短いコラムのごときものだが、ジャパニズム08号(2012.08、青林堂)の、中書島亘の文章(p.174-5)には同感する。
「主に8月になると日本に限局して流行し、NHKやTBSあたりが感染源になることで知られる」感染症を「広島型平和熱」と呼んでいる。そして、この病気が慢性化すると「自虐史観症候群」という「根治不能な重病」に移行するので、この危険性を厚労省や国立感染症研究所は一刻も早く国民に周知徹底させるべきだ、と結んでいる。
「広島型平和熱」とか「自虐史観症候群」とかの造語が面白い。
今年はロンドン五輪のおかげで、例年ほどには感じなかったが、毎年8月が近づき、あるいは8月になると、NHKは「戦争」ものや「原爆」もののドキュメンタリーを多く放送するので、うんざりしてきた。もちろん、これらを扱っていることが理由ではなく、<扱い方>に理由がある。上の言葉を借用すれば、<自虐史観症候群>に陥るような番組作りがされているからだ。
「平和」それ自体にむろん反対しないが、あの戦争について、<日本が悪かった>、<日本は(道徳的・道義的にも)間違ったことをした>という「史観」を基礎にして、国家系放送機関が、特定のイメージを撒き散らしてほしくないものだ。
見ないようにしているから具体的な疑問を示せないが、戦争を体験した現在の老人(旧軍人を含む)の記憶を映像・録音に残そうとしても、現在のまたは<戦後の>戦争観(特定の、あの戦争についての見方)に影響されて、事実についての記憶やその評価は語られることになるのであり、戦争の経験者が語っているから、その評価も含めて、すべて<真実だ>ということには全くならない。
NHKの中には、長井暁のような「極左過激派」もいたし、現在もいて、「広島型平和熱」を発症させ、蔓延させようとしているようだ。NHKはましな番組も作っているが、とくに、こと「戦争」がテーマになると、公正・中立ではなくなる。
だからといって、民間テレビ局の方がマシというわけでもない。NHKのように金をかけて同種の番組を作り難いだけのことで、別の面では、NHKよりもはるかにタチが悪い。
ところで、「広島型平和熱」でも、文章を読めば意味はわかるが、とくに説明を施さなくとも、8月を中心にNHKが放送している「反戦・反原爆」ドキュメンタリー類の悪弊を表現できる、もっと的確な用語はないものだろうか。
自虐史観
西村幸祐責任編集・世界を愛した日本(撃論ムック、2009)の「中学歴史教科書2009年度版徹底比較」を読むと、自由社(・扶桑社)のものは問題もあるがおおむね合格点とされているのに対して、それ以外の教科書は厳しく批判されている。採点結果が最低なのは清水書院発行のものだ。
前回書いたような関心からすると、出版社ではなく、執筆・編修者(の代表者)名も記してほしかった。
上の点はともあれ、「左翼」的なひどい教科書で殆どの中学生が「歴史」を勉強していることを知り、背筋が寒くなった。
戦後64年、現在75-70歳以下の者たちは戦後「平和と民主主義」教育を受けてきた。すでに人口又は有権者の大部分になっている。
教科書検定にかかる<近隣諸国条項>の付いた検定基準ができたのは1982年末だった。
いちおう1983年を基準とすると、この年に中学生になった者の多くは1970年生まれ、高校三年生になった者は1965-66年生まれで、現在それぞれ38-39歳、44-45歳になっている。従って、<近隣諸国条項>のある検定基準にもとづく教科書で教育を受けたのは、おおよそ現在40歳代前半以下の者たちだ。
40歳代前半とはもはや<中年>に近い。そのような者たち以下の若い世代は、「団塊」世代よりもいっそう<自虐的>・<反日>的な教育を受けたようだ。
学校教育、正確には学校教育のための教科書がこれでは、狭くは<思想>戦、甘く言っても<イメージ>戦略で、「保守」派・「愛国」派はとっくに敗北している、と言ってよいような気がする。
成人になってから、かつて刷り込まれた<自虐>・<反日>意識を変えさせるのは(努力の意義を否定はしないが)相当に困難な作業だ。大学の「社会」系・「人文」系学部に進学することによって、ますます<自虐>・<反日>意識に磨きをかける?(=親マルクス主義的になる)者もいるに違いない(そして官界・マスコミ界・法曹界等に入っていくのだ)。
