秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

鳥越俊太郎

1373/F・フュレ・幻想の終わり(1995)等-その2。

 一 フランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)を読んでも、フュレ=ノルテの"Feindliche Naehe" Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert〔敵対的近接-20世紀のコミュニズムとファシズム〕を読んでも、まずは感じることが二つある(「近似」は「近接」へと少し訳し変えておく)。
 第一は、異論はむろん国内や国外にあれ、フランスとドイツの歴史学の大家がいずれも「コミュニズム」(共産主義)という言葉を平気で用い、これにかかわる諸論点を正面から叙述したり議論したりしていることだ。
 このような知的雰囲気は、残念ながら日本にはほとんどないように見える。ましてや、「日本共産党」を俎上に載せての批判的な学問的研究は、皆無なのではないか。
 実質的に日本共産党の現在の見地を批判しているような場合であっても、「一部には」とか「という説」とか、あるいは共産主義者一般の話として、直接には日本共産党を名指ししていないことも少なくないようだ。
 第二に、フュレのぶ厚い本の題について、幻想の「終わり(終焉)」と「過去」のいずれが適訳かという話題を前回に出したが(英語版のタイトルは、The Passing of an Illusion , The Idea of Communism in the Twentieth Century だった)、共産主義という幻想が日本において「終焉」しているとは、まったく思っていない。
 つまり、もともとフュレの大著は叙述対象を「欧州」に限定しているのだが、フランスやドイツという欧州の学者・知識人にとって(おそらくは一般公衆にとっても)、ソ連の崩壊は同時に「冷戦の終わり」であり欧州人にとっての「コミュニズムの終焉」なのだろう、ということがよく分かる。
 彼らにとっては、中国(・北朝鮮)におけるコミュニズム(共産主義)などは知的関心の対象ではなく、日本にまだあることを知っているのかどうかすら分からない、日本のコミュニズム政党(日本共産党)の存在とその主張(あるいはなぜ今だに存続しているのか)もまた知的興味の対象ではないように見える。
 欧米の文献だけを読んで、日本のことを論じてはならない。
 日本共産党も含めて、日本のことは日本人こそが議論し、研究しなければならない。
 二 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)p.131は、「民主主義=反・反共主義=反ファシズム」という「現代リベラルの公式」は、ソ連崩壊以降に「むしろ純化された」、と書く。
 日本人のほとんどにとって、先の戦争で日本(・日本軍国主義)は<悪い>ことをした、少なくとも<過ち>をした。ほとんどの日本人の意識にとってこの出発点はきわめて強固だと見られ、これが日本に対する勝利者の中にソ連も加わっていた、という紛れもない歴史的事実が結びついて、1990年までは大づかみに言って<反民主主義>の日本・ドイツ等と<民主主義>のアメリカ・ソ連等という対置を基本とする<歴史認識>が(少なくとも「左翼」・日本共産党には)形成されていた。
 この「日本軍国主義」は「ファシズム」に少なくとも近似のものと理解されたので、上の公式・図式は、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=ソ連擁護」ということにつながった。この「ソ連擁護」を「社会主義」に置換すると、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=社会主義」ということになり、「民主主義」者は「反・反共」で親「社会主義」者であるはずだ、あるいは「民主主義」と「社会主義」は対立物ではないはずだ、という倒錯が生まれた。
 朝日新聞岩波書店も、青木理斉藤貴男も、大江健三郎も、鳥越俊太郎も、日本の<左翼>は、<何となく左翼>も含めて、かつての、この大きくて単純な<図式>の意識構造のもとで、かかる観念世界の中で、生きている。
 かくして、ファシズムも日本軍国主義もすでに存在しないのだが、つねにそれらの<再来>を警戒し、<戦後が戦前にならないように>とか<再びきな臭くなってきた>などとじつに教条的な批判・攻撃をし始めるのが、日本共産党を中核とする日本の「左翼」だ。そして、安倍晋三は攻撃しやすい「ネオ・ファシスト」となる
 三 上の後半で述べたのた似た事情が、欧州にもあったことを、フュレの大著は述べている。邦訳書(楠瀬正浩訳)のp.244-5は、「コミュニズムとファシズム」と題する第6章のはじめに、つぎのように書く。
 ・歴史家は19世紀の眼鏡を通して20世紀を見たため、「民主主義対反民主主義」という図式を繰り返し、「ファシズム対反ファシズムという対立に固執した」。この傾向は第二次大戦後「殆ど神聖にして犯すべからざる思想上の観点」とさえ見なされるようになった。
 ・この「精神的束縛」はきわめて強く、フランスとイタリアでは「コミュニズムと反ファシズムは同一の立場を示す」ものと考えられて、「コミュニズムに対する分析はすべて妨げられる」ことになり、かつまた「ファシズムの歴史を語る」ことも困難になった。
 ・「反ファシズム思想が20世紀の歴史に充溢するためには<ファシズム>が敗北や消滅の後にもなお生き続けている必要があったのだ!」
 ・「ファシズム以上にわかりやすい攻撃目標を見つけることのできなかったヨーロッパの政治世界は、定期的にファシズムの亡霊を蘇らせ、反ファシズムの人々の結集を図ってきた」。
 以上。ここでの「ファシズム」をそのままか又は「日本軍国主義」または「軍国(好戦)主義者」に置き換えて、ほとんど同じことが、日本でも起きてきたし、起きていることが分かる。
 共産主義という「幻想」が生み出した別の「幻想」・「妄想」の図式からまずは脱出し、別の図式を打ち立てる必要がある。
 それはどのようなもので、どのようにして達成されるのか? 長い闘いが知的・意識のうえでも必要であり、この欄も、少しはこれに役立つことを願って記しつづける。

