秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

高度経済成長

0964/「ミニ・インテリ」層=高学歴・ホワイトカラー・都市居住勤労者の政治責任。

 月刊正論(2011年)2月号(2010.12、産経新聞社)の連載、竹内洋「続・革新幻想の戦後史」は引き続いて石坂洋次郎に言及しているが、その中で、藤原弘達の1958年の著にある一農村青年の言葉を引用している。

 ・社会党支持の方が「何だかスマートでハイカラなような」気がする。保守党は「古さ」を連想させて「ツマラナイ」気がする。都会の若者たちは「皆社会党を支持しているそうですね」。

 竹内洋はこの発言こそ「草の根革新幻想の正体」を示したものだとする(p.278)。あえて佐伯啓思・日本の「思想」(NTT出版)の二分(p.164)を借りれば、戦後の「公式的価値」となった「顕教としての普遍的価値」を「古い」「日本的」観念=「密教としての日本的習慣」よりも愛好しようとするメンタリティが「革新幻想」でもあろう。

 (なお、竹内も意識しているだろうように、「革新幻想」の中核は、「社会主義幻想」だ。あるいは、「革新幻想」は「社会主義幻想」につながっていく性質をもつ。)

 竹内洋は、綿貫譲治の論文(1976年著に所収)の、データにもとづく次のような知見も引用している(p.278-9)。

 ・「ホワイト・カラー層」の「左翼政党(とくに日本社会党)」支持の高さは「顕著」。欧米の「ホワイト・カラー層」は大半が「右派社会党」を支持し、「保守党や自由党」支持率がもっと高いのと異なる。

 ・所得階層と政党支持の間に明確な関係はない。「教育程度と政党選択」の間には「ほぼ明瞭な相関関係」がある

 ・1930年~1940年に生まれた者(調査当時は二十歳台)や「戦後教育を受けた」者の間には日本社会党の支持率が高い。

 以上の諸指摘は、感じてきたこととも合致しており、きわめて興味深い。

 1930年以降に生まれ、「戦後教育」も受け、「教育程度」が高く、「ホワイト・カラー層」には日本社会党支持率が高い、というわけだ。

 戦後に「顕教としての普遍的価値」となったものは日本国憲法が示しているような諸原理だが、この<新憲法>教育を受けた者は、それ以前の者たちよりも「左翼的」になった、というのは傾向としては間違いないだろう。<新憲法>教育を受けたということは(とりわけそれが占領期であれば)、日本はかつて悪いことをした(日本軍国主義は<侵略戦争>をした)ということを客観的な事実として<信じ込まされた>ということを意味する。このような人々が、<護憲>の(日本軍国主義復活阻止の)社会党の支持に傾斜するのは自然だったともいえる。

 もちろん、今日的に見れば、日本国憲法は必ずしも日本の伝統・歴史につながらない「借り物」で、非武装条項も米国の占領初期の政策による「押しつけ」であることは明らかになってはきている。

 しかし、いわば<ミニ・インテリ>たち、農漁村というよりも都市在在の、「教養・学歴」があるとの自意識をもつ者たち、が社会党を支持するという形で示した「革新幻想」(>社会主義幻想)は、今日まで続いてきている、と思われる。
 いわゆる<団塊世代>(狭くは1947-49年生)よりもそのすぐ上の世代において社会党(または日本共産党を含む「革新」政党)支持率は一貫して高かった、というのが何回も新聞で見てきた世論調査の結果だった。この世代には、この欄で何回か用いた、1930年代前半=昭和一桁後半生まれ(1930-1935生)という、感受性の豊かな青少年期に<過去の日本=悪>との占領期教育にどっぷりと浸った<特殊な世代>の者たちが含まれる(典型として、大江健三郎)。小林よしのりは(教科書スミ塗りを経験した)「<小国民>世代」と言っているが、「国民学校」生徒経験者という意味では、こちらの方が厳密かもしれない。

 さて、今日まで日本国憲法の改正が行われていないのは、日本社会党等の改憲反対政党(日本共産党を含む)が国会で1/3以上の議席を占め続けたからであり、ひいては、上記の<ミニ・インテリ>たち、戦前に比べれば飛躍的に量を増した都市勤労大衆のうちの、学歴が相対的に高い「ホワイト・カラー層」等、が日本社会党等を支持したからだ。

