秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

諸君!

2495/西尾幹二批判055—思想家?③。

 つづき
 三 1 西尾幹二は、2009年に、「思想家や言論人」について、こう告白?している。政治家の言葉には、誰もが知るように嘘がある、としたあと、こう書く。
 「同じように言葉の仕事をする思想家や言論人も百パーセントの真実を語れるものではありません。
 世には書けることと書けないことがあります。
 制約は社会生活の条件です。
 公論に携わる思想家や言論人も私的な心の暗部を抱えていて、それを全部ぶちまけてしまえば狂人と見なされるでしょう。」
 月刊諸君!2009年2月号、p.213。
 相当に興味深い文章だ。
 「公論に携わる思想家や言論人」の一人だと西尾が自分を見ていることは間違いなく、その点ですでに関心は惹く(ただの「文筆業者」ではないのか?)。
  それはともかくとしても、上が一般論というより、確実に自分自身についての、少なくとも自分を含めての叙述であることが注目される。
 ・「百パーセントの真実を語れる」わけではない。
 ・「書けることと書けないことがあ」る。
 これらですでに、西尾幹二が書いたこと、書いていることの「真実」性、「信憑性」、「誠実さ」を疑問視することができる。
 さらに、つぎもなかなか新鮮で刺激的な?叙述だ。
 ・「私的な心の暗部を抱えてい」る。
 ・「それを全部ぶちまけてしまえば狂人と見なされる」だろう。
 これが書かれた2009年2月、「つくる会」は2006年に分裂して、西尾は名誉会長でもなくなっていた。従来の「つくる会」教科書出版会社だった扶桑社(産経新聞社関連会社)は八木秀次らの分かれたグループ作成の教科書を発行しつづけることになった。
 種々の思いがあったに違いないが、2006-7年に西尾は、「つくる会」分裂の経緯・関係人物に対する鬱憤を吐き出すかのごとく、分裂の経緯や関係人物批判等を相当に詳しく、かつ頻繁に書いた。
 それらを含めてまとめたのが西尾・国家と謝罪(徳間書店、2007)で、後記の表題は「あとがき—保守論壇は二つに割れた」。その中で、こう書きもした。
 「保守への期待が保守を殺す。
 私は自分の身が経験したこの逆説のドラマを包み隠さず正直に叙述した。
 なかに個人攻撃の文章があるなどと志の低いことを言わないでいただきたい。個人の名を挙げて厳しく批判している例は一人や二人ではない
 そういう『事件』が起こったのである。
 歴史の曲り角には必ずユダが登場する。」
  首相は、安倍晋三に代わっていた。安倍は、産経新聞・扶桑社とともに<非・西尾幹二派>を支持したとされる。
 西尾は「保守への期待が保守を殺す」と書き、「保守論壇は二つに割れた」という重要な認識を示した。
 かつ同時に、多数の(氏名だけは私も知る)論者たちを「ユダ」として名前を出して批判・攻撃した。10名を超えており、皮肉の対象も含めると、旧「生長の家」活動家とされた者たちのほか、八木秀次はもちろん、岡崎久彦・中西輝政・櫻井よしこ・伊藤隆、小田村四郎等々の多岐にわたる。「産経新聞の渡辺記者」というのも出てくる。
 この「事件」を振り返るのが目的ではない。
 西尾は2009年に、「書けることと書けないことがあ」ると言ったが、2006-7年頃には十分に書いていただろう、書きたいが書くのを躊躇してやめたという部分があるのだろうか、という疑問をここでは書いている。
 西尾・国家と謝罪(徳間書店、2007)の中ではとくにつぎの表題の項が、分裂の経緯(あくまで西尾から見た)や関係の多数の個人名を知るうえで、資料・史料的価値があるだろう。p.77〜p.173。
 「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」、「小さな意見の違いは決定的違い」、「何者かにコントロールされだした愛国心」、「言論人は政治評論家になるな」。
  2009年の前年の2008年は、西尾幹二が当時の皇太子妃批判を月刊WiLL上で継続し、西尾『皇太子さまへの御忠言』(ワック、2008)で単行本化した年だった。
 不確実な情報ならば「書けない」だろうが、西尾は「おそらく」という言葉を使っての推測の連鎖も含めて、相当に「書きすぎた」のではないだろうか。
 2006年に西尾は「保守論壇は二つに割れた」と認識したのだったが、「つくる会」の分裂以降、八木秀次は月刊正論(産経)上の重要な執筆者の位置を獲得する。八木は冒頭の随筆欄に、明らかに西尾幹二に対する<皮肉・当てこすり>を書いたりしていた。
 西尾が月刊正論から一切排除はされなかったようだ。それまでの実績と「誌面を埋める文章力」は評価されていたのだろう。それに、西尾自身が月刊正論では安倍内閣批判も許容してくれた、と何かに書いていた。
 それはともかく、2008年の西尾幹二による当時の皇太子妃批判は、ある程度は月刊WiLL編集部の花田紀凱との共同作業のようだが、2006年以降の西尾幹二の心理的「鬱屈」状態も背景にあったのではなかろうか。つまり、継続的に(従来どおりに?、その言う「保守論壇」の中で)「目立ち」たかった、というのが、重要な心理的背景の一つだったのではないか。 
 そして、2009年時点での「百パーセントの真実を語れる」わけではなく、「書けることと書けないことがあ」る、という言い分と、この人が2008年に実際にしたことの間には、大きな齟齬がある、と考えられる。 
 『皇太子さまへの御忠言』(ワック、2008)の刊行自体もまた、「思想家」のすることではなかっただろう。個人全集になぜ収載しないのだろう。自信がないのか、西尾でも恥ずかしく感じているのか。
 --------
   2009年に「書けない」ことがある、と西尾が言った、その「書けない」こととは、いったい何だったのだろうか。
 むろん、文章執筆の「注文主」(雑誌編集者等)の意向とは正反対の、あるいはそれと大きく矛盾する文章を書けはしないだろう。
 西尾は上に引用した部分のあとで、書けなくする「最大の制約」は「自分の心」だなどという綺麗ごと?を書いているが、それは現実には、文章執筆「注文主」の意向を<忖度>する西尾の「心」ではないかと思われる。
 そして、そのような100パーセント「自由に」執筆することができない者を、おそらく「思想家」とは呼ばない。
  さらに、西尾幹二によると、西尾自身を少なくとも含むことが明瞭な「思想家や言論人」は、「私的な心の暗部を抱えてい」て、「それを全部ぶちまけてしまえば狂人と見なされる」だろう。
 あきらさまに書いてしまえば「狂人と見なされる」だろうような、「私的な心の暗部」—。
 これが西尾幹二においてはどういうものか、きわめて興味深い。
 そして、この「心の暗部」、あるいは偏執症的な、独特の「優越感と劣等感」(後者は<ルサンチマン>と言えるだろう)をも見出して、指摘しておくことは、この西尾幹二批判連載の目的の中に入っている。
 ——

2447/西尾幹二批判035—「日本に迫る最大の危機」。

  西尾幹二の諸君!2008年12月号によると、日本の「論壇誌」は「イデオロギー」に嵌まらないで、「現実」に目を開き、「現実」を回復しなければならない。
 しかし、まさにその同じ論考の中で、雅子皇太子妃(当時)に関する「現実」をおそらくは完全に無視する文章を書いている。
 西尾によると、「自分の好むひとつの小さな現実を見て、他のすべての現実に目を閉ざそうとする怠惰な心の傾き」がイデオロギーの意味のようなのだが、この「怠惰な心の傾き」は、西尾幹二にも厳然と存在するようだ。
 西尾は、皇室問題での自分の主張を非難する二つの立場について、こう反駁する。
 「二つの立場の、どちらも方々も、あれほど明白になっている東宮家の危機を、いっさい考慮にいれないのです。
 問題は何もない、と言い張るのです。
 目を閉ざしてしまうのです。」
 <危機>というのは評価または解釈が混じる言葉だ。では、<日本に迫る最大の危機>という中見出しのあとのつぎの文章はどうだろうか。
 「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。
 というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。
 <見受ける>だけだと、厳密には、あくまで「推測」なのかもしれない、とも言える。
 しかし、上を全体として読むと、<雅子妃は宮中祭祀を『なさる』意思がなく、拒否し続けている>ということを、西尾が「事実」または「現実」だと受け取っていることは明確だろう。
 なお、その原因にはここでは西尾はいっさい触れていない。
 --------
  元に戻って記すと、西尾『皇太子さまへの御忠言』による「提言」は、西尾によると「典型的な二種類の反応」を惹起した。
 一つは、多くの選択権・無制約をよしとする「いわば平和主義的、現状維持的イデオロギー」で、将来の皇后にも「もっと自由を」、「新しいご公務を」、とするもの。
 もう一つは「むしろ古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的イデオロギー」で、例えば「臣下の身」で「不敬の極み」だとするもの。自称「旧皇族」から国学院大・皇學館大学の教授まで、「伝統保守イデオロギー」からの反発も「熾烈」だった。
 これら二つ、一方は「新しい時代の自由」、他方は「旧習墨守」という「固定観念への執着」を見て、西尾幹二はこう感じた、という。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
 そのあと、既述の「あれほど明白になっている東宮家の危機」をめぐって、「自由派」も「伝統派」も、「現実はいっさい見ない、現実はどうでもいい」、「自分たちの観念や信条の方が大切なのです」と批判する。
 「論壇誌」に対しては、あらためてこう指弾する。
 「イデオロギーに頼って『ことなかれ主義』に手を貸し、揺れ動く世界の現実から目を逸らしているうちに、日本に迫る最大の危機すら曖昧になってしまう
 それが今の雑誌ジャーナリズムを覆う、いちばんの病弊なのではないですか。」
 --------
  西尾幹二の議論が雅子皇太子妃に宮中祭祀を「なさる」意思がなく、それを拒否している、という西尾にとっての「現実」から出発していることは疑い得ない。
 その理由は一般に「ご病気」とされていたが、西尾の別の発言によるとそれは「仮病」だ。そのような「行動と思想」をもつ人物が将来に皇后になるかもしれない、これは「日本に迫る最大の危機」だ、そのような危険性を、「自由派」も「伝統派」も見ていない(自分はちゃんと見ている)、というわけだ。
 その後の事態の推移をも踏まえてということにはなるが、詳細は省いて、西尾幹二の以上のような指摘・主張は、いささか異様、異常ではないだろうか。
 「つくる会」分裂後の八木秀次に対する「人格攻撃」も凄いものだったが、皇太子妃問題をめぐって自分を批判する両派に対する反批判も、なかなかのものだ。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
 --------
  ところで、西尾は、皇太子妃の宮中祭祀を「なさる」意思の欠如を問題にしている。
 ここでは、皇太子妃も宮中祭祀を「行う」主体の一人であることが前提とされている。このような表現をする点は、天皇退位問題に関する「5バカ」の一人、妄言者の加地伸行も同じ。
 そうだとすると、少なくとも天皇・皇后、皇太子・同妃の四名は、宮中祭祀の場所である宮中三殿で、全員で一緒に?、三殿またはいずれかの「殿」の祭神に対して「祭祀」を行う、ということなのだろうか。
 西尾幹二は、宮中祭祀とはどういうものであるのか、その際に皇太子妃はどうある「べき」かをいったい何がどのように定めているのか、正確に知っているのだろうか。明治時代、大正時代、さらには「皇太子妃」がいたとして江戸時代とそれより以前は、どうだったのか?
 不十分な理解のままであったとすれば、西尾の議論のほとんど全てが、ガラガラと崩れることになるだろう。
 --------
  ついでに。この西尾論考は、諸君!12月号の実質的には巻頭に置かれている。
 月刊雑誌・諸君!は、その後一年以内に廃刊となった。以上のような西尾論考を重視したこととその反応は、小川榮太郎が新潮45(新潮社)の廃刊の引き金を引いた程ではかりにないとしても、諸君!編集部と文藝春秋の判断に影響を与えたのではなかろうか。
 また、西尾も明記するように、<保守>派内でも異論があり、西尾幹二(や中西輝政)はその中でも少数派だっただろう。
 いずれにせよ、<保守>派内に亀裂を生んだことは間違いない。
 翌2009年8月末実施の総選挙で自民党は大敗し、政権は民主党に移る。
 西尾幹二に限らないが、<保守>派論者はいったい何をしていたのだろう。政権交替は、自民党だけの「責任」ではあるまい。
 雅子皇太子妃・皇室問題が「日本に迫る最大の危機」だと!?
 西尾幹二は、「ねごと」を書いていたのだ。他にも多数書いている(編集者はきちんと読むべし)。
 それにもかかわらず、産経新聞出版(編集者・瀬尾友子)、新潮社(同・冨澤祥郎)、筑摩書房(同・湯原法史)らは、近年にも西尾の本を出版している。こちらも、大いに不思議だ。
 ——

2445/西尾幹二批判034。

  西尾幹二「雑誌ジャーナリスムよ、衰退の根源を直視せよ」諸君!(文藝春秋)2008年12月号
 西尾はこの論考で、何やら<上から目線>で、「現在の論壇誌がかかえる問題点」を四点指摘しているようだ。p.28-p.35。
 ①政治論が「思想・政策論と政局論を混同している」。
 ②一部経済論客のようにではなく、「経済、政治、歴史を総合的に論じる」必要がある。
 ③「国際政治と国内政治を、まったく無関係のものとして論じる傾向がある」。
 ④以上は「枕」。
 本質的には「イデオロギー」、「なんらかのぬきがたい先入観」を含んでいる。経済論客には「経済価値観イデオロギー」がある。最近さかんな「保守イデオロギー」も「時流に乗る」ようなもので、「日教組流と構造が同じなのではないですか」。
 この論脈でと見られる叙述は概括しづらい。アメリカか中国かと迷っている日本人が多く「自分自身」がない、日本が中心となる「心の準備」をすべきだ、旨の叙述の後、次の文章がある。
 「イデオロギーは、自分の好むひとつの小さな現実を見て、他のすべての現実に目を閉ざそうとする怠惰な心の傾きです。
 反米も反中も、新米も親中も、みんなイデオロギーにすぎません
 そういう状態を脱して、現実—リアリティを回復するのが日本再生 への道であり、論壇誌はその過程にこそ貢献すべきなのです」。
 --------
  本当に指摘しておきたいことは別にあるが(次回とする)、以上で区切って、批判的にコメントしよう。
 第一。西尾はどういう資格があって、「雑誌ジャーナリズム」または「論壇誌」を上のように批判し、または注文をつけることができたのか。西尾自身は上のような欠点や弊害なくして執筆してきたとはいっさい書いていない。また、一方で、自分はできていないが、期待・希望するとの謙虚な?言葉もない。
 この人は2020年に<哲学・歴史・文学>の総合的把握が理想だった旨書いたが(歴史の真贋・新潮社〉、それも覚束ない人物が<経済・政治・歴史>の総合的論述が必要だと、2008年によくぞ書けたものだ。
 第二。立ち入らないが、国際情勢・国際政治について、根本的間違いをしているだろう叙述もある。
 第三。上によると、反米・親米や反中・親中は「イデオロギー」にすぎず、現実・リアリティを回復しなければならない。
 ?? 2017年には同じ人物が、福田恆存らには「反共」だけあって「反米」がなかったが、自分と「つくる会」は最初に「反米」を打ち出した、と書いたのだったが、すでに同会は発足し、運動継続中の時点の2008年の末には、このように書いていたのだ。
 「イデオロギー」の意味の理解を変えている等々、西尾幹二は釈明するのかもしれない。
 だが、要するに、この人は、執筆・発言の時期ごとに、異なる、矛盾すると指摘されても不思議でないことを、平然と執筆・発言できる人だ、と断言して、ほぼ間違いはない。
 簡単に言えば、一定の時点の西尾幹二の主張内容をそのまま信じたり、信頼したりしてはいけない、ということだ。
 第四。「現実・リアリティ」を西尾自身が全く理解できていないことは、上のあとに最後に続く、「日本に迫る最大の危機」という中見出しまである、皇室に関する文章で、明確だ。
 2008年に西尾は皇太子妃批判論を継続し、秋に『皇太子さまへの御忠言』を出版していた。その高揚の気分が残っていたのだろうか、この諸君!12月号では、「あれほど明白になっている東宮家の危機」等々と書いている。
 次の機会に回す。
 ——

2442/西尾幹二批判033。

  諸君!(文藝春秋)2009年9月号はこの月刊雑誌の最終号で、記念企画の一つとして、宮崎哲弥(司会)を含む8名の座談会が掲載されている。宮崎のほか、村田晃嗣、松本健一の名があるのも、少なくとも近年の「保守」系雑誌よりは、執筆者や読者の幅広さを感じさせられる。
 この座談会は「諸君!これだけは言っておく」と題して、種々多様な話題に及んでいるが、皇室問題にも当然に?言及がある。そして、初めて知った西尾幹二の主張または理解の仕方の部分があり、興味深い。
 --------
  四部まであるうちの<第一部・保守は何を守るべきか>の途中でアメリカが出て来た辺りから、西尾幹二は、アメリカと日本の皇室との関係の問題性を持ち出して、強調する。他の者の賛同を得ていない、彼独自の論だ。
 厳密に正確な紹介はし難しいが、おおよそつぎのような「理屈」だ。
 ①「皇室を守るのは権力なのです」。
 ②昭和天皇は「アメリカという権力を採り入れた」が、結果として「我が国は国家権力がなくなってしまったのではないか」。「権力を担っていた自民党保守政権」はかくまでに「弱体化」してしまった。
 ③「日本の国家権力がなくなっている」現在、皇室を守っている権力は何か。「それはアメリカなのではないでしょうか。だとすれば大変だぞ、というのが私の思い」。
 ④「権力が外国に移っている」。「軍事」のみならず「皇室というご存在そのものも、いまやアメリカに従属しかかっている、と考えています」。
 ⑤「東宮家が外務省に牛耳られていること」への疑問と不安を書いてきた。「対米依存心理にもっとも染まった省庁が外務省であるのは疑問の余地がない」。
 ⑥「雅子妃殿下の父君である小和田恒さん」、「この方も元外務官僚ですが、…」。
 --------
  この欄で、西尾幹二は何故、小和田恒または小和田一族をしつこく批判するのだろうか、と書いたことがあった。
 教養学部出身だが職務上も「法学」と縁が深かった東京大学卒業者に対するやっかみまたは劣等感からする憤懣は原因になっていると今でも想像している。
 しかし、その「論理的」原因が上では語られていて、なるほど、と思わせた。
 むろん、肯定的な意味で納得したのでは、全くない。
 ①日本に国家権力はなく、アメリカに移っている。→②皇室もアメリカに従属している。→③外務省は最もアメリカに従属。→④小和田氏は元外務官僚。→⑤雅子妃はその娘(かつ元外務官僚)。
 西尾幹二が雅子妃殿下の「行動と思想」を問題視したのには、このような深遠な?、連想関係があったわけだ。
 しかし、上の①〜③は西尾の「思い込み」または「幻想」だから、真面目に受け取れる筈がない。座談会でも、例えば上の②を田久保忠衛が明確に疑問視している。
 また、雅子妃の問題の原因が父親にある、と言わんがごとき叙述は(この座談会では明瞭でないが)、雅子妃の個人的自立性をすら無視するものだ。
 アメリカと日本の「国家権力」の関係には、立ち入らない。
 但し、日本の対米従属性の指摘は西尾に限らず多いものの、それ以上に、日本には「国家権力がない」、「国家権力は外国に移った」という旨まで明言するものは稀だろう。ここには、西尾の希少性と異様性がある。
 そもそも疑問に思うのは、天皇・皇室には保護する(世俗的)権力が必要だということを前提として(日本の歴史のいつからか?)、現在はアメリカだとするが、アメリカが皇室を牛耳って、あるいは「従属」させて、アメリカにはいかなる利益があるのだろうか、ということだ。
 現在の天皇は明治憲法下と違って「国政に関する権能」を有しない。当時の皇太子が天皇になっても変わりはない。まして、皇太子妃や皇后が日本の軍事・外交に関する「国政」に(アメリカに有利になるように—括弧内・後日挿入)関与できるはずがない。天皇の「国事行為」には内閣の助言と承認が必要だが、天皇ですら、そうなのだ。
 西尾幹二は、アメリカが現在もつ皇室に対する「悪意」(p.209)として、いったいどのようなことを「妄想」しているのだろうか。
 アメリカによる日本の皇室のコントロール、これはアメリカの政策的意図として、本当に存在するのか。西尾独特の「妄想」ではないか。
 これを問題視するならば、現上皇(昭和天皇の皇太子)の家庭教師をアメリカ人女性が担当したことに遡って議論しなければならないのではないか。
 皇室を通じての日本人の「精神」のアメリカ化あるいは欧米化、ということが考えられなくはない。しかし、これも全く愚かで時代錯誤的発想だ。
 皇室を媒介としなくとも、(映画や音楽等の流通もそうだが)日本人と日本社会は、相当程度にすでに欧米化しており、一部を除いて、アメリカを「許容」している、という現実がある。アメリカにとって天皇と皇室は、今以上にいかなる役割が求められているのだろうか。
 --------
  西尾幹二の論述の仕方の特徴と見られるものに、つぎがある。
 a’’/〜でないか、と疑問視または問題提起する。
 a’/上の疑問または問題設定をほぼ事実または正しいものに近いものと叙述する。
 a/疑問視または問題設定した事項を、事実または正しいものと(断定的に)みなして、論述を続ける。
 a’’→a’→a、と、叙述がいつのまにか進展する
 これがb’’→b’→b、c’’→c’→c と続いていくと、a、b、c について十分なまたは説得的な論証、理由づけが欠けているために、論理的に筋が通ったものという印象は生じず、良く言っても、ただ何やら深遠そうなことをあれこれと書いている、という印象しか受けない。
 上の座談会の発言の「論理」にも、例証はしないが、これに近いものがある。他の西尾の文章でも、きちんと読めば、私は同様のことをしばしば感じる。
 出てくる言葉・概念や文章の運びに関心を持つ「文学的」な人々は、西尾を高く評価する可能性はある。しかし、小説等の創作作品、「文芸」評論の文章でない限り、これではダメだ。社会、国内政治、国際政治の適確な「評論」にはならない。学術的な研究論文にならないことは、勿論のことだ。
 ——

2439/西尾幹二批判032。

  諸君!2008年7月号(文藝春秋)の特集の中での計56人による<われらの天皇家、かくあれかし>の文章のうち、最も明確な皇太子妃(当時)皇后位就位疑問視の見解として、先に中西輝政のそれを紹介した。→「2421/中西輝政—2008年7月の明言」。
 但し、これは表向きの文章に着目したもので、実質的には、西尾幹二のものの方がさらに「進んでいる」。
 西尾幹二は当時月刊WiLL(ワック)上に<皇太子さまへの御忠言>を連載中か連載後で、小和田家は雅子妃を「引き取れ」と明記していたのだから、皇后就位資格を疑問視していたのは当然のことだった。
 上の諸君!7月号上の文章では、末尾にこう書いていた。
 「皇太子妃殿下のご病気と治療、ご行動と思想に取り返しのつかない事態が進行するより前に、福田総理大臣閣下が皇室会議を招集し、必要にして緊急な、後顧の憂いなき方向を模索し、打開して下さることを期待してやまない」。
 ここでは、皇太子妃の皇后就位再検討必要(不適格)論を前提として、それを具体化する方策(の第一歩)を提言している。
 首相は皇室会議を招集せよ、と主張していたのだ。
 --------
  首相が皇室会議の議長であり、招集権を有することに間違いはない。
 では、西尾は、いったい何を議題とし、どういう結論を(議員の多数決で)得られることを期待していたのだろうか。
 現行法律の<皇室典範>上、皇室会議が議決できる事項、あるいはその議決が必要な事項は限定されている。
 西尾の願望は「皇太子妃殿下」の「行動と思想に取り返しのつかない事態」が進行することの阻止にある。その真意からすると、とりあえずは皇后位就位資格の否定ということになるだろう。
 しかし、これを直接に議決できる権限は皇室会議にはない。
 「皇嗣」たる皇太子が天皇に就位すれば、それに伴って皇太子妃は皇后に就位することを法律は当然のこととしていると思われる。10条は「立后」には皇室会議の議決が(形式上)必要である旨定めるが、皇太子が天皇になるときでも同妃が皇后になることができない場合がある旨や、あるとしてもその場合の要件を全く記していない。
 但し、皇太子に天皇就位資格がなくなれば、上の事態=皇后就位は発生しない。
 これに関係するのが、つぎの定めだ。
 皇室典範第3条「皇嗣に、精神若しくは身体の不知の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、…、皇位継承の順序を変えることができる」。
 この条項が定める大きなニつの要件のうち「重大な事故」に「祭祀をしないこと」は該当すると明記したのは、上の56の文書のうちの八木秀次のものだった。八木はそれ以上は明記していないが、皇嗣たる皇太子の配偶者=皇太子妃が「祭祀をしない」ときも上の規定を準用できる、従って皇位「継承の順序を変える」ことが可能だ、という含みをもっていた、と読むことができないではない。
 しかし、皇太子と皇太子妃を実質的にせよ同一視・一体視するのは、法解釈としてはほとんど不可能だ。
 西尾幹二も、上の条項に言及しない。そして、「必要にして緊急な、後顧の憂いなき方向」の模索・打開を求めるにとどめている。
 善解すれば(良いように理解すれば)、現行皇室典範上は採りうる方策は存在しないことをきちんと理解したうえで、上のようにだけ書いたのだろう。
 しかし、皇太子妃の皇后就位資格を疑問視しただけの中西に比べると、その積極性は明確だ。当時の首相に対して、皇室会議を招集して一定の方向で「模索」することを明示的に要求していたのだから。
 論理的には、法律改正案提出権を持つ内閣の長に、皇室典範改正によって雅子皇太子妃の皇后就位を不可能にすることを可能とする条項の新設を求めていた、という可能性もある。
 あるいは、現行法律は皇室会議の権限を明文がある場合に限っていない、つまり、法的効果をもつ議決以外に、「要請」あるいは「お願い」を皇太子や皇太子妃等の皇族に対して行うことができる、という法解釈を前提として、祭祀への出席をとか、さらに進んで祭祀出席がないならば皇太子・同妃は離婚を(雅子妃は小和田家が引き取れ!)とかを「お願い」すべきだ、と考えていたのだろうか。
 ————
  2008年に上のように公の雑誌上で書き、ほぼ同時期に別途『皇太子さまへの御忠言』(2008年9月、ワック)を単行本で出版した西尾幹二は、2019年の雅子妃の皇后就位時に、自己のかつての主張についていったいどうのように論及したのか?
 中西輝政について先日書いたことは当然に、西尾幹二にも当てはまる。
 何も触れないようなことは、「よほど卑劣な文章作成請負自営業者でなければ、あり得ないだろう」。
 西尾は、実際には、中西よりも<ひどい>。つまり、もっと<卑劣>だった。
 2019年の前半に、西尾は天皇または皇室関連の少なくともつぎの二つの記事を公にした。
 ①月刊WiLL2019年4月号「皇室の神格と民族の歴史」(岩田温との対談)
 ②月刊正論2019年6月号「新天皇陛下にお伝えしたいこと/回転する独楽の動かぬ心棒に」
 しかし、かつて雅子妃の「行動と思想」を自分が批判していたこと等について、いっさい、何も言及していない。後者では何と、<祝・令和>の「記念特集」に登場している。「新天皇」の后は、いったい誰なのか。
 驚くべき、恐るべき「意識」と「精神」の構造が西尾幹二にはある。
 ———
  諸君!2008年7月号に戻ると、56の文章のうち、雅子皇太子妃に対して明らかに批判的なのは、多く見積もって5〜6で一割程度だ(もっとも、56人の選定基準が明確でないので、この割合に大した意味はないかもしれない)。
 大袈裟に騒ぐ問題ではない旨書いてある数の方が多いが、そのうち西尾幹二の名を出して西尾をはっきりと批判しているのは、笠原英彦だった。
 笠原の見解全体を擁護するのではないが、西尾批判の部分を、以下に紹介しておく。p.197。
 西尾の論を「読み進むうちに、だんだんイデオロギーがにじみ出てくるのには正直いって驚いた。//
 東宮をめぐる氏の論評の根拠となる情報源は何処に。
 いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る。
 氏の論考は格調高くスタートして、しだいに『おそらく』を連発しながら思いっきり想像を膨らませ、ついにエスカレートして妃殿下を『獅子身中の虫』と呼び、結果として週刊誌の噂話の類まで権威づけてしまった。//
 そして唐突に『朝日』、『NHK』、『外務官僚』が批判的トーンで登場する。
 同志へのエールのおつもりか。
 かくして、一般読者は煙に巻かれるのである。
 西尾氏…でもイデオロギーを身にまとうと、迷走、脱線を免れない。」
 以上。
 高森明勅によると、当時西尾は雅子皇太子妃の病気は「仮病」だとテレビで発言したらしい。
 また高森は、最近のブログ上で、『御忠言』は「タイトル」だけで、中身は「確かな事実に基づかないで、不遜、不敬な言辞を連ねたもの」だった、とする。
 笠原は上で「イデオロギー」という言葉を用いている。西尾の場合は「同志」のいる「イデオロギー」はまだ綺麗すぎ、西尾幹二の「意識」・「精神構造」に全体としてあるのはおそらく、「私小説的自我」を肥大させた、この人独特の「妄想と幻想の体系」とでも称すべきものだろう。
 問題はまた、そのような西尾を<保守の論客>の一人として遇してきている一部情報媒体(とくに編集者)に見られる、「知的劣化」のひどさにもある。
 ——

