朝日新聞今年-2014年-8/29の社説はつぎのようなものだ。
「「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。/安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。
「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」
送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。首相は昨年と04年の年次法要にも、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。
菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。その上で、「A級戦犯については、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」 「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。
戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。
日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。
連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。戦後日本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。
首相の口からぜひ聞きたい。/多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。
「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの歴史観を語ってほしい。/首相には、その責任がある。」
8月初旬の慰安婦記事検証記事と9月初旬の原発記事(を第一義とする)社長謝罪会見の間にこんな社説を掲載しているのだから、朝日新聞が決してその<左翼・反日>性を捨てることがないことは明らかだろう。
安倍晋三憎し=安倍の葬式はウチで出す、という気分の表れでもあるだろう。
加えて、上の文章における単純な歴史認識・歴史観には呆然とせざるをえない。
よく読めば、たんにいわゆる「A級戦犯」とされた者のみを念頭に置いているのではない。「A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要」への安倍晋三の哀悼文送付を批判しているのであり、丁寧でも三審制にもとづいてでもなく戦地近くの「裁判」で死刑判決を受け、処刑されたいわゆる「BC級戦犯」者に対する哀惜の念の欠片もない、じつに冷酷な文章だ。
この社説の執筆者は、藤田まこと主演の映画「明日への遺言」(2007)を観たのだろうか、もっと前のフランキー堺主演のドラマ「私は貝になりたい」の物語を知っているのだろうか。
この社説は「日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた」と書く。
日本国家が「戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で」戦後を出発した、とは誤認だろう。日本又は日本人が積極的にそうしたのではない。死刑者以外の「戦犯」の刑の執行するという意味で東京裁判の「遵守」をサ条約でもって約束しなければならなかったのは事実だが、主権回復のためのやむをえざる判断だったと考えられるし、むろん広田弘毅を含む死刑者を選別したのは日本・日本人ではない。
朝日新聞の社説のように言うならば、死刑者と終身刑者とではもともと微妙な差異しかなかったと見られるところ、サ条約にもとづく関係諸国と同意を得て死刑者(無念ながら元には戻せない)以外の受刑者を解放し、終身刑者の中には賀屋興宣というのちの法務大臣もいたことはどのように説明するのか。
いわゆる東京裁判史観に立ちそれを絶対視するならば、それによって有罪とされた者の釈放など認めてはならなかったはずだが、朝日新聞は当時それに反対したのか?
さらに、周知のように1953年には国会で受刑者を犯罪者とは扱わない旨の決議がなされているが、当時、朝日新聞はこれに反対したのか。
朝日新聞社説は、戦後の歴史の一部、一端だけを取り出して、安倍晋三の<歴史認識>批判という目的のために使っているにすぎない。朝日新聞のような単純素朴な歴史観でもって実際の歴史を認識したり総括することはできない。
何がクォリティ・ペイパーだ。戦後当初にGHQが植え付けようとした単純な<日本が悪かった>史観をいまだに引き継いでいるだけではないか。むろん、朝日新聞の慰安婦問題捏造記事の根源もここにある。日本軍・日本国家は悪いことをしたはずなのであり、していなければならなかったのだ、朝日新聞にとっては。客観的な報道をするつもりでも、そのような「思い込み」があると、記事は歪み、えてして<捏造>記事になってしまう。このようなおそれが今後の朝日新聞にあるのは、8/29の社説でも明らかだ。
「「私人としてのメッセージ」で済む話ではないだろう。/安倍首相が今年4月、A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に、自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていた。
