秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

衆愚政治

0306/朝日等マスコミにより操作された投票行動-参院選結果をうけて。

 2007年7月の参議院選挙は、「安倍改革」と日本の国家的自立を妨害し、遅らせ、どの程度になるかは今は解らないが、日本の政治に大きな混乱をもたらした結果を生んだものとして、歴史に残るだろう。
 一年半前に自民党に衆院で300以上/480の議席を与えたのと(ほとんど)同じ有権者が今度は自民党を「大敗」させる。大衆民主主義とは、そして「衆愚政治」とは、かくも<気まぐれな>有権者を主人公にしているのだ。
 <無党派層>といえば少しは格好がよいが、要するに<浮動層>であり、<定見がない>層だ、と言ってもよい。もっとも、<定見>を持てないのは有権者にのみ責任があるのではなく、<政治の対立軸>を明瞭に示すことのできない政党・政治家の責任も大きい。
 自民党もある程度はそうだが、民主党とはそもそも基本的にいかなる理念をもつ政党なのか。この<寄せ集め>政党は統一的に何を目ざしているのかがさっぱり分からない政党だ。この党の勝利は自民党>安倍政権への<不満・怒り>の受け皿になったということだけが理由で、民主党の何かの基本的政策が積極的に国民多数の承認を受けた、などと今回の選挙結果を理解することは大間違いだろう。
 次の衆院選で民主党は政権交代を目指すのだという。開票時にテレビに出てこれない健康状態の小沢一郎がそのときまで代表を務めていることはおそらくないだろう。それどころか、この政党はそれまでに、分裂・瓦解するように思われる。たんに<反自民党>という性格だけでは、長く維持・継続できる政党だとは思われない。安保防衛・憲法問題で全体が一致できる基本的政策を立てられる筈がない。ということは、いずれ、内部に種々の亀裂が走り始める、ということだ。それなくして、万が一にでもたんに<反自民党>というだけの政権ができてしまえば1993年の細川護煕政権の二の舞で、再び<空白の~年>を経験しなければならなくなる。日本にそんな時間的余裕はない。
 さて、とりわけ<気まぐれな無党派層>による投票をプラスして民主党が勝利した原因は、<気まぐれな無党派層>を対象とした周到な<策略>にあった、と思われる。
 それは簡単には、朝日新聞+民主党・小沢一郎+社会保険庁労組(2007.04前後で名称は異なる)による策略だ。
 朝日新聞が、自民党というだけではなく安倍晋三率いる内閣だからこそ<私怨>をもって、安倍退陣に追い込むほどに自民党を大敗させてやろうと考えていたのは明瞭なことだ(この点はこれまで何度も書いた)。これに、安倍氏個人への<私怨>はないものの、仲間の毎日・日経や東京新聞、地方の県紙を支配する共同通信も結果として協力したものと思われる。
 小沢一郎は見事に<年金問題>を最大の争点化した。これに呼応して「消えた年金」という不正確なフレーズを用いて有権者大衆を惑わせたのは朝日新聞を筆頭とするマスコミだった。消えたのは年金そのものではなく、年金関係文書(記録)だった。
 また、民主党は社会保険庁労組から情報が入手できるという有利な立場にあった。民主党の長妻某議員が熱心に調査してうんぬん…という記事又は主張もあるようだが、社会保険庁労組内部の民主党を支持する活動家民主党員そのものである可能性も高い)から、政府・厚労省・社会保険庁上層部も知らないような具体的・詳細な情報が入手できたのだ。だからこそ、細かい数字に関する国会質問も可能で、政府側の方が遅れをとっている印象(事実そうだったかもしれない)を与えることができた。
 そのような情報を民主党に流した社会保険庁労組から見れば、屋山太郎が指摘していたように、選挙結果までの一連のできごとは(但し、安倍首相は退陣しないだろうが)、社保庁労組による<自爆>と表現してよい面がある。より正確には<安倍内閣道連れ自爆>であり、<安倍内閣との無理心中>の試みだ。
 所謂<年金問題>の発生前に、すでに安倍内閣は社会保険庁解体・職員非公務員化「日本年金機構」法案を国会に提出していた。昨年までにとっくに社会保険庁の金の使い方・仕事ぶりには<すこぶる>付きのヒドさがあることが明らかになっていたからだ。
 いったん解体され、新機構に再雇用される可能性が疑わしい労組活動家は焦ったに違いない。どうせ解体され、あるいは少なくとも公務員としての「甘い」仕事ぶりを続けられなくなることが必至と悟った彼らは、自分たちの仕事ぶりのヒドさをさらに暴露すると共に(あれほどとは殆どの人が気づいていなかった)、それと引き替えに国民の批判を行政権の長=安倍首相→自民党に集中させることを策略したのだ。
 この策略に朝日新聞が飛びついたのは言うまでもない。
 むろん、安倍内閣の側にもつつかれてよい問題はあった。閣僚の諸失言、事務所経費問題などだ。だが、こうした(本質的でない些細な)問題を大きく取り上げたのは朝日新聞等のマスコミだ。閣僚の講演会・演説会には、問題発言が出ないかと待ち受けている朝日新聞の記者又は朝日新聞に頼まれた者が<常在>していたのではなかろうか。