2415/西尾幹二批判030。

  西尾幹二が2005年初めに、面白いことを書いていた。
 このとき、首相は小泉純一郎、「つくる会」はまだ分裂していなかった。
 同「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」諸君!2005年2月号(文藝春秋)196頁以下。
 2004年11月の講演「福田恆存の哲学」(福田没後10年記念講演)を「大幅に加筆した」ものらしい。
 2017年になって西尾が福田恆存には「反共」だけがあって「反米」がなかった、と語ったこととの関係等には今回は立ち入らない。関連部分はあるが、この2004-5年時点では、この旨の明記はいっさい存在しない。福田の晩年から西尾は福田から<離れた>、という旨は書いている。
 --------
  興味深いのは、「知識人」論だ。
 1 福田恆存の「知識人」批判を肯定的に評価し、かつ西尾自身の言葉で敷衍しているのだが、福田の「知識人」批判を、ーある論考からーこう簡単にまとめる。
 福田は、「日本の知識階級の政治的権力から外された精神主義の歪み、政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理に、弱者の宗教の見果てぬ夢と同じものを見届けました」。
 2 上も福田の引用ではなく西尾の文章だが、直後に、西尾自身の見解のごとく、つぎのように書いている。一文ごとに改行する。
 「知識人は日本の社会のなかで選ばれた民ー選民でありました。
 文士や学者は自己表現という欲望を満たす特権を与えられて来ました。
 これは大事なポイントになりますからよく聞いてください。
 自己表現とは権力欲の一面です。
 その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視に『知識人』は気がついているのか。
 実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化。
 日本の純文学意識や学者知識人の教養主義は、このような精神に毒されていなかったでしょうか。」
 3 そして、このような「知識人」の時代は「今もなおそう」だが、「完全に終わったと」福田は「告げ知らせている」ようだ、とする。
 「『知識人』の社会的関心とは要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持っていません。
 『知識人』はつねに弱者のねじくれた卑屈な復讐心理につき動かされてきています。
 そして閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてきましたし、今もなおそうです。
 もうその時代は完全に終わった、と福田氏の批判は告げ知らせているように思います。」
 4 このあと、「今の日本」について語られるが、まとめて引用したり要約的叙述を見出すのは困難だ。「保守」への言及もある長い文章から、気のつく断片を抜粋しよう。
 「ふと気がつくと、今の日本において、福田氏が指弾した知識人の自己欺瞞は、もはやすでに、知識人の自己欺瞞ではなくて、国民一般大衆の自己欺瞞となってしまいました」。
 福田が「知識人に当てはめた思考の枠は、もはや存在しません。なぜなら特権を持った知識人など今どこにも存在しないからです」。
 福田の予言は当たった。「誰もが氏と同じ現実戦略を気楽に語るようになりました。同じような保守的思想が世に溢れ、言葉だけ気やすく語って、現実を変えようとする激しい意思がない点においても、あの当時と何にも変わっておりません」。
 「昭和35年の当時、福田氏が」「嘲った進歩的知識人とは、たしかに違った世界観を今の多くの学者知識人、読書階級は言葉にしている」。しかし、「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のないこと、…ことにおいて、今日の保守的言論人の言葉もまた『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていないのであります」。
 「…、保守的言論は世を風靡しておりますが、それでいて平和、民主主義、平等、自由への安易な信仰が政治や教育を現実に歪めている程度は、福田氏の生きていた時代よりもはるかに悪化しているということが起こっている」。
 以上、p.217-p.220.
 --------
  さて、西尾幹二は福田恆存が批判した「特権を持った知識人」は「今どこにも存在しない」、と明記している。
 しかし、西尾自身の言葉として、「今の多くの学者知識人、読書階級」とか、「保守的言論人」とかを用いている。
 言葉の用い方の問題ではあるが、西尾自身が「学者知識人」、「言論人」、少なくとも<知識人の末裔>という「階層」にいることを、かりに潜在的にせよ自覚し意識していることは、明白だと思われる。
 西尾の多数の文章にみられるニーチェ的?<反大衆>性には今回も触れない。上の文章の中には、「弱者の宗教の見果てぬ夢」、「弱者のねじくれた復讐心理」という言葉はある。
 すこぶる興味深く、面白いのは、かつての?「知識人」を叙述するその内容、形容は、西尾幹二自身に、そのまま当てはまると考えられる、ということだ。以下、列挙する。なお、西尾は小泉純一郎を「狂気の宰相」と称し、安倍晋三首相も批判した(例えば、その改憲案は安倍が出したからいけないんです旨を書いた)〈反政権〉的評論家でもあった。
 ①「(日本の知識階級の)政治的権力から外された精神主義の歪み」。
 ②「政治の悪を自ら犯せない立場にある教養人の卑屈な自尊の心のなかに潜む反体制、反政府心理」。
 ③「権力欲の一面」である「その自己表現にそこはかとなく漂う自己英雄視」。
 ④「実行よりも芸術を、政治よりも文学を主張する、閉ざされた精神をつくって、大衆を見下し、政治権力にひたすら悪の烙印を押して、自らを中間に置いて純潔と見る一種の自己神聖化」。
 ⑤そのような「精神に毒され」た、「日本の純文学意識や学者知識人の教養主義」。
 ⑥「社会的関心」は「要するに日本の現状をいつもシニカルに批判することと同義であり、自らが国家を担おうとする昂然たる気概、責任感情を持ってい」ない。
 ⑦「閉ざされた自己英雄視の内部で鬱屈し、健全な一般社会に毒ある言葉を偉そうに上からまき散らしてき」ている。
 ⑧「気休めの希望の見取り図を作成して、現実を改変しようとする意思のない」点で、(今日の保守的言論人の言葉も)「『お呪い』か『呪文』めいたものであって、言葉のための言葉、その無意味さ、ナンセンスさ、無力さ、これはあの当時の進歩的知識人と何も変わっていない」。
 以上、西尾幹二自身それ自体に(も〉、きわめてよくあてはまっているのではないか。
 --------
  今回の最初に記したように、福田恆存には「反米」がなかったが、自分には「反共」に加えて「反米」もある、という2017年になって初めて?述べた旨は書かれていない。
 但し、つぎの文章は、関連性のある西尾の<時代認識>を示しているので、今後のためにメモしておく。中国も、北朝鮮もここには出てこない。p.222.
 「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけられました
 おかしくなったのは、西側諸国で革命の恐怖が去って、余裕が生じたからで、さらに一段とおかしくなったのは西側が最終的にソ連に勝利を収め、反共ではもう国家目標を維持できなくなって以来です。
 日本が毀れ始めたのは冷戦の終結以降です。」
 ——

1963/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題①。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 記録しておく価値があるだろう。上掲書の一部。p.77~。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。西尾幹二、71歳の年。
 八木秀次論というよりもむしろ、いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>にかかわって。
 一部ずつ引用。直接の引用には、明確に「」を付す。但し、原文とは異なり、読み易さを考慮して、一文ごとに改行していることがある。
 ----
・諸君!2006年5月号の八木秀次氏の私(西尾)に関する文章は「私の虚栄心をくすぐってくれた題である。これにリードがついて『執拗なイジメの数々…私〔秋月-八木のこと〕は林彪のごとく<つくる会>を去っていくしか術はなかった』と氏の行動が表現されている」。
 ・「一人の男として、会のトップに立つべき人として、足を引っ張られたとか、イジメられたとかは口が裂けても言ってはならないはずだが、全文を読み終ると、八木氏はこのリードの通り弁解めいた弱音をさらけ出し、〃ボクちゃんはイジメられたけど正しかったんだよお〃と訴えているように読める。」
 ・私(西尾)は2006年1月17日に<つくる会>の名誉会長を辞任した。
 「振り返れば、前年〔2005年-秋月〕の12月初旬、八木氏は突然、私に対して態度が大きくなり、ふてぶてしくなり、あっと驚く非礼があり、執行部の中心にいた彼が『宥和』を図ると称して執行部に反対する四人組(新田均氏、勝岡寛次氏、松浦光修氏、内田智氏の四理事)+宮崎正治・前事務局長の反乱側にひそかに寝返ったのである。
 執行部会議に名誉会長、すなわち西尾は出て来るべきではないと彼が私に面と向かって言ったのは12月25日だった。
 私は困難が発生したから乞われて執行部会議に臨時に出ていただけなのに、そういう言い方だった。
 執行部を中心とした良識派は八木氏の急激な変貌ぶりに危機感を覚え、守りを固めた。」
 ・私(西尾)は2006年1月16日の理事会で「『お前はなぜそこにいる』という意味の重ねての無礼な反乱側の挑発に腹を立て、名誉会長の称号を返上した」。
 ・「…渡りに船でもあり、辞任に不満はないが、クーデターは許せないと思った」。
 「平時に」理事会にも出ないが、大事なのでと執行部側から出席を求められ、「名誉会長の最後の義務だと思ってやりたくもない務めを果たしていた」。
 「しかし何度もいうが、会の精神を変えてしまうクーデターは許せない」。
 ・「というのは、単なるポストをめぐる争いではなく、会を教科書をつくる会ではなく、なにかまったく別の違ったものに変質させてしまう考え方をもつ人々による計画的簒奪であることが、後日少しずつ分るようになるからである。」
 ***
 ・「すでに反乱側の少数派は12月の段階で会を乗っ取ろうとし、事務局まで割って、執行部側の事務局員をイジメて追い出そうとしていた(実際に二人追い出された)。
 今思えば11月半ばから八木氏の会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会はこの早い時期に分裂していたといえる。」
 ・八木氏は先月号=2006年5月号で「悲劇の主人公を演じている」が、「六人のうち私と藤岡氏を除く三副会長、遠藤浩一、工藤美代子、福田逸の諸氏のうち工藤、福田の両氏を副会長に指名したのは八木氏その人だった」。
 「彼はその三副会長に背中を向け、電話もしない。
 六人の中で孤立したのではなく、他の五人から自分の意志で離れて『四人組+宮崎』派にすり寄ったのである。
 しかも何の説明もしなかった。
 三副会長は怒って辞表を出した。
 それでも八木氏は蛙の面に水である。
 都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常である。」
 ・言いたいことはガンガン言えばよい。「しかし彼は黙っている」。
 「語りかける率直さと気魄がない。
 それで後になって自分は置き去りにされていたとか、自分の知らない処でことが進んでいたとか繰り言をいう。
 すべてそういう調子だった。」
 ・「今考えると、サボタージュを含むすべての行動は計画的だったのかもしれない。
 しかし前記の論文では自分はイジメられて追い出されたという言い方をしている。//
 自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である。」
 <つづく-秋月>

1552/R・パイプスとL・コワコフスキが隣に立つ写真から。

 ○ 世界中で、日本に限ってとしてすら、多数の人が生まれ、そして死んでいっている。
 それぞれの死は悲しいものに違いないが、世界中の、日本に限っても、全ての各人の死を嘆き悲しむことなどできるわけがない。
 一粒の涙ずつ流したとしても、一日で足りるのだろうか。
 所縁のない人々の死をいちいち考えていては、人は生きていけない。
 遺族にとっては突然の死(事故であれ自然災害であれ)もあれば、「大往生」と呼ばれる死もあるだろう。不条理な死も、きっとあるだろう。しかし、ほとんど圧倒的な場合について、<遺族>または関係者以外の人々は、いちいち考える余裕もなく、それぞれに生きている。
 こんなことを書きたくなったのも、一枚の写真を書籍の中でたまたま見た(たぶん初めて気づいた)のがきっかけだ。
 外国の、かつまた自分には私的な関係はこれっぽっちもない人々のことながら、その死を思って、涙が出た。
 Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non - Belonger (2003)。
 このp.133に、つぎの4名が立って、十字のように向かい合って何か語っている写真がある。1974年、イギリス・オクスフォードでのようだ。右から。中の二人の表情が最もよく撮れている。
 アイザイアー・バーリン(Isaiah Berlin)、リチャード・パイプス(Richard Pipes)、レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)、イタリアの歴史学者のフランコ・ヴェンチュリ(Franco Venturi)。
 最後の人だけ名前も知らなかったが、R・パイプスの初期の研究対象と同じく19世紀のロシア、および1789年以前のヨーロッパについて主として研究したようだ。以下、() は写真のときの年齢。
 Isaiah Berlin、1909.06~1997.11、満88歳で死去 (65歳)。
 Leszek Kolakowski、1927.10~2009.07、満81歳で死去 (47歳)。あの、L・コワコフスキだ。
 Franco Venturi、1914.05~1994.12、満80歳で死去 (60歳)。
 そして、Richard Pipes、1923.07~ (51歳)。
 前回に2015年2月付のR・パイプス著の「序言」に言及したが、そのときすでに、満91歳なのだった。
 そして、自分には私的な関係は一切ない人物だが、この人もいずれは亡くなるのだと思うと(自分も勿論そうだが)、涙が出た。
 誰もがみんな、いずれ死んでいく。
 ○ リチャード・パイプスについて書かれている日本語文献は、多くない。
 二冊の詳しく長い方の、ロシア革命とその後のスターリン直前までの書物には邦訳書がない。
 『共産主義の歴史』と素直に邦訳されてよいこの人のコンパクトな書物は、<共産主義者が見た夢>という、誰か特定の共産党員の個人的思い出話とも誤解されそうな邦題が付けられた邦訳書になっている。
 下村満子・アメリカ人のソ連観(朝日文庫、1988)は1983年初頭のR・パイプスインタビュー記事を載せていて、珍しく、かつ興味深い。
 もう一つ、上の Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non - Belonger (2003)の、詳しいわけではないが、貴重な書評記事が、以下にある。
 草野徹「気になるアメリカン・ブックス/28回」諸君!2007年11月号(文藝春秋)p.243-5。
 
草野徹はR・パイプスの書名を『私は生き延びた-自主的な思想家の回想録』と訳している。
 < a Non-Belonger >の意味がむつかしいところで、最初はどの党派にも属さない、つまりは社会主義や共産主義政党から独立した(自由な)者との意味かと思ったが、のちにはだいぶ離れて、ポーランド出自のこの人は20歳のときにアメリカに帰化してもなおも<帰属意識>をもてない、祖国ではない国に生きた、という意識からする言葉かとも思った(40歳頃に社会主義ポーランドを離れたL・コワコフスキについてもある程度はそういう問題の所在を指摘しうるのではなかろうか-多くの日本人には分かりにくい)。
草野は、同僚学者たちからも際立つほどの、つまり仲間がいないか極めて乏しい=帰属先のない学者、独立した<反共産主義・反ソ連>意識の持ち主だったことを、< a Non-Belonger >性だと理解しているようだ。たぶんこれで正しいのだろう。私はほとんど読んでいないので、判断しかねる。
 ともあれ草野徹の紹介によると、R・パイプスというのは、つぎのような考えの持ち主だ。
 「共産主義一般や特にソ連に対して否定的見解」に立つ。
 「スターリニズムはレーニニズムにその兆しがある」。
 「ソ連の残虐な独裁は、スターリンの個性の結果というより、ボルシェヴィキ革命の必然的結果である」。
 60年代の大学騒擾を「嫌悪しながら見詰め、マルクス主義の方法論を用いてソ連に共感する『修正主義者』と対立」した。
 あとは、R・レーガン大統領のもとでの安全保障会議補佐官の時代のことだ。
 R・パイプスは<対ソ連強硬派>だった。この点はこの欄でも触れている。
 草野によると、R・パイプスが嫌ったのは<対ソ連融和派>(秋月)とも言うべき「西側ジャーナリズム」で、これは「①ソ連は安定していて、外部から破壊はもちろん、体制変更はできない。②そんなことを試みれば、ソ連は硬化し、核戦争につながる危険がある」との前提で共通していた、という。
 草野は最後にまとめる-R・パイプスという「圧力行使で『悪の帝国』を倒せると考えた数少ない一人、時代におもねらない自主的な思想家」が、「歴史の歯車に油を差したと言えるかもしれない」と(さらに、「日本の学者」は ? と続けるが)。
 リチャード・パイプスの書物の試訳を行ったり、また部分的にだが(まるでポーランドのふつうの哲学者か東欧の怪談お伽話の作家のごとく日本では扱われているかもしれない)L・コワコフスキの著作を邦訳したりすることの意味は十分にある、と秋月は考えている。
 またさらに、<軟弱・融和・表向き平和>論でないR・パイプスの<強硬論>は、決して過去に関することではなく、現今の北朝鮮や中国に対する外交等の政策についてもある程度は参照されてよいと思われる(日本政府に何ができるかという問題はあるが)。
 民主党政権、オバマ大統領は、ぃったいどうだったのか ? また触れてしまうが、櫻井よしこは、大局を無視して、<トランプへのケチつけ>ばかりするのはやめた方がよい。
 ○ 日本とは違う<反共産主義>の思想・雰囲気がアメリカには大勢ではないにせよ強くある、ということは、「左翼」・対ソ連<融和>派の朝日新聞・下村満子も書いていた。
 1992年のソ連解体以前の文章だが、同・上掲書、p.614は言う。
 「アメリカ人の反共精神、対ソ不信感には、非常に根強いものがあり、これはほとんどアメリカの体臭といっていいほどのものだと私は考えている」。
 こう書きつつ、レーガンの反共・対ソ強硬姿勢はきっとうまく行きそうにないとの雰囲気で朝日新聞記者らしくまとめているのだが。
 ○ しかしともかくも、日本人は、日本とアメリカ等の違いを、共産党・共産主義に対する見方についても、本当はもっと実感しなければならないのだろうと思う。
 1992年以降、イタリア共産党はなく、フランス共産党も1980年にミッテラン大統領を社会党とともに生んだ力はまるでない。
 なぜ日本には日本共産党があって600万票を獲得し、隣国には「中国共産党」があるのか。
 北朝鮮のグロテスクな現況は、マルクス-レーニン-スターリン-コミンテルンと関係がないのか ?
 レーニン・スターリン・コミンテルン-金日成・金正日・…、ではないのか ?
 この点を、なぜ日本のメディアは明確に指摘しないのか。
 スターリン以降とは区別された、<レーニン幻想・ロシア革命幻想>が日本には「左翼」にまだ強く残ることについては、また何度も述べる。 

1125/西尾幹二が「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」を語る。

 西尾幹二全集第2巻(国書刊行会、2012)に所収の「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」は2004年の福田恆存没後10年記念シンポでの講演が元になっているようで、月刊諸君!2005年2月号(文藝春秋)に発表されている。全集の二段組みで48頁もあるので(p.359-406)、本当に月刊雑誌一回に掲載されたのかと疑いたくなるような長さ・大作だ。
 内容はもちろん福田恆存に関係しているが、西尾幹二の当時の世相の見方等を示していて相当に興味深い。講演からは8年ほど経っているが、今日でもほとんど変わっていないのではないか。
 6頁め(p.364)にある「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」という節見出しが、目につく。「間接的な言論統制」には「ソフト・ファシズム」というルビが振られている。「気分左翼」も「間接的な言論統制」も、福田恆存かかつて使った語のようだ。
 なぜ目を惹いたかというと、私は「何となく左翼」という語をこの欄でも使ったことがあるし、田母神俊雄の「日本は侵略国家ではない」論文に対する政府(当時は自民党政権)や<保守>論壇の一部にすらよる冷たい仕打ちに対して<左翼ファシズム>の成立を感じ、この欄でもその旨を書いたからだ。
 「何となく左翼」(意識・自覚はしなくとも「左翼」気分のメディアや人々)による「左翼」的全体主義がかなり形成されているのは間違いないと思われる。
 メディア・世間一般ではなく、特定の学界・学問研究分野では、より牢固たる「ファシズム」、<特定のイデオロギーによる支配>がほぼ成立しているのではないかとすら思われる(日本近現代史学、社会学、教育学、憲法学等)。
 さて、西尾幹二の叙述(福田恆存ではなく西尾自身の文章)を以下に要約的に紹介しておく。
 ・昭和40年の福田恆存「知識人の政治的言動」は「現在ただいまの日本を論じているに等しい」。「今の日本を覆っているのはまさに思想以前の気分左翼、感傷派左翼、左翼リベラリズムと称するもののソフトファシズムのムード」だ。「政府、官公庁、地方自治体、NHK、朝日、毎日、日経、共同通信、民放テレビ等を覆い尽くしているもの」がある。福田恆存にいう「間接的な言論統制」だ(p.366)。
 ・「真綿で首を絞められるような怪しげなマスコミの状況に今われわれ」はいる。それは「平和というタブー」に由来し、「最初はアメリカが日本全土に懸けた呪いであり、やがて革新派が親米的政権に同じ呪いをかけて身動きできなく」なった。これが「今の日本の姿」で、「呪いは全国を覆い尽くして」いる(同上)。
 ・2004年には経済界の一部が首相に靖国参拝中止を言いだし、「共産国家の言いなりになるように資本家が圧力をかけている」。NHKは1992年頃まで「政治的撃論の可能なメディア」だったが、今や「衛生無害」の「間接的な言論統制」機関になっている。文部省はかつては「保守の牙城」だったが、いつしか「次官以下の人事配置においても日教組系に占められ、”薄められたマルクス主義”の牙城」になっている(同上)。
 ・「男女に性差はないなどという非科学的奇論、ジェンダーフリーの妄想が…官僚機構の中枢に潜りこ」み、地方自治体に指令が飛び、「あちこちの地方自治体で、同性愛者、両性具有者を基準に正常な一般市民の権利を制限する」という「椿事」が、「従順な地方自治体の役人の手で次々と条例化されて」いる。「全国的な児童生徒の学力の急速な低落は、過激な性教育と無関係だとはとうてい言えない」だろう(同上)。
 ・「官庁の中心が左翼革命勢力に占領」されるという事態を福田恆存は予言しており、福田が新聞批判を開始した頃から「日本は恐らくだんだんおかしくなり」、福田の予言の「最も不吉な告知が、今日正鵠を射て当たり始めているのではないか」(p.367)。
 以上。もう少し、次回に続けよう。 

0749/毎日新聞5/02の岩見隆夫の勇気、6/22の戦後論壇史の無謀。

 〇毎日新聞、7週間以上前だが、5/02付朝刊。OBの岩見隆夫の連載「近聞遠見」は「改めて『マッカーサー憲法』」という見出し。そして、現憲法制定過程を素描して最後にこう書く。
 「現憲法は完全にマ元帥ペースで作られた。評価はともかく、占領中の<押しつけ>であることははっきりしている」。
 毎日新聞紙上にしては(?)率直な断定で、文句はない。
 <押しつけ>との指摘に護憲論者、とくに憲法九条二項護持論者は敏感なようで、①日本国憲法は鈴木安蔵ら日本人の民間研究会の案を参考にしたとか、②九条は幣原喜重郎が提案したとか、言っている。このような主張・詮索にほとんど意味はないことを知るべきだ。上の②
とおらく将来も断定できない。①は日本人の諸種の、例えばA~Hの案の中にGHQの案と類似のものが偶々あったというだけのこと。さらには、GHQの示唆によって鈴木安蔵らが行動したらしいとの事実も明らかにされている。
 もともと、かりに<押しつけ>でなくとも、憲法に不備・状況不適合な条項があれば改正するのは当たり前のことだ。
 〇毎日新聞6/22付朝刊。
 何を思ったか、今頃になって、1面で諸君!(文藝春秋)廃刊の理由につき、「保守系雑誌に扇情的な言葉が広がり」、<基本は保守だが「反論も含め幅のある議論を」>という姿勢が風潮に抗しきれなかったのも「遠因」とされる、と推測している。
 「保守」論壇側に問題があると指摘し、「保守」が自らの首を絞めたという「逆説」を語りたいようだ。
 いったい毎日新聞の社説・論説委員の「思想」は何なのか? 記者内部の噂話・雑談程度のことを活字にしないでほしい。
 14-15面で、なんと戦後論壇の概観! 図表等を入れると、2面分活字で埋まっているわけでもない。よくぞまぁ、新聞記者というのは、大胆なことができるものだ。多少の勉強や聞きかじりで、対米関係を軸にした「戦後論壇史」を書けると考えた記者がいるのだから、驚きだ。
 その中央の図表?によると、左から「共産党、新左翼」、「進歩派(リベラル)」、「現実主義」、「保守派」、「歴史見直し派」と並んでいる。
 研究論文、専門書だとそれぞれの<定義・意味>を明記しないと無意味・無謀のはずだが、そんな期待を新聞記事に期待してはいけないのだろう。
 「現実主義」という<思潮>があるとはほとんど知らなかった。その意味も問題だが、あったとして、5つうちの一つに位置づけられるのか? そこに含まれている人々を「現実主義」で一括するのはかなり無理がありそうだ。
 東京大学法学部の現役憲法学教授・長谷部恭男は、この「現実主義」の最左端あたりに位置づけられている。はて? 五百旗頭真もこの仲間?の右の方にいるからまぁいいか。
 しかし、高坂正堯あたりから始まり、岡崎久彦、田久保忠衛も、寺島実郎佐々木毅も、坂元一哉福田和也も「現実主義」派なのだから、ほとんど無意味なグループ分けではないか、との強い印象を覚える。
 さて、では毎日新聞の社説・論説委員の「思潮」はいずれに属するのか? 朝日新聞と同じだと、図表では幅狭くなってきている「進歩派(リベラル)」に違いない。

