秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

血筋

2759/江崎道朗の「血筋」・「家系」観。

  江崎道朗はかつて、「日本会議専任研究員」という肩書きで月刊正論(産経新聞)に執筆していた。私がこの雑誌を読み始めた頃は、「評論家」になっていた。日本会議の専任研究員になる前は、日本会議の有力構成団体である日本青年協議会の月刊誌『祖国と青年』の編集長をしていた。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 この新書は秋月瑛二の<産経新聞的・保守>に対する不信を決定的なものにした記念碑的?著作だった。この書については多数回、すでに触れた(まだ指摘したいことはあったが、アホらしくなってやめた)。
 上の江崎書が相当に依拠していたのは、つぎだった。
 小田村寅二郎・昭和史に刻む我らが道統(日本教文社、1978)。
 小田村寅二郎(1919〜1999)は、「日本教文社」という出版元からある程度は推察されるだろうように、かつての<成長の家>関係者だった(この組織の現在の政治的主張はまた別のようだ)。
 江崎道朗が依拠する聖徳太子理解を小田村が戦前に執筆したのは戦前の<成長の家>の新聞か雑誌だった。
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  今回に再び述べたいのは、以上のことではない。
 江崎道朗の「血筋」・「血族」または「家系」に関する単純な感覚を、その小田村寅二郎への言及の仕方は示している。
 すなわち、江崎は、上の新書の中で少なくとも4回、繰り返して、つぎのように小田村を紹介または形容した。
 小田村は「吉田松陰の妹の曾孫」だった。
 一度だけならよいが、短い頁数の中に、小田村を形容する常套句のごとく、上の言葉が出てくる。
 これはやや異常であるとともに、「吉田松陰」の縁戚者であることをもって、小田村の評価を高めたいからだろう。そのような「血族」または「家系」の中に位置づけられる「きちんとした」人物だ、と言いたいのだろう。
 しかし、まず、「吉田松陰」を相当に高く評価している者に対してのみ通用する言及の仕方だ。この前提を共有しない者にとっては、何の意味もない。
 ついで、「吉田松陰の妹の曾孫」なのだから、松陰の直系の子孫ではない。妹の三世の孫というだけだ。実際のことだとしても、松陰は小田村の曾祖母の兄なので、親等数で言うと5親等離れている。
 だが、そもそもの疑問は、いったいなぜ、曾祖母の兄が松陰だということが小田村寅二郎の評価と関係があるのか、だ。
 ある人物の評価を過去の5親等離れた者の評価と関係づける、という発想自体が、私には異様だと感じられる
 かつまた、きわめて危険だと思われる。
 吉田松陰は当時の犯罪者であり刑死者でもあったが、松陰に限らずとも、一般論としてつぎのように言い得るだろう。
 5親等離れた者の中に犯罪者がいる(あるいは死刑になった者がいる)ことをもって、その旨を探索して、その人物を非難する、貶める、ということは許されるべきではない。江崎道朗の発想と叙述は、このような思考方法、人物評価方法の容認へと簡単につながるものだ。
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  江崎道朗の影響を受けた者に、つぎの人物がいる。
 竹内洋(1942〜)。京都大学名誉教授。
 竹内洋は<知識人と大衆>主題とする書物を多数刊行している。不思議だとかねて思ってきたのは、竹内は自分が「知識人」の中に含まれることをおそらく全く疑うことなく、叙述していることだ。新潟県佐渡から京都大学に入ったことだけではまだ「知識人」と言えないとすると、(とくに文科系の)大学教員であることをもって、「知識人」だと自己認識しているのだろうか。
 この竹内洋は、上記の江崎道朗書の「書評」を産経新聞に掲載した(2017年9月)。
 「伝統にさおさし、戦争を短期決戦で終わらせようとした小田村寅二郎(吉田松陰の縁戚)などの思想と行動」を著者・江崎は「保守本流」の「保守自由主義」と称する。この語はすでにあったが、これを「左翼全体主義と右翼全体主義の中で位置づけたところが著者の功績」。
 このように江崎書の「功績」を認めるのも噴飯ものだが、ここで注目すべきは、つぎだ。
 「小田村寅二郎(吉田松陰の縁戚)」
 竹内洋は、さして長文ではない文章の中で、わざわざ、小田村は「吉田松蔭の縁戚」者だと書いているのだ。5親等離れた「縁戚」者なのだが。
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  「血族」、「家系」あるいは「縁戚」という意識・感覚というのは、なかなかすさまじいものだ。
 竹内洋は、江崎道朗もだが、以下の事例をどう感じるのだろうか。他にも、多様な事例があるものと思われる。なお、「縁戚者」の「自殺」の動機を、私は正確に知っているのではない。
 ①1972年2月、<浅間山事件>を起こした連合赤軍の活動家の一人の「父親」が—直近の「縁戚」者だ—、その一人の逮捕・拘束の前に、滋賀県の自宅で自殺した。
 ②2021年6月、<和歌山カレー毒殺事件>の犯人として死刑判決を受けて拘禁中の者の「長女」が—直近の「縁戚」者だ—、その娘とともに大阪湾に飛び降りて自殺した。
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2754/八木秀次の<Y染色体論>③。

