(つづき)
五 いくつか留保を付しておく必要がある。
第一に、<根本的間違い>と言っても、それは西尾幹二における日米関係、外交、国際情勢の把握についての<根本的間違い>だ、ということだ。
そして、西尾はこれらに関する専門家ではなく、おそらくは「頼まれ仕事」として、つまり依頼・発注・注文を受けて執筆した、「請負の」文章としてすでに引用した文章を書いたのだろうから、その点は割り引いた上で論評する必要がある。
したがって、第二に、西尾が「商売」として執筆した文章に他ならないことに留意しておく必要があろう。
第三に、西尾幹二について注意を要するのは、「事実」・「現実」や「歴史」についての把握の仕方には独特なものがあり、レトリックによって読者は気づかされずにいることがあっても、多くの(「文学」者以外の)健全な?読者の「事実」(・「現実」)・「歴史」に関する基本的な感覚・意識とは異なるところがある、ということだ。
この点に関連して興味深いのは、個人全集刊行開始を記念した遠藤浩一との対談で、西尾自身がこれまでの自分の仕事は全て「私小説的自我の表現」だったと明言していることだ。
月刊WiLL2011年12月号、p.242〜。(ワック)。目次上の表題は「私の書くものは全て自己物語」。
第四に、より本質的なこととして、西尾幹二は自らを「思想家」と主張し、またそう思われたいようで、また『国民の歴史』(1999)の前半は「歴史哲学」を示すものと2018年に自分で明記しているが(全集第17巻・後記)、そこでの「思想」・「哲学」は西尾においていかほど真摯なものかは、厳密には疑わしい、ということだ。
西尾幹二における<反共・反米>性のうち、<反共>の他に<反米>性にも疑問符が付くことは、予定を変更して、別に扱う。
但し、簡単にだけ触れると、西尾が「つくる会」会長時代に西部邁や小林よしのりが「つくる会」を退会したのは、西部・小林がより<反米>の立場を採ったのに対して、西尾幹二は明確に、より<親米>的立場を主張するという意見対立が生じたからだった(と思われる)。
その際に西尾は小林よしのりが「人格攻撃」と理解してやむを得ないと(秋月には)思われる文章を書いた。これには、今回は立ち入らない。
興味深く、また注目されるのは、2001年9月11日事件後のアメリカの「対テロ戦争」を批判しない理由を、西尾がこう明記していることだ。
以下は、すでにいくつか紹介・引用したように、さんざんにアメリカを歴史の悪役化し、その「陰謀」国家性を指摘している西尾幹二自身の、2002年時点での文章だ。全集に収載されているのか、その予定であるのかは分からない。西尾が会長時代の、かつ「つくる会」関連文章だが、少なくとも第17巻・歴史教科書問題(2018年)には収録されていない。
①「日本の運命に関わる政治の重大な局面で思想家は最高度に政治的でなくてはいけないというのが私の考えです」。
②「いよいよの場面で、国益のために、日本は外国の前で土下座しなければならないかもしれない。そしてそれを、われわれ思想家が思想的に支持しなければならないのかもしれない。
正しい『思想』も、正しい『論理』も、そのときにはかなぐり捨てる、そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう。」
西尾幹二・歴史と常識(扶桑社、2002年5月)、p.65-p.66(原文は月刊正論2002年6月号)。
(小林よしのり・新ゴーマニズム宣言12/誰がためにポチは鳴く(小学館、2002年12月)、p.75 参照)
----
さて、先に紹介引用したように、西尾幹二はアメリカや中国、日米安保条約についてこう書いた。
①2006年—アメリカが厄介で、「中国はそれほど大きな問題ではない」。「アメリカに依存する」ほかないが、「今度はアメリカの呑み込まれてしまうという新しい危機」があり、「これからはこっちの方が大きい」。
②2009年—「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国に対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあります。加えて、ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきているのです。」
③2013年—「私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
また、2013年に、10年後(2022-23年)の日本をこう「予測」した。
④「やがて権力〔アメリカ〕が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
上の④は確言的にせよ「予見」だろうから省くとして、例えば①〜③はどうか。
論評は簡単だ。上掲の2002年の文章を知ると、萎縮してしまうけれども。
間違いである。
かつまた、西尾が2017年に放った(つくる会は)「反共に加えて反米も初めて明確に打ち出した」という豪語の関係では、こうだ。
矛盾している。 どこに「反共」があるのか。
したがって、問題は、こうした結論的論評ではなく、西尾幹二はなぜ間違った、あるいは矛盾する言辞を綴るのか、ということになる。
自らの本来の「正しい」「思想」を例外的に放棄することを正面から肯定する2002年の文章を照合するとかなり虚しくなりもするが、それはさて措いて、六以降でこの問題を続けよう。
——
五1を五に、五2を六に変更(1/16)。
五 いくつか留保を付しておく必要がある。
