秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

認識

2910/人間の「感覚」と<哲学者>。

   「五感」というのは視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五つを言うらしい。だが、最後の「触覚」には、圧せられるという感覚、気温の高低の感覚、揺れ動くという感覚等も入るらしいので、これはかなり広い。
 だが、ともあれこうした「感覚」(sense)でもって、ヒト・人間は「外界」を認識する、あるいは感知、知覚する(know, perceive, cognize, recognize 等)。
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  話題は飛ぶが、私は(適当に名を出せば)カント、ヘーゲル等々の「哲学」というものを信頼できない、そしてまともに読んでみる気になれない。なぜなら、「客体」と「主体」、「客観」と「主観」、「外界」と「自己」という場合、当然に人間の「認識」活動を前提とするはずなのだが(きっと)、「客体」・「外界」を認識・知覚・感知する「主体」の<感覚(器)>としていったい何を想定しているかが、よく分からないからだ。
 「文字」または文章というものをヒト・人間が生み出して、文字・文章を「読解」する、あるいは「認識」するという作業を行なうようになった。この場合、文字・文章に対する「視覚」が(通常は)必要だが、読解し理解するためには、ヒト・人間の「脳」神経の活動が必要だ(と思われる)。
 過去の著名な?「哲学者」たちは、人間の「精神」活動をあるいは脳神経・脳細胞(ニューロン)について、あるいはもっと手前で「言葉」・「言語」というものの働きについて、いかほど知って、あるいはいかほど考察して、いたのだろうか。
 さらに、ヒト・人間そのものについて(も)語るなら、生まれて死ぬ存在のことをどう考えていたのだろう。そして、例えば<遺伝>と<生育環境>の違いについてどう考えていたのだろう。
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 正確な記憶ではないが、あるテレビ番組で山中慎弥が人間はまだ「細胞」に関して10パーセントも分かっていない、という旨を言っていた。そのとおりだろう、と思われる(「DNAの90%は謎」とかも関係する)。
 さらに「細胞」の一種である「神経細胞」についても(とくにその「脳内」活動について)、じつはほとんど何も分かっていないのではなかろうか。
 「脳科学」というのは、ようやく端緒についた、というのが正確ではないか。
 そして、再述になるが、(一人につき)800-1000億個のニューロンの複雑怪奇な結合・離反が生み出すはずの(きっと)、「思想」(idea, thought)とはそもそも何かも、かつての著名な?哲学者たちは何も知らなかったのではないだろうか。
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  西田幾多郎『善の研究』(1911年)
  第一編の第一章の冒頭から引用する。但し、ひらかな化したりなど私なりに「現代語」化している。ほとんどに、改行も加えている。
 「経験というのは、事実そのままに知るの意味である。
 全く自己の細工を棄てて、事実に従って知るのである。
 純粋というのは、ふつうに経験と言っている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。
 例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるかという判断すら加わらない前をいうのである。
 それで、純粋経験は直接経験と同一である。
 自己の意識状態を真下に経験したとき、未だ主もなく客もない、知識とその対象が全く合一している。これが、経験の最醇なるものである。」
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  これだけで区切るのが乱暴なことは分かっているが、すでに看過できない点がある。
 「主と客」、「外物」と「自己の意識」あるいは「対象と知識」が対比されているようであることは、この「哲学者」についても見られるようで興味深い。
 「純粋経験」という語が出てくるが、カントもまた、「純粋認識」・「純粋判断」そして「純粋理性」等を語っているらしい。もっとも、カントの一著(1780年代)の冒頭をこれまた一瞥だけしたのだが、西田のいう「純粋」と(似ていても)同じではないだろう。
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 さて、上だけで立ち止まるのは、「色を見る、音を聞く」という感覚に言及があり、これが「考え」・「判断」等が生じる前に発生する(し得る)、ということをしきりと言っているように見えるからだ。どうやらこれが、「純粋経験」らしい。
 しかし、端的に書いてしまおう。
 第一に、そんな現象がヒト・人間に生じ得ることは、<当たり前>のことではないか。音を快く感じ、光景を「美しく」感じることは、空腹感を抱いたとき等と同じく、「考え」や「判断」あるいは(別次元になるが)「言葉」を必要としないで、いくらでもあり得る。近づく自動車を感じて、咄嗟に「回避」するという動きもそうかもしれない。
 なお、西田が人間に全ての「認識」(の少なくとも基礎)にこの「純粋経験」があると言いたいのだとすると、「認識」や「純粋経験」の意味の問題にもなってしまうが、疑問だ。
 第二に、いったいどのような人間の、どのような感覚(とくに聴覚と視覚)が想定されているのだろうか。つまり、全てのヒト・人間が西田と同じとは限らないのだ。
 極論めくかもしれないが、多くの人々がもつ視覚や聴覚を持たない人々もいる。後者の人々にとって、「見えない」、「聞こえない」人々にとって、「純粋経験」とはいったい何のことか
 視覚についても、いわゆる「色盲」の人は外界を(そうでない人々とは)異なって見ているはずだ。聴覚についても高音部または低音部だけは聞こえ難い、という人々もいるはずだ。
 さらに、いわゆるAIあるいは人工ロボットはどの程度を標準としているのだろうと思っているのだが、視覚能力(視力)には裸眼で0.001〜2.0まである。全員が「同じ」ものを見ているのではない。モニター画像の精度にも(省略するが)いろいろある(テレビの「4k」はどの程度普及したのだろう)。
 同様のことは聴覚能力(聴力)についても言える。音楽を聴く場合に「ハイレゾ」(あるいはこれ相当のApple-Lossless)でないと嫌だ、それ以外は「雑音」と感じる、という人もきっとごく一部にはいるだろう。
 もともとは、音再生機・聴覚機器の機能によって、「何が聞こえているか」の程度も、異なるのだ。1秒間あたりの音波の振動数等の「切り取り」の方法・程度は、耳によって、そして種々の機器によって(いずれを人間が用いているかによって)同じではないのだ。
 そうだとすると、「純粋経験」との語で表象されるものは、いったい何か。
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 というようなことに思い至ると、「純粋経験」の意味、この言葉や概念の存在意義はさっぱり分からなくなる。
 <認識>を問題とする「哲学者」の文献をまともに読むことができない、という旨を上(今回の初めの方)で書いたのは、こういった理由でだ。
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2036/外界・「認識」・主観についての雑考。

