=Archie Brown, The Rise and Fall of Communism(Oxford, 2009 ;Vintage, 2010)。
この邦訳書の冒頭にある著者自身による「日本語版のための序文」で、A・ブラウンはさらにこんなことも書いている。一文ごとに改行する。
③(第四段落冒頭)「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である、より一層意義深い理由がある。
今日のヨーロッパには共産主義国家は一つも残っていないが、現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる。
つまり、キューバはここでは措くとして、中国、ベトナム、ラオス、北朝鮮である。
いくつかの共通の特徴はあるとしても、共産主義は異なった時代に異なった場所で、まったく異なった現れ方を示した。
類似点と相違点、いかに…を主要な話題として、以下のページで探っていく。」
このあと中国と北朝鮮に関するやや立ち入った言及をしたあと、つぎのようにまとめている。
④「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である。
このことはとりわけ、世界最大の人口を擁し、遠からず世界最大の経済規模となる中国に当てはまる。//
共産主義の歴史--革命と戦争、悲劇と勝利、失敗と成功、イデオロギーの信奉者と殺戮者--は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう。
アジアの近隣に共産主義国家が存在することもあって、本書は今日のための洞察を含んでおり、また、過去への省察を提供するのみならず、未来への思索を誘発するであろう。
本書が日本語に翻訳されることは私にとって大きな喜びである。」
** さて、上にある次の文章を、多くの日本人はそのとおりだと感じるだろうか。
・「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である」意義深い理由は、共産主義国家で「現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる」からだ。。
・「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である」。
・「共産主義の歴史は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう」。
このように言われても、**それほどではありません、共産主義がさほど重要な主題だと感じていないしアジア近隣に四つの共産主義国家が現存しているという意識もないし、共産主義の歴史がさほど興味深いものとは思っていません**、という日本人の方が、知的産業・情報産業従事者も含めて、多いのではないだろうか。
R・パイプス、S・フィツパトリクらは、日本共産党等も含めて日本のことをほとんど知らないし、日本国内での共産主義・ロシア革命等に関する議論を知らないままで、それぞれの研究をしてきただろう。
それはA・ブラウンも同じで、日本国内のにある「異例な」<左翼>的雰囲気を-おそらく日本語が読解できないことを決定的な理由として-知らないままで、上のようなことを書いているのだろう。
しかし、、欧米の「共産主義」研究者からするとおそらく、上のような推測が当然に生じてくるのに違いない。
ソ連・東欧や欧米の「共産主義」史に詳しい日本以外の研究者にとっては、上のような指摘や推測は自然または当然であって、日本人の方がむしろ違和感を覚えるのだとすると、日本人の方が<奇妙>なのではないか、と思われる。
<共産主義の恐ろしさ>を肌感覚では理解しておらず、中国も北朝鮮も海を隔てた<遠い国>であるかのごとく捉えられているのではないだろうか。
そもそも、中国や北朝鮮のことを「非民主主義国」とか「党独裁国家」ということはあっても、日本人は、あるいは日本のメディアや論壇者は「社会主義国家」とか「共産主義国家」などと称すること自体がまずない(なお、日本共産党は北朝鮮は「社会主義国」ではないとする)。
欧米のメディアや論壇者と比べて、どこか感覚が麻痺しているのではなかろうか。
それは、日本に「社会主義(・共産主義)」幻想がまだ強く残り、日本共産党の存在もあって、公然と「社会主義」・「共産主義」を批判し難い雰囲気があるからだと思われる。
「反共」はバカな「愛国・保守」の主張であって、理性的・知的な者は<日本会議的アホ>のような主張をするはずはない、という感覚の者もいるかもしれない。「反共」ではあるらしい<日本会議的アホ>も、江崎道朗らに見られるごとく、「共産主義」に関する知識・素養がまるでないのではあるが。
A・ブラウンの日本人向け序文を読んで感じるのは、このようなもどかしさ、不思議さだ。
<反共産主義>あるいはその意味での<自由主義>が、おそらく知的活動者にとっての<常識>になっている国と、そうではない国(日本、おそらく韓国も)の違いだろう。
立ち入らないが、アメリカ合衆国を含むNATO締結国であることを当然のこととしていると思われる(ソ連解体後は例えばチェコも加入した)ほとんどのヨーロッパ諸国と、日米安保や日本の自衛隊の存在自体を危険視する意識をもつ勢力がなおもある程度存在し、あるいは「抑止力」を理解していませんでしたと平気で言える首相(鳩山由紀夫)がいた国との違いだ。
D・トランプ現大統領は、R・パイプスのぶ厚い研究書を読んでいないかもしれない。
しかし、この大統領も、R・パイプスの<共産主義の歴史>という一般人向けの簡潔な本くらいは読んでいて、<反共産主義>の基礎的な知識・常識くらいは持っているだろう。
基礎的な知識・常識あるいは感覚レベルで、日本には独特の<雰囲気>があるようだ。
いいも悪いもなく「現実」なのだから受忍する他はないが、このように指摘する者がいてもいけないということはないだろう。