秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

音楽社会学

2716/M·ウェーバー叙述へのコメントの詳述。

 以下、No.2715に再掲したかつてのコメントを詳しくしたもの。
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  前々回のNo.2714に再掲したM·ウェーバーの叙述を、秋月瑛二はたぶんほぼ正確に理解することができた。M·ウェーバー<音楽社会学>に接する前に、ピタゴラス音律、純正律、十二等分平均律について、すでにかなり知っていたからだ。
 だが、日本の音楽大学出身者も含めて、いかほど容易にM·ウェーバーの、1911年〜12年に執筆されたとされる文章(のまさに冒頭)〔前々回に再掲〕の意味を理解することができるか、かなり怪しいと思っている。
 上のコメントをさらに詳しくしておこう。
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   n/(n+1)では(前者が分母だと理解しないかぎりは)「過分数」にならないから(この点、M·ウェーバーは「逆数」で語っているとの説明もある)、(n+1)/nのことだと理解しておこう。
 M·ウェーバーはこう叙述する。「いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの関係で「圏」状に上行または下行すると、この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」。
 「最初はオクターブで」とは、「ある開始音」の音波数(周波数)を2倍、4倍、〜、1/2倍、1/4倍、〜、としてみることだろう。これらの場合、音の(絶対的)「高さ」は変わっても、「オクターブ」の位置が変わるだけで、ヒトの通常の聴感覚では、きわめてよく「調和」・「協和」する<同じ>音に聴こえる。これは、ホモ・サピエンス(人類)の生来の<聴覚>からして、自然のことだろう。
 だが、「同じ」音ではなく、「異なる」音を一オクターブの中に設定しようとする場合に、種々の問題が出てくる。
 M·ウェーバーが「次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの関係で」という場合の「5度」とは<3/2>を、「4度」とは<4/3>を、意味していると解される。
 脱線するが、興味深いことに今日の〈十二平均律〉の場合でも、日本の音楽大学出身者ならよく知っているだろうが、「完全5度」、「完全4度」という概念・言葉が用いられている(「完全2度」や「完全3度」等々はない)。しかし、その数値は「完全1度」(=従前と同じ音)の音波数の<3/2>や<4/3>ではない。もっとも、このような用語法が残っているということ自体、〈ピタゴラス音律〉が果たした歴史的意味の大きさを示しているだろう、と考えられる。
 M·ウェーバーがつづけて「過分数によって規定された他の何らかの関係で」というのは、上の(n+1)/nのn が2、3の場合が<3/2>、<4/3>だから、nを増やしていって、<5/4>、<6/5>等々を意味しているのだろう。但し、主要な場合として<3/2>、<4/3>を、とくに<3/2>を、想定していると見られる。
 さて、M·ウェーバーによると、これらの新しい数値を選んで、①<「圏」状に上行または下行すると>、②「この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」。
 この①の明記が、日本でよく見られる〈ピタゴラス音律〉に関する説明には欠けている観点だ。
 だからこそ、「何らかの関係で『圏』状に上行または下行すると…」との部分は「今日の日本でのピタゴラス音律の説明について秋月瑛二が不満を感じてきたところを衝いていると思える」、とNo.2641で記した。
 その趣旨を詳しく記述しなかったのだが、以下のようなことだ。
 わが国で通常に見られる〈ピタゴラス音律〉に関する説明は、ほぼもっぱら「上行」の場合のみで説明をし、「下行」の場合をほとんど記述していない。
 上の②にあるように、「この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」のだが、「『圏』状」での「上行」の場合は「ピタゴラス・コンマ」は必ずプラスの数値になる。「圏」という語を使うと、「圏」または「円環」上の位置が進みすぎて、元の音よりも(例えばちょうど1オクターブ上の音よりも)少し「高く」なる。
 したがって、日本でのほとんどの説明では、「ピタゴラス・コンマ」はつねにプラスの数値になる。
 しかし、「『圏』状」での「下行」の場合は「ピタゴラス・コンマ」は必ずマイナスの数値になる。すなわち、「圏」または「円環」上の位置が元の音よりも(例えばちょうど1オクターブ上の音よりも)少し「低く」なる。「圏」または「円環」上の位置が進み「すぎる」のではなく、進み方が少し「足らない」のだ。
 なお、今回は立ち入らないが(すでに本欄で言及してはいるのだが)、「上行」と「下行」の区別が明確でないと、「ある開始音」をC=1とした場合のFの音の数値を明確に語ることができない。「下行」を用いてこそFは4/3になるのであり、「上行」では4/3という簡素な数値には絶対にならない。
 **「下行」の場合の計算過程と「マイナスのピタゴラス・コンマ」について、→No.2656/2023-08-04
 ——
  M·ウェーバーはこう叙述した。「例えば、(2/3)12乗にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7乗にあたる第七番目の8度よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである」。
 上の「(2/3)12乗」は<3/2>の12乗のこと、「(1/2)7乗」は<2/1=2>の7乗のこと、だと考えられる。また「第七番目の8度」とは<7オクターブ上の同じ音>だと解される。たんに「8度」上の音とは1オクターブだけ上の「同じ」音を意味するからだ(こういう「8度」の用語法は、〈十二平均律〉が支配する今日でも見られる)。
