秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2022年

2570/人間の「死」①—<コロナ禍>。

 2020年の春以降、意気が上がらない、というか、気が滅入る、というか、そのような話題が継続している。
 潜在的には、自分自身の「老化」と「死」を考えているからだろう。しかし、うんざりする状態が、けっこう長く続いている。全て、人間の「死」に関係する。
 第一は、いわゆる<コロナ禍>だ。自分自身の罹患とそれに続く「死」を疑ったことがあったが、幸い素人判断は外れていた。しかし、この二年間、それ以前に比べて、外出や旅行をし難くなってはいる。
 当たり前のことだが、ウイルスによる感染症は、人の生命を奪うことがある。日本でも(それ以外の原因での病死が減ったという情報もあるが)三万人余が死んでいる。そして、身近な人について遭遇しない多くの人には「実感」がないのかもしれない。
 もともとは早晩死ぬだろう、とくに基礎疾患をもつ高齢者がこれをきっかけに「少しだけ早く」死んだだけ、という説もある。最終的な「死」と感染・発症の因果関係の有無またはその程度の判断は、専門家にも困難なことがあるのではないか。
 しかしともあれ、<コロナ禍>の被害に遭遇しなければ死ななかっただろう若い人々がいるのは間違いない。新聞やテレビは、「統計数字」としてだけ報道するけれども。もはや報道すらしない、警察署前に掲示されている交通事故死者の「数」のように。
 とくに高齢者(その中のとくに基礎疾患のある人々)が外出(・旅行)をし難くなっているということは、相当程度、<運動不足>になっている、ということだろう。
 そして適度の運動の機会が奪われるということは、一般論としては、とくに一定の基礎疾患をもつ老人の死期を早めるものだ、と思われる。心臓にせよ、肺にせよ、その他の臓器にせよ。
 しかし、そうした疾患があって、適度の運動不足によって「早く」死んだ人がいても、それは「新型コロナ・ウイルス」感染症による死者数には計算されないだろう。
 むろん、適度の運動不足と「早く」死んだことの因果関係を探るのは困難だし、基礎疾患をもつ老人の死をそのような観点から考察するという意識、雰囲気自体が存在しないかもしれない。
 それにしても、再び当たり前のことだが、新型コロナ・ウイルスによる感染症は(何型であれ)、人間・ヒトにとっての脅威らしい。これによる、犬・猫、馬、ニワトリ等々の死の話題は聞いたことがない。
 人間・ヒトは、実際にそうであるように、人種、肌の色、民族、帰属・在住国家に関係なく、共通して<コロナ禍>で死ぬことがある。
 これはホモ・サピエンスだからこそそうなのであって、人種、民族、国家とは関係がない。あえて言えば、<グローバル>な現象だ。
 だが、人種、民族、帰属・在住国家によって発症患者や死者の数や率は異なり得る。衛生状態、医療制度、予防措置(入国制限やワクチン接種を含む)など、主としてはおそらく国家の違いによる場合があることは否定できないだろう。
 また、2020年にはしきりと言われたようだが、人種、民族による「ファクターX」というのも、否定できないように思われる(今ではどう議論されているのだろう)。
 というのは、日本人(・日本列島人)と欧米人(たぶんとくにヨーロッパ人)とでは、肝臓の機能に顕著な(と言っても程度問題だが)差異が、何かの分解作用についてあり、日本人の方が<酔いやすい>、<アルコールに弱い>、という話をある医師から聞いたことがあるからだ。そのオチは、韓国の医師たちは、日本人と同じ(同様)だということを、執拗に認めようとしない、ということだったのだが。
 こんなことを考えていると、皮膚・眼球・毛髪の色、頭蓋骨の形状、四肢の長さ・割合、筋力等々はホモ・サピエンスであっても人種、民族等によって異なることは明瞭だと思えてくる(もちろん共通性も多数ある)。
 そして、現在に至るまで差異が続いてきているというのは、人種、民族等が隔絶した、つまり<交雑しない>、よほど長い、数千年、数万年単位の「進化」・変化(しない)過程が続いたのだろうと、想像せざるをえない。地形・地理的隔絶、移動手段の未発達によるのだろう。
 これは、「文化的」遺伝子ではなく、まさに「生物的」遺伝子の問題だ。
 第一点は、この程度にする。
 人間の「死」について考えさせられる第二は、ロシアによる対ウクライナ戦争、第三は、安倍晋三元首相の突然の「死」だ。これらは2022年のこと。

1322/日本共産党こそ主敵-<悪魔の100年史>刊行を。

 月刊WiLL(ワック)は5月号で、日本共産党批判の特集を組んでいた。
 その他、雑誌Japanism等でも特集がある。
 しかし、一瞥のかぎりだが、私は不十分だと感じている。それについては近いうちに言及する。
 さて、月刊正論6月号(産経新聞社)の藤岡信勝論考の最後にこうある。正確には「若者」に対してだが。
 「日本共産党の歴史を、戦前は立花隆、戦後は兵本達吉の本を読んで知ってもらいたい」(p.135)。
 この二つを当然ながら秋月は読んでいるが、考えさせられることがある。
 それは、そう言えば、日本共産党の歴史(と現在)に関する詳細で学問的でもある(かつ分かりやすい)文献はなさそうであることだ。上の二つは、人文社会系の学者・研究者によるものではない。
 共産主義一般に関する(日本人による)批判的文献はないではない。また、ソ連や中国(・北朝鮮)の実態等に関する書物は多いとは言えないかもしれないが、まだある。
 しかし、日本の共産主義者たち、または肝心の日本共産党についての(むろんその歴史を含む)体系的・包括的な文献はひょっとすればまったく存在しないのではないか。
 研究者あるいは評論家と言われる人たちの中に、まともな(体系的・理論的も含む)日本共産党批判書を刊行している人はいるのだろうか。これは、日本の保守派=反共産主義派の大きな怠慢ではないか。
 人文社会系の学者たち、あるいはいわゆるアカデミズムが大きくコミュニズムに汚染されていて、現に日本にあったし、ある日本共産党の客観的分析、とりわけ批判的分析ができないだろうことは理解できる。だが、そのような実態こそ、いったい保守派は、とくに保守派とされる学者・研究者たちはいったい何をしてきたのかを疑問視させるものでもある。
 日本共産党自体の「社会科学的」研究こそが望まれる。処世・世渡りのために日本共産党自体の研究と公表をおろそかにしているとすれば(自民党についてはいくつかあるはずだ。55年体制とか「吉田ドクトリン」等々について)、本来は「社会科学」の精神・学問の自由の理念から離れている。
 日本共産党は2022年、6年後に創立100年になる。現在の状況では、大々的に<日本共産党の100年>とかの書物を「党史」として刊行する可能性が高いだろう。
 まだ6年ある。共同作業でもよいから、日本共産党自身が宣伝するような歴史と実態を同党はもつものではないことを、詳しく包括的に(かつできるだけ分かりやすく) 叙述する書物を保守派=反共産主義の学者あるいは論壇人たちは出版してほしいものだ。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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