ドイツの現首相・メルケルは旧東ドイツ地域の出身で理学系の研究者だった。彼女が社会系の学者だったら今の地位はなかっただろう。マルクス主義そのものや、マルクス主義にもとづく経済学・歴史学あるいは国家制度・法制度の研究者・教育者は、東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)が西ドイツに併合される前後におそらく全員が職を失ったはずなのだ。
 東ドイツの共産党(社会主義統一党)書記長だったホーネッカーは有罪とされチリへ逃亡(亡命?)した。旧体制構成員そのもの又は積極的協力者として逮捕・拘禁された研究者・教育者もいたに違いない。
 ソ連と東欧での共産主義の敗北は旧体制側の人々(一般庶民もだが)の人生・生活を大きく変えたはずだ。
 しかるに、かの国々の旧体制のイデオロギーであった共産主義の理想を信じ、マルクス主義の立場で研究していた日本国内の数多くの研究者・教育者の生活・地位は、東ドイツの消滅・チェコ等の脱社会主義化によっても何ら影響を受けなかった。むろん、例えば東ドイツの労働者文学の研究者や東ドイツ「社会主義」の歴史研究者が多かれ少なかれ動揺しただろうことは想像に難くない。しかし、彼らは大学等での地位を失うことはなく、表向きは、研究のテーマは巧妙に?変えたとしても、従来どおり大学教授・助教授等でいることができた。
 彼らにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかも、経済学・歴史学・社会学や法学の一部等々では、そのような「マルクス主義」的研究者の数は決して少なくなかったと思われるのだ。
 むろん、ソ連や東欧諸国は「真」の「社会主義」国ではなかったとの日本共産党の言明に救いを見出し、なおも共産主義社会をめざすことを綱領に掲げる日本共産党の党員たる研究者も数多く残っているだろう。
 一方には現実の生活と社会的地位が激変したマルクス主義者たちがいるのに対して、影響は心理的・精神的なものにとどまった極東の国のマルクス主義者たちもいる。
 このことを私は、じつに奇妙なことだと感じている。しかし、日本の社会はほとんど問題視していないようだ。日本社会は欧州での激変・共産主義の敗北の現実があってもなお、諸思想に「寛容」で、共産主義・社会主義的考え方にも「自由」を認める。
 繰り返すが、マルクス主義者たち又はその許容者たちにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかし、そのことこそが日本の社会が蝕まれていく大きな原因になっているのではないか、とふと真剣に考える。