 こう理解して、実際に上の計算を行ってみよう。本当に「…よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きい」のか。
 ここで先に、秋月がすでに行っている、(プラスの)ピタゴラス・コンマの計算結果を示しておく。
 昨2023年年の8月に、この欄に示したものだ。そのまま引用はせず(×(3/2)ではなく×3÷2という表記の仕方をしていることにもよる)、表記の仕方をやや変更する(計算結果はむろん同じ)。参照、→No.2655/2023-08-03
 M·ウェーバーの叙述の仕方と異なり、わが国で通常のように、(3/2)を乗じつつ、<1と2の間の数値になるように>、必要な場合にはx(1/2)の計算を追加する。但し、⑫は2を少しだけ超えるが、ほとんど2だとして、そのままにする。
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 ⓪ 1。
 ① 1x(3/2)=3/2。
 ② 3/2x(3/2)x(1/2)=9/8。
 ③ 9/8x(3/2)=27/16。
 ④ 27/16x(3/2)x(1/2)=81/64。
 ⑤ 81/64x(3/2) =243/128。
 ⑥ 243/128x(3/2)x(1/2)=729/512。
 ⑦ 729/512x(3/2)x(1/2)=2187/2048。
 ⑧ 2187/2048x(3/2)=6561/4096。
 ⑨ 6581/4096x(3/2)x(1/2)=19683/16384。
 ⑩ 19683/16384x(3/2)=59049/32768。
 ⑪ 59049/32768x(3/2)x(1/2)=177147/131072。
 ⑫ 177147/131073x(3/2)=531441/262144。
 ********
 この⑫が、「(3/2)の12乗にあたる『第十二番目の純正5度』」の数値に該当する。
 ところで、迂回してしまうが、上のような計算の過程で、ほぼ1オクターブ(1とほぼ2)のあいだに、異なる高さの12個の音が発見されていることになる。⓪〜⑪の12個、または①〜⑫の12個だ。このことこそが、1オクターブは12の異なる音から成る、という、今日でも変わっていないことの、出発点だった。
 その異なる12個の音は任意の符号・言語で表現できる。⓪=1を今日によく用いられるC〜G,A,BのCとし、さらに(説明としては飛躍するが)C〜G,A,Bの7「幹音」以外の5音を♯を付けて表現すると、つぎのようになる。以下のアルファベット符号(+♯)が示す音の高さ(音波数)は、今日で支配的な〈十二平均律〉による場合と(C=1を除いて)一致していない。また、以下は〈上行〉系または〈♯〉系の12音階だ。
 ⓪=C、⑦=C♯、②=D、⑨=D♯、④=E、⑪=F〔注:♯系だと4/3ではない〕、⑥=F♯、①=G、⑧=G♯、③=A、⑩=A♯、⑤=B、⑫=C'
 *********
 迂回してしまったが、あらためて、⓪と⑫の比、同じことだが上に記したCとC'の比、を求めてみよう。
 分数形の数字はすでに出ている。つまり、531441/262144
 これを電卓で計算すると、小数点以下10桁までで、こうなる。2.0272865295
 2にほぼ近く、2と「見なして」よいかもしれない。しかし、正確には少し大きい。
 ちょうど2との比は、小数点以下10桁までで(以下切り捨て)、2.0272865295/2=1.0136432647.
 これの端数、つまり 0.0136432647 が、プラスのピタゴラス・コンマだ。
 M·ウェーバーにおける①「(3/2)の12乗にあたる『第十二番目の純正5度』」と②「第七番目の8度」という表現の仕方に忠実に従うと、つぎのようになる。 
 小数点以下9桁までで区切る。
 ①「(3/2)12乗」=3の12乗/2の12乗=531441/4096=129.746337891.
 ②「第七番目の8度」=「2/1(=2)の7乗」=128.
 これら①と②は、相当に近似しているが同一ではない。
 差異または比は、つぎのとおり。小数点以下10桁まで(以下切り捨て)。
 129.746337891/128=1.0136432647.
 端数は、0.0136432647. これは、上での計算の結果と合致している。
 ——
  以上のとおりで、「5度」=(3/2)の乗数音は2(1オクターブ)の乗数音とは、「手続をたとえどこまで続けても、…同一の音に出くわすことはけっしてありえない」。
 そして、「〔3/2の〕12乗にあたる第十二番目の純正5度は、〔2の〕7乗にあたる第七番目の8度よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである」(M·ウェーバー)。
 だがしかし、(3/2)の12乗数が2の7乗数に相当に近づくことも確かだ。
 言い換えると、1と2の範囲内に、またはほぼ2になるように、(3/2)の乗数に1/2を掛ける、ということを続けると、12乗めで、2に相当に近づく。
 このことが、繰り返しになるが、1オクターブは異なる12音で構成される、ということの、「12」という数字の魔力・魅力に助けられての、出発点になった。10音でも、15音でもない
 ——
  以上では、引用した(再掲した)M·ウェーバーの叙述の三分の一ほどを扱ったにすぎない。
 彼はつづけてこう叙述する。
  「西欧の和音和声的音楽が音素材を合理化する方法は、オクターヴを5度と4度に、次に4度はいちおうどけておいて、5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割することである。
 以上の音程は、いずれも、2、3、5という数を基にした分数によって構成されている。」
 さて、「4度はいちおうどけておいて、5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割する」とは、いったいどういうことか。
 No.2641のコメントでは、こう触れた。「純正律は『2と3』の世界であるピタゴラス音律に対して『5』という数字を新たに持ち込むものだ。そして、今日にいう<C-E-G>等の和音については、ピタゴラス音律よりも(<十二平均律>よりも)、協和性・調和性の高い音階または『和音』を形成することができる」。
