西尾幹二について、掲載し忘れのないように、いつか総括的な論評をしておこうと思っていた。私の長期的な生存自体の可能性が曖昧なので、書き忘れたままになるのは避けたい。もう一つ、<日本共産党の大ウソ>シリーズも完了していない。こちらの方も、別に急ぐことにしたい。
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西尾幹二とは何か。この人が「やってきた作業」、「全仕事」の本質的性格は何か。総括的に論評すればどうなるか。
2の2乗の4とか3乗の8という数字が好きだから(1000よりも1024の方を「美しく」感じるたぶん少数派の人間だから)、上の点を四つにまとめてみたい。
第一は、すでに書いた。→「2646/批判66」。
多数の人々に「えらい」、「すごい」と認めさせ、自分に屈服させること。これがこの人の作業の、最大かつ最終の目的だったと思われる。
単純に「えらい」、「すごい」ではなく、西尾幹二がとくに意識した「ライバル」たちがあって、その者たちよりも「優れている」とできるだけ多数の人々に承認されたい、というのが正確かもしれない。
この点には立ち入らず、つぎの点に進む。
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誰でも、自分自身についての何らかの自己イメージ、自己評価、自画像を描いているだろう。そのイメージが他者による自己の評価または「客観的」評価と一致しないことは、よくあることだろう。
だが、西尾幹二の場合、第二に、<西尾自身による自己イメージと第三者多数によるまたは「客観的な」評価との乖離がきわめて大きい>、と考えられる。これが、西尾幹二の全作業の評価にかかわる基本的特質だ。西尾は「客観的」評価などは存在せず本人の強い主張によって「評価」自体が変動するのだ、と考えているのかもしれないが、この問題にはここでは触れない。
詳細は省くが、この人は自分は「思想家」だと明言している(正確には対象の一定の限定が付く「思想家」)。西尾幹二本人と、「思想家」だと宣伝して西尾本を売りたい出版社、その編集担当者を除いて、<表向きであっても>西尾幹二は「思想家」だと評価している者は皆無だと思われる。
むろん「思想家」なる言葉の意味、外延にもかかわる。しかし、西尾幹二自身は、相当に限定された、「優れた」人間にのみ与えられる呼称だと思っているはずだ。
また、例えばつぎの、この人が書いた2018年の次の文章を引用するだけでも、西尾幹二が関係した「運動」や書物についての自己イメージ・自己評価が、<誇大妄想>という以上の「異様」なイメージであることは明らかだと思われる。なお、以下での「つくる会」運動は、西尾が会長であった時期のものに限られている。そして、①はその時期の著作物は「歴史哲学」上の成果物だと主張しているとみられる。②は、まさに自分の著作『国民の歴史』に関するものだ。
①・②ともに、全集第17巻・歴史教科書問題(2018年)「後記」所収751頁。秋月による下傍線の意味については後述。
①『国民の歴史』等の「著作群は、同運動の継承者を末長く動かす唯一の成果であろう。はっきり言ってこの観点〔おそらく「日本人の歴史意識を覚醒させる」こと—秋月〕を措いて『つくる会』運動の意義は他に存在しなかった、と言ったら運動の具体的関与者は大いに不満だろうが、歴史哲学の存在感覚は大きい」。
②古代から江戸時代まで「中国を先進文明と見なす指標で歴史を組み立てる」という観念をもつ歴史学の「病理」を「克服しようとしている『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えていて、…、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」。
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第三に、<意味不明・無知>と表現しておく。この人の作業あるいは仕事は、要するにほとんどは「文章書き」だ。その「文章」はいったい何をしようとしていたのか、じつははなはだ不明だ。また、幼稚な「誤り」も、しばしば看取される。
性格について言うと、小説や詩等の「創作物」・「フィクション」ではない。では、何かを解明しようとする「学問研究」なのかと問うと、ほとんどが学問研究ではないと考えられる。
「評論」という名のもとで行なってきたこの人のほとんどの作業の性格は、いったい何だったのだろう。
別により具体的には言及したい。
