秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

西部邁

2676/西尾幹二批判073—「歴史」と安倍晋三内閣。

 思想家か、「売文業者」か。
 こういう問題を設定すれば、西尾幹二が後者であることは、はっきりしている。「自営の文章執筆請負業者」なのだ。63歳までは国立大学教員の「安定した」地位と「電気通信大学教授」という肩書きだけでは西尾は満足せず、「売文」を通じて世間的に「有名に」なりたかった、強い「自尊心」を満足させたかったわけだ。
 だが、文章を執筆して原稿料や印税を得ることを主たる生業とする者は全て「売文業者」なのだから、問題は、西尾幹二は<どのような>文章執筆請負業者であるのか、だ。
 その文章が示す主張・見解に一貫性がないこと、しばしば「無知」であること、単純幼稚な「思いつき」をさも深遠な内容をもつかごとくに堂々と書ける「神経」をもつこと、これらは、西尾幹二の諸文献・文章を少しはまとめてきちんと読んでいると、容易に気づくことができる。
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  先日に2019年の<文春オンライン>上の西尾の発言に言及した。
 あらためて読んでみると、言及した以外にも興味深いことに気づく。
 幼稚な「歴史」観を、単純には論じきれない「歴史」叙述とは何かの問題を、つぎのように語って<得意になって>いるようであるのも面白い。内容にここで検討し、論議するつもりはない。インタビュアーは辻田真佐憲。一行ずつ改行する。「歴史と物語の関係」に入る前に、として、こう述べている。
 「さきに私の考える『歴史』の定義をお話しした方がよいでしょうね。
 私がまず申し上げたいのは『過去』と『歴史』を一緒に考えるのは根本的な間違いであるということです。
 過去というものはもはや動かないものですね、一度起こったことは不可逆。
 たとえば人生におけるなんらかの事故で失明という災いが生じれば、それはもう元には戻らない出来事ですね。」
 「しかし、人は動かしようのない過去に対しても心を動かします。
 人生の災いに対して自殺するほどの苦しみを感じるかもしれない、あるいは事故の責任を他に求めて社会的正義を訴えようとするかもしれない。
 あるいは時が経って事故を神が与えた試練ないしは慰めとさえ感じ、宗教的に浄化させるようになるかもしれない。
 ある出来事に対する人の心の動きは、その時その時によって違うわけです。その心の動きによって変わって見える過去が『歴史』です
 つまり『歴史』とは動くものなのです。」
 少しは具体的例への言及があるが、省略する。
 いずれにしても、「はぁ?」、「それで?」という感想が多くの人々に生じるだろう、あるいは、人の「心の動き」をえらく大切にする人なのだな、という感想も生じるかもしれない。
 2011年頃に遠藤浩一との対談で、これまでの自分の仕事は全て「私小説的自我」の表現でした、と語った人物だけのことはある。
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  安倍晋三首相(当時)について語っていることも、関心を惹く。インタビュアーの辻田真佐憲が「『保守の真贋』(2017年)で日本会議や国民文化研究会、日本政策研究センターといった安倍首相を運動的・思想的に支える組織を『保守系のカルト教団』と強い言葉で批判」、安倍首相自身についても「拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない」と「厳しく批判」と、さらなる発言を求めたのに対して、こう答えている。一行ずつ改行。
 「安倍さんについては、私にだけではなく多くの人の目に、その正体が現れたという思いが年々強くなっていますね。
 人たらしって言うのかな、威厳はないけれども敵は作らない絶妙さを持っている一方、旗だけ振って何もやらない無責任さがあります。
 憲法改正がいかに必要であるか、炉辺談話的に国民に腹を割って説明をしたことが一度でもありますか。
 中国の脅威について、世界地図を広げながら国民に説明したことはありますか。
 憲法改正についても安全保障についても、やるやるとぶち上げておきながら、はっきりしたことは示さないまま時間切れを迎える。
 私はかつて安倍さんに“言葉を持つ政治家として”大きな期待を持っていたんですが、今となってはあと10年経たないうちに歴史が『最悪の内閣』だったと証明するだろうと思っています。」
 ―それでも西尾さんの言う「安倍さん大好き人間」がいっぱいいる。
 「ええ、バカみたいにたくさん。
 何があの『大好き人間』の悪いところかというと、彼らの目的は政治ではなく安倍さんを頭目として首相の位置に置き続けること自体が、自己目的化していることです。
 もっぱらその目的のために彼らが言論を戦わせているところ。最近の保守系の雑誌をめくればすぐにわかりますよね。『月刊Hanada』にしろ『WiLL』にしろ『Voice』にしろ。」
 ―『正論』はいかがですか。
 「『正論』は辛うじて私の安倍批判を載せますから。
 もっと安倍批判を保守の立場から堂々と論じることのできる人が、僕以外にもたくさんいるはずなのに、メディア側が抑えている。」
 このように、安倍晋三に対しては批判ばかりをし、安倍支持者・同雑誌も弾劾している。
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  批判または擁護は、それはそれでよいとして、秋月にはきわめて不思議に感じることがある。
 西尾幹二は、上から約一年半後の月刊正論2020年7月号に「安倍晋三と国家の命運」と題する文章を寄せた。この主題で何を言いたいのか、よく分からないまま「たらたらと」、どちらかと言うと批判的に安倍首相の時代を追っているが(なお、直後に安倍内閣は退陣した)、最後の一文の一つ前の文はこうだった。
 「安倍政権は民主党政治の混乱から日本を救い出し、長期の安定をもたらしたが、今や現実が見えなくなり、変化をこわがっている」。
 たしかに批判的なトーンで終わってはいるが、上に見た2019年1月での発言とはまるで異なる。
 2019年1月には、安倍内閣について、「歴史が『最悪の内閣』だったと証明するだろう」とまで言っておきながら、この2020年7月号では、「民主党政治の混乱から日本を救い出し、長期の安定をもたらした」という積極的・肯定的側面を明記している。
 これでは、<矛盾>または<一貫性の欠如>と指摘されても仕方ないだろう。
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 しかし、西尾幹二においては、「一貫性」の維持など、大した問題ではない。見解や評価を何の理由を示すことなく変化させることくらいは、平気のことだ。
 2019年の初めには、<保守の立場からの安倍内閣批判>と銘打った自分の書物に言及されたために、あえて批判だけ述べたのかもしれない。2020年の夏には、月刊正論に掲載予定のの原稿であることを意識して、「民主党政治の混乱から日本を救い出し、長期の安定をもたらした」という、同編集部や月刊正論の読者(の多数?)を意向を「忖度」した文章を挿入したのかもしれない。
 そのときごとに微妙に表現の仕方や内容それ自体を変えること、掲載予定の新聞や雑誌の<傾向>を考慮(・忖度)しつつ文章を書くこと、これは「自営の文章執筆請負業者」=「売文業者」である西尾幹二の本質に属する
 なぜ、それでよいのか。理由を示さないままでの趣旨の変更は、ときには「ニュアンス」の変更ですら、「良心のある」文章執筆者ならば、避けたいところだろう。
 そのような「良心」は、西尾幹二にはない。そう断言してよい。
 西尾にとっては、注文に即して、所定の枚数(・字数)の原稿を書いて編集者に渡し(メールを送信し?)、ともかくも雑誌や新聞に掲載されて、<自分の名前>が知られつづけることこそが重要なのだ。
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  上の2019年のインタビューへの回答の中に、西部邁・小林よしのり等々は「国民の歴史』がベストセラーになったことが口惜しかったのでしょう」(だから私と対立したのでしょう)、というのがあった。この書の売れ行きが良かったことを、この人は何度も述べている。
 しかし、購入者の全てが西尾著の内容を支持したわけではない。だいぶ昔に、当時に流行した羽仁五郎『都市の論理』(勁草書房、1968年12月)を私も購入したが、少しだけ捲って、あとは全く読まなかった記憶が私にはある。だから、購入されても(売れても)読まれなかった場合も少なからずあった、と推測される。
 しかし、西尾幹二にとって重要なのは、自分の書物がきちんと読まれること、さらにはその内容としての見解・主張が共感され、支持されることではない。
 そのようであるにこしたことはないだろう。しかし、この人にとって重要なのは、多数の購入者によって、著者である<自分の名前>が広く知られることだ。「西尾幹二」の名が「有名」になれば、それで十分に満足なのだろうと推察される。
 全集の「後記」でも含めて、この人はしばしば、<この本は〜部売れた>とか書いている。販売部数は、自分の見解・主張が支持された数量とは一致しない。だが、<名前が知られた>、「有名」になった、「えらい人」だと何となく思わせた、という数量とはかなり一致しているかもしれない。だからこそ、西尾幹二は、「売れ行き」・販売部数にひどく執着しているのだと考えられる。その<全集>がどの程度売れているのかは、私は全く知らないけれども。
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2674/西尾幹二批判072—小林よしのり論

  西尾幹二という人物、その人が書く文章を信用してはならない、ということは、諸々のかたちでこれまでこの欄で示してきた。
 再述だが、「真面目に受け取る」ことの危険性を示すものとしてとくにつぎの二つを取り上げたことがある。
 ①月刊正論2002年6月号=同・歴史と常識(扶桑社、2002)p.65-p.66。
 「日本の運命に関わる政治の重大な局面で思想家は最高度に政治的でなくてはいけない」。
 「いよいよの場面で、国益のために、日本は外国の前で土下座しなければならないかもしれない。そしてそれを、われわれ思想家が思想的に支持しなければならないのかもしれない。正しい『思想』も、正しい『論理』も、そのときにはかなぐり捨てる、そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう。」
 ②月刊諸君!2009年2月号、p.213。
 「思想家や言論人も百パーセントの真実を語れるものではありません。世には書けることと書けないことがあります。」
 「公論に携わる思想家や言論人も私的な心の暗部を抱えていて、それを全部ぶちまけてしまえば狂人と見なされるでしょう」。
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 だいぶ昔の文章だと感じられるかもしれない。
 しかし、すでにかなり昔の文章ではあるが、これらを読んで、当時の西尾幹二の関係者、とくに出版社の編集担当者や表向きの「仲間たち」が、この人物の<本質>に気づかなかったようであることが、不思議でならない。
 上の②は、率直に公に書けば「狂人」と見なされるだろう「私的な心の暗部」を、西尾幹二もまたもっていることを告白?するものだ。当時の誰一人、このことを訝しく感じなかったのだろうか。例のごとく、<レトリック>だとして済ませたのだろうか。
 なお、「世には書けることと書けないことがあります」という明言も、さすがに「文章執筆請負」を業としてきた、<空気>を気にせざるを得ない者の言葉ではある。
 以下は、上の①についてに限る。
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  思想家が「正しい『思想』も、正しい『論理』も」「かなぐり捨てる」、「そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう」。等々。
 これは一般論としても興味深いが、西尾幹二が「つくる会」の会長をしていて、かつ西部邁と小林よしのりが同会を退会した直後に書かれたものだ。
 小林らはアメリカの対応に批判的だったが、西尾幹二はそうではなく、日本政府の対応も容認した。これを不満として小林は西尾幹二らを批判したが、西尾をはじめ月刊正論・産経新聞社グループは、小林よしのりへの全面的批判・攻撃をするに至った。
 ①の西尾の文章は、小林を批判し、自己の立場を正当化する文章の中で出現した。
 月刊正論2002年6月号での表題はこうだった。
 「臆病者の『思想』を排す—小林よしのりを論ず」
 なお、西尾は西部邁に対しては「保守派の反米主義に異議あり—おゝブルータスよお前もか!」(月刊正論2002年3月号)を書き、産経新聞2月19日付紙上には「嘆かわしい保守思想界の左翼返り」を書いた(上記の単行本所収に際して「保守思想界一部」に変更)。
 西尾幹二の、「思想家」は「高度に政治的」であるべきだ、日本が「国益」のために外国に「土下座」するのを「われわれ思想家が思想的に支持する」時期はくるだろうし、すでに来ているかもしれないとの論述は、こうした状況の中で書かれた。
 つまりは、自らの「容米」の立場を正当化し、当時の「反米」論を批判するために、当時「つくる会」会長だった西尾が書いた。
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 ここで、西尾幹二が「つくる会」について、のちに2017年にはこう語ったことを、想起せざるを得ない(全集第17巻/歴史教科書問題、p.712)。「つくる会」20周年集会での「挨拶」(代読)の中でだ。
 「つくる会」は、「反共だけでなく、反米の思想も『自己本位主義』のためには必要だと考え、初めてはっきり打ち出しました」。竹山道雄・福田恆存に「反米」の思想はなかった。三島由紀夫・江藤淳が先鞭をつけたが、「はっきりした自覚をもって反共と反米を一体化して新しい歴史観を打ち樹てようとしたのは『つくる会』です」。「反共だけでなく反米の思想も日本の自立のために必要だということを、われわれが初めて言い出した」。たんに「敗戦史観からの脱却だけが目的ではなく、これがわれわれの本来の理想の表われだったということを、今確認しておきたい」。
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  日本共産党やその幹部・不破哲三と同じく、<何とでも言える>ものだ。
 それはともかく、「反共だけでなく反米の思想も」初めて言い出したというのは、「つくる会」に関する歴史的事実だろうか。西尾は、「つくる会」の歴史も、自らの現在(この場合は2017年)に都合のよいように<捏造>しようとしている、と思われる。
 「つくる会」発足当時の諸文書の中に、<反共+反米>の思想を実証できるものはあるのだろうか。
 むしろ、「反米」姿勢の強かった西部邁や小林よしのりに対する西尾の厳しい批判は、上のような叙述と完全に矛盾しているのではないか。
 いや、「思想」と「政治」は別だ、だから上の①のように書いておいたのだ、と西尾は釈明するのかもしれない。
 だが、「正しい『思想』」を放擲して「高度に政治的に」、「政治」を優先する必要があり得ることを明言して承認する「思想」とは、あるいは「思想家」とは、そもそも「思想」や「思想家」の名に値するのだろうか。
 ともあれ、西尾幹二は、その程度の「思想家」なるものであることを、2002年の時点ですでに自ら認めていたことに注目しなければならない。
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 なお、小林よしのり・新ゴーマニズム宣言12/誰がためにポチは鳴く(小学館、2002)の第166章が、西尾の上の論考に対する反論になっている(初出はSAPIO(平凡社))。表題は、つぎのとおり。
 「小林を排除せよと叫ぶ西尾ポチ」。p.69。
 小林よしのりは、「今回、西尾の文章で、つくづくもう手の施しようがないなと思った部分を紹介しておく」として、最後に、上記の①の西尾の第二の文章を引用している。p.75。
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  2017年の時点で、西尾幹二は、「つくる会」会長だった2002年の頃に西部邁や小林よしのりと対立したことを、きちんと記憶していたのだろうか。自分は彼らに対する「容米」派だった時期のことだ。
 こんな疑問を抱くのも、内容的に矛盾していることのほか、つぎのような理由がある。
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 2019年1月に<文春オンライン>上で、西尾幹二は、インタビューへの回答・対談記事を載せた。
 その中で、2002年頃の小林よしのりの「つくる会」脱会に関して触れている部分を、全て以下に引用する。西部邁だけが関係する部分は省略する。
 「 ――1996年12月に『つくる会』は“日本に誇りが持てる教科書づくり”を目的として発足します。初期の主なメンバーには伊藤隆、藤岡信勝、小林よしのり、西部邁、坂本多加雄、高橋史朗などの各氏。会長は西尾さんでした。しかし、会はその後、幹部の対立と分裂を繰り返してしまいます。今、振り返ってどのようなことを思われますか。
 西尾 2002年に西部と小林が会を去った原因は、私たち幹部の対立に他なりません。もっと言えば、みんな『西尾憎し』だったのかもしれない。「国民の歴史」がベストセラーになったことが口惜しかったのでしょう。」 〈以下、中略〉
 「 ――同じく2002年に脱会する小林よしのりさんとはどんな関係だったのでしょう。
 西尾 彼とは今も付き合いがありますが、『つくる会』時代も仲が良かった。小林としては『俺は宣伝マンじゃない』という気持ちがあったのかもしれないが、協力者としては非常に便利でしたし、ありがたかった。叙述もうまいんだよ。だから私は歴史教科書の執筆の多くを彼に任せました。太平洋戦争開幕のところや、特攻隊について、それから日本神話の部分も小林のライティングです。
 ――西尾さんによるキャスティングだったんですね。
 西尾 そうです。彼の才能を買っていましたから。市販本の歴史教科書自体は40万部くらいのベストセラーになったと思いますが、これには小林に対する人気もあってのこと。だから、その頃までは蜜月だったの。
 ――西尾さんが『国民の歴史』を書かれるときにも、小林さんは後押しされたとか。
 西尾 そうですね、版元の扶桑社がああだこうだと私に要求ばかりしてきたときに、小林は『俺は西尾さんの仕事を待っている』『どれだけ遅れたって構いはしない』と、一貫して私の支持者でいてくれた。彼はね、物を作ることの困難をよく知っているんですよ。
 ――漫画家としての経験があるからですか。
 西尾 そう。自分で人を雇って、アシスタントをまとめる責任感を持っている。その苦しみも知っている。他のメンバーは学校の先生だから無責任で、外側からワイワイ言っているだけだったが、小林には男らしいところがあった。
 ――それほどの信頼関係がありながら、なぜ別れることになったのでしょうか。
 西尾 私にも明確にはわからない。ただ一つだけ、私も態度を硬くしてしまったと思うのが、小林に漫画を描かれたとき。小林は私の顔を犬にして『アメリカべったりのポチ保守』と描いたんだったかな。
 ――ありましたね。
 西尾 それで僕、怒ったんだよね。
 ――そりゃそうですよね。
 西尾 我慢すりゃいい話だったかもしれないが、そうもいかなかった。加えて2006年に八木が脱会した分裂紛争というのは、…〈以下、省略〉」。
 以上。
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 以上が、全て。
 西尾幹二は自分が月刊正論2002年6月号で「臆病者の『思想』を排す—小林よしのりを論ず」と題して書いたことを、すっかり忘れていると思われる。
 <思想家は「高度に政治的に」なければならない>等々と書いたことを明らかに忘れているようだ。
 また、小林よしのりと「別れ」た理由は「私にも明確にはわからない」とのうのうと語っている。
 西部邁との対立についてもそうなのだが、「『国民の歴史』がベストセラーになったことが悔しかったのでしょう」などと言いつつ、<対テロ戦争>の発生にも、西部邁と小林よしのりがこの点で「反米」派だったこと、自分はこの点で「容米」派だったことには全く触れていない。すっかり忘れてしまっていたのだろう。
 その代わりに、小林よしのりが自分の顔を漫画で戯画化した、それで怒った、ということだけはよく憶えている。
 こんな調子だから、西尾が2017年に「つくる会」は「反共+反米」を初めて明確に打ち出したと語ったとき、かつて2002年頃に「反米」派と対立したことを全くかほとんど忘却していたとしても、何ら不思議ではない。
 のちには、西尾幹二は、「高度の政治的」判断を忘れて?、<保守>派の中では際立って「反米」性の強い主張をするようになった。
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 政治的認識や見解の変化は、もちろんあり得る。しかし、とても容赦することができない、と感じるのは、かつて「会長」だった2002年頃の自分の主張・見解をすっかり忘れて、2017年になって、「会」は「反共+反米」を初めて明確に打ち出したと、ぬけぬけと語っていることだ。
 なぜ、こういうことが生じるのか。
 西尾幹二にとって、見解・主張の内容やその変化などは、本質的問題ではない、どうでもよいことなのだ。
 この人にとって重要なのは、自分が「有名」であること、「えらい人」だと感じさせること、自分が関係した「運動」の意義を自分が理解するように理解し解釈させること、自分の「面子(メンツ)」が維持されていること、なのだ。
 誰にもある程度はこういう面があるかもしれない。しかし、西尾幹二の場合は、異様に大きすぎる。
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2471/西尾幹二批判045—根本的間違い(続3)。

 (つづき)
  いくつか留保を付しておく必要がある。
 第一に、<根本的間違い>と言っても、それは西尾幹二における日米関係、外交、国際情勢の把握についての<根本的間違い>だ、ということだ。
 そして、西尾はこれらに関する専門家ではなく、おそらくは「頼まれ仕事」として、つまり依頼・発注・注文を受けて執筆した、「請負の」文章としてすでに引用した文章を書いたのだろうから、その点は割り引いた上で論評する必要がある。
 したがって、第二に、西尾が「商売」として執筆した文章に他ならないことに留意しておく必要があろう。
 第三に、西尾幹二について注意を要するのは、「事実」・「現実」や「歴史」についての把握の仕方には独特なものがあり、レトリックによって読者は気づかされずにいることがあっても、多くの(「文学」者以外の)健全な?読者の「事実」(・「現実」)・「歴史」に関する基本的な感覚・意識とは異なるところがある、ということだ。
 この点に関連して興味深いのは、個人全集刊行開始を記念した遠藤浩一との対談で、西尾自身がこれまでの自分の仕事は全て「私小説的自我の表現」だったと明言していることだ。
 月刊WiLL2011年12月号、p.242〜。(ワック)。目次上の表題は「私の書くものは全て自己物語」
 第四に、より本質的なこととして、西尾幹二は自らを「思想家」と主張し、またそう思われたいようで、また『国民の歴史』(1999)の前半は「歴史哲学」を示すものと2018年に自分で明記しているが(全集第17巻・後記)、そこでの「思想」・「哲学」は西尾においていかほど真摯なものかは、厳密には疑わしい、ということだ。
 西尾幹二における<反共・反米>性のうち、<反共>の他に<反米>性にも疑問符が付くことは、予定を変更して、別に扱う。
 但し、簡単にだけ触れると、西尾が「つくる会」会長時代に西部邁や小林よしのりが「つくる会」を退会したのは、西部・小林がより<反米>の立場を採ったのに対して、西尾幹二は明確に、より<親米>的立場を主張するという意見対立が生じたからだった(と思われる)
 その際に西尾は小林よしのりが「人格攻撃」と理解してやむを得ないと(秋月には)思われる文章を書いた。これには、今回は立ち入らない。
 興味深く、また注目されるのは、2001年9月11日事件後のアメリカの「対テロ戦争」を批判しない理由を、西尾がこう明記していることだ。
 以下は、すでにいくつか紹介・引用したように、さんざんにアメリカを歴史の悪役化し、その「陰謀」国家性を指摘している西尾幹二自身の、2002年時点での文章だ。全集に収載されているのか、その予定であるのかは分からない。西尾が会長時代の、かつ「つくる会」関連文章だが、少なくとも第17巻・歴史教科書問題(2018年)には収録されていない。
 ①「日本の運命に関わる政治の重大な局面で思想家は最高度に政治的でなくてはいけないというのが私の考えです」。
 ②「いよいよの場面で、国益のために、日本は外国の前で土下座しなければならないかもしれない。そしてそれを、われわれ思想家が思想的に支持しなければならないのかもしれない
 正しい『思想』も、正しい『論理』も、そのときにはかなぐり捨てる、そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう。」
 西尾幹二・歴史と常識(扶桑社、2002年5月)、p.65-p.66(原文は月刊正論2002年6月号)。
 (小林よしのり・新ゴーマニズム宣言12/誰がためにポチは鳴く(小学館、2002年12月)、p.75 参照)
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 さて、先に紹介引用したように、西尾幹二はアメリカや中国、日米安保条約についてこう書いた。
 ①2006年—アメリカが厄介で、「中国はそれほど大きな問題ではない」。「アメリカに依存する」ほかないが、「今度はアメリカの呑み込まれてしまうという新しい危機」があり、「これからはこっちの方が大きい」。
 ②2009年—「日米安保は、北朝鮮や中国やアセアン諸国に対して日本に勝手な行動をさせないための拘束の罠になりつつあります。加えて、ある段階から北朝鮮を泳がせ、日本へのその脅威を、日本を封じ込むための道具として利用するようにさえなってきているのです。
 ③2013年—「私たちは、アメリカにも中国にも、ともに警戒心と対決意識を等しく持たなくてはやっていけない時代に入った。どちらか片方に傾くことは、いまや危ない。」
 また、2013年に、10年後(2022-23年)の日本をこう「予測」した。
 ④「やがて権力〔アメリカ〕が牙を剥き、従属国の国民を襲撃する事態に直面し、後悔してももう間に合うまい。わが国の十年後の悲劇的破局の光景である。」
 上の④は確言的にせよ「予見」だろうから省くとして、例えば①〜③はどうか。
 論評は簡単だ。上掲の2002年の文章を知ると、萎縮してしまうけれども。
 間違いである。
 かつまた、西尾が2017年に放った(つくる会は)「反共に加えて反米も初めて明確に打ち出した」という豪語の関係では、こうだ。
 矛盾している。 どこに「反共」があるのか。
 したがって、問題は、こうした結論的論評ではなく、西尾幹二はなぜ間違った、あるいは矛盾する言辞を綴るのか、ということになる。
 自らの本来の「正しい」「思想」を例外的に放棄することを正面から肯定する2002年の文章を照合するとかなり虚しくなりもするが、それはさて措いて、以降でこの問題を続けよう。
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 五1を五に、五2を六に変更(1/16)。

2241/西尾幹二・西部邁と「天皇」の変容。

 
 西尾幹二・皇太子さまへの御忠言(ワック、2008/2012)。
 西尾幹二「皇太子さまへの御忠言/+第2弾!」月刊WiLL2008年5月号/6月号(ワック)。
 西尾幹二「女性宮家と雅子妃問題」月刊WiLL2012年3月号(ワック)。
 こうした西尾幹二の発言・主張に対して、西部邁は2013年秋にこう批判的にコメントしていた。なお、これら月刊WiLLのこの時期の編集長は花田紀凱。
 西部邁「天皇は世襲の法王なり」月刊WiLL2013年10月号(ワック)。p.283-4。
 「…。しかし、戦後に進んでいるのは、日本の伝統を全て天皇に預けて国家の歴史には無関心でいる、という伝統に関する無責任体制です。//
 そう考えると、僕には西尾幹二さんのように、皇太子さまや雅子妃殿下に対して『御忠言申し上げる』という態度には出られない。
 …全面否定しているわけではありません。国民が皇室のあり方について発言するというのは、最低限のエチケットを守っているかぎりにおいて許されることだと思いますし、『畏れを知らずに皇室にもの申すとはけしからん』などいう意味で疑問を呈しているわけではない。
 国民の責任をまず問えと言いたいだけです。//
 しかし、今日の国民を見ればわかるように、これほどまでに伝統を無視し、つまりは、天皇の地位の基盤となるものを破壊しておきながら、しかも皇室に様々な問題が生じている時に皇室批判に立ち上がるというのは、僕にはどうしても本末転倒だと思う。」
 上の西部邁論考全体ではなく、上のコメント・感想のかぎりで、西部の言いたい趣旨もよく理解できる。
 そして、「(今日の国民は)天皇の地位の基盤となるものを破壊しておきながら、…」という部分に関して、別に長く書こうと思っていたのだが、よく調べて確認しないままで以下に記しておくことにする。
 
 上で西部の言う「天皇の地位の基盤となるもの」の「破壊」の具体的意味ははっきりしない。
 だが、「破壊」された「天皇の地位の基盤」を無視して、まるで旧憲法下の「天皇」制度が戦後に継承されているかのごとき<錯覚>を、自称あるいは「いわゆる保守」派はしていることが多いと見られる。あるいは、<錯覚>していることを意識しながら、その点を無視して、一生懸命に女系天皇排除とか容認とかに焦点を当てて論じているのようにも見える。
 女系天皇・女性天皇うんぬんの議論が全く無意味だとは思えない。
 しかし、旧憲法下と現憲法下と、「天皇」をめぐる環境は大きく変容していることを十分に意識しておく必要があるだろう。
 世襲天皇制の現憲法上の容認でもって、「天皇」制の連続を語る者は多いだろう。125代とか126代とか言われる。
 しかし、江戸時代の「天皇」と明治憲法下の「天皇」とが大きく変化したように、戦後の「天皇」もまた、戦前とは大きく変わっている。この「現実」をまずは明確に認識しなければならない。以下、立ち入った確認作業を省略して書く。
 第一。戦前の、「皇族」・「華族」・「士族」・「平民」・…という<身分>制度が、「皇族」を除き、全て消滅した。
 「天皇」制度はなぜ長く残ってきたのか、武家政権はなぜ「天皇」を許容したのか、といった問題が設定されることがある。これについては、「天皇」一身または天皇「一族」程度ならば、世俗武家政権は<廃絶>あるいは露骨には<一族根絶>くらいのことはすることのできる実力(・暴力)機構を有していたかと思われる。
 それをしなかった、またはそうできなかった理由は、「天皇」をとり囲む「貴族」あるいは「公家社会」の存在だ。天皇個人や天皇一族を殺しても、「公家社会」全体を廃絶することはできず(皇位主張者はおそらく途切れず)、むしろ大きな反発を喰い、重大な「社会不安」の原因となる。
 専門家ではないから、一種の思いつき的なものだが、上のような事情が少なくともあったことを否定できないのではないか。
 明治以降も「華族」制度は残った。それには公家に加えて新しく、<廃藩置県>後に旧藩主階層まで入ってきた(公卿に加えての諸侯)。これらかつての<貴族・公家>にあたる階層は、明治以降も、「天皇」、そして「皇族」を(現在よりも)厚く取り囲み、心理的・精神的面を含めて保護する役割を果たしていたかに見える。
 そのような「華族」(公爵・伯爵・侯爵・子爵・男爵)は現在にはない。あるのは「皇族」とそれ以外(あるいは「皇族」と「旧皇族の末裔」とそれ以外)だけだ。
 「天皇(家)」は、孤独なのだ。「皇族」の数も減ってきた。この減少、そして敗戦後の「旧皇族」の多くの皇籍離脱の実質要求がGHQの「陰謀」だとする見方も多いようだが、今のところそうは感じない。
 「皇族」以外についての<法の下の平等>、それ以外の<身分>制の廃止にこそ根源があると見るべきだ。
 そして、<いわゆる保守>派も、日本会議も、「華族」・「士族」の廃止を批判してこれらの復活を主張しているわけでは、全くないだろう。明治憲法下への<郷愁>があるとするなら、この点はいったいどうなのか??
 第二。上野「恩賜」公園という名前で現在でも残っているが、戦前は、天皇および「天皇家」は大資産家だった。<天皇財閥>という語もあったと読んだことがある。
 もともと一般の「公家」一家以上には天皇「家」は少しは裕福だったようだが、明治維新後の近代<所有権>制度の確立とともに、「国(国家)」とともに「天皇(家)」も大資産家になったのではないか。神宮(・外苑)もまた、天皇(家)の「私」有地だった。
 戦後憲法下ではどうなったか。
 国有財産法(法律)に「皇室用財産」という言葉・概念がある。しかしこれは「国有財産」の一種であって、「皇室」または「天皇」の<私有>財産ではない。
 皇居の土地も建物も、逗子や那須の「御用邸」も皇室用財産としてもっぱら皇室または天皇家の利用に供されているようだが、全て国有財産であって、排他的に利用できる地位・権能が「皇室」であるがゆえに実質的に認められているにすぎない。
 三種の神器は天皇家に伝わる「由緒ある」ものとされて国有財産ではないようだが、天皇(家)あるいは秋篠宮家等が<私的に・個人的に>所有している>財物というのは(外国賓客からの個人的贈答品は含まれるかもしれない)、相当に限られているのではないか。
 かつて現在の上皇陛下が皇居内で某ホンダ製自動車を運転される映像を見たことがある。皇居内の公園・緑地ならば<運転免許証>は不要だろうと感じたものだが、はてあの自動車は「誰の所有物」だったのか? 当時の天皇個人の所有だったのか、宮内庁(・国)から「借りて」いたのか。
 要するに、ここで言いたいのは、現在の天皇(家)はまともな?私有財産をほとんど所有していない、ということだ。国からの「内廷費」から、個人的な支出も行われている、ということだ。天皇(家)は「ほとんど裸の」状態にある、との叙述を読んだこともある。
 以上、少なくとも二点、旧憲法下から現在へと憲法上「世襲天皇制」が、そして皇室典範(法律)上原則としての?<終身在位>制が明治憲法下の皇室典範においてと同様に継承されているとは言え、「天皇」(家)をとりまく環境は、大きく、決定的と言ってよいほどに変容している。
 そのような天皇(家)だけに対して日本の「伝統」を守れ、と主張するのは、西部邁も指摘するように、「本末転倒」という形容が適切かどうかは別として、やや異常なのだ。あるいは、何らかの「政治上」または「商売上」の目的・意図を持つものと思われる。

