秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

逆説の日本史

1859/井沢元彦・逆説の日本史23-廃仏毀釈。

 井沢元彦・逆説の日本史23/琉球処分と廃仏毀釈の謎(小学館、2017)。
 上の本の、とくにp.251以下。
 ***
 日本本土で先の大戦中に空襲を受けて被災した都市では、原子爆弾を投下された広島・長崎ではもちろん、その被災区域にあった神社・寺院はおそらく全てまたはほとんどが、火災・燃焼等によって破壊されたのではないかと思われる。もちろん、住職や神職者が存在しないような小さな祠や地蔵仏も同様だ。
 かつて福山市内の芦田川の堤防上の道を歩いていて、右岸(上流から見て左か右を分ける)のすぐ下に「地神」と大きく彫った石柱がたぶん三つほどほぼ同間隔で連続して並んで立っているのに気づいた。
 「地神」というのは珍しいと思ったのだが、神道系で、かつ戦災にも遭うことなく、かつてのまま立って残っていたのだろう。
 神社や仏閣あるいは上に触れたような小さな鳥居と祠・地蔵仏などで現在に残っていないのは戦争による被害がほとんどで、再建されたのは戦後だろうと考えてきた。もう70年以上経つので、戦前からのものか戦後の再建なのかは(しろうとには)不分明になっているものもあるに違いない。
 ところが、上の井沢元彦の本を読んで、明治期当初の「廃仏毀釈」による仏教寺院の破壊や消滅も相当にあることを(そういえばという感じで)想起することができた。
 井沢によると、いわゆる「廃仏毀釈」による影響は、つぎのとおりだ。
 ①鹿児島県には、国宝等クラスの寺院・仏像が残っていない。p.273。
 ②薩摩藩島津家の菩提寺だった「福昌寺」は「今は跡形も無い」。p.273-4。
 ③安徳天皇を葬って祀った下関阿弥陀寺は廃寺となり、新たに赤間神宮が建立された。p.272。
 ④奈良県天理市にあった「内山永久寺」は比叡山延暦寺・東叡山寛永寺とともに元号を名とする大寺院だったし、近くの石上神宮の神宮寺でもあったが、「今は跡形も無い」。「現在は本体の破片すら残っていない。徹底的に破壊されたに違いない」。幸いというべきか、現在の石上神宮の摂社の一つ建物は、かつてこの永久寺の鎮守社(寺院境内の神社)のものだった。p.277-8。
 ⑤現在の奈良公園のほとんどは興福寺の境内だった。(井沢は明記していないが、いわゆる明治維新期当初に新政府が「接収」または補償金のない「収用・収奪」をして奈良県庁・裁判所・師範学校等にしたものと見える。最近に再興・再建された「中金堂」の区画は、かつては県庁舎の一部の敷地だったようだ。西国観音札所の納経は「南円堂」)。p.279以下。
 他にもあるが、割愛する。
 (上の③については、この欄で櫻井よしこの「無知」を指摘する中で触れたことがある。②に対して、萩藩の毛利氏の菩提寺二つは現在もきちんと残っている。)
 井沢はまた、この政策の背景にある新政府の<宗教政策>およびその前提としての各「宗教」の内容や実態についても説き及んでいるが、逐一の紹介は避ける。
 ともあれ、考えさせられるのは、明治維新(あるいは一般的には「政治変革」)による宗教政策の変化とそれによる「現実の宗教施設・宗教運動」への影響の大きさ、というものだ。
 神道・神社と仏教・寺院および神道政治連盟(<日本会議)と全日本仏教会の違いというのも(後者は首相靖国公式参拝に組織として反対している)、少なくとも明治維新とその「廃仏毀釈」政策にまで遡らないと、理解することが困難であることも判明してくる。
 追記すれば、井沢元彦は、のちに「明治維新」の主役となった者たちの宗教は<神道+朱子学>であって、<神仏混淆>を否定して神道の純粋性を守るために仏教と切り離すことを意図した、とする(正確な引用ではない)。
 池田信夫によると福沢諭吉は「儒学」を捨てて「洋学」に向かった、というのだが、福沢諭吉は「明治維新の元勲たち」ではなく、明治維新より後の時代での彼に関する叙述だから、少なくとも明らかに矛盾しているとはいえないようだ。
 