 つまり、上のM·ウェーバーの叙述は、(1を除けば)2と3という数字のみを用いていた〈ピタゴラス音律〉に対して「『5』という数字を新たに持ち込む」ことでさらなる「合理化」を図る方法が発展した、と言っている。
 この「西欧の和音和声的音楽が音素材を合理化する方法」とは、M·ウェーバーはこの用語を用いていないが、〈純正律〉という音律のことだ。
 M·ウェーバーは詳しく、こう説明している。
 「5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割する」。
 さらに、つぎのようにも補足している。
 「まず『主音』と呼ばれる或る音から出発し、次に、主音自身の上と、その上方5度音および下方5度音の上に、それぞれ二種類の3度で算術的に分割された5度を、すなわち標準的な『三和音』を構成する。
 そして次に、三和音を構成する諸音(ないしそれらの8度音)を一オクターヴ内に配列すれば、当該の主音を出発点とする『自然的』全音階の全素材を、残らず手に入れることになる。」
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  以上の叙述の意味を詳細に説明することは必ずしも容易ではない。
 ここでは、つぎのようにコメントしておこう。
 「4度はいちおうどけておいて」とは、とりあえず(4/3)には拘泥しないで、という意味だ。
 そして、この〈純正律〉では、あくまで今日によく用いれれている符号を利用するだけだが、C-E-G(ド-ミ-ソ)の和音を重視する。
 なぜそうしたかの理由は、秋月の推測になるが、〈ピタゴラス音律〉でのC-E-G(ド-ミ-ソ)の和音に満足できなかった人々も多かった、ということだろう。
 〈ピタゴラス音律〉でC-E-G(ド-ミ-ソ)の和音の三音は、上に示した表から導けば、つぎのような音波数(高さ)の並びになる。①C(ド)=1、②E(ミ)=81/64、③G(ソ)=3/2
 とくに②E(ミ)について、これ以上に簡潔に表現される数値にすることができない。
 これに対して、〈純正律〉は、これら三音を、つぎのように構成する。
 ①C(ド)=1、②E(ミ)=80/64=10/8=5/4、③G(ソ)=3/2
 ①と③は変わらないが、②を、81/64ではなく、80/64=10/8=5/4へと、1/64だけ小さくする。
 そうすると、①C(ド)、②E(ミ)、③G(ソ)の三音は、①1、②5/4、③3/2、という並びになる。
 各音の比に着目すると、②5/4=①1×(5/4)、③3/2=②5/4×(6/5)、だ。三音はそれぞれ、1、1×(5/4)、(5/4)×(6/5)。
 つまり、①C(ド)、②E(ミ)、③G(ソ)の三音は、4-5-6という前者比関係に立つことになる。
 これが、秋月のかつてのコメントで、「純正律は『2と3』の世界であるピタゴラス音律に対して「5」という数字を新たに持ち込むものだ」と記したことの意味だ。
 この4-5-6という三音関係は、〈純正律〉では、α①C(ド)、②E(ミ)、③G(ソ)のみならず、β①F(ファ)、②A(ラ)、③C(上のド)、θ①G(ソ)、②B(シ)、③D(上のレ)へも適用される。
 余談ながら、秋月が学んだかつての音楽教科書には、ドミソ・ドファラ・シレソが<長調の三大和音>だとされていた。
 だが、上に記したように、この「三大和音」は実質的には同じ三音関係だ。すなわち、4-5-6の三音関係の順番を少し変更しただけのことだ(ファラド→ドファラ、ソシレ→シレソ)。
 M·ウェーバーは、「5度音」を「二種類の3度で算術的に分割された5度」という叙述の仕方をし、「二種類の3度」を「長3度」と「短3度」と称している。
 ここで、「長3度」=5/4「短3度」=6/5、であることが明らかだ。
 もう一度、M·ウェーバーの叙述を引用しておこう。
 「和音和声法は、まず『主音』と呼ばれる或る音から出発し、次に、主音自身の上と、その上方5度音および下方5度音の上に、それぞれ二種類の3度で算術的に分割された5度を、すなわち標準的な『三和音』を構成する」。
 これは、「下方5度音」を前提にする場合の「短調」の場合に関する叙述を含んでいる。
 「長調」の場合は、要するに、4、4×(5/4)=5、4×(5/4)×(6/5)=6の三音が「和音」となる。
 この三音から成る「和音」は〈ピタゴラス音律〉の場合と同じではない。
 既述のように、〈ピタゴラス音律〉では、C-E-G(ド-ミ-ソ)三音は、1、81/64、3/2。
 これに対して〈純正律〉では、1、5/4、3/2。
 どちらが「美しい」かは主観的な感性の問題だが、どちらが「調和的」・「協和的」かと問えば、答えは通常は〈純正律〉になるだろう。音波(周波数)比がより簡潔だからだ(なお、同じことはますます、〈十二平均律〉と比べても、言える)。
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 このような長所、優れた点を〈純正律〉はもつが、欠点も大きい。
 この欠点を、かつての秋月のコメントはこう書いた。
 「純正律では、全音には大全音と小全音の二種ができ、それらを二分割してその片方を(純正律での)『半音』で埋めるとしても、大全音での残余、小全音での残余、元来の(純正律での)「半音」という少なくとも三種の半音が生まれる。このような音階は(かりに『幹音』に限るとしても)、<十二平均律>はもちろん、ピタゴラス音律よりも簡潔ではなく、複雑きわまりない。」
 上の趣旨をM·ウェーバーがかつて淡々と述べていたと見られるのが、引用(・再掲)したつぎの文章だ。
 「オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在し、いずれの場合にも、二番目の全音が小全音で、それ以外はすべて大全音である」。
 「オクターヴの内部に次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの『半音階的』音程が生ずる」。
 「全音には二種類あるので、二つの半音階音のあいだには、大きさの異なる二種類の剰余音程が生ずる。