2165/<売文業者か思想家か>。

 竹内洋・メディアと知識人-清水幾太郎の覇権と忘却(中央公論新社、2012)。
 これの中身も、全部かつて読んだはずだ。清水幾太郎の言論活動を批判的にたどっているのだろう。
 読売・吉野作造賞受賞第一作。
 単行本に付いている上の紹介よりも興味深いのは、オビ上のつぎの言葉だ。
 <売文業者か思想家か>(オモテ)。
 <この私にしても、まあ、一種の芸人なのです。まあ、笑わないで下さい>(ウラ)。
 後者は、確認しないが、清水幾太郎が書いたか発した言葉なのだろう。
 しかし、竹内洋自身は、<売文業者か思想家か>。そのどちらでもない、大学教授なのか。少なくとも「思想家」だとは思えない。大学教授だとしても、江崎道朗の本のいい加減さを指摘できないようでは、頼まれ仕事を良心的に行っているとは思えない。
 故西部邁は、<売文業者か思想家か>。自分自身はきっと<思想家>だと思っていたのだろうが、しかし同時に<売文業者>でもあっただろう。
 西尾幹二は、<売文業者か思想家か>。自分自身はきっと<思想家>のつもりでいるだろう。そう自称はしなくても、そう思われていたい、と思っているに違いない。西部邁も江藤淳も、西尾幹二にとっては、「気になる」<保守派知識人>のライバルで、西尾の文章の中にはこの二人に対する<皮肉・嫌み>もある。そして、いかんせん、読者の反応や売れ行きを気にする<売文業者>でもある。
 江崎道朗、櫻井よしこ。明らかに「思想家」ではない。そして政治目的のための<売文業者>にすぎない。
 八幡和郎? 「思想家」ではないのはもちろん、「知識人」ですらない。
 ***
 なぜ<売文業>が成り立つか? 文章・知識・情報に関する「出版・情報産業」が「業」として成立し得るだけの<市場>が、日本にはあるからだ。
 そのような社会または国家は、世界のどこにでもあるのではない。
 たまたま人口や地域の規模、そしてほとんど「日本語」だけによる情報交換が成り立っている、日本は、そのような社会・国家だからだ。決して、世界に一般的でも、普遍的でもない。
 少なくとも江戸時代・幕末までの日本の「知識人」は、自分または所属団体(藩等)の「功名」のために文章を書き本を出版したかもしれないが、金儲け=生業としての「功利」のためには<思索・思想作業>をほとんど行わなかったように見える。相対的には純粋に、自分は<正しい>と考えていることを書いただろう。偽書、売らんがための面白物語の例が全くなかったとは言わないが。
 現在の日本の<評論・思想>界の低迷または堕落は、それがほぼ完全に「商業」の世界に組み込まれてしまっていることにあるだろう。
 その中でうごめいているのが、雑誌や書籍の「編集者」・「編集担当者」という、あまり広くは名前を知られていない、「情報・出版産業」の有力な従事者だ。
 テレビ番組を含めれば、(とくに報道・情報)番組製作の「ディレクター」類になる。
 雑誌・書籍の「編集者」・「編集担当者」(あるいはテレビ番組の「ディレクター」)。これらによって発注され、請け負っているのが、日本の現在の自営・文筆業者あるいは「評論家」たちだ。大学・研究所に所属して、それからいちおうの安定した収入があるか、江崎道朗、小川榮太郎等のように「独立」・「自営」しているかによっても、「売文」の程度とその中身は異なるに違いない。

1992/池田信夫のブログ007-西部邁という生き方②。

 池田信夫のブログ2018年1月23日付「『保守主義』に未来はあるのか」は、なるほどと感じさせた。かなり遅いが、在庫を少しでも減らしたい。
 池田によると、西部邁・保守の真髄(講談社現代新書、2017)を読むと、西部は20年ほど前から進歩していない。西部の「保守主義」には「思想としての中身がない」。以下も、要約的紹介。
 西部の「保守主義」の中身は「常識的で退屈」なので、「『反米保守』を自称して」あらゆる改革に反対するようになった。それは「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」。
 「保守すべき伝統」、「国柄」、「民主主義」…、「最後まで読んでも、それはわからない。…中身は陳腐な解説だ」。
 要するに彼は、「アメリカ的モダニズム」を批判しても対案のない「右の万年野党」だった。「保守主義はモダニズムの解毒財」としての意味はあったが、それ以上のものでなく、「彼に続く人はいない」。
 ***
 最も印象に残ったのは、「文筆業として食っていくために『角度』をつけるマーケティングだったのかもしれない」、かもしれない。
 勤め先・大学を辞職したあと、彼は自分と家族?のためにも文字通り「食って」いく必要があり、それは当然としてもさらには、手がけた雑誌を継続的に出版していく必要等もあった。
 第三者的想像にはなるが、そのためには活字上もテレビ上も、可能なかぎの<目立つ>必要があった。私はたぶん使わない言葉だが、やはり「マーケティング」が必要だったのではないか。
 そして、西部邁にかぎらず、何らの組織(大学・研究所)に属していない<自営業>の物書き・評論家類には、名誉心・顕名意欲に加えて、程度の差はあれ、こういう<本能>はあると思われる。
 脱線するが、上の著と並んで、西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017)が出た。このタイトルは、ライヴァルの?西部の本を意識したものでは全くなかっただろうか。また、その内容(「いわゆる保守による安倍内閣批判」)は、いかほどの影響があったのかはともかく、「保守」の論としては「角度」がついている。
 そもそも上の西部著を所持すらしていないのだから、その中身・西部の「思想」はよく分かっていない(別の書について「保守」というにしては反共産主義性が弱いか乏しいというコメントをしたことがある)。
 但し、池田の上のコメントは、ある程度は「近代」批判の佐伯啓思にも当たっているような気がする(近年はとんと読まなくなった)。
 ところで、西部邁死去後の諸文の中で最も記憶に残っているかもしれないとすら思うのは、産経新聞紙上(だと思われる)の、桑原聡の追悼コメントのつぎの部分だった(記憶による)。
 <「保守論壇」の中心部分にいた人ではなかった(又は、「保守論壇」の「周辺部」にいた人だった>。
 すぐに感じたのだろうと思う。
 では、桑原聡のいう、<「保守論壇」の中心部分・中央>にいるのはどのような人々か?
 桑原聡、そして月刊正論、そして産経新聞社にとって、それは櫻井よしこ、渡部昇一らではないのか。日本会議派または、親日本会議の論者たちだ。
 そして、何とも気味が悪い想いをもったものだ。中央、中心の「保守」とは、何の意味か。

1810/西部邁という生き方①。

 西部邁(1939.03~2018.01)の名は「保守」論客として知っていたし、少しはその文章を読んだが、教えられるとも、尊敬できるとも、ほとんど感じなかった。
 私の勉強不足といえばその通りだろう。しかし、かつての全学連闘士でのちに「保守」派に転じたというわりには、-以下の点では佐伯啓思も同じだが-共産主義に対する批判、日本共産党に対する批判・攻撃が全くかほとんどないのは不思議だ、と考えてきた。
 西部邁・保守の真髄(講談社現代新書、2017)や同・保守の遺言(平凡社新書、2018)は、「保守」をタイトルに冠しているが、所持すらしていない。
 西部邁・ファシスタたらんとした者(中央公論新社、2017)は購入したが、一瞥したのみ。
 但し、これが連載されていたときの月刊雑誌はとくに最初の方を少しはきちんと読んだことがある。しかし、熟読し続けようとは思わなかった。
 単行本を一瞥してもそうだが、<オレが、オレが>、<オレは、オレは>という自己識別意識・自己中心意識で横溢していて、何やら見苦しい感がするところも多い。
 きっとよく勉強して(共産主義・コミュニズムについては勉強は終わったつもりだったのかもしれない。これは<日本会議>も同じかもしれない)、よく知っているのだろう。
 しかし、何故か惹かれるところが、自分の感受性にフィットするところがなかった。
 それよりも、記憶に残るのは、つぎの二点だった。月刊雑誌掲載時点の文章によるのだと思われる。以下、記憶にのみよるので、厳格な正確さは保障しかねるが。
 第一。マルクスやレーニンの本を読まないうちに、つまりはマルクス主義・共産主義の具体的内容を知らないままで、東京大学(経済学部)に入学した直後に、日本共産党への入党届(加入申請書?)を提出した。いわゆる浪人をしていないとすると、満18歳で、1957年4月以降の、その年度だろう。
 第二。いわゆる<1960年安保騒擾>に関係するだろう、すでに日本共産党は離れていたとき、何かの容疑で逮捕され、かつ起訴されて有罪判決を受けた(これは彼が付和雷同した一般学生はもちろん、ふつうの活動家学生でもなかったことの証しだろう)。
 しかし、有罪判決であっても、<執行猶予>が付いた
 第一点も興味深いがさておき、この第二の、<執行猶予>付き有罪判決というのが、印象に残った。
 なぜなら、<執行猶予>付きというのは単純な罰金刑ではなくて身体拘束を伴う人身刑だと思われるが、執行猶予が付いたからこそ、収監されなかった。
 そして、収監されなかったからこそ、完全に「自由」とは言えなくとも、大学に戻り、学生として卒業し、大学院へも進学することができた(そのうちに、<執行猶予>期間は経過し、そもそも実刑を科される法的可能性が消滅する)。
 ここで注目したいのは、おそらくは当時の大学(少なくとも国公立大学)での通例だったのだろう、有罪判決を受けた学生でも休学していれば復学を認め、休学中でなければそのまま在籍を認めた、ということだ。
 つまり、学生に対する正規の(日本の裁判所の)有罪判決は、少なくとも当時の東京大学では、その学生たる地位を奪う、または危うくする原因には全くならなかった、ということだ。
 執行猶予付きではなくて実刑判決であれば(当時の状況、司法実務の状況を知って書いているのではないが)、その後の西部邁はあっただろうか
 収監が終わったあとで彼は経済学を改めて勉強し、大学院に進み、研究者になっていただろうか。
 一般的な歴史のイフを語りたいのではない。
 大学あるいは一般社会にあった当時の(反・非日本共産党の)学生の「暴力」的活動に対する<寛容さ、優しさ>こそが、のちの西部邁を生んだのではないだろうか。
 当時の(少なくとも東京大学という)大学の学生に対する<寛容さ、優しさ>というのは、要するに、当時の、少なくとも東京大学を覆っていた<左翼>性のことだ。余計だが、当時の東京大学には、法学部だと、宮沢俊義も、丸山真男もいた。
 しかして、西部邁は自分の人生行路を振り返って、<反左翼だったらしい>彼は、かつての大学、国公立大学、東京大学にあった<反体制・左翼>気分によって「助けられた」という想いはあっただろうか。
 東京大学教養学部に教員として就職して以降の方がむろん、西部邁の重要な歴史なのだろう。
 だが、それよりも前に、彼にとって重要な分岐点があったようにも思われる。これは、「戦後日本」の特質、あるいはそれを覆った「空気」に関係する。
 こんなことは西部邁の死にかかわって言及されることはないが、何となく印象に残っていたので、記す気になった。

1462/西尾幹二は「国体」を冷静に論じる-「観念保守」批判。

 ○ 櫻井よしこが書いていることは1937年・文部省編纂『國體の本義』とよく似ており、部分的には酷似している、と最近に書いた。そして、そのような一面的・観念的な「史観」による歴史叙述を簡単にしてはいけない、とも書いた。
 日本書記・古事記の記述は全部ウソだという人に対しては、いやいや、かなりの程度は少なくとも事実を反映している、何らかの民族的記憶を背景にしている、と言いたくなる。一方で、日本書記・古事記の世界をそのまま日本の歴史として(たんなる「お話」と事実と合致する歴史叙述を区別しないで)「信じる」人に対しては、いやいや、そう思いたくとも事実ではないところが多い、と言いたくなる。
 全か無か、正か邪か、善か悪か、真か偽か、物事をこのように二項対立的に単純に理解してはいけない。
 ○ 産経新聞社の、かつて月刊正論・編集代表者だった桑原聡は、退任するにあたって、同誌2013年11月号でつぎのように書いた。この欄の2013年11月14日付=№1235も参照。 
 「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
 ここには、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だという、強い観念、強い思い込みがあるようだ。
 <保守>の意味もさまざまだから、そのように考えている<保守>の主張を一概に否定するつもりはない。
 しかし、秋月は、「天皇陛下を戴く」ことが日本と日本人にとっての最高の価値、最大限に追求すべき価値だとは思っていない。
 むしろ、天皇・皇室制度が「左翼」、とりわけ共産主義者によって利用されることを怖れている。例えば、日本人に親天皇・親皇室感情が強いと知っている共産中国は、かりに将来に日本を何らかのかたちで侵攻して日本の政権を事実上であれ従属させた場合、少なくとも当面は<天皇制度をともに戴く>ことを躊躇しないのではないだろうか。
 共産主義者は、目的達成のためならば、何でもする、何とでも言う、と想定しておかなければならない。日本共産党も同じ。
 なお、かつて雅子皇太子妃に対する批判が<保守>論壇でも有力になされたときに、いわゆる「東宮」側に立ったコメントをこの欄に書いたのは、何が何でも雅子妃を含む皇室を守るという気持ちからではなく、主としては、そのような(私が知らない何らかの情報があったのかもしれないが)批判をするのはもはや遅い、無意味だ、という反発からだった。
 率直にいって、美智子皇后に<ベアーテ・シロタは女性の人権拡張に貢献した>という発言があるという噂・風聞の方が怖ろしい。
 ○ 西尾幹二・GHQ焚書開封4-「国体」論と現代(徳間書店、2010/のち文庫化)は、サブ・タイトルどおり、「国体」論を扱う。その他の巻で扱われている書物もそうだが、GHQが「焚書」にしたからといって、それらの書物の内容が全面的に正しい、または真実だ、ということにはならない。当然ながら、西尾幹二は、そのことをふまえている。
 冒頭で言及した1937年・文部省編纂『國體の本義』に限る。西尾はつぎのように冷静に、この本を読んでいる(p.131~)。櫻井よしこに読ませたいような部分に限って、以下に部分的に引用する。
 『國體の本義』のすぐの冒頭部分を「読んで、正直ちょっとやりきれないな、と感じる人が普通で」はないか、「現代のわれわれの感覚からするとまったく浮世離れして見えるから」だ。p.134。 
 「ここからは私の批評です。ある意味では、この『國體の本義』に対する批判です」。p.154。
 日本人の心の「まこと」が「わが国の国民精神の根底だといわれると、たしかに…、それだけでよいのだろうか」。<和>に加えて<まこと> を説いて「自己完結しているところに、かえって問題を感じます。日本人にわかり易いがゆえに逆に曲者なのです」。p.159。
 「和と『まこと』」の一節を読んで、「日本は戦争に負けたのは当然だ」と思わざるを得なかった。「明き浄き直き心」だけでは「主観的すぎて、他の存在感を欠き、自閉と弱さの表明でもあることをあの大戦を通じて民族的に体験した」のだから、「戦前の『国体論』にそのまま戻ればいいという話ではまったくないということをしかと肝に銘じるべきです」。p.161。
 この書の天皇中心の歴史記述、親政天皇については詳しく(例えば後醍醐)、武士・幕府政治については冷淡だということ、に対する西尾の批判的コメントもあるが、省略する。
 ○ 小林よしのりが何かに、西尾幹二は天皇についてはあまり興味がない、と書いていた。
 たしかにそのようなところはあるが、櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らのような<天皇中心史観>のもち主よりは、はるかに冷静で、優れている。つまりは、「観念」論に嵌まってはいない。
 なお、西尾幹二は(日本共産党のように ?)『國體の本義』を全否定しているわけではないことを付記する。西尾は、部分的には、秋月が必ずしも同意できないことも述べている。
 ○ 西部邁の語源探りは読んでいて鬱陶しいのだが、その弊をふむと、R・パイプスの『ロシア革命』原著を読んでいて出くわした spritualism という語の意味は、ある辞書によると「観念論」で、「精神主義」という訳語は出てこない(後者は誤りでもないだろう)。またこれは、「心霊主義」、「降神術」という意味ももつらしい。
 櫻井よしこらの「観念保守」の者たちの「観念論」は、純化すると、すみやかに「心霊」にかかわる、特定の<宗教>に転化するに違いない。

1443/天皇譲位問題ー「観念保守」というアホの4人組。

 一 天皇譲位問題は、現在の私には最優先の論題、思考テーマではない。
 しかし、日本の<伝統と歴史>を守るためにとか言いながら、じつはデタラメな歴史観と歴史知識をもったままで単純かつ<観念的>な議論をする者がいて、しかも首相のもとでの検討会に専門家として見解・意見まで述べる機会が与えられたというのだから、ヒドイものだ、ますます<保守>派の印象は悪くなる、と憂いていた。
 といっても、いくつかの論考や文章にきちんと目を通して、精確に批判しておくことは、むろん不可能ではないが、それだけの手間と労力をかける意味があるのかと思うと、大いに躊躇するところがあった。
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、2017)を入手して読んで、やれやれやっと、私が言いたかったこと、論じたかったことの8割ほどは書いてくれている書物が出てきた、と思った。
 すでに昨年8月に、生前譲位を認める何らかの<改正>をせざるをえないだろうと簡単に記した。また、昨年12月頃には<観念保守>の主張らしきものを批判的にコメントしている。その中で、明治期以降だけが日本や天皇の歴史ではない、とも書いた。
 上の本郷著を概読して、あるいは冒頭の数頁をひもといても、やはり、(たぶん年齢順に)渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次の4人はバカなのだと思う。
 いや、最近読んだ西部邁の文章によると、「バカ」なのは左翼で、右翼・保守は「アホ」なのだそうだ。
 本当に上の4人は、「アホ」らしいことを真面目に書ける、主張できるものだ。恥ずかしい。また、これらの人々の言論のために、政府や出版社も含めて、多くの時間・コストを要していることを、何と無駄なことをしているのか、と感じる。
 二 さて、本郷和人著から、ほぼ首肯できる文章を、ほとんどが以前から私が感じてきたことや知っていることだが、抜き出して引用する。
 「じつは、いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさんいます」。/歴史に「無知なためにウソをついている人もいれば、なかには知っていてわざとウソをついているのでは、という人もいます」。p.11。
 「摂政のあり方や摂政としての制度の運用のしかたというのは、まだ固まっていません。戦後の象徴天皇制のもとでは、もちろん一度も置かれていません」。p.33。
 「皇室典範を金科玉条のように思い、改正することに対して否定的な考えの人たちも多い」。だが、私が思うに、「じつは天皇陛下は、そういう人たちの動き、いうなれば硬直的というか、極度に保守的な考え方を快く思っていないのではないでしょうか」。p.38。
 「ただ疲れたからやめたい、体力的にキツいというだけで提案したわけではないでしょう。それ以上の意味合いをもっての行動だったのではないでしょうか」。p.45。〔本郷の推測する意味づけは省略。〕
 旧皇室典範が終身在位を定めたのは-「死ぬまで天皇をやってください」と決めたのは-、「天皇の後継者への任命権を制限する行為ともいえる」。天皇の「絶対的な存在」を規定しつつ、「伊藤博文をはじめとする元勲たちは、どこか冷めた目も持っていた」。p.51。
 明治政府は、「もう一度、朝廷の力や権限を担ぎ出されたくはない」。自分たちが成功したのと「同様のことを行われたくはないから」だ。天皇の「政治利用」を極端に恐れたはずだ。「旧幕府軍側が、[奥州戦争で]…皇族の北白川宮能久親王を先頭に押し立てて戦おうとした」ような政治利用の再現を恐れた。「終身天皇という形を制定したことはそういう政治利用の場に引っ張り出される危険性を未然に防ぐ効用もあったはずです」。p.53。
 「明治時代の元勲たち」は、「天皇が絶対であると一般大衆には布告しながら、本音としてはそれは方便でした」。p.54。
 のちの指導者たちは「明治の元勲たちの持っていた冷めた視点を失ってしまった」。「第二世代、第三世代になると建前を盲信してしまい、あやまちを犯す」。p.58。〔この最後の辺りの評価と原因分析は議論の余地があるだろうが、立ち入らないでさらに続ける。〕
 「実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位しています。現在のような終身在位の方がめずらしいケースでした」。p.66。
 「第50代くらいまでの歴代の天皇」では「生前退位が行われているケースは、やはり女性と高齢天皇の場合が多いのです。しかるべき人が無事に即位できる時期になれば生前退位をして譲位をすることが前提に近い状態で即位した」。p.69。
 「桓武天皇以降からは生前退位が当たり前になってきます」。p.70。
 「後三条天皇」以降で「死ぬまで天皇でいた人は、若くして亡くなったり、不慮の死で急逝したりした場合と、経済的に苦しかった戦国の天皇たちにかぎられていきます」。p.74。〔経済的に苦しいとなぜ生前譲位できないのか。それは、新天皇の践祚・即位の儀礼等に多大の費用がかかるからだ-秋月瑛二。〕
 「院政の時代」は、「権力を握った上皇のほうが天皇より偉い」。p.77。
 「家康は…、天皇や公家のやることは学問であると『上から』規定して役割を与えて」いった。天皇の存在を重視せず、公家・貴族は、将軍-大名-旗本-御家人の、御家人クラスの「必要最低限の援助」しか受けられなかった。p.85。
 この時代には「天皇の権力は無力化され、江戸幕府がすべての権力を集中して持っていた」。天皇は「領地」も将軍家から与えられて「経済的にもまったく自立していません」。但し、改元と暦に関する権限だけは別だった。p.86。〔但し、これは近世・江戸時代のことで、少なくとも室町時代には改元権は幕府・将軍にあったことがある-秋月。〕
 「天皇というのは、そのときそのときで性格を変えてきた」。地域首長・首長連合の筆頭・院政・武家政治、等々。p.126-7。[武士幕府政治のもとでも、後鳥羽・後醍醐のように「親政」へと挑戦した天皇・上皇はいたし、そうでなくとも、個々の天皇等ごとに幕府と朝廷・公家の関係は一様ではないとみられるー秋月。]
 天皇・武士の関係について「よく耳にする言葉に『天皇は権力は失った、だが権威だった』という言葉があります」。しかし、私は「それはあくまでも言葉の遊びにすぎないと思っています。権力も何も持っていない権威なんてものが存在するのかと考えるからです」。p.128。
 今の社会ならば「権力はなく、権威として存在することは可能」かもしれないが、昔、たとえば「中世社会において権力=力のない権威というものが存在したでしょうか」。同上。
 「そもそも将軍が天皇からお預かりしているという思想自体が、江戸時代の後期になって尊王とともに登場してきた概念にすぎません」。「朝廷の命によって征夷大将軍に任じられて」いるのは、「それこそ形式的なもの」です。p.135。
 「万世一系」を「日本の皇室がもつ特徴のひとつ」と思うのは問題はない。しかし、「だから日本人は偉い」・「日本人は特別の民族」とかの「優越意識や選民思想と結びつくと非常に問題があります」。日本・日本人を誇るときに「『天皇』を引き合いに出して自尊心を満たしたい」という心理はある。p.144。
 三種の神器の存在、前天皇又は上皇の承認の二つを欠いたまま即位した、「かなりグレーというか、いい加減な対応」による、後光厳天皇もいた。p.147-9。
 武家政治は鎌倉時代から江戸時代で「700年」続いたが、「軍事力をほぼ独占した武士たちによる政府ができたからこそ、天皇家は続いた」といえるかもしれない。「天皇が軍事も政治も意欲的に」行えば、とって代わろうとする勢力によって滅ぼされた「かもしれない」。古代の天皇のように自ら軍事行動をすれば、「どこかで戦いに敗れ、滅ぼされていた可能性は高い」。p.150-1。
 「怠惰な国民のもとに独裁者が生まれるし、怠惰な国民が独裁者をつくりだす」。「生臭いものから皇室は距離を保っておくべきだ」との意見が大勢であるようで国民はさほとどバカではない。「日本の場合、独裁者が生まれるとするなら、皇室もしくはその周辺からしか生まれないでしょうから」。p.156。〔この部分の言明は興味深い。「皇室の周辺」等についてさらに発展させて議論したいが、省略。〕
 生前退位による「政争の具」化、「政治的な混乱」の発生は「もはや難しい気がします」。皇室も含めて「絶えず可視化」されている情報化社会はそれを許さないだろう。p.159-160。
 「外部勢力が生前退位というシステムを使って」「手を突っ込んでくることはほぼ考えられません」。「あるとしたら、天皇家のなかでそういう動きがある場合でしょう」。p.162。〔この部分も興味を惹く。別に話題にしたい。〕
 「時の内閣の政治的駆け引きに利用される」という危惧が再三提起されるが、これは「天皇の人格の問題」、「どんな人が天皇になるのかという問題」だろう。p.162。 
 三 以上のすべてではないが、アホの4人組の見解・主張に対する反論や無知の指摘になっているところが多いだろう。
 <観念保守>の思考方法自体に最近は関心があるが、日本共産党による<明治維新以来ずっと日本は悪いことをしてきた-「帝国主義」化と「侵略」戦争>という歴史観を裏返しにした、しかも明治当初の元勲たちにはあった冷静な視点すら失った、戦前の一時期の<皇国史観>に立ち戻れ、というだけではないだろうか。
 本郷も指摘するし、産経新聞・「正論」欄で秦郁彦も述べていたように、明治期の旧皇室典範の内容こそがむしろ長い日本の歴史、天皇の歴史からすると<異例>だったのだ。
 誰も書いていないようだからあえて書いておくが、明治新政府の誕生時(1868年)、明治天皇は16歳で、明治憲法発布・旧皇室典範(勅令ですらない)制定時には38歳だった。かつまた、すでにのちの大正天皇は生まれていた(12年後にはのちの昭和天皇も生まれた)。そのような、40歳にもなっていない若い又は壮年の天皇がいた時期に、言うまでもなく、そのことや当時の後嗣を含む皇室の具体的状況も考慮して、あるいは具体的なそれを背景として、旧皇室典範により終身皇位制度が採用されたのだ-反対論もあったことが知られている-。この当時と大きく具体的な事情が異なる(むろん法的な位置づけも異なる)現在において、旧皇室典範の<精神>を持ち出すのは、狂気であるか、あるいはたんにアホであるとしか思えない。
 旧皇室典範以降で、わずか三代の代替わりしか行われていない(大正・昭和・今上)。これがなぜ、「日本の伝統と歴史」と言えるのか。昨年12月に触れたことだが、(<保守>派ならば神武天皇にまでさかのぼって ?)天皇の歴史に関する知識を持たなければならない。欽明まで遡らなくとも、平安直前の光仁、そして桓武あたり以降の歴史をすべて(概略でもよいが)知っておかないと、いかなる発言もマトモにはできないのではないか。
 本郷和人は、平川祐弘・月刊Hanada4月号(飛鳥新社)が嫌味を言っているような「法学」者ではなく、東京大学史学科出身の(中世が専門の)歴史学者だ。平川は、自らの視野の狭さ、思い込みとそれからくる「無知」、そして<観念論>ぶりを自ら嘆くべきだろう。
 また、平川は源氏物語という<文学>作品を読んでいない「法学」者を批判しているようだが、そんなものを持ち出さなくとも、いくらでも多数、より実際の<歴史>に近い書物・文献・史書はある(すべてが100%信用できるとは言わない)。
 櫻井よしこ、八木秀次らの具体的叙述も、かりにきちんと読めば、いくらでも、反駁あるいは無知の指摘をすることができる。
 こうしたアホたちがなぜ生まれて、出版界等で生きておれるのか。その理由、背景に最近は興味をもっている。アホたちを生息させている産経新聞等にもかつてよりはるかに批判的になっている。
 天皇・皇室制度それ自体について、種々書き残しておきたいことはあるが、今回はこれくらいにしよう。
 なお、本郷の長くはない叙述のすべてに同意しているのではない。例えば、明治新政権を世襲否定として肯定的な見方を示しているが、薩長中心の、藩閥的・門閥的な政府でもあっただろう(それは昭和期にも影響を与えた)。

1431/西尾幹二全集第16巻(国書刊行会、2016)。

 一 西尾幹二全集のうちの一つの巻を購入・入手しての愉しみは、明らかに未読のものや著者の後記、そして月報を読むことだ。
 その中に、西尾幹二は文学部出身にしては「社会科学的」だ、とか言われたことがある、というような趣旨のものがあった。最新刊行のものの中ではないので少し刊行順に遡って捲ってみたが、その趣旨の記述を再 ?発見できなかった。
 西尾は別に、文学部出身者が日本の<保守>論壇の多数または有力派を形成してきたとか語って、そのことを誇りにしているかのごときことも書いていた(と思う)。
 小林秀雄、福田恆存、江藤淳…と並べると、そうかもしれない。ここで並べるのはイヤだが、渡部昇一もそうらしい。
 だが、文芸(文学)評論家的<保守>論者は日本の<保守>派のしっかりとした形成にとっては悪影響をもたらした、少なくとも日本に独特の議論の仕方を生じさせた、と感じているので、上の趣旨の文章には違和感をもった。
 但し、西尾幹二自身は、<文芸(文学)評論家的保守>ではない。
 「評論家」では小さすぎるし、「思想家」というのも必ずしも妥当ではないだろう。
 というのは、教育政策、労働(移民)政策等々への発言も目立っているし、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長という<実践家>でもあったからだ。
 「歴史家」と言ってしまうのも、その対象は日本に限らず世界に広がっているが、狭くとらえすぎるだろう。
 佐伯啓思、西部邁らの「思想家」タイプと比べても、西尾幹二の大きさ・広さは歴然としている。櫻井よしこ、八木秀次ら、そして渡部昇一とはまったく比べものにならない。
こんなことから<人文系と社会系>の差違について述べたかったし、また、西尾幹二のような論者と「専門家」という者の違いについても思い巡らしたかったのだが、別に扱おう。
 なお、追記するが、上のように記したからといって、秋月は西尾幹二の全ての主張・認識等に100%賛同しているわけではなく、100%「信頼して」いるわけでもない(そんな人物は一人もいない)。かつての皇太子妃関連の主張には異を唱えたこともある。原発に関する考え方もたぶん同じではない(秋月瑛二はすべての人物や組織から「自由」だ。それは、いかなる人物・団体の<支援>もなく「孤独」であることも意味している)。
 二 西尾幹二全集第16巻(2016、12)の「後記」を少し捲ったあと最初に読んだのは、「嗚呼、なぜ君は早く逝ったのか」と題する坂本多加雄の逝去・葬儀に関するものだった。「インターネット日録」掲載のもののようだが、知らなかった。
 坂本死去の2002年の頃の論壇等々の雰囲気を知って、テーマからするとやや非礼かもしれないが、興味深い。
 秋月もまた、坂本多加雄の少なくとも単行本化されている書物は、かなり高価だった中古本の<象徴天皇制度と日本の来歴(1995)> も含めて、ほとんどを所持し、一読はしているのだ。
 興味深い、というのは、けっこう著名な人物名が出てくるからでもある。
 伊藤哲夫、高森明勅、中川昭一、粕谷一希、北岡伸一、杉原啓志、ら。
 また、この当時の<保守>的活動の内容の一端をかなり生々しく知ることができるからでもある。
 坂本多加雄、52歳。この人の<反マルクス主義>の歴史観および歴史叙述観は、ひょっとすればこの欄に紹介したかもしれない。そして、西尾幹二の文章とともに、人の死ということをあらためて考える。
 のちに、遠藤浩一も亡くなった。いずれも、交際相手として選ばれるはずもない凡人の私の、個人的な知り合いでは全くなかつたのだが。
 この人たちが存命であれば、<保守>論壇の現状は、少しは良くなっていたような気がする。しかし、そう想ってみても、現実を変えることはできない。
 そのつぎにおそらく「後記」を読み直した。主として<路の会>のことだ。
 また、「月報」が挿入されていることに気づいて読んだ。書き手の名もその内容も興味深く、思わず集中してしまった。
 これらの感想、種々思うことは、この回には書けそうもない。