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

0158/「マスコミ九条の会」呼びかけ人ー史料として。

 周知のように、九条の会とは、九条を考える会の呼びかけに応えて、各地域・各職場・各業界等々に結成され、6000ほどすでにあるとされ、日本共産党が強力に結成又は参加を呼びかけている組織であり、現憲法九条の護持(改正に反対)を明瞭に主張している団体だ。
 マスコミ九条の会というのも、遅くとも2006年には結成されているようだ。そのサイトによると、呼びかけ人は次のとおり。知らない人もいるが、全員を()もそのままにして、記載しておく。
 「秋山ちえ子(評論家)、新崎盛暉(評論家)、飯部紀昭(道都大学教授)、石川文洋(報道写真家)、石坂啓(漫画家)、池辺晋一郎(作曲家)、井出孫六(作家)、猪田昇(日本ジャーナリスト会議北海道会員)、岩井善昭(日本ジャーナリスト会議北海道運営委員)、内橋克人(経済評論家)、梅田正己(日本ジャーナリスト会議出版部会代表)、大岡信(日本現代詩人会)、大谷昭宏(ジャーナリスト)、大橋巨泉(著述業)、岡本厚(岩波書店「世界」編集長)、小沢昭一(俳優)、恩地日出夫(映画監督)、桂敬一(立正大学文学部教授)、鎌田慧(ジャーナリスト)、川崎泰資(椙山女学園大学教授)、北村肇(「週刊金曜日」編集長)、小中陽太郎(作家)、斎藤貴男(ジャーナリスト)、佐藤博文(弁護士)、佐野洋(作家)、ジェームス三木(脚本家)、柴田鉄治(国際基督教大学客員教授)、須藤春夫(法政大学教授)、隅井孝雄(京都学園大学教授)、関千枝子(女性ニュース)、せんぼんよしこ(演出家)、高嶺朝一(琉球新報社)、谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)、田沼武能(写真家)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)、仲築間卓蔵(日本ジャーナリスト会議放送部会代表)、茶本繁正(ジャーナリスト)、塚本三夫(中央大学法学部教授)、辻井喬(詩人・作家)、坪井主税(札幌学院大学教授)、栃久保程二(日本ジャーナリスト会議北海道代表委員)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、中村梧郎(フォト・ジャーナリスト)、橋本進(ジャーナリスト)、ばばこういち(放送ジャーナリスト)、原壽雄(ジャーナリスト)、平岡敬(中国・地域づくり交流会)、広河隆一(写真家、デイズジャパン発行・編集人)、前泊博盛(琉球新報社論説委員)、増田れい子(エッセイスト)、箕輪登(元衆議院議員)、宮崎絢子(日本ジャーナリスト会議代表委員)、三善晃(作曲家・芸術院会員)、守屋龍一(日本ジャーナリスト会議事務局長)、門奈直樹(立教大学教授)、山田和夫(映画評論家)、湯川れい子(音楽評論家)、吉田ルイ子(フォト・ジャーナリスト)、吉永春子(ジャーナリスト)、若杉光夫(映画監督・演出家) ※五十音順
 私には著名で、かつ露出度が高そうな人を太字にしておいた。
 石坂啓は女性漫画家で売っているようだが、既述のように、「週刊金曜日」編集人の一人で、本田勝一や佐高信の仲間。鎌田慧の「左翼」ぶりは顕著だが、冷静そうに見せている
内橋克人もれっきとした「左翼」。辻井喬は朝日新聞社から(も)小説を刊行している。佐野洋はすでに70年代に日本共産党の支持者として名を出していた。平岡敬は元広島市長。
 鳥越俊太郎はオーマイニュースをその後どうしたのかの詳細は知らないが、呼びかけ人として名を出すように、九条護持派であることを明らかにしている。市民の「中立的」なニュースサイトを運営できるわけがない。
 他にも呼びかけ人等の氏名が公表されていれば、この欄にも転写又は記載していく。九条改正絶対反対という日本共産党・社民党の姿勢と通底していることを隠して、「一般」人あるいはノンポリふうに装っている人もいるので、注意と警戒が必要だ。