一例だけ上げると、安倍晋三首相退陣直前の西尾「安倍晋三と国家の命運」月刊正論2020年7月号37頁以下は、いったい何を目的とし、何を論じているのだろうか。また、西尾幹二は<保守の立場から安倍政権を批判する」と表紙に明記する書物を刊行したことがあるが(『保守の真贋』2017年)、この2020年7月号の文章では、最後にやや唐突に「安倍政権は民主党政治の混乱から日本を救い出し、長期の安定をもたらしたが」という、そのかぎりでは好意的に評価する言葉が出てくる。そもそもの「一貫性」自体が、この人には脆いのだ。安倍政権について、民主党政権から日本を救い、「長期の安定」をもたらしたとの趣旨は、2017年著のどこに出てくるのか。
「無知」は、すでに「根本的間違い」と題するなどをしてこの欄で何回も取り上げた、西尾幹二の「国際情勢」の認識・判断において顕著だ。再度は立ち入らないが、アメリカより中国はまだましだ、アメリカは中国・韓国の支持を得て日本を攻めてくるだろう旨を、何回も述べていた。<反米>を強調するあまり、アメリカが第一の<敵」であるかのごとき主張を繰り返していた。なお、憲法改正を含む日本の対米自立、自衛・自存を説きながら、<日米安保の解消>をひとことも主張しないという、大きな矛盾すら抱えていた。
<哲学・歴史・文学>を統一すること、いずれにも偏らないことを理想としてきたと、西尾は述懐したことがある(全集「後記」。—正しくは、同・歴史の真贋(2020、新潮社)「あとがき」。後日に訂正した)。これは、いずれも専門にすることができないという「性格」の不明さとともに、いずれの観点からも「無知」であり得ることを、自己告白しているようなものだ。
以上のことは、西尾幹二がすでに50歳になる頃には、<アカデミズム>の中で生きていくことを諦めたことと、密接な関係があるだろう。
なお、<意味不明・無知>は迷った末の表現だ。
<たんなるヒラメキ・思いつきを堂々と活字にしていること>も、第二点とも関連するが、「意味不明」の原因になっていること(実証・論証がなされていないこと)として、ここに含めておきたい。
また、西尾幹二には「言葉」・「観念」と「現実」の関係について、私から観るとやや<倒錯>している考え方があるように見える。哲学的・認識論的問題に立ち入ることを得ないが、「言葉」・「観念」が生み出されて存在すれば、「現実」自体も変動する、というような考え方だ。「客観」性・「真実」性・「合理」性の存否ではなく、ともかくも「言葉」で強く主張する者が「力」をもつ、といった考え方に傾斜しやすい人ではないか、と思われる。
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第四は、<大衆蔑視>意識、「ふつうの人々を馬鹿にする心情」を基礎にしていることだ。
西尾幹二がどれほど十分かつ正確にF・ニーチェの文献を読んでいるかは、疑わしい。
しかし、「大衆」=「愚民」=「愚衆」と区別される<エリート>、たぶん「超人」あるいは「力への意思」をもつ者、の一人だと、西尾幹二が自分のことを強烈に意識していた(いる)ことは疑いないだろう。
「この観点を措いて『つくる会』運動の意義は他に存在しなかった、と言ったら運動の具体的関与者は大いに不満だろうが、歴史哲学の存在感覚は大きい」との文章は不思議な文章だ。
まるで「運動の具体的関与者」は「歴史哲学」とは関係がないかのごとくだ。「歴史哲学」という高尚な?価値とは無関係な「運動の具体的関与者」とは会議資料をコピ—して用意したり、理事等に諸連絡を行ったりする「会」の事務職員を含んでいるだろう。
そして、西尾幹二は、そのような事務職員を「蔑視」または「見下して」いることを、上の文章の中で思わず吐露してしまった、と読めなくはない。
こういう「大衆蔑視」意識・心情を形成した一つは、東京大学文学部独文学科出身(かつ大学院修士課程修了)という「学歴」にあるのだろう。だが、戦後日本の「教育」や「学歴主義」の問題点が西尾幹二にも現れているようだ。
たしかに、西尾の世代からするとかなり少数の「高学歴」のもち主かもしれない。しかし、そのことは、自分はきわめて「えらい」、「すごい」<人間>だと認められる(はずだ、べきだ)ということの何も根拠にもならない。
また、この人は、文章執筆請負を長らく業とした(しかし、国立大学教員という「職」・「地位」を「定年」まで放棄しなかったことも西尾幹二を観察する際に無視できない)。そういう西尾幹二にとって、「先生々々」と呼んで「持ち上げて」くれる戦後日本の出版業・その編集担当者の存在が身近にあったことも、意外に大きいかもしれない。
この第四は第一の特質とかなり重なっている。また、第二のそれの背景になっている、と考えられる。
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以上は、秋月瑛二が西尾幹二について描く総括的「イメージ」だ。相互に関連し合っており、今回に詳しく論じたわけでもない。とりあえず、こういう全体像を示しておくと、今回以降のより具体的な、「例証」にもなる文章を書きやすいだろう。