1426/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧③。

 一 月刊正論編集部のマップ(月刊正論3月号p.59)の基礎的問題点の一つは親米・反米に拘泥していることであり、これはアメリカを対象化・客観化して認識し議論することをきわめて困難にすることになる。
 すなわち、アメリカ自体が変容・変化する可能性があるが、<親米か反米か>という見方によれば、アメリカの変化によって親米の内容も反米の内容も変わってしまう、ということが看過される危険性がある。日本(人)の見方が、大きくアメリカの思想や政策に依存してしまうことになる。
 また、日本のほかに欧米も視野に入れた思考をできにくくする。例えば、アメリカの二大政党は私のいうB内部の対立なのか、BとCの対立に相当するのか(反共のブレジンスキーによれば前者のようだが、今の民主党は<容共>のようでもあり、私には判断しかねる)、既述のようにトランプ大統領はBからAに向かうのか、といった関心を封じることとなる。
 秋月瑛二の図表もイスラム・アフリカや共産主義諸国内部では不適切だろうが、それでも月刊正論編集部のそれよりは、広い視野を持つものだと思われる。
 二 西部邁・佐伯啓思らの表現者グループについて、その「保守」性を疑問視したり、<左翼との通底 ?>と書いたこともある。中島岳志を「飼って」いたり、佐伯啓思が橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>とか書いたこと等をきっかけとしてだった。
 しかしいちおう自己申告?に従って、「保守」だと見なすことにしよう。西部邁も含めて、その反米主張や「自由・民主主義」に対する疑問は日本の「左翼」に利用されかねないし、類似性もなくはないと思うが、<反共産主義>者たちだとは思われる。
 そうすると、菅原慎太郎らの月刊正論編集部は、他の保守との区別がつかなくなるではないかと、秋月瑛二の分類の仕方を非難するかもしれない。
 そのとおり、<保守・リベラル>=おおよそ読売新聞社系「保守」以外の保守は、私のいうA保守(反共)・ナショナルに含まれ、そのかぎりで、表現者グループと同じだ。
 想定しているのは、西尾幹二、中西輝政、櫻井よしこら。小林よしのりも。中川八洋については、かなり迷う。中川は<反共>意識旺盛だが、<親英米>の、私のいうBグループではないか、と。
 中西輝政も含めて、なお論評したいことは多いが、今回は避ける。
 櫻井よしこについては、渡部昇一に対するのと同様にこの欄で批判し続けてきているが、それは、こんなことを書いて<本当に保守派なのか>という疑問提示と叱咤激励のつもりだった(だが、昨年以降は、「観念保守」としてさらに距離を置いて批判する必要があると感じている)。
 ともあれ、A保守(反共)・ナショナルの内部にこそ、月刊正論編集部が注目している区別があるようであり、かつ、その区別を強調して過度に肥大化させる必要はない、と思っている。月刊正論編集部はいわば広い<身内>にのみ関心を寄せていて、視野が狭いようだ。
 すなわち、八木秀次に依頼したかにみえる論考タイトルは「保守とは何か-エセ、ニセの見分け方」で(但し、八木はこの「見分け方」を明示していない)、編集部のマップの中にも「保守・自称保守」と並べた言葉があるが、このような発想方法は、「真正保守」は何か、誰々か、を探ろうとするもので、ヒマな人々は勝手にすればよろしいが、ほとんど建設的・生産的な意味がない、と思われる。
(但し、「観念保守」という概念の設定はこれに反しているかもしれない。この概念の発見?は、なぜA保守ナショナルは多数派になっていないのか、その理由を考えたりしているうちに生じた。)
 「真正」か否かではなく、具体的に、あるいは個別テーマに即して、どのような主張・政策が<保守>派として最適なのか、を論じなければならない。2015年戦後70年安倍談話をいかに評価すべきかは基本的論点だが、他にも、憲法改正で急ぐべき条項はいずれか、原発問題は ?、皇位継承問題は ?、いっぱいある。
 もとより、一般的・抽象的な議論として<保守とは何か>を議論できるし、する必要があるのかもしれないが、国によって、また日本でも論者によって内容は様々で、「正しい」解答などは存在しないのではないか。
 「真正」・「自称」・「エセ・ニセ」といった形容句の玩弄はやめた方がよい。それはすぐさま、回避すべき<観念>的議論につながる可能性が高い。
 三 「保守とは何か」、これを論じるつもりはない、と前々回に書いた。しかし、私には、答えは簡単なのだった。
 反共産主義こそ、「保守」だ。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>。

 なお、4分類、4象限化という思考・作業は当然に類型化・抽象化を伴っていて、「観念」化そのものだ、ともいえる。本来は相対的でありうる区別を絶対化して不要な分類作業をしてはいけないことは、自認・自戒している。

1425/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧②。

 月刊正論編集部作成の四分けマップと新聞社等の位置づけは、自己中心的なものだ。
 かりにこれによる二つの大きな基準によってすら、産経そして月刊正論は、前回でも触れたように、「歴史認識」問題では決して<自尊>派ではなく、大きく<自虐>派へと移行している。それは、2015年8月安倍談話以降、ぴたりと<歴史戦>と呼号( ?)しなくなったことでも分かるし、月刊正論の背表紙の文字のこの時点前後を比べれば一目瞭然だ。月刊正論編集部・菅原慎太郎らは、ごまかさない方がよい。
 また、自民党はこのマップではやはりどちらかというと「自尊派」に傾斜して位置づけられているが、実態は、少なくとも上の談話以降、読売新聞と同様の<リベラル保守>、月刊正論編集部による<自虐(保守)>派であることを明らかにしている。稲田朋美も下村博文も、おそらく誰も、自民党内では戦後70年談話に異議を挿まなかった。
 ほかにも難点はある。例えば、朝日新聞・毎日新聞が<対米不信>派に分類されているが、アメリカのメディアや同民主党政権の意向・考え方を利用して、いわば対米追随的に、日本の<自尊>派、または私のいう<保守・ナショナル>派を批判してきたことは周知のことだ。日本共産党と朝日新聞らをごっちゃにする月刊正論編集部の見方は、そもそも<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準にすること自体が適切ではないことを示している。
 また、月刊正論編集部によれば、第4象限の<対米不信・自尊>派にはほとんど何も分類されなくなる。政党では辛うじて「日本のこころ」がこれに近いことが示されているにとどまる。
 だが、「保守」論壇人を見ると、「自由と民主主義はもうやめる」と書いた佐伯啓思や西部邁らの<表現者>グループは、月刊正論編集部のいう<対米不信・自尊>派だろう。
 そして、広義での「保守」が1・2・4の三象限を占めてしまい。いわゆる「左翼」は第3象限にしか位置づけられなくなる。
 現実は、保守対「左翼」が3対1ということはない。
 秋月瑛二の分類では、西部邁・佐伯啓思・西田昌司らの<表現者>グループは、<保守・ナショナル>派(第一象限)に位置づけられる。
 <自尊・自虐>という情緒的なものを大きな基準として採用していることのほか、<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準として採用していることに、月刊正論編集部マップの致命的な欠陥がある。
 よほど月刊正論編集部と産経新聞は<対米協調>派であることを強調したいのだろう。
 月刊正論編集部の4つの分け方によれば、上が「対米協調」で下が「対米不信」。右が「自尊」で左は「自虐」。これで反時計回りに、象限に位置づければ、つぎのとおり。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派
 秋月瑛二の分類(前回のA~D)はたんに右から左へと並べたものではなく、上のような4象限化をすることも可能だし、そのように意図している。反時計回りに、第1~4象限。以下のとおり。もちろん、反共か容共かは大きな基準とされなければならない。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)
 上半分はいわゆる保守、下半分はいわゆる「左翼」。
 左半分は<(欧米淵源の)自由・民主主義>派、右半分は、リベラル・デモクラシーをそのままは支持せず日本の特殊性を強調する、またはそれを(日本共産党のように)乗り越えようとする立場だ。
 D/共産主義に日本共産党だけが入るのではない。反日本共産党の日本の「共産主義」者たちがいることを知っている。但し、日本共産党に少なくとも限れば、この党は「アメリカ帝国主義」を大きな「敵」と見なす<民族=ナショナル>派的性格をもっていること、「民主主義」社会を超えた「社会主義・共産主義」社会を展望していること(単純なリベラル派ではないこと)を忘れてはいけない。

1156/朝日・NHKとともに中国展を共催する毎日新聞12/12社説と総選挙。

 毎日新聞は、「第二朝日」などと言われないように、せめて朝日と読売新聞の「中間」あたりの読者層をターゲットにしたらどうなのだろう。日中国交「正常化」40周年記念の「特別展・中国王朝の至宝」を東京国立博物館・NHK・朝日新聞社!ともに「主催」していて(後援は日本外務省・中国国家文物局・中国大使館!)、中国・同共産党に不満を与えたくないためだろうか。
 毎日新聞の12/12の社説は、自民党の尖閣諸島への「公務員の常駐や周辺漁業環境の整備を検討する」という公約にイチャモンをつけている。
 同社説によると、「公務員を常駐させたり船だまりを造ったりすれば、日中の対立をことさらあおり、中国にさらなる実力行動の口実を与えかねない。紛争は日米の利益に反する」、のだそうだ。

 また同社説は、「自民党や日本維新の会の候補者に保守化の傾向が強まっていること」への憂慮を示している。
 今回の総選挙の注目点の大きな一つは、「左翼」政党がどの程度の議席を獲得するか(どの程度減らすか)、だと思っている。
 ここでいう「左翼」政党とは、東京都知事選挙で宇都宮健児を支持している党だといえば、分かりやすい。すなわち、日本未来の党、社民党、共産党だ。
 小沢一郎が「社会民主義」や「共産主義」の政党と手を組むまでに<落ちぶれた>ことも刮目すべきことだと思うが、それは措くとして、保守化・「右傾化」を憂えている毎日新聞は、これらの政党(または民主党旧社会党系の「左翼」)の主張と近似の主張をしているのであり、それがいかほどの国民または「世論」の支持を受けることになるのか、余計ながら真面目に再検討した方がよいだろう。
 もっとも、たとえば憲法改正・自主憲法制定や国防軍の設置が第一の争点になっていないこともあり、自民党と日本維新の会の個々の議員候補者や支持者が実際にどの程度これらを支持しているかは分からない。
 週刊現代12/22・29号によると、テレビ朝日系「報ステ」(12/07?)に出席した安倍晋三が石原慎太郎とともに「時間の3分の2近く」を使って憲法改正論を「ブチまくった」翌日、ある自民党選対関係者は「あれじゃ、まるで右翼だ。票を減らすのは確実だろう。終わった」と嘆いた、という(p.56-57)。
 週刊誌がいかほどに正確な記事を書いているかは十分に疑わしいが、以上が事実だとすると、まことに嘆かわしい自民党関係者の言葉だ。
 とくに社民党の福島瑞穂が喚いていていてくれるおかげで、憲法改正は低い順位ながらも選挙の争点にはなっている。そして、石原慎太郎のほか、かつて自民党草案をまとめた桝添要一(新党改革)、「ブレない保守」国民新党の自見某らが憲法改正はしごく当然のことという趣旨で発言しているので、改憲(とくに9条2項を削除しての正規「軍」保持)の主張が決して一部の「右翼」の主張ではない、ということが、ある程度はふつうの国民・有権者にも伝わっているようで、将来も考えると希望を持ってよいような気がする。
 だが、いずれまた書くかもしれないが、かりに改憲主張の政党が2/3以上の議席を得たとしても、ただちに改正の発議にはならないことは当然だ。
 参議院もあることとともに、やはり自民党と日本維新の会等が各党内で、どの程度結束し、どの程度の「本気・覚悟」を持つかにかかっている。安倍晋三・石原という党首が同意見であることが近い将来の改憲を楽観視できる根拠にはまったくならないだろう。
 月刊WiLLの1月号(ワック)が<私が安倍総理に望むこと>を10人の論者に(早くも?)書かせているが、西部邁の名もあるので興味を惹いた。
 そして、西部が温和しく(?)安倍晋三への皮肉を一言も記すことなく、安倍への期待を書いていることに驚き、ある意味では安心した。「右派」ではなく「保守リベラル・社民リベラル」の側に立つ旨を明言し、憲法改正に反対している(9条護持論に立つ)中島岳志と西部は全く同じではない、と見てよいだろう。
 もっとも、最後には、安倍への直接の皮肉ではないにしても、「…といってみたものの、この私、この世にそんな素晴らしいことが起こるとは少しも信じていない」、だから安倍はこの文章を無視してよいと書いているのだから、さすがに、西部邁はシニシストでありニヒリストだ。
 現実に影響を与える可能性のある言論活動をすることなどはとっくに諦め、自分の観念・意識の中でそれなりにまとまった世界を描かれていればそれで満足する、という境地に達しているかのごとくだ。発言内容は同じではないが、こうしたスタンスは佐伯啓思のそれともかなり似ていると思われる。
 総選挙について、各党の公約や党首の発言等々について、書きたいことは多いのだが…。

1148/佐伯啓思に問う、「大衆迎合」・「ポピュリズム」でない「政治文化」はどのように。

 佐伯啓思産経新聞11/22の「正論」の見出しは「大衆迎合の政治文化問う総選挙」で、「大衆迎合の政治文化」、佐伯の別の表現では「あまりにポピュリズムや人気主義へと流れた今日の政治文化」に決着をつけられるか否かが今回の総選挙で問われているとする。
 もちろん「大衆迎合」・「ポピュリズムや人気主義」に批判的な立場から佐伯は書いている。佐伯に問いたいのは、では、「大衆迎合」・「ポピュリズムや人気主義」に陥らない「政治文化」とはどのようなもので(どのように名付けられるもので)、そしてそれはどのようにして形成、確立されるのか、だ。
 この問題に触れずして、「ポピュリズム」等に対する蔑視・批判の言葉を吐いているだけでは、何ら積極的で建設的な展望は出てこず、西部邁も、また佐伯啓思自身もよく使っている<シニシズム>を拡大するだけではないか。

1147/橋下徹、石原慎太郎、安倍晋三、佐伯啓思、中島岳志。

 一 <左翼>は間違いなく橋下徹・維新の会を危険視・警戒視してきた。社民党も共産党も勿論だ。
 最近の某週刊誌に東京都知事選で宇都宮某を「市民派」・「リベラル」等だとして支持することを明記していた者に森永卓郎、池田理代子、香山リカ、雨宮処凜がいたが、社共両党が支持するこの元日本弁護士会会長を支持する者たちもまた、橋下徹に対しては批判的であるに違いない(すでに明確に批判している者もいる)。
 一方、<保守>の中では橋下徹・維新の会に対する評価が分かれたし、現在でも分かれたままであることは興味深いことだ。
 その橋下徹を石原慎太郎は義経に、自分を義経を支え保護する武蔵坊弁慶になぞらえ、橋下を義経ではなく頼朝にしたいとか発言していた。そして、石原新党は橋下徹・日本維新の会に合流した。
 安倍晋三も橋下徹に対して決して警戒的・批判的ではなく、将来における「闘いの同志」と言っていたこともあるし、衆議院解散後も「お互いに切磋琢磨して‥」などと言っていた。
 <保守>派論者はおおむね又はほとんど石原慎太郎・安倍晋三を支持しているか好意的だと思われるが、この二人には好感を持ち、かつ橋下徹は「きわめて危険な政治家」だとか「保守ではない」とか言って批判していた者たちは、近時の石原や安倍の橋下徹に対する態度をどう観ており、どのような感想を持っているのだろうか。
 石原慎太郎や安倍晋三は橋下徹の本質、その危険性を見抜いていないとして苦々しく思っているのだろうか、そして、この二人に諫言または忠告でもしたい気分だろうか。それとも、橋下徹に対する評価を少しは改めたのだろうか。
 二  佐伯啓思は産経新聞11/22の「正論」で、新日本維新の会について次のように述べている。
  「石原新党が合流した日本維新の会は、ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」。
 そのあと「橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶりを特に難じようとは思わない」としつつ、かなりの国民が維新の会を支持しているとすれば、「われわれは民主党の失敗から何を学んだことになるのだろうか」と結んでいる。
 この後半部分はどうぞご自由に論評を、と言いたいが、その前提となっている、「ただ『統治機構改革』すなわち中央官僚組織をぶっこわし、既成政党をぶっこわす、という一点で政権奪取をうたっている」という認識は、学者らしくなく、あるいはある意味では学者らしく、あまりに単純すぎる。
 日本維新の会はもっといろいろなことを主張しているのであり、とりわけ「自主憲法の制定」の方向を明確にしていることを看過する論評は、大きな欠陥があるだろう。とても、緻密な?佐伯啓思の文章だとは思えない。
 三 「左翼」だと思われるが、自称「保守」または「保守リベラル」でもあるらしい中島岳志は、宇都宮健児・雨宮処凜・佐高信・本多勝一らとともに編集委員をしている週刊金曜日の11/16号の、朝日新聞にある欄の名称とよく似た「風速計」という欄に、「第三極のデタラメ」と題する文章を書いている。それによると、以下のごとし。
 橋下徹代表の日本維新の会とみんなの党は「リスクの個人化」を志向し、「小さな政府」に傾斜しているのに対して、「たちあがれ日本」は「リスクの社会化」を志向している。また、日本維新の会
と「たちあがれ日本」は「タカ派的主張」を中核にしているが、みんなの党は「消極的リベラルの立場」だ。
 こうして実質的にはこれら三者の合流は困難だと、のちに聞かれた「野合」論を先走るような叙述をしている。
 各党の個々の評価には立ち入らない。興味深いのは、学者らしく、あるいは厳密にはしっかりした研究者らしくなく、「リスクの個人化」か「リスクの社会化」か、「タカ派」か「リベラル」か、という単純な対比によって各党を評価しようとしていることだ。
 実際は、もっと複雑だと思われる。学者の、レッテル貼りにもとづく単純な議論はあまり参考にしない方がよいだろう。
 ところで、中島岳志は、橋下徹代表時の日本維新の会と「たちあがれ日本」の主張を「タカ派的」と称している。このような称し方は「左翼」論者や「左翼」マスコミと変わりはしない。まともな<保守>派論者ならば、改憲の主張を「タカ派」などと呼びはしないだろう。
 中島岳志の「左翼」ぶりは、今回の総選挙に際しての「緊急の課題」を次のように述べていることでも明瞭になっている。すなわち-。
 「保守・中道リベラルと社民リベラルが手を結び、新自由主義・ネオコン路線と対峙すること」。以上、上掲誌p.9。
 「新自由主義・ネオコン路線」という一時期の<左翼>の好んだ語がまだ使われていることも目を引くが、中島が「社民リベラル」に好意的であることを明瞭にしていることの方が面白い。
 中島岳志が<保守>であるはずがない。この中島を同好の者のごとく同じ月刊雑誌(「表現者」)に登場させている西部邁や佐伯啓思の<保守>派性すら疑わせる人物だ。

1143/中島岳志という「保守リベラル」は憲法九条改正に反対する①。

 中島岳志月刊論座2006年10月号(朝日新聞社)の<安倍晋三「美しい日本へ」を読む>特集の中で、安倍晋三著の文春新書の内容を批判し、「多くの国民の心を揺さぶる作品を利用し、論理的な飛躍を通じてナショナリズムを煽る手法に、我々は今後、注意深くならなければならない」と結んでいた(p.33)。
 中島岳志はしかし、自称「保守」派でもあるらしく、西部邁・佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の中で、「保守思想に依拠して思考している」がゆえに「漸進的に脱原発を進めていくへきだ」と主張し(p.143-144)、「左翼が反原発」を唱えているのでそれに反対するのが「保守」だという論理を超えるべきだ、とも述べている(p.162)。
 中島岳志はまた、西部邁と佐伯啓思を顧問とする、自民党の西田昌司もときどき登場する隔月刊雑誌「表現者」39号(ジョルダン、2011)に、「橋下徹大阪府知事こそ保守派の敵である」と題する論考を書き、「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」の橋下徹を「保守派」は支持すべきではない、と主張する。結論的に月刊正論(産経)編集長・桑原聡と似たようなことを先んじて書いていたわけだ。
 すでに言及したこともあるが、またここでこれ以上長く紹介したり論じたりしないが、上のような中島の主張内容から、中島岳志の「保守派」性に疑問を持っても不思議ではないと思われる。
 これまたごく簡単に言及したことがあるが、中島岳志は、月刊論座2008年10月号(朝日新聞社)の座談会の中で、現憲法9条改正反対論を述べている。すなわち、「今は間違いなく、9条を保守すべきだ」と「保守に向かって」言っている、と発言している。
 憲法9条に限ってではあるが、憲法改正に反対なのであり、結論的には、社民党・日本共産党等の「左翼」と変わりはない。
 中島は、つぎのように理由・根拠を語っている(p.37)。
 「なぜならいま9条を変えると、日本の主権を失うことに近づくからです。これだけ強力な日米安保体制の下で、アメリカの要求を拒否できるような主権の論理は、今や9条しかないと言ってもいい。アメリカへの全面的な追従を余儀なくされる9条改正は、保守本来の道から最も逸れると思います」。
 原発問題ほどには大きな根拠としていないようだが、やはり「保守の道」から逸れないためには憲法9条を保守すべきだと言っており、「保守」の立場かららしき憲法改正反対論だ。
 ますます中島岳志というのは奇矯な論者だと感じるとともに、上のような理由づけ自体も理解することができない。
 憲法9条2項を削除して国防軍を正規に持つことが、なぜ「主権を失うことに近づく」のか、9条があるからこそ「アメリカの要求を拒否できる」というのは、いかなる理屈なのか、がよく分からないからだ。
 中島は上の雑誌・論座では上のように述べるにとどまる。不思議な理屈だと感じていたが、論座編集部編・リベラルからの反撃(朝日新聞社、2006)を見ていて、中島と同じ理由づけを、中島よりは詳しく書いてある論考にでくわした。
 その論考は典型的な「左翼」ではなくとも「保守派」の論者では決してない者によって書かれており、中島岳志も読んでいる、そして参照しているように思われた。
 そして、朝日新聞社発行の雑誌や書物であること(だけ)を理由にするのではないが、やはり中島岳志は「保守派」ではない、と感じられる。中島も自らについて称したことのあるように、朝日新聞または「論座」的概念・用語法によると、せいぜい「保守リベラル」という、ヌエ的な存在なのだろうと思われる。中島はそこに、論壇における自らの「売り」を見出し、最近に読んだ竹内洋の本の中の言葉を借りると、論壇における自らの「差別化」を図っているのだろう、と思われる。
 西部邁らは中島岳志を「飼う」ことをやめるべきだ、と再び言いたい。
 それはともあれ、憲法改正反対=憲法護持論者は、いろいろな理屈を考えつくものだと感心する。論座編集部編・リベラルからの反撃(朝日新聞社)の中の一論考にはつぎの機会に論及する。

1114/未読の多数の書物に囲まれてBSフジで西部邁を観る。

 〇机・椅子の周囲に現在積まれている書物。順不同。
 ①竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社) ②西尾幹二・壁の向うの狂気―東ヨーロッパから北朝鮮へ(恒文社21) ③産経新聞取材班・親と子の日本史 ④船橋洋一・同盟漂流(岩波)、⑤内田樹ほか・橋下主義〔ハシズム〕を許すな!(ビジネス社)、⑥古谷ツネヒラ・フジテレビデモに行ってみた!(青林堂)、⑥b/ケストラー・真昼の闇黒(岩波文庫)、⑦産経新聞論説委員室・社説の大研究(扶桑社)、⑧宮野澄・最後の海軍大将・井上成美、⑨水田洋・社会科学の考え方(講談社現代新書)、⑨佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書)、⑩不破哲三・現代前衛党論(新日本出版社)、⑪中島義道・人生に生きる価値はない(新潮文庫)、⑫小林よしのり編・国民の遺書(産経新聞出版)、⑬田母神俊雄=中西輝政・日本国家再建論(日本文芸社)、⑭田母神俊雄・ほんとうは強い日本(PHP新書)、⑮高橋たか子・高橋和巳の思い出(構想社)、⑯月刊正論5月号、⑰月刊WiLL6月号、⑱Japanism第6号、⑲月刊ヴォイス5月号、⑳撃論第4号、21林敏彦・大災害の経済学(PHP新書)、22池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書)、23佐藤優・はじめての宗教論〔右巻〕(NHK出版)、24ダワー・容赦なき戦争(平凡社)、25中島義道・ヒトラーのウィーン(新潮社)、26秦郁彦・靖国神社の祭神たち(新潮選書)、27杉原誠四郎・日本の神道・仏教と政教分離/増補版(文化書房博文社)、28石平・中国人大虐殺史(ビジネス社)、29坂本多加雄・象徴天皇制度と日本の来歴(都市出版)、30上杉隆・新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか(PHP新書)、31石光勝・テレビ局削減論(新潮新書)、32不破哲三・「資本主義の全般的危機」論の系譜と決算(新日本出版社)、等々等々。
 整理し忘れのものもあれば、読むつもりで放っていたものもある。また、多少とも読んで、何がしかの感想・コメントくらいは書けたのに、書けないままになってしまっているものがすこぶる多い(言及しても不十分なままのものも含む)ことにあらためて気づく。
 〇西部邁がBSフジ(プライムニュース)の憲法特集の中で喋って(喚いて?)いた。年齢にしては頭の回転は速そうだし、間違ったことを語っているわけでもないように見えた。
 橋下徹をどう思うか旨の問いに、大した関心はないとしてまともに答えていなかったのが、興味深かった。西部邁は週刊現代3/17号(講談社)でも、橋下徹の政策論に批判的に言及してはいるが、<西部邁・佐伯啓思グループ>の総帥?のわりには、中島岳志、藤井聡、東口暁、佐伯啓思のような、「決めつけ」的な警戒論・批判論を展開してはいない。
 そのことともに、上の週刊誌の末尾には「あの世のほうがよほどに真っ当そうだ」との老人?の言葉があるが、自分の言いたいことをいうが、自分の言うようにはならないだろう、自分の主張を大勢は理解できないだろう、という日本の現実についての<諦念>または<ニヒル>な気分が濃厚であることも印象的だった。
 そのような末世的気分からは、自らの発言の優先順位に関する思考、現在の日本の状況(政治・論壇・国民意識等)を動かすことのできる重要なテーマは何で、些細な論点は何か、という戦略的な?判断は抜け落ちてしまうのではなかろうか。
 視聴者大衆への具体的な影響への配慮よりも、とにかく自分が正しい(または適切だ)と考えることを喋りまくるのでは、却って、何が言いたいのかが不鮮明になるおそれなきにしもあらずだ。
 西部邁とともに、私もまた、多分に、ニヒリスティックな気分なのだが、私とは異なり著名な<自称保守派>論客には、戦略・戦術も配慮した発言や論考を期待したいものだ。

1091/西部邁・佐伯啓思グループとは何者たちか?