-0050/北朝鮮の核実験実施と鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書)。

 10月9日、北朝鮮が核実験成功と発表。安倍首相が東京に着いて航空機内から出るときの姿はさすがに相当疲れているように見えた。彼は「空気の宰相」ではなく小泉前首相と違って「論理」と「骨」があると思っており、今日の勝谷誠彦日記には賛成だ。
 この時期に「あっちむいてホイ」の「あっち」を向いた動きがあるとは、「平和ボケ」はなかなか治らないと感じる。
 鳥越俊太郎を含む人々は日本の核武装論はもちろん日本が正規軍をもつための憲法改正にも反対し続けるのだろう。もともと中国は核保有国で日本を核攻撃する能力・技術をすでに持っている。当然にこのことも意識して、対米関係に留意しつつ、これまで関心がなかった国民も含めて自国の「安全保障」のあり方を考えてみるべきだ。
 安倍内閣が河野談話・村山談話を踏襲するとしたことに、彼のかつての持論維持を期待した人たちからの批判もありうる。
 昨日の朝日新聞のたぶん3面に(記憶のみだが)本来の支持者「反発も」という見出しがあった。これは、<安倍さんはかつて述べていた持論を封印して中韓に擦り寄ってますよ、さぁ彼の「歴史認識」に期待していた支持者の皆さん、「反発」しましょう>という煽動だと理解すべきものだ。安倍がかつての持論をそのまま展開すれば中韓が反発し、それ見ろと朝日が激しく安倍批判をするのは目に見えている。朝日はいずれにせよ批判的・揶揄的スタンスを変えない。
 朝日新聞10/07社説の見出しは「安倍政権、ちょっぴり安心した」だったが、ひょっとして本音は「残念」ではなかったか。安倍を「先の大戦を『自存自衛の戦い』と位置づける。日本政府の『謝罪外交』を批判し、歴史教科書の『自虐史観』に修正を求める」「議員グループなどで中心的な役割を果たしてきた」と認識している朝日にとって、振り上げた拳を降ろせない状況になったからだ。
 昨日は古書店にも寄って鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書、2004)等10冊余り購入した。この本の類書はたぶんほとんどなく、一気に100頁過ぎまで読んでしまった。