 八木秀次の<Y染色体>論は、さしあたり結局は、①男子の天皇であれば「Y染色体」を持っている、②「Y染色体」を持っていてこそ天皇であり得る、という二つのことの「堂々めぐり」の議論だ。「男子」だけが天皇になれる、という結論を、「染色体」という科学的?概念で粉飾したものにすぎない。
 しかも、男女の生物的区別にとって決定的であるのは、「染色体」ではなく、「遺伝子」の種別の一つだ(Sry遺伝子と称される)。八木は、染色体、DNA、遺伝子の三つの違いをおそらくは全く知らないし、気にかけてもいないようだ(2005年の書であっても)。
 だが八木も、女性天皇が存在したことを無視できないようで、その理由・背景を「男性天皇」へ中継ぎするための一時的・例外的な存在だった等々と述べている。この主張に対しては、持統から孝謙・称徳までの女性天皇について、秋月瑛二でも十分に反論することができる。
 しかし、<Y染色体>論との関係に限って言うと、女性天皇であれば「Y染色体」を持たなかっただろうから、八木の元来の主張からすると彼女たちは天皇になる資格がなかったはずなのであり、八木の議論はここですでに破綻している。
 そこで八木は、皇位は「男子」ではなく「男系」で継承されてきた、と主張して、論点を少しずらしている。歴史上の女性天皇は全て「男系」だ、つまり「男性天皇」の「血」を引いている、というわけだ。この主張についてもいろいろと書きたいことはある。既述のことだが、皇族であって初めて天皇になれると圧倒的に考えられていた時代(推古まで遡ってよい)に、女性天皇の「血」をたどればいずれかの男性天皇につながる(=「男系」になる)ことは当然ではないか。
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 あらためて、八木秀次の主張を引用しておく。平成年間に書かれているので、天皇は「125代」になっている。
 「125代の皇統は一筋に男系で継承されてきたという事実の重みは強調しても強調しすぎることはあるまい」。
 「125代にわたって、唯一の例外もなく、苦労に苦労を重ねながら一貫して男系で継承されたということは、…、動かしてはならない原理と言うべきものである」。
 これらはまだよい。しかし、つぎのように、125代の初代は「神武天皇」と明記され、「神武天皇の血筋」が話題にされ出すと、私はもう従いていけない。
 「そもそも天皇の天皇たるゆえんは、神武天皇の血を今日に至るまで受け継いでいるということに尽きる」。
 「天皇という存在は完全なる血統原理で成り立っているものであり、この血統原理の本質は初代・神武天皇の血筋を受け継いでいるということに他ならない」。
 以上では、(神武天皇の)「Y染色体」ではなく、その「血」・「血筋」という語が用いられる。「血」とはいったい何のことか。
 この「血」の継承(「血統」・「血筋」)は、つぎのように、より一般化されているようだ。「昔の人たち」とは、どの範囲の人々なのだろうか。
 「昔の人たち」は「科学的な根拠」を知って「男系継承」をしていたのではない。「しかし、農耕民族ゆえの経験上の知恵から種さえ確かならば血統は継承できる、言い換えれば、男系でなければ血を継承できないということを知っていたのではないかと思われる」。
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 上に最後に引用した文章は、つぎのような意味で、じつに興味深く、かつ刮目されるべきものだ。
 染色体や遺伝子、DNA等に関係する生物学・生命科学の文献を素人なりに読んできて、秋月瑛二は、自分の文章で再現しようと試みてきた。
 読んだ中には当然に、「遺伝」に関するものがあった。
 逐一に根拠文献を探さないが、「遺伝」、ここでは子孫への形質等の継承に関して(おそらく欧米を中心に想定して)、つぎのような、古い「説」があった、とされていた。
 ①父親の「血」と母親の「血」が混じり合って(受精卵となって発育して)一定の「子ども」ができる
 ②父親の「種」(精子)が形質等の継承の主役であり、母親は「畑」であって、その母胎内で保護しつつ栄養を与えて発育させ、一定の「子ども」ができる
 他にもいくつかの「仮説」があったと思うが、上の二つは、せいぜい19世紀末までの、<古い>かつ<間違った>考え方として紹介されていた。
 上の最後に記した八木秀次の文章は、この①・②のような、かつての素朴な(そして間違った)理解の仕方を表明しているものではなかろうか(なお、「農耕民族ゆえの経験的知恵」というものの意味も、さっぱり分からない)。
 「種さえ確かならば血統は継承できる」とは、まさに②の考え方を表現しているのではないか。この部分には、きわめて深刻な問題があると考えられる。
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 ヒト=人間の「血液」の重要性の認識が、古くから生殖や「遺伝」についての考え方にも影響を与えた、と見られる。日本に「血統」、「血筋」等の語があり、英語にも「blood line」という言葉がある。
 確かに「血液型」(ABO)のように両親からの「遺伝」の影響が決定的に大きいものある。
 だが、生命科学、ゲノム科学等の発展をふまえて、あいまいな「血」・「血筋」・「血統」・「血族」等の言葉の意味は再検討あるいは厳密化される必要があるだろう。
 遺伝子検査、さらには<ゲノム解析>でもって、遺伝子または「ゲノム」レベルでの親近性から病気・疾患の原因を探ったり、将来の可能性をある確率で予測する、といったことがすでに行われている。「遺伝」に関する科学的知見のつみ重ねは、この数十年ですら、あるいは八木が上のようの書いたこの数十年でこそ、著しいものがある。
 そういう時代に、「血」・「血統」・「血筋」といった言葉を単純幼稚に用いていると見られる、八木秀次の議論の仕方はふさわしいものだろうか。
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