秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

遺伝学

2758/遺伝と「優生」—2024年2月·日本精神神経学会声明。

 今年2024年の2月、日本精神神経学会は、会長名でつぎの「声明」を発表した。同学会Website より引用。「」をつけない。
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 優生保護法について 
 2024年2月1日
 公益社団法人 日本精神神経学会
 理事長 三村 將
 1948年に成立した優生保護法は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とし、当時の優生学・遺伝学の知識の中で遺伝性とされた精神障害・知的障害・神経疾患・身体障害を有する人を、優生手術(強制不妊手術)の対象とし、48年間存続しました。しかし日本精神神経学会(以下、本学会)は、これまで優生法制に対して、政府に送付した「優生保護法に関する意見」(1992年)を除き、公式に意見を表明したことがありませんでした。このたび本学会は、法委員会において、優生保護法下における精神科医療及び精神科医の果たした役割を明らかにし、本学会の将来への示唆を得ることを目的として、数年にわたる調査を行いましたので、ここに報告します。 
 詳細な調査結果は報告書にありますが、自治体によって違いがあるものの、優生保護法成立からほぼ10年にわたり、行政主導で強制不妊手術の申請と承認に関わる強固なシステムが作り出されました。人口が急増し、生活が窮乏するこの時代において、行政と優生保護審査会が一体となって優生保護法を運用し、多数の強制不妊手術という犠牲を生みました。申請者である精神科医の肉声は残されていませんが、国家施策を前にした傍観の中で、無関心・無批判のまま、与えられた申請者としての実務を果たしてきました。また、精神科医も加わった優生保護審査会は、申請システムの実態を知った上で大部分の申請を承認しており、申請者以上に重い責任があります。
 本学会は強制不妊手術の問題が指摘された1970年代に至っても公式に意見を表明することもなく、不作為のまま優生保護法は存続し、被害者を生み続けることにつながりました。積極的であろうが消極的であろうが、強制不妊手術を受けた人々に取り返しのつかない傷を負わせた歴史的事実から目を逸らすことは許されません。
 ここに、精神科医療に責任を持つ学会として、強制不妊手術を受けた人々の生と人権を損ねたことを被害者の方々に謝罪いたします。
 優生保護法を過去のこととしてすますことはできません。本学会は、この歴史に学び、再び同じことが繰り返されないよう、精神医学と社会の関係を深く自省し、常に自らの問いとしていかなければなりません。さらに、本学会の使命として、現在もなお存在する精神障害や知的障害への差別、制度上の不合理を改革するため、力を尽くすことを誓います。
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 以上。
 この声明は、「優生保護法」にもとづく行政執行に加担し、「強制不妊手術」を行うなどの「人権」侵害を行なったことを、「謝罪」している。
 学会自体が加担・協力したのではないから、いかに会員医師が関与していたとしても学会自体が「謝罪」するとは稀有なことだろう。
 それに、「優生保護」に関係するのは〈精神神経〉医学のみならず、「遺伝」性疾患に関係する全ての医学分野だろう。日本に「遺伝学」に関係する学会も他にあるはずだが、他の「学会」がこのような声明を出したとは、聞いたことがない。
 ともあれ、この法律(現在は廃止)によると「申請者」は医師とされ、その申請の適否の決定には(都道府県単位での)優生保護審査会が関与するところ、その委員には精神神経医を含む医師が就いていた、という。
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 いくつかの感想が生じる。
 第一は、医学・医師と行政・社会の関係だ。
 医師はそれぞれの分野の専門家であるかもしれないが、個別の案件にかかる審議会・審査会の委員として活動するとき、そのつどの案件にかかる結論的判断を、その案件を所管する行政部局・その担当公務員にほとんど委ねてしまうことがあるのではないか。行政主導であり、医師から言えば行政追随だ。
 例えば、「保護」=手当支給の要否に関する特別児童扶養手当法上の認定にも、医師(1名でよい)の判断が必要だが、これが自立して、行政側の事前判断に影響を受けないで行われているとは言えないのではないか、という感想を持ったことがある。この例の場合は、「遺伝」ではなく、心身全体の諸疾患や発育不全に関する医学的判断がかかわっている。