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西尾幹二とは何か。この人が「やってきた作業」、「全仕事」の本質的性格は何か。総括的に論評すればどうなるか。
2の2乗の4とか3乗の8という数字が好きだから(1000よりも1024の方を「美しく」感じるたぶん少数派の人間だから)、上の点を四つにまとめてみたい。
第一は、すでに書いた。→「2646/批判66」。
多数の人々に「えらい」、「すごい」と認めさせ、自分に屈服させること。これがこの人の作業の、最大かつ最終の目的だったと思われる。
単純に「えらい」、「すごい」ではなく、西尾幹二がとくに意識した「ライバル」たちがあって、その者たちよりも「優れている」とできるだけ多数の人々に承認されたい、というのが正確かもしれない。
この点には立ち入らず、つぎの点に進む。
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誰でも、自分自身についての何らかの自己イメージ、自己評価、自画像を描いているだろう。そのイメージが他者による自己の評価または「客観的」評価と一致しないことは、よくあることだろう。
だが、西尾幹二の場合、第二に、<西尾自身による自己イメージと第三者多数によるまたは「客観的な」評価との乖離がきわめて大きい>、と考えられる。これが、西尾幹二の全作業の評価にかかわる基本的特質だ。西尾は「客観的」評価などは存在せず本人の強い主張によって「評価」自体が変動するのだ、と考えているのかもしれないが、この問題にはここでは触れない。
詳細は省くが、この人は自分は「思想家」だと明言している(正確には対象の一定の限定が付く「思想家」)。西尾幹二本人と、「思想家」だと宣伝して西尾本を売りたい出版社、その編集担当者を除いて、<表向きであっても>西尾幹二は「思想家」だと評価している者は皆無だと思われる。
むろん「思想家」なる言葉の意味、外延にもかかわる。しかし、西尾幹二自身は、相当に限定された、「優れた」人間にのみ与えられる呼称だと思っているはずだ。
また、例えばつぎの、この人が書いた2018年の次の文章を引用するだけでも、西尾幹二が関係した「運動」や書物についての自己イメージ・自己評価が、<誇大妄想>という以上の「異様」なイメージであることは明らかだと思われる。なお、以下での「つくる会」運動は、西尾が会長であった時期のものに限られている。そして、①はその時期の著作物は「歴史哲学」上の成果物だと主張しているとみられる。②は、まさに自分の著作『国民の歴史』に関するものだ。
①・②ともに、全集第17巻・歴史教科書問題(2018年)「後記」所収751頁。秋月による下傍線の意味については後述。
①『国民の歴史』等の「著作群は、同運動の継承者を末長く動かす唯一の成果であろう。はっきり言ってこの観点〔おそらく「日本人の歴史意識を覚醒させる」こと—秋月〕を措いて『つくる会』運動の意義は他に存在しなかった、と言ったら運動の具体的関与者は大いに不満だろうが、歴史哲学の存在感覚は大きい」。
②古代から江戸時代まで「中国を先進文明と見なす指標で歴史を組み立てる」という観念をもつ歴史学の「病理」を「克服しようとしている『国民の歴史』はグローバルな文明史的視野を備えていて、…、これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」。
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第三に、<意味不明・無知>と表現しておく。この人の作業あるいは仕事は、要するにほとんどは「文章書き」だ。その「文章」はいったい何をしようとしていたのか、じつははなはだ不明だ。また、幼稚な「誤り」も、しばしば看取される。
性格について言うと、小説や詩等の「創作物」・「フィクション」ではない。では、何かを解明しようとする「学問研究」なのかと問うと、ほとんどが学問研究ではないと考えられる。
「評論」という名のもとで行なってきたこの人のほとんどの作業の性格は、いったい何だったのだろう。
別により具体的には言及したい。
一例だけ上げると、安倍晋三首相退陣直前の西尾「安倍晋三と国家の命運」月刊正論2020年7月号37頁以下は、いったい何を目的とし、何を論じているのだろうか。また、西尾幹二は<保守の立場から安倍政権を批判する」と表紙に明記する書物を刊行したことがあるが(『保守の真贋』2017年)、この2020年7月号の文章では、最後にやや唐突に「安倍政権は民主党政治の混乱から日本を救い出し、長期の安定をもたらしたが」という、そのかぎりでは好意的に評価する言葉が出てくる。そもそもの「一貫性」自体が、この人には脆いのだ。安倍政権について、民主党政権から日本を救い、「長期の安定」をもたらしたとの趣旨は、2017年著のどこに出てくるのか。
