秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

藤田幽谷

2296/西尾幹二批判016—同・あなたは自由か(2018)⑥再掲。

 西尾幹二における諸欠陥については、同じようなことを何度もくり返して指摘してきたし、これからもそうする必要がありそうだ。
 考え・思い、思いつき・ひらめき、これらを言葉によって表現する行為を行う者が「思想家」と称されるのならば、私も含めて、言葉を用いる全ての人間が「思想家」になる。
 以下において、「自由」とはいったい何のことか。No.2149/2020/02/15のそのままの再掲
 **
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 西尾幹二に、<あなたは自由か>と問う資格があるのだろうか。
 西尾には、<あなたの「自由」とはどういう意味か>、と問う必要がある。気の毒だ。
 ①p.81-「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかったのです。/彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。
 ②p.205-「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。
 ③同上-「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。
 ④同上すぐ後-「私たちもまた天皇を背にして、<中略>…ローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」
 ***

2256/池田信夫ブログ018・西尾幹二批判005。

 
 池田信夫ブログ2020年7月14日付は同20日予定の「ブログマガジン」の一部のようなので、全文を読んでいるわけではないが、すでに興味深い。
 タイトルは「『皇国史観』という近代的フィクション」
 ときに、またはしばしば見られるように、紹介・論及する書物に書いてあることの紹介・要約なのか池田信夫自身の言葉・文章なのか判然としないが、片山杜秀・皇国史観(文春新書、2020年4月)を取り上げて、池田はまずこう書く。そのままの引用でよいのだが、多少は頭の作業をしたことを示すために箇条書きするとこうだ。
 ①「万世一系の天皇という概念」ができたのは明治時代だ。
 ②「天皇」は「古代から日本の中心だったという歴史観」は徳川光圀・大日本史に始まるが、一般化はしていなかった。
 ③その概念・歴史観を「尊王攘夷思想」にしたのは「19世紀の藤田東湖や相沢正志斎などの後期水戸学」だ。
 ④明治維新の理念はこの「尊王攘夷」だったという「話」は「明治政府が後から」つくったもので、「当時の尊王攘夷は水戸のローカルな思想」だった。
 ⑤この思想を信じた「水戸藩の武士は天狗党の乱で全滅」、長州にこれを輸入した「吉田松陰も処刑」。そのため、戊辰戦争の頃は「コアな尊王攘夷派はほとんど残っていなかった」。
 ⑥「水戸学」=尊王攘夷思想の最大の影響は、徳川慶喜(水戸藩出身)による「大政奉還」というかたちの「政権」投げ出しだったかもしれない。
 ⑦これは「幕府の延命」を図るものだったが、「薩長は幕府と徹底抗戦した」。
 以下、省略。
 こう簡単にまとめて叙述するのにも、幕末・明治期以降の「神・仏」・宗教・「国家神道」や戦後の神道の「宗教」化あたりの叙述と同様に、かなりの知識・素養・総合的把握が必要だ。
 片山なのか、池田信夫なのか、相当に要領よくまとめている。
 仔細に立ち入らないが、上のような叙述内容に、秋月瑛二も基本的に異論はない。
 少し脱線しつつ付言すると、①水戸藩スペア説・水戸出身の慶喜が一橋家養子となっていたため「最後の」将軍になった、という偶然?
 ②「大政奉還」は全面的権力放棄ではなく(1967年末には明治新政府の方向は未確定で)、とくに「薩長」が徳川家との全面対決と徳川権力の廃絶を意図して「内戦」に持ち込み、勝利してようやく<五箇条の御誓文>となった(ついでに、この第一項は決して今日の言葉での「民主主義」ではない)。
 ③尊王攘夷の「攘夷」は<臆面>もなく廃棄されたが、それは「長州ファイブ」でも明らか。-上に「コアな尊王攘夷派ほとんど残っていなかった」とあるのは、たぶん適切。
 