0714/諸君!最終・6月号(文藝春秋)-徳岡孝夫、佐伯啓思、竹内洋、八木秀次、西尾幹二等々。

 諸君!6月号(文藝春秋)と月刊正論6月号(産経)を手にする。
 最終号なので先に前者を開いて巻頭を追っていると、「紳士と淑女」欄筆者は徳岡孝夫だったと明らかにされている。この人は三島由紀夫が自決した際、直前に文章(檄文)を預かった者で(これはたぶん間違いない)、かつ当時は毎日新聞の記者ではなかっただろうか。後段も記憶が正しいとかりにすると、毎日新聞と諸君!は結びつき難いので少しは驚きがある。
 好みに従い、佐伯啓思「アメリカ型改革から<桂離宮の精神>を守れ」竹内洋「革新幻想の戦後史・最終回」を読む。後者は全体が戦後<進歩的文化人>の分析・批判だった気がする。いずれ単著になるだろう。<進歩的文化人>とはもはや死語のようでもあるが、しかし、そのDNAを継承する者は学界・法曹界・官界・マスコミ等にうんざりとするほどいて、まだ<多数派>かもしれない(「進歩的」・「文化人」の理解の仕方にもよる)。
 続いて、「リベラル右派」と自称している(p.242)宮崎哲哉の司会による彼も含めて八名の座談会。仕切っている宮崎はなかなか賢いと思うが、八木秀次は宮崎からツッこまれている(p.239)ほどに発言がやや少なく、精彩を欠く。とくに、自衛隊を律令制下の「令外の官」に譬える説を紹介して、宮崎に「立憲主義」の重要性を説かれ、現状では「憲法ニヒリズム」に堕すと指摘されている辺りは(p.216-7)、八木の自説でもなく十分な言及をする時機を失っているとしても、どちらが憲法学者なのかが分からないくらいだ。
 「立憲主義」そのものは、それが欧州近代の所産だとしても、法律制定者を拘束・制約する「メタ・ルール」の存在を肯定するという意味で日本でも妥当すると見てよいだろう。問題は「憲法」=「メタ・ルール」の具体的内容、それが<日本(人)>の歴史・伝統等をふまえた適切なものかどうか、だ。
 この座談会でも西尾幹二はよく発言しているし、注意・興味を惹く内容もある。
 順番としてはもっと後で読んだが、月刊正論6月号の連載コラム欄で八木秀次は、「ある雑誌の座談会」に「違和感を持ちながら」いた、「保守」はイデオロギーではなく生活・生き方等と「言う人に限って、人を押し退けてしゃべり続ける。その姿勢が他人との協調や謙虚さを重んずる日本の良き伝統に反する」と感じたからだ、と書いている(p.44)。
 「ある雑誌の座談会」とは諸君!6月号のそれで、「人を押し退けてしゃべり続ける」人とは西尾幹二なのだろう。西尾の発言内容を全面的に支持するつもりはないが、また八木が「違和感を持」ち温和しかった(?)理由らしきものに同情するとしても、別の雑誌でこんな私憤(?)を活字にするとはいかがなものか。または、どうせ書くなら雑誌名・人物名もきちんと書くべきではないのか。さらに、「人を押し退けてしゃべり続ける」と感じるか否かは人によって異なることで、それを根拠として「保守」ではないとか「日本の良き伝統に反する」、と断じることもできないのではないか。
 西尾と八木の<個人的>確執は一読者・一国民としては全く些細なことだ。むしろ、八木は上のコラムで天皇・皇后両陛下のご成婚五〇年の記者会見でのご発言を完全にそのまま肯定的に理解しているのに対して、月刊正論6月号の方の西尾幹二「日本の分水嶺-危機に立つ保守」は(是非はともあれ)<深い>理解を示しており、天皇制度の今後のあり方に関して重要とも思われる問題提起をしている、ということの方が大切だと考えられる。但し、今回はこれ以上は触れない。
 元の諸君!6月号の座談会に戻ると、村田晃嗣が田母神俊雄(論文)を何回か<親米>すぎる・切り貼り等と批判しているのが目についた。しかし、村田の少なくとも後者の批判は厳しすぎる。田母神は長い<研究論文>を紙数の制限を受けずに書いたのではない。新聞や雑誌が全文を登載したり、結果としては自著の一部として活字になることなど想定していなかっただろう。せいぜい(かりに入選すれば)論文募集会社の何らかの会報類に掲載されることくらいを予想していたにすぎないのではないか。この欄でも既述のとおり、あの程度の字数で詳細・厳密に論じるのは不可能だ。
 田野神にとっての<不注意・不用意>は、その論文が内局のトップ・増田好平事務次官に<悪用>される可能性を考えていなかったことだろう。
 もっとも、田母神俊雄論文への反応につき昨秋に<左翼ファシズム>成立又はその怖れを指摘したことがあるが、それに向かってのもっと深く広い<策略・陰謀>が背景があるのかもしれない(よく分からない。西尾・月刊正論6月号論考はその旨を指摘している)。
 西尾幹二が座談会で、竹中平蔵と野口悠紀夫を名指しして、アメリカ帰りの親米(「新自由主義」)経済学者と批判しているのも目についた(p.223)。別の何かでは、郵政民営化議論に関して問題は財投資金だと選挙直前に正しく指摘していたと、「勇気」ある経済学者として野口悠紀夫を褒めていたからだ。
 宮崎哲哉はなかなかの人物・論者だとあらためて思う。論壇又は議論・思想状況全体を広い観点から掴んでいるように見える(例えば、p.229)。
 このあと、たぶん月刊正論の方に移った。次回に。
 諸君!についてのあれこれの賛辞(p.155-。渡辺恒雄、立花隆、井上章一まで書いている)を多少は読んで思うのだが、この雑誌はそれほど立派な<保守>系雑誌だったのだろうか。「左翼」・保阪正康が最終回まで43回も連載しているのは何故なのか。不思議だ。 

0682/小林よしのりのサピオ3/25号・わしズム2009冬号(小学館)。

 一 サピオ3/25号(小学館)の小林よしのり「天皇論・第四章」計10頁は、月刊文藝春秋2月号の保阪正康「秋篠宮が天皇になる日」の全面批判だ。少しは単純化されているのだろうが、読んでいない保阪の文章の趣旨がよくわかった。小林によると、保阪正康は「『個性』を至上とする戦後民主主義的価値観を無条件に信じ、『ゆとり教育』的な馬鹿げた価値判断で人格評価」をしている。そして、その「人格評価」からすると秋篠宮殿下の方が現皇太子殿下よりも天皇に相応しいと保阪は示唆しているようだ。
 保阪正康は相も変わらず馬鹿なことを書いていると見られる。皇太子とその弟殿下で、皇室・歴史等々に関する発言の内容が異なるのは当たり前ではないか。平板に比較しているようでは、文言実証主義?には即していても、まともな<皇室論>にはならない。
 月刊文藝春秋の最新号でも同誌編集部は「秋篠宮が天皇になる日を書いたわけ」とかを保阪正康に書かせて、原稿料を支払っている(未購入・未読)。(株)文藝春秋はやはりおかしいのではないか。
 月刊諸君!4月号(文藝春秋)の秦郁彦・西尾幹二の対談「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」には「捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか」という惹句が付いていた(表紙・目次・p.76)。
  こうした謳い文句自体、読者大衆の<下世話な興味>を煽るがごときであるし、(株)文藝春秋は田母神俊雄論文は「捨て身の問題提起」か「ただの目立ちたがり」かのいずれの立場にも(公平にも?)立っていない、ということを姑息にもこっそりと表明しているかのごときでもある。
 二 小林よしのりは、同責任編集・わしズム2009冬号(最終号)(小学館)に、「田母神論文を補強、擁護する!」も書いている(p.121~、計13頁。漫画部分はなし)。そこで批判されている人物は、順番に、秦郁彦、保阪正康、ジョン・ダワー、櫻田淳、森本敏、八木秀次、杉山隆男、石破茂、五百旗頭真、麻生太郎、浜田靖一
 ジョン・ダワーは別として、多くは日本の保守・中道派だと見られるが、「左翼」も含まれ、かつ保守・中道派であるような印象を与えている、客観的には「左翼」もいそうだ。少なくとも広義での<保守>は、田母神俊雄論文をめぐって、二つに分裂した。<戦後民主主義>を基本的なところでは疑わない「保守」もいるわけだ。麻生首相・浜田防衛相も、この問題では「左翼」と同じ立場に回った。「左翼」の<体制化>(左翼ファシズムの成立?)を意味し、何度も書くが、怖ろしい。  

0672/諸君!(文藝春秋)が廃刊。6月号(5月初旬発売)で終わり。

 (株)文藝春秋の月刊諸君!が6月号(5月初旬発売)で廃刊になることが決まったようだ。
 前回・前々回に言及した櫻田淳論考は諸君!4月号のもの。
 2月号を買って竹内洋の連載ものにあらためて興味をもち、数号を古書で買い求めた(従って文藝春秋の利益になっていない)のは諸君!だった。それ以前の諸君!は昨年初めくらいまではほぼ毎号新規購入して読んでいたが、昨年途中からどうもおかしいと思い始めた。
 記憶するかぎりでは、①「左翼」・保阪正康の連載を延々と続けさせている、②皇室問題につき<興味>を優先させる(対立を煽り立てるような)編集をしていると感じた、③文藝春秋本誌(月刊文藝春秋)もそうだが、田母神俊雄論文問題につき、完全に<傍観者>の位置に立った
 文藝春秋本誌では「左翼」・保阪正康の「秋篠宮が天皇になる日」とやらの論考が最大の売りであるかの如き編集・宣伝をしていた(そんなこともあって昨年末以降、文藝春秋本誌も購入していない)。
 諸君!は最近部数が落ちていたらしい。昨年平均は6万数千部に落ちた、という。これが多いか少ないかは判断がつきかねるが、自分自身が昨年途中から定期的購入者でなくなったのだから、同様の人が少なからずいても不思議ではない。
 西尾幹二は何かの雑誌上で、左傾化(・朝日新聞化?)する「文藝春秋」を批判・分析する文章を書いていた。
 廃刊の理由は様々あるだろうし、(株)文藝春秋の経営的判断・分析の正確な内容は分からない。
 ただ、他の「保守」系月刊誌(論壇誌)とは異なり、上記の如く、<左にもウィングを拡げようとした>ように感じられることが本来の読者層をある程度は失ったのは確かだと思われる。
 田母神俊雄論文をバッシングするか擁護するか、この雑誌と(株)文藝春秋は、明確な立場を表明できなかったのだ。また、諸君!に限っての記憶によると、「左翼」・保阪正康の論考(連載ものでなかったかもしれない)が大変よかった旨の読者投稿をあえて掲載したこともあった。そうした編集方針が部数減につながったのだとすると(その可能性は十分にある-講談社・月刊現代の廃刊の原因の一つも(こちらの場合はより明瞭な)「左傾化」だと思う)、「編集人」・内田博人の責任は少なくないだろう。「左傾化」又は「大衆迎合」化に舵を切りつつ、中西輝政、西尾幹二(あるいは4月号では長谷川三千子)あたりで巻頭を飾ってもらえば「保守」層は離れないだろうと判断していたとすれば(仮定形をとらざるをえないが)、読者を馬鹿にしていたとしか言いようがないものと思われる。
 40年続いた雑誌が休刊という名前の廃刊。保阪正康の名を見る機会が減るのは嬉しいが、竹内洋らの優れた、連載ものの論考・文章はどうなるのだろう。6月号で無理にでも終焉させるのだろうが、その点は残念なことだ。

0671/福田恆存に関する二つの連載もの(竹内洋・遠藤浩一)と再び櫻田淳。

 一 偶然なのかどうか、福田恆存に論及する連載ものが二つの雑誌で数ヶ月続いている。月刊諸君!(文藝春秋)の竹内洋「革新幻想の戦後史」(4月号は17回「『解ってたまるか!』と福田恆存」)と月刊正論(産経新聞社)の遠藤浩一「福田恆存と三島由紀夫の『戦後』」(4月号で31回)だ。
 前者の4月号も面白い。①金嬉老事件(1968)にかかわっての、中嶋嶺雄、鈴木道彦、日高六郎、中野好夫、金達寿、伊藤成彦ら(当時の)「進歩的文化人」の<右往左往>も、その一つ。
 ②朝日新聞の顕著な<傾向>を示す次の叙述も。-福田恆存が発表した論文が朝日新聞「論断時評」欄でどう扱われたか。「昭和四一年まで」は比較的多く言及されたが、昭和26年~昭和55年の間での「肯定的言及」数は福田恆存は28位で肯定的言及数でいうと中野好夫・小田実・清水幾太郎の「半分にも達していない」。一方、総言及数のうち「否定的言及」数は福田恆存の場合31%で、林健太郎(21%)、清水幾太郎(15%)を上回り、三一名中のトップ。「昭和四二年あたりから」は、福田恆存論文への言及そのものが「ほとんどなくなる」(p.234。竹内は辻村明の論考を参考にして書いている)。朝日新聞「論断時評」欄のこの偏り・政治性は、今も続いているだろう。
 なお、月刊WiLL4月号(ワック)の深澤成壽「文藝春秋/福田恆存『剽窃疑惑』の怪」(p.236~)は「左傾」?メディアの一つ・文藝春秋批判という位置づけなのか、この竹内連載中の福田恆存・清水幾太郎「剽窃」問題のとり挙げ方を批判している。そうまで目くじらを立てるほどではあるまいと感じたが、当方の読みが浅いのかもしれない。
 一方、後者(月刊正論の遠藤浩一)の4月号では、文学座の杉村春子の暴走、「女の一生」の中国迎合改作(改演)の叙述(p.269-273)が興味深い。演劇界にも戦後<進歩主義・対中贖罪意識>は蔓延したようで、「札付きの左翼劇団」だった民芸や俳優座だけでなく、政治と一線を画してきた文学座も「昭和三十代」に入ると「反安保」・「日中友好」を通じて「左翼観念主義」・「左翼便宜主義」に取り憑かれた(p.269)。
 滝沢修も日本共産党員らしき者(少なくとも70年代に「支持者」以上)だったが、どの劇団だったか、すぐには思い出せない。仲代達矢もそうした傾向の劇団を経ていたのかもしれないが(「左翼」五味川原作の「人間の条件」の主役もした)、そうした<傾き>をほとんどか全く感じられないのは(実際にも<傾き>がないのかもしれないが)好印象をもつ。
 杉村春子(1906-97)といえば、意外に知られていないかもしれないが、大江健三郎が受賞を拒否した翌年に文化勲章受章をやはり拒否した人物でもある。こじつけ理由の差異はともあれ、少なくとも拒否の点では、大江健三郎のエピゴーネン。
 二 ところで、櫻田淳は福田恆存につき、戦前の「古き良き日本」を思慕した言説主だとの前提に立っているようだ(月刊諸君!4月号p.52-53)。そうした面はあっただろうが、はたしてそう単純に福田恆存を概括してよいのだろうか。杉村に対する福田恆存の「助言」を読んでも、<昔(戦前)は良かった>を骨子とする<保守・反動>ではないことは明らかだ。
 櫻田には三島由紀夫や福田恆存の世代とは異なるんだという意識が透いて見える。それはよいとしても、-前回に記し忘れているが「戦後の実績」を「明確に肯定する」ことを前提にしてこそ「保守・右翼」言説は「拡がりを持つ」だろうとの指摘(p.53)には唖然とした。これは、「保守・右翼」言説の<左傾化>を推奨しているようなものだ。<左傾化>すれば「拡がり」を持つだろうが、もはや「保守」言説でなくなっている可能性が大だ。
 むろん、何が「戦後の実績」かという問題はある。<日本国憲法体制>あるいはGHQ史観・東京裁判史観の(基本的に)肯定的な評価までも含意させているとすれば、この人は「真正保守」どころか、「保守」だとも思われない(なお<日本国憲法体制>=1947年体制への私の疑問・批判は、同憲法無効論を前提としてはいない)。
 三 さらに前回記し忘れたことだが、産経新聞2/26「正論」欄の櫻田淳「『現在進行形の努力』と保守」の中には、一部、大きな過ちがある。すなわち、櫻田は、「定額給付金」は減税の一種だと理解し、<定額か定率か>つまり<定額減税か定率減税か>が問題だったはず、等と述べている。
 「定額給付金」は減税ではなく、所得税・住民税の非課税者(減税があっても利益にはならない人たち)にも給付される。このことは常識だと思っていたが、櫻田は理解できていない。まさに「右か左かはどうでもいい」(月刊諸君!4月号、櫻田p.55)基礎的知識レベルの問題なのだが。この人は信頼してはいけないように思える。

0670/櫻田淳は「真正保守」主義者か?等。

 〇一週間前に出した名前の小牧薫、高嶋伸欣でネット検索してみると、この二人がただの某裁判支援事務局長、名誉教授ではないことがよくわかった。逐一資料は挙げないが、れっきとした「左翼」組織員だ。日本共産党員である可能性もある。小牧薫は大江健三郎の本につき、「一定の」批判はある、と発言していたが、この「一定」(ある程度又はある側面)という表現の仕方は、日本共産党活動家に特有なものだ。あるいは、「左翼」活動家に広く使われている独特の表現方法・語彙の使い方かもしれない。
 〇産経新聞3/02の「正論」欄で、大原康男「保守派は『正念場』を迎えた」と書いている。
 政権交代が現実味を帯びており、民主党中心政権が誕生すると、①選択的夫婦別姓法案、②「戦時性的強制被害者問題解決」法案、③<定住外国人への地方参政権付与>法案、④<靖国神社に代わる国立追悼施設設置>法案などが成立する可能性がある。「保守派はこれまでにない難局に直面し、まさに正念場を迎えることになるだろう」。……
 そして大原は言う。-政治家だけではなく「民間の実力・器量も問われる」、「…党派を超えて真正保守の政と民が今まで以上に緊密かつ強力な戦線を構築することが望まれる」。
 大原に積極的に反対するつもりはないし、むしろきっとそうだろうとは思う。だがやはり、上の「真正保守」とはどういう考え方又はそれにもとづく団体・組織なのかは、不明瞭なままだろう。
 同じく産経新聞「正論」欄に登場し、「保守」派らしい月刊諸君!4月号(文藝春秋)に「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」を書いている櫻田淳は自らを「保守」主義者だと疑っていないようだが、大原のいう(いや誰が言ってもよい)「真正保守」の立場にあるのだろうか。
 櫻田によると、現在「保守」言論は「敗北」し、それは自らの「堕落」の帰結だ。櫻田は必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない「福祉価値」と「威信価値」の二つを持ち出して、昨今の「保守・右翼」言説の特徴は後者の価値への「過度の傾斜」だとし、例として(日本)核武装論を挙げる。そして、この論は「核」廃絶による平和実現を説いた昔日の「進歩・左翼」言説と「何ら質的な差を見出せない」とする(諸君!4月号p.46-48)。
 さらに注目されることには又は驚かされることには、次のようにも言う。
 「村山談話」は、「現時点では日本の国益に資する『盾』や『共感の縁』としての効果を持つに至っていると評価している」。「村山談話」を、2005.04に小泉純一郎首相はバンドン演説で「対日批判」に対する「盾」として転用し、その演説は中韓以外のアジア・アフリカ諸国との「共感の縁」としても作用した(p.48-49)。
 こうした櫻田の主張は「保守」ではないのではないか。「盾」として転用せざるを得なかった?中韓の「反日」姿勢に対する批判的・警戒的な言葉はどこにもない。
 櫻田はつぎのようにも言う。-「村山談話」発表が世界での日本の「声望」への著しい害悪を及ぼしたのならば再考・破棄を提起したいが、「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」(p.50)。
 かかる認識もまた(「保守派」としては)異様なのではないか。「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」などと暢気に言っておれる神経が理解できない。また、論理的には、<日本の「声望」への著しい害悪>があったか否かが第一次的に重要なのではなく、「村山談話」の内容そのものの適否こそをまずは問題にしなければならないのではないか。
 櫻田は「保守・右翼」知識層の言説に種々の状況判断をふまえての<政治性>を求めているようだ。かかる姿勢は、不可避的に現状追認、過度の?摩擦・軋轢の回避の方向に親和的だ。それは、どこかで誰かが、あるいは広く朝日新聞等の「左翼」も含めて主張している、対中国・対韓国(・北朝鮮)関係は<できるだけ穏便に>・<不必要に刺激しないように>という、首を出すのを恐れるかたつむりか亀のような意識・神経をもて、という主張に近いように思われる。
 櫻田によると、高坂正嶤やかつての自民党は「福祉価値」を重視し、それの着実な充足によって多くの日本人の支持を得た。戦後生まれの者が三島由紀夫や福田恆存のように戦前の「古き良き」日本を思慕するのならば、それは「共産主義」社会を夢想した「進歩・左翼」の観念論に似た趣きをもつ。この「観念論の趣きこそが」、「保守」言論の「堕落」を招いている一因だ(p.51-53)。
 紹介は面倒なのでこのくらいにしたいが、まず第一に、「必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない」とすでに上で記したが、櫻田が何やら新味を提出していると思っているらしい「福祉価値」と「威信価値」の区別は、多少の説明はあるが、また別の本か何かで書いているのかもしれないが、その意味・重大性の程度がきわめて曖昧だ。
 第二に、櫻田は「保守・右翼」言論が「進歩・左翼」のごとき「観念論の趣き」を持つと批判しているが、櫻田淳のこの論考自体が、私がこれまで読んできた「保守・右翼」言論の多くよりもはるかに「観念論」的だ。要するに、観念・言葉の<遊び>が多すぎる。日本の現実、日本をとり巻く国際情勢の現実を、この人は<リアル>に見ているのか。それよりも、「保守・右翼」言論の<方法・観点>を批判してやろうという主観的意図(これを一概に批判するわけではない)を、優先させているとしか思えない。
 このような櫻田淳は「真正保守」か?
 月刊正論4月号(産経新聞社)には潮匡人の「リベラルな俗物たち」の連載が続いている(今回の対象は、保阪正康という「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」)。櫻田が「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」というときの「リベラル」と潮匡人の「リベラル」とは意味が違っているに違いない。違っていないとすれば、櫻田淳もまた客観的には「リベラルな俗物たち」の一人である可能性がある。
 「真正保守」・「リベラル」についての自らの見解を提示していないことは承知している。ただ<保守>論壇らしきものの危うさを懸念して、以上を書きたくなった。

0665/遅れて月刊諸君!2月号(文藝春秋)の一部。

 諸君!2月号(文藝春秋)を遅れて入手。
 一 田母神俊雄論文に関する編集の仕方は、さすがに(株)文藝春秋らしい(褒めているのではない)。
 二 竹内洋「革新幻想の戦後史15/『進歩的文化人』と『保守反動』」p.272以下を併せて読むと要するに、福田恆存「平和論の進め方についての疑問」(中央公論1954.12号)は清水幾太郎の剽窃(的)だと大熊信行は論評したが、事実は逆で、清水が福田の真似をした、ということのようだ。
 京都市立旭丘中学校事件のことをほとんど知らないので、興味深い。また遡って、未購入の1月号を入手しようか。
 同事件に関連して懲戒処分を受けた「左翼」教員側は、寺島洋之助、山本正行、北小路昴(北小路敏の父)ら。最高裁判決1974.12.10で懲戒免職処分は適法視された。これら教員側を応援した「進歩的」文化人・学者は、太田嶤(東京大学)、末川博(立命館)。市教委を支持して「左翼」側を批判したのは、臼井吉見(評論家)、坂田期雄(京都大学)。
 このあと、竹内洋はじつに興味深いことを書いている。
 坂田期雄が「進歩的」京都文化人等と対立したのは「かなり勇気のいる」ことだった。そして、この事件以来、坂田は「保守反動のレッテル」を貼られ、その「禍はその弟子」に及び、「有名国立大学」に転出する話が出ていた弟子(助手)の人事が「流れて」しまい、その弟子は結局は京都の某私立大学に就職した。坂田は、自分がレッテル貼りされたことは甘受するとしても、「弟子の就職の邪魔をした」ことになり慚愧に堪えないと語っていたとか(p.269-270)。
 政治学の分野で、<保守反動>の指導教授は大学院生たちを早く又はより有利に就職させられない状況にあったことを、中西輝政がたぶんほぼ2年前のやはり諸君!の座談会で語っていた(指導教授は高坂正嶤)。坂田期雄は当時京都大学人文研究所所属で専攻は日本史だが、広く思想史や政治学の「弟子」もいたようだ。
 中西輝政や竹内洋の証言?にかかる時代はだいぶ前だが、歴史学、教育学、政治学、法学、経済学等々の社会・人文系分野では、似たようなことが現在でも程度の差はあれあるのではないか。「左翼」的=学界<体制派>でないと、就職がむつかしいか、<よい>大学等には就職できないのではないか。逆に、平均的な業績があれば、例えば日本共産党員であるということは就職や転任にとって決定的に有利な要因になるような学問分野、科目、大学や特定の学部もあるのではないか。<大学の自治>、<学問の自由>の名のもとで、世間相場よりも多くの<左翼>たちが、そして日本共産党員を含む多くの左翼<組織員>たちが、大学には(社会系・人文系学部では)今なお棲息しているのではないかと思われる。そういう者たちの圧倒的な影響のもとで、学生たちは公務員(官僚)やマスコミ社員等となるべく卒業してきたことに、あらためて瞠目しておくべきだろう。
 三 中西輝政「日本自立元年」は巻頭の計13頁ぶん。ふつうならこの中西論考を読むだけでも購入するに値しただろうが、田母神俊雄論文に関する唯一の企画である対談の一人が保阪正康だと知って買わなかったのだった。
 2007年秋には中西はすでに「政界再編」への期待を語っていたと記憶する。この論考でも、最後の部分はこうだ。
 「日本生存のためには、どうしても劇的な政界再編を経て、真の保守勢力が結集されなければならない」。次の総選挙は「その第一歩となるはず」で、「そうならなければ、日本の明日はない」(p.36)。
 「真の保守勢力」の意味や核となるべき政治家集団が必ずしも明確になってはいないと思うが、かかる主張に反対するつもりはない。
 ただ、その現実的可能性を楽観視はできないと感じる。また、「そうならなければ」という条件つきの「日本の明日はない」との表現は、そうならないことがあれば文字通り「日本の明日はない」との意味で、じつはかなり悲壮な訴えかけなのではないか。

0662/月刊諸君!3月号(文藝春秋)を一部読む。

 久しぶりに月刊諸君!3月号(文藝春秋)を買う。以下、読んだもの。順不同。
 ・西尾幹二「米国覇権と『東京裁判史観』が崩れ去るとき」
 西尾幹二は皇室論以外では、至極まともだし、視野が広く、鋭い。
 ・佐伯啓思(聞き手・片山修)「<アメリカ型=自動車文明>の終焉」
 上の西尾論考と併せて、昨今に始まったことではないが、大きな変化の時期にあることを感じる。そこから何がしかの希望も出てくる筈なのだが、本質的・基礎的なところに立ち入らないマスメディア等に冒された人々が大多数では、日本の未来は決して明るくない。
 ・山村明義「いま、神社神道が危ない」
 由々しきことだ。中国による日本占領又は日本の中国の属国化により(「天皇」制度とともに)神道・神社が否定され、物的にも神社の施設が(チベットにおけるチベット仏教のように)破壊されるという<悪夢>を空想したことがある。それよりも先に、自壊してもらっては困る。
 ・山際澄夫「宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください」
 宮崎駿が「左翼」らしいことはすでに他の何かで読んだ。この人の年齢くらいのインテリ又はインデリぶった人や芸術関係者には、新聞は朝日という人、そして単純素朴な「左翼」(・護憲主義者)が多いようだ。
 ・竹内洋「革新幻想の戦後史16/剽窃まがいは福田恆存か清水幾太郎か」
 標題の福田・清水問題は2月号を読んでいないため、やや分かりにくい。
 福田恆存は月刊・中央公論1954年12月号に「平和論の進め方についての疑問」を書いた。当時の<進歩主義>言説の「思考様式と行為様式をえぐった」もの(p.240)。これに対する批判的反応の大きさが興味深い。<論壇>がまだ成立していた時代なのだろう。
 福田論考を批判・攻撃したのは、竹内の言及によると、平野義太郎、新村猛、花田清輝、中島健蔵、佐々木甚一、(推測で)中野好夫。佐々木を除き、少なくとも氏名は知っている。また、この論考のあと、「民藝と俳優座」という二つの劇団との「交流も途絶えた」。福田恆存支持=「右翼」で、竹内ら当時の大学院生の間ではそれは「バカ」に近い意味だったとか。戦後いつまで、かかる<左翼・進歩主義>知識人・文化人の「論壇」支配は続いたのだろう。
 今日でもそうだろうが、月刊の<論壇>誌を読むような者がエラいとは限らない(私も含めて)。とくに月刊・世界(岩波)の読者であることを「インテリ」・「良心的知識人」の一つの証拠と思っているような者たちは、本当は<バカ>に違いない。
 その他は、余裕と気まぐれいかんによって読むかも(保阪正康の連載を除く)。