 しかも、全音階的半音と小半音の差は、さらに別の音程になるのであるから、ディエシスは、いずれも2、3、5という数から構成されているとはいえ、三通りのきわめて複雑な数値になる」。
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 現在のわれわれのほとんどは、「半音」、つまり〈十二平均律〉では全12音の隣り合う音のあいだの間隔は一種類の「半音」だ、ということを当たり前のことと考えている。「全音」は半音二つで成るのであって、これも一種類しかない、ということも同様だろう。
 したがって、「全音」には二種がある、「半音」には①「大全音での残余」、②「小全音での残余」、③「元来の〔純正律での〕半音」という三種類がある、という音階・音律を想像すらできないかもしれない。
 しかし、これが、「5」という数字を導入し、かつC-E-G(・F-A-C・G-B-D)という三音関係の「調和」性・「協和」性を重視した(ある意味では「執着した」)結果でもある。
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 二種の「全音」、三種の「半音」の発生の〈仕組み〉、計算過程を説明することは不可能ではないが、立ち入らないことにしよう。
 また、〈純正律〉はまったく使いものにならない、というのでもない。
 移調や転調をする必要がない場合、ということはおそらく間違いなく、ピアノやバイオリンによる一曲だけの独奏の場合、発声による独唱の場合は、むろん事前の調律・調整が必要だが、使うことができる。また、訓練次第で、そのような独奏や独唱の集合としての合奏や合唱もまた可能だと思われる。
 現に、〈純正律〉(や〈十二平均律〉以外)による楽曲はCDになって販売されているし、YouTube でも流れている。
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 以上。

2715/M·ウェーバー・音楽社会学(No.2641)—部分的再掲②。


 No.2641での秋月の「若干のコメント」の再掲。
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 若干のコメント
  〔No.2715において省略〕
  「音楽理論」との関係に限定すれば、つぎのことが興味深く、かつ驚かされる。すなわち、この人は、ピタゴラス音律および純正律または「2,3,5」という数字を基礎とする音律の詳細を相当に知っている。
 そして、上掲論文(未完)の冒頭で指摘しているのは、ピタゴラス音律および「2,3,5」という数字を基礎とする音律が決して「合理的でない」ことだ。
  ピタゴラス音律に関連して、3/2または2/3をいくら自乗・自除し続けても「永遠に」ちょうど2にならないことは、この欄で触れたことがある。
 M・ウェーバーの言葉では、「この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」、「12乗にあたる第十二番目」の音は1オクターブ上の音よりも「ピュタゴラス・コンマの差だけ大きい」。
 さらに、以下の語句は、今日の日本でのピタゴラス音律の説明について秋月瑛二が不満を感じてきたところを衝いていると思える
 「何らかの関係で『圏』状に上行または下行すると…」。
 この「上行・下行」は、ここでは立ち入らないが、「五度圏(表)」における「時計(右)まわり」と「反時計(左)まわり」に対応し、「♯系」の12音と「♭系」の12音の区別に対応していると考えられる。
 さらに、螺旋上に巻いたコイルを真上(・真下)から見た場合の「上旋回」上の12音と「下旋回」上の12音に対応しているだろう。
 そして、M・ウェーバーが言うように「二つの音程は必ず大きさの違うものになる」であり、以下は秋月の言葉だが、「#系」の6番めの音(便宜的にF♯)と「♭」系の6番めの音(便宜的にG♭)は同じ音ではない(異名異音)。このことに、今日のピタゴラス音律に関する説明文はほとんど触れたがらない。
  <純正律>、<中全音律>等に、この欄で多少とも詳しく触れたことはない。
 だが、上記引用部分での後半は、これらへの批判になっている。
 純正律は「2と3」の世界であるピタゴラス音律に対して「5」という数字を新たに持ち込むものだ。そして、今日にいう<C-E-G>等の和音については、ピタゴラス音律よりも(<十二平均律>よりも)、協和性・調和性の高い音階または「和音」を形成することができる。
 しかし、M・ウェーバーが指摘するように、純正律では、全音には大全音と小全音の二種ができ、それらを二分割してその片方を(純正律での)「半音」で埋めるとしても、大全音での残余、小全音での残余、元来の(純正律での)「半音」という少なくとも三種の半音が生まれる。このような音階は(かりに「幹音」に限るとしても)、<十二平均律>はもちろん、ピタゴラス音律よりも簡潔ではなく、複雑きわまりない。
 なお、「オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在」する、という叙述は、つぎのことも意味していることになるだろう。すなわち、鍵盤楽器において、CとEの間には二個の全音が(そしてピアノではそれらの中間の二個の黒鍵)があり、Fと上ののCの間には三個の全音(そしてピアノではそれらの中間の三個の黒鍵)がある、反面ではE-F、B-Cの間は「半音」関係にある(ピアノでは中間に黒鍵がない)、ということだ。
 彼は別にいわく、「次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの『半音階的』音程が生ずる」。二個というのは、純正律でもピタゴラス音律でも同じ。
 また、長調と短調の区別の生成根拠・背景に関心があるが、この人によると、「長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ『長』音列か『短』音列のいずれかが得られる」。これは一つの説明かもしれない。
 ——
 以上。

2714/M·ウェーバー・音楽社会学(No.2641)—部分的再掲①。