 税金が出所でもない事務所経費の問題は異常な取扱い方だった。政治家の活動の中には公にはしたくない形でかつて地方公務員について問題になったような食糧費・交際費支出にあたるものを伴うものもあると思われる。一円以上の領収書を全て公開することにして、いつどこの店にいた、場所にいた、ということが分かってしまえば政治家としての活動はしにくくなるのは目に見えているのではないか。この後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)にはこれだけの金銭を、別の後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)には異なるこれだけの金銭を使った、ということがすべて明らかになって、政治家・国会議員として円滑に仕事ができるのだろうか。地方自治体の行政公務員について以上に、そうした側面があることに留意すべきだろう。
 朝日新聞は、橋本五郎のいる読売新聞でもよいが、自社の記者の情報収集のための経費支出について、一円以上の領収書をすべて国民に開示することによって、すべて明らかにしてみせることができるだろうか。
 一方で、民主党に不利になるような情報は大きくは取り上げられなかったと思われる。某議員への朝鮮総連からの献金問題小沢一郎の政治資金による不動産保有問題小沢一郎の国会出席(記名投票参加の程度)の少なさ問題等々だ。この最後の問題は、かりに朝日新聞が反小沢の立場・政略を採っていれば、第一面に大きく載せて批判的に取り上げたのは間違いないのではないか。
 かくして年金・政治とカネ・格差等の民主党が争点としたいテーマがそのまま新聞に大きく取り上げられ、テレビニュースで語られるようになった。
 朝日新聞は選挙前の少なくとも二ケ月間、反安倍の<政治ビラ>を毎朝・毎夕、700万枚も蒔き続けた。毎日・東京等、共同通信支配の地方紙も合わせれば、その倍はあっただろう。毎日千数百万枚である。これにテレビ報道が加わる。
 産経新聞は他マスコミの報道ぶりの異様さを感じたのだろう。終盤で<何たる選挙戦>との連載記事を1面上に持ってきた。
 読売新聞はどうだったか。投票日7/29の1面左には橋本五郎・特別編集委員の「拝啓有権者の皆さんへ」を載せていちおうまともなことを言わせている。社説も朝日に比べればはるかに良い。だが、1面右を見て唖然とする。大きく「参院選きょう投開票」とあるのは当然だろうが、そのすぐ右に白ヌキで大きく「年金」「格差」「政治とカネ」と謳っているのだ。これをこの三つが(最大の)争点なのだと(読売は考えている)と理解しない読者がいるだろうか
 橋本五郎が何を書こうと、社説で何を主張しようと、文章をじっくりと読む読者と、1面は見出しを眺めた程度の読者とどちらが多かっただろうか。少なくとも過半は、「参院選きょう投開票」のすぐ右に白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉のみを見たかそれの方に影響を受けたのではないかと思われる。そして、読売新聞の読者でも民主党に投票した者は相当数に上るだろう。
 読売7/30社説で「国政の混迷は許されない」と主張している。読売の社説子や論説委員に尋ねてみたいものだが、読売新聞自体が「国政の混迷」を生み出すような、少なくともそれを阻止する意図のない、紙面づくりをしたのではないか。もう一度書くが、投票日の読売の1面最右端の見出し文字は白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉だったのだ。
 よくもまぁ翌日になって、「国政の混迷は許されない」などと説教を垂れることができるものだ、という気がする。
 読売は、いったい何を考えているのか。官僚界・一部知識人を通じて<反安倍>気分が少しは入っているのではなかろうか。何と言っても1000万部を誇る新聞紙だ、その影響力は大きいと思うが、結果としては、朝日新聞と似たような役割を(少なくともかなりの程度は)果たしてしまったのではないか。この新聞社が安倍内閣をどう位置づけ・評価し、日本国家・社会をどういう方向に持って行きたいと考えているのか、私には、少なくとも極めて分かりにくかった。まっとうな<保守>路線と<大衆迎合>路線とが奇妙に同居しているのではないか。
 昨夜の開票作業に伴う各放送局・マスメディアの報道・コメントぶりを一部ずつ観ながら、ある種の滑稽さを感じざるをえなかった。自分たちこそが醸成した雰囲気によって大まかなところでは予想していた結果を、たんに確認し、なぞっているだけではないか。まるで、シナリオ・脚本のある芝居のようだった
 事実はマスコミによって大きくも小さくも伝えられ、場合によっては全く報道されず、あるいは歪曲して伝えられる
 朝日新聞が報道している<事実>を<朝日新聞的事実>と称するならば、<朝日新聞的事実>の報道が全くなされなくなるか、又は<朝日新聞的事実>を無視し信用しない有権者が大多数を占めるようにならないと、似たようなことが繰り返される可能性がある。
 そもそも国政選挙とは<タレントの好感度(「イメージ」の良さの順位による)投票のようなもの>なのか。そのような投票行動に国民を煽り立てたのは誰なのか。
 とりあえず、選挙後第一回はこのくらいに。