 明治維新を含んでの、上のような辺りに関する西尾幹二の<歴史観>を総括し分析するのは容易ではない。これは、日本の歴史・「天皇」についての理解の仕方全体にも当然にかかわる(容易ではない原因の一つは、同じ見解が継続しているとは限らないことだ)。
 だが、西尾幹二にも、明治期以降に「作成」された、あるいは本居宣長等以降に「再解釈」された「歴史観」・「天皇観」が強く反映されていることは明瞭だと思われる。
 <いわゆる保守派>によくある、明治期以降の「伝統」が古くからの日本の「伝統」だと思い込んでしまう(勘違いしてしまう)という弊害だ。
 西尾幹二自身も認めるだろうように、「歴史」の<認識>は少なくともある程度は、<時代の解釈>による。明治期あるいは大日本帝国憲法下の「歴史観」(=簡単には「皇国史観」)という一つの「解釈」に、西尾幹二も依拠しているものと思われる。
 この点は、いくつかの西尾の書物によって確認・分析するだろう。
 上のブログ叙述との関係でいうと、池田信夫が、①藤田東湖ら「後期水戸学」の尊王攘夷思想は「ローカルな」ものだったが、②明治政権が明治維新の理念に関する作り「話」として「後から」作った、③但し、真底から?これを実践したわけではない、と述べている部分は(最後の③は秋月が創作した)、西尾幹二とかなり関係している。
 「自由」を肯定的意味でも用いることのある西尾幹二によると、藤田東湖の父親の藤田幽谷は、こう叙述される。あくまで、例。
 ①藤田幽谷が幕府と戦ったのは「あの時代にして最大級の『自由』の発現でした」。
 ②「徳川幕藩体制を突き破る一声を放った若き藤田幽谷…」。
 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)、p.205、p.379。前者に先立つp.181~に「後期水戸学」に関するかなり長い叙述がある。
 また、つぎの著は本格的に?、藤田父子を挟んで、水戸光圀から天狗党の乱までを叙述している。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封11-維新の源流としての水戸学(徳間書店、2015)
 このように西尾は藤田幽谷・東湖を高く評価している。但し、つぎの書には「水戸学」関係の叙述は全くないようなので、西尾が藤田幽谷・東湖らに関心を持ったのは、どうも2000年-2010年より以降のことのように推察される。
 西尾幹二・決定版/国民の歴史-上・下(文春文庫、2009/原著1999)。
 (ところで、西尾幹二全集第18巻/国民の歴史(国書刊行会、2017)p.765によると、「新稿加筆」を行い、上の「決定版」の三文字は外した、という。西尾『国民の歴史』には、1999年・2009年・2017年の三種類がある、というわけだ。「最新」のものだけを分析・論評の対象にせよ、ということであるなら、まともな検討の対象にはし難い。<それは昔書いたことで、今は違う>という反論・釈明が成り立つなら、いったん活字にしたことの意味はいったいどこにあるのか?)。
 さて、西尾幹二によるとくに「後期水戸学」の評価にかかわって、つぎの疑問が生じる。
 第一。西尾幹二は別途、「豊穣な」江戸時代、「すでに近代だった」江戸時代という像も提示していると思われる。
 西尾幹二・江戸のダイナミズム(文藝春秋、2007)。/全集第20巻(2017)。
 この書は本居宣長をかなり扱っている。しかし、珍しく「索引」があるものの、「水戸学」も「藤田幽谷」・「藤田東湖」も出ていない
 それはともかく、江戸幕藩体制を「突き破る」精神・理念を提供したという後期水戸学・藤田父子への高い評価と、上の書の江戸時代の肯定的評価は、どのように整合的・統一的に把握し得るのだろうか? 必ずしも容易ではないように思えるのだが。
 第二。池田信夫ブログにあるように、「尊王攘夷」思想が現実化された時期があったとしても、ごく短い時代に限られる。
 したがって、藤田幽谷ら→明治期全体、という捉え方をすることは全くできない。ましてや、藤田幽谷ら後期水戸学→「近代日本」という(少なくとも直接の)連結関係もない。
 余計ながら、明治時代こそ、現在の西尾幹二等々が忌み嫌う「グローバリズム」へと突き進んだ(またはそうせざるを得なかった)時代だった。「鹿鳴館外交」とはいったい何だったのか。
 したがって、今日において藤田幽谷らを「称揚」することの意味・意義が問われなければならない、と考えられる。西尾において、この点はいかほどに意識的・自覚的になされているのだろうか。
 そんなことはどうでもよい、と反応されるのかもしれない。とすれば、いかにも「西尾幹二的」だ。

2149/西尾幹二・あなたは自由か(2018)⑥。

 西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 西尾幹二に、<あなたは自由か>と問う資格があるのだろうか。
 西尾には、<あなたの「自由」とはどういう意味か>、と問う必要がある。気の毒だ。
 ①p.81-「幼くして親元を離れて上野駅に集まった『金の卵』の労働者たち」は、「一人前の大人」・「社会人」となるよう徹底的に叩き込まれた。「生きて、働いて、成功しなければならなかったのです。/彼らこそほかでもない、最も自由な人たちでした。」
 ②p.205-「完全な自由などというものは空虚で危険な概念です。素っ裸の自由はあり得ない。私は生涯かけてそう言いつづけてきました。」
 ③同上-「藤田幽谷は天皇を背にして幕府と戦いました。あの時代にして最大級の『自由』の発現でした。」
 ④同上すぐ後-「私たちもまた天皇を背にして、<中略>…グローバリズムに、怯むことなく立ち向かうことが『自由』の発現であるように生きることをためらう理由があるでしょうか。」
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