秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

非嫡出子

1216/井上薫は婚外子「差別」違憲判決を厳しく批判する-月刊WiLL11月号。

 月刊WiLL11月号(ワック)に、井上薫「婚外子違憲判決/八つの誤り」があり、井上薫はこの判決(正確には決定。最高裁大法廷平成25年9月4日決定)を結論自体も含めて批判している。
 この最高裁決定についてはすでに9/12に言及した。

 そこで「世界的な状況の推移の中で,我が国における…法制等も変化してきた」という理由しか書かれていないと疑問視したが、井上薫は理由不明で、日本で「社会環境の変化」があったとは言えないと中身も批判しつつ、この決定を「世の中が変わったから身を任せた」という「風見鶏の真似」、「風見鶏ごっこ裁判」だと酷評している(p.230-1)。

 ほぼ同旨の批判だと言ってよい。

 また、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べている部分を「偽善的な美辞麗句にすぎない」と批判しもしたが、井上薫も「一般的に誤りであることを強調したい」と述べる(p.232)。

 子ども間の平等の是非とともに、よりその母親(法的な正規の妻と事実上の妻)間の平等の是非の問題であることも井上は指摘している(p.236。但し、法律上の妻との間がつねに「愛情溢れた」夫婦関係とは限らず、形骸化していて「愛人」との間の方が夫婦らしい場合もありうるので一概にはいえないという旨を、先日のこの欄では書いた)。

 大まかにいって、最高裁のウェブサイトから全文を一度概読しただけで書いた9/12の一文は、大きくは的を外していないようだ。

 但し、概読したときには意識しなかったまたは気づかなかった論点だが、井上は本来裁判所が持たない「抽象的違憲審査権」を行使したものとし、三権分立等に違反する、と述べている(p.235-)。この部分は専門家でなければ分かりにくいだろう。また、専門家の間でも議論がありそうにみえる(同様のことは、「司法のしゃべりすぎ」や<傍論>に関する井上薫の主張についてもいえそうだ、という旨は書いたことがある)。
 冒頭掲記雑誌の同じ号の最初の方に門田隆将「…偽善に満ちた最高裁判決」もある(p.26-)。門田は一四人の裁判官一致であることに驚いたとし、内容的にも「日本人の長年の英知を否定」するものだとし、この決定は日本で「事実婚」が促進される契機となる「歴史的」なものだ、とする。また、「なんでも『平等』を訴えて権利ばかり主張する風潮」=「偽善」への違和感を示してもいる。

 明確に「反対」とは書かなかったが、私もまたほぼ同様の感想をもつ。
 ところで、門田は、「大手新聞が一紙の例外もなく」この最高裁決定を支持したことにも驚いたとし、「偽善」に「最高裁も大新聞も」毒されている、とする。

 この大手新聞、大新聞の中には当然に天下の産経新聞も含まれている。

 この件は、最高裁判決(・決定)を新聞社が批判することの困難さを示してもいる。最高裁とはそれだけの「権威」を今の日本社会では持っているのだ。

 井上薫も論及しているが、法律上は何の基準も定められていない、内閣による最高裁裁判官の任命(憲法79条)の仕方、それについての現在までの戦後の「慣行」を問題にし、きちんと再検討しておく必要があるだろう。

 この「慣行」についての新聞記事は(雑誌記事もだが)見たことがない。一種の「ブラック・ボックス」になっていて、既得権が生じている分野・「業界」があるはずだ。「大手新聞」・「大新聞」はまずは、最高裁裁判官の任命(方法・基準)の実態についての取材と報道から始めたらどうだろうか。

 最高裁は私の見るところ、これまでは致命的な失態を冒してはいないようでもある。だが、ぎりぎりの過半数であれ、「左翼」的判決の確定が続いたのちでは、もはや取り返しがつかない、という事態が生じないとも限らない(今回の婚外子差別違憲判決がそのような「左翼」的判決の連続の始まりにならなければよいのだが)。

 最高裁裁判官といっても「人の子」であり、無謬ではありえないし、「政治的」・「社会的」的状況あるいは「時代の空気」の影響を十分に受けうる、と見ておく必要がある。

 最高裁の判決・決定を正しく分析し批判できるだけの力量を、天下の各「新聞社」は持つ必要があるのだが、これは一朝一夕には無理かもしれない、産経新聞社も含めて。

1207/最高裁の婚外子相続「差別」違憲判決をめぐって。

 〇最高裁大法廷平成25年9月4日判決の特徴は、婚外子(非嫡出子)に対する民法上の相続「差別」を憲法違反とした理由が明確ではないことだ。
 全文を大まかに読んで見ても、そこに書かれているのは、一文だけをとり出すと、「前記イ及びウのような世界的な状況の推移の中で,我が国における嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等も変化してきた」、ということにすぎない。この問題をめぐる環境の変化に言及しているだけで、直接になぜ「平等原則」違反になるのかは述べていないのではないか。述べているらしき部分はのちに言及する。
 上の前者の世界的状況とは、国連の自由権規約委員会が「包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告」したこと、加えて児童の権利委員会も日本の民法改正を促す勧告や当該規定の存在を「懸念する旨の見解」を改めて出したことをいう。