 前回に、<西部邁・佐伯啓思グループ>または<(隔月刊)表現者グループ>について、「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって…という疑念を捨て切れない、と書いた。
 分かりにくい、矛盾もしていそうな形容表現だが、示唆を得た叙述は、西部邁や佐伯啓思らを念頭に置いたものでは全くないものの、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)の中にあった。一度は雑誌連載で読んでいたはずのものを、単行本で先月末あたりに読み終えていたのだ。
 竹内洋はおおむね1970年代(ないし1960年代半ば)以降の思想潮流に論及して、「左翼」側の<構造改革>論(江田三郎ら)、「保守」側の「モダニズム保守」または「ニューライト」の登場を語る。そして、後者に関して「マルクス主義と切断された進歩の思想である近代化論」の台頭が背景にあるとする。
 面白く感じたのは、上のことに触れつつ、「保守と革新の変容」と題する<図>(チャート)を示している、その内容だ(p.502)。
 それによると、思想潮流は「左派」対「右派」というかたちで(ヨコ軸で)示される対立のほかに、「近代主義」対「伝統主義」というタテ軸で示される対立もある。二つの軸によって四つの象限ができるが、竹内は左上の「左派・近代主義」を<構造改革派>にあて、右下の「右派・伝統主義」を「オールドライト」と総称する。さらに、以下が興味深いのだが、左下の「左派・伝統主義」を「土着主義左翼」とし、右上の「右派・近代主義」に<ニューライト>をあてている。
 西部邁・佐伯啓思グループとはいったいいかなる性格の、あるいはいかに位置づけられるべきグループなのかという関心をもっていたときに上の図・表を見たために、はたして西部邁・佐伯啓思らはどこに位置するのだろうと考えてしまった。
 反復するが、竹内洋は戦後「進歩的文化人」や近年の「幻想としての大衆」について語ることを主眼としていて、西部邁らに言及しているのではまったくない。
 だが、西部邁や佐伯啓思らは<強いていうと>、竹内のいう後二者の「土着主義左翼」か「ニューライト」に該当するのではないかと感じたのだった。
 「左派」と「右派」はそれぞれ、伝統的にいう「革新」または「左翼」と「保守」または「右翼」に相応するものと理解してよいだろう。この対立に加えて、竹内は<近代主義X伝統主義>という対立軸を加味して理解しようしているのだ。
 さて、西部邁・佐伯啓思グループは、反米を強調し、そのかぎりで「日本的なもの」または「民族性」を強調することになっている点では竹内のいう「伝統主義」の側に立っている、とも言える。
 佐伯啓思は「日本の愛国心」や「日本という価値」を論じており、かつ欧米流「近代」主義をかなり厳しく批判(または批判的に分析)してもいるのだ。竹内は「土着主義左翼」と称しているが、これを少し表現し直したのが、前回に使った、私の「民族的左翼」という言葉だった。<反米>は「保守」のようでもあるが、「左翼」でもありうる。
 日本共産党ら「左翼」も、ある意味では、むろん<反米>だ。
 それに、西部邁らの論考や発言には「左翼」臭を感じることがある。二つだけ、例を挙げておこう。
 ①西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の富岡の「はじめに」が、共産主義・コミュニズム批判を見事に欠落させて「現代文明」を語っていることはすでにこの欄で触れた。
 それとともに、中島岳志や藤井聡も執筆しているこの本では、「現代文明の全般的危機」が一つのキーワードになっていて、西部邁の論考はこれを一節のタイトル(見出し)にまでしている(p.25)。しかして、「…の全般的危機」とは、どこかで聞いたことがあるような、「左翼」またはマルクス主義用語なのだ。
 詳細は知らないが、マルクスらは「資本主義の全般的危機」という用語または概念を使ってきた。現在の日本共産党はこれをそのままでは採用していないようだが、ともあれ「資本主義の全般的危機」とは<左翼>用語だ(った)。
 西部邁らが好んで?用いている「現代文明の全般的危機」とはマルクス主義的な「資本主義の全般的危機」概念・論の影響を受けたものであり、かつ少なくとも部分的には、マルクス主義によるこれに関する議論を参照し、または取り込んだものではないだろうか。
 ②西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NTT出版、2011)の中の西部邁の序論には、「反左翼メディア」あるいは「反左翼人士たち」を批判または揶揄する部分がある(例、p.27、p.36)。その内容には立ち入らないが、「反左翼」を批判・揶揄するということは、常識的または通常の理解からすれば、自らは「反左翼」の立場にいることを表明または示唆しているとも理解できる。
 むろん、西部邁は「私どもの保守思想」とも言っていて(はじめにp.4)、上の意味するところは、その他大勢のエセ「反左翼」=「保守」とは違って、自分たちこそが「真の(本来の)保守」だ、ということなのではあろう。
 だが、その他大勢の?多数派的「保守」とは自分たちは違うのだ、と自分たちを位置づけていることはほとんど間違いはない。
 このことは、多数派的?「保守」からすれば、西部邁らを自分たちとは異なる「左翼」(の少なくとも一派)だと論定しても一概に批判されることではないと、第三者的読み手からすれば、なるだろう。
 要するに、「保守」だとかりにしても、じつに奇妙な、不思議な「保守」であるのだ。
 とりあえず二点挙げただけだが、この西部邁・佐伯啓思グループが、反共・反中国・反北朝鮮の主張を全くかほとんどしていない、コミュニズムや中国等に対して「甘い」、ということは、これまでに何度か指摘してきた。
 さらに叙述し続け、「ニューライト」または私の使った「合理主義的(近代主義的)保守」とも位置づけられるのではないか、という点に及ぶつもりだったが、長くなったので、ここで切る。後者は、「理性主義的=反情緒的保守」、と称してもよいかもしれない。西部邁・佐伯啓思グループには、こうした面もあるようだ。別の回に述べる。

1090/撃論第4号-中川八洋の東口暁・月刊WiLL批判。

 昨年10/26と11/08のエントリーで、雑誌・撃論第3号(オークラ出版)に言及している。
 同・撃論第4号(2012.04)を最近に概読した。
 前号では背中に<月刊WiLLは国益に合致するか>と書かれていて、その特集が主張したいほどではあるまいと感じた。但し、今回の号を読んで、月刊WiLL批判が当たっていると感じる程度は、少しは大きくなった。
 それは、月刊WiLL(ワック)が東谷暁や藤井聡という<西部邁・佐伯啓思グループ>メンバーに橋下徹批判を書かせていることに関係しているが、この撃論は再び(背表紙に謳ってはいないが)、橋下徹批判をしている東口暁の<TPP亡国論>を指弾する中川八洋の論考を掲載しており、かつ中川は「民族系月刊誌『WiLL』」をも大々的に批判しているからだ。
 中川は「TPP賛成派はバカか売国奴」とまで銘打ったこともある月刊WiLLにお馴染みの雑談話の堤堯と久保紘之も批判していて、久保を「テロリスト願望のアナーキスト」、堤を「無国家主義者・非国民であるのを公然と自慢」などと批判している。また、よりまともな?TPP反対論者の中野剛志も批判している。
 堤らに大した関心はないし、中野の議論には関心はあるがその本を読んでいないので、ここでは紹介はしない。
 といって東口暁のTPP亡国論批判をそのまま紹介するつもりもないが、中川八洋は東口について、こう言う。
 「TPP加盟を『日本は米国の属国になる』などと叫びながら、大中華主義に従った、日本の中共属国化である『東アジア共同体』を批判しない論など、非国民の危険な甘言にすぎない」(p.109)。
 また、「左右に巧妙に揺れる”マルクス主義シンパ”東口暁」、「『中共の犬』が本性か?」などと題して東口の論述内容を批判している(p.119-)。
 もともと東口の経済論議を信頼性が高いとは思ってはいなかったが、関心をとくに惹くのは、橋下徹はTPP賛成論者である一方、東口暁は同反対論者であり、その東口を中川八洋が、「非国民」、「マルクス主義シンパ」等と批判している、ということだ。
 中川は月刊WiLLには論及しているが、<西部邁・佐伯啓思グループ>に言及しているわけではない。だが、西部邁は橋下徹と違ってTPPに反対だと明言してもいるのだ(最近の週刊現代3/17号p.183も参照
 グループとして一致しているかは確認していないが、西部邁と東口暁はTPPについて(も)同じような考え方に立っていると理解してよく、従って中川八洋は西部邁(さらに佐伯啓思らとのグループ?)とも対立している、ということになろう。
 さらに関心を惹くのは、中川八洋は東口を、米国には厳しく中国(中共)には甘い、反共よりも反米を優先している、という観点から糾弾しているのであり、このような批判または疑問は、<西部邁・佐伯啓思グループ>に対して私が感じてきたものと基本的に同じだ、ということだ。
 「東口は”中共の犬”で、日本国の安全保障を阻害する本物の売国奴と考えてよいだろう」(p.122)とまで論定してよいかどうかは別としても、西部邁、佐伯啓思、東口暁らは、反米自立(または反近代西欧)の重要性をそのかぎりではかりに適切に強調してきているとしても、中国またはコミュニズムに対する批判を全くかほとんど行わない、という点で見事に?共通している。
 彼らについて、「左翼」と通底しているのではないかと(やや勇気をもって)書いたこともあった。この点を、中川八洋は明確に指摘し、論難しているのだ。中川からすると、東口などは「マルクス主義シンパ」の「左翼」そのものであるに違いない。
 中川八洋が共産党員・共産主義者(コミュニスト)というレッテル貼りを多くの者に対してし続けているのは、少なくともにわかには賛同できないが、しかし、中川の「反共」(少なくとも中川にとっては=「保守」)の感覚は鋭くかつ適切ではないかと私は感じている。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>は、「保守」主義を自称しつつもじつは「反米的エセ保守」ないし「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって、本来の<保守>陣営を攪乱している存在なのではないか、という疑念を捨て切れない。
 別に佐伯啓思にからめて書きたいが、西部邁・佐伯啓思らは、「日本的なもの」・「日本の伝統・歴史」なるものを抽象的ないし一般論としては語りつつも、国歌・国旗問題に、あるいは「天皇制」の問題に(皇統継嗣問題を含む)、じつに見事に、具体的には論及してきていない。中共、北朝鮮問題についても同じだ。
 なお、このグループの橋下徹批判、TPP反対論、これら自体は、日本共産党の現在の主張と何ら異なるところがない。ついでに、このグループの中島岳志は依然として、「左翼」週刊金曜日の編集委員のままだ。
 中川八洋の批判は月刊WiLLにも向けられていて、月刊WiLL=世界=前衛=しんぶん赤旗であり、「赤色が濃く滲む、保守偽装の論壇誌」と「断定して間違ってはいまい」とまで書いている(p.113)。
 これをそのまま支持するものではないが、月刊WiLLは、そして同編集長・花田紀凱は、かかる批判・見方もあることを自覚し、かつ中川八洋もまた執筆陣に加える(中川に執筆依頼をする)ことを考慮したらどうか。
 蛇足ながら、東口暁は月刊正論の「論壇時評」の現在の担当者でもある。月刊正論(産経新聞社)だからといって、すべてがまっとうな「保守」論客の文章であるわけではないことを、言わずもがなのことだが、読者は意識しておく必要がある。

1087/藤井聡-アホ丸出しの橋下徹批判(月刊WiLL4月号)。

 <西部邁・佐伯啓思グループ>の一人、藤井聡が月刊WiLL4月号で、珍妙な(バカ・アホ丸出しの)橋下徹批判を行っている。表紙では第二番めに大きな活字が使われている、藤井聡「橋下『地方分権論』の致命的欠陥」(p.198-)だ。
 藤井聡は京都大学土木工学科卒だが、現在の専門は「公共政策論、国土計画論、土木計画学」らしい(p.207の紹介による)。このように広く専門分野を掲げていること自体がすでに、広く浅い知識はかりに持っているとしても、「地方自治(論)」に関する専門的学者ではないことが明瞭だ。
 上の論考でも、粗雑な、かつ専門家ではない私から見ても明確な誤りを含む見解を示していて、橋下「地方分権」に対するまともな批判にはなっていない。それこそ、「致命的欠陥」がいくつか見られる。
 一読して珍妙だと分かる事項を順不同で挙げておこう。
 第一。「地方出先機関の廃止と道州制の推進」を橋下徹らの政策と理解してうえでこれを批判する文脈の中で片山善博元鳥取県知事の発言を一つの論拠として紹介しているが、まったく的はずれだ。
 片山は「広域連合」の長にかりになった場合の心情について語っているのであり、「道州制」への気持ちを語っているのではない。
 藤井は何と初歩的にも、「道州制」と現行制度でもある「広域連合」を同一視または類似視するという「致命的な欠陥」をおかしているのではないか。
 「道州制」をどのように制度設計するか、現憲法の枠内で考えるか、憲法改正も視野に入れて構想するかによって違いが出てくるだろうが、「州」が国の出先機関とされない限りは、「州」に議会が置かれることが常識的には想定される。現憲法を前提にすると、議会議員に加えて「長」も住民によって直接に選出されることになる(藤井は憲法の地方自治に関する規定をきちんと記憶していないし、現行地方自治法の基本的内容も知らないようだ)。憲法上の「地方公共団体」ではないとの前提で構想すれば、州議会が長を選出するという(現在の国の議会・執行府関係のような)制度にすることも考えられなくはない。あるいは、州議会がかりに置かれないとすれば、「州」が国の出先機関ではない限り、長は住民が直接に選挙で選ぶことになるだろう。
 ともあれ、議会議員か長の(またはいずれについても)住民の選挙による選出が「道州制」については想定されるのであり、これが否定され、例えば長が戦前の都道府県のように国の大臣によって任命されるのであれば(戦前は内務大臣による、現在は総務大臣か内閣総理大臣になろう)、それは「国の出先機関」とほとんど変わらず、そもそも「地方自治」制度とは言えない。
 一方の「広域連合」は複数の地方公共団体により構成され、議員や長の選出に住民が直接に関与することはないが、それは現行地方自治法が「特別地方公共団体」の一つと位置づけ、かつそのような住民による選出を定めていないからだ。藤井聡は、さっそく地方自治法の条文を探してみるがよい。
 このように両者は別のもので、「広域連合の長」と「州」の長(知事・長官?)とはまるで異なる。
 藤井はアホらしくも両者を少なくとも似たようなものとイメージしているようで、片山が「広域連合の長」になっても当該「広域」について「真剣に親身に」なれる自信がない、と言っているらしいことを根拠にして、「州政府が実態として大きく活躍することは難しいと言わざるを得ないであろう」と述べているのだ(p.205)。
 こんな、明らかに誤りと言ってよい推論を行っているのでは、藤井論考は、「地方自治」あるいは「道州制」に関する大学院学生の修士論文のレベルにすら達していない、と断じてよい。
 第二。橋下徹らが「公債発行権の分権化」を主張しているとしたうえで、藤井は「公債発行権が地方に『委譲』されれば、…大都会でさえ、十分な財源を確保することができなくなってしまう」と言っている(p.204)。
 この部分の何が珍妙かと言うと、すでに地方公共団体は「公債発行権」を付与されている(委譲されている)からだ。藤井は、現行地方自治法230条等々を見てみるがよい。
 橋下徹らが公債発行権の「分権化」を主張しているとすれば、現行制度上にある「地方債」の発行(起債)にかかる国の行政機関による関与を廃止するか縮減せよ、という趣旨だろう。
 何と藤井聡は、現在の自治体(ここでは地方自治法にいう「普通地方公共団体」)は「公債発行権」を有している(法律によって「委譲」されている)ことを知らないままで、上のように述べて批判しているのだ。
 これまた「致命的欠陥」だ。藤井は別のところでいわく-「税や公債を中央から『地方委譲』してしまえば、どの自治体も(あるいは州政府も)財源が減ってしまうこととな」る。アホらしい論述?で、―「公債」発行と財源の関係についての議論も、地方には「通貨発行権」がないことを理由にするなど相当に怪しいが、ともあれ―前提的認識が誤っている。この点もまた、修士論文においてすら「致命的欠陥」として不合格認定をする十分で決定的な理由になる。
 第三。橋下徹ら(大阪維新の会)の「地方分権」に関する主張を正確に理解したうえで批判しているのか?
 上に二つ述べたような誤った制度理解にも示されているように、かりにきちんと読んでいたとしても、「正確に」その意味・趣旨を理解できる能力自体が藤井にはなさそうだ。
 また、橋下徹らの見解が民主党の「地域主権」論と同一線上にあるかのごとき前提に立って、藤井は批判しているが、それは適切か?
 最近の「維新八策/骨子」によると、「統治機構の作り直し」という大項目の中に、「・中央集権型から地方分権型へ」(「・国と地方の融合型から分離型へ」)や「・道州制」という項目が見られる。但し同時に、「・国の仕事を絞り込む=国の政治力強化」という項目も見られるのであり。「国」の任務が無視されているわけではない。
 民主党の議論がどうだったかは確認しないが、おおよそ「国」の任務・権限を無視した「地方自治」論・「地方分権」論が成り立つはずがない。誰でも理解できる常識的なことだ。
 だが、藤井はあえて、橋下徹らは「国」の任務・権能を無視しているまたは軽視しすぎている、という前提に立って、橋下「地方分権」論を論難しているようだ。
 維新の会の「八策」は「地域主権」の「路線」に立つという叙述(p.207)も含めて、藤井は橋下徹らの見解・政策を歪曲して(批判しやすいように把握=捏造して)理解したうえで、批判していると見られる。
 藤井が「自称保守」なのだとすれば、何やら偉そうな表向きの大言壮語にもかかわらず、「自称保守」陣営に見られる知的水準のレベルの低さを―この藤井だけに限らないが―大いに嘆かなければならない。
 月刊WiLLの編集長・花田紀凱は、自分の編集する雑誌に載っている(ひょっとすれば重要視しているのかもしれない)論考が、上のような水準のものに過ぎないもの、多少の知識を持つ者でもただちに首を傾げるような「致命的欠陥」をもつもの、であることをよく理解した上で、今後の執筆者の選択をしてほしいものだ。
 佐伯啓思についてもまだ書きたいことがあるが、上の藤井の文章を読んで、こちらを優先した。それにしても、<西部邁・佐伯啓思グループ>の一人が、つぎのようなことを橋下徹らについて述べているのは興味深いし、よくもこんなに単純かつ性急に論定できるものだと感心?する。
 ・橋下徹の演技が「国益を損ね、国民の安寧と誇りある暮らしを根底から破壊するものであるのなら」批判するのが「日本国民として正当な振る舞い」だ。
 ・「維新の会」が「次の総選挙に出て大きく勝利するようなことがあれば、国益は大きく損なわれるであろうことを『確信』している」(以上、p.200)。
 「自称保守」論者らしき者が、このように言ってしまっている。嘆かわしいことだ。

1086/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚③―佐伯啓思ら。

 〇佐伯啓思は、新潮45/3月号で「橋下現象」に「イヤなもの」・「嫌悪感」を覚えるとし、それは近年の日本の「必然的帰結」・今日の日本の「象徴」だという。そして、「一歩間違えば、とんでもない事態にわれわれを導きかね」ないと警戒視する(p.323)。このような基本的論調は三点に分けられてより詳しく論述されているが、直感的にこれは誤っている、単純化しすぎていると思われたのは、佐伯のいう第一点だ。第二、第三点の叙述も疑問はあるが、橋下徹の「姿勢」・「手法」への違和感が示されているだけ(?)なので、とりあえず、以下では触れない。
 佐伯啓思によると、以下のとおり。
 ①橋下徹の基本的な「政策」は、90年代以降の「行政の無駄の削減、財政再建、福祉の見直し、地方分権、政治的リーダーシップの強化など」という「改革」論そのもので、それを「とことん徹底したもの」だ。
 ②「徹底した成果主義」・「実力主義、業績主義、強力な指導力」による「徹底した『改革』」こそ、90年代以降の日本を覆ったもので、「民主党現象」もそうだった。「改革」は官僚や既得権者を敵対者と見なした。
 ③これまでの民主党を含む「改革」が不十分だった(と感じられた)ために橋下徹が期待された。
 ④90年代以降の「改革」論は「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」だったが、「橋下改革もきわめて新自由主義的傾向の強い」もので、大阪市の場合も「新自由主義によって社会に活を入れるというショック療法が施されている」(p.323-4)。
 おおむね叙述順に要約的に紹介したが、かかる議論あるいは分析は正鵠を射ているのだろうか?
 第一に、上にも出てくる「新自由主義」を筆頭に、「財政再建、福祉の見直し、地方分権」というより具体的でもなおも抽象度の高い諸概念の意味がきちんと明らかにされていないと、よほど忠実にこれまでの佐伯の議論を読んできた者以外には、ほとんど理解不可能だろう。
 第二に、かりにより高いレベルの読者が読んだとしても、にわかに賛同することはできないだろう。それはまずは、90年代以降の「改革」(論)という一色の歴史理解(時代認識)のもとに「橋下現象」を位置づけよう、把握しようとしていることによる。
 佐伯の言うほどに単純なものではなかろう。自民党(末期?)の「小泉」改革・民主党の「改革」・橋下「改革」と、同じ「改革」(論)だと一括りにしてよいものなのか?
 佐伯の時代認識は、学者・「思想家」らしく、抽象度が高すぎる。「左翼(=容共)・反日」政権として登場した民主党政権による「改革」を従来の「改革」路線の延長と捉えるのは妥当ではあるまい。なるほど民主党も「改革」を唱えたようだが、「戦後民主主義」のなれの果てと言える「左翼(=容共)・反日」政権による改革論を自民党のそれと本質的に同一視することはできないと思われる。
 実際にも、労働組合によって支持され、現在は日教組の「親分」が幹事長をしている政党が、いかほどの「改革」を行いえてきているかはきわめて疑問だ。その「民主党現象」と「橋下現象」が似たようなもので、したがって橋下改革も「おおよそロクな結果をもたせさないでしょう」とまで佐伯は断言するのだから、呆れてしまう。
 「地方分権」論といっても、自民党・民主党そして「大阪維新の会」とでは中身が異なる。立ち入らないが、「維新八策」における「国」・「地方」の役割分担に関する叙述を見ても、民主党の曖昧な「地域主権」論よりもまともだと思われる。
 佐伯は「成果主義」等々を批判するが、これを一概に批判することができないことくらいは佐伯だから分かっているだろう。また、佐伯は「新自由主義的」と橋下徹の政策を論定しているが、報道されている大阪市西成区に対する施策の方向を知ると、とても「新自由主義主義的」などと論難できるものではないように思える。
 交通事業の民営化方針も佐伯によると「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」なのかもしれないが、大阪市営交通事業の経営主体等の問題は、抽象度の高い、「新自由主義」的か否かといったレベルで決せられるものではあるまい。
 「財政再建」も「福祉の見直し」も、似たようなことが言える。
 いっさいの「改革」が悪だ、いっさいの「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は支持できるものではない
 第三に、以上とほぼ同旨だが、そもそも90年代以降の「改革」(論)を否定し批判する佐伯啓思の立論の内容および立脚点自体が、十分に説明されていないし、十分に肯定されるものなのかという問題があるだろう。
 佐伯啓思は、「改革」論の帰結は「地域格差」・「所得格差」・「地方のコミュニティの崩壊」・「医療現場の崩壊」・「労働と雇用の不安定化」・「教員や家庭の崩壊」だったとし、「何よりも経済はちっともよくはなせなかった」と、社民党や2009年選挙以前の民主党のようなまとめ方を簡単にしてしまっている(p.324)。
 このような「帰結」をもたらした「改革」論と橋下改革は同じなのかという問題のあることは先に述べたとおりだが、これらの原因をあげて「改革」論に求めることは、きわめて粗雑だと思われる。
 問題は「改革」の具体的中身、その達成手法、そして「改革」論議と実際になされた「改革」の区別、をきちんとふまえて論じられなければならないだろう。
 佐伯啓思は産経新聞2/20付で、「『改革』についての功罪」をこう述べている。
 「グローバル化の功罪、金融自由化の功罪、日本的経営の崩壊の意味、二大政党政治の功罪、小選挙区制やマニフェストの問題、これらを自民も民主も整理できていない。むろん、マスメディアもジャーナリズムとて同様である」。
 <改革の功罪>を誰も整理できていない、というのだ。いやおそらく、佐伯啓思自身は「整理」しているつもりなのだろう。だが、佐伯自自身の「整理」が、つまりは「改革」(論)を総じて批判し否定し消極的に評価するという結論自体の正しさが、十分に論証されていないとまるで説得力がない、
 佐伯にとっての「悪」を橋下徹は継承している、というのが佐伯の論点の一つで、橋下徹が「継承」しているとにわかに論定すべきではない、と上では述べた。いま一つの佐伯の論点は「改革」(論)は悪だった、ということにある。この点がここで批判しているところだ。
 90年代以降の「改革」(論)をこのようにまとめ、あるいは上記のように簡単に「改革」の帰結=「罪」を列挙するだけでよいのだろうか。
 ともあれ、佐伯啓思以外には誰も(?)整理できていない課題の克服を橋下徹らに求めても無理強いであり、整理していないことをもって論難することも橋下徹らにとっては酷というべきだ。佐伯啓思は声を大にして、民主党と自民党のほかに、「マスメディアもジャーナリズムも」批判するがよいだろう。
 簡単に上のことを再述すれば、以下のとおり。
 ①橋下徹らの政策が90年代以降の「改革」(論)の系譜上にあり、それをさらに徹底したものだ、という把握の仕方は、単純で性急すぎる。
 ②90年代以降の「改革」(論)がよいものではなかった、ということ自体が説得的には何ら論証されていない。佐伯啓思の頭の中にはあるのかもしないが、ほとんどの読者には伝わっていない、と思われる。
 いっさいの「改革」や「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は容易に支持できるものではないのではないか
 産経新聞2/20付の佐伯啓思論考にはあまり言及しなかったが、上で紹介したのと似たようなことを書いており、ほぼ同じような感想を抱くので、もはや省略しておく。
 〇産経新聞2/23の特集記事中に、橋下徹のつぎの言葉が紹介されている。
 ・「世間の民意とは関係なく、自分の主義主張だけで『世の中の方が間違っている』『衆愚政治だ』『大衆迎合だ』『世論は間違っている』『市民は一時の熱情に狂っている』とか、平気で言えるのが学者だ」。 
 同じ記事によると、田原総一郞はこう言った、という。「橋下さんに対する批判の弱さに、日本のインテリの弱さが出た」、「日本のインテリは権力側を批判はするが、対案を持っていない。『じゃあ、あなたはこの問題をどうしますか』といわれたときに、答えを持っていない」。
 佐伯啓思そして<西部邁・佐伯啓思グループ>の面々は、これらの言葉をどう聞くのだろうか。
 書き忘れていたが、佐伯啓思は90年代以降の「改革」(論)を批判してきているが、「じゃあどうすればよいのか(よかったのか)」という問題には具体的にはほとんど何も答えていない、と思われる。地方分権にせよ財政再建等々にせよ、具体的な「対案」があるわけでもないのだ。論壇・大学のインテリ=「口舌の徒」は楽なものだ、とあらためて感じている。かかる皮肉も、「思想家」には何の痛痒にもならないのかもしれないが。

1085/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚②―佐伯啓思ら。

 〇いよいよ「御大」の西部邁も橋下徹批判の立場を明確にするようで、隔月刊・表現者(ジョルダン)の41号(2012.03)は、ほぼ橋下徹批判一色のようだ(未入手、未読。産経2/20の広告による)。これで<西部邁・佐伯啓思グループ>は一体として橋下徹批判陣営に与することを明らかにしたことになる。
 それにしても不思議で、奇妙なものだ。相も変わらずの言い方になるが、他の「保守」論者を「自称保守」とか呼び、産経新聞も批判したりしている少なくとも<自称>保守主義者たちがそろって、その勝利を深刻な打撃と受けとめている上野千鶴子とともに、民主党のブレインと目されかつ厳しく批判していた山口二郎とともに、そして日本共産党、民主党や両党系公務員労働組合とともに、橋下徹たち(大阪維新の会)を攻撃しているのだ。
 明瞭な「左翼」による橋下徹警戒論・橋下徹批判といったいどこが違うのだろう。違いがあるとすれば、分かりやすく説明してほしいものだ。やや戯れ言を言えば、「左・右両翼」から批判される橋下徹らは大したもので、<中道>のまっとうな路線を歩もうとしているのではないか??
 〇ふと思い出したのだが、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)は、戦後の「進歩的知識人」について「知識人の支配欲望」という言葉を使っている(p.104)。
 竹内洋の叙述から離れて言うと、毎日新聞に連載コラム欄をもち、(あの!)佐高信と対談本を出しもしている西部邁は、言論によって現実(世俗)を変えることをほとんど意図しておらず、それよりも関心をもっているのは、あれこれの機会や媒体を使って発言し続けることで、自分の存在が少しでも認められ、自分が少しでも「有名」になることではなかろうか。
 失礼な言い方かもしれないし、誰でも「名誉」願望はあるだろう。だが、知識人あるいは言論人なるものは、現実(世俗)との緊張関係のもとで、現実(世俗)をいささかなりとも「よりよく」したいという意識に支えられつつ発言しつつけなければならないのではなかろうか。
 現時点における橋下徹批判はいったいいかなる機能を現実的には持つのだろうか。
 自称「保守」ならば常識的には、<西部邁・佐伯啓思グループ>は反日本共産党・反民主党だろう。だが、このグループの人たちは自民党支持を明確にしているわけではなく、佐伯啓思がつい最近も産経新聞に書いているように「小泉改革」・「構造改革」等には批判的だ。それでは「立ちあがれ日本」あたりに軸足があるかというとそうでもなさそうで、「立ち日」立党を応援していた石原慎太郎が支援している橋下徹を攻撃している。まさか「反小泉」で国民新党を支持しているわけでもあるまい。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>の知識人??たちも、書斎や研究会を離れれば一国民であり、一有権者であるはずなのだが、彼らはいったいどの政党を支持しているのだろうか。支持政党はなく、「政治(政党)ニヒリズム」に陥って参政権は行使していないのだろうか。それはそれでスジが通っているかもしれないが、そのようなグループに一般国民に対して「政治」を論じる資格はないだろう。
 好きなおしゃべりをし、活字に残し、「思想家」らしく振る舞っていたければそれでよいとも言えるのだが、佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書、2011)の最後の章は、民主党政権樹立を煽った「知識人」たちの責任をかなり厳しく批判している。
 佐伯啓思ら自身にも「知識人」としての対社会的<責任>があるはずだ。橋下徹という40歳すぎの、まだ未完成の、発展途上の政治家をせめて<暖かく見守る>くらいの度量を示せないのだろうか。
 将来のいずれかの時点で、2012年初頭に橋下徹を攻撃していたことの「自称保守」
知識人・評論家としての<責任>が問題にされるにちがいない。
 〇佐伯啓思の最近の二つの文章については、さらに回を改める。

1079/藤井聡と加地伸行と「西部邁・佐伯啓思グループ」。

 〇産経新聞1/24の「正論」欄、藤井聡「中央集権語ること恐るべからず」は、大阪維新の会・橋下徹・上山信一を批判している。
 だが、揚げ足取りと感じられる部分、橋下らの真意を確定する作業をしないままで批判しやすいように対象を変えている部分が見られ、まともなことを書いている部分が多いにもかかわらず、後味が悪い。
 藤井は「『中央政治をぶっ壊す』とはいかがなものか」として上記のタイトルの旨を指摘し、『』内の上山の記述に依拠しているという大阪維新の会や橋下徹の主張を疑問視している。
 上山の著を読んではいないが、藤井の文章中に「現状」という語があるように、一般論として中央政府の破壊・解体を主張しているのではなく、<現在の日本の>中央政府(中央政治)を上山・橋下が問題にしているのは明らかなことだろう。
 また、藤井は、中央(政府・政治)の重要性や中央・地方の相互補完・適正な協調を主張しているものの、その主張・指摘はそのとおりではあるとしても、上山らにおける「ぶっ壊す」が中央(政治・政府)全面的な破壊を意味していることが何ら論証されていないかぎり、橋下徹らに対する有効な批判になっているとは思えない。「ぶっ壊す」とは大きな改革または変革を意味しているだけで(実質的にはそのような趣旨で)、これを「全面的破壊」を意味していると藤井が理解しているとすれば、ひょっとすれば、悪意が素地にあるのではないか。あるいは、批判してやろうという感情の方を優先させている可能性があるのではないか。
 上山信一の著が正しく読まれているとすれば、藤井の、「現下の喫緊の政治課題は教育、医療、福祉の充実だけではない」以下の叙述にはほぼ同感だ。但し、上山が地方政治・地方行政に焦点をあてて「日本における政治の課題は今や社会問題の解決、つまり教育・医療・福祉の充実が最大のテーマ」である、と書いているのだとすると、上山には、藤井のような批判には反論または釈明したいところがあるに違いないと思われる。常識的にいって、災害対応・外交・軍事等における「国」(中央)の役割を否定する公共政策学・行政学等の「総合政策」学部所属の学者がいるはずはないのではないか(上山信一は国家公務員試験を経た運輸省官僚でもあった)。
 というようなわけで、藤井は国・地方関係等についてとくに奇妙なことを書いているわけではないが、それを大阪維新の会・橋下徹らに対する批判として用いるのは疑問で、その点に奇妙さ・不思議さを感じる。
 産経新聞1/29の連載コラム中の加地伸行のタイトルは「『破壊的改善』望んだ民意」で、橋下徹に好意的だ。
 例えば、加地伸行いわく-「橋下市長は偽悪的に<破壊>と言うが、それが実は<改善>であることを大阪府民は百も承知。あえて言えば<破壊的改善>であろう」。
 同じ「破壊」あるいは「ぶっ壊す」についても、このように、つまり藤井聡と加地伸行のように、理解または寛容性?が異なるのは面白い。
 前々回と同じ表現を使えば、こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、加地伸行の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。
 〇ところで、さらに興味深いことがある。
 藤井聡とは、<西部邁・佐伯啓思グループ>(雑誌・表現者の編集顧問はこの二人とされているので、こう称して誤っていないと思われる)の一員と見られ、前回に言及した書物(NTT出版・「文明」の宿命)においても9人の執筆者の一人だということだ。
 この書物の9人の著者のうち(編者は西部邁・佐伯啓思ら三人)、これで、中島岳志、東谷暁、藤井聡と、じつに3人が、橋下徹(維新の会)を批判的に見ていることを明らかにしていることになる(中島岳志は「批判的」どころか真正面から攻撃している)。
 じつに興味深いことだ。再び、西部邁らは本当に「保守」派なのか、という疑問が首をもたげてくる。
 橋下徹を厳しく批判・攻撃している上野千鶴子、(先日某テレビ番組の中で中島岳志らとともに「現場・現実を知らない学者」と橋下徹に揶揄されていた)山口二郎香山リカ野田正彰、日教組、自治労そして日本共産党等が「左翼」だとすれば、藤井聡をも含む<西部邁・佐伯啓思グループ>は、じつは、少なくとも「左翼」と通底しているのではないか? 極端にあえていえば、「保守」のふりをした「左翼」、あるいは「左翼」心情をもった「保守」なのではあるまいか。
 西部邁、佐伯啓思、そして上記グループの全体について断定することはむろん避けるが、そのように指摘したい人物(「雑菌」)が含まれているのは、ほとんど間違いのないことのように思われる。
 このように指摘して愉快がっているのではない。深刻に憂慮しているのだ。 