田母神俊雄・田母神塾(双葉社、2009.03)p.188-191によると(他の本でもよく引用されていると思うが)、某調査(アンケート)では、<戦争の際に「国のために戦う」>と答えたのは、中国76%、韓国72%、米国63%、フランス52%、そして日本15%。
<自国民であることに「誇り」を感じる>と答えたのは、米国・イタリア・韓国89%、フランス84%、中国76%、そして日本57%。
日本国民の日本国家に関する「意識」は異様だ。かかる意識の形成に間違いなく、中学校や高校の教育(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の教科書)は影響を与えている。怖ろしい。
このままではきっと、「日本」はなくなるだろうと、半分は諦め気味だ。
ところで、上の撃論ムック(オウク・ムック284号)では、「編集部」名による独特の「歴史認識」又は「歴史観」が展開されている部分があるように感じた。とくに<近代日本の「哀しみ」>の部分。機会・余裕があればいつか取り上げよう。
一 昭和の日。産経新聞4/29社説は「経済的繁栄」後の日本人は「結束」心や「価値観」を「再び忘れてしまったようだ」と書き、「憲法改正などいわゆる『戦後レジーム(枠組み)』からの脱却や、戦後に戦勝国から押しつけられた自虐的歴史観の克服」といった「『昭和』が先送りした問題も多い」と書く。
上の後段の「憲法改正」等の「戦後レジーム(枠組み)」からの脱却、「自虐的歴史観の克服」という課題を明示的に指摘しているのが注目される。産経新聞ならぱ当然なのかもしれないが、さっとこう明確に書けるのは素晴らしい。
他紙の「昭和の日」社説を読んでいないが、しかし、上のように明言するのは産経にとどまるだろう。そして、産経は新聞紙販売シェアでは10%に満たないこともあらためて知っておく必要がある。おそらく、読売がどういう見解に立つか(簡単には、朝日か産経のいずれか)によって、世論の動向は決定的に左右されるような気がする。読売も産経に同調してはじめて、朝日・毎日・日経連合に拮抗できるようになるのではないか。産経新聞だけでは、新聞というマスメディアの大勢的雰囲気を作り出せない。
二 週刊エコノミスト5/05・12合併号(毎日新聞社)の佐伯啓思「日本を真に豊かにするために『脱成長社会』の道を探れ」(p.96-97)を読む。
「物質的成長や物質的幸福、永遠の生命」を追求しない、「豊かな」「日本人の自然観、死生観、歴史観」という「原点に戻りたい」。/「貨幣では測れないものがある。もう少し伝統的なものを大事にしてゆったりして暮らしたらどうだろうか」。
「永遠の生命」を追求しないとは<生命=人生には限りがあると自覚する(諦念する?)>ことを意味しているのだろうが、精神的な意味での「永遠の生命」の追求を肯定する余地はあると思われるので、「永遠の生命」という語の使い方には若干の留保が必要だろう。だが、上の点を除いては、佐伯啓思の主張に全く異論はない。それは、「西洋の近代主義」(p.97)に立脚した「戦後レジームからの脱却」の主張とほとんど重なるだろう。
産経新聞4/28の佐伯啓思「日の蔭りの中で-文明の危機呼ぶ幼児性」は、ホイジンガーの1935年の本が、アメリカに見られた「幼児性」=「子供っぽいこと」を称賛する風潮こそが<文明の危機>の本質だと述べている、と紹介しつつ、今の日本で「私たちが目撃している」のも「大差ない光景」ではないか、とする。今の日本には「幼児性」が氾濫している-国会論議・バラエティを含むテレビ番組・犯罪に至るまで…。
この「幼児性」は、佐伯啓思のいう「近代文明」又は「欧州近代」の限界を示すものとしての<ニヒリズム>の発生と無関係ではないだろう。あるいはまた、<戦後レジーム>(「個人主義」・「平和と民主主義」)こそが、「幼児性」をもつマスコミ先導の世論やテレビ番組等々を生み出した、とも言える。