 上の後者のわが国の法制等の変化とは、「住民基本台帳事務処理要領の一部改正」、「戸籍法施行規則の一部改正」等をいう。

 この判決は一方で、日本ではまだ「法律婚を尊重する意識が幅広く浸透している」こと、婚外子の割合は増えても2%台にすぎないことを指摘しつつも、これらは合憲・違憲という「法的問題の結論に直ちに結び付くものとはいえない」とわざわざ述べていることも、興味深い

 〇この判決の結論自体については、産経新聞社説も含めて反対の論評はないようだ。
 ここでも反対意見は書かないが、最高裁裁判官中に一つの反対意見もなく、14名全員一致だというのは、ある程度は気味が悪い。最高裁判決は「正しい」または「最も合理的」なのではなく、権威をもって世俗的に通用する、というにすぎないことは確認されておくべきだ。

 最高裁判決が触れていない論点を指摘しておこう。

 第一。同じ父親から生まれた子が母親または両親の婚姻形態の違いによってその父親の資産相続につき同等に扱われないのは、たしかに、子どもの立場からすると「不平等」・「不公平」ではある。
 しかし、母親のレベルから見ると、法律上の妻と事実上の妻とが同等に扱われる結果になることは、法律上の妻との婚姻関係が基本的には正常・円滑に継続しており、事実上の妻あるいは「愛人」・「二号さん」とは同居もしておらず、事実上の夫婦関係が一時的または断続的である場合には、法律上のまともな配偶者(とその子ども)を不当に差別することになりはしないだろうか。
 むろん男女関係はさまざまで、法律婚の方がまったく形骸化し、事実婚の方が愛情に溢れたものになっている場合もあるだろうので、上のように一概にはいえない。しかし、上のような場合もあるはずなので、今回の最高裁判決および近い将来の民法改正によって、不当な取り扱いを受けることとなる法律上の妻や婚内子(嫡出子)もあるのではないかと思われる。しかるに、最高裁が裁判官全員一致で今回のような一般的な判断をしてしまってよかったのだろうか。

 むろん民法の相続関係規定は強行法規ではないので、被相続人の遺言による意思の方が優先する。もともと国連の関係委員会等の「権威」を信頼していないことにもよるのだが、個々のケースに応じた弾力的運用がまずは関係者私人の間で必要かと思われる。

 第二。本最高裁判決は、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べて、実質的な理由らしきものにしている。

 しかしかかる理由でもって子どもすべてを同一・同等に扱うべきだという結論を導くことはできない、と考えられる。この点は、産経9/12「正論」欄で長谷川三千子もつぎのように、簡単に触れている。

 「自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を『個人』としてとらえたとき、(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが、はたして当然の権利と言えるのでしょうか? その原理的矛盾にも気付いていない。」

 前半の趣旨は必ずしもよく分からない。だが、親が誰であるかによって実際にはとても「平等」ではないのが人間というものの本質だ。例えば、資産が大きく相続税を払ってもかなりの相続財産を得られる子どもと、親には資産らしきものはなく相続できるプラス財産は何もない子どももいる。これは平等原則には違反しないのか。あるいは例えば、頭が賢く、運動能力も優れた子どもがいる一方で、いずれもそうではない子どもも実際には存在する。この現象に「親」の違いは全く無関係なのだろうか。

 「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許され」ないなどと言うのは、偽善的な美辞麗句にすぎない、と断じることができる。「親」が異なれば「子」も異なるのだ。嫡出・非嫡出などよりも、こちらの方がより本質的な問題だろう。

 さらに、長谷川が上に後半で指摘していることは正しい。
 今回の最高裁判決を「個人」主義・「平等」主義大賛成の「左翼」法学者・評論家等は大いに支持するに違いない。しかし、上に少し触れたように、例えば親の資産の有無・多寡が相続を通じて子どもの経済生活に「格差」を生じさせるのは、「個人」主義・「平等」主義に反するのではないか。
 つまり、「左翼」論者が本当に「個人」主義・
「平等」主義を貫きたいのならば、<相続制度>自体に反対し、死者の財産はすべて国庫に算入する、つまり国家が没収すべし、と主張すべきだと考えられる。

 「子ども」は親とは全く別の「個人」であり、親の財産を相続することを認めるのは、子ども「個人」の努力や才覚とはまったく関係のない、たまたまの(非合理的な)「血」縁を肯定することに他ならない。「個人主義」者は、これに反対すべきではないのか。また、そのような相続を認めることが親の違いを理由とする相続財産の有無・多寡という「格差」=「平等原則」違反につながるのだとすれば、「平等」主義者はますますもって反対すべきではないのか。
 本最高裁判決を肯定的に評価しているらしき棚村政行(早稲田大学」、二宮周平(立命館大学)らは、上の論点についてもぜひ回答していただきたいものだ。

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