「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉職者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げる」
送付先は、高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。碑は、連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。首相は昨年と04年の年次法要にも、自民党総裁、幹事長の役職名で書面を送付していた。
菅官房長官は会見で、内閣総理大臣としてではなく、私人としての行為との認識を示した。その上で、「A級戦犯については、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において、被告人が平和に対する罪を犯したとして有罪判決を受けたことは事実」 「我が国はサンフランシスコ平和(講和)条約で同裁判所の裁判を受諾している」と述べた。
戦後69年。このような端的な歴史的事実を、いまだに繰り返し国内外に向けて表明しなければならないとは情けない。
日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。
連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい。戦後日本が地道に積み上げてきたものを、いかに深く傷つけているか。自覚すべきである。
首相の口からぜひ聞きたい。/多大なる犠牲を生み出し、日本を破滅へと導いた戦争指導者が「祖国の礎」であるとは、いったいいかなる意味なのか。あの戦争の責任は、誰がどう取るべきだったと考えているのか。
「英霊」「御霊」などの言葉遣いでものごとをあいまいにするのはやめ、「私人」といった使い分けを排して、「魂を賭して」堂々と、自らの歴史観を語ってほしい。/首相には、その責任がある。」
8月初旬の慰安婦記事検証記事と9月初旬の原発記事(を第一義とする)社長謝罪会見の間にこんな社説を掲載しているのだから、朝日新聞が決してその<左翼・反日>性を捨てることがないことは明らかだろう。
安倍晋三憎し=安倍の葬式はウチで出す、という気分の表れでもあるだろう。
加えて、上の文章における単純な歴史認識・歴史観には呆然とせざるをえない。
よく読めば、たんにいわゆる「A級戦犯」とされた者のみを念頭に置いているのではない。「A級、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要」への安倍晋三の哀悼文送付を批判しているのであり、丁寧でも三審制にもとづいてでもなく戦地近くの「裁判」で死刑判決を受け、処刑されたいわゆる「BC級戦犯」者に対する哀惜の念の欠片もない、じつに冷酷な文章だ。
この社説の執筆者は、藤田まこと主演の映画「明日への遺言」(2007)を観たのだろうか、もっと前のフランキー堺主演のドラマ「私は貝になりたい」の物語を知っているのだろうか。
この社説は「日本は、東京裁判の判決を受け入れることによって主権を回復し、国際社会に復帰した。同時に、国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた」と書く。
日本国家が「戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で」戦後を出発した、とは誤認だろう。日本又は日本人が積極的にそうしたのではない。死刑者以外の「戦犯」の刑の執行するという意味で東京裁判の「遵守」をサ条約でもって約束しなければならなかったのは事実だが、主権回復のためのやむをえざる判断だったと考えられるし、むろん広田弘毅を含む死刑者を選別したのは日本・日本人ではない。
朝日新聞の社説のように言うならば、死刑者と終身刑者とではもともと微妙な差異しかなかったと見られるところ、サ条約にもとづく関係諸国と同意を得て死刑者(無念ながら元には戻せない)以外の受刑者を解放し、終身刑者の中には賀屋興宣というのちの法務大臣もいたことはどのように説明するのか。
いわゆる東京裁判史観に立ちそれを絶対視するならば、それによって有罪とされた者の釈放など認めてはならなかったはずだが、朝日新聞は当時それに反対したのか?
さらに、周知のように1953年には国会で受刑者を犯罪者とは扱わない旨の決議がなされているが、当時、朝日新聞はこれに反対したのか。
朝日新聞社説は、戦後の歴史の一部、一端だけを取り出して、安倍晋三の<歴史認識>批判という目的のために使っているにすぎない。朝日新聞のような単純素朴な歴史観でもって実際の歴史を認識したり総括することはできない。
何がクォリティ・ペイパーだ。戦後当初にGHQが植え付けようとした単純な<日本が悪かった>史観をいまだに引き継いでいるだけではないか。むろん、朝日新聞の慰安婦問題捏造記事の根源もここにある。日本軍・日本国家は悪いことをしたはずなのであり、していなければならなかったのだ、朝日新聞にとっては。客観的な報道をするつもりでも、そのような「思い込み」があると、記事は歪み、えてして<捏造>記事になってしまう。このようなおそれが今後の朝日新聞にあるのは、8/29の社説でも明らかだ。