中西輝政が最近に読んだ何かの本の中で、情報=インテリジェンスの重要性に触れ、朝日新聞も重要な情報源として読んで(分析して)おく必要がある旨を述べていた。
 そのとおりではあるのだが、一私人にすぎない者にとって、資料として用いるために朝日新聞を定期購読する気にはなれない。無料で配達してくれるのならば、喜んで頂戴するのだが。
 従って、ネット上でこまめにフォローしていないと朝日新聞の重要な(面白い)社説すら見逃してしまう。産経新聞論説委員室編・社説の大研究(扶桑社文庫、2004)によると、朝日新聞は2001年に5度にわたって、小泉首相(当時)の靖国参拝に反対する社説を公にしたようだ。
 そのうちの二つめ(2001.07.05)は「総理、憲法を読んで下さい」と題し、近隣諸国への配慮「以上に心を砕くべきは」憲法20条との関係だとして、条文を引用し、「この認識が決定的に欠けているのではないか」とまで言っている。
 四つめ(2001.08.14)は「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある」と、ズバリ書いている(以上、p.305-6)。
 朝日新聞社発行のかつての月刊「論座」の編集長で、ときどきテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出ていた薬師寺克行も、朝日新聞社員だったから当然だろうが、「論座」編集部編・渡辺恒雄・若宮啓文(対談)/「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の「あとがき」の中で、首相の靖国参拝は「政教分離」や「信教の自由」という「憲法問題も絡んで」いる、と書いている(p.109)。
 靖国神社との関係でのこのような憲法20条解釈論は、憲法学界の通説ではおそらくないだろう。
 しかし、このような議論は一定の影響力を持っているようで、おそらく合憲・違憲の結論は朝日新聞とは異なるだろうが、自民党の稲田朋美産経新聞4/17の「正論」欄で、次のように書いていた。
 「首相の靖国参拝は、対外(対中韓)的には、いわゆるA級戦犯の問題に、対内的には、憲法20条3項の政教分離問題に帰着する」。
 弁護士資格をもつ稲田にして、と言いたいところで、憲法20条・「政教分離」問題とは無関係だ、と<保守>派の論者は断言しておくべきだろう。
 なぜなら、歴代の内閣総理大臣は、民主党内閣のそれらも含めて、毎年1/04あたりに伊勢神宮に参拝しているが、朝日新聞も含めて、どのメディアもこれを批判的には報道していないし、批判する国民の声というのも読んだり、聞いたりしたことはない。
 それだけ、「定着した」、憲法上の問題は何もない慣例として受けとめられているわけだ。
 しかして、伊勢神宮(正式にはたんに「神宮」)は、戦前は別だが、神道という特定の宗教のいわば総本山に他ならない(但し、「教派神道」という神社本庁に属さない神道系神社もある)。
 靖国神社もその宗教は「神道」なのであり、伊勢神宮はよくて靖国神社はいけない、という議論は、その「宗教」性・神道系宗教施設であることを理由としては全く成り立たないものだ。
 余計ながら、最近、民主党の小沢一郎が、大阪・住吉大社、奈良・大神神社、伊勢神宮の三社を続けて参拝したとされる。
 一政治家の行為だからもともと憲法問題を生じさせないが、小沢と「宗教」(ここでは「神道」)との関係について疑念を表明するメディア(報道・記事)は全くなかったはずだ。
 靖国神社についてだけ「宗教」(「神道」)との関係を問題にするのは異様だ。
 もちろん別に理由があるからこそ、朝日新聞らは首相の靖国参拝に反対しているのだ。余計な憲法論議を靖国問題にくっつけるな、と言いたい。関連させるならば、毎年の伊勢神宮参拝についても憲法上疑義があると主張すべきだ。何という<ご都合主義>なのだろうと、あらためて指摘しておきたい。