0868/産経新聞上での東大寺大仏-渡部裕明とついでに佐伯啓思。

 産経新聞4/17で、論説副委員長・渡部裕明は「『遷都』に学ぶ国家のあり方」とのタイトルのもとで書く。
 奈良の大仏=「東大寺大仏」は当時の「人々の努力の結晶」で、その意義は大きさではなく「人々の喜捨によって造られた点」にある。この大仏は「国民の心を一つにさせた」。

 その他、飛鳥京から平城京への「遷都」の背景・理由等にも言及があるが、論説副委員長が書くにしては、あまりに教科書的・通説的すぎるのではないだろうか。大仏建立の目的等についても、あまりに表面的で、史料実証主義の弊はないだろうか。

 どうもこの論説副委員長は、反マルクス主義を明確にし、旧日本社会党や社民党の<九条(護憲)教>への皮肉等にも満ちている、井沢元彦逆説の日本史(小学館)のシリーズを一冊も読んでいないようだ。文科省の検定済み教科書を範とすることだけが産経新聞の社是ではないだろう。

 井沢元彦の本を手元に置く面倒は避ける。
 以下は、たぶん井沢元彦が書いていたことではなく私の個人的感想にすぎないが、東大寺大仏のような巨大な建造物は、なるほど当時の庶民の努力と技術の結晶でもあるのだろうが、<日本人本来の美意識>からはズレているような気がする。

 上へ上へと(天により近く)伸びるような、教会の高い尖塔が欧州のとくにゴチック建築物に見られる。だが、日本の宗教は、高さや巨大さによる威容を示して、人々を屈従させる(と言って悪ければ、信仰へと導く)ような態度をとってきたのだろうか。

 仏教ではなく神道の場合、典型的には伊勢神宮がそうだが、ご正殿は素朴で決して大きくはない。さらには、寺院では<本尊>にほぼあたると思われるカミの依り代は、正殿(・本殿)の中に隠されていて参拝者の目には触れない。さらには、その正殿と参拝者の間には閉じられた門(と玉垣)があって、正殿すらをも見ないままで、参拝者は柏手を打つのだ。

 伊勢神宮を想定したが、他の神社でも、おおむね拝殿と正殿(・本殿)は別にあって(建築物の構造上、一体化している場合等もある)、本殿の中は見えないか、見えても決して大きくはない丸い鏡などを遠くから望むことができるだけだ。

 神道(神社神道)は、決して威張らず、目立とうともしないカミを中心に置いているのではないか、と素人ながら感じている。

 寺院でも、本尊の形の大きさは必ずしも如来・観音・菩薩等の<偉さ>や<価値>とは無関係だとされているのではないか、と思われる。小さな木彫にすぎないご本尊(の物体化したもの・徴表)が本堂の中央に置かれているのは、しばしば目にすることだ。

 そうした経験および観点からすると、私自身は東大寺大仏の巨大さには違和感を覚える。そして、なぜこんな巨大なものを造ったか(造らせたか)という、当時の為政者側の特有の事情にむしろ関心をもつ。

 したがって、渡部裕明のように単純素朴に書くことはできないし、単純素朴にお説拝聴というわけにはいかない。

 産経新聞4/19佐伯啓思のコラム「平城遷都1300年に思う」も最後に東大寺大仏に言及している。天皇の政治的位置づけの変遷または時代的類似性にコラム全体の主眼があるが、あまり面白くはない。「巨大大仏」と今日の「巨大高層ビル」を対比させるあたりもやや苦しそうだ。