0619/文藝春秋本誌は「左」に立とうとして保阪正康・半藤一利・立花隆らを愛用し続ける-西尾幹二。

 一 最近の11/08に、西尾幹二が月刊諸君!(文藝春秋)12月号p.27に、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」と書いていることに触れた。
 西村幸祐責任編集・撃論ムック/猟奇的な韓国(オークラ出版2008.10)を捲っていたら、p.140で西尾幹二が上の旨をもう少し詳しく語っている。以下のごとし。
 文藝春秋(月刊)は「いよいよ怪しくなりだして」いる。この「本誌」は、「諸君!」とは別だとして距離を保とうとし、「ほんの少し左に」立とうとしている。そのため、「保阪正康、半藤一利、福田和也、立花隆といった面々を長々使い続けている」。今や明らかに「中央公論」の方へ寄っており、「知らないうちに朝日新聞の側に堕ちようとしている」。「『諸君!』とは違うんだ」と言っているうちに「朝日の側にどんどん傾いてしまっている」。
+  上で明記されている固有名詞のうち、保阪正康・半藤一利・立花隆の三人が紛れもなく「左翼」であることは私も確認している。例えば、半藤は「九条の会」賛同者、保阪は首相の靖国参拝糾弾者等々で、立花隆については論を俟たない。福田和也については、中川八洋が厳しい批判の本を出版しているようだが(所持はしていても)読んでいないこともあり(それ以上に福田の書いたものをほとんど読んでいないために)、私自身の判断・評価は留保する他はない。
 それでも、保阪正康・半藤一利に対して批判的であることは、西尾と私の間に違いはない。もっとも、文藝春秋(本誌)が叙上のようにヒドくなっているか否かは俄かには賛成しかねるが。
 「ほんの少し右」かもしれないが、月刊諸君!だって、保阪正康の文章を長々と連載している(12月号で38回め!)。月刊諸君!もまた、産経新聞以上に、「<保守>派としての<純度>」はとっくに薄れていると思われる。<保守>派論壇の力量自体が低下しているのかもしれないが。
 なお、月刊諸君!の連載のうち秀逸なのは、竹内洋「革新幻想の戦後史」だろう。完結と単行本化を期待して待ちたい。
 二 保阪正康・半藤一利に対して批判的であるのは小林よしのりも同じで、意を強くした記憶がある。
 古いサピオ(小学館)を見てみると(といってもまだ今年)、既述の可能性もあるが、小林よしのりは①3/12号で「中島岳志や保阪正康ら」を「薄らサヨク」と呼び(p.62)、②4/09号で、「保阪正康や半藤一利あたりの連中」も日本に戦争責任ありとの思い込みから逃れられない「被占領民」だとし(p.60)、③10/08号では「保阪の歴史観の異常さ」をかなり長く言及し(描写し)ている(p.55-59、この「31章」のほとんど全て)。
 これら以外に、保阪正康・半藤一利の二人は戦前の個々の軍人・政治家や個々の政策決定・戦術等の評価にかまけて<大局的>判断をしていない旨の指摘も読んだ(見た)記憶があるが、今は確認できなかった。
 保阪正康・半藤一利の二人は、戦時中のコミンテルンや中国共産党について、あるいはルーズベルト政権と「コミュニズム」との関連について、いかほどの知識と関心があるのだろうか。<敗戦>の責任者は誰かとその責任の度合いを日本国内の軍人・政治家について検討し論じているようでは、いかに個々の人物・事件や戦局の推移に詳しくとも、全体的なまともな歴史を語り得ないだろう。
 そのような保阪正康・半藤一利を(も)<愛用>しているのが文藝春秋(本誌も諸君!も)だ、と言って今回の当初の話題と結びつけておこう。

0618/公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は総選挙の最大の争点か-屋山太郎。

 一 櫻井よしこ・いまこそ国益を問う(ダイヤモンド社、2008)の本文末尾p.318は、「追記」として208.06.06に公務員制度改革基本法が国会で成立したことを書き、この「基本法の成立に関して、私は福田政権に高い評価を与えたい」と述べる。この法律の骨子は櫻井によると、①「官僚主導から政治家主導政治への立て直し」、②「縦割りの各省人事の弊害の打破」、③「キャリア制度の廃止」で(p.313)、<過去官僚>たちが成立に抵抗した、という。
 この法律の成立と着実な実施に私も反対はしない。
 だが、この法律の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準ではないだろう。
 二 屋山太郎はまるで上のようなことを書いている。
 産経新聞11/11「正論」欄の屋山太郎の文章の見出しは「公務員改革に消極的な麻生政権」。中見出しだけ挙げると「政官癒着理解しない首相」・「民主党顔負けのバラ撒き」・「無知ゆえの消費税引き上げ」の三つ。消費税問題とも絡ませて、官僚制度の刷新・無責任解消、政官利権構造の絶滅をしないと「国民は増税話に耳を傾けるわけがない。麻生氏や与謝野氏にはその自覚が全くない」と締め括っている。
 ここではとくに総選挙との関係は書かれていないが、月刊諸君!12月号(文藝春秋、2008)の屋山「目標はただひとつ。官僚支配の打破」(p.58-59)は、<任せていいのか、小沢一郎に>という特集の中の一つの論稿であり、かつまた内容的に見ても自民党(麻生政権)を批判し、民主党・小沢一郎に期待するものになっている。小沢一郎には任せられないという結論の執筆者の方が多いだけに、<保守派>(のはず)の屋山の主張はおやっと思わせる。
 要約的・断片的紹介だが、屋山はいう。・「小沢氏の行動原理は一貫している。…目標は一つ。政権交代のできる政治状況を作ること」だ。
 ・小沢は「政府委員制度の廃止と副大臣、政務官設置」に固執し、実現させた。
 ・小沢は「先の国会では公務員制度改革基本法を民主党主導で成立させた」。この法律は「明治以来の官僚内閣制にとどめをさそうというもの」だ。
 ・「二大政党による政権交代、官僚内閣制からの脱却という目標に向って小沢氏はこの二十年間、一直線に歩いてきた」。
 ・小沢は、「とにもかくにも、官僚内閣制の打破、自民党打倒の旗のもとに勢力を結集することに成功している」。「一般国民」の「期待も高まっている」。
 ・「天下分け目のこの時節に」麻生首相は奇妙なことを言っている。「麻生氏の時代になって、突如、政治は後ろ向きになった。だからこそ麻生氏は人気が上がらず選挙を打つに打てなくなった」。
 このように、小沢一郎を批判する・疑問視する部分は一つもなく(むしろ褒めることだけをして)最後に麻生首相を批判するとあっては、近い?総選挙では自民党にではなく、小沢一郎・民主党に投票しよう、と主張しているに等しい。
 ちょっと待て、と言いたい。公務員制度改革基本法の具体的実施への姿勢は<政権選択>の唯一の判断基準なのか。
 屋山は「官僚内閣制」というやや抽象度の高い概念を用いているが、かりにその実態があり弊害があるとして(そのことを一般的に否定はしない)、小沢一郎政権によって本当にそれの打破は具体的に実現されるのか。今でも<過去官僚>たちは「人事局」設置等に反対し又はその権限に制限をかけようとしている。小沢・民主党政権ならば必ずできる、と言い切れるのか。
 さらにもともと、「官僚内閣制」なるものの打破は次期選挙の、唯一の(又は最大の)争点なのか。
 三 
・「バラ撒き」政策度は、農家への「所得補償」も含めて、民主党の方がよりヒドい。一方、消費税率上げの明言はないようだ。
 ・民主党の1998年の基本政策によると「社会のあらゆる分野で男女の固定した役割分担や差別、不平等な状態の解消を促す。多様な生き方を可能にする家族法の整備、女性のからだと健康、性と生殖に関する権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の保障、性的ないやがらせや暴力を防止する諸施策、女性政策を強化するための総合的な立法措置などによって、男女共同参画社会を実現する」とある。これは多分に<(左翼)フェミニズム>の影響を受けている。こうした影響の受け方の程度は自民党よりも民主党の方が「ヒドい」だろう。

 ・上記基本政策によると、「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」ともある。
 
・民主党2007年マニフェストには、<人権擁護法案>の成立をめざす旨が、「内閣府の外局」として「中央人権委員会」を設置する等と書かれてある

 ・中国・北朝鮮に対する姿勢は、民主党の方が自民党よりも<甘い>のはよく知られているとおりだ。民主党のHPには、2007年12月の(民主党・中国共産党間の)日中「交流協議機構」第2回会議(北京)の胡錦涛・小沢を含む写真が大きく載っている(多数参加のため一人一人は小さいが)。 
 ・民主党の安全保障政策に不明なところ・問題なところのあることも周知のとおり。

 以上の他にもあるだろう。公務員制度改革基本法に対する姿勢が(かりに屋山の指摘のとおりだとしても)唯一の又は最大の争点となって総選挙が行われるべきだ、とはとても思えない。
 四 自民党を100%支持しているわけでは全くない。

 西尾幹二は月刊WiLL12月号(ワック)p.101で、自民党議員の「三分の一ぐらいは福島瑞穂と同じじゃないか」と書いている。加藤紘一・河野洋平・後藤田正純ら、民主党か社民党へ出ていけ、と言いたい者もいる(河野は今期で引退)。片山さつきも大臣をした猪口某女史も「保守主義」に関する知識はあっても「保守主義」者だとはとても思えない。だが、西尾は同頁で、「民主党に至っては九割が『福島瑞穂』化している」のではないか、とも書いている。1/3も9割も感覚的な数字だろうが、親コミュニズム・親「社会主義」(あるいは「容共」)の程度において、民主党の方が高い、つまり<より左翼>であることに間違いはないものと思われる。
 近時の防衛省(航空自衛隊)高官論文<事件>との関連でいえば、そもそもが、日本社会党委員長・村山富市が首相になり、客観的とは言い難い<自虐的>談話を発表したこと自体を問題にする必要がある。社会党を政権につかせたことの弊害が、現今にも(おそらく近い将来にも)禍根を残しているわけだ。その日本社会党の「血」を最も引いているのは社民党よりもむしろ民主党だ。
 民主党系活動家は国家・地方の公務員労組のかなりの部分を支配している。そのような公務員活動家が支持する政権が出来れば、その政権はかりに上級官僚には厳しい人事政策を採っても、一般公務員にはきっと<やさしい>政府になるだろう。
 また、日教組(部分的には日本共産党系・全教?)が支持する政党が政権を担えば、再び文科省・日教組は<癒着>し、日教組が教育行政に影響を与えそうだ。
 政党の数に限りがあるかぎり、いずれが<よりまし>か、で判断せざるを得ない。民主党が<最もまし>又は<よりマシ>とは思わない。
 また、民主党に一度やらせた方が<政党再編>が早まる、という議論があるかもしれないのだが、<政党再編>が今よりましな政党状況になる保障はないし、また<政党再編>の可能性がより高くなるという根拠も何もないのではないか。
 五 以上、屋山太郎には、もっと<大局>を見ていただきたい。岩波書店の月刊雑誌・世界12月号の表紙にはたしか、大きく「政権交代選挙へ」と書かれていた。誘導・煽動以外の何物でもないだろう。岩波や朝日新聞の主張どおりに日本が動くとロクなことはない、というのはほぼ確立した歴史的教訓なのだが…。
 なお、屋山は月刊WiLL12月号(ワック)にも似たようなことをやや穏便に書いていることに気付いたが、言及は省略する。

0615/西尾幹二の月刊諸君!12月号論稿を読む。やはりどこかおかしい。

 月刊諸君!(文藝春秋)12月号西尾幹二「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」。p.26-37でけっこう長い。
 一 「論壇」という観点等からの戦後史の理解に参考になる指摘がある。
 1.「1960年代の終わりから1970年代なかば」は「決定的分岐点」。「大学知識人」の地位は失墜した。丸山真男の力も「雲散霧消」した。p.27。
 2.1970年代以後、朝日新聞対文藝春秋の対立の構図があり、やがて朝日対産経の構図にとって代わられた。
 産経の「保守的姿勢」は純度を欠くにいたっている。また、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」。p.27。
 挿むと、なかなか興味深いが、かかる論壇の現状認識は適確なのだろうか。「右側の攻勢」が「朝日的左側」に対して実際に有効に加えられているのなら、よいのだが。
 3.論壇誌は経済に弱い。経済誌は政治に弱い。後者から出た野口悠紀夫の「一九四〇年体制論」はかつての「戦時協力体制」が支配しつづけて、日本経済の「自由主義的発展」を阻害しているとするが、「戦時体制」による「日本社会の合理化」が戦後日本経済(の成長・強さ)に関係あるのではないか。p.29-30。
 挿むと、高度経済成長の終焉後の議論としては噛み合っていないところがあるようでもある。
 4.ロッキード事件・田中角栄逮捕は、「ソ連主導の共産主義」の経済的「足踏み」の時期と重なる。1970年代半ば、日本国内の「革命幻想の嵐」は終息に向かい、自民党・社会党の「馴れ合い進行」へと移っていた。国際的なある種の「雪解けムード」が田中角栄逮捕→角栄の闇権力の残存・政権たらい回しにも反映したのでないか。p.31。
 5.1993年の細川政権誕生、その翌年の自社連立政権という「想像を絶する愚劣な政権」の誕生も、「冷戦終焉、ベルリンの壁崩壊による安堵感」という世界史的背景を見てこそ、本質がわかるだろう。p.32。
 6.いま、今日の日本の政治状況も「国際政治」の「なんらかの反映」がある筈だが、「答えることができ」ず、「ぜひ教えてもらいたい」。
 上の4.5.は興味深い。社会主義国の状況はやはり日本の国内政治と関係ではない筈だ。
 「いまの政治状況」をどう理解しどう叙述するか自体が難問だ。だが、今後の方向を考える場合には、「公務員制度改革」も「地方分権」も、<格差是正>も(「国民生活」も)大切かもしれないが、やはり「社会主義」国である中国・北朝鮮との関係にかかる見解・政策こそが最大または第一の論争点でなければならない、と私は考えている。
 相対的にだろうが、親中国派・親北朝鮮派のより多い政党への<政権交代>を主張する又は期待するのは、反コミュニズムを最大の基本理念とする「保守主義」者ではないだろう。この点で怪しい「保守」論客もいるようだが別の機会に書こう。
 二 西尾幹二は論壇における「皇室論」、又は自らの「皇室論」への論壇の反応についても触れる。p.36-37。
 二つの「皇室論」があったという。第一は、「皇太子殿下ご夫妻に、もっと多くの自由を」と説く、「ソフトで、制約がないことが望ましい」とする「平和主義的、現状維持的イデオロギー」(「自由派」)、第二は、「古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的なイデオロギー」で、皇室に「もの申す」のは「不敬の極み」などと西尾を論難した(「伝統派」)。
 そして、これらいずれも「東宮家の危機を、いっさい考慮にいれていない」、「目を閉ざしてしまう」点では「一致している」。
 こうしたまとめ方・語句の使い方には必ずしも賛同できないところがあるが、とりあえず措く。
 問題だと思うのは次の文章だ(p.37上段)。
 「私が危惧するのは、いまのような状態をつづければ、あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないかということです。雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。…皇太子殿下はなすすべもなく見守っておられるばかりなのではないか。これはだれかがお諫めしなければならない。…なら、言論人がやらなきゃいけない」。
 西尾はどうしてこうまで<焦って>いるのだろうか? よく分からない。「あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないか」との懸念が「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける」ということを根拠にしているとすれば、それは当たっていないと思われる。
 そもそもが「雅子妃」は「宮中祭祀をなさる(なさらない)」と書いて、雅子妃殿下が宮中祭祀の主体(の少なくとも一人)であるかのごとき認識をもっているようだが、これは誤りだろう。すなわち、皇太子妃は宮中祭祀の主体ではなく参加しても「同席者」・「列席者」にすぎず、「主体」はあくまで天皇陛下だと思われる。
 また、これまでの歴史においていろいろな皇太子妃や皇后がいたはずで、雅子妃と同様に(?)宮中祭祀に関心を示さない皇太子妃や皇后もいたのではなかろうか。美智子前皇太子妃・美智子皇后を基準にしてはいけない。
 さらには、確認はしないが、財政不如意のために皇位継承後の大嘗祭(新嘗祭)というきわめて重要な宮中祭祀を行えず、数年後になってそれをようやくなしえた天皇がかつて複数いたはずなのだ。
 にもかかわらず、そういう時代があっても、天皇家と天皇制度は存続し続けてきた。雅子妃の件が<皇室消滅>の原因になるとは思われない。いろいろな皇太子妃・皇后がいた、ということだけになるではないのか。
 再確認はしないが、宮中祭祀の主体は天皇陛下おん自らであり(代拝等はありうる)、皇太子妃等は<付き添い>・<見守り>役にすぎないことは、西尾よりも皇室行事・宮中祭祀に詳しいと考えられる竹田恒泰が明言していたことだ。
 竹田恒泰は(そしてついでに私も)、西尾幹二が上にいう第二の「伝統派」にあたるのだろうが、皇太子妃・皇后と宮中祭祀の関係についての竹田恒泰の文章を西尾は読んでいるはずなのに、その後も全く触れるところがない。
 「伝統派」は畏れ多いとだけ言っているのではなく、<大げさに心配するほどの問題ではない>と言っているのだ、と思う。この点でも、西尾幹二は正確に論議を把握していないか、知っていても無視しているのではないか。
 以前に、かりに本当に皇太子妃殿下が<反日・左翼分子>に囚われてしまっているのだとすると<もう遅い>、現皇太子の婚姻の前にこそ西尾は発言すべきだった、と書いたことがある。
 <もう遅い>というのは、極めて遺憾なことだがやむをえない(いろいろな皇族がいても不思議ではない)という意味であり、そのこと(皇太子妃殿下の心情や行動)と皇太子殿下(将来の天皇)のそれらとを同一視してはいけない、又は同一になるはずがない、ということを前提にしている。
 このような同一視の傾向は、再引用は省略するが、八木秀次の文章の中にも見られたところだった。
 西尾幹二の全ての仕事を否定する(消極視する)つもりはないのだが、やはり今年の西尾の皇室論はいくぶんエキセントリックだったと思われる。その意味では、今日の「雑誌ジャーナリズム」・「論壇」を奇妙なものにし、「衰退」させている一因は、西尾幹二にもあるのではないか。
 なお、現皇太子はもっぱら戦後の<空気・雰囲気>の中で生きてこられた。戦後に生まれ、戦後の「教育」を受けてこられた。昭和天皇や今上天皇と全く同じことを期待するのは酷だ。「自由派」の主張には全く反対だが、悠久の歴史を引き継ぎつつ、独自の新しい面もある天皇像が示されることとなってもやむをえないのではないか。むろんこれは宮中祭祀不要論・否定論では全くない。伝統は伝統として(神道形式も含めて)間違いなく継承されるはずだ、と信頼している。

0596/八木秀次は卑劣だ2-まっとうな「学者・研究者」なのか。

 竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)における八木秀次の西尾幹二批判は、その<仕方>も<内容>も、適切ではないところがある。
 長くは書かない。第一に、批判するためには相手の発言・執筆内容を正確に理解したうえで行う必要があるが、八木秀次は西尾幹二の主張内容を、批判しやすいように歪めているところがある。
 基本は日本語の文章、テキストの理解だ。それをいい加減にしてしまうと、どんな批判もそれらしき正当性をもっているかのごとき印象を与える。
 第二に、自分自身が発言・執筆していることとの関係で、そんな批判を西尾幹二に対してする資格が八木秀次にあるのか、と感じるところがある。
 目につく点から、以下、簡単に指摘する。
 第一に、竹田恒泰=八木秀次・皇統保守p.150の見出しは太ゴチで「『天皇制度の廃棄』を説いた『WiLL』西尾論文」となっている。そして、八木は、「西尾は『天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない』と明記しています」、西尾のように『天皇制度の廃棄に賛成する』とまで書くのは、どう考えても言いすぎです」と書いている。

 西尾幹二の言説内容を、いつのまにか天皇制度廃棄に「賛成するかもしれない」から「賛成する」に変えている。この点も無視できないが、より重要なのは次の点だ。
 月刊WiLL5月号で西尾幹二は、たしかに「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と明言しているが、この語句を含む一文の冒頭には「皇室がそうなった暁には…」との語句がある(p.43。「そうなった暁」の意味も書かれているが省略)。つまり、もし…ならば…かもしれない、というのが西尾幹二の原文に即した彼の主張・意見だ。
 上の八木において、<もし…ならば…かもしれない>は、<…だ>へ変更されている。批判相手の言説内容(テキスト)のこのような<改竄>は議論の仕方として許されるのだろうか。批判しやすいように、八木にとって都合よいように(意図的か無意識的にか)、改竄(=一種の捏造)をしているとしか思えない。

 八木秀次は「『ときすでに遅いのかもしれない』と言い、結論として皇室の『廃棄』まで言う…」と西尾の主張をまとめている(上掲p.151)。
 たしかに西尾は「ときすでに遅いのかもしれない」と最後に述べているが、掲載は月刊WiLL5月号ではなく6月号(p.77)。何が「すでに遅い」のか何となくは判るが、天皇制度廃棄との関係はさほど明瞭に述べられているわけではない。
 八木は何とかして、西尾を単純な<天皇制度廃棄>論者にしたいのではないか。西尾幹二の主張の内容に私は全面的に賛成しているわけではない。むしろ相当に批判的だ。だが、その西尾幹二の主張についての八木秀次の紹介の仕方は、あるいは前提としての理解の仕方は、ほんの少し立ち入っただけでも、正確だとは思えない。これでは議論は成立しない。これでは批判の正当性にも疑問符がついてしまう。
 第二に、八木秀次は、「『WiLL』を含めマスコミ全体で皇太子妃殿下を血祭りにあげている感じがします」(p.156)と書く。
 これはまさしく、<よくぞヌケヌケと>形容してよい文章だ。この問題についての前回(9/06)に紹介したように、八木自身が諸君!7月号(文藝春秋)誌上で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである」と明記しているのだ。「問題は深刻である。遠からぬ将来に…少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后…」という部分だけでも注目されてよい。
 八木はこれにつき「皇太子妃殿下を血祭りにあげている」のではないと反論するかもしれないが、祭祀同席に消極的だとされる皇太子妃殿下について、皇后位継承を想定しつつ、「問題は深刻である」と言い切っているのだ。「血祭りにあげている」のと五十歩百歩と言うべきだ。
 第三に、八木秀次は、西尾幹二は解決策を示していない、そして必ずしも明確ではないが、自分は「解決」策を考えている又は主張している、と言っているようだ。
 ①「われわれは『…どう解決するか』を考えるべきでしょう」(p.150)。
 ②「解決のための言論であればけっこうなのですが、西尾論文は『ときすでに遅いのかもしれない』と、すでに手遅れだという主張です。手遅れだから『天皇制度の廃棄』だと言うわけです」(p.157)。

 ③「単に批判するだけ。天皇制度を『廃棄』した方がいいというだけ」。西尾や久保紘之の「解決方法は『廃棄』だけです」(p.172)。

 すでに触れたことだが、上の②③も西尾幹二=単純な「天皇制度廃棄」論者に仕立てている。<左翼>ですら表立っては言いにくいような主張を西尾幹二はしているのだろうか。八木が理解する(理解したい)ほどには単純ではない、と私は西尾幹二の文章を読んでいる。
 それはともかく、西尾幹二は「解決」方法に(「廃棄」以外に)言及していないだろうか。
 西尾は月刊WiLL5月号で、「勤めを果たせないのなら〔小和田家が〕引き取るのが筋です」という週刊誌上の宮内庁関係者の言葉を引用して、「私も同じ考えである」と明記している(p.39-40)。この辺りの部分の見出しは「引き取るのが筋」となっている(p.39)。
 <小和田家が引き取る>とは、常識的には、皇太子妃殿下の皇室からの離脱、つまりは現皇太子殿下との離婚を意味しているのだろう(こんなこと書きたくないが……)。
 つまり、西尾は「解決」方法に触れていないわけではないのだ。たんに天皇制度「廃棄」だけを書いているのではないのだ。
 一方、八木秀次自身がもつ「解決」方法とは何か。八木はこう書く。
 「あくまで最悪の事態を想定して」、「皇位継承順位の変更や離婚の可能性も考えておくべきだ」(p.196)。
 ここで八木は「離婚の可能性」に言及しているが、上記のように、この点は西尾と何ら異ならない
 西尾幹二と異なるのは、西尾幹二は全く明示的には触れていないのに、また中西輝政も現皇太子妃殿下の「皇后位継承」適格についてのみ言及したのに対して、上に「皇位継承順位の変更」と言っているように、現皇太子の天皇位継承適格をも具体的に疑っている、ということだ。
 このように見ると、解決方法の用意のある・なしで八木と西尾を区別することはできない、と考えられる。また、八木が明記する解決方法の一つは、現皇太子殿下の天皇位継承適格を直接に問題視すること(の可能性を少なくとも肯定すること)でもある。

 西尾において廃棄に「賛成するかもしれない」との文章の内容の中には現皇太子の皇位継承否定の意味も含まれているかもしれないが、この論点について八木はむしろ明記している。
 この程度にしておく。
 八木秀次は高崎経済大学教授だという。学生のコピペのレポートを叱ることがあるかもしれない。だが、コピペ以下の西尾幹二の主張の単純化・歪曲があるなら、論文を読み、執筆するという、学者・研究者としての最低限のレベルまでも達してはいないのではなかろうか。
 竹田恒泰は八木秀次にあまり引っぱられない方がよい。

 別の回に、上の対談本に関する新田均の書評(月刊正論10月号)への感想を書く。

0592/八木秀次は不誠実、というより卑劣だ-その1。隠蔽と二枚舌と。

 一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
 上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
 上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
 二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
 その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
 まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
 まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
 結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
 後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
 三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
 だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
 一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。

0567/<皇太子妃批判者・騒ぐマスコミ等、を批判する>7名-月刊・諸君!7月号。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの計56人のうち、皇太子妃問題(?)に言及している21〔これまで20としてきたのを訂正する。外国人1名を除くと20〕の文章を、大きく5つのグループに分けて言及してきた。
 第一は、皇太子妃を責めることなく、天皇制度の解体・崩壊に言及するもので、森暢平原武史の2(<解体容認派>)。
 なお、森暢平には、同・天皇家の財布(新潮新書)という本もあり(所持していることにあとで気づいた)、それも含めて読むと、ジャーナリステッイクでクールではあるが、天皇制度の解体・崩壊を望んでいる(又はそれで構わないと容認している)論者とするのは、誤りかもしれない。
 第二に、皇太子妃(雅子妃殿下)を批判・攻撃し、制度上の何らかの提言までしているのが、中西輝政、八木秀次、そして西尾幹二の3(<制度論にまで立ち入る批判・攻撃派>)。
 第三に、現皇太子妃に対して批判的、又は皇太子・同妃ご夫妻(もしくは妃殿下との関係で皇太子)に「注文」をつけている、というようにあえて一括できそうなのは、秦郁彦、久能靖、山内昌之、ケネス・ルオフの4(<批判・注文派>)。
 第四に、<中間派>は、すなわち現況に<憂慮>を示しつつ皇太子妃(・皇太子)を批判するわけではない(少なくともその趣旨は感じ取れない)のは、大原康男、佐藤愛子、田久保忠衛、中西進、松崎敏彌の5。
 第五は、<皇太子妃批判者・騒ぐマスコミ等、を批判する>というグループで、つぎの7。そろそろ次月号が発売されそうなので、その前に片付けておく。
 ①笠原英彦(p.196-7)。すでに6/02に紹介した。次のように書く。
 1.西尾の皇室観は「実に卓越」したものだが、「読み進むうちに…正直いって驚いた」。「氏の根拠となる情報源は何処に。いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る」。西尾の論調は
「格調高くスタート」し、「おそらく」を連発し、「思いっきり想像を膨らませ」、ついに妃殿下を「獅子身中の虫」と呼んで、「噂話の類まで権威づけてしまつた」。
 2.西尾は「憂国の士であるが、過剰な心配はご無用」。「天皇といえども十人十色」。
 上の最後の言葉は、おそらく、皇后も、皇太子も、皇太子妃も「十人十色」ということを意味するだろう。
 