-0042/鳥越俊太郎も増田都子も、少し読みにくい名前だ。

 一 週刊新潮36号(09/28号)によると、鳥越俊太郎は「2ちゃんねる」につき「人間の負の部分のはけ口…ゴミため」とテレビインタビュ-で答えたらしい。事実とすれば、元正規の?マスコミ世界にいた者の傲慢極まる認識というべきだ。
 子細は知らないが「2ちゃんねる」もいわば玉石混淆で、数の上では少なくとも「玉」はある。一般に「ゴミため」などと言うべきでない。また、ネット社会で発言し(書き込みし)不特定多数の者に自分の感情や見解を知ってもらう可能性ができたことは、かつては書物を出版できる人、新聞・テレビで発言できる人、ビラを撒ける人等に実質的には限られていた「表現の自由」の保障を何人・国民にも実質的に認めることに等しく、じつに画期的なことだ。鳥越にはネットの意義についての時代錯誤があるのでないか。
 その鳥越がOhmyNewsなるサイトを「編集」しているようだが、鳥越は憲法9条改正に反対であることを公言しておくべきだ。
 憲法改正を具体的視野に入れるとする首相が誕生しそうな今後数年、改憲は政治上の重要なイシューだろう。「マスコミ9条の会」呼びかけ人であることを隠して「編集」・運営しようとすることは欺瞞に等しい。改憲反対の立場で「記者」が選ばれているかもしれないからだ。宅建業法でいうと「重要事項説明」違反にあたるだろう。主催者・「編集者」でなければ公言の必要はないだろうし、テレビ等の直接関係のないテーマの発言の際に「私は9条維持論者ですが…」と逐一言う必要もないだろうが。いずれにせよ、OhmyNewsなるものを9条改正反対のために「利用」するな。
 二 遅れて<足立16中>事件・増田都子分限免職事件を知った。
 この元女性教諭は韓国・盧武鉉大統領に過去の日本の仕業につき謝罪の手紙を書き、釜山では自己に対する「分限免職処分」取消訴訟への「連帯」を求めたらしい。懲戒権者の適正な裁量の範囲内かという法的問題は別としても、この人の授業内容・保護者等への対応はやはり「異常」と思える。
 テレビで聞いただけだが、君が代起立斉唱に加わらなかった教員への懲戒処分を取消す地裁・一審判決が出たようだ。重すぎるという判断はありうるところだが、裁判官自身の「思想の自由、良心の自由」を押しつけている判決のごとくにも感じた。

-0034/九条を改正すれば日本は「戦争をする国」になるか。

 映画監督・山田洋次は70年代には日本共産党のパンフ類に共産党を「支持します」と出ていたので、その後も変わらず「九条の会」のごとき会に関係しても不思議ではない(変わっていても不思議ではないが)。知人某が10年以上前、映画「男はつらいよ」のいずれかの中でさくらの夫=博の本棚に雑誌「世界」があったのを見たと言っていた。私は雑誌「前衛」でなかったか?と尋ねたが。
 鳥越俊太郎の名がある。彼は最近OhmyNewsとやらで頑張っているらしいが、はたして「中立」的ニュ-スサイトは可能かどうか。彼自身がすでに「政治」的な<色>を自らに付けているので、「中立」的又はそれと同義の宣伝をOhmyNewsについてしていれば、虚偽広告になりはしないか。
 同じくコメンテイタ-としてテレビに登場している(たぶん元朝日の)大谷昭宏の名もある。
 いかなる主張・見解も自由だが、さも中立的・客観的な見解のごとき装いをとって視聴者を欺瞞的に誘導しないでほしい。鳥越もだが。
  「九条の会」アピ-ルを検討するためには、1.国際とくに東アジア情勢の認識、2.現九条の解釈論議をふまえる必要があるのだが、アピ-ル自体がこれらをきちんと認識し勉強しているとは思えない。
 北朝鮮のノドン一発で東京は壊滅し、中国の核弾頭は何本も日本に向けられているという現実の深刻さが彼らの文からはまるで伝わらない。武力攻撃という「危険」行為の可能性があるのは北朝鮮でも中国でもなく日米の側=自衛隊か在日米軍(「アメリカとの軍事同盟」)という倒錯し誤った認識に立っているとしか思えない。
 第二次大戦から「世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を導いたと最初の方にあるが、「国際紛争の解決のため」の戦争とは侵略戦争の意味であり、現9条1項のみからは自衛権と自衛戦争の否定は出てこない、ということは常識のはずなのに(奥平康弘がいながら)、常識的語法に無知の文だ。
 つづいて言う。「九条を中心に日本国憲法を『改正』しようとする動き」の「意図は、日本を、アメリカに従って『戦争をする国』に変えるところにあります」。
 ここに「九条の会」アピ-ルの策略と欺瞞性が象徴的に現れている。
 批判対象を批判しやすいように勝手に改めたうえで非難するという、議論の際よくみられる論法を使っている。
 さらにつづける。