1078/西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(2012)の富岡幸一郎「はじめに」。

 西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012.01)の、富岡幸一郎による「はじめに」だけを読了。
 中身についてものちに触れるかもしれないが、著者9人の一人は「雑菌」の中島岳志なので、読者はこの本がまともな「保守」主義による議論・論考をまとめたものだと誤解しない方がよい、と思われる。
 富岡による「はじめに」の前半は、素直に納得しながら読める。
 すでに一九世紀末・第一次大戦前に「西洋の没落」(シュペングラー)は語られていたのであり、「西洋近代を形成してきた進歩史観への警鐘」も発せられていた(はじめにp.2)。
 以下は私の言葉だが、しかるに、日本国憲法は<欧州近代>所産の法思想を疑問がないものとして、アメリカ独立宣言・フランス人権宣言等に遡及可能なものとして、継受してしまった。日本国憲法97条はつぎのように定めるのだが、私はこのような「お説教」を読んで、いつも苦笑を禁じ得ない。日本の今の憲法学者はどうなのかは知らないが。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 富岡の文章に戻ると、こう述べられている。
 現代の「文明」社会を深く覆うのは「ニヒリズム」で、すでに一九世紀末にニーチェが語ったものだ。それによると、「人々が生きる意味と目標を失い、よるべない虚無の淵に立たされる危機」のことで、あるいは、<宗教・道徳・理性・精神といった価値が無意味なものと化してしまったあとに出現する「最も気味のわるいもの」>だ(はじめにp.3-4)。
 このあたりまではよいのだが、その後の富岡の叙述には大きな疑問を持たざるをえない。
 富岡は、そのような「最も気味のわるいもの」が二〇世紀以降に生みだしたものを、あれこれと列挙している。まず単語だけを取り出しておこう。
 ・第一次大戦という「全面戦争」、科学技術による大量殺戮兵器、欧州の「血の地獄」化、世界恐慌から第二次大戦へ、核エネルギーの使用(はじめにp.5)
 続いて次のように所産または結果を述べている。
 ・「一九八〇年代後半からの冷戦崩壊によって社会主義体制はついえ去り、資本主義はそのまま生き延び」、九〇年代以降はアメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義へと展開された」(はじめにp.6)。
 ・ニーチェのリヒリズムは二〇世紀には「大量殺戮の悲劇」を生み、二一世紀の今日では「…資本主義のテーモンに体現されている」(p.6)。
 このような時代または「文明」史の叙述には―一瞬はすらっと読んでしまいそうだが―、疑問を禁じ得ない。
 細かなことを言えば、二つの大戦の「外的要因」は「帝国主義の政策による衝突」で「内的要因」は「世界恐慌という経済的危機」だったという叙述(上では省略。はじめにp.6)は教科書的・通俗的で、はたしてこんな理解でよいのか、と感じさせる。これは、「左翼」の描く歴史とまったく同じなのではないか。それに、第二次大戦の前のロシア革命・社会主義ソビエトの成立とその影響にはまったく!言及がないのだ。
 「社会主義」の無視・軽視、これこそが富岡の文章の致命的な欠陥だと思われる。
 富岡は八〇年代後半以降に「社会主義体制はついえ去り」と平気で書き、その前に「冷戦崩壊によって」と簡単に書いてしまっている。だが、冷戦は終わっていない、あるいは新しい冷戦にとって代わっている。また、そもそも、「社会主義体制はついえ去」っていないどころか、この東アジアにおいて、中国、北朝鮮等というれっきとした「社会主義」国家はあるではないか(両国の共産党・労働党の大会において誰の肖像画・写真が大きく掲げられているかを思い出すがよい)。

 また、この日本の現実の中に「社会主義」の(「体制」ではなくとも)<思想>は脈々と残存し続けている。
 富岡幸一郎の書いてきた文章をいっさい否定するつもりはないが、上の点はあまりにヒドい、と思われる。いったい、この人は何を考えているのか?
 さらには、上にも関連するが、富岡によると、現下の最大の「文明」問題は、「資本主義のデーモン」であるようだ。しかし、現在の資本主義に問題がないとは言わないが、アメリカ中心の「強欲ともカジノ的ともいわれる金融資本主義」を批判すること、そのようなものを「現代文明の全般的危機」として把握することともに、あるいはそれ以上に、覇権主義・軍国主義を伴う「社会主義」国家が現存し、かつ「社会主義」イデオロギーが(日本においてこそ顕著に)残存し続けていることを、きちんと、そして深刻に「現代文明」の重要な問題と把握すべきだ。
 このような「社会主義」に対する<甘さ>は、「大量殺戮(の悲劇)」に関する富岡の理解の仕方にも表れている。富岡は明らかに、これを近現代の「科学技術」の所産として(第一次大戦との関係で)語っている。
 しかし、富岡は知らないのだろうか。両大戦の死者(大量殺戮の被害者)の数よりも、ソビエト連邦や共産主義・中国等々における革命・内戦・「粛清」の犠牲者の数の方が多いのだ。
 「大量殺戮(の悲劇)」という語を使いながら、コミュニズムの犠牲者(大量殺戮被害者)をまったく思い浮かべていないようであるのは、少なくとも<保守>派の論者としては、致命的な欠陥がある、と考えざるをえない。
 佐伯啓思や西部邁について、<反米・自立>を説くのはよいが、<反共>または「反中国」の姿勢・文章をもっと示して欲しい旨を書いたことが何回かある。
 西部邁・佐伯啓思グループの一人のようである富岡幸一郎にも、同じような弊があるようだ。

1076/中島岳志の幼稚な「エセの(?)」「設計主義」批判。

福田恆存19121994)は、1990年に、ある文章の中で以下のようなことを述べている。
 ・「進歩主義」に対するものとしての「漸進主義」において、「進歩」は「求めて得られぬ理想ではなく、単に在るがままの現実に過ぎない…。つまり、そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 ・G・ワトソンが、某は「マルクスより若かったが、リフォーム(改革・改良)は変化をもたらし、リヴォルーション(革命)は屡々物事を現状のまま放置するという事実を能く見抜いていた」、と書いている。「私〔福田恆存〕と能く似た事を言うと思った」。

 以上、福田恆存「老いの繰り言」福田恆存全集別巻(麗澤大学出版会、2011p.217-8
 〇これを読んで連想したのは中島岳志による「設計主義」批判、橋下徹批判だった。
 この欄に既に書いたことの一部反復になるかもしれないが、中島岳志は「保守」系隔月刊誌・表現者39号(ジョルダン、西部邁事務所編集)で、次のように橋下徹を批判していた。
 ・橋下徹の考え方は「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結する。「保守思想」は「人間の理性や知性に対する奢りが潜んでいる」「ラディカリズム」を拒絶し、「ラディカルな合理主義」を懐疑する。橋下徹の「改革熱は、反保守的な態度としか言いようがない」。
 ・「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」を「保守」は支持できない。橋下徹において「伝統や道徳は、既得権益を温存させる悪しき価値」で、「歴史的に構成された価値観や経験知は日教組、左派メディア……と同様に旧体制の象徴として解体されるべき」なのだ。かかる「地方で起きている破壊的ポピュリズムを阻止することこそが保守派の役割」だ(以上、p.118-120)。 
 なお、中島岳志は表現者40号(2012.01)でも、「大東亜戦争」を支えたのは「設計主義」だとし、「左翼的な思想が介在」したものとして批判している。「大東亜戦争」や特定の「思想家」の評価に関連するので、今回はこれ以上は立ち入らない(但し、かくも簡単に「大東亜戦争」を支えた「思想」を概括してしまっていることに驚いたことだけは記しておく)。
 このような中島岳志の論述(?)を読んでもつ第一の基本的な疑問は、厭うべき「進歩主義」・「革命」・「ラディカリズム」・「設計主義」と望ましいまたは自然な「漸進主義」・「改良」とはどのようにして区別されるのか、ということだ。
 「保守」主義はいかなる「変化」をも拒絶するものではないと考えられる。「保守」と「漸進主義」・「改良(改革)」は、一般論として、決して矛盾しない。これを矛盾すると理解するとすれば、それは「退嬰」主義であり「現状凍結」主義だ(あるいは「敗北主義」だ)。
 福田恆存いわく、「そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 中島岳志は、上のような基本的な問題に何ら言及していない。
 「保守」主義が<反・設計主義>で、理性万能・合理性重視の「設計(・構築)主義」を批判しているくらいは、私も百も承知だ。
 かかる前提に立つとしても、問題は、どこから先が「設計主義」に陥る、悪しき合理主義=「左翼」思想なのかにある。
 <戦後体制(戦後民主主義体制)からの脱却>は現状の日本の基本的な「変化」を追求するものであり、そのための「運動」が必要であり、ある程度はそれなりの「戦略」・「戦術」も必要と思われるが、中島岳志の論じ方に従えば、これまた「ラディカリズム」・「設計主義」になりかねない。憲法改正(とくに九条2項の削除)についても、同じことがいえる。
 中島岳志は、それなりの地位・自由と名誉が保護された現状(「戦後体制」・「自由と民主主義」)に保護されることを望み、それらを「保守」したいだけではないか、という皮肉または嫌味も投げかけたくなる。
 第二に、中島岳志のいう「保守」思想からする橋下徹批判は、ほとんど説得力がない。
 なぜなら、例えば、①橋下徹の考え方が「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結するとする、実証的・説得的な根拠は何ら提示されていない。②橋下徹は「大阪市を解体し」ようとしているかもしれないが、「国家まで解体」とは明言していないし、その意図もないと思われる。「国家」が「国家」それ自体ではなく<国のしくみ>のようなものだとすれば、その中には「改良」・「変革」・「解体」されてしかるべきものもある。例えば、日本国憲法それ自体に問題がある。③橋下徹は「伝統や道徳」や「歴史的に構成された価値観や経験知」を否定・無視・軽視すると論難しているが、そのための実証的かつ説得的な根拠は示されていない。むしろ逆に、橋下の考え方は(「西欧」思想に馴染んだ中島岳志以上に?)これらを尊重する人間なのではないか(参照、国歌・君が代や「護国神社」への態度)。
 こうして見ると、中島岳志という人物がますますいかがわしく見えてくる。これで大学教員(北海道大学)なのか、学者・研究者なのか。「本格的な思想格闘を行う必要がある」(表現者40号p.153)などと肩肘を張る、あるいはムキになることはない。そもそも自らにそのような資格・能力があるのかどうかを、謙虚に自省してみたらどうか。

1070/花田紀凱・橋下徹・東谷暁・西部邁(「表現者」)。

 〇前回に続いて花田紀凱の産経新聞連載「週刊誌ウォッチング」に触れると、12/17付(341回)は2011年前半の各月平均雑誌販売部数を紹介している。それによると、以下(100以下四捨五入)。
 ①週刊文春47.7万、②週刊現代38.4万、③週刊新潮38.4万、④週刊ポスト30.3万。
 私は週刊文春よりも同新潮派だったし、週刊現代よりも同ポスト派だったので、世間相場からすると<少数派>であることをあらためて(?)実感する。
 その他では、⑦週刊朝日15.1万、⑨アエラ9.5万、⑩サンデー毎日7.7万。
 これらの中間で経済誌が奮闘?していて、①日経ビジネス23.5万、②プレジデント17.5万、③週刊ダイヤモンド10.5万、④週刊東洋経済7.5万、らしい。
 月刊誌では月刊文藝春秋が42.1万とされる。
 なお、この欄の10/26で触れたが、撃論3号は、月刊WiLLは19万、月刊正論(産経)は実売2万以下、としている。

 〇人口あたりの読者数でいうと、大阪府や大阪市では週刊文春や週刊新潮は全国平均よりは多く読まれたとは思うが、これら二誌の橋下徹批判は選挙結果(当選者)に影響を与えなかった。

 だが、例えば大阪市長選での対立候補は前回よりも絶対得票数は増加させたらしいので、これら二誌の記事や日本共産党を筆頭とする「独裁」批判(あるいは自・民・共の共闘)は、ある程度は効を奏したというべきだろう。換言すれば、これらがなければ、橋下徹と平松某の得票数との間には、もっと差がついていたことになる。
 阿比留瑠比の最近の11/27の
文章(新聞記事に世論・社会を誘導する力はなく、逆に世論・社会の動向が新聞記事に反映されるとかの旨)にもかかわらず、マス・メディアの力を無視・軽視してはいけないと考えられる。書店・キオスク等で並ぶ週刊誌・新聞の表紙・一面等の見出しだけでも<雰囲気>・<イメージ>はある程度は変わる、と言うべきだ。
 〇橋下徹・大阪維新の会の主張・政策を無条件に支持しているわけでは、むろんない。
 <大阪都>構想自体曖昧なところがあるし、また曖昧ではなかったとしても議論・検討の余地は十分にあるものと思われる。<大阪都構想>という語自体にミス・リーディングを生むところがあり、より正確には<新大阪府・市関係構想>(全国一般論でいうと<新都道府県・政令市関係構想>)とでも言うべきなのだろうと思われる。
 また、すでに指摘があるように、大阪都構想は現在の都道府県制度を一つの前提にしているはずなのだが、橋下徹が次の総選挙の争点は<道州制>だ、というのも趣旨がはっきりしない。広域自治体としての都道府県制度を道州制に変えることを目指しているのだとすれば、<大阪都構想>とは矛盾していることになるだろう。
 もっとも、<大阪都構想>を実現したあとで<道州制>を、という時系列的な差異がイメージされているのだとすると、両立しないわけではない。
 だが、ともあれ、橋下徹を公務員労働組合や日教組・全教(教員の職員団体)がそろって攻撃し、労組(・連合)の支持を受けた民主党幹部(の例えば平野博文や輿石東)の橋下対応が他の政党幹部に比べて冷たかった、と報じられているように、橋下徹が反「左翼」の人物・政治家であることは疑いえない。そのことは、訪問先に社民党や日本共産党を選択していないことでも明らかだ。
 また、<地方主権>を謳っていた民主党支持を表明したことがあったり、民主党・小沢一郎と親しそうに?対談をするなど、教条的な<反左翼>主義者でもない柔軟さを持ち合わせていることも肯定的に評価されてよいものだろう(最後の点は無節操・融通無碍と批判する者もいるかもしれないが)。
 〇東谷暁は産経新聞12/14付で「地域独裁がもたらす脅威」と題して、実質的に橋下徹を批判している。あるいは、橋下徹を危険視して警戒すべき旨を書いている。
 東谷暁は、文藝春秋の「坂の上の雲」関係の臨時増刊号で年表作りを「監修」しているなど、器用?な人物だ。
 だが、そのことよりも興味深いのは、東谷暁とは、中島岳志と同じく、西部邁らを顧問とし、西部邁事務所が編集している隔月刊・表現者(ジョルダン)にしばしば登場して執筆している、「西部邁グループ」の一人だと目される、ということだ。
 中島岳志が(一面では朝日新聞・週刊金曜日と関係をもちつつ、「保守」の立場からとして)橋下徹を批判していたことはすでに言及した。
 この中島岳志という得体の知れない人物と同じく、東谷暁もまた橋下徹を(少なくとも)支持・歓迎できないことを明瞭に述べているわけだ。
 雑誌「表現者」または「西部邁グループ」は<保守か?>と題した文章を書いたことがたぶん数回あるだろう。
 あらためて思わざるをえない。雑誌「表現者」グループは(佐伯啓思も一員のようだが)はたして<保守なのか?>、と。
 西部邁はかつて共産党宣言を読むこともなく、東京大学入学後にすみやかに日本共産党入党を申込みに行ったらしい。
 そんなことは関係がないとしても、一般論として言うのだが、「保守主義」に関する知識を十分にもち、「保守」思想を上手に語れる<左翼>もいる、と考えておかねばならない。
 かつてコミンテルンのスパイだった者、あるいは二重スパイと言われたような者たちは、コミュニズムを信奉しつつも、その他の種々の思想・主義・考え方にも通暁していたものと思われる。
 だからこそ、相手にコミュニスト(共産主義者)だと微塵も気づかれることなく接近し、信頼を獲得でき、情報を入手・収集できたのだ。
 似たようなことは、現代の日本でも生じている、行われているはずだ。西部邁グループについて断定するつもりはないが、警戒・用心しておくにこしたことはない。

1056/赤か自由か、反米か反共(反中国)か。

 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)の冒頭近くの西部邁の文章に、以下のようなものがある。

 ・韓国の「靖国と教科書」に関する「内政干渉」に対して「自称保守」は反発するが、アメリカによる日本の外交・内政への休みのない干渉があるにもかかわらず、それを「甘受」し、対米屈従を「日米同盟」と称して「アメリカの属国」化を「喜んできた戦後日本」が、「いかなる面子」を張って韓国・中国に対抗しようというのか。「自称保守は一言もない」。
 同旨のことは、在日韓国・朝鮮人の「地方参政権」要求に反発しても、アメリカは日本の国会や政府への「参政権を(実質的に)確立」しているのではないか、というかたちでも語られている(以上、p.18-19)。
 いわゆる<親米保守>に対する批判のようで、日本の対米従属性を(日本共産党と同じように?)指摘し、対米自立の必要を説くものと言えよう。
 <保守>に反米と親米があってもかまわないと思うし、いつか佐伯啓思の論考に触れて、両者は究極的には矛盾・対立するものではなく、同時に両者でありうる旨を記したこともある。
 上の西部邁の文章を読んで、あらためて考えさせられるところがあるのだが、ふと、以下のようなことを思いついた。
 かつての東欧諸国は形式的には国家主権を持った独立国だったが、実質的には程度の強弱はある程度はあれ(離反の度合い=自主性の高かったルーマニア共産党を、日本共産党は東欧諸国の共産党の中で肯定的に評価していた)、ソ連(・ソ連共産党)に従属した<傀儡>国家であり、各国の共産党は<傀儡>の共産党だった、と言えた。
 そのような形式的な独立・主権保持と実質的なソ連共産党への従属よりも、例えばチェコ(またはチェコスロバキア)を例にとれば、オーストリアまたは旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と<合邦>し、あるいはそれら連邦国家の中の一つの州となって、チェコの言語等の文化と<自治>を保障されながら生きていく方が、チェコ(チェコスロバキア)にとっては良かった(あるいは幸福だった)のではないか。
 公用語として独墺語を(も)使わなければならなかったり、連邦制度による制約をうけただろうが、それよりも、秘密警察が存在したりして基本的に政治的「自由」がなく、また「自由な市場」がなく国家によって経済が統制された共産党政権国家よりはまだ良かった(幸福だった)、マシだったのではあるまいか。
 問題は、一般的な<実質的な従属>の是非にあるのではなく、かりに従属があるとしても、いったい何に、あるいはいかなる国に<実質的に従属>するか、にある、のではあるまいか。
 西部邁の文章の趣旨は分かるし、肯定したい気分もある。しかし、<対米従属>性を認識・自覚し、実質的独立・自立を勝ち取ったように見えたとしても、別の国、例えば中華人民共和国への<新しい従属>の始まりであったとすれば、いったい何のための<対米従属>性批判だったのか、ということになるだろう。
 対米自立を主張する者たちの中には、おそらくは鳩山由紀夫がそうだったように、アメリカからより自立した、<東アジア共同体>という、中国を盟主とするグループないし「共同体」に属することを構想する者もあったのだ。
 反米的気分からする日本自立というそれ自体はまっとうな主張が、新しい、共産党国家への従属の方向に結果的につながってしまえば、元も子もない。
 西部邁および同グループの主張には、そのような危険性はまったくないのだろうか。
 つまるところは、反共と反米のどちらを優先させるかにある、といつも感じている。
 反米(反米保守)も結構だが、それが<反共>を忘れさせるようなものであっては困る。
 (中国に属する一つの州になってしまうことはもちろん)形式的な独立を保った中国共産党傀儡容共政権のもとでの生活よりは、まだアメリカ<従属>国家・政権のもとでの生活の方がましだ。
 <赤(コミュニズム)か自由か>。基本的にはこの対立・矛盾の中において、世の中の諸問題は理解され、考察されなければならない、と思っている。

1053/雑誌・表現者(ジョルダン)や中島岳志は「保守」派か??

 一 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)には西部邁や佐伯啓思らが参加する「保守思想から見た原発問題」との座談会があり、何カ所かに「保守放談」と題するコラム(小文)があったりもするので、紛うことなき<保守>派の雑誌らしい。少なくとも発行者や執筆者たちはそのように自己規定しているようだ。
 しかし、客観的に<保守>派かどうかは別途論じられてよい。
 西部邁もまた「自称保守」や「保守を自称する人々」を批判するところがあり(p.18-)、「保守」との自称がその「保守」派性を証明するわけではないことを当然の前提にしている。
 「反左翼」=「保守」だとかりにすれば、西部邁は「反左翼」を批判している部分もあり(p.26など)、彼が「保守」または「反左翼」の少なくとも一部に対して懐疑的であることも分かる。
 同じ思考は、西部邁らの(西部邁と佐伯啓思を「顧問」とする)表現者という雑誌についても向けられてよいだろう。この雑誌に執筆している者たちは「保守」なのか?、「自称保守」にすぎないのではないか?、という疑問をもっても、その思考方法自体については、西部邁も反対できないだろう。
 この雑誌・上掲号の冒頭近くの三浦小太郎の「保守人権派宣言」と題する連載ものらしい二頁の文章の最後は、ソルジェニーツィンが「資本主義も共産主義も同根の…危険性を持っていたことを見抜いていた」ことを肯定的に評価しているようで、ソルジェニーツィンの地点まで「思想的に深め」られれば、「現代日本への根源的な批判となりうるはずだ」という(p.15)。
 趣旨は分からなくはないが、しかし、「資本主義も共産主義も」という両者の同列視・同質視ははたして「保守」派の思想なのか、という疑問も生じる。反共産主義・反コミュニズムこそが(コミュニズム誕生以降の)<保守>思想の中核だと私は理解しているからだ。

 むろん<保守>はいろいろに定義または理解できるのだが、この西部邁グループのいう「保守」がいかなる意味で使われているのかは、参加者において一致しているとは思えないし、雑誌自体がきちんとした定義をしているとも思えない。「保守」、「保守」とこの概念を多用する前に、この雑誌は一度、現在の日本における「保守」派ないし「保守」思想とは何かについての詳細な座談会を組んでみたらどうか。

 なお、今年6月にこの欄に、「西部邁・中島岳志ら『表現者』グループは『保守』か?」と題する文章を私は書いている。

 二 すでに感じていた疑問または関心からも興味を惹くのは、とくに、中島岳志の「橋下徹大阪府知事こそ保守派の敵である」と題する文章だ(p.114-120)。

 中島岳志はこの文章では自らを「保守派」と明確に位置づけている(p.114)。ここですでに、中島は別のところでは(朝日新聞では)自らを(じつに奇妙な形容の)「保守リベラルの立場」と書いたのではないか、「保守派」と「保守リベラル」は同じなのか、と突っ込みたくなる。
 上はさておき、この文章はタイトル通り、橋下徹に対する「保守」派(自称)からの批判であり、「保守派」は橋下徹を支持してはならない、という警告?になっている。
 しかし、賛同することはできない。いくつかの論理の飛躍、都合のよいように(批判しやすいように)対象を歪曲しての批判、が見られる。
 詳しくは述べない(長くなりすぎる)。だが、橋下は「保守的どころか、反保守的と言わざるを得ない側面がほとんどである」という結論(p.114)には十分な説得力がない。
 中島によると、橋下は伝統・慣習よりも「法というルール」を「絶対視する傾向」がある(p.15)、橋下にとっては道徳・倫理ではなく「明文化されたルール」等に価値がある(p.117)。
 また、中島は、「大阪市の解体」を「一気に進める」べきとの橋下の主張は「ラディカリズム」あるいは「急進的な設計主義と伝統的価値観の否定」だとする。橋下の「ラディカルな改革熱」とともに、かかる「ラディカルな合理主義」に対して、「保守思想」は「懐疑的立場」をとるのだそうだ(p.118)。したがってまた、中島は「中央政治をぶっ壊す」との橋下のブレインとされる上山信一の文章にも噛みついている(p.119-)。
 中島のような断定的結論を導くには、中島が例として挙げる橋下徹の文章・発言は少なすぎる。それらは中島岳志のようには解釈できない可能性は残る。また。中島は自己が想定する「保守」思想とは矛盾するまたは対立する「反保守」の思想をあらかじめ想定して、その中に橋下の文章・発言を(慎重さの必要に配慮することなく)位置づけている可能性が高い。
 また、橋下の文章・発言等はむろん何らかの事案・問題との関係性を持っているので、単純に、中島の言うような、<伝統・慣習>か<法的ルール>か、(漸進的な改革ではない)<ラディカルな(急進的な)改革>の是非、といった一般論でその是非を判断することはできないように思われる。

 橋下が言っているわけではないが、<今こそ憲法改正を>とか<今こそ日本も核武装を>という主張は「急進的な変化」を追求するもので、「保守」思想から外れるものなのだろうか(かかる主張自体の現実的当否をここで述べているのではない)。
 あるいはまた、<戦後体制・戦後民主主義>からの脱却にはかなり思い切った覚悟と勇気が必要であって、ある意味ではラディカルな=急進的な主張や実践的運動にならざるをえないところがあるように思えるが、中島はそのような「ラディカルさ」をいっさいの場合について非難するつもりなのだろうか。
 中島は<大阪市の一気な解体>という主張のラディカルさを批判しているが、問題はそこにあるのではなく、「大阪市の解体」という主張の当否にあるはずだ。しかも、そもそもが、現行法制上(中島は「法」がお嫌いのようだが)、大阪市を簡単に(一気に)解体することなど不可能なのだ。横浜市、名古屋市らとまったく無関係に、大阪市だけの解体などがありうるはずがない。
 中島は最後の方であらためて、橋下徹を「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」と性格づけ、「保守が支持してよいのでしょうか」と警告?している。
 「大阪市の解体」については上でも言及したが、中島は、その議論に対する詳しい反論(大阪市存続論)を叙述しているわけでもない。
 「国家まで解体しようとする」となるとますます怪しい。
 この部分に対応するのは、上山信一の「中央政府をぶっ壊す」との表現だろうと思われる。だが、後者の「ぶっ壊す」は「廃棄」=<消滅させること>ではなく現状を大きく変える程度の意味だろう。また、そもそも、「中央政府」と「国家」は同じ意味ではない。
 しかるに、中島岳志の頭の中では、上の表現が<国家の解体>を意味するものと読み替えられているのだ。
 これはフェアな批判ではなく、自己の主張に都合のよいように対象を変化させたうえでの<卑劣な>方法による批判にすぎない。そして、中島岳志という人物の頭の<幼稚さ>を示してもいるだろう。
 ところで、注目されてよいのは、橋下徹が大阪府知事を辞任して大阪市長選挙に立候補するという時期に、中島岳志は上の文章を公にしている、ということだ。
 前回に書いたように、この中島岳志という人物は、香山リカらととともに、大阪で<反ハシズム>集会に参加して喋っている。
 ひょっとすれば、この集会は、大阪府の(橋下らの会派が提案した)職員・教育に関する条例を批判するための集会だった(橋下徹を一般に批判したわけではない)と釈明?するかもしれないが、10月下旬という時期に橋下徹を批判することが、対立候補となることが想定された(そして現実にもそうなった)民主党・平松某を助けることとなる政治的機能を果たすことは容易に考えられえたはずだった。
 そして、今回とり挙げている雑誌・表現者において、たんに特定の条例に対する批判ではなく、一般的な橋下徹批判を中島は展開しているわけだ。
 従って、たんなる反橋下集会への参加・発言を捉えてではなく、一般的に、以下のように言うことができる。
 中島は橋下徹を「反保守」として批判・罵倒するが、では民主党・平松某をいったいどのように評価しているのか??
 選挙・投票を前にした時期に一方だけを批判することは、そうではない片方を支持・擁護し、その片方の当選・勝利へと導こうとする意図を持っているとしか考えられない。
 なぜ、中島岳志の文章には、「民主党」もその擁立する「対立候補(平松某)」もひとことも出てこないのか。
 結局のところ、橋下徹を批判することによって、少なくとも客観的な機能としては、民主党・平松某を支持していることにしかならないと思われる。しかして、現時点において、相対的には民主党・平松を擁護することになる文章を公にするような人物はまっとうな「保守派」なのか??
 橋下徹を批判することが結果として(少なくとも大阪の、そしてひいては国政上の)民主党を「持ち上げる」関係になることは明らかだ。
 中島岳志は実質的には、大阪の選挙における民主党支持を表明していることは明らかだ。少なくとも大阪市長選挙においては、民主党・平松某と橋下徹(大阪維新の会)が対抗しているのであり、橋下徹よりも「保守」的な候補はいない。
 もう一度言っておこう。かかる構図の中で、民主党の候補を支持することとなる文章を書く者は「保守」なのか??
 三 中島岳志という人物を「飼っている」表現者グループないし西部邁グループの「いかがわしさ」は、表現者39号でも明らかになった、と思われる。
 寺脇研もこのグループの一人らしく、かつ大阪で橋下徹の教育・教員政策を批判していること、中島岳志は「ラディカル」な改革とともに、野田佳彦首相が唱えているらしき「中庸」もまた批判していること(p.148-)との関係の曖昧さ・不思議さ、についても気にかかるが、さしあたり省略する。

