この人物の「出身学部」を知りたいものだ、とこの欄に書いたことがあった。2018年7月8日付(No.1825)。
「特に文系」の大学・学部のひどさに主として言及したときのことで、「桑原聡を含む月刊正論の代々の編集代表者…」の「出身学部」を知りたい、という文脈で桑原の名前を出した。
おそらく桑原聡が産経新聞社を退職し、しかし同社を諸活動(講演等?)の事務所代わりに使うようになって以降ではないだろうか。産経新聞関係のネット上に桑原聡の経歴も記載されるようになり、「早稲田大学(第一)文学部」卒業ということが分かった。遅くとも2023年には、知った。
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この人も「早稲田大学(第一)文学部」出身というのは、なかなかに感慨深いことだった。
というのは、西尾幹二逝去に伴なう月刊正論の追悼特集(2025年1月号)に、湯原法史・元筑摩書店と力石幸一・現徳間書店のいずれも編集者の対談が掲載されているのだが、この二人ともに「早稲田大学文学部卒」だったからだ。
月刊正論上のこの両名の写真は大きくて、出身学部が同じであることも目立つ(しかも出生年まで同じ1951年だ)。
わずか数名でもって判断してはいけないだろうが、桑原聡も含めて、「早稲田大学文学部」出身者が出版関係者に少なくないことは確かだろうと推察される。松岡正剛も早稲田大学文学部出身だから、概括的で単純な予断をもっているわけではない(但し、松岡は「編集工学」を謳っても既存の出版社類の編集者でなかった)。
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二 桑原聡が編集代表時代の月刊正論の論調の特徴の一つは、<反橋下徹>だった。なお、橋下徹は早稲田大学政経学部卒。
桑原聡自身が編集代表執筆欄(「操舵室から」)の中で、「編集長個人の見解だが、橋下徹はきわめて危険な政治家だと思う」と明記した。
これは、月刊正論2012年12月号の巻末。
この号の巻頭で、橋下徹批判を展開したのは、適菜収だった。
秋月の知る限りで、これは適菜収の雑誌デビュー論考だったのではないか。冒頭の一文は、「橋下徹大阪市長は、文明社会の敵だと思う」。
そして、桑原聡が「早稲田大学文学部」出身者だとのちに知って、「適菜収」を冒頭で起用した背景の(ひょっとすれば重要な?)一つが判ったような気がした。
適菜収もまた、「早稲田大学文学部」出身者であるからだ。
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出身大学や学部によって人物の評価・判断を変える、というのは秋月瑛二が最も嫌悪することの一つなので、推奨するわけでも、当然視するわけでもない。
だが、当時の桑原聡の心理において、適菜収が同じ大学の同じ学部出身(の後輩)だということは、ある程度は大きな意味をもったのではないか。適菜収が例えば「慶應大学文学部」卒だったとすれば、桑原聡は月刊雑誌の冒頭論考の執筆者として採用しただろうか。
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出身大学(・学部)意識は、日本社会において根強いようにも思える。
主張者・発言者の出身大学(・学部)によって評価、さらには賛否まで決めるような風潮(極論的には「学閥」意識)は、簡単な記述に馴染まないが、おそらくは「戦前」と同様に、日本の国家と社会を奇妙な方向に向かわせる有力な一因になるのではないかと、憂いている。
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三 適菜収に関する論評を繰り返さない。近年はずっと、この人の文章を読んでいない。ニーチェ「研究」者のなれの果ての一人だろう。月刊正論に登場した「保守」派だと思いきや、「右」・「左」の分からない、むしろ「上」・「下」の「下」の文章執筆者(もの書き)だろう。
そのような適菜収を雑誌デビューさせたのは、まさに桑原聡だったように思われる。大学・学部の先輩・後輩の関係だ。
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この適菜収について、「産経新聞愛読者倶楽部」というサイトが、2012年4月7日付で、批判文を掲載していた。かつて引用したことがある。
→2012年4月10日(No.1101)。
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四 桑原聡について、かつて一時期、この欄に批判的な文章を数多く投稿していた。
少なくとも15回は書いている。つぎに、一覧表がある。
→2013/11/15(No.1226)「桑原聡編集長等に対する批判的コメント一覧」。
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つづく。



























