 マックス·ウェーバー・音楽社会学=安藤英治·池宮英才·門倉一朗解題(創文社、1967)
 この邦訳書での、M·ウェーバー自身による叙述の冒頭すぐからの文章を、先に紹介した。→No.2641/2023/07/01。その一部の再掲。
 ——
 一〔=第一章冒頭—秋月〕
 和声的に合理化された音楽は、すべてオクターヴ(振動数比1:2)を出発点ととしながら、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に分割する。
 つまり、n/(n+1)という式で表される二つの分数—いわゆる過分数—によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべての音程の基礎でもある。
 ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの関係で「圏」状に上行または下行すると、この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない。
 例えば、(2/3)12乗にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7乗にあたる第七番目の8度よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである。
 このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生じる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情が、あらゆる音楽合理化の根本を成す事実である。
 この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われわれはまず最初にそれを思い起こしてみよう。
 ****〔一行あけ—秋月〕
 西欧の和音和声的音楽が音素材を合理化する方法は、オクターヴを5度と4度に、次に4度はいちおうどけておいて、5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割することである。
 以上の音程は、いずれも、2、3、5という数を基にした分数によって構成されている。
 和音和声法は、まず「主音」と呼ばれる或る音から出発し、次に、主音自身の上と、その上方5度音および下方5度音の上に、それぞれ二種類の3度で算術的に分割された5度を、すなわち標準的な「三和音」を構成する。
 そして次に、三和音を構成する諸音(ないしそれらの8度音)を一オクターヴ内に配列すれば、当該の主音を出発点とする「自然的」全音階の全素材を、残らず手に入れることになる。
 しかも、長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ「長」音列か「短」音列のいずれが得られる。
 オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在し、いずれの場合にも、二番目の全音が小全音で、それ以外はすべて大全音である。
 ----〔改行—秋月〕
 音階の各音を出発点としてその上下に3度と5度を形成し、それによってオクターヴの内部に次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの「半音階的」音程が生ずる。
 それらは、上下の全音階音からそれぞれ小半音だけ隔たり、二つの半音階音相互のあいだは、それぞれ「エンハーモニー的」剰余音程(「ディエシス」)によって分け隔てられている。
 全音には二種類あるので、二つの半音階音のあいだには、大きさの異なる二種類の剰余音程が生ずる。
 しかも、全音階的半音と小半音の差は、さらに別の音程になるのであるから、ディエシスは、いずれも2、3、5という数から構成されているとはいえ、三通りのきわめて複雑な数値になる。
 2、3、5という数から成る過分数によって和声的に分割する可能性が、一方では、7の助けを借りてはじめて過分数に分割できる4度において、また他方では大全音と二種類の半音において、その限界に達するわけである。
 ----〔改行、この段落終わり—秋月〕。
 (以下、省略)
 ——

2642/「ドレミ…」はなぜ7音なのか②。

  1オクターブが12音で構成されるのならば、それら各12音には低い(周波数の小さい)順にA-B-C-D-E-F-G-H-I-J-K-L(イロハニホヘトチリヌルヲ)という符号をあててもよかったのではないか。
 楽譜を五線譜ではなく六線譜にすれば、♯や♭を用いなくとも全12音を線上または線間に表記できるのではないか。
 以上は、素人が感じる疑問。〈十二(等分)平均律〉から音律の歴史が始まっていたとすれば、ひょっとすれば上のようだったかもしれない。しかし、現在の音楽界を圧倒的に支配する〈十二平均律〉もまた、「歴史と伝統」を引き摺っているのだ。
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  「No.2638/「ドレミ…」の7音と白鍵・黒鍵」のつづき。  
 マックス·ウェーバー・音楽社会学(邦訳書1967)でM·ウェーバーは「『圏』状に上行または下行すると…」という表現を用いていたが、同著に付された「音楽用語集」によると、この「」はcircle, Zirkel の訳語であることが分かる。「円環」あるいは「周円」のことだ。
 そして、「圏」はこう説明される。①「ある音を出発点として、上方または下方に向かい、決められた度数によって順次得られる諸音によって作られる圏をいう。… 諸音を得ることの外に、調の近親関係を見わたすための便利な図として利用される。」
 また、「5度圏」はこう説明されている。②「或る音から上方・下方に完全5度音を次ぎ次ぎにとって行くことにより諸音を得る。これを図にしたのが5度圏である。出発点から十二番目の音は、例えばCから出発した場合His〔B♯—秋月〕の様な非常に近い音になる。平均律5度音の場合は十二番目は異名同音的に重なる。」
 少し挿むと、②の最後部分が述べているのは、〈十二平均律〉だとちょうど1オクターブ上の2となって重なるが、(おそらくは)ピタゴラス音律においては重ならない(ピタゴラス・コンマぶんの誤差が生じる)、ということだと考えられる。