1046/親北朝鮮・酒井剛の「市民の党」と菅直人・民主党。

 菅直人が存外にあっさりと首相を辞任したのは、北朝鮮と関係の深い団体への献金問題が明るみに出て、この問題が広く騒がれ出すと「もうもたない」と判断したかにも見える。もう少しは「粘る」=しがみつく可能性があると思っていた。
 その献金問題につき、隔月刊・ジャパニズム第03号(青林堂)に、野村旗守「菅直人/謀略の正体-亡国首相の原点を読み解く」、西岡力「菅直人首相の北朝鮮関連献金問題の本質」がある。
 両者から事実を確認しておくと、菅直人事務所と菅直人代表・民主党東京都連は2007-2009の三年間に、「市民の党」(後記)の「派生団体」(西岡p.146)である「政権交代をめざす市民の会」に6850万円の献金をした。また、鳩山由紀夫・小宮山洋子等の民主党国会議員の政治団体も計8740万円の献金をした。「市民の党」自体へも、上記三年間に小宮山洋子等の政治団体から計1693万円の献金があった。これらを合計すると、6850+8740+1693で、1億7283万円になる。野村p.70は「民主党関係団体」から三年間で「計2億5000万円も」と書いている。
 「市民の党」 は本名・酒井剛、通称?・斎藤まさしを代表とする。この男は除籍前の上智大学で「ブント系ノンセクト」ラジカル、退学後に「日本学生戦線」を結成、逮捕された1977年に社会市民連合の江田三郎(・のち江田五月)の選挙を手伝う。1979年に毛沢東主義を標榜する「立志社」を設立しカンボジアのポル・ポト派支援運動を展開、同年に社市連と社会クラブが合同した社会民主連合の初代代表・田英夫の娘と結婚する。1983年、田英夫・横路孝弘らと「MPD・平和と民主運動」を結成。野村によると、「過激派学生組織と市民派左翼政党の合体」だった(p.71)。
 MPD→「大衆党」→「新党護憲リベラル」のあと、1996年に酒井(斎藤)は「市民の党」を結成、1999年の広島市長・秋葉忠利、2001年の千葉県知事・堂本暁子、2006年の滋賀県知事・嘉田由紀子、2007年の参議院議員・川田龍平らの選挙を「勝手に応援」して結果としてすべて当選させた。
 「市民の党」機関紙は1988年に北朝鮮にいた田宮高麿のインタビュー記事を掲載したりしていたが、2011年4月の三鷹市議選候補として、田宮高麿と森順子(松本薫・石岡亮両名を欧州で拉致)を父母とする、2004年に日本帰国の森大志を擁立(落選)。
 かかる政治団体に対して民主党が三年間で1億円以上を、菅直人(都連を含む)がその「派生団体」に約7000万円を献金していたとは、相当に「いかがわしい」。また、そのような献金をする人物が日本国家の首相だったという歴然とした事実に、愕然とせざるをえない。まがうことなく、日本は「左翼」に乗っ取られていたのだ。
 江田五月は衆院議長・法相を経験し、横路孝弘は現在の衆院議長だ。酒井(斎藤)という「いかがわしい」人物は<権力>の側にいて、議会・選挙を通じた「革命」を展望しているらしい。あらためて戦慄する。
 恐ろしいのは、菅直人ら民主党による「市民の党」への献金問題は(それ自体は違法性が明瞭ではないためか?)、産経新聞・関西テレビの某番組とチャンネル桜しか報道していない(野村p.71)ということだろう。違法ではなくとも、菅直人や民主党の「左翼」性または親北朝鮮ぶりを明確に示すもので、ニュース価値はあると思うが、日本の主流派マスメディアは、自らが「左翼」的だからだろう、民主党には甘い。
 この問題を月刊正論はどう取り扱っているかと見てみると、10月号(産経新聞社)に、野村旗守「市民の党代表『斎藤まさし』の正体と民主党」、西岡力「拉致と『自主革命党』、そして『市民の党』の深い闇」と、同じ二人の論考が載っていた。ひょっとすれば、こちらを先に見ていたかもしれない(なお、北朝鮮の「自主革命党」に森大志は所属していた(いる)とされる。ジャパニズム上掲・西岡p.149-150におぞましい「綱領」?が紹介されている)。
 ところで、ジャパニズム第03号には、毎日新聞にも定期的に寄稿している西部邁の連載ものもある。さすがに「左翼」の文章ではないし、「民主主義を振りかざしてきた戦後日本は、多数制原則という民主主義のギロチンによって、おのれの首を刎ねようとしている」(p.168)という表現の仕方も面白い。
 但し、末尾にある「菅直人」の名前をもじった文章などは、言葉遊び的な要素の方が強い感じで、とても好感はもてない。

1044/石井聡と櫻井よしこ論考+政治部記者の法的感覚。

 〇すでに批判的に言及した月刊正論9月号巻頭の櫻井よしこ論考(談)を、産経新聞8/21の「論壇時評」で、石井聡は、こう紹介している。
 「『菅災』が大震災や原発事故対応にとどまらず、外交面でも国益を大きく損なったと批判するジャーナリストの櫻井よしこは『希望がないわけではありません』という〔出所略〕。民主、自民両党の保守系議員らが『衆参両院の各3分の2』という憲法改正の高いハードルを2分の1に下げることを目指す『憲法96条改正を目指す議員連盟』で既成政党の枠を超えた活動を始めており、これが日本再生への起爆剤となると期待しているからだ。/同時に櫻井は『不甲斐ないのは自民党現執行部』と、菅の延命を見過ごした野党第一党の責任を問うている。谷垣禎一総裁の下で『相も変わらず、元々の自民党の理念を掲げていない』と憲法改正に取り組む熱意の薄さを批判し、民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切る」。
 以上が全文で、「時評」と掲げるわりには論評部分はない。
 この石井聡や最近に吉田茂の「軍事参謀」だった辰巳栄一に関する著書(産経新聞連載がもと)を刊行した湯浅博等々のように、産経新聞社内には、屋山太郎や某、某等々の知名度はよりあると思われる者たち以上の知見と文章力を持った論客がいると、とくに最近感じているのだが、上の後半部分、とくに櫻井よしこが自民党は「民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切」ったことについて石井聡は、あるいは産経新聞編集委員たちは、どう評価しているのかを知りたいものだ。
 産経新聞は民主党を厳しく批判してきたが、自民党を積極的に支持してきたわけでもなさそうだ。それは、産経新聞が自民党の機関紙のごとく世間的に印象づけられることが経営的にもマズいと判断しているからかもしれないが、よく分からない。
 だが、もともと産経新聞は自民党よりも「右」だという印象を持つ者も少なくはないだろう。一方また、西部邁や西尾幹二のように、産経新聞に対する批判を明言する「保守」派論者もいる。
 ともあれ、櫻井よしこに対する遠慮などをすることなく、個人名であるならば、自民党は民主党と「大差がない」という櫻井の理解が適切なものかどうかくらいにはもう少し立ち入ってみてもよかったのではないか。日本の今後にとっても基本的な論点の一つだろうから。
 〇産経新聞の8/14社説は「非常時克服できる国家を」等と題うち、菅直人政権の非常時対応について、こう書いた。
 「戦後民主主義者が集まる国家指導部は即、限界を露呈した。緊急事態に対処できる即効性ある既存の枠組みを動かそうとさえしなかったからだ。安全保障会議設置法には、首相が必要と認める『重大緊急事態』への対処が定められているが、菅直人首相は安保会議を開こうとしなかった。重大緊急事態が認められれば、官僚システムは作動し、国家は曲がりなりにも機能したはずである」。
 菅政権を「戦後民主主義者が集まる…」と規定していることも興味深い(誤りではないだろう)。さらに、菅首相(当時)の「不作為」として、安全保障会議設置法にもとづく同会議の招集の不作為のみを挙げ、一部?に見られた、①災害対策基本法による<緊急政令>発布の不作為、②武力攻撃事態等国民保護法の震災・原発事故への適用の不作為、を挙げていないのは、私と同じ適切な法的理解に立っているように思われる。このような社説(産経の「主張」)の中でこれらの①②も問責していれば、おそらく産経新聞は大恥をかいていただろう。
 さらに遡るが、但木敬一(元検事総長)は産経新聞7/27でこう論じていた(一部要約)。
 ・内閣法6条は「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」と定めるが、同法5条の1999年改正により閣議を内閣総理大臣が主宰する旨の規定に、「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」という文言が追加された。
 ・菅直人首相が「特に7月13日、官邸に記者を集め、脱原発を提唱したのは、内閣法の精神にもとるように思われる。エネルギー政策の転換は、国民生活、経済活動に幅広く、かつ深刻な影響を与える。従来の内閣の方針に明示的に反する政策の大転換は、まさに『内閣の重要政策に関する基本的方針』そのものではないのか。各国務大臣がそれぞれの観点から複眼的に閣議で論議すべき典型的事例であり、閣議を経ずして総理が独断で口にすべきことではない」。
 このように但木は、菅による「脱原発」との基本政策の表明を、内閣法(法律)違反ではないか旨を述べている。
 首相のあらゆる言動が(浜岡原発稼働中止要請も含めて)閣議による了解(または閣議決定)を必要とするかは、上の内閣法6条「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」の射程範囲の理解または解釈にかかわる議論が必要だし、すでにあるものと思われる。「内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議」する権限が、「重要政策に関する基本的な方針」の決定・表明に関する<義務>なのかどうかも議論する余地はなおあるだろう。
 むろん政治的・政策的な検討や議論はなされてよいのだが、上で指摘しているのは「法的」検討の必要性であり、「法的」論点の所在だ。
 菅直人による(閣議を経ない)浜岡原発稼働中止要請や(閣議を経ない)「脱原発」基本政策表明がはたして法的にあるいは法律上許容されるのか、という問題があるはずなのだが、産経新聞の阿比留瑠比も含めて、どの新聞社の政治部記者たちも、そうした法的問題があるという意識自体をほとんど欠落させたままで日々の記事を書いているのではないか。これはなかなか恐ろしい事態だ、というのが先日に書いたことでもある。

1016/西部邁・中島岳志ら「表現者」グループは「保守」か?

 ・「西部邁事務所」を「編集」者とする隔月刊・表現者(ジョルダン)の37号(2011.07)の座談会の中で、代表格かもしれない西部邁はこんなことを発言する。
 大震災数日後に日本の「自称『保守派』の中心的な機関紙」の産経新聞がトップで、米国の「トモダチ作戦」が機能し始めて「実に有り難い」と「吠えまくった」。左翼も右翼も「国家」を「丸ごと他者にあずけてしまう」(p.47)。
 調子に乗って?、あるいは追随して?富岡幸一郎は次のように語る。
 戦後憲法を作ったアメリカが「非常事態を執行する」という「第二GHQ作戦」を米軍は福島で想定していた。産経新聞の礼賛の意図は不明だが、「国家主権なき、国家意識なき、国家理性なき戦後の正体が露出した事態だ」(p.47)。
 むろん厳密に正確に全文を引用してはいないが、上のような発言からは、反米(・自立?)の気分と親米保守?の産経新聞に対する嫌悪感が明らかだ。
 そもそもが、かかる感覚は「保守」のものか。「保守」の意味に当然に関係するが、米軍の東北地域での活躍をもってその存在の重要性を認知させるための意図的な計略だ旨を強調したらしい沖縄の「左翼」マスコミと、いったいどこが違うのだろうか。
 反米・自立が「保守」の要素たりえないとは考えない。だが、優先順位というものがあるだろう。少なくとも私の理解からすれば、「保守」とは何よりも先ず<反共>でなければならない。
 佐伯啓思もそうなのだが、西部邁ら「表現者」グループには、反共産主義(反コミュニズム)・反中国(・反中国共産党)の意識、あるいはそれにもとづく発言や論考が少ないのではないか。反共よりも反米を優先させたのでは、とても「保守」とはいえないと考えられる。
 ・思い出して確認すれば実例を別の機会に示すが、「左翼」の文章の中には、本題とは離れて、末尾か「むすび」あたりで、唐突に「保守」派を批判するまたは皮肉る文章を挿入しているものがある。その場合に、石原慎太郎を右派・保守の「代表」と見なしてか、石原慎太郎の発言等をとり上げていることがある。
 似たような例が、上の表現者37号の同じ座談会の中にもある。中島岳志は、次のように発言する。
 石原慎太郎は『NOと言える日本』の中で、「日本はアメリカに対してテクノロジーにおいてはもう追い付いた、だから自信を持て」と言っている。ここに「はからずも見えて」いるのは「戦後日本の『保守派』のナショナリズム」の問題性の一つだ。「日本のナショナリズムの根拠」を「テクノロジーの優秀さ」に求めるという「トンチンカンさ」がある。一般に、「保守派」の「ナショナリズムの内実こそが問われている」(p.34)。
 「保守」にとってのナショナリズムの意味・内実を問い直すのはよいが、上の石原批判は的確なのかどうか。石原に対する親米(「アメリカニズムを疑ってなんかいない」)保守派というレッテル貼りを前提として、揚げ足取りをしているのだけではないか。
 もともと日本人の「テクノロジーの優秀さ」が日本人が古来から形成してきた知的能力の高さや精神・技術の繊細さ・適応能力等の柔軟さに由来するとすれば、それは堂々と誇りに感じればよく、それが自然だろう。中島岳志が「日本のナショナリズムの根拠」の一つを「テクノロジーの優秀さ」に求めることに違和感をもっているとすれば、この人物は日本人ではなく、日本の「保守」派でもないのではないか。
 ついでに書けば、中島岳志は、原発は「アメリカ依存の賜物」だ、そういうアメリカ依存の「戦後なるもの」を考え直す必要がある、「僕たちが本気で『近代の超克』という座談会をやってみせないといけないような思想的な環境におかれているのではないか」、とも発言する(p.48)。
 中島はいったいなぜこんなに気負っているのだろう。こんな大口を叩ける資格があると考えているとすれば、傲慢で、面白いほどに噴飯ものだ。また、ここでいう「僕たち」とは誰々のことなのだろう(この座談会出席者は他に、西部邁・佐伯啓思・原洋之介・富岡幸一郎・柴山桂太)。
 そもそも、中島岳志は自らを「保守」と位置づけているようだが、週刊金曜日という「左翼」小週刊誌の編集委員でもあり、「保守リベラル」などと称して朝日新聞にも登場している。
 また、西部邁とともに、専門的な法学者またはケルゼン研究者から見れば嗤ってしまえるようなバール判事意見書(東京裁判)に関するつまらない書物を刊行してもいる。
 中島岳志とは、客観的には、日本の「保守」陣営を攪乱させるために、「左翼」から送り込まれた人間なのではないか、という疑いを捨てきれない。こんな人物を「飼って」いる西部邁もどうかしていると思うし、何とも感じていないようでもある佐伯啓思も、どうかしているのではなかろうか。
 ・この「表現者」グループも、自主憲法の制定(現憲法九条2項の削除等)には賛成するのだろう。その意味では大切にしておくべき、せっかくの集団だが、―産経新聞を全面的に信頼しているのでは全くないものの―奇妙な、首を傾げる文章・発言も目立つ。他にもあるので、別の機会に触れる。

1015/別冊正論Extra.15号「中国共産党」特集を読む。

 〇別冊正論Extra.15号(産経、2011.06)は「中国共産党―野望と謀略の90年」特集。来年は日本共産党の90年になるわけだ。
 まじめに順序を考えたわけではないが、読み終えた順番に、伊藤隆=竹内洋「なぜ共産主義という『戦犯』を忘れたのか」、筆坂秀世「日共も怒った! 国交正常化の裏で日本暴力革命を煽り続けた毛沢東」、中西輝政「日本を騙し、利用しつづけてきた『人類の悪夢』」、藤岡信勝「日中戦争を始めたのは中国共産党とスターリンだ」、西尾幹二「仲小路彰がみたスペイン内戦から支那事変への潮流」。まだ、半分に満たないが、中国共産党・日中戦争、そしてコミンテルン・共産主義に関する有益な文献だ。西部邁らの<表現者>グループは、おそらく誰も執筆していない。
 しばしば、メモしておきたい事項や表現にぶつかる。
 〇・筆坂秀世がより詳しく書いているが、伊藤=竹内の対談の中にも、1950年頃の日本共産党の<暴力>路線が朝鮮戦争時の後方(在日米軍側)の攪乱目的で、コミンフォルム(スターリン、毛沢東)の指示・要請により選択されたことが、指摘されている(p.193)。逮捕され、「青春を返せ」と叫んだり、長期にわたる法廷「闘争」を余儀なくされた当時の若い日本共産党員たちは(裁判にかかわった党員弁護士等も含めて)、その後の人生をどう生きたのか。一度しかない、かつ短い人生にとって、「共産主義」に強く囚われてしまうとそれこそ取り返しがつかない、ということがありうる。
 ・伊藤隆が「インテリ」の多くについて「反・反共」という表現を用いている(p.194)。これは非常によく分かる。日本共産党等の組織員にならなくとも、「反共」(=保守・反動)とだけは言われたくない、思われたくない、というのは、かつてのものではなく、今も強く残る、人文社会系の、党員以外の、大学教授たちの<意識>だろう。その意識は当然に<容共>となり、思想信条の「自由」(学問の「自由」)、価値相対主義あるいは多様な見解に寛大なという意味での「リベラル」意識がそれをさらに支えている。
 唐突に名前を出せば、東京大学の佐々木毅(元学長)も長谷部恭男(現、憲法学)も、いろいろなことを言い、書いているが、この<反・反共>主義者であることだけは間違いないと思われる。
 ・竹内洋は明確に「反共」の立場で発言しているが(それは月刊正論の連載でも示されていたが)、少しだけ気になるのは、京都大学(教育学部)の現役教授時代に早くから、そのような立場を明確にしていたのだろうか、ということだ。
 今なお日本史(学)のほかに「教育史学」もレフト(左翼)だという発言もあるが(p.192)、そのような「左翼」アカデミズムと明瞭に闘っていた、京都大学の助教授・教授だったのかどうか。
 現在でもそうだが、国立大学だから「政治」的発言をしにくいということはないはずだ。制限されているのは現在の特定の内閣・政党への支持・不支持のための特定の活動であって、それに直接関係のない歴史研究・教育学研究にもとづく「政治」的発言に(法律上の)制限があるはずもないのだが…。
 〇筆坂論考は、日本共産党の関係文献を渉猟していない者にとっては、資料的価値もある。
 〇中西輝政論考は、詳しく、何回かに分けて紹介したいくらいだ。既読の他の論考も含めて、漠然として不明だったところに、明確なピースがきちんと嵌め込まれたという感じで、結局のところ、共産主義、コミンテルン・コミンフォルムの方針と実践を考慮しないと、かつての「戦争」等については何も語れない、ということがよく分かる。

 すでに書いたことがあるように、敗戦から自分の時代の総括は出発せざるをえず、戦争中のことの細かな事実関係にはあえて関心を持たないようにしてきたのだが、西尾幹二が言及しているように、日本陸軍の大陸での戦闘史、海軍の太平洋海戦史、国内の政党政治史、対米外交交渉史(p.200)といったものに強い関心を持てないだけのことで、南京「大虐殺」あるいは<国共合作>あるいは張作霖爆殺事件とコミンテルンまたは中国共産党といったテーマだと、俄然興味を覚える。
 〇西尾幹二論考は、仲小路彰長野朗らの、GHQにより「焚書」された文献を主として簡単に紹介している。
 こうした人物の名前をすら知らなかったが、時代は違うものの丸山真男大江健三郎らなんぞよりも、こうした人物の方が立派な日本人だったとして、後世で評価されるようになりたいものだ。
 丸山真男や大江健三郎は無視されるか、日本にとって<悪い>影響を与えた、特定の時代の<進歩的文化人>なるものの代表として、歴史には名を残してもらいたい。
 中途半端だが、とりあえず。

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0981/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」①真正保守と「民族系」。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋。
 ここで中川が書いていることが適切ならば、日本は「ほとんど絶望的」どころか、「絶望的」だ。

 かの戦争の理解についても多くの<保守>論者のそれとは異なる<中川史観>が日本の多数派になることはないだろう。<日本は(侵略戦争という)悪いことした>のではない、という多数派<保守>の歴史観(歴史認識)が日本全体での多数派になることすら疑わしい、と予測しているのだから。かつての歴史理解の差異はさておいても、将来の自主的(自立・武装の)憲法制定くらいでは多数派を形成できないだろうかとささやかに期待している程度にすぎないのだから。

 さっそく脱線しかかったが、中川八洋の主張・見解を基本的なところで支持するにはなお躊躇する。あれこれと苦言を呈してもいるが、多数派<保守>の影響下になおある、つまり中川から見れば誤った<思い込み>があるのかもしれない。しかし、少なくとも部分的には、中川の主張や指摘には首肯できるところがある。

 以下、コメントをできるだけ省く。

 最後の方の図表(p.363)は以下のとおり。

 中川はタテ軸を上の<反共or国家永続主義>と下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義>で分け、ヨコ軸を左の<アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>と右の<反アジア主義(親英米・脱亜)/倫理道徳重視>に分ける。

 四つの象限ができるが、左・かつ下の<共産革命or国家廃絶(亡国)主義+アジア主義(反英米)/倫理道徳の破壊>が中川のいう「Ⅱ・極左」だ。中心に近いか端に近いかの差はあるが、文章化しにくいので割愛し、そこで挙げられている人名(固有名詞)は、①林房雄、②福田和也、③保田與重郎、④共産党、⑤近衛文麿、⑥白鳥敏夫、⑦河野洋平、⑧松本健一、⑨村山富市、⑩宮沢喜一〔番号はこの欄の紹介者〕。①~③は、ふつうは<保守派>と理解されているのではなかろうか。

 右・かつ上(反共or国家永続主義+反アジア主義(親英米・脱亜)が中川のいう「Ⅰ・真正保守」で、次の8人のみ(?)が挙げられている。①昭和天皇、②吉田茂、③中川八洋、④殖田俊吉、⑤福田恆存、⑥竹山道雄、⑦林健太郎、⑧磯田光一

 右・かつ下はなく、左・かつ上の<反共or国家永続主義+アジア主義(反英米)>が中川のいう「Ⅲ・民族系」だ。自民党のある議員集団について中川が「容共・ナショナリスト」と断じていた、その一群にあたるだろう。そして、①渡部昇一、②松平永芳、③小堀桂一郎、④江藤淳、⑤西尾幹二、が明示されている。

 このグループはふつう <保守派>とされており、上のごとく(たぶん②を除いて)その「大御所」ばかりだが、中川八洋によれば、「真正保守」ではない。図表によると「反英米」か「親英米」のうち、前者を中川は「真正保守」に反対するものと位置づけていることになる。

 西尾幹二と江藤淳は対立したこともあるが広くは同じグループ。櫻井よしこも、渡部昇一と現在ケンカしている小林よしのりも、おそらくはこの一群の中に位置づけられるのだろう。

 西部邁や佐伯啓思はどう扱われるのだろうか。この二人の<反米>ぶりからして、「真正保守」とは評価されないのだろう。

 佐伯啓思は保田與重郎らの「日本浪漫派(?)」に好意的に言及していたように記憶するので、ひょっとすれば、中川からすると「極左」かもしれない。佐伯は親共産主義をむろん明言してはいないが、「反共」主張の弱いことはたしかだ。その反米性・ナショナリズムは「左翼」と通底するところもある旨をこの欄に書いたこともある(佐伯啓思が自らを「親米」でもある旨を書いていることは紹介している)。

 以上は、冒頭に記したように、中川の整理を支持して紹介したものではない。だが、少なくとも、思考訓練の刺激または素材にはなりそうだ。

 一回で終えるつもりだったが、ある頁の表への論及だけでここまでになった。余裕があれば、さらに続ける。

0978/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む②。

 西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号、ワック)から、のつづき。
 ・規制緩和あるいは「秩序からの解放とか、規制からの解放」→市場「活力」、というのは「エコノミストたちの…ひょっとすると戦後六十五年に及ぶ」大誤解だ。これは「戦後始まった歴史感覚乏しきアメリカニズム」の結果。「秩序を作る活力を持たずに、競争の活力がつくわけもない」(p.232-3)。
 -なるほど。だが、前回に紹介したように、西部邁によると規制と保護の間には<絶妙なバランス>が必要で、一方に偏してはいけないのだ。
 ・日本人が平成の22年余「毎日叫んでいた構造改革がもしも必要だとしても」、歴史を忘れた「合理主義」に舞い上がり、「抜本改革だ、構造改革だ、急進改革だ」などと叫んではいけない。このことは「保守思想の見つけ出した知恵」だ。

 -なるほど。だが「構造改革」一般を否認しているわけでもない。その具体的内容、規制と保護の間の<絶妙なバランス>の問題なのだろう。

 ・世代交代により戦前を知っていた、「歴史の知恵を少々は身につけていた」者たちが消え、敗戦後に育った世代が平成に入って以降、「一斉に各界の最前線に立ち改革を唱え始めた」。その「最大の犠牲者」でもあるのが「今の民主党にいる東大出の高級役人であり、弁護士であり、松下政経塾出身者であり、労働組合の幹部出身者たち」だ。その意味で民主党を「クソミソ」に言う気はない(p.234-5)。

 -戦前・戦中の実際を知っていて単純に<日本は(侵略戦争という)悪いことをした>のではないと実感として知っていた者たちがいなくなり(あるいはきわめて少なくなり)、占領下のいわゆるGHG史観・自虐史観の教育を受け、素朴に<平和と民主主義>教育を受けてきた世代が政界でも「最前線」に立つようになった。鳩山由紀夫、仙谷由人、菅直人、みんなそうだ。このほぼ<団塊の世代>は1930年代前半生まれの「特有の世代」の教師あるいは先輩によって、教育・指導されてきた。その結果が現在だ、という趣旨だと理解して、異論はない。

 なお、「東大出」ととくに指摘しているのは、月刊WiLL3月号の巻頭の中西輝政「日本を蝕む中国認識『四つの呪縛』」の一部(p.36、p.39)とも共通する。中西輝政は<団塊>世代に限定しておらず、固有名詞では、藤井裕久、与謝野馨、加藤紘一、谷垣禎一、仙谷由人らを挙げている。

 ・「民主党のような人間たちを作り出したのは、ほかならぬ戦後の日本」だ。月刊WiLL・週刊新潮・産経新聞に寄稿する「保守派のジャーナリストのように、単に民主党の悪口を言って」いて済むものではない(p.235)。

 -上の第一文はそのとおりで、そのような意味で、民主党内閣の誕生は戦後日本の<なれの果て>、あるいは戦後<平和と民主主義(・進歩主義・合理主義)>教育の成果だと思われる。従って、民主党政権の誕生は戦後日本の歴史の延長線上にあり、大きな<断絶(・「革命」)>をもたらしたものではない、というのが私の理解でもある。また、上の趣旨は、「民主党のような人間たち」のみならず、民主党を「支持した」人間たち、民主党政権誕生を「歓迎した」人間たちにもあてはまるだろう。そういう人々を「ほかならぬ戦後の日本」が作ってしまった。

 上の第二文はそこでの雑誌類に頻繁に登場する「保守派」論者たちへの皮肉だ。櫻井よしこを明らかに含んでいるだろう。渡部昇一佐伯啓思まで含めているのかどうか、このあたりにまで踏み込んでもらうと、もっと興味深かったが。
 ・民主党の「大、大、大挫折」は日本人が戦後65年間、「民族国民として、緩やかな集団自殺行為をやっていたことの見事なまでの証拠」だ(p.233)。
 -そのとおりだと思うが、この点を自覚・意識している者は、到底過半に達してはいない。

 ・今や「ほとんどすべての知識人が専門人」となり、「局所」・「小さな分野」にしか関心・知識のない人間が「膨大に生まれている」。新聞記者、雑誌記者、テレビマン、みんな「その手合い」で、民主党の醜態と併せて考えて、「ほとんど絶望的になる」(p.235)。
 -昨今の気持ちとほとんど同じだ。なんとまぁヒドい時代に生きている、という感覚を持っている。西部邁はこのあとで、退屈な老人にとって「絶望ほど面白いものはない」、「民主党さんありがとう」と言いたい、と書いているが、どの程度本気なのかどうか。一種のレトリック、諧謔だろう。ひどい時代を生きてきたし、生きている。マスメディアのみならず、「その手合い」に毒され、瞞されている有権者日本人に対しても、「ほとんど絶望的になる」。この欄にあれこれと書いてはいるが、ほとんど<暇つぶし>のようなものだ。あるいは、時代への嫌悪にじっと耐えて生きている証しのようなものだ。

0977/西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(月刊WiLL3月号)を読む。

 月刊WiLL3月号(ワック)の西部邁「『平成の開国』は日本民族の集団自殺だ!」(p.226~)は、最近の西部邁のものの中では共感するところが多く、興味を惹く部分もある。

 例のごとく(?)、タイトルと内容は必ずしもきちんと対応していないし、小沢一郎論にもとりあえずは大きな関心はない。

 佐藤栄作首相の後が田中角栄ではなく福田赳夫であったなら、日本の政治・政界も現実とはかなり異なる歩みを持ったのではないか、①程度の違いかもしれないが、親中か反共かの考え方の違いが二人にはあった、②日本の国家財政の<借金>づけ体質の始まりは田中角栄内閣にあるのではないか、といった関心から、その田中角栄の系譜の小沢一郎を問題にすることはできる。

 また、1993年の小沢の自民党離党(「新生党」結成)こそが細川非自民内閣の誕生の機縁になり、反小沢か否かで自社さ連立(村山)政権もできたのだったから、今日までに至る政界の混乱(?)はそもそもが、小沢一郎という政治家の言動に起因する、と言える、と思われる。
 そのような意味では、たんに<政治とカネ>や現在の民主党の内紛といった小さな(?)問題の中に小沢一郎を位置づけてはいけないだろう。

 以上は余計な文章で、西部邁批判ではない。別に本格的に小沢一郎には触れたい(あまり気乗りのするテーマではないが)。

 上掲西部邁論考は小沢一郎への言及から始まる。その部分は省略して、以下は、共感するまたは興味を惹く西部の文章の引用または要約だ。
 ・民主党政権は、「一言で表せば」「マスコミ政権」だ。メディアと「それに踊らされた世論」の責任は大きい。小沢の「化けの皮すら見抜けない」経済界の責任も大きい(p.228-9)。

 -本来なら「国民」と「メディア」に責任をとらせて「彼らを残らず始末」すべし、とまで西部は言う。また、メディアの責任に関して、「朝日新聞系」のほか、「あろうことか、産経新聞や『文藝春秋』まで」流れに追随、と産経新聞等も批判している。民主党政権(2009総選挙、鳩山由紀夫首相)の発足に関して、産経新聞や「文藝春秋」がどういう論調だったのか定かな記憶はないが、ともあれ、この両者もメディアの一部として批判されていることも目を惹いた。
 ・市場における「競争と政府による保護」は「両方とも必要」で、問題はをどのようにして両者の「絶妙なバランスを取るか」だ。民主党は「自由競争」・「弱者保護」とはそれぞれ何かという「原則的な問題」を見極められずに混乱している。だが、民主党のみならず、「財界」、「お役人、学者、その他のインテリ」といった「昨日まで自由競争バンザイを唱えていた連中までもが、今日になってパタッと口を噤んでしまい、誰も言わなくる」という、社会全体の混乱だ(p.231)。

 -「小泉構造改革」は保守派においてどう評価され総括されているのか、という疑問は最近に述べたばかりだ。小泉首相によって自民党が300議席以上を獲得したこともあって、当時は、保守派の多数部分は「構造改革」を肯定または支持したのではなかったのか? 当時に、八木秀次中西輝政等々は何と言っていたのだろうと、何人かの当時の主張・理解を振り返ってみたい、と思っている。ともあれ、西部邁が指摘するように、「昨日まで自由競争バンザイを唱えていた連中までもが、今日になってパタッと口を噤んでしま」う、という現象はあるのではないか。「貧困」・「格差」拡大キャンペーンに負けている、と言えなくなくもないこの問題は、もう少し関心をもち続けたい。

 ・TPPの「関税撤廃への歩み」は「市場競争を至上命題とする弱肉強食も厭わぬ新自由主義が、まだ延命している証左」だ。「新自由主義」を語る「日本のインテリの連中」は自由主義の「新旧の区別」をつけていない。「日本では新自由主義が小泉改革時代に最高潮に達し、様々な社会問題を噴出させ」た。それを民主党が批判したのなら、「旧自由主義」を振り返るべきで、そうすれば、「子ども手当や、その他の福祉ばら撒き政策など」が出てくるはずはない。だが、「自由主義」を拾っては捨て、「またゴミ箱から拾ってくる」のが民主党政権の醜態だ(p.232)。

 -西部邁のこの部分を支持して引用したわけではない。西部意見として興味深い。もともと「新自由主義」批判は「旧自由主義」に戻れとの主張ではなく、<親社会主義>からの資本主義(社会)自体への批判であるような気がする。にもかかわらず、民主党政権が直接に「社会主義」政策を採ることはできず依然として資本主義(いずれにせよ「自由主義」)の枠内で経済政策を決定せざるをえないために、その諸政策は場当たり的で首尾一貫していないのだ、とも思われる。なお、「子ども手当て」は中川八洋らも指摘しているように、特定の<親社会主義「思想」>による(またはそれが加味された)ものだろう。

 このくらいにして、時間的余裕があれば、さらに続ける。

0966/櫻井よしこはいつから民主党政権を「左翼」と性格づけたのか?