「無知」は、すでに「根本的間違い」と題するなどをしてこの欄で何回も取り上げた、西尾幹二の「国際情勢」の認識・判断において顕著だ。再度は立ち入らないが、アメリカより中国はまだましだ、アメリカは中国・韓国の支持を得て日本を攻めてくるだろう旨を、何回も述べていた。<反米>を強調するあまり、アメリカが第一の<敵」であるかのごとき主張を繰り返していた。なお、憲法改正を含む日本の対米自立、自衛・自存を説きながら、<日米安保の解消>をひとことも主張しないという、大きな矛盾すら抱えていた。
<哲学・歴史・文学>を統一すること、いずれにも偏らないことを理想としてきたと、西尾は述懐したことがある(全集「後記」。—正しくは、同・歴史の真贋(2020、新潮社)「あとがき」。後日に訂正した)。これは、いずれも専門にすることができないという「性格」の不明さとともに、いずれの観点からも「無知」であり得ることを、自己告白しているようなものだ。
以上のことは、西尾幹二がすでに50歳になる頃には、<アカデミズム>の中で生きていくことを諦めたことと、密接な関係があるだろう。
なお、<意味不明・無知>は迷った末の表現だ。
<たんなるヒラメキ・思いつきを堂々と活字にしていること>も、第二点とも関連するが、「意味不明」の原因になっていること(実証・論証がなされていないこと)として、ここに含めておきたい。
また、西尾幹二には「言葉」・「観念」と「現実」の関係について、私から観るとやや<倒錯>している考え方があるように見える。哲学的・認識論的問題に立ち入ることを得ないが、「言葉」・「観念」が生み出されて存在すれば、「現実」自体も変動する、というような考え方だ。「客観」性・「真実」性・「合理」性の存否ではなく、ともかくも「言葉」で強く主張する者が「力」をもつ、といった考え方に傾斜しやすい人ではないか、と思われる。
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第四は、<大衆蔑視>意識、「ふつうの人々を馬鹿にする心情」を基礎にしていることだ。
西尾幹二がどれほど十分かつ正確にF・ニーチェの文献を読んでいるかは、疑わしい。
しかし、「大衆」=「愚民」=「愚衆」と区別される<エリート>、たぶん「超人」あるいは「力への意思」をもつ者、の一人だと、西尾幹二が自分のことを強烈に意識していた(いる)ことは疑いないだろう。
「この観点を措いて『つくる会』運動の意義は他に存在しなかった、と言ったら運動の具体的関与者は大いに不満だろうが、歴史哲学の存在感覚は大きい」との文章は不思議な文章だ。
まるで「運動の具体的関与者」は「歴史哲学」とは関係がないかのごとくだ。「歴史哲学」という高尚な?価値とは無関係な「運動の具体的関与者」とは会議資料をコピ—して用意したり、理事等に諸連絡を行ったりする「会」の事務職員を含んでいるだろう。
そして、西尾幹二は、そのような事務職員を「蔑視」または「見下して」いることを、上の文章の中で思わず吐露してしまった、と読めなくはない。
こういう「大衆蔑視」意識・心情を形成した一つは、東京大学文学部独文学科出身(かつ大学院修士課程修了)という「学歴」にあるのだろう。だが、戦後日本の「教育」や「学歴主義」の問題点が西尾幹二にも現れているようだ。
たしかに、西尾の世代からするとかなり少数の「高学歴」のもち主かもしれない。しかし、そのことは、自分はきわめて「えらい」、「すごい」<人間>だと認められる(はずだ、べきだ)ということの何も根拠にもならない。
また、この人は、文章執筆請負を長らく業とした(しかし、国立大学教員という「職」・「地位」を「定年」まで放棄しなかったことも西尾幹二を観察する際に無視できない)。そういう西尾幹二にとって、「先生々々」と呼んで「持ち上げて」くれる戦後日本の出版業・その編集担当者の存在が身近にあったことも、意外に大きいかもしれない。
この第四は第一の特質とかなり重なっている。また、第二のそれの背景になっている、と考えられる。
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以上は、秋月瑛二が西尾幹二について描く総括的「イメージ」だ。相互に関連し合っており、今回に詳しく論じたわけでもない。とりあえず、こういう全体像を示しておくと、今回以降のより具体的な、「例証」にもなる文章を書きやすいだろう。
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