 日本国憲法改正ができなかったのは、上のような<ミニ・インテリ>たちの選好政党に基本的原因があった、と言って過言ではない。彼らは、高度経済成長のもとで、自分と自分の家族のための物質的豊かさの向上を享受しつつ、その<安逸>(および努力すれば報いられるとの達成感)を守るために、<戦争・軍事>に関する問題については真摯に考えることなく思考停止させ、<戦争・軍事>問題を活性化させそうな、キナくさく「古い」と感じられた保守党=自民党には投票しなかったのだ。

 そのような<ミニ・インテリ>たちの購読する新聞はたいていは朝日新聞で、朝日ジャーナルがあった頃はそれも読み、かりに自分の勤務・仕事とは無関係であっても、少なくとも頭の中だけでは(観念的には)「進歩的」気分に浸り、意識の中だけでは<ミニ・エリート>たることができた。

 そのような世代または「層」は<団塊世代>をもまたいで、なお広範に存在するように見える。「古い」自民党政治からの訣別に拍手を送り、「新しい」民主党政権を大歓迎したの国民たちの中に、このようなかつての<ミニ・インテリ>たち(および彼らの影響を受けた者たち)は多かったように見える。

 民主党政権の成立とその後の成りゆきの責任を負うのはむろん最終的には有権者国民であり、民主党に投票した者たちだが、その民主党支持者(投票者)の中にはオールド「社会党支持者」たちも少なくなかったと見られる。

 戦後日本の歴史を概括しようとするとき、日本が<衰亡>に向かっているとすれば、上記のような<ミニ・インテリ>たち=オールド「社会党支持者」たちの<責任>はきわめて大きい。このことは特筆しておきたい。

 もちろん、そのような<ミニ・インテリ>たちを生んだ、学校教育(=教師)、マスメディア、そしてこれらをも指導した(一時期はGHQの占領政策に「迎合した」)本来の「知識人」たち、あるいは学者・文化人の類の<責任>は厳しく指弾されなければならない。

 <責任>が追及されるべきいわゆる<進歩的文化人>の特定と言動内容、GHQや「社会主義」諸国との関係等を明らかにしておくことは、「戦後日本」の総括にとっての重要な課題の一つに他ならないと思われる。

0473/浅羽道明・昭和三十年代主義(幻冬舎、2008)をp.114まで読んだ。

 先週4/17(木)の午後6時頃に浅羽道明・昭和三十年代主義-もう成長しない日本(幻冬舎、2008.04)を購入し、その日のうちに一気に第一章・第二章、p.87まで読んだ。神社・皇室に関する本を読んだりしていて、現時点では第三章・p.114までしか進んでいない。それでも114/387だから、1/4~1/3は読了している。
 冒頭に全体の要約又は趣旨が語られ、要所々々にまとめもあるので読みやすい。また、昭和30年代とは1955~1965(1964)年、私のおおよそ小学生・中学生時代で、懐かしさもあり、自分なりの戦後史のまとめの参考にもなりそうだ。
 もっとも、たんなる昭和30年代ブームではない「昭和三十代主義」という<イズム>・<思想>を筆者は主唱したいらしいが、それで?(so what?)という感もある。
 また、今まで読んだ限りでは、1955~1965年とは所謂55年体制が発足し、警察予備隊・保安隊・自衛隊が順に誕生したあとの、主権回復後の安全保障に関する議論と対立があり、60年にピークを迎え(60年安保条約改定をめぐる対立)、その後に経済成長政策の優先と自主憲法制定の挫折・諦めがあった(その背景として日本社会党等の国会1/3議席以上の確保、「進歩的文化人」の跋扈)、という10年間のはずなのに、こうした基礎的な政治・安全保障環境については全く言及がない。「昭和三十代」を語る本のはずなのに、この点はいかがなものか。文学部出身かと思ったら、奥付を見ると法学部出身らしいのに。
 この人の右翼と左翼(幻冬舎新書)は面白く読めて有益だった。また、この昭和三十年代主義では、構成員の協働を「必要」とした家族の生産集団から消費集団化、前者だったがゆえの昭和30年代頃の家族の紐帯の強さ(そして前者でなくなったための、今日に至る家族の<崩壊>)といった(私の大づかみな要約だが)分析等は、なかなか面白い。少し雰囲気は違うが、映画や小説を素材に時代を描くという手法は関川夏央にも似ている(「青春」歌謡曲・映画を素材にこれを試みたのが社会学者・藤井淑禎だった)。
 だが、高度経済成長自体が一定の国際・政治・軍事環境のもとで生じたことで(決して憲法九条・<平和主義>の「おかげ」ではない)、後者の方面にも言及がないと、一面的な、ある面についてのみ言える「昭和三十年代主義」になりそうな気がする。
 残りに大いに期待することにしよう。
ギャラリー
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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