 〇月刊正論2月号(産経新聞社)の中宮崇「保存版/政治家・テレビ人たちの尖閣・延坪仰天発言録―そんなに日本を中国の『自治区』にしたいですか」(p.184-191)に「仰天発言」をしたとされている者の名を資料的にメモしておく。

 田中康夫(新党日本)、福島瑞穂(社民党)、服部良一(社民党)、小林興起(民主党、元自民党)、田嶋陽子(元社民党)、大塚耕平仙石由人(民主党)、浅井信雄(TBSコメンテイター)、山口一臣(週刊朝日編集長)、三反園訓(テレビ朝日)、高野孟伊豆見元(静岡県立大学)、田岡俊次(朝日新聞)、金平茂紀(TBS)、NEWS23X(TBS)。
 なお、CNN(中国)東京支局は「テレビ朝日」と「提携関係」にあるが、この事実を記す「ウィキ」等のネット上の書き込みは「即座に削除隠ぺい」されてしまう、という(p.189)。
 〇隔月刊・表現者34号(ジョルダン、2011.01)の中で西部邁は、戦後日本人が「平和と民主」というイデオロギー(虚偽意識)で「隠蔽」した、その「自己瞞着の行き着く先」に「左翼のダラカン(堕落幹部)たち」による「民主党政権」が登場した、と書く(p.181)。
 戦後憲法体制の「行き着いた」果てが現民主党政権で、自民党→民主党への政権交代に戦後史上の大きな<断絶>はない、というのが私の理解で、西部邁もきっと同様だろう。だが、民主党政権は自民党のそれと異なり、明瞭な「左翼」政権だ。この旨も、西部邁は上で書いていると見られる。
 「左翼」政権といえば、櫻井よしこ週刊新潮12/23号(新潮社)の連載コラムの中で、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」と書いている(p.138)。
 はて、櫻井よしこはいつから現在の民主党政権を「左翼政権」と性格づけるようになったのだろうか?

 この欄で言及してきたが、①櫻井よしこは週刊ダイヤモンド11/27号で「菅政権と谷垣自民党」は「同根同類」と書いた。→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1950116/

 自民党ではなくとも、少なくとも「谷垣自民党」は<左翼>だと理解しているのでないと、それと「同根同類」のはずの「いま堂々と日本に君臨する」菅政権を「左翼政権」とは称せないはずだ。では、はたしていかなる意味で、「谷垣自民党」は「左翼」なのか? 櫻井よしこはきちんと説明すべきだろう。
 ②昨年の総選挙の前の週刊ダイヤモンド(2009年)8/01号の連載コラムの冒頭で櫻井よしこは「8月30日の衆議院議員選挙で、民主党政権が誕生するだろう」とあっさり書いており、かつ、民主党批判、民主党に投票するなという呼びかけや民主党擁護のマスコミ批判の言葉は全くなかった。

 ③民主党・鳩山政権発足後の産経新聞10/08付で、櫻井よしこは、「鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」と書いた。「期待と懸念」を半分ずつ持っている、としか読めない。

 ④今年に入って、月刊WiLL6月号(ワック)で、櫻井よしこは、こう書いていた。-「「自民党はなすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。……そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。期待を持っていたからこそ裏切られるのであり、櫻井よしこは、やはり民主党政権に「期待」を持っていたことを明らかにしているのだ。→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1603319/

 それが半年ほどたっての、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」という櫻井よしこ自身の言葉は、上の①~④とどのように整合的なのだろうか。
 Aもともとは「左翼」政権でなかった(期待がもてた)が菅政権になってから(?)「左翼」になった。あるいは、Bもともと民主党政権は鳩山政権も含めて「左翼」政権だったが、本質を(迂闊にも?)見ぬけなかった。
 上のいずれかの可能性が、櫻井よしこにはある。私には、後者(B)ではないか、と思える。

 さて、櫻井よしこに2010年の「正論大賞」が付与されたのは、櫻井よしこの「ぶれない姿と切れ味鋭い論調が正論大賞にふさわしいと評価された」かららしい(月刊正論2月号p.140)。

 櫻井よしこは、「ぶれて」いないのか? あるいは、今頃になってようやく民主党政権の「左翼」性を明言するとは、政治思想的感覚がいささか鈍いか、いささか誤っているのではないか? 

 厳しい書き方をしているが、櫻井よしこを全体として批判しているのではない。例えば、憲法改正(とくに九条2項削除)のための運動・闘いの先頭に立ってもらわなければならない人物の一人だと承知している。

 佐伯啓思に対しても、西尾幹二に対しても、西部邁に対しても、盲目的に従うつもりは全くない(それにもともとこれら三人の論調は同じではない)。<保守教条>主義者・論者であってはならないとの基本的立場は、櫻井よしこ等の他の<保守>論客に対しても、変わりはない。
 さらには、<保守>論壇・論客の中に、ひょっとして中国あるいは米国の<謀略>として送り込まれた人物もいるのではないか、くらいの警戒心をもって、<保守>系雑誌等の執筆者の文章や発言は読まれるべきであろうとすら考えている。
 

0944/「戦後」とは何か⑤-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)という「論文集」(p.309)は三部で構成されているが、あえて言えば第一部は経済、第二部は政治、第三部は思想をテーマとするものを収載している。タイトルに示された「日本という『価値』」は価値を失い、または価値追求を失った日本人に何がしかの(日本としての、日本に特有の)「価値」発見・追求を求める趣旨なのだろうが、基本的趣旨は理解できるとしても、その「価値」の具体的内容は、残念ながら明瞭ではない。
 重要と思われる論考の一つは第8章「保守政治の崩壊から再生へ」。これは、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(2010、ジョルダン)の中の独立の論考で2010年3月初出。自民党と民主党に言及しつつ、「戦後日本的なもの」を論じている。以下の頁数は冒頭に掲記の単独著。

 佐伯啓思によると、自民党とは何だったかを問うことは「戦後日本」を振り返ることでもあり、「戦後日本的なもの」は、「顕教としての普遍的価値」と「密教としての日本的習慣」の結合または「二重構造」だった(p.164)。じつに(?)大胆な主張または仮説だ。

 「顕教としての普遍的価値」とは、「誤った」戦前から「正しい」日本を再生させるとされた諸理念で、以下のものがとくに列記される-「個人の自由、民主主義、合理主義、科学や技術の尊重、平和主義、人権尊重、国際主義(国連中心主義)」。これらを「普遍的正義」としての<近代国家>の実現が戦後の「公式的価値」となった、戦後憲法は「この理想を表明」するものだった。

 「密教としての日本的習慣」とは、かの戦争にかかる「一方的な日本断罪(たとえば東京裁判)への不満、日本的な宗教精神(儒教的・仏教的・神道的・古代的自然観など)を基盤にした日本的価値観への愛好、社会の中に根付いた習慣や習俗、地域に残る共同体的なもの、家族や親子、あるいは教師と学生、上司と部下などの人間関係についての『日本的』観念」といったものを指す。

 上の後者は合理的・科学的では必ずしもないために「戦後的価値」(公式的価値)とは「表面上は齟齬」をきたし、顕教の「近代主義」から見れば「前近代的」で、ときに「封建的」とされる。しかし、「人間関係を差配」する「非合理的な慣行」・ルールという「目に見えない文化」を捨て去ることはできず、「声高に公式的に」表現されなくとも「非公式の価値」となってきた(p.164-5)。

 この「二重性」が戦後日本を特徴づけた。かつ、両者は「容易に調停」しがたく、差異を意識すれば「亀裂」は大きくなる。「日本人の自己像は分裂してゆく」。

 そこで、戦後日本人は「あえて思考停止を選んだ」。表面的には「近代主義的」「普遍的価値」を称揚し、表面下では「日本的慣行」に従って行動した。言説空間では「近代主義者」として、具体的生活空間では「前近代的」日本人として振る舞った。

 かかる「戦後日本の二重性を見事に表現した政治政党」、「この二重性を利用しつつ巧みに覆い隠した」政党が、自民党だった。日本人自身が「二重構造がもたらす自己分裂もしくは自己喪失を直視したくなかった」のであり、自民党は、「面倒なことから目をそらしたい」という「戦後日本人の心理に巧みに寄り添った」(p.166)。

 <戦後>とは何だったかを考えるためにも、きわめて興味深い叙述ではないか。上のいわばテーゼ的なものは、自民党のみならず、「吉田ドクトリン」や民主党政権の誕生にも関連させられる。次回に続ける。

0936/講和条約から60年安保「騒擾」へ-遠藤浩一著。

 一 いわゆる「六〇年安保」の1960年が、戦後日本にとっての重要な分岐点の一つだっただろう。

 遠藤浩一は、<六〇年安保闘争>などという語は用いず、「六〇安保騒擾」と称している。ともあれ、今でも、この「闘争」なるものに参加して国会周辺デモをしたことを懐かしくかつ何の恥ずかし気もなく語っている者が知名人の中にも少なくないことはどうしたことだろう。騙されてか、信念を持ってかのいずれにせよ、樺美智子や西部邁らとともに安保改定「反対」デモに加わったということは、秘すべき、恥ずかしい過去なのではないか。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(2010.04、麗澤大学出版会)p.47は、次のように<主権回復時(から安保改定に至るまでの経緯)>の論点を整理している。適確なのではないかと思われる。
 ・「平和憲法」により「戦力は…保持しない」として「自分で自分を守ることは致しません」と内外に宣言した日本が「主権を回復」しようとするとき、「二つの選択肢」が想定された。

 ・①「憲法を改正して普通の独立主権国家並の体制を整える」(そのうえでどこかと「同盟関係」を結ぶというオプションもありうる)。②「憲法の非戦条項を維持したまま別の国家に保護を求める」。

 ・かつまた、「東西」分裂・「冷戦」の激化があったので、この点でも「複数の選択肢」が発生した。

 ・A「自由民主主義陣営」に属する、B「共産圏」に属する、C「非同盟中立」を標榜して「独自の道」を歩む。但し、Cの場合は日本を「軍事的、経済的に保護」できる「非同盟中立の大国」は存在しなかったので、この道は「必然的に憲法を改正し自主防衛を追求」せざるをえない。

 ・以上を複合させて整理すると、「主権回復時」の日本は次の五つから進むべき途を選択する必要があった。

 ・①「憲法を改正し再軍備」したうえで「自由民主主義諸国」と連携する。②「再軍備したうえで共産圏」にコミットする。③「再軍備して非同盟・中立」を追求する。④「憲法」に手を付けず(=憲法改正をせず)「軽武装もしくは非武装」で「米国に軍事的保護を求める」。⑤同様に「軽武装もしくは非武装」で「ソ連に軍事的保護を求める」。

 ところが、と遠藤浩一は続ける。「全面講和論者」は「平和、平和」と気勢を上げるだけで、当時の日本が置かれた「状況」とそこから導出される「選択」について、「説得力ある議論」を展開したわけではなかった(p.47)。

 二 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者は、現実に明確な<勝利>をしたわけではないが、戦後日本の歩みにきわめて重要な役割を果たした。その系譜は、脈々と今日まで受け継がれ、<左翼・売国>政権となって政治の現実について主導権を握るまでに至っている(「コミュニズム」の影響は今日の日本でもなお根強く生きている)。

 「全面講和論者」とこれにつながる「六〇年安保改定」反対論者とは簡単にはかつてにいう<進歩的文化人>を含み、かつこれによって煽られ、「理論」的に支えられもした。この者たちの<罪>は、永遠に忘れられてはならない。むろん、その背後にソ連共産党等の外国を含むコミュニストがいたことも明らかなことだ。

 戦前の個々の「戦史」や作戦・戦略面での<判断ミス>やその責任者について関心はなくはないが、そしてそれは戦後(・占領期)の「東京裁判」の理解と関係するが、基本的には、戦前の歴史には積極的な関心を持たないようにしている。

 時間的余裕が、現在も、想定される将来も乏しいからだ。

 日本は<戦争に負けた>、という事実から、日本の「戦後史」をふりかえるしかない。そして、<戦争に負けた>のは事実だが、そこに道徳的・倫理的な評価を混ぜることがあってはならない、ということをも前提としてふりかえるしかない。

 <戦争に負けた>のは事実だとしても、日本がその<戦争>をしたこと自体が「悪」だったとか、道義的・道徳的・倫理的に批難されるべきものだったとかの立場には立たない。<日本は(反省すべき)悪いことをした>という歴史認識は、一方に偏り過ぎている。いかにそれが、戦後の<正嫡の>「歴史観」だったとしても、<正嫡>・<公式>の歴史観・歴史認識が適切または「正しい」保障はない。言わずもがな、だが。

 というわけで、あるいは、ということを前提として、遠藤浩一の本等に言及しながら、「戦後史」をふり返る作業も、この欄で行う。

0927/<左翼・売国>政権打倒のための総選挙実施を-月刊正論12月号一読後に。

 1.月刊正論12月号(産経新聞社)内をいくつか読んでいて、とくに中西輝政論考によってだろうか、尖閣諸島に非正規の中国実力部隊とともに多数中国人が上陸し始める、海上保安庁は、あるいは自衛隊は何をできるか、中国の正規軍(・軍艦)が(中国にとっての領海内に)入ってくる、という事態や問題が現実になりうるようで、いくぶんかの戦慄を感じざるをえない。

 2.月刊正論12月号は西部邁、中西輝政、西尾幹二、櫻井よしこの4人揃い組。これに渡部昇一、佐伯啓思あたりも加わっていれば、<保守>論者の大御所のオン・バレードだ。多少は皮肉も含まれており、似たような名前がいつも出てくるなぁ、と思いもする。

 <左翼>の側には、いろいろな戦線・分野で、いろいろな幅をもって、もっと多様な書き手、論者がいるのではないか。どうも心許ない。

 といったことを書いている余裕は本当はないのかもしれない。

 3.よく見る名前だが、<尖閣>または<9・24>をテーマとする論考に、主張内容の違いがあるのが分かる。むろん、基本的なところでは(対中国、対民主党政府等)、一致があるのだろう。だが、現在において何に重点を置いて主張したいかが論者によって同じではない。
 頁の順に、巻頭の西部邁「核武装以外に独立の方途なし」(p.33)は、タイトルに主眼があり、アメリカへの不信感を述べつつ、「自分らの国家を核武装させ、…他国への屈従から逃れてみせるしかない」と主張する。その過程で、「日米同盟の強化なしには尖閣の保守もなし」と唱える言説は、「いわゆる親米保守派」のそれで、「本当の噴飯沙汰」と明記している(p.36)。
 中西輝政「対中冷戦最前線、『その時』に備えはあるか」(p.48~)は、中国による「実際の軍事力の行使」=「危機の本番」は「年末から年明けにも」と予想する(p.50)。詳細には触れないが、具体的な想定等には、冒頭に記したように、戦慄と恐怖を覚えるところがある。

 中西によると、「日本人の精神の目覚め」を阻止するための、中国による「対日世論工作」が今後、活発化する。より具体的には、①「反米基地闘争」の「さらなる高揚」による「日米同盟」関係の「離間」、②「日本の言論界そのものに対する統制」、③与党・民主党に「親中利権派議員」を大量に作ること、だ(p.54-55)。

 ①~③のすべてがすでにある程度は、②に至ってはすでに相当程度に、奏功しているのではないか。

 中西輝政がまとめ・最後に述べるのは、次のようなことだ。

 <「民主主義」や「人権」は中国(・共産党)の「最大の弱点」なので、「同じ民主主義体制の国々」とともに中国にこれらの重視を対中政策の第一とすべき。「中国の民主化」という「人類社会」の「大義」に向かって協力するのが重要で、それは「大きな武器」になる。>(p.56)

 西部邁のいう「親米保守」派に中西輝政が入っているのかどうかは知らないが、中西輝政も憲法改正や核武装論に反対ではないだろうにせよ(むしろ積極的だ)、西部邁と中西輝政では、同じ状況・時期における具体的な主張は同じではない、と理解せざるをえないだろう。

 西尾幹二「日本よ、不安と恐怖におののけ」(p.74-)は、中国の分析、日本のマスメディア批判のあと、日本人の精神の対米従属性(+アメリカは本気で尖閣を守る気はない)を嘆いて終わっている。いわく-「この期に及んで自分で自分の始末をつけられない日本国民」をアメリカ人は「三流民族」だと見ているだろう、「否、…私も、日本国民は三流民族だとつくづく思い、近頃は天を仰いで嘆息しているのである」(p.81)。

 西尾のものは、同感するところなきにしもあらずだが、一種の精神論のごときで、最もリアリスティックなのは中西輝政の論考だ。西部邁は<核武装>に至る、または<核武装論>を議論するに至る、必要不可欠の過程を具体的に示してもらいたい。今どきのこの主張は、正しくとも、時宜にはかなっていない<空論>になるおそれが高そうに見える。

 もっとも、佐伯啓思ならば決して書きそうにない中西輝政の最後の主張も、正しくとも、やや綺麗事にすぎる、あるいは、米国も欧州諸国もそれぞれの国益を最優先するとすれば、多少は非現実的なところがあるかもしれない。「民主主義」と「人権」の主張の有用性・有効性を否定はしないが、はたして現実に<自由主義>諸国はそのように協力してくれるだろうか。

 中西輝政論考のポイントはむしろ、究極的(最終的)には<自衛隊の「超法規的」な軍事行動に期待するしかない>という想定または主張にあるように思われる(p.53-54)。

 4.上の三人ともに現民主党政府に批判的だろうが、誰もひとことも書いていないことがある。

 それは民主党(菅直人)政権を変えて<よりましな>内閣を作る、という、核武装や憲法改正よりも、現実的な論点・課題だ。

 朝日新聞の社説ですら、菅直人への首相交代時に<できるだけ早く>国民の信を問う(=総選挙する)必要性を(いちおうは)書いていた。

 尖閣問題への対応を見ても、この内閣が<左翼・売国>性をもつことは、ますます明瞭になっている。

 参加しないで言うだけするのも気が引けるが、10/02と10/16の二回の集会・デモのスローガンはいったい何だったのだろう。その中に<菅内閣打倒!>・<売国政権打倒!>・<即時総選挙実施!>などは入っていたのだろうか。

 現実的には、対中「弱腰」以上の、「親中」・「媚中」以上の<屈中>政権をこれ以上継続させず、外務大臣も官房長官も代えることの方が具体的な<戦略>だと思われる。そのためには、総選挙を!というムードをもっと盛り上げていく必要があるのではないか。

 いわゆる<政権交代>からもう一年以上経った。今の内閣が現在の<民意>に添ってはいないこともほぼ明らかだ。マスコミの主流は現内閣の困惑と混迷ぶりばかり報道しているようで、かつ産経新聞も含めて、<あらためて民意を問う>必要性を何ら主張していないのではないか。非現実的なのかもしれないし、上記の三人もそのように考えているのかもしれない。しかし、重要なこと、より現実的に必要なことは、やはり(憲法改正等と同等に)主張し続けなければならない、と考える。

 <左翼・売国>政権打倒!という表現では過半の支持は得にくいかもしれないが、形容・表現は極端に言えば何でもよい、現在の民主党政権を一日でも早くストップさせ、<よりましな>政権に変える、このことがとりあえずは日本の将来と現在の国益に合致している(もちろん国民の利益でもある)、と考えるべきだ。

0889/隔月刊誌・表現者(ジョルダン)連載執筆者かつ週刊金曜日編集委員・中島岳志。

 パール判決を問い直す(講談社現代新書)の共著者である中島岳志と西部邁は親しいようで、西部邁と佐伯啓思の二人が「顧問」をしている隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)の29号・30号に、中島岳志は「私の保守思想①・②」を連載している。
 30号で中島は「私が保守思想に傾斜していく大きなかっかけとなったのは…」などと述べて(p.138)、「保守思想に傾斜して」いるとの自己認識を示し、また、先人から学ぶべきことは「デモクラシーが健全に機能するためには、人間の交際の基盤となる『中間団体』が重要であり、歴史的な『伝統』、そして神や仏といった『絶対者』の存在が前提となる」ということではないか、などと、なるほど<保守的>と感じられる叙述もしている(「神や仏」は「絶対者」なのか、いかなる意味においてかは分からないが、さて措く)。
 いずれにせよ、錚々たる(?)<保守>派執筆者たちに混じって、さほどの違和感を感じさせずにいる。隔月刊雑誌・表現者を<保守的>または<保守派の>雑誌と表現して差し支えないだろうことは、顧問二人(西部邁・佐伯啓思)と西田昌司の三名の共著(半分以上は座談会)・保守誕生(ジョルダン、2010.03)のオビに「真正保守主義が救い出す」という語があることにも示されているだろう。
 興味深いことに、あるいは奇妙なことに、同じ人物・中島岳志は<左翼>週刊誌・週刊金曜日の編集委員を<あの>本多勝一や石坂啓らとともに務めている。この週刊誌の発行人は<あの>佐高信。
 この週刊誌が<左翼的>であることは歴然としてしていて、たとえば、その4/30号(797号)は<反天皇制>の立場を前提として「暮らしにひそむ天皇制」という特集を組んでいる。編集長の北村肇は同号の「編集長後記」で、天皇制はただちに廃止すべきとか昭和天皇の戦争責任を許さないとだけ主張するにとどまる限りは「廃止への道は遠い」と書いて、<天皇制廃止>を目標としていることを明らかにしている。
 思い出せば、2006年11月に教育基本法「改悪」等に反対する集会を主催し、天皇陛下や悠仁親王を「パロディーとしたコント」を演じさせたのは、週刊金曜日だった(本多勝一・佐高信らも出席。のちに、佐高信と北村肇の連名でそっけない、本当に反省しているとは思えない「謝罪」文を発表した)。
 また、「左翼」的運動の集会等の案内で埋め尽くされている頁もあり(p.64-65)、「女性国際戦犯法廷から10年目を迎えて」と題する文章の一部を関係団体の機関紙から転載したりもしている(p.54)。
 こんな週刊誌にも中島岳志は本多勝一らとともに執筆していて、「風速計」とのコラムで「『みんなの党』のデタラメ」と題して、「新自由主義を露骨に振りかざすみんなの党」を批判し、「構造改革ーのNOを突き付けた国民」は「みんなの党のデタラメを見抜かなければならない」と結んでいる(p.9)。
 まったく新種の人間が生まれ、育っているのか、中島岳志は、一方で<西部邁と佐伯啓思>を顧問とする<保守的>隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)に「私の保守思想」を書き、一方では、<本多勝一・佐高信>らとともに<左翼的>週刊誌の編集委員になって自ら執筆してもいる。<西部邁・佐伯啓思>と<本多勝一・佐高信>との間を渡り歩いて行けるという感覚あるいは神経は、私にはほとんど理解できない。
 週刊金曜日のウェブサイト内で中島岳志は「保守リベラルの視点から『週刊金曜日』に新しい風を吹き込みたい」とか語っている。
 「保守リベラル」とはいったいいかなる立場だ!? こんな言葉があるのは初めて知った。そして、上の「みんなの党」批判は社民党的な「左から」の批判なのだろうか、富岡幸一郎や東谷暁らが集うような「右から」の批判なのだろうか(月刊正論6月号には宇田川啓介「みんなの党の正体は”第二民主党”だ」も掲載されていた)、と思ったりする。
 そんな<左・右>などに拘泥しないのが自らの立場だと中島は言うのかもしれないが、そう言って簡単に逃げられるものではないだろう。中島岳志には、一度(いや何度でもよいが)、<天皇(制)・皇室>に関する態度表明をしてもらいたい。そして、<反天皇制>主張が明確で、<天皇制廃止>を明確に意図している編集長のもとでの編集委員として、どのような「新しい風を吹き込」むつもりなのか、知りたいものだ。

0888/高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(月刊正論2009年2月号)再読。

 月刊正論2009年2月号(産経、2008.12)の高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(p.278-)によって、一連のパール判決・ケルゼニズム(・法実証主義)論争は終熄したかに思えた。
 内容を引用・紹介していないが、この高池勝彦の論考について、私は「このタイトルは、この欄で既述の私見と同じ」。「東谷暁や八木秀次のパール・ケルゼン関係の文章よりもはるかに私には腑に落ちる」とだけかつてコメントした。
 高池は中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、p.15、p.30、p.60)を挙げ、「パル判決の論理構成に関して、『パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している』とか、『法実証主義が果たして本来保守派が立つべき立場なのか』とか、『法律条文を金科玉条とする』といった批判がある」、と紹介していた(p.284)。そして、次のように批判または反論している。かつて紹介・引用していないので、ここではほぼ全文を引用しておく(p.285、旧かなづかいは改めた)。
 ①「なぜパル判事が法実証主義に依拠してはいけないのかわからない」。
 ②「そもそも本当にパル判事が…全面的に法実証主義に依拠しているのか、疑問」だ。
 ③「法実証主義が法律文を金科玉条としているというのは少なくともいい過ぎ」だろう。「ごく常識的な法実証主義」とは「法解釈にあたって…、存在と当為、事実と規範を分けて、判断することをいう」と理解するので、「これは現代の法解釈において多かれ少なかれとらざるを得ないのではないか」。「法実証主義は、実定法を解釈の対象」とし、「実定法を離れてイデオロギーや教義によって法を解釈することを拒否する」。「ただ、極端な法実証主義はそれこそ法律文を金科玉条とすることになりかねないというだけのこと」ではないか。
 ④「そもそも、国際法は、…慣習法が重要な法源であり、パル判事もそれを強調している」ので、「法律文を金科玉条とすることなど不可能」だ。
 ⑤西部・中島両氏が強調するのは「平和に対する罪」は「事後法の禁止に反する」旨をパル判事が述べているのを指すと思われるが、「パル判事はそれこそ平和の罪が犯罪ではないことを様々な条約や学説、事件などを引いて論証しているのであり、とても単なる法律文だけを根拠にしているのではない」。
 ⑥「パル判事が主としてケルゼンの学説に依拠しているといわんばかりの主張にも同意できない」。パル判事は「ケルゼンの学説をかなり理解し、必要な部分は取り入れているかもしれない」が、「それのみに依拠しているわけではなく、パル判決はそれ自体として判断する必要がある」。
 ケルゼンを批判することによってパール判事(の意見書)(の基礎的考え方・「法律観」)をも批判しようとする西部邁や中島岳志の論法には、無理があり、こじつけがある。西部邁によると「主として」制定法(法律)を基準として仕事をしている現在の日本の多くの専門法曹(裁判官・弁護士等)は「法匪」になるのかもしれないが、かつてパール意見書を読んだことがあるとも言う(p.278)、弁護士・高池勝彦の理解・主張の方が<素人>の西部邁・中島岳志よりもはるかに信頼が措ける。
 西部邁・中島岳志らによる、議論の不要な紛糾は避けた方がよく、「法」、とくに「制定法(法律)」に関する考え方について、西部邁が述べるところを信頼あるいは参照してはいけない。
 なお、かつての論争の中心点はパール判事意見書(パール判決)は<日本「無罪」論>だったのか否か、だったようだ(高池p.278)。
 この論点について高池は次のように述べて、中島岳志・西部邁とは異なる理解を示している(p.284)。
 ①<講談社学術文庫・パル判決書(上)の解説者・角田順はパール判決は「日本無罪論ではない」ことを強調しているが、小林よしのりが指摘するように仮定形の論述で、1.「仮定文の中身を真実であると認めたわけではない」、又は2.弁護側の無反論のゆえに仮定を「前提に議論を進めた」、という部分が「多い」のであり、私(高池)は「パル判決は全体として、日本が無罪であると主張しているとしか読めない」。>
 ②<但し、「無罪」とは「有罪と認定する証拠がない」ことを意味し、日本のすべての行動に「何の問題もなかった」ことを意味しはしない。「刑事上の無罪」は「道義的に無罪であるという意味ではない」とよく主張されるが、それは「当然のこと」だ。>
 高池は日本の「道義」上の問題の具体的評価に立ち入っていないが、パール判決や中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)をきちんと読んではいないものの、上の論旨にも「納得がいく」。
 その後、西部邁または中島岳志は、この高池勝彦論考に対してきちんと反論したのかどうか。

0887/西部邁には「現実遊離」傾向はないか②。

 いかなる理由だったのか、中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)をきちんと読まなかったし、この欄でコメントしたこともおそらくない。
 と思っていたが、記憶違いで、概読して、中島岳志の法的無知等について批判的
コメントすら書いていた。  その後、所謂東京裁判法廷のパ-ル判事の<真意>をめぐる東谷暁等と小林よしのりの月刊正論(産経)等での論争を知り、ケルゼン(・「法実証主義」)の理解はパ-ル判事の意見書(所謂パール判決)の理解や評価と関係はない等と書いて、このときは小林よしのりを応援したのだった。
 西部邁が書く上掲の本の「おわりに」(p.197-、計10頁)をあらためて読んで、この人の「法」等に関する考え方、「法律観」はかなり奇妙だと感じざるをえない。
 要約的に紹介しつつ、コメントする。
 ①「近代の社会秩序を方向づけている法哲学は法実証主義だといってさしつかえない」。
 ②「実証主義」は観察・計量可能な社会の規範体系を重視し、それをできめるだけ「(形式的)に合理的に構築」しようとする。規範体系は「慣習法」も含むが、「法実証主義」の「主たる対象」は「いわゆる制定法」になる。(p.198)
 →「法実証主義」が近代「法哲学」を「方向づけ」る、との理解は適切なものか、確信はもてないが、それが、のちにも西部邁が(極端なかたちを想定して)理解するものを意味するとすれば、すでに誤謬または偏見が含まれているだろう。
 ③上のことが「過剰なほどに明確」なのはケルゼン。ケルゼンは、1.「価値相対主義」に立ち、2.「根本規範」が採用する「価値観」は「民主主義的な」「多数決」によって決定されると説き、3.「根本規範」から「合理的に導出され制定され」るのが「実定法の体系」だとする(4.略)(p.199)
 ④ケルゼンの法哲学は「ハイエックの批判した」「設計主義(…)の法哲学」であることは「論を俟たない」。
 ⑤「いささかならず奇怪」なのは、「自称保守派の少なからぬ部分が、社会秩序の維持に拘泥するのあまり、こうした(制定)法至上主義に与している」ことだ。
 →鳩山由紀夫はもともとは「最低でも県外」と言っていたのに、「できるだけ県外」との約束を履行できなくて…と謝罪した。「最低でも」と「できるだけ」では、まったく意味が違う。ごまかしがある。西部邁もまた、「法実証主義」、「主な対象」は「制定法」、という前言を、この⑤では「(制定)法至上主義」と言い換えている。批判したい対象を批判しやすいように(こっそりと)歪めることは論争においてしばしば見られることだが、西部邁も対象の歪曲をすでに行っているのではないか。
 ⑥東京裁判にもかかわる「自称保守派」の「罪刑法定主義の言説」はケルゼンの「もっとも狭い近代主義にすぎない」。<罪刑法定主義>によって「見過ごしにされている」のは、次の二つ。第一に、「制定法はつねに何ほどか抽象的に規定されるほかない」ということ。そして、「法定」 の「実相」は「権力(…)による決定」だということ。第二に、制定法の「解釈と運用」は「根本規範」に「従い切れる」ものではなく、「制定法を基礎づけたり枠づけたりしている法律以外のルール、つまり徳律(モーラル)」やその苗床たる「国民の習俗」やそれが促す「国民の士気」等を参照せざるをえない。(p.200-1)
 →この⑥には、<罪刑法定主義>への偏見と無知がある。
 <罪刑法定主義>といっても「制定法」が「何ほどか抽象的に規定されるほかない」ことは、法学または刑法学の入門書を読んだ学生においてすら常識的なことだ。また、「徳律」・「習俗」・「士気」などとは表現しないが、とくに裁判官が、法律上に明記された文言では不明な部分を何らかの方法によって<補充>して解釈していることも常識的なことだ。
 <罪刑法定主義>は上の二点を「見過ごし」にしている、などという大言壮語は吐かない方がよい。
 ⑦欧州の「慣習法の法哲学」をD・ヒュームも語り、E・バークは、「啓蒙的な自然法」とは区別される「歴史的自然法」が基礎に胚胎する「慣習法体系」を語った。「歴史的自然法」とは「歴史の英知」ともいうべき「国民の規範意識」で、憲法についての国民意識も「政治的に設計され」ず、「歴史的に醸成される」。(p.202-3)
 ⑧「保守思想」は「歴史的自然法の考え方」に「賛意を表する」。
 →「保守」=「歴史的自然法の考え方」、「左翼」または反・非「保守」(「自称保守」の多く)=「法実証主義」と言いたいのであれば、あまりも単純な整理の仕方ではないか?
 ⑨「歴史的自然法」の理解者は多少とも「法実証主義」を批判する。後者は「民主主義の多数決によって何らかの特定の直観を採用する」との見解だ。その「直観の妥当性」を「歴史的英知」、「いいかえると伝統精神」に求めるのが「保守思想における法哲学の基本」だ。
 ⑩「保守思想における法哲学」は「罪刑法定主義」に「もっとも強い疑義」をもつ。「法実証主義」の目標である「精緻な制定法」の「設計」をすれば、社会秩序は「リーガル・アルゴリズム(法律的計算法)」に任されることとなり、「法律的計算法」の支配する社会は「(民主主義という名の)牢獄」にすぎない。(p.203)
 →じつに幼稚な思考だ。たしかに、法律(制定法)の精緻さを高める必要がある場合のほかに、あまりに詳細で厳密な法律(制定法)作りを避けるべき場合もあるだろう。だが、「精緻な制定法」作りによって社会は「(民主主義という名の)牢獄」になるなどと簡単に論定すべきではないだろう。
 また、ここにはほとんど明らかに「制定法(法律)」ニヒリズムとでも言うべきものが看取できる。さらに、現代国家・現代社会につき「法律」によって国民(人民)を監視し管理する「牢獄」に見立てているらしきM・フーコーの言説を想起できさえする(M・フーコーの議論をあらためて確認はしない)。西部邁とは存外に―少なくとも「法律(実定法)」に関する限りでは―「左翼」的心情の持ち主なのではないか。