第一に、<根本的間違い>と言っても、それは西尾幹二における日米関係、外交、国際情勢の把握についての<根本的間違い>だ、ということだ。
そして、西尾はこれらに関する専門家ではなく、おそらくは「頼まれ仕事」として、つまり依頼・発注・注文を受けて執筆した、「請負の」文章としてすでに引用した文章を書いたのだろうから、その点は割り引いた上で論評する必要がある。
したがって、第二に、西尾が「商売」として執筆した文章に他ならないことに留意しておく必要があろう。
第三に、西尾幹二について注意を要するのは、「事実」・「現実」や「歴史」についての把握の仕方には独特なものがあり、レトリックによって読者は気づかされずにいることがあっても、多くの(「文学」者以外の)健全な?読者の「事実」(・「現実」)・「歴史」に関する基本的な感覚・意識とは異なるところがある、ということだ。
この点に関連して興味深いのは、個人全集刊行開始を記念した遠藤浩一との対談で、西尾自身がこれまでの自分の仕事は全て「私小説的自我の表現」だったと明言していることだ。
月刊WiLL2011年12月号、p.242〜。(ワック)。目次上の表題は「私の書くものは全て自己物語」。
第四に、より本質的なこととして、西尾幹二は自らを「思想家」と主張し、またそう思われたいようで、また『国民の歴史』(1999)の前半は「歴史哲学」を示すものと2018年に自分で明記しているが(全集第17巻・後記)、そこでの「思想」・「哲学」は西尾においていかほど真摯なものかは、厳密には疑わしい、ということだ。
西尾幹二における<反共・反米>性のうち、<反共>の他に<反米>性にも疑問符が付くことは、予定を変更して、別に扱う。
但し、簡単にだけ触れると、西尾が「つくる会」会長時代に西部邁や小林よしのりが「つくる会」を退会したのは、西部・小林がより<反米>の立場を採ったのに対して、西尾幹二は明確に、より<親米>的立場を主張するという意見対立が生じたからだった(と思われる)。
その際に西尾は小林よしのりが「人格攻撃」と理解してやむを得ないと(秋月には)思われる文章を書いた。これには、今回は立ち入らない。
興味深く、また注目されるのは、2001年9月11日事件後のアメリカの「対テロ戦争」を批判しない理由を、西尾がこう明記していることだ。
以下は、すでにいくつか紹介・引用したように、さんざんにアメリカを歴史の悪役化し、その「陰謀」国家性を指摘している西尾幹二自身の、2002年時点での文章だ。全集に収載されているのか、その予定であるのかは分からない。西尾が会長時代の、かつ「つくる会」関連文章だが、少なくとも第17巻・歴史教科書問題(2018年)には収録されていない。
①「日本の運命に関わる政治の重大な局面で思想家は最高度に政治的でなくてはいけないというのが私の考えです」。
②「いよいよの場面で、国益のために、日本は外国の前で土下座しなければならないかもしれない。そしてそれを、われわれ思想家が思想的に支持しなければならないのかもしれない。
正しい『思想』も、正しい『論理』も、そのときにはかなぐり捨てる、そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう。」
西尾幹二・歴史と常識(扶桑社、2002年5月)、p.65-p.66(原文は月刊正論2002年6月号)。
(小林よしのり・新ゴーマニズム宣言12/誰がためにポチは鳴く(小学館、2002年12月)、p.75 参照)
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さて、先に紹介引用したように、西尾幹二はアメリカや中国、日米安保条約についてこう書いた。
①2006年—アメリカが厄介で、「中国はそれほど大きな問題ではない」。「アメリカに依存する」ほかないが、「今度はアメリカの呑み込まれてしまうという新しい危機」があり、「これからはこっちの方が大きい」。
②2009年—「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国に対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあります。加えて、ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきているのです。」
③2013年—「私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
また、2013年に、10年後(2022-23年)の日本をこう「予測」した。
④「やがて権力〔アメリカ〕が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
上の④は確言的にせよ「予見」だろうから省くとして、例えば①〜③はどうか。
論評は簡単だ。上掲の2002年の文章を知ると、萎縮してしまうけれども。
間違いである。
かつまた、西尾が2017年に放った(つくる会は)「反共に加えて反米も初めて明確に打ち出した」という豪語の関係では、こうだ。
矛盾している。 どこに「反共」があるのか。
したがって、問題は、こうした結論的論評ではなく、西尾幹二はなぜ間違った、あるいは矛盾する言辞を綴るのか、ということになる。
自らの本来の「正しい」「思想」を例外的に放棄することを正面から肯定する2002年の文章を照合するとかなり虚しくなりもするが、それはさて措いて、六以降でこの問題を続けよう。
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五1を五に、五2を六に変更(1/16)。