう。

1485/日本の保守-櫻井よしこの<危険性>②。

 ○ 国家基本問題研究所は公益財団法人だが、国又は公共団体の研究所ではないので、前回に「任意、私的」団体と秋月が記したことは何ら誤っていない。
 さて、この研究所なるものの役員たちは、あるいは櫻井よしこに好感を抱いてる日本の保守的な人々は、櫻井よしこの「政治感覚」はまっとうで正確な、又は鋭いものだと思っているのだろうか。そうは私は、全く感じていない。
 ○ 最近に櫻井よしこは産経新聞4/03付の「美しき勁き国へ」で、「小池百合子知事の姿が菅直人元首相とつい重なってしまう。豊洲移転の政治利用は許されない」との見出しの小論を書き、「左翼」菅直人と結びつけてまで、小池現東京都知事に対する警戒感を明らかにしている。
 また櫻井よしこは、たしか週刊新潮では「保護主義」を批判的にコメントしていたが、週刊ダイヤモンド2017年1月26日号には、D・トランプ米大統領について、希望・期待を述べるよりは、皮肉と警戒、懸念を優先した文章を載せた。
 さらに、櫻井は1月21日に「日本の進路と誇りある国づくり」という高尚な?テーマで講演して、ほとんどをトランプに関する話に終始させている(ネット上のBLOGSの情報による)。種々の見方はあるだろうが、そこで語られているのは、トランプに対する誹謗中傷だとも言える。
 小池百合子やトランプについての櫻井よしこの言及内容をここで詳しく紹介したり、議論するつもりはない。
 しかし、小池百合子に対する冷たさは、石原慎太郎を守りたい観のある一部「保守」系雑誌(面倒だから特定を省略する)や、小池ではなく別の候補者を支援した自民党中央や東京都連の側に立っているとの印象がある。このような立脚点または姿勢自体が適切なのか、「政治的」偏向はないかを疑わせると私は感じる。(なお、産経新聞も、かつての大阪の橋下徹に向けた冷たさや批判が適切だったかが問われる。)
 また、トランプについては、ではヒラリー・クリントンが新大統領になった方がよかったのか、という質問を、当然ながら投げつけたい。
 櫻井よしこが週刊ダイヤモンドで依拠している、Wallstreet Jounal のデイビッド・サッターの適切さの程度についてや、またどのようなソースによってトランプに関する上の諸文章・講演はなされているのか、について興味・関心がある。
 例えばだが、アメリカの「保守」又は「反左翼」論者として有名らしい(詳しくは知らない)アン・コールター(Ann Coulter)は、昨2016年8月に、<私はトランプを信じる>と題する書物を刊行している。
 また彼女は、邦訳書『リベラルたちの背信』(草思社、2004/原書名等省略)を書いてアメリカの「リベラル」派を批判しているが、日本語版の表紙に写真のある人物は、F・D・ルーズベルト、トルーマン、J・F・ケネディ、ジョンソン、カーターおよびビル・クリントンで、全て民主党出身の大統領だ。所持しているが読んでいない原書の表紙にはないが、批判の対象がこれらの民主党大統領でもあることを示しているだろう。
 また、読みかけたところだが、B・オバマを「左翼」と明記して、<共産主義者>を側近に任命した、と書いている本もある。
 もう一度問おう。あらためて遡って確認してはみるが、民主党・オバマの後継者の、ヒラリー・クリントンの方がよかったのか?
 もちろん、日本人と日本国家のための議論だから、アメリカ国内の民主党・共和党の対立にかかわる議論と同じに論じられないことは承知している。
 しかし、櫻井よしこは、本当に<保守>なのか、健全な<保守>なのか。トランプに対する憂慮・懸念だけ語るのは、アメリカ国民に対してもかなり失礼だろう。
 思い出したが、「アメリカのメディアによると」と簡単に櫻井が述べていた下りがあった。
 <アメリカのメディア>とは何なのか。日本と同等に、あるいはそれ以上に、明確な国論の対立がアメリカにあること、メディアにもあること、を知らなければならない。あるいは、櫻井よしこが接するような大?メディアだけが、アメリカの評論界や国民の意見を代表しているのではないことを知らなければならない。
 ○ 以上のような批判的コメントをしたくなるのも、櫻井よしこには、秋月瑛二に言わせれば、政治判断を誤った<前科>があるからだ。
 かつてのこの欄にすでに何回も書いた。詳細を繰り返しはしない。
 櫻井よしこは、2009年の日本の民主党・鳩山由紀夫内閣の成立前後に、つまり2009年8月末の総選挙前後に、民主党の危険性についてほとんど警戒感を表明せず、同政権誕生後には屋山太郎の言を借りて<安保・外交政策に懸念はないようだ>とも語り、当時の自民党総裁・谷垣禎一を「リベラル」派と称して自民党にも期待できないとしつつ、民主党政権成立の責任の多くを自民党の責任にし(この部分は少しは当たっているだろうが、言論界の櫻井よしこの責任ももちろんある)、翌年になってようやく民主党政権を「左翼」だと言い始めた。
 こんな人物の政治感覚など、信頼することができない。秋月でも、2009年8月に、鳩山由紀夫の<東アジア共同体>構想等を批判していたのだ[2009年の8/28、9/18]。
 ついでに言えば、櫻井よしこに影響を与えたとみられる、上に名前を出した屋山太郎は、<官僚内閣制からの脱皮>を主張して民主党政権成立を歓迎した人物であり、渡辺喜美が「みんなの党」を結成した際の記者会見では渡辺の隣に座っていた人物だ。
 屋山は、官僚主導内閣批判・行政改革を最優先したことによって、より重要な政治判断を誤った、と断言できる。
 さらには、櫻井よしこはかつて、道路公団<民営化>に反対して竹中平蔵〔23:50訂正-猪瀬直樹〕らと対立していたが、この問題を櫻井は、どのように総括しているのか。
 もう一つ挙げよう。
 櫻井よしこは、今すぐには根拠文献を探し出せないが、かつて<国民総背番号制>とか言われた住民基本台帳法等の制定・改正に反対運動を行っていた一人だ。のちに遅れて、マイナンバー制度と称される法改正等が導入された。
 櫻井よしこは、この問題について、どのように自らの立場を総括しているのか。
 ○ こうした過去の例から見ても、櫻井よしこの発言・文章を信頼してはいけない。この人に従っていると、トンデモない方向へと連れていかれる可能性・危険性がある。
 同様の指摘とどう思うかの質問を、国家基本問題研究所の役員「先生方」に対しても、しておこう。