-0033/左翼・平和教信者は「九条の会」に陸続と集結しつつある!

 中央公論新社の<日本の近代>は通史の8巻まで既に揃った。坂本多加雄氏による2巻は冒頭だけでも価値がある。講談社の<日本の歴史>の明治以降の通史5巻ほども。三省堂・戦後史大事典1945~2004も毎日新聞社の昭和史全記録1926~1989もある。個別テーマ関する文献も安い新書・文庫を中心にかなり買ったので、自分史叙述と憲法改正論の検討に役立てよう。
 朝日新聞(本田雅和記者等)は昨年に安倍氏の政治生命にかかわる虚報をしかつ一言の訂正・謝罪もしないで(教科書書換え、従軍慰安婦問題でも同じ)、よくも平然と安倍いじめを続けられるものだ。安倍氏はいつか内閣総理大臣として多数のテレビカメラの前で朝日を名指しにした厳しい批判をしてほしい(朝日はきっと虚報を含む何かの失態をするだろうから)。
 憲法改正の可否がいずれ日本の国論を二分し、日本の運命を決めるだろう。すでに9条改正反対で動いている「九条の会」の呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9名(2004.06)。「昔の名前で…」という人もいて、平均年齢はたぶん70歳を超す。
 同会のサイトには「賛同者」名簿と「講師団」名簿も公表されている。共産党員とそのシンパ、社民党員とそのシンパがほとんどと見られ、結局は両党組織が動くのだろう。
 「映画人九条の会」も大澤豊、小山内美江子、黒木和雄、神山征二郎、高畑勲、高村倉太郎、羽田澄子、降旗康男、掘北昌子、山内久、山田和夫、山田洋次の12名を呼びかけ人に設立され、「マスコミ九条の会」の呼びかけ人は秋山ちえ子、新崎盛暉、飯部紀昭、石川文洋、石坂啓、池辺晋一郎、井出孫六、猪田昇、岩井善昭、内橋克人、梅田正己、大岡信、大谷昭宏、大橋巨泉、岡本厚、小沢昭一、恩地日出夫、桂敬一、鎌田慧、川崎泰資、北村肇、小中陽太郎、斎藤貴男、佐藤博文、佐野洋、ジェ-ムス三木、柴田鉄治、須藤春夫、隅井孝雄、関千枝子、せんぼんよしこ、高嶺朝一、谷口源太郎、田沼武能、俵義文、仲築間卓蔵、茶本繁正、塚本三夫、辻井喬、坪井主税、栃久保程二、鳥越俊太郎、中村梧郎、橋本進、ばばこういち、原壽雄、平岡敬、広河隆一、前泊博盛、増田れい子、箕輪登、宮崎絢子、三善晃、守屋龍一、門奈直樹、山田和夫、湯川れい子、吉田ルイ子、吉永春子、若杉光夫。
 次回は若干の人物コメント、「九条の会」アピ-ルの論評・感想の予定だ。
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