 ともあれ、「5度圏(表)」は〈十二平均律〉についてのみ意味があったものではないこと、「5度」または「完全5度」等は〈十二平均律〉におけるそれら(例えば、十二平均律での<今で言うC-G>の間差)を元来は意味したのではなかったということ、が重要だ。
 また、上の①に「諸音を得ることの外に…」とあるが、これは「5度圏」を含む「圏」の表・図の第一の目的が「諸音を得る」ことにあったことを示している。②もまた、「…諸音を得る」とだけ断じている。
 従って、〈十二平均律〉を前提として、「5度圏(表)」を用いて五線譜冒頭の♯や♭の数によってある曲の「調」が分かる(加えて近親「調」が分かる)というのは、「5度圏(表)」の歴史的な本来の役割からすると些細なことだ。トニイホロやソレラミシを「覚える」だけでは空しい。You Tube上の例えば以下のサイトは、「5度圏(表)」の歴史的意味を理解していないと見られる。この人たちには「圏状の上行・下行」(あるいは「螺旋上の上行・下行の旋回」)という表現に当惑するのではないか。
 「音大卒が教える」「音大卒があなたのお困り助けます」
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 以下の文献はピタゴラス音律に関して「音のらせん」という節をもち、「らせん上で3倍することを繰り返す」と題する図も付して、「圏状の上行・下行」あるいは秋月の表現だが「螺旋上の上行・下行の旋回」を、明確に説明している。
 小方厚・音律と音階の科学(講談社ブルーバックス、2018)、p.45-46、p.59。
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  音の周波数が2倍、4倍、8倍、…になるとともに音の高さはちょうど1オクターブ、2オクターブ、3オクターブ、…高くなる。弾く弦の長さを1/2、1/4、1/8、…にするとともに、と言っても同じ。
 このことに、人々は太古から気づいただろう。
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 では、1オクターブ内にどのように音を設定すればよいか。—オクターブだけ異なる「同じ」音では満足できず、「異なる」高さの音によって何らかの「旋律」を生みたい人々は、こう問うたに違いない。
 そして、すみやかにつぎのことを知ったと思われる。
 すなわち、一定のある音と異なり、かつ1オクターブ上(・下)の「同じ」音でもない音は、一定のある音を1とすれば、その1に3/2および2/3を掛けることによって得られる(2/3を掛けるとは3/2で割ると同じ)。
 これは、弦の長さで言うと、ある音が出る弦の長さを2/3倍および3/2倍にするのと同じ(弦の長さと音の高さ(周波数の大きさ)は反比例する)。弦の長さを1/3および3倍にすると表現しても、本質は同じ。
 そして、1×(3/2)=3/2と、1÷(3/2)=2/3の二つの数値が得られる。このうち後者も1と2の間の数値になるように2倍すると(2倍してもオクターブは異なる「同じ」音だ)、3/2と4/3の二つの数値を得ることができる。
 1と2を加えて小さい順に並べると、1、4/3、3/2、2
 オクターブだけ異なる「同じ」音に次いで得られた二つの音は一定の音(1、2)との関係での周波数比が簡潔であるために、一定の音ときわめてよく調和または協和するはずだ。
 さて、音の「度」数表示は〈十二平均律〉の採用以前の古くから行われていたようで、池宮英才「音楽理論の基礎」マックス·ウェーバー・音楽社会学(1967)所収294頁は、ちょうど1オクターブだけ離れた音(2)を「8度」と呼び、「絶対協和音」とする。
 かつ、上の3/2と4/3をそれぞれ「5度」、「4度」と呼び、この二つを「完全協和音」とする。また、両者をそれぞれ、「完全5度」、「完全4度」とも称している。
 ここに見られるように、「完全5度」、「完全4度」とは〈十二平均律〉の場合にのみ語られる用語ではない。
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 〈十二平均律〉を前提とした音程の説明の中で「完全5度」や「完全4度」といった概念を用いている人々がどの程度自覚しているのかは疑わしいが、上の3/2と4/3の二つは、〈十二平均律〉における「(完全)5度」や「(完全)4度」の周波数比の値と異なる。
 ピタゴラス音律および純正律において、オクターブだけが異なる音に次いで最初に設定されると考えてよいと思われる二つの音の周波数比の値は、3/2と4/3だ。どちらの音律でも同じ。
 これに対して、〈十二平均律〉では、「完全5度」、「完全4度」の対1周波数比は、つぎのようになる。
 「完全5度」=1.49830…、「完全4度」=1.33484…。
 これらは「無理数」で、整数を使って分数化することができない。
 対比させるために、少数を使ってピタゴラス音律や純正律での「完全5度」、「完全4度」をあらためて表記すると、つぎのとおり。
 「完全5度」=1.5、「完全4度」=1.33333…。
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 〈十二平均律〉ではこうなるのは、この音律は、1オクターブを隣り合う各音の周波数比が全て同一になるように周波数比を「等分に分割」しているからだ。
 いつか触れたように、Xを12乗すれば2となる数値が最小の単位(「一半音」の周波数比)になり、このXは「2の12乗根」のことだから、(この欄での表記はやや困難だが)「12√2」だ(1√2はいわゆる「ルート2」のこと)。
 「12√2」=「2の12乗根」は、約1.059463
 これをここで勝手にたんに「α」と表記すると、「完全5度」、「完全4度」はそれぞれ、αの7乗、αの5乗であり、計算すると、上に掲記の少数付き数値になる。
 そして、低い順に、αの0乗=1、αの5乗、αの7乗、αの12乗=2、という音の並びになる。
 ----
  以上のかぎりで、ピタゴラス音律と純正律では、1、4/3、3/2、2という「音階」ができることになる。