竹田恒泰(p.227-8)。当然にこのグループに入る。西尾幹二という固有名詞を使ってはいないが、「畏れ多くも東宮を非難するような心ない意見が飛び交うようになった。しかも、保守系の論客が火に油を注ぐような記事を書き連ねているのは誠に残念」だと、実質的に西尾を批判する(又は苦言を呈する)。そして、かりに報道内容が事実でも「その程度のことで皇室の存在が揺らぐようなことはあり得ない」と「断言」し、歴史的に見ると「平成の皇室の問題など、問題の類に入らない」、「騒ぎ立てるのではなく、静かにお見守り申し上げるのが日本国民としてのあるべき姿」ではないか、と書く。以下は五十音順。
 ③遠藤浩一。共産主義・共産党の問題から始めるのが特徴だろうか。
 次のように言う-東アジアでは中国共産党は生きのび「冷戦」構造はしぶとく今日まで継続している。「敵」の姿は見えにくくなったが、「反日」勢力は地下深く潜行しており「保守」派にまで「浸透」している。平成版「開かれた皇室」論は悪臭を放っているが、昨今の皇太子関連問題も「開かれた皇室」論の影響又は変奏だ。これの「悪質」さは、皇室解体を目的としつつもさも「皇室の将来を慮る」口調で展開されていることにある。
 最後の一文-「本質を歪めるような御為倒(おためごか)しは、厳に慎むべきである」。
 ④岡崎久彦-皇太子妃殿下の御ことは「ご病弱のため公式行事ご出席のお願いはご遠慮申し上げているといえばそれで済むことを、いちいち騒ぎすぎているように思う」。「今後とも、皇室のプライバシーは尊重するように、天皇の政治的利用は慎むように、それさえ心がけて行けば安心して見ていられる」。
 なお、岡崎は国家国民の運命がかかる一大事の際に「天皇制」を「使う」ことができればよい、とややクールな道具視とも取れる見解も述べており、また、「開かれた皇室」論には一貫して反対してきたことを強調してもいる。
 ⑤岡田直樹-「今日の皇室に対する過剰な報道や無責任な論評は常軌を逸しているようにも思う」。「とりわけ、最近、目に余るのは体調を崩した皇太子妃に追い打ちをかけるかのような報道だ」。
 最後にこうも書く-今上天皇・皇后両陛下は「平成という一時代の理想像」で、「次世代を担う皇太子ご夫妻はそのまま真似る必要もないし、多少時間はかかっても焦らずに新たなスタイルを生み出せばよい」。
 ⑥徳岡孝夫-現皇太子妃が今年も歌会始めを欠席されたのは「残念」だが、「さりとてジャーナリズムの報じる彼女の一挙手一投足を、いちいち咎める気にもなれない」。「皇室の伝統は、その一員の行動によって乱されるほど短くも浅くもない」。
 この文章は、あるいは一つ前の<中間派>に含める方が妥当かもしれない。
 ⑦渡邉恒雄-「最近、平成の皇室に対し、心無いマスコミが…、プライバシーの暴露を商品化することが多いのは、まことに遺憾」だ。「多くの興味本位の皇室報道は、その報道機関の商業的利益のためのものに過ぎない。それは汚いジャーナリズム」だ。
 なお、天皇と靖国神社の関係につき、私とは異なる考え方も渡邉は述べている。
 以上。合計21は、2、3、4、5、7、という数字分けになったが、もともと<皇太子妃問題(?)をどう考えるか>というテーマで執筆依頼されて書かれた文章ではない(「われらの天皇家、かくあれかし」が元来のテーマだ)。したがって、こうした数字には大した意味はないし、分類がむつかしいものもあることは既述のとおり。
 以上のうち、私の気分に近いのは最後のグループで、かつ、笠原英彦、竹田恒泰、遠藤浩一の3人の意見に最も近いだろう。
 いつぞや(又はこれまでに何度も)書いたように、<共産主義か反・共産主義か>、これが日本国家の現今の最大の対立点だ。親共産主義とは、親中国、親北朝鮮を意味し、そのような傾向をもつ<左翼>を意味する。皇室に関する問題も、この観点を失ってはならない、と考える。共産主義者(中国共産党を含む)・親共産主義者は<反天皇(制度)主義者>で、<天皇制度解体論者>だ。これらの者たちが喜ぶような議論をしてはいけない。同じことだが、日本が共産主義(・社会主義)国化(>中国共産党の支配下になる又は中国共産党の友党又は傀儡政党が日本国政府を構成する)することに結果として又は客観的には役立つような議論はすべきではない(「共産主義」概念には立ち入らず、中国や北朝鮮は「共産主義」国家又はその後裔であることを前提とする)。
 上に述べた点に関連して、遠藤浩一の問題意識は鋭い。<天皇(・皇室)制度>は共産主義に対する<最後の防壁>たりうる、と考えられる。逆にいうと、憲法改正によって天皇条項が削除され天皇家が普通の一家になっているような状況は、日本が「左翼」国家・親共産主義国家又は現在の中国と(反米)軍事的同盟関係を結ぶような「共産主義」国家になっていることを意味しているだろう。
 また一方、竹田恒泰も同旨のことを繰り返し述べているが、徳岡孝夫の、「皇室の伝統は、…ほど短くも浅くもない」という言葉にも、聴くべきところがある。
 月刊WiLL(ワック)は一時的には部数を増やしたかもしれないが、結果的には、近い将来、発売部数を減らすのではないか(私は毎月の購入の慣例?を止めようと思っている)。余計ながら、勝谷誠彦の文章にもいい加減飽きた。
 同誌8月号には「読者投稿大特集/主婦たちの『雅子妃問題』」などというものがある(らしい)。編集長・花田紀凱よ、何故、(女性週刊誌の如く?)「主婦たち」に限るのか!?? それこそ(あまり好みの人物ではない)渡邉恒雄すら指摘する、「興味本位の皇室報道」を基礎にした、「商業的利益のためのものに過ぎ」ず、「汚いジャーナリズム」ではないのか??

0559/八木秀次とは何者か・5-現皇太子皇位継承不適格論の主張者。

 一 八木秀次は、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」と書き、続けて、皇室典範3条の「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」という定めのうちの「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしないこと」は該当する、という法解釈を示した。
 この八木の指摘については、すでに何回か言及した。
 ここでは、あらためてその論理の杜撰さを、より詳しく述べる。
 二 1 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)で、八木はまず、こう言っている。
 皇太子「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあるという説にはそれなりに信憑性があるのは事実です…」(p.205)。
 皇太子妃殿下が数年にわたって宮中祭祀に<陪席>しておられないのは、皇太子殿下のご発言等から見て事実のようだ。また、妃殿下の心身または体調にすぐれないところがあることも事実のようだ。
 だが、上の如く、八木もまた、「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にある」とは断定的には認定していない。あくまで、「それなりに信憑性がある」とだけ自ら述べている。「それなりに信憑性がある」とは、厳密には<たぶん>・<おそらく>の類の推測・憶測であり、その程度が高い方に属する(と判断されている)場合に使われる表現だと思われる。
 2 ところが、「遠からぬ将来に……祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」という「皇室の本質に関わる問題が浮上…」と八木が書くとき、「それなりに信憑性がある」ということが、断定的事実へといつのまにか発展・転換している。「祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」との表現は、現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられるということを疑い得ない事実として前提にしている。
 ここに、八木の論理の杜撰さ・いい加減さ、あるいは論理の<飛躍>の第一点がある。
 三 以上のことは、現皇太子妃殿下に関する事柄で、皇太子殿下ご自身に関する事柄ではない。にもかかわらず、八木は、将来における「祭祀に違和感をもつ皇后」の誕生と「祭祀をしない天皇」の誕生とを何故か同一視しているようだ。
 「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生…」というふうに使い分けている、同一視していないとの反論がありうるが、これは当たっていない。
 何故なら、八木はその直後に、皇太子妃ではなく皇太子にのみ関係する、「皇位継承の順序を変えることができる」要件の解釈について語っているからだ。
 現在、皇太子殿下が皇位継承の第一順位者であることは言うまでもない。八木は現皇室典範に従って論じようとしているので―現皇室典範の有効性や合理性を疑う論者もありうるので、その場合は別の議論の仕方をする必要があるが―、現皇室典範の関係規定を引用しておく。
 皇室典範第2条第1項「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。一 皇長子 二 皇長孫 …<略>」
 皇室典範第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。…」
 1 つまり、八木はいつのまにか、皇太子妃殿下の「祭祀」への「違和感」問題を皇太子の<皇位継承適格性>問題へとを発展させている。ここには見逃すことのできない、大きくは第二の、論理の杜撰さがあり、論理の<飛躍>がある。
 「祭祀をしない」ことが、「皇位継承の順序を変えることができる」要件に該当するかを論じるためには、そもそも現皇太子が「祭祀をしない」天皇になるのかどうかを認定していなければならない筈だが、このキー・ポイントを八木は脱落させている。
 八木の頭の中を想像すると、現皇太子妃殿下は「祭祀に違和感をも」っており、「祭祀に違和感をもつ」皇后が「誕生する」という問題があり、そのことは同時に、皇太子妃殿下=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」こと、つまり「祭祀をしない天皇」の誕生につながる、というのだろう。
 だが、どう考えても、上の論理には無理がある。かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 皇太子妃ではなく皇太子殿下については、宮中祭祀に長期間列席されていないとの情報はない、と思われる。
 現皇太子が「祭祀に違和感をも」ち、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実であって初めて、皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変える」可能性の要件該当性を論じることができる筈だ。
 しかるに八木は、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実だとする根拠を何も示していない。皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられる、という100%事実だと認定されてもいないことを(自ら「それなりに信憑性がある」とだけしか述べていないことを)、根拠らしきものとして挙げているだけだ。
 ここにはきわめて重大な論理の<飛躍>がある。むろん、きわめて杜撰な思考回路が示されてもいる。
 再び書くが、かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 ことは皇位継承適格にもかかわるきわめて重大な問題だ。天皇家を、あるいは皇位というものを、大切に考えている筈の八木秀次は、なぜこんな無茶苦茶なことを言い出しているのか。現皇太子、皇位継承第一順位者、将来天皇になられる(皇位を継承される)蓋然性がきわめて高い御方に対して、きわめて失礼・非礼なのではないか。
 2 さらに厳密に考えると、宮中祭祀の少なくとも重要部分の主宰者は天皇ご自身であり、皇太子でも皇后でもない、ましてや皇太子妃でもない、とすれば、現皇太子が天皇として「祭祀をしない」か否かは、現皇太子が皇位を継承されて天皇におなりになって初めて判明することだと思われる。
 そもそも皇太子でいらっしゃる段階で「祭祀をしない天皇」になると断定することはできないし、その蓋然性・可能性を想定することも厳密にはできない。消極的な予想してもよいのかもしれないが、しかし、現皇太子は天皇になられて、宮中祭祀を立派に行われるだろう、と私は想像・推定している。現皇太子が「祭祀をしない天皇」になると、少なくともその可能性が高いと、何故、いかなる理由をもって八木は主張するのか。
 三 上のような諸点がクリアされないかぎりは、そもそも、「祭祀をしないこと」は皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変えることができる」要件の一つとしての「皇嗣に…重大な事故があるとき」に該当するかどうかを論じようとしても、全く無意味なことだ。
 にもかかわらず、八木はこの問題にもさらに踏み込んで、<該当する>と結論的判断を示してしまっている。ここに、論理の杜撰さ、<飛躍>の大きな第三点がある。
 相当にヒドい論理の<飛躍>だ。
 上記のように、①宮中祭祀にとって天皇こそが本質的・不可欠で、皇太子といえども<付き添い>者・<陪席>者であるにとどまるとすれば-但し、たぶん失礼な言葉になるが、実質的には将来に備えての<勉強>・<見習い>という要素が皇太子についてはあるものと思われる-「皇嗣」(皇室典範3条)の段階ではまだ「祭祀をしない」天皇になられるか否かは分からないのだ。
 ②「祭祀をしない」天皇になられるだろうとの予測をかりに関係者(とくに皇室会議構成員)ほぼ全員がもつようになってはじめて、ギリギリ皇室典範3条の問題になりそうに見えるが、現状はそのような状況にはない。皇太子殿下は、現況において、宮中祭祀を<欠席>されていることは基本的にはないはずだ。
 ③反復になるが、皇太子妃(将来の皇后予定者)が「祭祀に違和感をもつ」か否かは、皇太子=皇嗣の宮中祭祀への対応の問題とは別の問題だ。この二つを八木は何とか、レトリック又は<雰囲気>で結びつけようとしている(そこで論理の杜撰さが露わになり、論理の<飛躍>を必要とするに至っている)。
 宮中祭祀が基本的には天皇ご一身の行為であるかぎり、現皇太子=将来の天皇の祭祀行為への積極的対応と、皇太子が現皇太子妃=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)こととは、何ら矛盾しない。
 竹田恒泰いわく-皇太子妃殿下が皇后になられたときにまだご病気であれば、「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 西尾幹二、中西輝政とともに八木秀次は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
 皇室に入ってきた<獅子身中の虫>=<左翼>を排除するため、という正義感に燃えて、八木は今回冒頭に引用のことを書いたのかもしれない。しかし、主観的善意が適切な具体的主張につながる保障はむろん全くない。
 八木秀次が、皇太子妃の現状を批判的に問題にし、それを飛躍・発展させて現皇太子の皇位継承適格性を否定することまで明言したことは、皇室に関する混乱が発生し拡大することを喜ぶ<天皇制度解体論者>をほくそ笑ましただろう。そのかぎりで、八木は<保守的「左翼」>とも、<底の浅い保守>とも評されうる。そのくらいのインパクトのある文章を月刊・諸君!7月号に書いてしまった、という自覚・反省の気持ちが八木にあるのかどうか。

0552/「われらの天皇家、かくあれかし」-<批判・注文>派4と<中間>派5。

  月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの計56人の文章のうち、現皇太子妃(雅子妃殿下)の現況についての何らかの言及のある文章は―区別がむつかしいものもあるが―20。6/13に続いて、その内訳を瞥見する。
 2 現皇太子妃(雅子妃殿下)に対して批判的、又は皇太子・同妃ご夫妻(もしくは妃殿下との関係で皇太子)に「注文」をつけている、というようにあえて一括できそうなのは、次の4名だ(当然に、区別・分類はむつかしいものであることを繰り返しておく)。
 ①秦郁彦-「雅子妃が…美智子皇后に代わって『国母』としての」役割を果たしうるか。「お病気ならしかたがない。回復を待つしかない」という「国民の思いやりも、そろそろ限界に達しそうな気がしている」(p.243)。
 ②久能靖-雅子妃をかばう皇太子も宮中祭祀の重要性を認識しているはずで、「皇室は祈り」との美智子皇后の言葉を「重く受け止めて欲しい」(p.204)。
 なお、この久能靖は「皇室ジャーナリスト」だが、「ジャーナリスト」は比較的に皇太子等の皇族に対して<対等>の物言いをする傾向にあるのを感じた。
 例えば、皇太子妃(問題?)にとくに言及している中に含めていないが、「ジャーナリスト」との肩書きの奥野修司は、近年「戦後の民主化を象徴した筈の『開かれた皇室』が、急速に『閉ざされた皇室』に変質しはじめた」と書いている。「開かれた皇室」論を微塵も疑っていないようなのは興味深い。また、奥野の「天皇ファミリーは裸のまま、危機にさらされている」(p.194)という<客観的>な表現の仕方も、天皇家を取材(・ジャーナリズム)の対象としてしか見ていない心性を感じさせる。
 ③山内昌之-今上天皇・皇后は「『祈り』の姿勢」をもち、敬愛されている。「皇太子御夫妻」は「この『祈り』の意味と無私の価値」を「継承して欲しい」(p.265)。
 これらの②と③は、とくに③は、<批判的>ニュアンスの少ない、むしろ「期待」を示すものとして、次の<中間派>にも分類できそうだが、何らかの<不満>があるからこそこれらのような「期待」又は「注文」の文章ができている、とも読める。
 外国人の文章を取り上げる意味は疑問なしとしないが、④ケネス・ルオフ-皇太子ご夫妻にはまだ「明確な象徴性がない」。「社会的に有意義なお仕事…に努力を注ぐ道を決心なさるべきだろう」。
 以上の4名は皇太子妃(・皇太子ご夫妻)に批判的だとしても、離婚・皇后位不適格・(皇太子の)皇位継承疑問視、といった議論と結びつけているわけではない。この点で、先に記した中西輝政・八木秀次・西尾幹二のグループとは全く異なっている。
 3 <中間派>とかりに呼んでおくが、現況に<憂慮>を示しつつ皇太子妃(・皇太子)を批判するわけではない(少なくともその趣旨は感じ取れない)人々が5名いる。五十音順に記す。
 ①大原康男-「皇太子妃雅子殿下のご病気とそれに伴って聞こえてくる大内山のざわめきも気がかり」だ(p.189)。
 大原の「気がかり」のあと二つは、皇位継承者(おそらくは悠仁親王以降の)問題と(天皇の)靖国神社ご親拝問題。なお、「大内山のざわめき」という「ざわめき」という言葉に、<騒いでいる>者たちへの批判的なニュアンスを感じ取ることが不可能ではない。その点を強調すると、次の<批判者を批判する>グループに入れてもよいことになろう。
 ②佐藤愛子-皇太子妃問題は「誰が悪いのでもない。時代の変化のゆえの悲劇」だ。「時代の波に揉まれておられる」天皇陛下を「おいたわしく思う」。
 ③田久保忠衛。「雅子妃に環境を合わせるか、…現状を続けるのか、環境と御本人を分離するかのいずれかしか対処方法はない」と書いて、抽象的にせよ制度論・方法論に踏み込んでいるようである点は、西尾幹二らと共通性がある。しかし、皇太子妃に対する批判的な心情は殆ど感じられず、上の文につづけて、「胸が痛む。ましてや天皇、皇后陛下の御心痛はいかばかりか」と書く。
 また、天皇・皇后両陛下と皇太子・同妃一家に<亀裂あり>旨の宮内庁長官発言やその報道ぶりに関して、「世界に例のない日本の皇室に反対する向きはさぞかし喜んでいるだろう。『天皇制打倒』などと叫ぶ必要もなくなるから」と書き、さらに、「スキャンダルを暴くマスコミの集中攻撃」に触れて、「国の中心を寄ってたかってつぶすのか」とも記す。
 これらの後者の部分は西尾幹二らとはむしろ正反対の立場のようでもあり、むしろ次の<批判者を批判する>立場のようにも解釈できる。
 というように分類し難いところがあるが、両方を折衷して無理やり<中間派>としておく。
 ④中西進-「週刊誌の広告」に「心が痛む」。皇太子妃の夢が実現できないのは、「国民および皇室関係者が、…あいまいな皇室観の中で八方塞がりになっている」からだ(p.236、p.238)。
 ⑤松崎敏彌-「雅子さまには、一日も早く、ご体調を回復していただき、お元気な笑顔を再び見せていただきたい」(p.255)。
 4 以上。あと残りは6人。この人たちは<批判者(マスコミを含む)を批判する>というグループとして一括できると思っている。別の回に。

0547/原武史-元日経新聞記者、学者らしくない論理の杜撰さ・単純さ+反天皇感情。

 一 再び、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの諸文章について。計56人の文章を全て読み終えた。その際に、現皇太子妃(雅子)妃殿下の現況についての何らかの言及のある文章の数を調べてみたが―区別がむつかしい場合もあったが―20だった(56人の36%)。
 56人の中には外国人2人を含み、またこの56人(又は外国人を除くと54人)でもって現在の日本人の天皇・皇室論や<皇太子妃問題>(なるものがあるとして)についての見方の平均的なところを把握できるかというと、その保障はないだろう。ただし、諸君!(文藝春秋)という雑誌はどちらかというと<保守系>のはずで、文章執筆の依頼もどちらかというと<保守系>の人物に対してなされたのだろう、と言えるものとは思われる(むろん半藤一利保阪正康がしばしば登場するなどの例外はある。7月号についても同様)。
 二 さて、20の中には、皇太子妃問題を想定して、皇太子妃を責めることなく、天皇制度の解体・崩壊に言及するものが2つあった。執筆者は、森暢平原武史
 森暢平は皇太子妃の療養以後皇室は大きく変質したがじつはもっと前から変質していたのだとし、「皇室は国民の規範」たることが困難になり、「象徴天皇制の終焉」がすでにあった、とする。そのことの要因は「メディア環境の変化」でもあり、「現在の在り方を根本的に考え直さないと、ある時、一気に瓦解する可能性さえ秘めている」、と書く。
 上の最後の文は天皇制度の将来を心配しているようでもあるが、天皇・皇室についてのジャーナリステイックな書き方、「サブカル化する平成皇室」というタイトルからして、天皇・皇室制度を貴重なものとして断固守ろうというという気分の現れではないように思われる(誤っていれば、ご容赦を)。
 三 一方、原武史天皇・皇室に対する<悪意>があることは明らかだ。もともと朝日新聞社や岩波書店から本を出すこと自体、この両者は他社とは違って<思想チェック>をしているので原武史の「思想」的又は「政治」的立場はほぼ明らかだが、原武史・昭和天皇(岩波新書、2008)のp.12にはさっそくこんな文章がある。-「天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれた『三種の神器』を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次だった」。米軍による日本本土攻撃が予想された時期に「三種の神器」を自らのすぐ側に置こうとされたようだが、それを「国民の生命を救うことは二の次だった」と解釈するところには、原武史の、(昭和)天皇に対する<悪意>・<害意>を感じることができる。
 1 「宮中祭祀の見直しを」と題する諸君!7月号上の原の文章はヒドいものだ。この人は日本経済新聞記者の時代があったようで、ジャーナリステイックな、<面白い>・<話題をまき起こす>文章を書けても、研究者・学者らしい文章を書く力は充分には持っていないように見える。奇妙な点を列挙してみる。
 ①農耕儀礼と結びついた祭祀=「瑞穂の国」のイデオロギーは、日本の都市化・農業人口の減少(1970年で20%を切った)によって「社会的基盤」を失った(p.244)。
 何故このようなことが言えるのか、何故「社会的基盤」を失ったと言えるのか、さっばり分からない。余りに単純な発想をしてもらっては困る。専門家ではないので正確には書けないが、A狩猟民族に対する農耕民族の違いや特性が今なお論じられることがあるが、かりに食糧自給率の低さが問題になるほどに農業の衰弱が現在あるのだとしても、弥生時代以降、農業=主として稲作によってこそ日本人は「生き」、「生活」でき、そして社会と国家を形成したのだとすれば、そのような日本人と日本「国家」の成り立ちにかかわる記憶を将来に永続的に伝えていくためにも、祭祀の意味はある(それが「伝統」の維持というものだ)。
 また、B現代では農業が主産業ではなくなっていても、今日的な諸産業、あるいは社会にかかわる「人間の仕事」のすべてを代表するものとして「農耕」を理解し、「農耕儀礼」を通じて、自然の恵み(「運」も含めればどんな産業にだって「自然」又は「偶然」・「宿命」を逃れられないだろう)を祈り、収穫=成果の多大なことを祈り願う、ということはなお充分に意味があるものと思われる。
 ともあれ、まるで他説を一切許さないような単純な決めつけをしてもらっては困る。
 ②皇居(お濠)の「内側」=「農耕儀礼」、「外側」=都市化のギャップが大きくなっている。解決方法は、「内側」を「外側」に合わせるか、「外側」を「内側」に合わせるしかない。どちらもしなければ、「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」(p.245)。
 「いずれ重大な局面が訪れることになるに違いない」とは天皇(制度)を心配しての言葉でもあるかもしれないが、突き放した、そうなっても=天皇制度が解体・廃絶しても(自分は)構わない、という意見表明である可能性もある。
 その前に書かれていることも、大学教授とは思えないほどに論理が杜撰だし、天皇(家)の研究者にしては天皇制度の歴史的・伝統的意味を意識的に無視している。
 すなわち、「内側」と「外側」を合わせる必要はない、というもう一つの選択があることが分かっているのに、それに言及していない。「内側」を「外側」に合わせる議論は、国家・国民のための祭祀行為を行っている天皇とそれを支える天皇家を、<ふつうの一般的家庭(の特殊なもの)>にしてしまうものだ。<「瑞穂の国」のイデオロギー>なるものの射程範囲はよく分からないが、それはそれで維持すればよいし、宮中祭祀の中に<「瑞穂の国」のイデオロギー>では説明がつかないものも現にある筈なので、「新たなイデオロギーを構築する必要」もない。
 またそもそも、「内側」と「外側」のギャップが大きくなったことを自然の、不可避的な現象の如く理解しているようだが、例えば「内側」の祭祀行為を天皇家の<私事>扱いして学校教育できちんと教えない、マスメディアもきちんと報道・説明しない、といった、原武史も育ってきた<教育・社会環境>にも重大な一因がある、と思われる。こうした面には、原は全く言及していない。
 2 週刊朝日2007年3/09号を読んでいないので、同じ諸君!7月号上の八木秀次の文章から借りるが、上に述べている「内側」と「外側」の矛盾が皇太子妃の心身に影響を与えていると理解しているようであり、具体的にはA「神武天皇は本当に実在したと考えられるか」、B「天照大神の存在を理屈抜きで受け入れられるか」等、皇太子妃には簡単には受け入れられない→「信じ」られなければ「祈り」もできない(=宮中祭祀への違和感)、ということから、→適応障害→治すために宮中祭祀の簡略化又は廃止、という主張を原はしているようだ(p.261)。
 他にもあるのだろうが、上のAとBくらいならば、何故「信じる」ことができないのかが、よく分からない。日本書記等の記述が全て事実を正しく描写しているとは思えないが、時期はともかくとしても、「神武天皇」とのちに称されたリーダー(+祭祀主?)が「東遷」して大和盆地で大和朝廷の基礎を築いた程度のことは、充分にありえたことだ。また、卑弥呼=天照大神説もあるように、神武天皇に先だって、天照大神とのちに称される日巫女(ひみこ)が祭祀上の中心になってより小さな地域を「国」としてまとめていた、という可能性を完全に否定することはできない。
 おそらくは、妃殿下の内心の推定というかたちをとりつつ、上のAとBは、原武史自身がもつ疑問なのだろう。日本の戦後の日本「神話」教育の欠如は、ついに原武史という大学教授が神武天皇・天照大神の存在を完全に否定する(存在を信じることができないとする)ところまで行き着いた、ということだろう。記載のすべてが真実ではないにせよ、すべてが天武朝を正当化するために作られた虚像=ウソと理解する必要はなく、何らかの史実を反映をしている部分が十分にあり、またウソの場合ではなぜそういうウソが書かれたのかも研究されてよい、というのは今日の日本古代史研究の常識なのではないか。
 3 原武史はそもそも、世襲天皇制度という<非合理>なものを気味悪く思い拒否感を持っているにすぎないのかもしれない。善解すれば、<非合理>なもの(祭祀=農耕儀礼を含む)を捨てて、「新しいイデオロギー」を構築して再出発を、という主張なのだろうが、これはやはり実質的には<天皇制度解体論>だ。朝日選書(『大正天皇』)、岩波新書(『昭和天皇』)、週刊朝日、そして最近の月刊現代(講談社)…、なるほど、この人は明瞭な<左翼>出版社とともに活動している。