 ⑪「制定法」中心になるのは「文明の逃れ難い宿命」だろうが、「歴史的自然法」を「考慮」すべしとするのが「保守的な裁判観」だ。

 ⑫所謂東京裁判の「法実証主義・罪刑法定主義」違反に対する批判に終始して当時の「国際慣習や国際歴史(の自然法)に一顧だにしない」のは「法匪のにおいがつきまとう」。
 ⑬「左翼(近代主義)的な法律観」を排すべき。「左翼的」「裁判観」を受容したうえでの「東京裁判批判などは屁のつっぱり程度にしか」ならない
 →所謂東京裁判に関連させてだが、「法実証主義・罪刑法定主義」に立つ者を「法匪のにおいがつきまとう」との表現で罵り、「左翼的」裁判観だと断定している。
 かかる単純な議論には従いていけない。東京裁判を離れてより一般的に言えば、前回に書いたこととほとんど同様になる。つまり、西部邁がこの文章で言っている「歴史的自然法」・「慣習法の法哲学」あるいは「歴史的英知」・「伝統精神」に従った<制定法(法律)>の「解釈運用」や、新しい<制定法(法律)>案の具体例を示していただきたい。
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「歴史的自然法」を考慮せよ、と言ってみたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 西部邁は自分が毎年払っているだろう(原稿料・印税等の)所得税の計算方法にしても、自分が利用していると思われる公共交通・エネルギー供給事業等々にしても、どのような関係法令があり、どのような具体的定めがあるかをほとんど知ってはいないし、ひょっとすれば関心もないのかもしれない。<現実遊離>を感じる所以だ。
 ついでに。現憲法76条3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定めている。裁判官が依拠すべきなのは「法律」だけではない。「憲法」も含まれるし、何よりも「良心に従」うべきとされている。
 西部邁が嫌いな現憲法すら、<制定法(法律)至上主義>を採用していない。

0886/西部邁には「現実遊離」傾向はないか①。

 1970年の三島由紀夫の自決の際の<檄文>が憲法と自衛隊に触れていることから、隔月刊・表現者29号(ジョルダン、2010.03)の「憂国忌・記念シンポジウム/現代に蘇る三島由紀夫」によると、西部邁は憲法や法律について、つぎのように発言している(p.272)。<檄文>への言及部分は省く。
 ①憲法と自衛隊は本来は「二者択一」。
 ②「元来、憲法なんてアメリカ人が書いた草案」で、日本側が拙速で翻訳して日本の「帝国議会」で「認められただけの存在」だ。
 ③「成文憲法」を書き「その憲法の条文に従って」行動するというのは「変な」のだ。「憲法に合うように自分の存在を変える」、これ自体を「歴史感覚をもった国民ならば」「とんでもないと思うべき」。「特定の人物」の「適当な興味による文章ごとき」に「国家のあり方とか人格のあり方まで左右される」こと自体が「非常に近代主義的な誤謬」だ。「あんな成文憲法は…あってもいいけれども」、「本来ならば自分たちの歴史の…良識なり常識として」「国防なり軍隊」をどう「作るかが決定的に大事だ」。
 ④「法律は大事」だが、その前に「常識」がある。それをもたらすのは「日本の歴史その他」で、この方が「遙かに大事」だ。
 ⑤「今の日本人」は「尚かつ憲法というものに依存」しているが、「そんなもの日本の歴史と無関係」。「歴史」の方が「人間精神、意識として決定的に大事」。「どんな憲法の条文」があろうが、「そんなことは二の次三の次」ということを「今の日本人は全く分からずにいる」。
 さて、西部邁はいったい何を言いたいのか?
 上の①・②はよい。あとは「憲法」の部分を1947年施行の<日本国憲法>ときちんと読み替えると趣旨・気分は理解できそうだ。
 だが、いかに現憲法に対する嫌悪感・拒否感情が強くとも(私も多分に同感だ)、現憲法やその下位の法律よりも「日本の歴史」の方が重要だ、という旨の部分は、一種の<憲法・法ニヒリズム>につながるところがあるようで、脆いところがあると感じる。
 上の③のように、「憲法の条文に従って」行動するというのは「変な」のだ、「憲法に合うように自分の存在を変える」、これ自体を「歴史感覚をもった国民ならば」「とんでもないと思うべき」だ、と西部邁が言ってみたところで、現実の日本の政治・社会(・人々の行動)は現憲法によって方向づけられ、制約されてきたことは疑いえない。
 いかに現憲法の生誕の奇異さを指摘し、その内容の日本の歴史と無関係の「近代主義」性を強調しても、現憲法施行後は現憲法の定めにのっとり、加えて国会法等の法律に従って両議院の議決によって「法律」は制定されてきた。同じく加えて公職選挙法等の法律に従って両議院の議員は選出されてきた。そして現憲法に従って、小泉内閣も鳩山由紀夫内閣も生まれてきた、という現実を否定することはできない。
 そのような意味で、西部邁が渡部昇一のように現憲法「無効」論を主張しているのかどうかは知らないが、西部邁にはいくぶんは<現実遊離>の趨きがある。
 西部邁自身が憲法改正に関する提言類を執筆しているように、現実的に力を持ちうるのは、<憲法よりも歴史が大事、憲法は「二の次三の次」>といった主張ではなく、「日本の歴史」を組み込んだ新憲法を作ること=憲法を改正すること、そのための主張・提言・議論をすることに他ならないだろう。
 西部邁は「法律」にも言及して「日本の歴史その他」がもたらす「常識」の方が「遙かに大事」だとも語る。気分は分かるが、しかし、例えば―あくまで一例だが―、「法律」が定めるべき、両議院議員の選出方法(定数配分等を含む)、消費税率、社会的福祉的給付の具体的内容は、「日本の歴史その他」がもたらす「常識」によってどのように明らかになるのか、具体的な例を示していただきたい。
 国有財産の管理方法、道路管理の仕方や道路交通の諸規制、あるいは各種「公共」事業の実施を国・地方公共団体・独立行政法人・その他の<外郭団体>・「公益法人」・<ほとんど純粋な民間セクター>にどう配分するのか等々は、「日本の歴史その他」がもたらす「常識」によって、どのように、どの程度、明らかになるのか?
 現実に多数ある政策課題(そして、どのような内容の法律にするかという諸問題)を前にしてみれば、「法律」よりも「日本の歴史その他」がもたらす「常識」の方が「遙かに大事」だ、という見解を述べたところで、ほとんど<寝言に等しい>
 実際にも、憲法改正をめぐって、あるいは諸法律案をめぐって(公務員制度改革、高速道路の料金の決め方、外国人選挙権、夫婦別姓等々々)<政治的>闘いが繰り広げられているようだ。
 そのような「憲法」や「法律」の具体的内容に関する諸運動に対して、西部邁の上のような発言は、<水をぶっかける>こととなる可能性が全くないとは思われない。
 もともと「憲法」(一般)・「法律」と道徳(規範)や歴史とは決して無関係ではない。あえてこれらの違いを強調することの意図はいったい奈辺にあるのだろう。
 このシンポジウムの司会者・富岡幸一郎は三島由紀夫の<檄文>が提起した一つは「憲法改正の問題」だと明確にかつ正当に述べている(p.270)。
 したがって、「憲法改正」の具体的内容・戦術が語られてもよかったのだが、西部邁は「成文憲法」・日本国憲法なんて「二の次三の次」だ、「大事」なのは「日本の歴史」だなどと発言して、論点をズラしてしまっている。こんな西部の議論を、憲法(とくに現9条2項)護持論者はきっと喜ぶだろう。

0882/表現者30号(ジョルダン)の佐伯啓思「民主主義再考」。

 隔月刊・表現者30号(ジョルダン、2010.05)の以下を、とりあえず読了。いずれも短い文章なので。
 A 佐伯啓思「民主主義再考」
 B 富岡幸一郎「『近代』の限界としての民主主義」
 C 宮本光晴「政権交代の議会制度が機能するための条件」
 D 安岡直「われわれは衆愚政治に抗うことが出来るか」
 E 柴山桂太「民主主義が政治を不可能にする」(以上、p.75-95)
 F 西部邁「民主主義という近代の宿痾」(p.196-9)
 以下はAの一部要約または引用。
 A 「民主政治というもののもっている矛盾が、民主党政権において著しい形で露呈している」(p.76)。
 <「民主政治」概念には、「民主主義」を徹底すれば「政治」は不要になり蒸発するという「本質的矛盾」がある、という「決定的な逆説」がある。>(p.76-77)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」の前提は「有能な行政府を選出」できる「有能な立法府(議会)」だが、かかる有能な立法府は「きわめてまれ」。「議院内閣制」での「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」。「民主党はこの点をまったく理解していない」。>(p.78)
 <W・バジョットによると、「議院内閣制」のよさは、第一に、「議会と政党」が立派=「政党政治家がそれなりの見識」をもつ、第二に、議会選出「内閣」が「優れた統治能力をもって長期的に政治指導」をする、という条件に依存する。><そうして初めて、「議院内閣制」は「大衆的なもの」=「民意」から「距離」を置き、かつ「強力な指導力を発揮できる」。>(p.79)
 <W・バジョットによるとさらに、英国政治体制には「威信」部分と「機能」部分があり、前者を「君主制と貴族院」が担って「大衆を政治に引き付け、政治に威厳と信頼を与え」、後者を「内閣と衆議院」が担当する。両者の分業によってこそ「大衆と政治的指導の関係はかろうじて安定する」。>
 <こう見ると、今日の日本の政治が「著しく不安定で混沌としている理由もわかる」。小沢一郎流「議院内閣制」はそれの「悪用」であり、鳩山由紀夫の「民主主義」観には「威信」部分はなく、「威信」と「機能」は「渾融」してしまった。「威信」部分こそが「演劇的効果」をもつが、それが欠けて「マスメディア」がそれを「発揮して」「大衆を政治に引きつけようとする」ので、政治は文字通りの「演劇的政治」になってしまった。>(p.79)
 なかなか面白い。小沢一郎による参院選の民主党立候補者選び・擁立を見ていると、優れた「政党政治家」から成る「有能な立法府(議会)」ができる筈がない。彼らが当選しても、<投票機械>になるだけのことはほとんど自明だ。かくして「優れた統治能力」を生み出す「議院内閣制」からはますます遠のくだろう。
 屋山太郎はよく読むがよい。「議院内閣制」における「政府の本当の敵は官僚ではなく〔無能な〕議会の多数党」だ。
 もっとも、民主党に限らず、他政党も、<知名人選挙、有名度投票>に持ち込もうとしているようで、日本政治はますます深淵へと嵌っていく…。

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

0831/<保守>言論人・<保守>論壇の不活発さも深刻だ。

 一 民主党政権の成立による<左翼・売国>政策実施の現実化の可能性が高いことは、じつに深刻な事態だ。
 とこれまでも書いたが、深刻な事態の第二は、あるいはさらに深刻なのは、朝日新聞やテレビ朝日等の報道ぶりにもよるのだろう、多くの国民が現政権の「危険性」を理解していないことだ。
 先日、たしか10/31の夜のNHKスペシャルの中で、御厨貴・東京大学教授は、古い55年体制を打破しようと小沢一郎は1993年に行動を起こしたが、当時は多くの者が小沢のスピード感に従いていけず、細川政権崩壊・自社連立政権成立を許したが、自社両党は55年体制の利得者だったところ、ようやく時代に即応しない55年体制が2009年総選挙で崩壊した旨をのたまい、もともとは日本社会党のブレインだった山口二郎・北海道大学教授も反論していなかった。
 NHKが収集した各「証言」自体は興味深いものもあったが、上のような御厨貴の簡単な総括でぶち壊しになった。1993年・1994年政変と2009年「政変」(政権交代)を上のようにしかまとめられない御厨貴は政治学者か、しかも東京大学所属の政治学研究者か、と問いたい。
 民主党御用学者ぶりはいい加減にしてもらいたい。また、小沢一郎の1993年の行動を素晴らしいものと積極的に評価しているが、小沢らの離党は、自民党内部、とくに旧田中派内部での「私憤」にすぎないとの見方があるくらい、政治学者ならば知っているだろう。田中-金丸の「金権」体質を継承しつつ、のちには彼の「自由党」は自民党と連立したという事実もまた、政治学者ならば記憶しているだろう。小沢が1993年以降は終始一貫して<古い55年体制>との闘争者だったなどとは、とんでもない話だ。
 今や明瞭な「左翼」の立花隆ですら、小沢離党・新生党設立の際に、小沢が<改革(・清潔)>派ぶるのは「ちゃんちゃらおかしい」と朝日新聞に書いた。理念なき選挙・政局好みこそ小沢の体質・政治感覚だろう。御厨貴はいったい何を観ているのか。それこそ「ちゃんちゃらおかしい」。
 こんな人物にまとめらしき発言をさせるのも、NHKらしいとも言える。
 二 深刻な第三、あるいはさらに深刻なのは、民主党<左翼・売国>政権にとって代わるべき政党が存在するかが疑わしいことだ。
 自民党に期待できそうにない。衆議院の予算委員会(第一日め)での質問者に、党内<リベラル左派>で有名な、安倍政権を(「右寄り」で)「危ない」とマスコミを前に語った加藤紘一や、同じ傾向の、<日本国憲法のどこが悪いんだ>とやはりマスコミの前で公言した後藤田正純を起用するようでは、まともな「保守」政党ではない。だからこそ、鳩山由紀夫のブレ等々にもかかわらず、少なくとも来年の参院選挙くらいまでは、鳩山政権が続きそうだとの予想が出てくる。
 現政権もダメ、自民党にも大きな期待をとてもかけられないそうにない、ということこそ、じつに深刻な事態だと認識すべきだろう。
 三 深刻な第四、あるいはさらに深刻なのは、<保守>言論人または<保守>論壇において、現状を打破するための建設的で具体的な議論が、ほとんどか全く、存在しないようにみえることだ。
 自民党が頼りなくとも、しっかりとした言論が小さくとも存在していれば、それを手がかりにして、多少は明るい未来を展望できそうなものだが、それもなさそうであることが、じつに深刻だと思われる。
 ①隔月刊・表現者27号(ジョルダン)、佐伯啓思「『民主主義の進展』による『政治の崩壊』」(p.52-)。
 「民主党を批判することはきわめて容易」、自民党に<保守>再生能力があるとは言えない(p.53)、等々、佐伯啓思の主張の趣旨はよく分かる。
 だが、ではどうすればよいのか。佐伯は、「プラトンの政治論に立ち返るのが適切」だとし、「善き国家」=市民が「善き生」を送れる国家の実現を説き、かかる国家は「民主」政では生まれない旨を書く。民主主義は目ざすべき「価値」とは無関係との旨は佐伯が繰り返し書いてきている。
 しかし、「われわれは、仮に民主主義者でなくとも、民主政治の社会秩序のもとで生活していることは事実である。とすれば、…できることはと言えば、あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすことであろう。保守とは古典の精神に学ぶことにほかならないからである」、との文章だけで結ばれたのでは、何の慰めにもならず、何の建設的で具体的な展望も出てこないだろう。
 なぜプラトンかとの疑問はさて措くとしても、「あのプラトンの言葉の危惧を絶えず思い起こすこと」をしていれば、民主党政権を打倒することができ、「保守」再生政権を生み出すことが可能になるのか。この程度の抽象性の高い主張では、ほとんど何の役にも立たないと思われる。<思想家>・佐伯啓思に期待しても無理なのかもしれないが。
 なお、上掲誌同号の諸論考は(西部邁「保守思想の辞典/役人」も含めて)、民主党批判と現状分析が中心で、<保守>派の現在と今後の具体的あり方については説き及ぶところがほとんどないようだ。
 ②月刊・文藝春秋11月号(文藝春秋)、中西輝政「英国『政権交代』失敗の教訓」(p.94-)。
 1994年の自社さ連立内閣以降の自民党は「政権にしがみつくこと自体」を自己目的化した、という御厨貴に近いニュアンスの批判(p.96)はまぁよいとしよう、また、鳩山・菅直人「団塊世代」の対米屈折心理の存在の指摘(p.98)やフランス・イギリスを例にしての、<脱官僚>等の民主党政権への懸念・不安もそれぞれに参考にはなる。
 だが、それらは民主党政権継続を前提とする議論だ。そして、「民主党による政権奪取は、より大きな日本政治の大移行期の『第一幕』に過ぎないのかもしれない。今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運が、そこにかかっている…」(p.103)という結びだけでは、建設的で具体的な展望は何も出てこない。「今後十年、いやもっと長いスパンでの日本の命運」がかかっているとは、すべての(基本的な?)政治事象について言えることではないのか?
 執筆を依頼されたテーマが「日本政治の大移行期」の具体的な展開内容の想定・予想あるいは<あるべき移行の姿>ではなかったためかもしれないが。
 なお、文藝春秋同号の立花隆の文章(p.104-)はこれまでとほとんど同じ内容の小沢一郎批判で、御厨貴よりもマシかもしれないが、新味に乏しい。立花隆、ますます老いたり、の感がますます強い。
 ③西村幸祐責任編集・撃論ムック/迷走日本の行方(オークラ出版)の中の、西村幸祐=三橋貴明=小林よしのり=城内実(座談会)「STOP!日本解体計画―抵抗の拠点をどこに置くのか」(p.6-)。
 これの方がまだ将来の具体的なことを語り合っている。
 しかし、小林よしのりが「『伝統保守』という理念の再生」の必要を語りつつ、「地道なやり方をつなげていって、大きな流れにするしかない…。一人二人が四人五人になる。そういう核が全国各地でいくつもできて、それがやがて大きなうねりになる。…」と(p.23)、日本共産党・民青同盟の拡大あるいは「九条の会」会員拡大の際してと似たような話ではないかと思われる程度の発言しかできていないのは、やはりなお大きな限界と歯がゆさを感じる。
 むろん抽象的には上のとおりかもしれないし、小林よしのりは一人で「『伝統保守』という理念の再生」のために数十(数百?)人以上の仕事をしているので、引き続いての健闘を彼には期待しておくので足りるとは思われるのだが。
 この座談会で城内実は、将来はA「日本の国益と伝統を大事にする保守主義の政党」、B「個人主義や新自由主義を打ち出す自由主義政党」、C「平和主義のリベラル政党」に「分かれていくのではないか」と発言している(p.21-22)。
 これ以上の詳細な展開はないが、この辺りを、その具体的な過程・方策も含めて、<保守>言論人または<保守>論壇には論じてもらいたいものだ。
 他人のことをとやかくいう資格はないかもしれないが、民主党(政権)を(厳しく?)批判しつつ、将来については何となく<様子見>の議論が多すぎるような気がする。その意味では、<保守>言論人・<保守>論壇にも大きく失望するところがある。  

0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。

 〇たぶん7月中に、水島総(作画・前田俊夫)・1937南京の真実(飛鳥新社、2008.12)を読了。
 〇1.小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)は一件を除いて最近三年間の『わしズム』の巻頭コラムをまとめたもので、既読のため、あらためてじっくりと読み直す気はない。
 
 但し、第六章「天皇論」とまとめられた三論考は昨日に書いたこととの関係でも気になる。また、①「天皇を政治利用するサヨクとホシュ」(初出2006秋)、②「皇太子が天皇になる日」(初出2009冬)につづく③「天皇論の作法」は、この本が初出(書き下ろし)だ。
 2.上の②は月刊文藝春秋2009年2月号のとくに保阪正康の文章を批判したもの。保阪正康をまともに論評する価値があるとは考えなくなっているが、あえて少し引用すると、「戦前の日本を悪とする蛸壺史観の保阪正康」、「馬鹿じゃないか! そんな妄想ゴシップは女性誌で書け!」、「天皇とは何かが全くわかっていない輩の戯れ言」、「…人格評価に至っては、自分の戦前否定史観に合わせて天皇を選ぶつもりかと、怒りを覚える」。とこんな調子だ。
 この論考の主眼は、「徳があるか否かが皇位継承の条件にはならない」、ということだろう(p.209)。
 さらには、「今上陛下が特に祭祀に熱心であるのは有名だが、皇太子殿下もその際には立派に陪席されているという。〔妃殿下への言及を省略するが-秋月〕そうなると皇太子夫妻共に何も問題はないのである」。
 これらに異論はない。次の文章もある。
 「70歳も過ぎた老知識人が、天皇について何ら思想した形跡もなく、大人が読むのであろう雑誌にゴシップ記事を書いていたり、祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな岩波新書がやたら評価を得ていたり、低レベルな天皇観が横行している…」。
 前者は保阪正康、「祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな」岩波新書の著者は原武史だろう。
 3.上を書いたのち小林よしのり・天皇論(ゴーマニズム宣言スペシャル、小学館、2009.06)が刊行された。これもすでに既読(この欄に記したかどうか?)。
 上の③「天皇論の作法」は上の本のあとの文章ということになる。そして、以下の<保守派知識人>批判が印象に残る。
 「日頃『歴史』と『伝統』を保守すべしと主張している保守派の知識人」は(少なくとも一部は)「自分は一般参賀に混じるような低レベルの庶民ではないと思っている。自分のような知的な人間は、天皇を論じるが、敬愛はしないといかにも冷淡である。敬宮殿下(愛子内親王)や悠仁親王殿下のご誕生の時も率直に寿ぐ様子がない。自分は庶民より上の存在だと思っている。庶民を馬鹿にしている」。
 「保守を自称する知識人たちとて、しょせんは戦後民主主義のうす甘い蜜を吸いすぎて頽落したカタカナ・サヨクに過ぎない」。皇太子妃・皇太子両殿下をバッシングして「秋篠宮の方がいい」と「言い出すのは、現行憲法の『国民主権』が骨がらみになっていることの証左である。戦後民主主義者=国民主権論者は、世論を誘導して皇位継承順位まで変えられると思っている」(以上、p.215-6)。
 なかなかに聞くべき言葉だと思われる。
 <保守派知識人>の中に「天皇論の作法」をわきまえず、天皇陛下や皇太子殿下(・同妃殿下)を<畏れ多く>感じることのないままに、<対等に>あるいは<民主主義・個人主義>的に論じる又は叙述する者がいることは間違いない。それは、彼らが忌避しているはずの<戦後民主主義>・<国民主権>・<平等原理>が彼らの中にもある程度は浸透してしまっているためだ、と小林とともに言うことは、ある程度はできそうに見える。
 小林よしのりは特定の氏名を記してはいないが、想定されているのは、まず、この本の途中でも批判の対象としている西部邁ではないか。ついで、西尾幹二ではないか(直接に西尾の皇室論を批判する小林の文章を読んだ記憶は今はないのだが)。
 この二人は博識だが、とくに西部はやたら外国の思想(・外国語・原語)に言及する傾向があり、その天皇・皇室観ははっきりしない。西尾幹二は現皇太子殿下等に対して、<上から目線>で説教をしているような印象の文章を書いており、(内容もそうだがこの点でも)違和感をもつ。私を含む<庶民>の多くもそうではないか。
 この二人は自らを<庶民>とは考えていないだろう。あるいは<庶民>の中の<特別の>存在とでも思っているだろう。
 他に、小林よしのりが想定しているかは不明だが、実質的には、昨年の月刊諸君!7月号における中西輝政や八木秀次も挙げることができる。
 中西自身が「畏れ多きことながら」旨を書いたような、現皇太子妃の皇后適格性を疑問視する言葉を中西輝政は明記した。
 八木秀次は、皇太子妃の「現状」?を理由として現皇太子が天皇に就位すれば宮中祭祀をしなくなると決めつけて(又は推測して)、天皇就位適格性を疑問視し、その方向での現皇室典範の解釈をも示した。
 上の二人の部分は、昨年に書いたことのほとんど繰り返し。
 何度も書いているのは、この二人の発言は必ずや「歴史」に残すべきだと思われるからだ。
 この中西輝政・八木秀次の二人にすら、<戦後民主主義・平等・個人主義>教育の影響が全くないとは言えないだろう。
 なお、前回言及した橋本明は<保守派知識人>とはいえず、共同通信の記者・幹部という経歴からすると、むしろ「左翼」心情性が疑われる。

0598/中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)は駄書。

 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)はひと月以上前に通読している。

 あらためて精読したわけでもないが、昨日ケルゼンを最初に持ち出したのはたぶん西部邁と書いたのは誤りで、中島岳志。
 中島はp.23で言う-「法」の「背景」には「自然法」や「慣習法」がある。「保守派」なら「実定法至上主義、あるいは制定法絶対主義」の立場は「本来、手放しではとれないはず」なのに、「東京裁判や戦争犯罪をめぐっては、きわめて純粋法学のハンス・ケルゼンの立場、あるいは法実証主義と言われる立場で東京裁判批判を展開するという転倒が起きている」。
 きわめて不思議に思うのだが、中島は法学または法理論なるものについて、これまでにどれだけの基礎的素養を身に付けているのだろうか(まさかウィキペディアで済ませていると思ってはいないだろう)。
 経歴を見ると、中島岳志は法学部又は大学院法学研究科で「法学」の一部をすらきちんと勉強してはいない。むろんそのような経歴がなければ法学・法理論について語ってはいけないなどと主張するつもりはない。
 しかし、上のような論述を平気で恥ずかしげもなく公にできる勇気・心臓には敬服する。

 そもそも、第一に、少なくとも「慣習法」は「法」の「背景」にあるものではなく、すでに「法」の一種だ。「自然法」となると「法」の一種かについて議論の余地があるが、「法」の「背景」につねに「自然法」があるとは限らないことは-中島は別として-異論はないものと思われる。
 第二に、「きわめて純粋法学のハンス・ケルゼン」という言い方は奇妙な日本語文だ。「純粋(法学)」に「きわめて」という副詞を付ける表現自体に、法学やそもそものケルゼンについて無知なのではないか、という疑問が湧く。
 上に続けて中島は言う-「保守派」なら「道徳や慣習、伝統的価値、社会通念は『法』と無関係であるという法実証主義をこそ批判しなければなりません。…しかし、パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している」。
 この中島岳志は、①「法実証主義」(Rechtspositivismus)というものの意味をきちんと理解しているのだろうか。②「保守派」は、「法実証主義」を批判する(すべき)というが、では「左翼」は「法実証主義」者たちだ、ということを含意しているのだろうか。③そもそも「(自称)保守派」は「全面的に」「法実証主義」の立場で東京裁判を批判している、という論定は正しいのだろうか。
 じつはこの二人のこの本はほとんど読むに値しないと私は感じている。法学や国際法のきちんとした又は正確な知識・素養のない二人が、適当な(いいかげんな)概念理解のもとに適当な(いいかげんな)議論・雑談をしているだけだ、と思っている。講談社が月刊現代を休刊させるのも理解できるほど(関係はないか?)、講談社現代新書のこの企画はひどい。
 (朝日新聞社と毎日新聞社が授賞したという、もともとの中島岳志の本もじつは幼稚で他愛ないもので、授賞は<政治的>な匂いがある。)

 中島岳志に尋ねてみたいものだ。①現在の日本において、つまり現行日本国憲法のもとで「法実証主義」は採用されるべきものなのか、そうではないのか? 「法実証主義」なるものは、一概にその是か非かを答えることができないものであるのは常識的ではないのか(従って、その賛否が左翼-保守に対応するはずもない)。
 ②現憲法76条3項は
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定する。この裁判官は「良心」と「憲法及び法律」に拘束される(~に「従う」べき)という規定を、中島岳志は、「法実証主義」という概念を使ってどのように説明・解釈するか?

 幼稚な理解に立った(この人は誰から示唆・教示を受けたのか知らないがケルゼンを理解できていないと思う)、長講釈など読むに耐えない。
 上の中島の文章は東京裁判にまだ関係させているが、のちに西部邁はp.160で次のように言って論点をずらしている、あるいは論点を拡大させている。
 「日本の反左翼」は「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」を「受け入れるのか否かはっきりしていただきたい」。「法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」を「自称保守派」が採るというなら、「保守」ではなく「純粋の近代主義(左翼)」に与していることが明瞭になる。
 東京裁判批判者が「法実証主義」に立っているという前提的論定自体に議論する余地があるが、それは措くとしても、「法実証主義」とは「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」であるかの如き表現・理解だが、そもそもこの立論又は理解自体が適切なのだろうか。例えば、「法」(「実定法」でもよい)の中に「道徳や慣習」が(一部にせよ)含まれていることは当然にあり、そのことまで「法実証主義」は否定しないだろう。

 60年安保前にマルクスの一文も読まないまま日本共産党入党を申し込んだらしい西部邁は法学部出身のはずだが、まともに法学一般をあるいはケルゼンを理解しているのだろうか。平均人以上には幅広い知識・素養にもとづいて、しかし、厳密には適当ではないことを語っているように見える。
 それに何より、「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」に賛成するのか否かという問題設定・問いかけを(「反左翼」に対して)するようでは、パール意見書にかかわるより重要な論争点から目を逸らさせることになるだろう。こんな余計なことを書いて(発言して)いるから、小林よしのりや、さらに東谷暁による、瑣末な論点についての時間とエネルギーを多分に無駄にするような文章が書かれたりしているのだ。
 もっと重要な論点、議論すべき点が、現今の日本にはあるのではないか。
 八木秀次や西尾幹二のような者たちが、皇室に関する(しかも現皇太子妃に相当に特化した)議論に<かなり夢中に>なっているのも、気にかかる。
 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社)のような駄書が出版されたのも、日本にまだ余裕があることの証左だと、納得し安心でもしておこうか。

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