 ヒト・人間はいつ頃から、自分または「自分たち」が他の生物・物・事象・自然等を「認識」することの意味を考え始めたのだろうか。
 それは宗教の始まりとほとんど同じで、ギリシャの哲学者たちはとっくに「哲学」の対象にしていたのだろう。
 事物の「存在」が先ずあって、人間はそれを「認識」するのか。それとも、人間が「認識」するからこそ、当該事物は「存在」すると言えるのか。
 つまり、「客体」という客観物が先にあって、「主体」の主観的行為が後にくるのか。「主体」の主観的行為によってこそ「客体(客観)」を<知る>のか。
 あるいは、「外部」が先で人間の「内部」作業が論理的に後なのか。人間の知覚という(脳の)「内部」過程を前提として、「外部」の事物の存在が判明するのか。
 これは人文(社会)学・哲学上の大問題だったはずで、これまでの長きにわたる議論は、これに関連しているはずだ。きっと、単純な観念論と単純な唯物論の区別もこれに関連する。
 また、「心(知)」と「身体」の区別に関するデカルトの<心身二元論>もこれに関連する。<思考する実在>と<延長された実在>。
 この二元論は、人間の「身体」は「心(知)」・「精神」とは異なる「外部」・「客体」と把握することになるのだろう。「私」は「考える」ことのうちこそ「存在」しているのだ。そうすると、上の二つをめぐる議論は、<物質と精神>の区別や関係に関するそれとほぼ同じことになる。
 デカルトはこの二つをいちおうは?厳格に区別し、両者を連結するのが脳内の「松果体」だと考えたらしい。また、彼は「心」は心臓にあると考えた、という説明を読んだこともある。
 明確な<二元論>に立たないとすれば、上述のような<堂々めぐり>、<循環的説明>は、言葉・概念の使い方・理解の仕方にもよるが、容易に出てくる。
 しかし、つぎのような場合があるので、「外部」・「客体」・事物ないし事象の存在を不可欠の前提にすることはできないだろう(とも考えられる)。
 ①幻覚。「お化け」もこれに入りそうだ。薬剤・ドラッグの影響による場合も。「幻視」に限らず、「幻聴」等もある。
 ②浅い睡眠中に見る「夢」。
 ③全身麻酔からの覚醒後に残り得る「錯乱」。これは、①の薬による「幻覚」の一種だとも捉え得る。
 これらは「外界」の存在を前提とせず、「主体」・「内部」が勝手に<認識>している(と言えるだろう)。
 そうすると、「主体」・「内部」という主観的側面こそが第一次的なもので、「外部」の存在を前提として主観的側面が発生する、というのではない。
 しかし、上の①~③は「異常」な場合、例外的な場合であり、「主体」・「内部」という主観が正常・通常の場合は、やはり「外部」の存在が先立つ前提条件ではないのか。
 これはなるほどと思わせる。しかし、主観の「異常」性と「正常」性はどうやって区別するのか。「主体」が「外界」を「正常」に<認識>しているか否かを、どうやって判断するのか。
 こうなると、さらに論議がつづいていく。
 すでにこの欄で言及したことに触れると、つぎの問題もある。
 「主体」・「内部」の主観的過程において、<感性と理性>というもの、あるいは<情動と合理的決定>というものは、どういう違いがあり、どういう関係に立っているのか。
 以上は幼稚な叙述で、むろんもう少しは、すでに叙述し、論理展開することはできる。
 かつての「大」哲学者たちも、要するに、その<認識論>あるいは<存在論>で、こうしたことを思考し、論議してきたのだと思われる。
 過去の「大」哲学者たちの言述うんぬんは別として、<自分で>考えている。同じヒト・人間なのだから、私でも、少しは彼らに接近することができるのではないか。
 それに、ダーウィンの進化論等以降の「(自然)科学」または進化学・遺伝学・生物学(脳科学・神経生理学等々を含む)等の進展によって、もちろん「神」の存在の助けを借りることなく、彼ら「大」哲学者たちよりも、上の問題を新しく、より正確に議論することができる状態にある、と言えるかもしれない。
 デカルト、カント、フッサール、それにマルクス等々の生きた時代には、現に生存中の人間の脳内の様相(ニューロンの発火状態等)をリアルタイムで視覚的・電位的に把握することのできるfMRIなどという装置は考案されていなかったのだ。
 もっとも、日本の現在の人文社会学研究者または社会・政治系の評論家類はいかほどにヒト・人間の<本性>に関する生物学・神経生理学の進展の成果をふまえて執筆したり、議論しているかは、相当に怪しいのだけれども。
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