0544/天皇・皇室を大切にする<保守>の八木秀次に尋ねてみたい。

 一 産経新聞「正論」欄6/05八木秀次「宮中祭祀廃止論に反駁する」は基本的趣旨に反対ではないし、月刊・諸君!7月号でも奇妙な言説を吐いている原武史については、別に批判的コメントを書く。
 但し、八木秀次の主張はどの程度の正確な理解をもって、厳密な言葉遣いでなされているのか、疑問とする余地がある。
 他の本や雑誌原稿と同様かもしれないが、八木は、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」と書く。「宮中祭祀」をしない「皇室」は「皇室」でなくなる、という具合に。
 だが、そうなのか(天皇と皇室は同じではない)。また、「皇室」という語によってどこまでの皇族を指しているつもりなのか。この後者の点は明確にしていただかないと、趣旨が正確には伝わらないと思われる。
 どうやら、「皇室」の中に皇太子・皇太子妃を含めていることは明らかなようだ。では、秋篠宮と同妃は「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」に含めているのか。また、成人して未婚の場合の眞子・佳子各内親王は「皇室」に入るのか。さらに、常陸宮と同妃の問題もあるが、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃や成人後に未婚の場合の彬子・瑤子各女王は含められているのかどうか。
 二 皇室典範に「皇室」という言葉はないが、「皇族」という概念はあり、その範囲が決められている。皇室典範5条によると「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王」が「皇族」と定められている(皇太子は親王のうちのお一人、皇太子妃は親王妃のうちのお一人だと考えられる)。
 天皇とこのような「皇族」を合わせたものが「皇室」なのだとすると、かつ八木秀次が「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」として「宮中祭祀」に「皇室」(「皇族」)全員の列席を求めているのだとすると(少なくとも「宮中祭祀」に違和感を持ってもらっては困ると考えているのだとすると-以下同じ)、常陸宮・同妃(華子妃殿下)、秋篠宮同妃(紀子妃殿下)はもちろん、寛仁親王(ヒゲ殿下)・同妃はもちろん成人後の(婚姻するまでの)眞子・佳子各内親王、彬子・瑤子各女王までもが「宮中祭祀」の参加・列席を求められていることになる(なお、<成人後>と限定しているのは、幼児時代にまで求められはしないだろうという常識的発想からする、私の勝手な推測にすぎない)。
 はたして今日の実際の宮中祭祀に、これらの人びとは(皇太子妃を除いて?)参加・列席されているのか?
 特定皇族の「宮中祭祀への違和感」を八木秀次は憂慮し(かつ批判?)しているようだが、その「皇族」又は「皇室」の範囲を明確にし、かつ彼が問題にしている人物以外の方々は宮中祭祀に参加・列席しているのかくらいはきちんと調べたうえで議論してほしいものだ。
 三 皇室典範による「皇族」の範囲の定め方とは別に、「内廷皇族」と「内廷外皇族」という区別もある。
 皇室経済法4条1項によると、「内廷費は、天皇並びに皇后、、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする」。

 この規定は「内廷費」に関する定めだが、ここに列挙されている、いわば天皇陛下の直系の家族が<内廷皇族>だ(妃を含み、婚姻した旧内親王や皇太子以外の旧親王は含まないものと思われる)。
 一方、条文は省略するが、「内廷費」ではなく「皇族費」が支出されている皇族を<内廷外皇族>という。<宮家皇族>とも言うらしい(園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007等々)。誤っていれば失礼だが、婚姻して独立の宮家を立てられた秋篠宮と同妃・お子さまたちは、上の条文の内容からすると<内廷外皇族>に当たるものと考えられる。皇族がいらしゃる場合の秩父宮家・高松宮家・三笠宮家の人びとの場合は勿論こちらになる。
 さて、八木秀次が「皇室」というとき、<内廷皇族>のみを指しているのかどうか。もしそうならば、その旨を明記しておくべきだろう。そして老齢で病気の可能性もある太皇太后、皇太后やまだ幼年である場合の「皇太孫」や「内廷にあるその他の皇族」に対しても、、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という理由で宮中祭祀への参加・列席を求める趣旨なのかどうかを知りたいものだ。
 四 八木秀次は月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の文章の最後に皇室典範三条を持ち出して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」、という<法解釈>を早々と示した(p.262)。
 皇室典範3条は次のとおり。-「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
 この規定は明らかに「皇嗣」に関する定めだ。そして(言葉からして容易に判るが)「皇嗣」の意味に関する規定に次のものがある。
 皇室典範8条皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」
 この定めでも明確なように、現在において「皇嗣」とは皇太子殿下お一人であり、同妃は「皇嗣」では全くない。
 しかるに何故、八木秀次は「皇嗣」に関する上の条文に言及して、「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当たるだろう」と書き記したのか?
 何らかの誤解をしているか、皇太子妃殿下ではなく現在の「皇嗣」=皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」ことを想定して、上のような<法解釈>論を展開しているとしか考えられない。
 ではいっいたどこに(妃殿下ではなく)皇太子が将来において「祭祀をしない」こととなる兆候がある、というのだろうか。また同じことだが、皇太子殿下は「宮中祭祀への違和感」をお持ちになっているのだろうか。そう推測(憶測)しているのだとすれば、その根拠はいったい何か。
 上に述べたことの充分な根拠もなく、「重大な事故があるとき」に該当するものとして「皇位継承の順序を変えること」まで八木秀次は提案している。これはじつに<怖ろしい>ことだ。一介の一国民が「皇嗣」たる皇太子殿下について「祭祀をしない」ことは「重大な事故」に「当た」るので、「皇位継承の順序を変えること」ができるのですよ、と言っているのだ。おそらくは充分な根拠もなく「皇位継承」の順序についてまで口を出しているのだ。
 以上。述べたかったことは基本的には二点。第一、八木秀次は平均的国民よりも天皇・皇室制度について詳しいはずだが(天皇(制度)について八木は前回触れた中西輝政との対談本・保守は何をすべきか(PHP、2008)でも何度も触れている)、「宮中祭祀は皇室の存在理由そのものだ」という場合の「皇室」の意味・範囲が明らかにされていない。
 第二、八木秀次は皇太子=皇太子妃という(学者、いや普通人でもしないような)混同をしているのではないか、そうとでも考えないと、今の時期に「祭祀をしない」ことによる「皇位継承の順序」変更の(少なくとも可能性の)主張をできるはずがない。
 かつまた、このような主張は非礼であり、少なくとも時期的に早まりすぎている。
 これらは、研究者・学者という一面ももつ八木秀次ならば容易に(論理的にも概念的にも)理解できる筈だ。単純な活動家・運動家に堕していないかぎりは。
 今回に書いたことを含めても、書いている趣旨の不明瞭な、かつ天皇・皇室にかかわる正確な知識がないと見られる八木秀次は<保守>のリーダーには(リーダーの一人にも)絶対になれない、ということは明瞭だ。傲慢にならない方がよい、と感じる。

0530/西尾幹二は皇室典範等のどの法律・どの条項に基づく「皇室会議」を指しているのか。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の<われらの天皇家、かくあれかし>特集で、西尾幹二は、皇室典範(という法律)29条が内閣総理大臣を「皇室会議」の議長と定めているので、福田康夫現内閣総理大臣に対して、質問・要請する、というスタイルで文章を綴っている。最初の質問・要請事項は、皇太子妃のご病気・宮中祭祀へのご欠席等は「国家」問題・「国家レベルで解決されるべき政治問題」だと思うが、閣下(福田首相)は「そのような認識をお持ちであろうか」、のようだ(p.241)。
 内容的又は実質的問題はすでに(前回に)かなり触れたので、形式的・手続的問題について言及しておく。すなわち、「皇室会議」は「皇室」に関する事項ならば何でもすべて議題として議論することができるのか? 西尾が援用している皇室典範の全条項を、西尾自身は読んでいるのだろうか。
 皇室典範37条
皇室会議は、この法律及び他の法律に基く権限のみを行う」。
 皇室会議の権限は法律に列挙されている事項に限られる。同会議の議長としての内閣総理大臣の権限も(同会議に関する限りは)同じ範囲・事項に限られることとなる。その範囲・事項に該当しないと、議長・内閣総理大臣は「皇室会議」を招集・開催できない。

 やや急いで確認したので、見落としがありうるが、法律のうち皇室典範上の定めに限ると、「皇室会議」の権限は次のとおりだ。以下、特記がない限り、「皇室会議の議を経ることを要する」又は「皇室会議の議により…」と定められている。
 ・同3条/「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、2条に定める順序に従つて「皇位継承の順序を変えること」。 
 ・同10条立后及び皇族男子の婚姻」。
 ・同11条
一項/「年齢十五年以上の内親王、王及び女王」が「その意思に基き」、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同・同条二項/「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王」が「前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるとき」に、「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同13条但書皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる」が、「直系卑属及びその妃」が例外的に「皇族の身分を離れないものとすること」。
 ・同14条二項/「皇族以外の女子で親王妃又は王妃となつた者が、その夫を失つたときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる」(第一項)が、これらの者が「その夫を失つたとき」、「その意思に」よらなくとも、「やむを得ない特別の事由があるとき」に「皇族の身分を離れる」こと。
 ・同16条
二項/「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に、「摂政を置く」こと。 
 ・同18条/「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」に、一七条が定める「順序に従つて、摂政又は摂政となる順序を変える」こと。
 ・同20条
/上記の「第十六条第二項の故障がなくなつたとき」に、「摂政を廃する」こと。
 西尾幹二は、皇太子妃うんぬんの問題は、上記の皇室会議の権限のうちどの条項に該当すると判断しているのか、皇室典範以外の法律上の権限ならばどの法律の何条が定める権限に属する問題なのか、を明確にしておくべきだ、と思う。冒頭の文を「皇室典範の第二九条に…と書かれてある」から始めているのだから。

0529/月刊・諸君7月号(文藝春秋)の天皇・皇室特集の一部を読んで。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の特集<われらの天皇家、かくあれかし>の各人の文章をかなり読んでみた(途中で気付いたが、執筆者名の五十音順で掲載されている)。56人分もあるので、まだ全員は読めていない。
 いくつか感想を述べる。
  皇太子妃殿下問題(?)-と書くのも失礼のような気もするが容赦いただきたい-に関して、私の意見・気分に最も近いのは、次の竹田恒泰の言葉だ。
 「騒ぎ立てるのではなく、静かにお見守り申し上げるのが日本国民としてのあるべき姿」ではないか(p.228)。
 この文の直前の「…など、報道されていることが仮に事実だとしても、その程度で皇室の存在が揺らぐようなことはあり得ないと私は断言する」、もきちんと読むべき(そして感得すべき)文章だと思う。
  なぜかかる立場をとりたいのかの理由の(すべてではないが)きわめて重要な一つは、田久保忠衛が異なる文脈で述べている文章を借りると、皇室内部の問題について騒げば騒ぐほど、「世界に例のない皇室に反対する向き」が「さぞかし喜んで」しまう、なぜなら「『天皇制打倒』などと叫ぶ必要もなくなるから」(p.226)、ということだ。
 皇太子妃殿下問題(?)による皇室内部の混乱、論壇や世論の沸騰・混乱こそ、「左翼」、とりわけ「<天皇制度>解体論者」が望んでいることだと考えられる。正面から表明していなくとも、「左翼」>反・天皇主義者たちがほくそ笑んでいる姿を想像できそうな気がする。
 皇室に関する一切の議論・論評をしてはいけない、とは勿論主張しない(所謂「お世継ぎ」問題・女系天皇の可否問題は重要だ)。しかし、推測・憶測等にもとづく特定の皇族への批判・攻撃あるいは問題提起等は、主観的意図がどうであれ、皇室や<天皇制度>を支持する人々を離反させ、国民の間に亀裂を生み、結果として<天皇制度>廃止・解体につながっていく危険性を秘めている(その方向は「左翼」、とくにマルクス主義者=反「天皇制」主義者が切望していることだ)、ということに留意しておくべきだ、と思う。
 ということから、西尾幹二論文については5/27に書いただけであえて済ましたのだった。
  今回は上記のような特集も出たので感想を述べざるを得ないが(そしてすでに述べているが)、上のような見地からすると、尊敬している西尾幹二に対して厳しい言い方になるが、次のような笠原英彦の西尾に対する反応は尤もだと感じる。笠原は次のように述べる。
 西尾の皇室観は「実に卓越」したものだが、「読み進むうちに…正直いって驚いた」。「氏の根拠となる情報源は何処に。いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る」。西尾の論調は、「格調高くスタート」し、「おそらく」を連発し、「思いっきり想像を膨らませ」、ついに妃殿下を「獅子身中の虫」と呼んで、「噂話の類まで権威づけてしまつた」。
 笠原英彦は私も所持している中公新書・歴代天皇総覧(2001)の著者だが、竹田恒泰とほぼ同様に、西尾は「憂国の士であるが、過剰な心配はご無用」と書き、「天皇といえども十人十色」と続けている。おそらく、皇后も、皇太子も、皇太子妃も「十人十色」ということになるだろう。
  皇太子妃問題(?)に言及している執筆者(過半数というわけではなさそうだ)には、かつての私と同様の、皇室祭祀・宮中祭祀に関する理解・知識の不足があるように思われる。
 5/27に触れたことだが、竹田恒泰同・「西尾幹二
さんに敢えて注〔忠?〕告します/これでは『朝敵』といわれても…」(月刊WiLL7月号(ワック))によると、次のとおり(5/27の一部反復になる)。

 「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ(月刊WiLL7月号p.41)。
 竹田はさらに、次のように言い切っていた。
 東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 かかる理解とそれにもとづく見解が適切なものだとすると、皇太子妃殿下が長期にわたって宮中祭祀に列席されていないことが事実なのだとしても、それは、中西輝政がいうほどに「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき問題」(p.239)なのだろうか。
 また、八木秀次も「祭祀に違和感を持つ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題」と書いているが(p.262)、これも適切な理解なのだろうか。
 美智子皇后がご立派すぎているのかもしれない。だが、竹田恒泰によると、前述のとおり、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」なのだ。
 従って、中西輝政の「あえて臣下の分を越えて」の提言(p.239-240)も、正鵠を射ていない可能性があるのではないか。八木秀次の皇室典範三条の解釈論(p.262)も不要か、又は少なくとも早すぎるのではないか(なお、雅子妃殿下は「皇嗣」ではなく、また「立后」の時期ではまだない)。
  他にも、上記特集には、感想を付し又はコメントしたい文章がある。回を改める。
 書きたい(そして具体的に予定している)テーマは他に五、六はあるが、いかんせん、書く時間が足りない。

0521/中西輝政「『冷戦』の勝敗はまだついていない」同・日本の「岐路」(文藝春秋)。

 中西輝政・日本の「岐路」(文藝春秋、2008)の中の最後の収載論文である「『冷戦』の勝敗はまだついていない」は、月刊正論2006年9月号(産経新聞社)が初出。その際のタイトルは「ロシア革命から現代まで日本を呪縛し続ける『悪魔』」だった。
 中西輝政「『大いなる嘘』で生き延びるレーニン主義」諸君!2007年5月号(文藝春秋)については1年余り前にこの欄で触れたことがあるが、こちらの方は上記の新刊本には含まれていない。
 いずれもコミンテルン又は「共産主義」国・者の<謀略>を扱う点では共通している。
 もともと「『冷戦』の勝敗はまだついていない」という新しい題名は、私がこの欄で書いてきた主張と同じだ。佐伯啓思が少なくとも「思想的には」<冷戦は(基本的に)終わった>と理解しているようであるのとは異なる。  「思想的には」ともかく、現実のリアルな認識のレベルでは(同じ大学・同じ研究科の)中西輝政の方が優れているのではなかろうか(誰にでも、どの研究者にも、<得意>分野というものがある、ということも分かるが)。
 上のタイトルにかかわる中西の最初の方の文章は次のとおり。
 「冷戦中の歴史責任〔中国のベトナム・インドへの「侵略戦争の責任」等〕が不問に付されたまま、六十年以上前の”歴史問題”がいまだに日本に対して突きつけられるということ自体が、実は冷戦は決して終わっておらず、『共産主義の脅威』が厳然として今も存在することを示している」(p.290)。
 私も、<「共産主義の脅威」は厳然として今も存在する>と、声を大にして主張したい。
 それはともかく、この論文での中西輝政の「共産主義」批判の言葉は厳しく、鋭い。書き写しておく価値が十分にあると感じる。
 共産主義とは何だったか。中西は書く。
 「国家や家族、私有財産を否定する共産主義は、人類の歩みそのものを否定するイデオロギーとその実現をめざす運動であり、人道や文明という人類普遍の価値に対する挑戦だった」。またそれは、「階級闘争理論を持ち込んで人間同士の絆を引き裂くという点で、社会の安定だけでなく、人間性の根幹に対する破壊的意図をもった挑戦だった」(p.292)。
 さらに中西は書く。
 共産主義は国家・家族・私有財産制を無くしさえすれば「全人類がやがて天国にいるような幸せな暮らしができるという『世界観』ないし一種の『宗教』」だった。それは「労働者階級」による「ブルジョア」階級の打倒による「資本主義」の「止揚」が「唯物論で動く歴史の必然」としたことでわかるように、「まさに『逆立ちした』議論を”科学的真理”と称した一種の『カルト宗教』」だった。それらは「言葉の真の意味で大いなる嘘だった」。その本質は「現存秩序を破壊することに目標を置く『反秩序主義』といってもよい」(p.292-3)。
 共産主義は「一種の『カルト宗教』」だ。そのとおり。日本共産党はさしづめ、世界共産「教」日本本部、または世界共産「宗」日本総本山だろうか。いや、コミンテルンはなくなったので、<自立>して、東京・代々木にあるのは、日本共産「教」本部、または日本共産「宗」総本山だろうか。
 中西は「マルクスの定式化した共産主義」は、①「十八世紀から十九世紀の始め〔初め?〕のヨーロッパに広がった急進的な革命思想」の周りに、次の二つを「システマティックかつ壮大に集大成してみせたもの」だ、という。②「イタリアで発祥した秘密結社カルボナリに始まる『謀略至上主義』の運動論」、③「『平等主義者の陰謀』事件で知られる…バブーフの『工作と陰謀』の戦術論・戦略論」(p.293)。
 さらに中西によれば、「『謀略』と『偽装』という共産主義」の第一の本質は、淵源たる「革命思想」も含めて、「自由や平等主義を掲げる『理想主義』を偽装していた」ことにある。
 第二の本質は、その「運動論の構造」にある。すなわち、「必ず『敵』を設定してそれを打倒することに大衆のエネルギーを集中するのが共産主義運動」で、そのためにこそ「階級対立」論が考え出された、「革命という目的のためには手段を選ばないマキャベリズム性」を最大の特徴とし、「道徳やモラルを政治の領域からトータルに排除」した、といったことだ。
 換言すれば、「<…ブルジョア支配階級を倒すには手段を選ぶ必要はなく、どれだけ卑劣な嘘で騙してもよい。…><自分の力が弱いときは相手をだまして利用し、力が強くなれば暴力的に抹殺する>」。かかる「人間性否定」の共産主義運動によって、「人間の絆、家族や共同体の繋がりというものを一切排除すれば、『革命』は自然に成就する」、と教えた(p.294)。
 第三の本質は、「国家の存立と覇権主義の道具」だったことにある。すなわち、スターリンは当初、「ロシアを守るために世界中の共産主義運動を利用した」。ソ連が確立すると「覇権拡大」のために「国際共産主義運動」を展開した。中国も「膨張的領土政策を採り、繰り返し他国に戦争を仕掛ける」。
 以上のような<「共産主義」論>の他にも、興味深くかつ重要と思われる指摘は多い。さらに続ける。 

0482/長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」。

 昨年10月に、長部日出雄・邦画の昭和史(新潮新書、2007.07)p.33-34が、60年安保闘争については「否定論」が「圧倒的に多いだろう」が、自分は、<あの…未曾有の大衆行動の広がりと高まりが、…憲法改正と本格的な再軍備を…無理だ、という判断を日米双方の政府に固めさせ、…ベトナム戦争にわが国が直接的に介入するのを防ぎ止めた>と考える、と書いていることを紹介して、批判的にコメントした。
 したがって、長部日出雄という人は単純素朴で政治をあまり判っていないと感じたのだが、60年安保闘争絡みではなく、神道・「カミ」に関しては、諸君!5月号(文藝春秋)の「作家が読む『古事記』/最終回」で共感できることを書いている。
 長部は本居宣長の叙述を肯定的に引用している。別の誰かの本(井沢元彦?)でも読んだ気がするが、宣長によると、日本の「迦微(カミ)」とは「天地のもろもろの神をはじめ…尋常でないすぐれた徳があって、可畏き(かしこき)ものの総称」だ。そして、宣長は「小さな人智で測り知れ」ない「迦微(カミ)」はただ「可畏きを畏(カシコ)みてぞあるべき」と書いた、という(p.226-7)。
 そして、長部は、「物のあわれを知らない」「心なき人」が増えたことと、上のような「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまった」ことが、「いまの日本がおかしくなっている」原因だ旨を記している(p.227)。
 他にも共感できる叙述はあるが省略。「天地自然に対する原初的な畏敬と畏怖の念」を年少者に教育するのはどうすればよいのかと考えるとハタと困るが、<宗教>教育的あるいは<道徳>・<情操>教育的なものが公教育でも何らかの形で必要だろう。長部が自らの経験を語るような<集落の神社の森や境内>に接する機会が多くの子どもたちにあるとよいのだが(私には幸いまだあった)。
 なお、長部のこの論稿は、GHQの1945.12.15<神道指令>の正式名称と七項目の(おそらく)全文を掲載している(p.229-230)。そして長部は言う。-<寛容・融通無碍な信仰心の日本人は「神道指令」を「宗教弾圧」だとは「まるで考えもしなかった」。「神道指令」は「日本人の草の根の信仰心」を「根こそぎにした」。>
 石原慎太郎「伊勢の永遠性」日本の古社・伊勢神宮(淡交社、2003)は、「悠遠」を感じ体現しようとするのは人間だけで「伊勢」神宮はその象徴だ、旨から始めて、途中では、「人間はどのように強い意思や独善の発想を抱こうとも、結局、絶対に自然を超えることはできないし、そう知るが故にも…自然を畏敬することが出来る」等と書いている。
 こういう、神道あるいは(伊勢)神宮に関する文章を読むのは精神衛生にもなかなかよいものだ。狂信的に<保守>・<反左翼>を叫ぶのではなく、じっくりと構える他はない-それが<保守主義>であって<保守革命>などの語は概念矛盾だろう-というような想いもまた湧いてくる。

0481/佐伯啓思・諸君!5月号等への注文・疑問-マルクス主義は本当に「失権」しているか?

 諸君!5月号(文藝春秋)の佐伯啓思「アメリカ文明の落日と…」の中で興味深かった一つは-著者・佐伯にはきっと些細なことだろうが-、p.29で、<「保守論壇」は「親米保守」と「反米保守」に分かれたとされるが、「思想的に」いえば「親米保守」との立場は「ありえない」と思える。但し、「反米保守」といえども「具体的な現実政策」で日米安保を解消して「独自の防衛と経済圏」を作れと主張してはいない。>と述べていることだ。
 興味深いのは、①自らを<反米保守>と位置づけるニュアンスを示しつつ、日米安保条約廃棄等を主張しているわけでもない、と釈明?していること、②「思想的」に論じる場合と、「具体的な現実政策」論とを区別していると見られること、だ。
 さて、この計19頁の論稿(佐伯の文章は難渋ではないので小一時間で読めた)で、最も違和感をもったのは次の文だ。
 「世界大戦や冷戦をリードした『圧制』に対する『自由・民主主義』の戦いという解釈図式はもはや意味をもたなくなってしまった」(p.44)。
 ここでの「圧制」は<社会主義(・共産主義・スターリニズム)>を含むものであることは間違いなく、佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)の中でも、(すでにこの欄で言及したことはあるのだが)上と同趣旨又は類似のことが書かれている。
 <「社会主義が基本的に崩壊」して「もっとも左」になったのはアメリカだった。「マルクス主義が失権」した後、最も「左」はヘーゲルとなり、ヘーゲルらの「進歩史観に最も忠実なのはネオコンのアメリカという事態」になった。>(p.243)
 違和感をもち、疑問も感じるのは、日本の周辺にある中国(中華人民共和国)・北朝鮮という国々の存在を佐伯はどう理解し、どう対処すべきと考えているのか、だ。中国・北朝鮮はアメリカと比べて「より左」ではないのか?
 私とて「自由・民主主義」至上主義をとりはせず、むしろそのイデオロギー性あるいは問題性を意識しており、またアメリカあるいは「グローバリズム」を全面的に信頼・支持しているわけでは全くなく、アメリカは「日本」の破壊・消失の布石を打っていた国だ等々の批判をしたい。だが、現在のアメリカは現在の中国・北朝鮮に比べればまだマシなのではないか?
 そして、中国・北朝鮮に対してはまだ「自由・民主主義」を掲げることは意味があり、「『圧制』に対する『自由・民主主義』の戦いという解釈図式はもはや意味をもたなくなってしまった」と断じるのは早すぎるのではないだろうか。
 さらに、「社会主義が基本的に崩壊」し「マルクス主義が失権」したと言うが、中国・北朝鮮にはまだ国家権力を掌握するほどに残存しているのではないか(ついでに、日本共産党はまだ日本政治において完全には無視できない力を維持しているのではないか)。
 日本共産党がかつてのソ連について後出しジャンケン的に<「真の社会主義」国ではなかった>と主張したように、中国や北朝鮮は「真の社会主義」国ではない(ついでに日本共産党はもはや「真の社会主義」政党ではない)と言うこともできるかもしれない。その場合には<一党独裁国家>でも<儒教的疑似マルクス主義国家>でもよいのだが、ともあれ、日本やアメリカとは異質な国家原理・国家構成をもつ国が現在もなお存在しており、日本はそれらの周辺諸国を無視することなどできないのではないか。
 「思想的」にはマルクス(・レーニン)主義(あるいは日本共産党のいう「科学的社会主義」)はとっくに敗北し、終焉を迎えているとしても、「現実的」にはまだ<生きている>のであり、その「現実」と日本は闘う必要が、あるいはその「現実」に適切に対処する必要が、(依然として)あるのではないか。
 「アメリカ文明の落日」を語ることが重要でないとは思わないし、一人の研究者あるいは(佐伯啓思クラスになると)一人の思想家・知識人にあらゆる問題・論点について包括的に述べることを求めるのは酷なのかもしれない。だが、それでも私は、少なくとも「現実的には」、「アメリカ文明」の限界・終焉を語り、アメリカン・ニヒリズムとの闘いの必要という「現代文明の置かれた状況」を「認識する」ことよりも(佐伯はp.42でこれが「決定的に重要」だとする)、<マルクス主義(・レーニン)主義>・<社会主義(・共産主義)>との闘いは国内的にも外交的・国際的にもまだ重要なものとして残っており、むしろこちらの方が焦眉の課題・論点ではないか、と感じている。
 付記すれば、正面から<マルクス主義(・レーニン)主義>・<社会主義(・共産主義)>を標榜していればまだ分かりやすいのだが、<隠れマルクス主義>あるいは<マルクス主義の変異種>が、反権力主義・左派フェミニズム・地球「市民」主義・ニヒリズムを基礎とするアナーキズム的気分等々として残っており(フーコーもこれらの中にたぶん含まれる)、これら亜マルクス主義・準マルクス主義との「思想的」な闘いも重要だ、というのが私の認識だ。
 まさか佐伯は「ネオ・コン」(=「新・保守主義」)が(かりに「西欧近代」という<同じ根>をもつとしても)、亜マルクス主義・準マルクス主義だと理解し、批判しているわけではないだろう(なお、佐伯が上掲著書で「ネオ・コン」(新保守)を「左翼」と性格づけているのは、私も含めた一般の読者には理解し辛いところがあるだろう)。
 本当は、佐伯の著書や論稿のうち、大いに役に立った優れた分析とか賛同できる点とかを紹介的にメモしておきたいのだが、依然として、時間的余裕がなさすぎる。

