先日6/21に言及した福井義高の論考の中に香西秀信の著の一部の引用・紹介があったので、確認すべく捲っているとやはりなかなか面白いので、ここでもう少し詳しく引用・紹介しておく。本来の文脈=レトリック関連は無視する。
香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫、2010/原著2002)p.105。
以下、引用。「私」とは、著者・香西秀信。
私も…、大学教師が「『進歩的』と思われる」ことの利益など何もなかったと思っています。その理由は、少なくとも社会主義諸国崩壊の前までは、社会科学や人文科学系の大学教師にとっては、「進歩的」ポーズをとることなどほとんど常態だったからです。皆がそうなのですから、「『進歩的』と思われる」ことに利益など生じるはずもありません。/ …。何よりも、社会科学や人文科学の分野では、「進歩的」でないと見なされたら、(国立)大学に職を得ることすら困難でした。誰もが「進歩的」であるように見せかけていた時代に「『進歩的』と思われる」ことなど何も利益はない…。…「進歩的」でないと思われることと比較して、初めて隠された「御利益」が見えてくるのです。
以上、引用終わり。つぎは同上著p.106。直接の引用はしづらいので、筆者(秋月)がほんの少しは修正を加える。「私」は香西秀信。
①戦時中に「少年期にあった人たち」が戦後になって、戦時中に「鬼畜英米」・「一億火の玉」とか言っていた大人たちが突然に「民主的」になり「こんな馬鹿な戦争がうまくいくはずがないと思っていた」と「したり顔」で解説するのを聞いて、「その後の彼らの人生観、ものの見方」に大きな影響を受けた、という話を私はしばしば聞いた。
②私にも「似たような経験」がある。「ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊した」とき、かつては「社会主義を賛美していた、少なくともシンパシーを感じていたはずの人たち」が、「ショックで発狂すると思いきや」、「あんな体制が長生きするはずはない」と涼しい顔で傍観していた。その人たちは、かつて戦後すぐの大人たちの変節に大きな影響を受けたと話してくれたのと、同じ人たちだった。
③その人たちは、1960年代には「反革命」と評価していた同じものを、社会主義諸国崩壊直前の1990年頃には「民主化」と言い始めた。「『その後の彼らの人生観、ものの見方』に大きな影響を受けた」のは間違いないだろう。かつて軽蔑した大人たちと同じ年頃になって、まったく同様の振る舞いをし始めたのだから。
以上。上の「民主化」とは、旧ソ連のペレストロイカ等を指しているのだろう。
上のような、<非・コミュニスト的な左翼>は、現在の日本人、とくに60-65歳以上の者たちの中に、かなり多くいそうだ。なるほど。
----
いちいちメモをしてきていないのだが、6/23には、以下を(も)、たぶん15分くらいで読了。
梶川伸一「レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか-十月革命後の現実を通して」上島武=村岡到編・レーニン/革命ロシアの光と影(社会評論社、2005)p.14-32。
香西秀信・レトリックと詭弁(ちくま文庫、2010/原著2002)p.105。
以下、引用。「私」とは、著者・香西秀信。
私も…、大学教師が「『進歩的』と思われる」ことの利益など何もなかったと思っています。その理由は、少なくとも社会主義諸国崩壊の前までは、社会科学や人文科学系の大学教師にとっては、「進歩的」ポーズをとることなどほとんど常態だったからです。皆がそうなのですから、「『進歩的』と思われる」ことに利益など生じるはずもありません。/ …。何よりも、社会科学や人文科学の分野では、「進歩的」でないと見なされたら、(国立)大学に職を得ることすら困難でした。誰もが「進歩的」であるように見せかけていた時代に「『進歩的』と思われる」ことなど何も利益はない…。…「進歩的」でないと思われることと比較して、初めて隠された「御利益」が見えてくるのです。
以上、引用終わり。つぎは同上著p.106。直接の引用はしづらいので、筆者(秋月)がほんの少しは修正を加える。「私」は香西秀信。
①戦時中に「少年期にあった人たち」が戦後になって、戦時中に「鬼畜英米」・「一億火の玉」とか言っていた大人たちが突然に「民主的」になり「こんな馬鹿な戦争がうまくいくはずがないと思っていた」と「したり顔」で解説するのを聞いて、「その後の彼らの人生観、ものの見方」に大きな影響を受けた、という話を私はしばしば聞いた。
②私にも「似たような経験」がある。「ソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊した」とき、かつては「社会主義を賛美していた、少なくともシンパシーを感じていたはずの人たち」が、「ショックで発狂すると思いきや」、「あんな体制が長生きするはずはない」と涼しい顔で傍観していた。その人たちは、かつて戦後すぐの大人たちの変節に大きな影響を受けたと話してくれたのと、同じ人たちだった。
③その人たちは、1960年代には「反革命」と評価していた同じものを、社会主義諸国崩壊直前の1990年頃には「民主化」と言い始めた。「『その後の彼らの人生観、ものの見方』に大きな影響を受けた」のは間違いないだろう。かつて軽蔑した大人たちと同じ年頃になって、まったく同様の振る舞いをし始めたのだから。
以上。上の「民主化」とは、旧ソ連のペレストロイカ等を指しているのだろう。
上のような、<非・コミュニスト的な左翼>は、現在の日本人、とくに60-65歳以上の者たちの中に、かなり多くいそうだ。なるほど。
----
いちいちメモをしてきていないのだが、6/23には、以下を(も)、たぶん15分くらいで読了。
梶川伸一「レーニンの農業・農民理論をいかに評価するか-十月革命後の現実を通して」上島武=村岡到編・レーニン/革命ロシアの光と影(社会評論社、2005)p.14-32。