 以上のことは反面では、「優生保護法」の場合は、厚生省の所管部局の歴代の官僚たちの責任の大きさだ。現在の大臣や首相が詫びて済むものではない。
 第二は、「遺伝」に関する医学的・科学的根拠があいまいなままで行われた「優生保護」なるものの恐ろしさだ。
 ある疾患・症状・身体状況が「遺伝」性のものであるか否かは、今日でも明瞭なものはほとんどないと思われる(例外として、母親由来の血友病があるとされる)。
 精神神経系の「統合失調症」についても、「遺伝」の関与度は明確でない。参照文献を示さないが、一卵性双生児のうちの一人が「統合失調症」を発症した場合、遺伝子は同じはずの双生児のもう一人も発症する確率は約50パーセントだとされる。高い数字ではあるが、しかし、同じ遺伝子をもつからつねに同じ(精神的)疾患を発症するというのでは全くなく、半分は「生後の環境」によることをこの数字は示しているだろう。
 なお、「生まれ」=遺伝か「育ち」=環境か、という一般的問題にこれもかかわるが、はっきりしているのは、どの点についても<単純なことは言えない>ということだ。これを、生物学的・「生命科学」的には、両親の遺伝子・染色体から「受精卵」という細胞が形成されるまでの複雑な過程も示している、と考えられる。
 第三は、生物学・遺伝学等々の正確な知見をふまえないで行われた政治・行政施策の、おぞましい歴史。
 ナツィス・ドイツ、そしてスターリン・ボルシェヴィズム。
 S·ムカジーによると、前者によるホロコーストは「遺伝の万能視」によって生まれた。<汚れた血>の除去による<民族の浄化>。なお、ユダヤ人に対してのみならず、精神神経面も含めた「弱者」に対しても、「安楽死」政策が進められた。
 S·ムカジーによると、後者は「遺伝の無視」によって生まれた。 すなわち、「遺伝」と関係なく、<一世代で人間を(イデオロギー面も含めて)改造することができる>、という非科学的な信念。なお、これを助長したのは、遺伝に関するT・ルイセンコの学説だった。
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1922/L・コワコフスキ著第三巻第四章第7節。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)のマルクス主義の主要潮流(原書1976年、英訳書1978年)の第三巻・崩壊。試訳のつづき。
 第4章・第二次大戦後のマルクス=レーニン主義の結晶化。
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 第7節・ソヴィエト科学に対する影響一般。
  (1)ルィセンコの事件は、体制による文化との闘争の歴史を、幸いにもかなりの程度、例証している。
 獲得された特性の遺伝の問題よりも宇宙論の問題にイデオロギーが多くかかわり合った、と容易に理解することができる。
宇宙には時間の始まりがあるという理論を弁証法的唯物論と調和させるのは困難だ。
 しかし、遺伝に関する染色体理論の場合は、明らかにそうではない。誰でも容易に、この理論はマルクス=レーニン=スターリン主義という不朽の思想を完璧に確認するものだと、勝利感をもって宣言する、と想像することができる。
 実際には、イデオロギー的闘いは、遺伝学の場合の方がとくに激しかった。党による介入が最も残虐な形態をとったのはまさにこの遺伝学の分野だった。一方で、宇宙論に対する扇動的攻撃は、かなり穏健なものだった。
 このような違いに関する論理的な説明を行うのは困難だ。すなわち、多くは偶然による。反対運動を担当したのは誰だったのか、スターリン個人は論争になっている問題に関心があったのか否か、等々。//
 (2)にもかかわらず、この時代の歴史を概観するならば、イデオロギー的圧力の強さに、コントやエンゲルスが確立した諸科学の階層に大まかには対応した、一定の段階的差異があることを感知し得るかもしれない。
 数学については圧力はほとんどゼロで、宇宙論と物理学についてはかなり強かった。生物学については、さらに強かった。そして、社会科学や人文科学については、圧力は最大限に強力だった。
 年代史的順序も、大まかにはこうした重要性の程度の差異を反映していた。
 社会科学は、最初から統制管理の対象だった。一方で、生物学や物理学はスターリニズムの最後の段階までは統制されなかった。
 スターリン後の時代に最初に自立性を取り戻したのは、物理学だった。しばらくして、生物学が続いた。だが、人文社会系(humanistic)学問はかなり厳格な支配のもとに置かれたままだった。//
 (3)イデオロギー的監督の中でも幸運な要素は、高次の神経機能に関する心理学と生理学の場合にも、見出すことができる。