 「ドレミ…」を<7音音階>と言うとすれば、単純だが素朴な<3音音階>だ。
 さらに新しい音を設定(発見)しようとして、ピタゴラス音律では3/2または3を乗除し続ける。純正律では5/4、6/5という簡潔な分数を見出し、これを全体に生かそうとする(「2と3」から「2、3と5」の世界へ)。
 この二つの音律の歴史的前後関係については、前者の欠点を是正しようとして生まれたのが後者だと理解していた。この場合、ピタゴラス・コンマは最初からないものとされ、<今日にいうC-E-G>の和音の「美しさ」が追求される(但し、純正律では「シントニック・コンマ」※が生まれる等の問題が生じる)。
 但し、両者はほぼ同時期に成立していた旨の説明もある。その場合、2、4、8または3ではない5という自然「倍音」が古くから着目されていたともされる。
 また、今回に言及した池宮英才「音楽理論の基礎」音楽社会学所収も、3/2、4/3の設定・「発見」の叙述のあとで、すでに純正律も考慮したような叙述をしている。
 ※「シントニック・コンマ」。純正律における「大全音」と「小全音」の差で、(9/8)÷(10/9)=81/80。または、ピタゴラス音律での「長3度」と純正律での「長3度」の差で、(81/64)÷(80/64)=81/80。
 ----
 さて、秋月瑛二は、素人的に考えて、つぎの2音を選ぼうとする。
 すると、<5音音階>を簡単に作ることができる。<7音音階>までもう少し、あと2つだ。
 ——
 つづく。

2641/マックス·ウェーバー・音楽社会学(1911-12)。

  マックス·ウェーバー・音楽社会学=安藤英治·池宮英才·門倉一朗解題(創文社、1967)は、創文社刊のM・ウェーバー<経済と社会>シリーズの、第9章のあとの「付論」で、独立した一巻を占める。
 <音楽社会学>というのはいわば簡称で、正式には「音楽の合理的社会学的基礎」と題するらしい(独語)。また、未完の著作だったとされる。
 上掲著は計約400頁で成るが、二つの解説論考(「マックス·ウェーバーと音楽」・「音楽理論の基礎について」)、訳者後記、第二刷あとがき、音楽用語集、人名索引・事項索引等が「解題」者によって付されているので、それらを除くと、本文は約240頁になる。
 しかもまた、本文中の「各章末」の「訳註」は訳者たちによるので、それらを除くと、きちんと計算したのではないが、M・ウェーバー自身の文章は、約240頁のうちの100頁以下だと思われる。
 この<音楽社会学>(「音楽の合理的社会学的基礎」)が執筆された時期は明確でない。安藤英治1911-12年に「草稿として書き上げられ」ていた、とする(p.244)。ウェーバーの死の翌年の1921年7月付の「緒言」が別の学者(Theodor Kreuer)によって書かれており、これも上掲書に訳出されている。
 20世紀前半のドイツの「社会科学者」、少なく見積もっても「社会学者」による「音楽理論」に関する文章は、それだけで興味をそそる。また、一読だけしても、きわめて興味深い。
 以下、冒頭の一部だけ、上掲書からそのまま引用する。訳者によって挿入されたと見られる語句の引用・紹介はしない。
 原訳書と異なり、一文ごとに改行する。「過分数」という語もあるように、分数表記の仕方は前後ないし上下が逆だと思われるが、そのまま引用する。下線は引用者。 
 ----
 〔=第一章冒頭—秋月〕
 和声的に合理化された音楽は、すべてオクターヴ(振動数比1:2)を出発点ととしながら、このオクターヴを5度(2:3)と4度(3:4)という二つの音程に分割する。
 つまり、n/(n+1)という式で表される二つの分数—いわゆる過分数—によって分割するわけで、この過分数はまた、5度より小さい西欧のすべての音程の基礎でもある。
 ところが、いま或る開始音から出発して、まず最初はオクターヴで、次に5度、4度、あるいは過分数によって規定された他の何らかの関係で「圏」状に上行または下行すると、この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない
 例えば、(2/3)12乗にあたる第十二番目の純正5度は、(1/2)7乗にあたる第七番目の8度よりもピュタゴラス・コンマの差だけ大きいのである。
 このいかんとも成し難い事態と、さらには、オクターヴを過分数によって分ければそこに生じる二つの音程は必ず大きさの違うものになるという事情が、あらゆる音楽合理化の根本を成す事実である。
 この基本的事実から見るとき近代の音楽がいかなる姿を呈しているか、われわれはまず最初にそれを思い起こしてみよう。
 ****〔一行あけ—秋月〕
 西欧の和音和声的音楽が音素材を合理化する方法は、オクターヴを5度と4度に、次に4度はいちおうどけておいて、5度を長3度と短3度に((4/5)×(5/6)=2/3)、長3度を大全音と小全音に((8/9)×(9/10)=4/5)、短3度を大全音と大半音に((8/9)×(15/16)=5/6)、小全音を大半音と小全音に((15/16)×(24/25)=9/10)、算術的ないし和声的に分割することである。
 以上の音程は、いずれも、2、3、5という数を基にした分数によって構成されている
 和音和声法は、まず「主音」と呼ばれる或る音から出発し、次に、主音自身の上と、その上方5度音および下方5度音の上に、それぞれ二種類の3度で算術的に分割された5度を、すなわち標準的な「三和音」を構成する。
 そして次に、三和音を構成する諸音(ないしそれらの8度音)を一オクターヴ内に配列すれば、当該の主音を出発点とする「自然的」全音階の全素材を、残らず手に入れることになる。
 しかも、長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ「長」音列か「短」音列のいずれが得られる。
 オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在し、いずれの場合にも、二番目の全音が小全音で、それ以外はすべて大全音である。
 ----〔改行—秋月〕
 音階の各音を出発点としてその上下に3度と5度を形成し、それによってオクターヴの内部に次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの「半音階的」音程が生ずる
 それらは、上下の全音階音からそれぞれ小半音だけ隔たり、二つの半音階音相互のあいだは、それぞれ「エンハーモニー的」剰余音程(「ディエシス」)によって分け隔てられている。
 全音には二種類あるので、二つの半音階音のあいだには、大きさの異なる二種類の剰余音程が生ずる。
 しかも、全音階的半音と小半音の差は、さらに別の音程になるのであるから、ディエシスは、いずれも2、3、5という数から構成されているとはいえ、三通りのきわめて複雑な数値になる。
 2、3、5という数から成る過分数によって和声的に分割する可能性が、一方では、7の助けを借りてはじめて過分数に分割できる4度において、また他方では大全音と二種類の半音において、その限界に達するわけである。
 ----〔改行、この段落終わり—秋月〕
 ——
 以下、省略。
 ——
  若干のコメント。 
  M・ウェーバーと音楽・芸術一般の問題には立ち入らない。 
 M・ウェーバーの「学問」において音楽・芸術が占める位置の問題にも立ち入らない。
 ----
  「音楽理論」との関係に限定すれば、つぎのことが興味深く、かつ驚かされる。すなわち、この人は、ピタゴラス音律および純正律または「2,3,5」という数字を基礎とする音律の詳細を相当に知っている。
 そして、上掲論文(未完)の冒頭で指摘しているのは、ピタゴラス音律および「2,3,5」という数字を基礎とする音律が決して「合理的でない」ことだ。
  ピタゴラス音律に関連して、3/2または2/3をいくら自乗・自除し続けても「永遠に」ちょうど2にならないことは、この欄で触れたことがある。
 M・ウェーバーの言葉では、「この手続をたとえどこまで続けても、これらの分数の累乗が同一の音に出くわすことはけっしてありえない」、「12乗にあたる第十二番目」の音は1オクターブ上の音よりも「ピュタゴラス・コンマの差だけ大きい」。
 さらに、以下の語句は、今日の日本でのピタゴラス音律の説明について秋月瑛二が不満を感じてきたところを衝いていると思える
 「何らかの関係で『圏』状に上行または下行すると…」。
 この「上行・下行」は、ここでは立ち入らないが、「五度圏(表)」における「時計(右)まわり」と「反時計(左)まわり」に対応し、「♯系」の12音と「♭系」の12音の区別に対応していると考えられる。
 さらに、螺旋上に巻いたコイルを真上(・真下)から見た場合の「上旋回」上の12音と「下旋回」上の12音に対応しているだろう。
 そして、M・ウェーバーが言うように「二つの音程は必ず大きさの違うものになる」であり、以下は秋月の言葉だが、「#系」の6番めの音(便宜的にF♯)と「♭」系の6番めの音(便宜的にG♭)は同じ音ではない(異名異音)。このことに、今日のピタゴラス音律に関する説明文はほとんど触れたがらない。
  <純正律>、<中全音律>等に、この欄で多少とも詳しく触れたことはない。
 だが、上記引用部分での後半は、これらへの批判になっている。
 純正律は「2と3」の世界であるピタゴラス音律に対して「5」という数字を新たに持ち込むものだ。そして、今日にいう<C-E-G>等の和音については、ピタゴラス音律よりも(<十二平均律>よりも)、協和性・調和性の高い音階または「和音」を形成することができる。
 しかし、M・ウェーバーが指摘するように、純正律では、全音には大全音と小全音の二種ができ、それらを二分割してその片方を(純正律での)「半音」で埋めるとしても、大全音での残余、小全音での残余、元来の(純正律での)「半音」という少なくとも三種の半音が生まれる。このような音階は(かりに「幹音」に限るとしても)、<十二平均律>はもちろん、ピタゴラス音律よりも簡潔ではなく、複雑きわまりない。
 なお、「オクターヴ内の二つの全音階的半音音程の中間には、一方に二個の、他方には三個の全音が存在」する、という叙述は、つぎのことも意味していることになるだろう。すなわち、鍵盤楽器において、CとEの間には二個の全音が(そしてピアノではそれらの中間の二個の黒鍵)があり、Fと上ののCの間には三個の全音(そしてピアノではそれらの中間の三個の黒鍵)がある、反面ではE-F、B-Cの間は「半音」関係にある(ピアノでは中間に黒鍵がない)、ということだ。
 彼は別にいわく、「次々に新しい音を獲得してゆくと、全音階的音程の中間に二個ずつの『半音階的』音程が生ずる」。二個というのは、純正律でもピタゴラス音律でも同じ。
 また、長調と短調の区別の生成根拠・背景に関心があるが、この人によると、「長3度が上に置かれるか下に置かれるかによって、それぞれ『長』音列か『短』音列のいずれが得られる」。これは一つの説明かもしれない。
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  引用部分にはなかったが、M・ウェーバーはいわゆる<十二平均律>についても知っており、その「究極的勝利」についても語っている(p.199-p.200)。但し、その弊害にも触れている。
 彼によると、「不等分」平均律と区別される「等分」平均律の一つであり、こう説明される。「これは、オクターヴを、それぞれ1/2の12乗根になるような十二の等しい等間隔に分割することであり、したがって十二個の5度をオクターヴ七つと等置すること」である。「12」という音の個数自体は、ピタゴラス音律や純正律の場合と異ならない。
 なお、完全「5度」、完全「4度」、「長3度」、「短3度」等の表現をM・ウェーバーもまた当然のごとく用いていることもすこぶる興味深い。詳細とその評価に言及しないが、こうした言葉は、1オクターヴは8音の「幹音」で構成される(両端を含む)として、それぞれに1〜8の番号を振って二音間の隔たりを表現する用語法だ。「5度」の一半音上の音は「増5度」になる。馬鹿ばかしくも、一半音は、「減2度」と言う。
 今日の日本の「音楽大学」等での「専門」的音楽理論教育で用いられている術語は、20世紀初頭のドイツでとっくに成立していたようだ(明治期・戦前の日本の「専門」音楽界はそれを直輸入した)。
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