1424/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧①。

 一 「愚昧」とは挑発的だが、直接には、月刊正論3月号のp.58の、「保守」にかかわる論壇・政党のチャート(マップ)図表に異を唱えたい。
 また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
 月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
 月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
 まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
 つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
 同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
 とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
 長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
 合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
 産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
 二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
 それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
 説明・コメントは、のちにも行う。
 A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
 B/保守・リベラル  読売新聞
 C/容共・リベラル  朝日新聞・毎日新聞
 D/共産主義     「赤旗」
 ・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
 ・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
 ・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
 ・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
 ・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
 ・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
 ・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
 月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
 さらに続ける。

1419/D・トランプとR・パイプス。

 D・トランプはキューバ・カストロについて、「自国民を抑圧した独裁者」だと断定し、キューバは「全体主義」国だと適切にも言い放っている。
 トランプはアメリカの共和党員として、同じく共和党のR・パイプスの<共産主義>に関する書物を読んでおり、反共産主義はトランプにとっての常識または皮膚感覚になっているのではないか。選挙戦中に中国やソ連について何と言ったかしらないが、種々の外交的駆け引きを別にすれば、中国やロシアに<甘い>ことはないだろう。
 R・パイプスの共産主義やロシア革命等にかんする本には、知識人、とりわけ「左翼知識人」に対する皮肉っぽい言辞がしばしば見られる。
 西側の知識人はこの点はあまり認めようとはしないが…、とか、知識人の多くは強調しているが、実際にはこうだった、とかの文章が見られる。例えば、彼はかなり一般的な歴史叙述と違って、<10月革命>後の<干渉戦争>なるものの実際の圧力の大きさをさほどのものとは見ていない。すでにこの欄で用いた表現を再び用いると、ボルシェヴィキは「干渉戦争」とではなく、ロシア国民との間の「内戦」をこそ戦っていた。それは、ドイツとの講和後も、一次大戦終了後も続いた。
 トランプの勝利はアメリカの<左翼的>知識人とメディア関係者の敗北で、ナショナリストの勝利だ。
 反共産主義のナショナリスト。なかなかけっこうではないか。
 イギリスのEU離脱を予想しないでおいて一斉に批判する(あるいは懸念する)、クリントンの勝利を疑わずトランプが当選するはずはないと予想する、そういう日本のメディアのいいかげんさ、ほとんど一致して同じことをいうという<全体主義的気味の悪さ>を感じていたので、トランプ当選は驚きではなく、精神衛生によかった。
 偽善・タテマエの議論は排して、各国が反共産主義(自由主義経済)とナショナリズムで切磋琢磨すればよい。
 日本人はいかほど意識しているのか。R・パイプスによれば、中国も北朝鮮もベトナムも、そしてキューバも、「共産主義」国だ。
 アメリカや欧州ではとくに1989/91年以降に<ソ連・社会主義>が解体した歴史的意味を真剣に考えて、議論した。
 日本では、真摯な議論はまるでなかった、と断じたい。日本共産党が゚1994年にソ連は社会主義国でなかったと新しく「規定」するまでの間、日本の政治は、日本の<反共・保守>論壇は、いったい何をしていたのか。
 1990年代の前半、政治改革とやらに集中し細川護熙政権を生み、自社さ・村山連立政権を生み、1995年の戦後50年村山談話を生み出した。
 あの時代-まだ20年あまり前だが-、<反共・保守>は結束して、日本共産党および「共産主義」を徹底的に潰しておくべきだったのだ。
 政治家の中での最大の責任者は、小沢一郎。その後に幹事長として民主党政権を誕生させたことも含めて、小沢一郎こそが、日本の政治を攪乱し、適切な方向に向かわせなかった最大の犯罪者だろう。
 今や小沢は、<左翼・容共>の政治家に堕している。
 1989/91年を、おそらくは公になっていない「権力」闘争・内部議論を経て、日本共産党は生き延びてしまった。日本の政治家たちは、そして<保守>の論者たちはいったいこの当時に何をしていたのかと、厳しく糾弾したい思いだ。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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