Richard Pipes, The Russian Revolution 1899 -1919 (1990).
「第15章・“戦時共産主義“」の試訳のつづき。
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第15章・第六節/農業生産の低下。
(01) 農業生産の低下は、より劇的ではなかった。しかし、食糧の余剰にはほとんど余裕がなかったので、農業生産低下の国民生活に対する影響は、より破壊的だった。
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(02) ボルシェヴィキ政府は農民層を階級敵と見なし、赤軍の一団や武装暴漢たちの一隊によって通常の方法で戦った。
1918年綱領—農業生産物の私的取引の排除が目的—は、激烈な農民の抵抗があることに鑑み、緩和されなければならなかった。
1919年と1920年、ボルシェヴィキ政府は、多様な手段でもって農民から食糧を奪い取った。強制的引渡し、製造物品と食料の交換、実際の価額よりもいくぶん高い購入。
1919年、政府は、限定された量の食糧が自由市場で売却されることを認めた。
日常用品、肉、果物、ほとんどの野菜、そして全ての野生の食料は、最初は国家の統制から免れており、のちに通常の食料と同じように規整された。
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(03) 規整と誘導の連携を通じて、政府は何とか、都市部、工業地区、むろん赤軍に、食料を提供することができた。
しかし、農民たちは自分たちが必要とする以上に多く生産する動機がなかったので、将来には破綻するだろうとの見込みから、農民たちは耕作面積を減少させ続けた。
穀物を栽培する地方では、1913年と1920年のあいだに、耕作されている土地面積は、12.5パーセント減少した(注97)。
しかしながら、種が撒かれた農地面積の減少は、穀物生産の低下を十分には明らかには示していない。
第一に、農民たちは産物を自分たちで消費するか収穫の四分の三を種として残しておくので、作付け面積の12.5パーセントの減少は、非農業の国民のための余剰生産に使える農地が半分にまで落ちていることを意味した。
第二に、作付け面積の減少と同時に生産は低下し続けたのだが、それは主としては、四分の一が軍隊のために没収された牽引馬の不足によるものだった。
1920年のエーカー当たりの収穫高は、戦争前のそれの70パーセントにすぎなかった(注98)。
収穫高の30パーセント減少を伴なう農地面積の12.5パーセント減少が意味したのは、穀物生産が戦前の数字の60パーセントにすぎなくなった、ということだった。
ある共産党員経済学者が統計資料を示しているが、これは、現実に何が起きたかを示している。
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「中央ロシアでの穀物生産(100万トン単位)(注99)
1913年 78.2
1917年 69.1
1920年 48.2」
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(04) 飢餓の次元にまで落下するのに必要だったのは、少しのあいだの、収穫にとっての悪天候だけだった。
ボルシェヴィキによる経営のもとでは余剰はなく、そのゆえに、収穫減少の結果を吸収することができなかった。
やがて近いうちに災難がやってくるだろうことは、1920年の秋には、ほとんど確実に感じられていた。
その1920年秋、党の諸文書は、新しい「敵」—<zaskha>、すなわち干魃、が起きるという警告を報じ始めた(注100)。
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(05) 本当の飢饉、ロシアも残りのヨーロッパも未だ経験したことがなく、数百万人が死亡することになるアジア的飢饉は、まだ先のことだった。
しばらくの間は、飢えがあり、栄養不十分の永続的状態があった。これにより、活力、働く力、そして生きようとする意思がすっかり奪われた。
ボルシェヴィキのある指導的経済学者は、1920年に工業生産の低下を分析して、主に食糧不足にその原因を求めた。
彼の計算によると、1908年-1916年の平均的労働者は一日に3820カロリーを消費したが、1919年までに摂取量は2680カロリーまで落ちた。この量では、激しい手作業には十分でなかった(注101)。
彼の見解では、カロリー摂取量の30パーセント低下は、大都市での労働者生産性の40パーセント減少の主要な原因だった。
もちろんこれは、過度に単純化したものだが、まさに現実の問題を衝いていた。
もう一人の共産党員専門家は、一年間で180-200キログラムのパン消費は飢餓だとする革命前の基準を用いて、1919-20年の北部地域のソヴィエトの労働者は134キログラムしか消費しておらず、これは飢餓だと評価した(注102)。
ロシアの諸都市がこの時点で飢餓のために崩壊しなかったとすれば、それは、時期の幸運な合致によっていた。すなわち、まさに崩壊しようとするときに、ボルシェヴィキは内戦に勝利し、北部コーカサス、ウクライナおよびシベリアを再制圧した。これらの地方は、非ボルシェヴィキが支配していて、穀物を豊かに貯蔵していた。
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第七節につづく。