 この分野の特質は、ロシアが世界的に有名なパブロフ(Ivan P. Pavlov )の誕生地だったことだ。1936年に死んだこの人物には若干の弟子たちがおり、彼らはパブロフの実験を継続し、またイデオロギー的圧力とは関係なくその理論を発展させることが許されていた。
 典型的にも、体制側は反対方向の極端へと進み、パブロフの理論を、生理学者や心理学者が逸脱することを禁止される、公式のドグマにまで屹立させた。
 かりにパブロフがイギリス人あるいはアメリカ人であったならば、彼の考えは、ソヴェトの哲学者によって厳しく非難されていただろう。パブロフ理論は条件反射によって精神作用を説明するがゆえに機械主義者だ、という根拠でもって。
 パブロフはまた、人間と動物の「質的な違い」を無視する等々によって人間の精神を神経活動という最も下位の形態へと「矮小化(reduce)」した、と責め立てられただろう。
 実際には、パブロフ理論は公式に神経生理学の分野でのマルクス=レーニン主義を代表するものとされ、この分野でのイデオロギー攻撃は他のどの分野よりも酷くなかった。
 にもかかわらず、たとえ真摯で科学的な実験にもとづいてはいても、一つの理論が国家と党のドグマにまで持ち上げられたという、まさにその事実こそが、研究の進展に対して激痛を与えるごとき効果をもった。//
 (4)ソヴィエト国家の利益に反して動いたイデオロギーのとくに驚くべき事例は、サイバネティクス〔人工頭脳学〕、動態的過程統制システムに関する科学、に対する攻撃だった。
 サイバネティクス研究は、全ての技術分野、とくに軍事技術、経済計画等々での自動化の発展に大きな貢献をした。しかし、マルクス=レーニン主義の純粋性という権威は、しばらくの間は、ソヴィエト同盟での自動化の進展を完全に抑えることができた。
 1952-53年、サイバネティクスという帝国主義的「えせ科学」に対する反対運動が起こされた。
 ここにはじつに、本当の哲学上の問題または哲学に準じた問題が介在していた。
 すなわち、社会生活がサイバネティクスの範疇でもって記述され得るのか否か、および記述され得る程度、精神的活動はいかなる意味でサイバネティクスの図式へと「推論され得る」のか、あるいは逆に、いかなる意味で、人工的なメカニズムの一定の作用が思考と同等であり得るのか、等々。
 しかし、本当のイデオロギー上の危険性は、サイバネティクスは西側で発展してきた広い視野をもつ学問分野で、その当否はともあれ、<普遍的数学(mathesis universalis)>、動態的現象を全て包含する一般的理論だと自己主張しているものだ、ということにあった。そのような自己主張は、正確にマルクス=レーニン主義こそが行っていたものだったからだ。
 非公式の(むろん公的な情報で確認されていない)報告によると、最終的にサイバネティクスに対する反対運動を中止させたのは軍隊だった。軍はその主題の実践的重要性に気づいており、ソヴェトの根本的な国家利益を損傷する反啓蒙主義的攻撃と闘うに十分な強さを持っていた。//
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 つぎの第8節の表題は「スターリンと言語学」。

1921/L・コワコフスキ著第三巻第四章第6節。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)のマルクス主義の主要潮流(原書1976年、英訳書1978年)の第三巻・崩壊。試訳のつづき。
 第4章・第二次大戦後のマルクス=レーニン主義の結晶化。
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 第6節・マルクス=レーニン主義の遺伝学。
 (1)マルクス=レーニン主義と現代科学との間の全ての闘いの中で、遺伝学に関する論争ほど外部世界の注目を集めたものはなかった。
 公式の国家教理が遺伝の問題に関して用いて、かつ「論議」一般に破壊的な影響をもったやり方というのは、実際にとくに悪辣だった。
 相対性や量子理論の場合は、イデオロギー正統派が研究を妨害し確実に非難することに成功して勝者となった。しかし、正統派は反対派を完全に破壊してしまったわけではなかった。また、遺伝学の場合に起きたようには、反対派の理論の公式かつ絶対的な禁止をもたらしたわけでもなかった。//
 (2)戦前の段階でのルィセンコ(Lysenko)の活動については、すでに言及した。
 事態は、1948年8月のモスクワでの農業科学レーニン・アカデミーでの論議で、絶頂点に達した。
このとき、「メンデル=モルガン=ヴァイスマン主義者」が最終的に非難され、ルィセンコ自身が会合に対して発表したように、彼の考え方が党によって是認された。