0479/佐伯啓思・諸君!5月号における「社会主義」・「共産主義」。

 某の連載があることを理由に諸君!(文藝春秋)の購入をやめていたが、佐伯啓思の最新の文章が読みたくなって、20日ほど遅れて同・5月号を買った。
 佐伯啓思「アメリカ文明の落日と『世界史の哲学』の構築」(p.26~44)。新聞のコラムと比較するのは無理があろうが、朝日新聞の若宮啓文の駄文を読んだあとでは、知的刺激を感じる、豪奢な食事の如き論稿だ。
 佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)についてと同様に、筆者(佐伯)の主題とは異なる(佐伯にとっては)瑣末であろう事項・問題についての叙述を要約的に記しておく。すなわち、「社会主義」あるいは「共産主義」について。
 ・<「冷戦の主役である社会主義という実験」も「西欧近代主義の極限的な形態」だった。20世紀初頭の「西欧知識人たち」は「新たな価値創造」に賭けるとすれば、「ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られた」。>
 ・<「社会主義という人間理性の極端なまでの過信」と「歴史を導く正義という理念への過剰な期待」は、「あまりに独断的な価値創出」で、「世俗化された疑似宗教というべきもの」だった。>
 ・<20世紀「西欧社会」の「ニヒリズム的状況」を「不透明に覆い隠した」のは、「ナチズムとスターリニズムの蛮行」だった。「ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺」は、「自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分」だった。>(以上、p.38)
 「社会主義」・「共産主義」に言及があるのはこの部分だけだと思われる。そして、以上の諸点に反対はしないし、逆に基本的にはそのとおりだろうと相槌を打つ。
 但し、上の最後の文は、そのために「自由・民主主義」あるいはアメリカの「歴史観」や「価値観」が検討されずに「聖域」化された、という論旨につながっていき、全体としてアメリカニズム(「アメリカ文明」)の問題点・限界を指摘することが主題になっている(その帰結として、最後に「日本の精神」の再発見の必要を説いているが)。
 そして、(上のカッコ内を除いて)どこか違う、「思想的」にはともかく「現実的」には、日本の現在の焦眉の論点ではないのではないか、という感想をもってしまった。別の機会に少しはより詳しく書こう。

0369/保阪正康は何故、諸君!に書けるのだろう。

 過去に書いたことの繰り返しがほとんどになるが、保阪正康について。
 保阪は首相の靖国参拝反対論者だ。朝日新聞の昨年8/26に登場してその旨を述べ、<靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」>と理由づけた。そして、この朝日上の一文を<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>との(趣旨不明の)情緒的表現で終えていた。
 また、保阪は文藝春秋の昨年9月号にも原稿を書いて、<講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ>、と「かなり エキセントリックな」言葉遣いで批判していた。
 10/02に書いたように、今年の諸君!11月号(10月初旬発売)の一文はひどいものだった。呆れてほとんど引用しなかったのだが、いま少しは詳しく紹介してみよう。
 まずタイトルが「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」で、「安倍政権の歴史観」なるものを俎上に上げて批判しようとする。そして、逐一の長い引用は避けるが、例えばつぎのような文章・表現で安倍内閣または安倍首相を批判していた。
 ①「丁寧に論じれば論じるほど、安倍首相が社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていないことを世間に知らしめてしまったのだ。/とくに歴史観や歴史認識で、それが露骨にあらわれていた。」(p.58)
 ②「このような言葉の軽さは、安倍首相が社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていないことを示している。そうした歴史を語るときの言葉の軽さが、国民に信頼されないという結果につながったのだ。」(p.59)
 ③「『政治とカネ』や『年金問題』、さらに『都市と地方の格差』といった生活に直結する問題だけで敗れたというより、安倍首相のもっている歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのものが国民の信頼を勝ち〔ママ〕得なかったと分析する論の方が説得力を持っている。」(p.60)
 ④「つまり、安倍首相の言説はきわめてご都合主義の論であり、歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識ということになってしまう。」(p.61)
 ⑤「安倍首相の片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつけるという性格は、…」(p.61)
 ⑥「安倍首相は、現代社会の首相としての資質に欠けていただけでなく、その歴史認識そのものが歪みを伴っていたのである。にもかかわらず首相になれたところに、現代日本社会が内包しているブラックホールがある」(p.61~62)
 ⑦「だが安倍首相のように、常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せないとするなら、せめて…などといった大仰なスローガンを口走るべきではない。」(p.62)。
 ⑧「安倍首相には非礼な言い方」だが、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚が世間にには受け容れられないことを証拠だてたという意味で、日本社会はある健全さを示したというのが、私の実感」だ。(p.62)
 上の⑧は最末尾の文章で、7月参院選の自民党敗北を喜んでいることを示している。
 さて、第一に、上の③は7月参院選・自民党敗北の原因分析だが、こんな分析をしていた新聞・論壇・評論家はいた(あった)のだろうか。そもそも「安倍首相の歴史認識(>それにもとづく言語感覚)」は、どの程度、選挙の争点になっていた、というのか。
 保阪は、自分が得意とする<歴史認識>・<歴史的事実>の分野で議論をしたいという目的のためにのみ、不得意な社保庁・年金問題、経済的「格差」問題等を避けて、上の③のようなことを言っているにすぎないのではないか。
 この人にかかると、「歴史」を語る又は「歴史」に関連する行動をするおそらくすべての首相が、小泉もそうだったように、<歴史認識>不十分・不正確とかの理由で批判されるのだろう。そんな自信をもてるほど、自分は<現実・将来を見据えての歴史的知識・歴史認識をもっている>と、保阪は鼻高々に言えるのだろうか。
 第二に、上以外に保阪が言っているアレコレも全然説得力がないのは何故だろうか。
 「社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていない」、「社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていない」、「きわめてご都合主義の論」・「歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識」、「片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつける」、「歴史認識そのものが歪みを伴っていた」、「常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せない」、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚」。これらは当時の現役首相に向けられたものだが、言葉だけが浮いている感じがあり、少なくとも私の腑には全く落ちない。
 何故だろうと考えるに、要するに説明が足りない、あるいは、具体的・実証的な根拠・理由を説得的に示すことができていないからだ。
 例えば、詳細に論じるのは阿呆らしいので簡潔にするが、④の前には「戦後レジームからの脱却」という語を問題にする部分がある。だが、この言葉・概念の意味について<保守派>に一致がないだろうことは認めるとしても、保阪は特定の意味に理解して、自分が批判しやすいように対象を措定しておいてから「ご都合主義」等と批判する、という論理を採用している。
 これ以外の部分にはまるで又はほとんど、理由・根拠の提示が欠けている。少なくとも私には、いかなる理由・根拠が示されているとも読めない。
 この人は一定の結論を予めもって、歴史家又は歴史評論家らしくもなく、実証的・具体的・詳細な事実の提示を省略したまま、<政治評論家>ぶった文章を書いている。
 ついでながら、批判対象が安倍首相(当時)でなかったら、つまり、歴史・政治等に関する学者・研究者・評論家個人を批判する原稿であれば、保阪はこんな一面的で、実証性を欠く、杜撰な文章を書いただろうか。安倍が反論などしてこないだろうことに甘えて、適当に、感情混じりで、字数を埋めたとしか思えない。
 この保阪正康は諸君!に毎号昭和史に関する連載をしているようなのだが、新聞広告によると、現在発売中の諸君!では、それとは別の原稿をまた書いているらしい(「昭和天皇、秘められし『言語空間』」)。
 佐藤優、竹内洋、秦郁彦ら、読みたい人々の文章が多々あるようだ。しかし、保阪正康の文を掲載しているという一点で、諸君!2月号(文藝春秋、発行人・内田博人)を購入することを逡巡している(タダなら喜んで頂くが)。
 追記-アクセス数は12/27の木曜日に累計19万を超えた。14日間で10000余増えたことになる。

0368/中西輝政の自民党下野・政界再編論は妥当か。

 ほとんど毎日何かの「政治的」意見・感想を書いていた時期と違って、最近の書き込みは、対象とする素材の選択に時機遅れが生じうる。今回もそうかもしれない。
 中西輝政は、信頼に足りる論者の一人だと評価している。
 但し、諸君!1月号(現在発売中は2月号)の中西輝政「”最後の将軍”福田康夫の哀しき『公武合体』工作」の結論めいた部分(p.37)は俄かには賛同することができない。
 この箇所で中西は、政界再編のためには大連立よりも政権交替の方が近道だ、自民党が民主党に政権を渡し、民主党の醜態によるリスクを覚悟のうえで「本来の政界再編への道」を着実に進むへきだ、そうでないと「重大な世界の転機」に「日本は未来永劫に未来を切り拓く力を得ることができない」、と説く(p.37)。
 「保守新党」の求心力は「利権」でなく「理念」だ、「農協、建設業界」といった層に基盤を置いたのでは新しい時代を生き抜けない、という、そのあとの指摘には同感したい。
 だが、将来に「保守新党」が誕生すること自体に反対はしないが、現時点で政界再編のために<政権交替>すべし、と主張する必要があるのだろうか、あるいは、現時点でのそのような主張は妥当だろうか。
 中西は明確に自民党の下野と民主党政権の誕生を展望しているが、日本共産党の小選挙区票が民主党に流れること等によって前回総選挙時よりも民主党に有利な客観的状況にあることはたしかだとしても、<民主党政権>誕生の「リスク」はやはり大きく、自民党敗北・下野を前提とするような議論をする必要は<まだ>ないのではないか。
 <民主党政権>誕生によって、仮の表現を使えば、自・民派社・民派にキレイに議員が分かれて、「理念」の差による<政界再編>がなされればそれはそれでよいとは思うが、その可能性、すなわち<民主党政権>誕生→政界再編の可能性はどの程度あるのだろうか。
 民主党の中にも、前原誠司(京都大学のある地域が選挙区)、枝野幸男、渡辺周、長島昭久等々がいる、と中西はいう。だが、1993年の細川・反自民連立政権(社会党が政権入り)・その翌年以降の自社さ連立政権(再び社会党が政権入り)の経験からいうと、政権を担っているかぎりは民主党は分裂せず、政界再編の可能性はむしろ少ないのではないだろうか。
 民主党政権の失政(→政権崩壊)による政界混乱→政界再編はありうるだろうが、民主党政権の失政・「保守新党」の政権奪取までの政治・行政の「リスク」、簡単に言うと、社会民主主義的、大衆迎合的、容コミュニズム的な政策運営(「組合」の意見が法律になってしまうような事態)は、日本を現在以上に危殆に瀕せしめるように思われる。
 自民党敗北・下野を中西は確実視しており、その前提で議論しているのかもしれない。だが、それほどに確実なことなのだろうか。自民党が2/3を獲得できなくとも、民主党らの野党が過半数をとる可能性もまた絶対的あるいは確実とはいえず、<ねじれ>が続いたままの事態(これは7月参院選以降の「民意」だ)の継続もありうるのではないか。
 というわけで、<俄かには賛同できない>。民主党中心政権誕生の「リスク」は、私には<こわい>。それよりは、あくまで相対的・比較的にはだが、福田政権でも<よりマシ>だ(トップだけ変わってどれだけ差がでるかという問題はあるが、麻生太郎政権の方がさらに<よりマシ>だ)と感じている。

0351/諸君!はどこへ。サピオの新聞特集の方がマシ。

 やや古いが、諸君!12月号(文藝春秋)は<「朝日崩れ」が止まらない>を特集の一つにしている。
 だが、その先頭又は中核のはずの上杉隆の論稿は「朝日崩れ」を叙述したものでも論じたものでもない。朝日のあくまで一端・一側面に言及があるだけだし、最後の文に見られるように、朝日新聞に限らない新聞(社)一般を問題にしているところも多い。他の企画?も含めて、上の<「朝日崩れ」が止まらない>というタイトルは羊頭狗肉だ。
 サピオ11/14号(小学館)の特集<大新聞の「余命」>の方がはるかによい。
 上の中のp.18~19で塩澤和宏はこう書いている。
 今年4月に、新聞への「信頼度」調査で朝日が読売・日経に次ぐ第三位との「実態が明らかに」なって朝日の「一部役員・幹部に衝撃が走った」。「60代や70代以上など、朝日が勝っている世代もあるが、働き盛り世代では『惨敗状態』」。/朝日新聞社の「出版本部はこの9年間で営業収入が半減。07年度は10億円を超える赤字が見込まれる。/…秋山耿太郎社長は7月…『06年度の営業収入は13年ぶりに4000億円を割った。3年後には新聞事業が赤字になってしまう』などと危機を訴えた。
 出版本部には朝日新書も含まれるのだろうか。同新書の人気のなさ、精彩のなさ(と私は感じている)を見ると、上のような状態の一端は分かる。そして、塩澤は、こう締め括る。
 「前政権への『安倍叩き』でも常軌を逸していた朝日新聞。その『劣化』は、止まる気配がない」。
 こちらの方には、諸君!の中によりもまともな指摘がある。
 いつぞや諸君!11月号保阪正康論稿を「ひどい」とこの欄で書き、同誌編集人の名も記したが、諸君!12月号は「読者諸君」という読者の声欄に、11月号の保阪論稿の「多角的な分析は断然光っていて、ご意見は実に的を射ている」等と述べる一意見又は感想文をとくに掲載している。
 諸君!中の韓国・北朝鮮・中国に関する記事や座談会はのちに文春新書としてまとめられて発売されたりして、文藝春秋に利益をもたらしている筈だが、そうした記事や座談会の論調と<戦後民主主義>者の範疇に入ると私は評価している保阪正康の議論とは基調が異なっている。
 保阪正康が安倍前総理を罵倒する論文を載せ、それを支持する<投書>もとくに載せるとは、諸君!(編集人・内田博人)のスタンスはいったい奈辺にあるのだろうか。文藝春秋の「オピニオン」は分裂し、漂流しているのではないか(やや<左・リベラル>辺りの月刊現代(講談社)に近くなるのだろうか)。
 というわけで、近年諸君!は毎号購入し目を通してきたのだが、しばらくは見合わせることにしている。

0341/文藝春秋はなぜ加藤紘一の本を出版するのか。

 先月(九月)の自民党総裁選直後のNHKニュースで、最初にコメントを報道されたのは、「(福田選出で)よかったと思います」と答えた加藤紘一のそれだった。当然のことながらNHKはまともな報道機関性に疑問がある。
 2007年6月、文藝春秋社は、加藤紘一・強いリベラルを刊行した。最近読んだ何かによれば、文藝春秋の側から執筆・刊行を働きかけた本らしい。
 文藝春秋の諸君!たぶん今年8月号は表紙に大きく「安倍政権失墜」とだけ書いた。
 文藝春秋も営利企業。商売、商売…。空気を読むのがうまいようで、とでも評すればよいだろうか。
 既述だが、新潮社は、不破哲三の本を出版した。
 文藝春秋も新潮社もある程度以上売れれば「商売」になると思っており、実際にある程度売れているのだろう。
 だが、そのような出版社の出版物を買うことを控える=少なくしようとする者も発生することは知っておいた方がよい(いや、知った上で、「損得」をとっくに「計算」しているのだろう)。

0333/佐藤優における左翼・右翼。

 佐藤優のものは、食わず嫌い的なところがあってか、まともに読んだことがない。
 諸君!11月号の「保守再建」の中で、彼は、左翼と右翼につき、つぎの「暫定的定義」を示す(p.130)。
 左翼-「人間の理性を信頼し、合理的計画で理想的社会を構築することができると考える。…唯物論、無神論、性善説と親和的である。…進歩主義に依拠して…表現する」。
 右翼-「人間の理性には限界があると考える。…理性を信頼した合理的計画で理想的社会を構築しようとしても、それは実現できず、醜悪な事態を招く可能性があると考える。そのため合理性の枠内では正当化できない伝統、神などの観念を重視する。…観念論、宗教、性悪説と親和的である。…保守思想に依拠して…表明する」。
 ほとんど異論はない。そして、戦後教育の優等生たちは(例えば上級官僚・法曹は)、とくに若い又は壮年の間は、優等生であるがゆえに「人間の理性を信頼し」て、自然に左翼的になっているだろうことも理解できる。マスコミに巣くっている、自分を<学歴のある、インテリ>の端くれと見なしている者も同様かもしれない。
 「人間の理性には限界があると考える」、そういう教育も大切だろう。
 疑問を呈したくなるのは、(「観念論」が右翼にのみ語られる場合の「観念論」とは左翼の「唯物論」に対比されているのかもしれないが、左翼教条主義・左翼「観念論」も十分ありうると思うので、概念の使い方になるだろうことは別として)性善説と性悪説を左翼と右翼に対応させていることだ。
 はたして、そうか。左翼の行き着いた末は1億人以上の殺戮だったが、同志や国民への猜疑心は「性悪説」にこそ親和的かも。また、右翼(保守)は基本的には「性善説」に立って人の歴史や叡智を信頼するのではないか。-という感想が生じた。
 だが、ともあれ、この人はソ連、ロシアに詳しいのは確かなようだ。

0332/坂本多加雄、杉原志啓、東谷暁、富岡幸一郎。

 諸君!11月号(文藝春秋)の坂本多加雄を偲んでの座談会はなかなか面白い。杉原志啓、東谷暁、富岡幸一郎(年齢順)が発言者。全て私より若い(順に1951生、1953生、1957生)。この三人の本をいくつか探してみよう。
 この号の草野厚は予想どおり、ヒドい。というか、ひどく浅い。

 ----------------
  産経新聞社の中にもいるようである馬鹿を相手にしていてはそれこそ馬鹿ゝゝしいし、日本国憲法無効論を掲げて自民党や「産経文化人」を<右から>攻撃する者の一部を相手にすれば、不快になるだけだ。
 自分のための覚書、という基本を押さえて、このブログを利用する。

0331/保阪正康よ、「戦後レジーム」はそんなに良かったのか。

 雑誌・諸君!11月号に載っていたからこそ読んだのだが、保阪正康「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」はヒドい。内容は、週刊金曜日に掲載されても不思議でないものだ。
 7月参院選の結果につき、安倍の「歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのもの」が否定されたと「分析する論の方が説得力をもっている」、と保阪は「分析」する。こういう議論は初めて読んだ。
 きっと保阪は、個人的には詳細かつ真っ当と思っている立派な「歴史認識」をお持ちなのだろう。朝日新聞から文藝春秋まで舞台を広く活躍しておられるようである、この日本史(とくに昭和時代)関係<文筆芸者>は(本当の「芸者」さんには失礼になった。詫びる)、今後の政界のことには一言も触れず、この論稿では安倍前首相を悪しざまに罵っている。表現は一見穏やかでも、罵詈雑言に近い。「独裁的な独りよがりの体質」、「反時代的な言語感覚」-この2つは最後の4行の中に出てくる。
 言論は自由だが、文藝春秋・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、なぜこんな人のこんな文を載せるのか?
 同号の八木秀次「艱難辛苦の福田時代が、日本の保守を本物にする」は、なるほどといく度か肯んじつつ、読み終えた。
 同号の中西輝政よりは先に言及した彼の月刊WiLLの方が面白く、優れていると感じた。もとより、福田康夫や多くの自民党議員に対する批判・皮肉・疑問はそのとおりで、反対するつもりは全くないが。
 

0266/大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?

 この1年間で、いや8カ月と区切ってもいいのだが、最も印象的で、最も衝撃的な情報は、月刊諸君!2007年2月号(文藝春秋、2006.12末発売)の伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」の中の次のような文章だった。
 伊藤教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね
 中西近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います
 伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い
 中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
 伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
 中西研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
 <大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
 「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
 上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
 「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
 「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。

0255/参院選の基本的な争点は何か。

 今月末の参院議員選挙では、いつの選挙でもそうだが、現時点の日本がどういう国際環境に置かれ、国内的にどういう経済的・社会的状況にあるのかをふまえたうえで、どの政党又は候補者に「政治」を任せるかが判断されなければならない。
 その場合、どうしても、巨視的かつ歴史的な今日という時代の位置づけ、そして安倍晋三政権の意味、に考えをめぐらすことも必要だ。
 巨視的かつ歴史的に見た場合、私は次のような変化の真っ只中にあるのが今日の状況だと考えている。
 第一は、経済政策的にみて、ケインズ主義的な国家介入とともに「社会民主主義」的とすら言えるような国家による経済(市場)への介入および「福祉」政策を展開してきた、かつそれが財政的にまだ可能であった時代から、国家の一種の「放漫」経営をやめた、「自由主義」的経済政策、スリムな国家づくり、国家の<役割・分限>をわきまえた政策運営へと舵を切りつつある重要な時代の転換点にある。
 こういう傾向、動向は不可避であり、進めるべきものと私は考える。
 米国にレーガン、英国にサッチャーという、「自由主義」者(「保守主義」復活者)が現れ、欧州における<冷戦>も終わったのだったが、日本は90年代に逆に、細川連立政権・村山連立政権という「社会民主主義者(+一部の本当の社会主義者)」が加わった政権ができたために、「自由主義」への回帰が決定的に遅れた。小泉内閣以降の<構造改革>とはこうした遅れを回復しようとするもので、ケインズ主義的又は社会民主主義的な国家の介入、言い換えれば国家への依存、に慣れた者にとっては<弱者に冷たい>・<格差が拡大する>等の批判になっているのだろうが、国家も<無い袖は振れない>場合があるという現実をまともに直視すべきだ。
 いったいいくらわが国家は国民から借金しているのか。国家の赤字は結局は国民の負担となる。できるだけ早く借金漬け国家財政から脱却しなければならない。
 国家財政を圧迫しているのが国家の被用者=公務員の人件費だとすれば、これも削らなければならない。余計な事務・仕事を国家(公務員)が引き受ける必要はないし、まじめに仕事せず、ましてや意識的・組織的にサボりミスをして国家運営をしている政権与党に不利になるようにと考えていたような公務員は、まず第一に放逐する必要がある。
 第二に、1980年以降だと思うが、特定アジア諸国に対しては、過去の贖罪意識からか、弱腰で、言いたいことも言えない、逆に相手の意向に合わせて、事実でないことも事実であるかの如く認めてしまうような<卑屈な>外交が行われてきたが、これを改めて真に対等に、堂々と是々非々を発言し、議論する外交等を毅然として特定アジア諸国に対して行うように変わりつつあるように思われる。
 明瞭に変化していない論点・問題もまだあるが、こうした方向は正しく、一層進めていかなければならない、と考える。北朝鮮の金正日が拉致犯罪を自ら認めたのは大きかった。<媚中>・<屈中>外交はいいかげんにやめるべきだ。歴史認識も、相手国のそれに追随する必要はもちろん全くない。
 教科書検定に<特定アジア考慮条項>を持ち込んだ当時の内閣総理大臣、<従軍慰安婦国家関与>を認めた官房大臣談話のときの内閣総理大臣、の責任ははなはだ大きい、と私は思っている。
 第一、第二の点のいずれについても、私は、宮沢喜一首相の責任は小さくない、と思っている。彼は、首相をやめた後で再度小淵内閣の蔵相だったとき、最高額の国債を発行したようだし、所謂河野談話のときの内閣総理大臣は宮沢喜一その人だった。
 いずれの点にも関係しているだろう、現在の内閣を「危ない」と言い、「リベラル」派の結集が必要などと自民党内で主張している旧宮沢派の加藤紘一は、巨視的な時代の流れを理解していない。<国家ができるだけいろいろなことに面倒を見てくれた>戦後体制のシッポを加藤紘一は引き摺っている。そして、朝日新聞には気に入られるようなことを発言して報道してもらって、とっくに政治生命は終わっているのに、それが分からないまま、自己満足しているようだ(自民党から脱党して貰って結構だ。ついでに谷垣某、曖昧な古賀某も)。
 日本共産党や社民党は主義として<弱者保護>・<格差是正>等と主張して<大きな国家><大きな財政>の維持を客観的には望んでいるに違いないが、その他の党派や国民はそう考えるべきではない。再述すれば、国家も<無い袖は振れない>のだ。何となく、国家はずっと存続するだろう、と考えていたら、甘い。
 第三に、まだ明瞭になっていないかもしれないが、日米関係が微妙に変化していく端緒的時代にいるような気がする。
 むろん両国の緊密な同盟関係は今後も(少なくとも表向きは)続くだろうし、続けるべきだとも思うが、しかし、日本の安全保障に関して本当に米国は信頼できるのか、という問題はでてくるだろう。いや、すでに一部では論じられているかもしれない。
 米国の日本に対する態度がどうであれ、ある程度は米国に頼ることなく自国だけで安全保障を達成するように少なくとも努力することは考えられてよい、と思う(日本の軍事的自立に、米国は自国は楽になったとは思わず、日本を警戒して反対するだろうと予想するのだが)。ちなみに、憲法九条二項の削除はそのための重要な手段だ。
 以上のいずれをとっても、重大な問題ばかりだ。だが、大まかにせよ、上のような基本的問題について各政党の基本的スタンスを知ったうえで選択し、投票すべきだ。
 日本共産党や社民党は勿論、民主党の中にも「社会民主主義」・<特定アジア諸国シンパ>の議員はいる。余計ながら、政党として、自民党が上の三点の方向に最も近いことは確かだ。
 ところで、上のように政治に素人の私でも一国民として考えるのだが、月刊・諸君!8月号(文藝春秋)の座談会、国正武重・田勢康弘・伊藤惇夫「安倍政権、墜落す!」は何だろう。
 巨視的・歴史的な今回の選挙の位置づけなどまるでない。政治家に対する政治屋という言葉があるようだが、この三人は、政治評論屋であり、「政治」に関する適当な雑談や雑文書きを生業としている政治屋だ。
 この三人全員に尋ねたいが、貴方たちは日本がいったいどのような国家・社会になれば望ましいと考えているのか。そのようなマクロな歴史観・国家観なくして、近視眼的にのみ「政局」を論じて(いや雑談して)もらっては困る。
 国正某は元朝日政治部次長等、田勢某は元日経編集局長等、伊藤某は元民主党事務局長。すべて、真摯に日本国家のことを考えてきた人たちとは思えない(私は日経も含めて新聞社の人を基本的に信頼しない、朝日新聞となれば尚更だ)。
 文藝春秋の月刊・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、安倍政権を見放すような記事をメーンに持ってきた。これは編集方針の大きな変更とも感じられる。文藝春秋もつまるところは<世論迎合>の<儲け主義>の出版社だった、というところだろうか。
 むろん私は絶対的に信用できる出版社があるとは思っていない。すべて相対的な話なのだが、文藝春秋の月刊・諸君!は今後、販売部数を減らすだろう。

 