0295/小沢一郎とは何者か。同・日本改造計画(1993)を読む-その1。

 小沢一郎という人は、1.十数年前の考え方を今はすっかり変えてしまったか、2.変えてはおらず現在はウソをついているか、のいずれかだろう。
 小沢一郎・日本改造計画(講談社、1993)とは、大きな古書店には4、5冊も並んでいる、小沢が自民党を脱党した頃に出した本だ。この本には、大嶽秀夫の本を紹介する中でも言及し、大嶽のおおよその理解も紹介した(7/17)。
 この本のp.252にはこんな文がある。
 「民主主義の前提が日本人に欠けたまま…実際には民主主義が根づかないまま現在に至っている。…民主主義の土壌をつくるはずの戦後教育も、その使命とは裏腹な方向に進んできたのではないだろうか。自己の確立どころか、非行・犯罪の増加、学校と家庭での暴力、麻薬やエイズの拡大など、青少年の自己の崩壊さえうかがわせる問題が深刻化しているのが現状である。教育がこうした荒廃状況と無関係であるとは、誰も断言できまい。教育改革を断行しなければならない」。
 第一に、こう書いたこの人が現在率いる政党は、なぜ自民党の教育基本法改正案に反対投票したのか。なぜ教育再生関係三(四)法案に反対したのか
 考え方が変わっていないとすれば、自民党に同調だけはしないという<党利党略>のために反対したのだ。理念と行動が一致しないこの人物を私は全く信用していない
 ついでに第二に、上では日本の「民主主義」の未成熟さを嘆いているが、カネにかかわる、<大衆(衆愚)>に解りやすい問題を選挙の争点化し、<生活が第一>などという<大衆(衆愚)>の心に一番響きそうなキャッチフレーズを採用したのはいったい誰なのか
 この小沢という人物は、日本人の<弱点>あるいは<大衆民主主義>=<衆愚政治>の問題点を熟知しつつ、あえて、その弱点を衝いた問題を争点とし、最も<大衆(衆愚)>受けしそうなスローガンを掲げているのだ。
 彼の少なくともかつての考え方が<生活が第一>などと要約できるものでないことは、別の機会に書くだろう。
 小沢という人物は、本気・本意を胸の裡に隠した<策士>だ。さすがに<選挙上手>と言われるだけのことはある。
 すでに読んだ大嶽の本に依れば、小沢一郎とは、かつては、地域・地元利益(自民党)、職業(=公務員・組織労働者)利益(社会党)という<集票構造>を壊そうとした人物ではなかったか。
 それが今はどうだ。街頭にあまり立たず、労働組合の本部や農業団体の事務所をこまめに回って地域・地元利益も職業(=公務員・組織労働者)利益も代表しようとしている。
 この人物を私は全く信用しない。この人の言葉と本音はおそらく全く違う。<政略家>に騙されてはならないだろう。こんな<政略家>が率いる政党を支持し勝利させることは、日本に歴史的な禍根を遺すだろう。