 党がマルクス=レーニン主義と合致する唯一のものだと宣告したルィセンコの理論は、遺伝は「究極的には」環境の影響によって決定される、したがって一定の条件のもとでは、個々の生物(organism)がその人生を通じて獲得する特性(traits)はその子孫たちに継承〔遺伝〕される、というものだった。
 遺伝子(gene)なるものはなく、「遺伝という不変の実体」はなく、「固定した、変更不可能な種(species)」もない。そして、原理的に言えば、科学、とりわけソヴィエト科学が、現存する種を変形させて新しい種を生み出すことを妨げるものは、何もない。
 ルィセンコによれば、遺伝とは一生物の一つの属性にすぎず、その属性は、その生物が生きていく特有の条件を必要とし、またその生物が特有の方法でその環境に反応するということから生じる。
 一個体はその生の過程で環境条件と相互に影響し合い、その環境条件を自分自身の特性へと変える。そしてそれを、子孫たちへと伝達していくことができる。-このことは、代わりに、自分たちの特性を失うか、または遺伝によって伝達できる新しい特性を獲得することでありうる。それはまた、外部条件が決定しうるものだ。
 永遠(immortal)の遺伝という実体の存在を信じる進歩的科学の擁護者は、マルクス主義に反して、突然変異(mutation)は制御不可能な偶然によって生じると主張する。
 しかし、ルィセンコがアカデミーの会合で論じたように、「科学は、偶然なるものの敵だ」。そして科学は、生命の全過程が法則に従っており、それを人間の干渉によって支配することができる、と想定するよう義務づけられている。
 生物は「環境との統合体(unity)」を形成する。ゆえに原理的には無制限に、その環境を通じて生物に影響を与えることが可能だ。//
 (3)ルィセンコが提示した理論は第一に、農学者のミチュリン(Michurin、1855-1935)の発想と実験を発展させたものだった。第二に、「創造的ダーウィニズム」の例だとして提示された。
 ダーウィン(Darwin)が道を誤っていたのは、自然にある「質的跳躍」を認識しなかったこと、および種内部の闘争(最適者生存)を進化の主要な要因だと考えたことだった。 彼は、目的論的解釈に頼ることをしないで、進化を純粋に因果関係の意味で説明し、進化の過程の「進歩的」性格を明らかにしなかった。//
 (4)ルィセンコ理論の経験上の根拠に関して、今日の生物学者たちは疑いなく、ルィセンコの実験は科学的には無価値であり、間違って行われているか全く恣意的な解釈が施されているかのいずれかだ、と判断している。
 ルィセンコは1948年の会合から、ソヴィエトの生物科学の疑いなき指導者となって登場した。そして、観念論的、神秘主義的、スコラ主義的、形而上学的、およびブルジョア的で形式主義的な遺伝学の学者たちは完璧に粉砕された。
 全ての組織、雑誌および生物学に関連する出版団体は、ルィセンコと彼の助手たちの権威のもとに置かれた。そして多年にわたり、遺伝に関する染色体(chromosome)の理論の擁護者(<仮説だが(ex hypothesi)>、ファシスト、人種主義者、形而上学者、等々)が公衆に語りかけまたは活字となって登場することが許される、などということは全くの論外だった。
 「創造的ミュチュリン主義生物学」が至高ののものとして支配し、プレスにはルィセンコを称賛し、メンデル=モルガン主義者たちの邪悪な策略を非難する記事が洪水のごとく溢れた。
 ソヴィエト科学の栄光ある勝利は、無数の会合や集会で祝福された。  
 哲学者たちはもちろん、ただちにそうした運動に加わり、会合を組織し、反動に対する進歩の勝利を歓呼して喜ぶ多数の論文を執筆した。
 娯楽雑誌は、観念論的遺伝学の支持者を嘲弄した。そして、ルィセンコを賛美する歌までが作られた。「ミチュリンの足跡にそってしっかりと前進しよう。メンデル=モルガン主義者の陰謀を挫折させよう」。//
 (5)ルィセンコの経歴は、1948年以後の数年間にわたり継続した。
 その間に、彼の指揮のもとで、ある範囲の大草原地帯には浸食から畑地を守るべく森林帯が植え付けられた。しかし、その実験は完全な失敗だったことが分かった。
 1956年、スターリン死後のイデオロギー的な部分的雪解けの間、科学者が圧力を加えた結果として、ルィセンコは農業科学アカデミーの院長から外された。
 数年のち、フルシチョフの好意によって彼はいくつかの地位を回復した。しかし、のちに長く続いた全体的な救いにはならず、ルィセンコは最終的には舞台から消えた。
 ソヴィエトの生物学がルィセンコの支配によって被った損失は、計り知れないものだ。//
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つぎの第7章の表題は、「ヴィエト科学に対する一般的影響」。
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