 だが、「大仏はいまでも鎮座しているが、それは巨大な観光資源になってしまっている」、という感覚は、東大寺大仏を見て<国家と国民の関係>を考え直そう(大仏の建設・再建には国民が積極的に?協力した)という趣旨を述べている渡部裕明の感覚よりは、相当にまともだ、と思う。

0595/井沢元彦・逆説の日本史15-近世改革編(小学館、2008)を読了。

 読書の記録として遅れて書いておく。八月中に、井沢元彦・逆説の日本史15・近世改革編-官僚政治と吉宗の謎(小学館、2008.08)を一気に全読了。
 井沢元彦のこのシリーズものの単行本は、刊行され次第、すみやかに手にして一気に読み終えることにしている。
 例によって、叙述が現代・現在に跳んでいる箇所がある。中国・同共産党を批判するp.119-120、米・薩摩芋に関するp.149-156、「平和憲法」に関するp.313-316。このような指摘はこの書物批判ではない。
 上のことよりも、上の本全体のユニークさは、徳川吉宗の享保の改革よりも徳川(尾張)宗春の施政が、松平定信の寛政の改革よりも田沼意次の施政が「よい」政治・行政だったという、教科書的評価とは異なる評価をしていることだ。
 天保も含めて三つの「改革」を必要な又は「よい」ものだったとする見方は、井沢元彦によると、徳川家側による江戸時代に関する「正史」に依るもので、じつは、幕藩体制の崩壊を早めた「悪政」だった、という。
 田沼意次が収賄・「ワイロ」の政治家だったとのイメージは定着しているようで、余計ながら、映画「闇の狩人」(1979年、監督・五社英雄、出演・仲代達矢ら、田沼意次役は丹波哲郎)も明らかにそうしたイメージをつけた時代を背景にしている。
 小島毅・靖国史観―幕末維新という深淵(ちくま新書、2007)も、東京大学出身・現役東京大学教員の著者が日本史の教養のない下々(しもじも)の者に教えてあげる、という感じで次のように書いている。
 <享保の改革後に社会・文化は爛熟・頽廃の時代を迎え、「おりから悪名高き田沼意次のワイロ政治が長く続いた」。人心は改革を望み、松平定信が登場し寛政の改革を断行した。>(p.30)。
 小島毅は日本史(・近世=江戸時代史)が専門でもないのによくぞ(エラそうに)断定的に書けるものだ、と(井沢元彦の本を読んだ後では)思ってしまう。
 やや脱線したが、一般論として、「改革」=「善」というのは思い込み又は誤解だ。歴史的評価は(田沼意次についても)数百年経っても定まらないことがある。…といったことを感じさせる。
 明治以降あるいは昭和戦前の歴史もまた、とくに後者は(主流としては)<勝者>アメリカ・GHQの史観によって現在まで語られてきているので、数百年後には全く異なる評価がなされている可能性は十分にあるに違いない。
 再び現代に関する叙述に目を移す。井沢元彦は言う。
 ・マスコミは2007参院選での「民意」を強調するが、では、憲法「改悪」阻止を強調した社民党・共産党の「大敗北」はどう捉えるのか。(p.276)
 ・中国の共産主義は「儒教的共産主義」で、典型例が「毛沢東思想」。同思想は文化大革命で「数千万人(2000万人、一説に7000万人とも…)の同胞」を
殺した。「自国民をこれだけ虐殺したのは…共産主義者だけ」。「毛イズム」を輸入したカンボジアではポル・ポトにより「人口八百万人の国で二百万人(一説に400万人)が殺された」。(p.278)
 ・「北朝鮮でも金日成・正日の体制下で二百万人の同胞が死に追いやられたと言われている」。(p.279)
 知る人はとっくに知っていることだが、こんなことが書かれてあったりするので(?)、井沢元彦の「日本史」の本は面白く、タメになる。
 なお、光格天皇につき、宮中祭祀の活発化(・復活)、直系又はそれに近い皇位継承ではなかったこと、以外のことも井沢は書いているが、省略。

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