 

0017/民主主義は本質的に、民衆とメディアを俗悪化させ、政治を腐敗させる。

 「民主主義」に特段の大きな疑問を持たなかった頃は、選挙の際の投票率は民主主義の成熟度、日本人の政治的成熟度を示すもので、例えばドイツと比べてのその低さは日本人の「未熟さ」を示していると思えて、嘆きたい気分があった。だが、昨日も言及した中川八洋の本を読んで、少しは変わった。長谷川三千子の新書・民主主義とは何なのか(文春新書、2001)でも知ったのだったが、民主主義はもともとは悪いイメージの言葉だった。すなわち、デモ・クラツィアとは<正しい判断のできない愚弄な大衆の支配>が元来の語義で、排斥されるべきものだった(中川は「民主主義」との訳は誤りで、イズム=主義ではなく「民主制」又は「民衆参加政治」が正しい旨を書いているが恐らくその通りだ)。だが、良きものとして民主主義が採用された以上、「衆愚政治」になる可能性があるのはその本質上明らかなことだ(単なる危険・逸脱ではなく、民主主義の理念そのものが内包している)。
 可能性どころか、現実にすでにそうなっているともいえる。私は小泉純一郎に好悪いずれの感情も持たないのだが(むろん宮本顕治・不破哲三よりは好感をもつが)、一昨年の小泉自民党圧勝は「正しい判断のできない愚弄な大衆」の感情をたまたま?巧く掴んだ者たちの勝利だった、というのは完全な間違いだろうか。
 中川八洋の本p.312-3は平等主義と結合している民主主義は本質的に、大衆を、そして大衆を相手とする「ジャーナリズム界」を「俗悪化」させる、と説く。全面的に誤った指摘では少なくともないだろう。
 もう少し詳しく正確に引用するとこうだ。-「デモクラシーは平等な教育と門地による差別の完全撤廃を伴うから(大学などの)高等教育機関や(新聞・テレビの)ジャーナリズム界につねに「大衆」そのものの疑似知識層を大量に輩出させる」。「これにより…国民全体の精神を野卑の方向に大幅に低下させる教育と煽動がさらに行われるので、俗悪化はますますひどくなる」。「これらの疑似知識層は「大衆」の精神を昂めず逆に卑しくさもしい欲望のみを刺激し、煽動する」。「これらの疑似知識層こそ…あたかも向上の道を説くかの演技(スタイル)をしつつ、心底ではみずから個人の利己一点張りで…、政治の品格をより下降せしめる。また、彼らには公共心は欠如して存在しておらず、現に彼らの「主張」は、…政治を、必ず腐敗に導く働きしかしていない」。
 確認しておけば、ここでの「大衆」から生まれた「疑似知識層」とは、大学等や新聞・テレビ等に「巣くっている」教員やジャーナリストだ。
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