〇12/16に竹内洋・学問の下流化(中央公論新社、2008)を全読了。気が向いたらいつか言及する。「下流化」とは「大衆社会の中での…ポピュリズム化」を言い、「ういてしまう学問のオタク化」に対する概念のようだ(p.13)。どちらに対しても憂いていると思われるが。
 〇途中まで読んでいたことに気づいた猪瀬直樹・作家の誕生(朝日新書、2007(古書))を、やはり一気に全読了。かなり前に太宰治や三島由紀夫らごとの著書(著作集2~4など)を読んでいたので、多分に重なっている感もある。
 この人は東京都副知事をしているようだが元来は政治・法律系ではなく文学・文芸系の素養の人だろう。道路公団民営化の議論もきちんとした基礎的「理論」があったとは思えない。もっとも、経済・政治(・行政)・法律、いずれの学者・専門家も、役立つ「理論」をいかほど提供したかはきわめて疑わしい。
 この本のp.120によると、大宅壮一は1955年(55歳のとき)にこう書いた。
 「平和主義などというものは、誰でもほしがるチョコレートみたいなもので『思想』でもなんでもない」。
 <日本の知識人は「デパートの食堂の前に立たされた子供」で、つぎつぎと輸入される舶来思想のどれを身に纏ったらよいか迷い、帽子の如くあれこれと被っては悩んでいる。外国の最新のカタログに眼を通していないと安心できない。……>
 次は、大宅壮一に好意的な猪瀬自身の言葉。
 「日本の近代は輸入思想の堆積物にあふれ、その断面の縞模様…〔には〕知識人の死骸が貝殻のように詰まっている。流行思想に帰依し自己喪失に陥る現象は、今後もずっとつづくのだろう。思想が帽子…〔ならば〕責任はともなわないのだから」(p.121)。
 〇サピオ・新年合併特別号(小学館、2008.12)。「輸入思想」によって「自己喪失」に陥ってはいないようである小林よしのり・ゴーマニズム宣言スペシャルは「天皇論」を開始している。
 p.71-元日の「午前5時30分、天皇は皇居内の神殿の前庭にお出ましになり、地面に敷いた畳にお座りになって、伊勢神宮をはじめ、四方の天神地祇、神武天皇陵、昭和天皇陵、ならびにいくつかの神社を遙拝される」。これが一年で最初の「宮中行事」。
 ほとんど毎号買ってきたが、当面は講読を欠かせそうにない。