0229/安倍晋三首相の意図-公務員人事行政・事務次官等会議。

 一般新聞でどの程度大きくとり挙げられているのかは分からないが、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の立石徹「新・人材バンク構想に秘められた本音-お役所人事にも「能力・実績本位」を徹底せよ」を読むと、安倍首相の対行政官僚姿勢と公務員人事行政の感覚が分かる。
 100%理解できているわけではないが、安倍首相はこれらの問題でも<脱戦後>を意図しているのではないか。
 第一に、実体・内容にかかわる公務員人事についていえば、新・人材バンクによる上級官僚の統一的な再就職あっせんの方に多くの目が向いているが、安倍首相・安倍政権にとっての「改革の本筋は別なところ」にある、という。
 すなわち、「省庁間、官民間の人材の流動化」や「民間でも採用されつつある日本的な能力・実績主義を公務員制度の中に導入すること」だ(p.164)。
 現在の公務員法上にはアメリカに倣った「職階制」が規定されながら、実質的には死文化している。今回渡辺喜美大臣らは、「職階制」に代わる「官職に応じた標準的遂行能力を定義し、穏健な能力主義」を導入しようとしている、という(p.165)。
 戦後当初ののアメリカ的公務員人事法制が日本でうまく根付かなかったことはむしろ当然だろう。「年功序列やキャリア制度を否定する」方向での改革がほんの少しでも実現すれば、従来に比べれば大きな変革になるだろう。
 次の点も含めて、安倍晋三首相はけっこう<したたか>なのだ、という印象を改めて強くする。
 第二は、表向きは手続的・形式的なことだが、今年3月27日の閣議において、前日の事務次官等会議(←事務次官会議←次官会議)での合意がなかったにもかかわらず、<押し付け的なあっせんによる再就職の根絶>という政策方針にいう「押し付け的なあっせん」の中には「国民の目から見て押し付け的なものも含まれている」旨の国会答弁準備書を決定した。
 従来は週2回の閣議(火・金)の前日(月・木)に開催される事務次官等会議(「等」とは警察庁長官と金融庁長官のようだ)により合意がなされた事項のみが閣議の案件となり法律案も含めて閣議決定(・閣議了解)されてきたが、3月26日の事務次官等会議では財務事務次官と経産事務次官の2名が反対していたにもかかわらず、安倍首相は事務次官等会議は法律上の存在ではないこと等を理由に(つまり、法的には当然のことではあるが、国務大臣で構成される内閣の決定について、事前に行政官僚(のトップ)にすぎない事務次官等の了解が必要であるはずがないので)翌日には上記のように閣議決定した。
 「事務次官等会議で通らなかったものが閣議決定されたケースはこれまでほとんどなく、一説によれば三十年ぶりであるという」(立石徹、p.161)。
 公務員の人事行政もさることながら、政治家と行政公務員(官僚)の関係については、こちらの点の方が重要だ。財務省・経産省の事務方(行政官僚)のトップの意向を結果的には無視した閣議決定の一例は、政・官の関係や比重を変える方向の一つかもしれない。むろん、行政官僚の適切な協力がないと「政治」も「行政」も十全には機能しない筈だが、行政官僚が各大臣を(場合によっては内閣総理大臣を)実質的に動かし、大臣が行政官僚の「指人形」になるのが望ましくないことは言うまでもない。
 安倍首相は、今までの首相とは「志」が相当に違う首相なのではないか。官僚主導の政治・行政はまさに(戦前からも続くかもしれない日本的な)<戦後的>な現象だった。すでに法制上(2001年1月施行)、内閣や内閣総理大臣の機能・権限の強化という変化が生じているが、政治・行政の伝統的スタイルを安倍首相は大きく替えようとしているようにも見える。

0227/竹内洋による立花隆批判-「レッテル貼り」だけ。

 月刊・諸君!7月号佐藤優=竹内洋「いまなぜ蓑田胸喜なのか-封印された昭和思想」という対談がある。佐藤優は名前はよく知っているがその本を読んだことはない。一方、竹内洋(京都大学教育学部→関西大学文学部)は、精読とまではいかないだろうが何冊か読んだことがあり、この人は<信用できる>と感じている。
 そういう先入観もあるからだろう、蓑田胸喜の評価又は読み方について、竹内洋が(佐藤優も)実質的に立花隆を批判しているのが興味深かった。
 立花隆・天皇と東大(文藝春秋)は簑田のパンフの文章を見て「真正の狂人」と書いているらしい。
 竹内洋はいわく-「たしかに簑田の文章は過剰で過激かもしれないけれど「狂人」とは思えませんね。だったらアジビラ作成者やアジ演説者はなべて「狂人」となります」。
 立花隆は上の本で蓑田を「精神障害者」と「断定」して「非常に低レベルの知識人であると断じている」らしい(竹内による)。
 竹内洋はいわく-「理論の方向はたしかに問題があるかもしれませんが、彼の知的水準はかなり高い」。
 これに佐藤優も応援して言う-「立花さんのように蓑田を「狂人」としてしまうと、すべての議論はそこで終わってしまう
」。
 
竹内洋が重ねていわく-「立花さんのやっていることは、蓑田はとんでもない奴だと言っているだけです。それだけでは、蓑田と蓑田的なるものにレッテルを貼って封印するだけになってしまう」。
 最後に、立花隆は蓑田の終戦直後の「自殺」は「精神がおかしくなったからだという書き方をしている」らしい(竹内による)。
 竹内洋はいわく-「私が思うに彼は縊死するかたちで責任を取ったんだと思います」(p.133)。
 立花隆・天皇と東大は文藝春秋に連載中に一部は読んだだろうが、本を買う気はないし、読む気もない。
 4/27に書いたが、同氏は
日経BPのサイト内の4/14付けコラムを、「9条を捨てて『普通の国』になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである」と結んでいる。
 立花隆という人は気にくわない人や論調をかかる簡単な言葉で<切り捨てる>趣味があるようだ。それが進めば、<レッテル貼り>、しかも「精神障害者」・
「狂人」との<レッテル貼り>で済ませることにもなってくるのだろう。
 いずれにせよ、少なくとも近年の立花隆の議論の仕方は正常ではない。竹内洋等を通じて間接的に知ったのみだが、上の本もどうやら、冷静な分析・考察の本ではなさそうだ。
 立花隆なら、こう書いてもきっと許すだろう。-立花隆の大脳の中の知性・理性・論理を掌る脳細胞は、急速に劣化し、腐食してきているのではないか。

0190/朝日新聞は日本の「障害」だ、「はき違えてもらっては困る」。

 朝日新聞については、稲垣武・朝日新聞血風録(文藝春秋、1991)、井沢元彦・虚報の構造・オオカミ少年の系譜-朝日ジャーナリズムに異議あり-(小学館文庫、2003。初出1993-95)、小林よしのり=井沢元彦・朝日新聞の正義(小学館文庫、1999)、古森義久=井沢元彦=稲垣武・朝日新聞の大研究(扶桑社、2002)等の批判的分析を読んだ。
 月刊WiLL、諸君!等には毎号、朝日新聞の報道ぶりを批判するコラム等が掲載されている。
 また、稲垣武・「悪魔祓い」の戦後史(文藝春秋、1994。文春文庫版1997)、同・「悪魔祓い」の現在史(文藝春秋、1997)等々が批判の矛先の重要な一部としている。これら稲垣の二著の副題はそれぞれ、「進歩的文化人の言論と責任」、「マスメディアの歪みと呪縛」だ。
 横田滋が「親の代から」とっていた朝日新聞を「8月末で解約」したと抗議文で書く原因となった有名な1999年8/31社説「「テポドン」1年の教訓」の一部はこうだった(読売論説委編・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)p.154~に全文あり)。
 「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致問題をはじめ、障害がいくつもある。/しかし、植民地支配の清算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的責務といってもいい」。
 
当時家族会事務局長だった蓮池透によれば、読んで「頭にきて」すぐに朝日新聞社に電話をしたら、論説委員は出せない、返答が欲しければ返信用封筒に切手を貼って同封せよと対応された、「障害」とは「邪魔」の意味かの質問に、拉致に関する北朝鮮の態度が正常化交渉再開の「障害」になっている旨が本意であり誤解されれば残念だ、と文書回答してきたが、2002年12/27の北朝鮮報道検証の特集企画の中では、「障害」とは「乗り越えなければならない、つまり解決されなければならない課題という意味」をこめて用いた、と「障害」の意味を一転させた、という(諸君 !2003年01月号p.38-39)。
 石原慎太郎東京都知事が「不法入国した多くの三国人、外国人」との表現を使ったとき、朝日新聞2000年4/13社説は「不法入国した…」との限定があったことを無視し、かつ「三国人」という語の歴史に無知なままで、差別語の「三国人」を使うのは「恐ろしいほどの無神経さ」だと罵倒し、「都知事というポストは、気ままな政治信条の表現の場ではない。…はき違えてもらっては困る」とまで書いた(読売論説委編・社説対決50年(2001)p.276-)。
 何度も書いてきたようなことだが、朝日新聞はいったい何様なのか。「恐ろしいほどの無神経さ」に驚く。そして、「はき違えてもらっては困る」と言いたい。

0188/安倍晋三現首相は朝日新聞と何度も闘ってきた。

 安倍晋三首相と朝日新聞社の闘いは今後も続くだろうが、北朝鮮の拉致被害者問題に関して、安倍首相による朝日新聞批判が活字になっているのを二つ見つけた。古書で入手した諸君!2003年02月号(文藝春秋)と山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)の中でだ。
 記憶をたどれば、2002.09.17の首脳会談で金正日が拉致を認め生存者5名・死亡者8名(・あとは不知)と伝え、同年10.15に5人が羽田空港に帰国した。10.24に政府は5人を日本に永住させる(北朝鮮に戻さない)、家族の早期帰国を求める等を決定した。
 もともと朝日新聞は親北朝鮮の姿勢で拉致問題解決よりも国交回復を急げとの主張が基本だったが(今回はその詳細は省略)、朝日は政府決定のあと「5人の言動からはいったん北朝鮮に戻るという気持ちがうかがえた。…北朝鮮にやはり戻りたいということもあるかもしれない」との部分を含む10/26社説で混ぜ返した(5人はそんな気持ちでなかったとの証言がのちにあるが省略)。
 家族が離れた状態になったのだが(4人=2夫妻の子供たちの帰国は04.05.22、1人の夫・子供たちの帰国は同07.18)、北朝鮮は5人を戻さなければ交渉しないと(約束違反だとか言って)態度を「硬化」させたのだった。
 そんな北朝鮮の態度を知って(それを配慮したのか?)、朝日新聞は、拉致被害者の「居住の自由は?」、「家族離散の強制では」等の投書を多数載せつつ12/26社説体制変換望めばこそ/北朝鮮との国交交渉」で、5人の家族の帰国問題につき「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではない。感情論に乗るだけでは真の国益を踏まえた外交にはならない」と述べた。
 この朝日新聞社説を厳しく批判したのは、当時官房副長官で政府内で重要な役割を果たしていた安倍現首相だった。次のように述べた。
 「これを読んで、私は非常に落胆しました。記事は…暴発の可能性を示唆しつつ、拉致問題については、双方の原則やメンツにこだわるのはよくない、「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではないということだ」と、主張しています。国家的犯罪を犯した立場の国と、被害者のわが国を同列におくという、論理の基本がそもそも間違っているのです。/いったい、「朝日」は、どういう妥協をしろといっているのでしょうか」。
 「…「死亡」とされた8人の方々の安否について、あれは北朝鮮側の通りでした、といって納得すればいいのでしょうか。5人の帰国者たちの家族についてはもう諦めました、とでもいえばいいのか。あるいはもう戻りたくないといっている5人を、無理やり平壌へ送還すればいいのか」。
 「はこれほど無責任な提言は見たことがありません。「真の国益を踏まえた外交」を展開せよ、と記事はいうが、9月の台風のさなかに海水浴をしていて溺死しました、というような報告を鵜呑みにしたうえで実現しなければならない「国益」とは一体、何なのでしょうか」。(諸君!2003年02月号p.68-9)
 朝日新聞はその後2003年元旦の社説でも基本的態度を変えなかったようだ。安倍は2003年1月下旬の某講演会で次のように述べて朝日を「敢然と批判した」(山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)p.169-170による)。
 「いま大切なことは国民の声をひとつにしていくことです。…今年の元旦の(朝日新聞の)社説の場合、拉致問題では「強硬論を言うだけでなく、落としどころを考えろ」という趣旨の論調があったわけです。拉致問題そのものに妥協なんてありません。「5人の子供たちは帰ってこなくていい」「5人を向こうに戻す」なんてしません。また、5人の子供たちが帰ってきたら後の人たちは忘れてもいいのでしょうか。…そういうわけにはいかない。私たちは私たちの手で安否を確認しなければならない。…朝日新聞は「8人を忘れてしまえ」というのと同じことをいっているといっても差し支えないでしょう。こういう論調が交渉をうまく進めさせない、われわれの主張を通すことができない障害になっていると強く懸念しています」。
 山崎行太郎という無名と思われる文芸評論家によると、こうした安倍氏の発言は全て朝日への<言論弾圧>であり<恫喝と恐喝>ということになるのだろう。文芸評論家と名乗るからには、言葉は正確に使って欲しいものだ。
 政治家にも言論の自由があり、それを行使し、広義には「権力」団体に他ならない朝日の謬見を正当に指摘し、批判しているにすぎない。
 なお、読売論説委編・読売VS朝日-北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002.12)の最後には、「同時に大局を失ってもならない。ためらわず、正常化交渉を再開させることである」との朝日02.09.22社説と「国交正常化を急ぐことはない」と題する読売02.10.10社説が対比して掲載されている(p.198-)。

0183/中西輝政・諸君!2007年6月号の共産主義の「謀略」論。

 月刊諸君!6月号(文藝春秋)の中西輝政「日本の最高機密を狙う「軍事大国・中国」の黒い影」は情報・インテリジェンスに関する連載ものの一つだ(5月号の内容も既に紹介した)。
 中西が「共産主義の置き土産」としての「歴史的通底」を感じる、というのは、次のような諸事件を指す。
 ・上海日本領事館員がハニートラップにかかっての自殺、・海上自衛隊「イージス艦」の最高機密漏洩の乗員の中国人妻問題による発覚、・「デンソー」の中国社員による高度秘密技術の持ち出し、・「ヤマハ発動機」の中国軍関係企業への違法輸出、・北朝鮮工作員の日本人妻の殺害と二人の子供の北朝鮮への拉致(渡辺秀子さん事件)、・東京都内の貿易会社が30年以上北朝鮮の対日工作拠点だったことの発覚、・反プーチン活動中の元スパイのロンドンでの暗殺(リトビネンコ事件)。(p.214-5)
 これらにつき、日本政府(・自民党等)は、外務省は、そして日本の民主党等の野党は、いったいどのような発言又は質疑を、国会においてしてきたのか。松岡前農水相の「なんとか還元水」問題と中国への軍事又は技術情報の漏洩や北朝鮮の工作(・拉致)による被害の問題と、いったいどちらが日本にとって重大な関心事なのか
 外交・防衛では「票」にならないと思っているのか、野党も<大衆受け>しそうな話題のみを取り上げ、国益・公益を忘れて政争の材料にしている、というのは言い過ぎだろうか。中川八洋の言を俟つまでもなく、日本の国会はとっくに衆愚政治の場と化し、ワイドショー的関心を惹くテーマを多くとり挙げているのではないか。
 中西の論稿に戻って、氏によれば、共産主義(国)による情報活動には次の三範疇がある。1.単純なスバイ(情報の窃取)、2.諜報・秘密工作目的の「提携」・「交流」等の名目での(表向き合法の)経済活動、3.世論操作・政策歪曲・社会運動(「市民」運動)を「裏から秘密裏に推進」する活動(p.216-7)。
 一方また共産主義者(国)において、「民主主義国において、…表向き共産党との関係を否定して様々な活動に従事することの大切さは早くから認識されていた」。そして、正式に「党員」になるのではなく(又は「党員」を籠絡するのではなく)、「秘密の要員を、政府や社会の要所に送り込んでゆく手法」は広く採用された。
 また、フランスの情報史家によると、資本主義国の共産党の内部には、通例「三つの異なる組織」がある、という。1.公然と「共産党」を名乗る組織、2.財政・経済面で「党」を支える目に見えない秘密組織、3.50年代まで活発だった「非合法機関」。同史家は、1980年代でも上の3.に属する「秘密党員」の大きな勢力がフランス国軍の内部に依然として存在していた。
 中西も言うように、日本共産党の場合はどうだったのか、という問題がある。日本共産党は戦前の早い時期に公然活動ができないほどに殲滅された筈だが、それは上の1.のことで、実質的に共産主義に寄与する2.や3.の実態については、すなわち日本共産党の「地下組織」や「秘密党員」の問題については、殆ど解明されていないままだという。
 私が勝手に推測するに、有能な国家官僚や大学教員の中に「もぐら」(秘密党員)が逮捕もされずに存在していて、戦後になって、意識・考えが変わったなどとして「進歩的」・「革新的」活動を公然とし始めたかつての「秘密(日本共産党)党員」もある程度いたのではなかろうか。
 以下の紹介は省略するが、日本と日本人は「情報戦争」というものについての感覚を殆ど持っていないようであることを痛感する。防諜法(スパイ防止法)すら存在しないことは、中西によれば日本が<最も安全ではない国>の証左だという。
 中西は最後にこう書く。「戦前日本の、あの厳しい防諜法制の完備していた時代でさえ、内閣や軍部中枢や外務省、「朝日新聞」などの代表的メディア、果ては宮中の内部にさえ、ソ連・コミンテルン・中共の諜報網が手を伸ばしていた…。それほど、共産主義の秘密工作というものはすさまじいものがあった」。今の日本に必要なのは「国家中枢やメディア界の実態に対する国民的関心であり、…諸外国並みの監視システムとのう・ハウ」で、「堅実な知識」にもとづく「インテリジェンス・リテラシー」の向上だ。(p.224)
 民主党の角田義一議員に対して朝鮮総連系団体から違法な献金がなされていたことが先々月あたりに明らかになったが(政治資金規正法違反だ。朝日新聞等は松岡勝利前農水相の事務所経費へと少なくとも同等以上の関心を向けたのか、極めて疑わしい)、その某議員は献金の事実を認めただけで、それ以上の釈明も情報提供(説明)もしなかった。実質的に北朝鮮から何らかの便宜・利益供与を受けて<知らず知らず>にでも親北朝鮮意識をもつに至っている者は民主党に限らず存在するだろうと思われる。
 (なお、読売5/29社説は松岡農水相自殺を受けてこう書く。-「今国会は、事務所費ばかりが問題になっているが、民主党の角田義一前参院副議長が北朝鮮と密接な関係のある団体から献金を受けていた事実は、はるかに重大だ。こうした問題の究明が、きちんとなされていないのは解せない」。)
 政界だけに限らず、北朝鮮や中国の<働きかけ>はメディア界にも及んでいると見るのが妥当だろう。
 5/6のブログで安倍晋三首相の2005年時点の発言を紹介しているが、その中に、「国際女性戦犯法廷」で検事役を務めたのは「黄虎男」という北朝鮮の工作員だと2005年01/13のテレビ朝日・報道ステーションで指摘すると、コメンテイターの朝日新聞編集委員・加藤千洋は不審そうに、彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識がありますとも言った、という部分がある。
 朝日新聞の加藤千洋は北朝鮮工作員某と「ふつうの人物」として「面識」を持っていたのだ。このことは、北朝鮮工作員たちが多額の金品でもって朝日新聞の編集委員等を「誘惑」して北朝鮮寄りの記事を書かせることを直接には意図しておらず、ごくふつうの常識的な人物として「知り合い」になることから<接触>を始めることを示しているだろう。
 むろん現実に日本国内で種々の<工作>をしているのは北朝鮮だけではなく、当然に中国もだ。
 明確な根拠資料は私には勿論ないし、政府やメディアにおいても恐らくそうだろうが、朝日新聞等の<中国寄りの>・<中国に都合の悪いことは書かない>・<中国政府・中国共産党の意向に合わせた>報道姿勢は、完全に自主的にそういう選択をしているのだろうか。間接・間々接あるいは「やわらかい」接触も含む、<働きかけ>とも言えないような(表向きは「ふつう」で「社会通念の範囲内」の)<付き合い>が(中国共産党員と公言していない者も含む)中国人と朝日新聞等との間にはあるのではなかろうか。
 以上はむろん推測にすぎないが、朝日新聞の<媚中・反日>報道姿勢は、そのような推測もしたくなるほどのものだ。
 「人の心をめぐる争奪戦(心理戦)こそ、諜報活動の最も高次元のもの」だ(p.215)。種々のブログを見ていて、かかる「諜報活動」(<情報戦争)の一環として組織的に運営されているのではないかとも思えるサイトもある。そして、奇妙に、又は気味が悪く、思うことがある。

0120/中西輝政・日本の覚悟(2005)でも安倍晋三は朝日を批判。

 中西輝政・日本の「覚悟」(文藝春秋、2005.10)の第14章は「「朝日」の欺瞞を国民は見抜いている」で、その初出は、諸君!2005年3月号の「慰安婦も靖國も「朝日問題」だ」と題する安倍晋三との対談だ。現首相の当時の発言を要約し又は一部引用して記録にとどめる。
 1.「A級戦犯分祀」論批判-「A級戦犯」で有罪判決を受けた人は25名で、死刑でなく禁固刑でのちに釈放された重光葵元外相も含む。「中国側の言い分に従って、東京裁判の正当性を認め、A級戦犯の責任を改めて鮮明にするのであれば、重光さんからも勲一等を剥奪しなければ筋が通りません」。
 (なお、重光の他にのちに法相となった賀屋興宣もいる。この旨を安倍は2005年9月にも民主党・岡田克也に答えて述べたが、岡田は有効な反論をできなかった。この対談でのかなり詳しい安倍発言の内容を岡田はおそらく知らないままだったのだろう。)
 2.対NHK「政治圧力」問題a-2001年にNHKが報道した「元朝日新聞記者・松井やよりなる人物が企画した…イベント」である「女性国際戦犯法廷」は昭和天皇を「性犯罪と性奴隷強制」の責任で「有罪」とした異常な「疑似法廷」で、「検事席に座っていたのは、なんと北朝鮮の代表二人。いずれも対世論工作活動を行っているとされ」、日本再入国を試みたときは政府はビザ発給を拒否したような人物たちで、うち一人は「黄虎男」という。2005年01/13のテレビ朝日・報道ステーションでこの旨指摘すると、朝日新聞編集委員・加藤千洋は不審そうに彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識があります」とも言った。加藤は「工作」の意味が分からず、かつ「工作」の対象になっていたのでないか。
 (朝日・加藤千洋の「お人好し」ぶりを安倍は皮肉っている。)
 3.対NHK「政治圧力」問題b-「松井氏らの茶番法廷」につき「主催者の意向通りの番組が放送されるらしいというのは、当時、永田町でも話題」だったが「この件について私がNHKを呼びつけたという事実はまったくありません」、幹部が「予算・事業計画の説明に来訪した折、向こうから自発的に内容説明を始めた」のだが、「良からぬ噂は私の耳にも届いて」いたので「私は「公平、公正」にやってくださいね」という程度の発言」はしたが「与党議員、官房副長官として、圧力と受け取られるような発言をしてはならないという点は強く自覚して対処」した。しかし、「朝日は、私の反論、回答要求に、何ら新たな根拠や資料を示すこと」がなかった。
 (周知のとおり、にもかかわらず朝日は謝罪も訂正もしなかった。外部者から成る委員会が「真実と信じた相当の理由はある」などと言ってくれたのを受けて、取材不足だが真実でないとはいえない、と結論づけて自ら勝手に幕を閉じた。外部者の委員会(「「NHK報道」委員会」)の4委員名は、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大学(法)教授、だ。)
 4.「女性戦犯法廷」と朝日の安倍攻撃の背景-2001年頃には拉致問題が注目され始めたので、北朝鮮は被害者ぶることで「日本の世論における形勢を立て直そうとしていた」。そこで、「日本の過去の行状をことさらに暴き立てる民衆法廷のプランが浮上したのでしょう」。2005年の1/12に朝日は中川経産相とともに「事前検閲したかのような記事を載せた」が、「4年も前の話を、なぜいまこの時期に?」。 かの「法廷」に「北朝鮮の独裁政権が絡んでいたことを考えると、私がいま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」。
 (この指摘は重要だ。安倍は、2005年01月の朝日の(本田雅和らによる)記事と安倍が「いま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」と明言している。正しいとすると朝日の本田雅和らは北朝鮮と何らかの密接な関係があることになる。もともとの「女性戦犯法廷」が北朝鮮と関連があったことはほぼ明白だが。)
 5.朝日への姿勢-中西の「従来から朝日の安倍さんへの個人攻撃はどう見ても常軌を逸しているとしか思えません」との発言をうけて、「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるか」を「国民は見抜いている」、「いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は…朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は、国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない
」。
 以上

0113/諸君!6月号と正論6月号の一部を読む。

 1月前の東京都知事選の浅野史郎敗北の原因につき、諸君!6月号(文藝春秋)の伊藤惇夫「小沢一郎は「化学反応」を起こせるか」は、浅野の「周辺には常に「市民運動家」や「市民グループ」が寄り添っていた」が、「彼らの中には左翼活動家崩れや”プロの市民”が多数紛れ込んでおり、大半が普通の市民でないこと」を「「普通の都民」も敏感に感じとっていた」ことを挙げている(p.105)。
 正論6月号(産経)の佐々淳行「「反石原」勢力の実態は「全共闘」だった」の中身にはこの題に即した部分がないのだが、タイトルが敗因を示唆している。むしろ、同誌同号の遠藤浩一「「保守系」圧勝が示した民意とは」が、浅野の「知名度が上がるにしたがって、左翼リベラル臭も漂うようになった」とし、統一地方選前半を「左翼リベラル」の敗北と総括している(p.127)。
 「左翼リベラル」という語の厳密な意味は問題になりうるが、雰囲気?としては、それぞれに異論はない。何しろ、上野千鶴子が明瞭に支持し、五十嵐敬喜らと集会を開いて立候補を唆したのが浅野史郎だったのだ。
 有田芳生は浅野を批判していたので、彼は、投票したとすれば、(石原慎太郎氏に投票するような御方ではないので)たぶん日本共産党の吉田某に対してだっただろう(ずいぶんとお節介な推測で申し訳ない)。
 ところで、伊藤惇夫、遠藤浩一の各論稿は7月参院選、民主党や「無党派」に言及しているが、必ずしも一致しているわけではない(当然だ)。
 紹介はやめて、私のコメントを付すが、「無党派」なる層が大量に存在していることは日本の政党政治の未熟さ、政党に魅力がないことの現れだし、自民党、民主党ともに(とくに民主党が)その基本的考え方が明瞭ではなく、いずれも(とくに民主党だが)反・非主流派的集団を抱えていることの影響もある、と思われる。
 そして、小沢一郎と旧社会党左派・横路某等が「手を組んでいる」らしい民主党の基本的理念は甚だ解りにくく、自民党と安倍内閣にとっては幸いにも、「無党派」層の支持が参院選でも民主党に集中しそうにはないようだ。
 民主党代表が小沢一郎であることは自民党と安倍内閣にとっては幸いで、清新で自民党よりやや「進歩的」イメージの者が代表であれば、7月参院選では自民党・安倍内閣は完璧に「危険」だったような気がする。
 「無党派」層の大量の存在(と投票率の低さ)の原因は、政治や政治家に関する一般マスコミ・メディアの報道の仕方も大きい、と考えている。細々としたことも含めての政治家の粗探しや、党争的又は政略的な政治家の発言・行動に注目した報道を続けていれば、実際以上に、政治家(と政党)のイメージは悪くなるに決まっている。
 朝日新聞がその先頭にいるだろうが、日本のマスメディアは、<政治不信>をバラマき、社会を安定させず、好んで攪乱の方向に導いているとの印象をもっている。ジャーナリズムとやらを、少し吐き違えているところがあるのではなかろうか。
 突飛だが、社会を安定させず、攪乱させるのは(又はそういうイメージを醸成するのは)、共産主義者の戦略でもあろう。彼らにとって、資本主義社会が落ち着いた、安定した社会であってはならないのだ。良好な秩序がなく、混乱している筈なのだ。新聞・テレビニュースばかりを見ていると、ある程度はそんなイメージも持ってしまう。日本の多くのマスメディアは、客観的には「共産主義者たち」に奉仕している
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー