秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

革命について

2104/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書,2018)⑤。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)の検討のつづき。<二つの自由>問題。この書の出版・編集担当者は、湯原法史。
  仲正昌樹・今こそアーレントを読み直す(講談社現代新書、2009)。
 この書の第三章第2節の表題は「二つの自由」で、概略、こんなことが書かれている。
 ・アレントは「外的障害物」の除去で人々は「自然な状態へと自然に回帰する>という考えを内包する「解放」=liberation の思想の拡大を警戒する。
 ・彼女には、外的抑圧がなく物質が欠乏していないことは「自由な活動」の前提条件として重要だが、解放=自由(freedom)ではなく、「自由」とは、古代ポリスの市民たちによるような、「物質的制約」に囚われず「公的領域」で「活動」している「状態」のことだ。
 ・暴力による抑圧から「解放」されても、政治的共同体の「共通善」の探究を忘れれば「自由」ではなく、そのための討論の中に人間の「自由」が現れる。
 ・アレントには「自由」は「活動」と不可分で、アトム化し「動物化」している個人にとっての「自由」は無意味だ。私的生活に満足し「公的事柄に関心」をもたない者は「本来の自由」、「公的空間での自由」から訴外されている。
 ・私的生活への沈潜が「自由」だとするのは経済が支配する資本主義社会の「幻想」だ。経済的利益の追求は「本来的自由」につながらないとの考えは、F・ハイエクとは相容れない。
 ・アレントは、左派運動でも「政治討論」への参加の契機となり「公共性」を生み出すのであれば積極的に評価する。「政治的評議会」のごときものによる「自治」は望ましい。問題は、「革命的評議会」的なものが「いったん権力を握って硬直化し、単一の世界観・価値観で社会を統一的に支配しようとする」ことだ。
 ・彼女にとって、人々の間の「価値観の多元性」は公的「活動」の成果だ。「共通善」がナチズムやスターリン主義のごとき「特定の世界観・価値観」へとと実体化して人々を拘束すると奇妙なことになる。
 個人の孤立的生活と画一的な集団主義のいずれにも偏しない、「共通善」をめぐって「活動」する人々の「間」に「自由の空間」を設定することが肝要なのだ。
 以上のかぎりでは、フランス革命はliberty を、アメリカ革命はfreedom を目指したという趣旨は明らかではない。別の項も含めての、深い読解が必要なのだろう。
 同じことは、Liberty とFreedom の両語とフランスやアメリカが出てくる辺りを、H. Arendt の原書も参照しながら一部を引用・紹介してみても言えるだろう。
 邦訳書と原書の両方を折衷するが、フランス革命、アメリカ革命が直接的・明示的にあるいは簡潔に短い範囲で語られているわけでもなさそうだ。
 ハンナ・アレント/志水速雄訳・革命について(ちくま学芸文庫、1995)、p.221以下(第4章/創設(1)-「自由の構成」)。
 ・「公共的な自由(public freedom)を夢見た人々が古い世界に存在したこと、<中略>は、結局のところ、復古の運動、すなわち古い権利と自由(liberties)の回復する運動を、大西洋の両側で、一つの革命へと発展させた事実だった」。
 ・「革命の究極的目標が自由を構成すること(constitution of freedom)、<中略>であることに、アメリカ人はやはりロベスピエールに同意していただろう」。邦訳書、p.221。
 ・「というよりもむしろ逆で、ロベスピエールが『革命的政府の原理』を定式化したとき、アメリカ革命の行路に影響されていた」。
 ・アメリカでは、「解放(liberation)の戦争、つまり自由(freedom)の条件である独立ための闘争と新しい国家の構成との間に、ほとんど息抜きする間がなかった」。以上、邦訳書p.221-2。
 ・「反乱の目的は解放(liberation)であり、一方で革命の目的は自由の創設(foundation of freedom)だということを銘記すれば、政治学者は少なくとも、反乱と解放という激烈な第一段階<中略>に重点を置き、革命と構成の静かな第二段階を軽視する傾向にある、歴史家たちの陥穽に嵌まるのを避ける方法を知るだろう」。
 ・「基本的な誤解は、解放(liberation)と自由(freedom)の違いを明確に区別することが出来ていないことにある。
 新しく獲得された自由(freedom)の構成を伴わないとすれば、反乱や解放(liberation)ほど無益なものはない。」 以上、p.223-4。
 ・「革命を自由(freedom)の創設ではなく解放(liberation)のための闘争と同一視する誘惑に抵抗したとしてすら、<中略>もっと重大な困難が残っている。新しい革命的憲法にの形式または内容に、革命的なものはもとより、新しいものすらほとんど存在しないからだ。」
 ・「立憲的統治(constitutional government)という観念は、<中略>決して革命的なものではない。それは、法によって制限された政府や憲法上の保障を通じての市民的自由(civil liberties)の保護を多少とも意味しているにすぎない。」
 ・「市民的自由(civil liberties)は私的福利とともに制限された政府の領域にあり、それらの保護は政府の形態に依存してはいない。」
 ・「僭主政のみが<中略>立憲的な、つまり法による統治を行わない。しかしながら、立憲的統治の諸法が保障する自由(liberties)は、まったく消極的(negative)なものだ」。この中には投票権も含まれるが、「これらの自由(liberties)は、それ自体で力なのではなく、権力の濫用からの免除にすぎない」。
 ・「革命で問題にされたのが立憲主義のみだったとすれば、その革命は、『古代の』自由(liberties)を回復する試みだとなおも理解され得る、穏健な最初の段階に忠実にとどまっていたかのごとくだっただろう。
 しかし、実際はそうではなかった。」以上、p.224-5。
 ・19-20世紀の大激動を見ると、二者択一のうちの第一の選択は「ロシアと中国の革命」で、「自由(freedom)の創設」を達成しない「終わりなき永続革命」であり、第二の選択はほとんどのヨーロッパ諸国と旧植民地で、「たんに制限された統治」にすぎない「新しい『立憲的』政府の樹立」だった。p.226。
 ・19-20世紀の憲法作成者たちと18世紀アメリカの先駆者たちには「権力それ自体に対する不信」という共通性があったが、この「不信」はアメリカの方が強かった。アメリカにとっては「制限された政府という意味での立憲的統治」は決定的ではなく、「政府の大きすぎる権力に対してもつ創立者たちの怖れは、社会内部で発生してくるだろう市民の権利と自由(liberties)がもつ甚大な危険性を強く意識することで抑制されていた」。
 ・ヨーロッパの憲法学者たちは、「一方で、共和国創設の巨大かつ圧倒的な重要性を、他方で、アメリカ憲法の実際の内容は決して市民的自由(civil liberties)の保護にあるのではなく全く新しい権力システムの樹立にあるということを、理解することができなかった」。以上、p.229-p.230。
 ・アメリカ創設者の心を占めたのは「制限された」法による統治の意味での「立憲主義」ではなかった。主要な問題は権力をどう制限するかではなく、どう樹立するかだった。
フランス革命での「人権宣言」によってもこの辺りは混乱させられている。諸人権は「全ての法による政府の制限」を意味せず、諸権利の「創設」自体を指すと理解された。
 ・<万人の平等>は封建世界では「真実革命的に意味」をもったが、新世界ではそうでなく、「誰であれ、どこの住民であれ」「万人の権利」だと宣告された。
 もともとは「イングランド人の権利」の獲得だったが、アイルランド人・ドイツ人等を含む「万人」が享受すること、つまりは「万人」が制限された立憲政府のもとで生活すべきであることを意味した。
 ・一方でフランスでは、「まさに文字通りに」「各人は生まれたことによって一定の権利の所有者となっている」ことを意味した。以上、p.331-p.332。
   かくのごとく、なかなか難解で、アメリカではfreedom 、フランスではliberty という単純な叙述がなされているわけではなさそうだ。
 それでもしかし、liberty-liberation よりもfrredom に重きを置いているらしいことは何となく分かる。
 かつまた、西尾幹二の「二つの自由論」とは質的に異なっていることも明確だ。むろん、ハンナ・アレントの語法、概念理解が欧米世界で一般的であることの保障はどこにもないのではあるが。
  以上のことよりも、仲正昌樹の上掲書は「二つの自由」の語の基礎的な淵源に言及している、その内容に注目される。それによると、こうだ。
 ①英語のFreedom はゲルマン語系の単語。free、freedom はドイツ語の、frei(フライ)、Freiheit (フライハイト)に対応する。
 ②英語のLiberty はフランス語を介したラテン語系の単語。そのフランス語はliberté だ(リベルテ、自由)。これに直接に対応する英語の形容詞はなく、liberal は「自由主義的な」という意味だ。
 なお、秋月が追記すれば、フランス語でのliberté に対する形容詞はlibre (リーブル、自由な)だ。
 かくして、西尾幹二がこう書いたことのアホらしさも、相当程度に明らかになるだろう。 「二つの自由を区別するうえで、英語は最も用意周到な言語です。
 すなわち前者をliberty と呼び、後者をfreedom と名づけております。
 フランス語やドイツ語には、この便利で、明確な区別がありません。

 この記述は、おそらく間違っている。
 英語はフランス語やドイツ語よりも融通無碍な言語で、いろいろな系統の言葉が入り込んでいる。あるいは紛れ込んでいる。ゲルマン・ドイツ系のfrei, Freiheit も、ラテン・フランス系のliberté もそうだ。それらからfreedom やliberty が生じたとしても、元々あったかもしれないFreiheit とliberté の違いを明確に意識したまま継受したとはとても思えず、また両語にあったかもしれない微妙な?違いが探究されることはなかったのではないか、と思われる。
 決して英語は、「最も用意周到な言語」ではない。多数のよく似た言葉・単語があって、おそらくは人々はそれぞれに自由に使い分けているのだろう。かりに人によってfreedom やliberty の意味が違うとしても、英語を用いる全てまたはほとんどの欧米人にとって、その違いが一定である、とは言い難いように考えられる。
 それを無理矢理、西尾幹二のように、例えばF・ハイエクともH・アレントとも異なる意味で理解してしまうのは、日本人の一人の<幼稚さ>・<単純さ>によるかと思われる。
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 ところで西尾幹二は、すでに紹介はしたのだが、こんなことを書く。p.37。
 「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 なかなか意味深長かもしれないが、西尾幹二という人間の<無知>を端的に示してていると考えられる。よほどに、「各自」という中の「(西尾)個人の」、「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」を守りたい、大切にしたいのかもしれない。それは「社会科学的知性」では扱うことができず、<文学・哲学のメンタリティ>があって可能になる、と言うのだろう。
 率直に言って、間違っている。気の毒だほどに悲惨だ。別に扱う機会をもちたい。

0766/ハンナ・アレント・革命について(ちくま学芸文庫、志水速雄訳)におけるフランス革命1。

 ハンナ・アレント・革命について(ちくま学芸文庫、志水速雄、1995、初出1975)から、フランス革命について言及するところを引用して紹介。阪本昌成の本が前回紹介した部分で参照要求している箇所とは異なる。p.242-243。
 別に扱いたいルソーの<社会契約論>・「一般意思」に言及する部分(②)もあるが、一連の叙述なので、この回で引用しておく。
 ①「歴史的にいえば、アメリカ革命とフランス革命のもっとも明白で、もっとも決定的な相違は、アメリカ革命の受け継いだ歴史的遺産が『制限君主制』であったのに対して、フランス革命のそれは、明らかに、われわれの時代の最初の数世紀とローマ帝国の最後の数世紀にまで遠くさかのぼる絶対主義だったということ」だ。
 「新しい絶対者たる絶対革命を、それに先行する絶対君主制によって説明し、旧支配者が絶対的であればあるほど、それにとって代わる革命も絶対的となるという結論をくだすことくらい真実らしく思われることはない」。
 「十八世紀のフランス革命と、それをモデルにした二十世紀のロシア革命は、この真実らしさの一連の表現であると考えることは容易であろう」。
 ②「ルソーの一般意思の観念は、…、国民が複数の人間から成るのではなく、あたかも実際に一人の人間から成るように扱っている。…この一般意思の観念がフランス革命のすべての党派にとって公理となったのは、それがこのように、実際、絶対君主の主権意思の理論的置きかえであったため」だ。「問題の核心は、憲法によって制限された国王と異なり、絶対君主は、国民の潜在的に永遠の生命を代表していたということ」だ。
 上の②は、阪本昌成が1793年憲法(ジャコバン独裁=ロベスピエール)がいう「プープル(人民)主権論」は「全体主義の母胎」になったと指摘していた(前回紹介参照)のと実質的には同趣旨だと解される。
 なお、かかるアレントのフランス革命理解は日本の学校教育におけるフランス革命の叙述にほとんど生かされてはいないようだ。また、岩波書店はハンナ・アレントの著作の文庫化を全くしていないことも興味深い。これは、岩波書店が、<古今東西の>「社会」・「人文」系の重要な文献を<広く>出版しているのでは全くなく、岩波の<思想>に合わせて取捨選択して出版している証左の一つだ。

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