「第15章・“戦時共産主義“」の試訳のつづき。
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第15章・第六節/農業生産の低下。
(01) 農業生産の低下は、より劇的ではなかった。しかし、食糧の余剰にはほとんど余裕がなかったので、農業生産低下の国民生活に対する影響は、より破壊的だった。
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(02) ボルシェヴィキ政府は農民層を階級敵と見なし、赤軍の一団や武装暴漢たちの一隊によって通常の方法で戦った。
1918年綱領—農業生産物の私的取引の排除が目的—は、激烈な農民の抵抗があることに鑑み、緩和されなければならなかった。
1919年と1920年、ボルシェヴィキ政府は、多様な手段でもって農民から食糧を奪い取った。強制的引渡し、製造物品と食料の交換、実際の価額よりもいくぶん高い購入。
1919年、政府は、限定された量の食糧が自由市場で売却されることを認めた。
日常用品、肉、果物、ほとんどの野菜、そして全ての野生の食料は、最初は国家の統制から免れており、のちに通常の食料と同じように規整された。
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(03) 規整と誘導の連携を通じて、政府は何とか、都市部、工業地区、むろん赤軍に、食料を提供することができた。
しかし、農民たちは自分たちが必要とする以上に多く生産する動機がなかったので、将来には破綻するだろうとの見込みから、農民たちは耕作面積を減少させ続けた。
穀物を栽培する地方では、1913年と1920年のあいだに、耕作されている土地面積は、12.5パーセント減少した(注97)。
しかしながら、種が撒かれた農地面積の減少は、穀物生産の低下を十分には明らかには示していない。
第一に、農民たちは産物を自分たちで消費するか収穫の四分の三を種として残しておくので、作付け面積の12.5パーセントの減少は、非農業の国民のための余剰生産に使える農地が半分にまで落ちていることを意味した。
第二に、作付け面積の減少と同時に生産は低下し続けたのだが、それは主としては、四分の一が軍隊のために没収された牽引馬の不足によるものだった。
1920年のエーカー当たりの収穫高は、戦争前のそれの70パーセントにすぎなかった(注98)。
収穫高の30パーセント減少を伴なう農地面積の12.5パーセント減少が意味したのは、穀物生産が戦前の数字の60パーセントにすぎなくなった、ということだった。
ある共産党員経済学者が統計資料を示しているが、これは、現実に何が起きたかを示している。
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「中央ロシアでの穀物生産(100万トン単位)(注99)
1913年 78.2
1917年 69.1
1920年 48.2」
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(04) 飢餓の次元にまで落下するのに必要だったのは、少しのあいだの、収穫にとっての悪天候だけだった。
ボルシェヴィキによる経営のもとでは余剰はなく、そのゆえに、収穫減少の結果を吸収することができなかった。
やがて近いうちに災難がやってくるだろうことは、1920年の秋には、ほとんど確実に感じられていた。
その1920年秋、党の諸文書は、新しい「敵」—<zaskha>、すなわち干魃、が起きるという警告を報じ始めた(注100)。
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(05) 本当の飢饉、ロシアも残りのヨーロッパも未だ経験したことがなく、数百万人が死亡することになるアジア的飢饉は、まだ先のことだった。
しばらくの間は、飢えがあり、栄養不十分の永続的状態があった。これにより、活力、働く力、そして生きようとする意思がすっかり奪われた。
ボルシェヴィキのある指導的経済学者は、1920年に工業生産の低下を分析して、主に食糧不足にその原因を求めた。
彼の計算によると、1908年-1916年の平均的労働者は一日に3820カロリーを消費したが、1919年までに摂取量は2680カロリーまで落ちた。この量では、激しい手作業には十分でなかった(注101)。
彼の見解では、カロリー摂取量の30パーセント低下は、大都市での労働者生産性の40パーセント減少の主要な原因だった。
もちろんこれは、過度に単純化したものだが、まさに現実の問題を衝いていた。
もう一人の共産党員専門家は、一年間で180-200キログラムのパン消費は飢餓だとする革命前の基準を用いて、1919-20年の北部地域のソヴィエトの労働者は134キログラムしか消費しておらず、これは飢餓だと評価した(注102)。
ロシアの諸都市がこの時点で飢餓のために崩壊しなかったとすれば、それは、時期の幸運な合致によっていた。すなわち、まさに崩壊しようとするときに、ボルシェヴィキは内戦に勝利し、北部コーカサス、ウクライナおよびシベリアを再制圧した。これらの地方は、非ボルシェヴィキが支配していて、穀物を豊かに貯蔵していた。
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第七節につづく。






























