佐伯啓思・大転換-脱成長社会へ(NTT出版、2009.03)を先日から読み始めている。第一・第二章(~p.59)は読了。最近に佐伯が雑誌・週刊誌・新聞等に書いている短い文章と、当然ながら問題意識・叙述内容は共通しているか、似ている。
日本共産党の不破哲三や朝日新聞の若宮啓文の本を読むことを躊躇しないし怖れもしない。しかし、どこか感覚・神経が<異常>と思われる人の文章を長く読むことは一種の苦痛であり、あるいはまた、ときどき気持ちが悪くなり、心理的には嘔吐が出そうになることがある。
若宮啓文の「反日」・「反国家」意識、そしてアジアの隣国(中国等)への配慮優先意識、「左翼(サヨク)」意識は徹底している。同・右手に君が代左手に憲法(朝日新聞社、2007)は、あくまで若干の例にすぎないが、以下の如く書く。
①80年代に比べて90年代には「首相の配慮」があったとして肯定的に評価する。そして、「例えば宮沢政権は…1992年秋、右派の反対を押し切って天皇陛下の訪中を実現させた。過去に大きな区切りをつける旅」だった、と書く(p.12)。
宮沢や河野洋平・加藤紘一らを自民党の中では評価する、<親中・屈中>。
②「外国では…『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる。だからこそ、首相の参拝があれほど問題にされるのだ」(p.37)。ここでの首相は小泉。
米国・英国の大統領・首相らはこれまで何回か靖国参拝を希望したがむしろ日本政府側が固辞したと伝えられる。そうだとすると、上の「外国」はたぶん中国と韓国の二国だけではないか(北朝鮮もだろうが、金正日が訪日する可能性はほぼない)。
それに、「『靖国』が軍国主義の象徴として伝えられる」ことに若宮啓文は何ら疑問を呈さず、当然視しており、誤解を解こうとする又は誤解を解くべきだとする主張はどこにもない。
③2004.02に書く-「それにしても、である。ハト派のいきおいが弱すぎはしないか」、「ハト派に春は来るのだろうか」(p.40-41)。
④「町の家々からだんだん日の丸が消えたのは、世代交代や戦後教育と無関係ではあるまい」。まして君が代に「抵抗感や違和感をもつ人が増えたのは仕方がないことだった」(p.43)。
法制化された国歌・国旗に関する若宮の文章だ。一つに、「町の家々」から「日の丸」を「消え」させたのは、そして君が代への「抵抗感」等を煽ったのは、自分自身が属する朝日新聞を筆頭とする戦後「左翼」ではないか。客観的な事実として他人事のように書くな、と言いたい。
二つに、若宮は日の丸・君が代には「戦争当時の暗いイメージが潜んでいる…」と書く(p.42)。この人自身がもつイメージなのだろう。戦後の「反戦・民主主義」教育をきちんと受容した(-に洗脳された)真面目な?学校優等生だったかと思われる。
⑤2004年の元反戦自衛官等自衛隊宿舎反自衛隊ビラ投函事件につき、2004.12の東京地裁(八王子支部)の刑事判決が「無罪」としたのは「朗報」だった(p.80)。ここにも<反自衛隊>意識・<反軍(軍事)>意識。
この前に、若宮自身はこの事件を、「市民団体の3人が防衛庁官舎の郵便受けに自衛隊イラク派遣反対のビラを入れただけで逮捕され、75日も勾留された」一件と記し、「あきれた事件」の一つに挙げている。
この刑事事件は、本の出版時点で若宮が追記しているように、控訴審で逆転有罪となった(住居侵入罪)。最高裁は今年、上告棄却した(有罪維持)。
若宮は高裁判決後の追記中に「…確かに行き過ぎだったのだろう。だが、黙秘したとはいえ身元の分かった相手を75日も勾留することはないだろう。そういう非常識がまかり通るのが恐ろしい」と書いている(p.81)。
こんな若宮の「非常識」こそ「恐ろしい」。<勾留>するか否かは<身元が判明していないか否か>に単純に対応しているのか? 他の要素も当然に考慮されて判断される。
⑥ブラントの所作(ポーランドでの跪き)、ワイツゼッカーの(演説中の)フレーズを讃え、「ナチスの断罪を徹底してきたドイツ」の作法はうまかったが、「日本の〔かつての軍国主義・「侵略」に関する-秋月〕それはあまりに下手だった」と書く(p.96)。
ドイツ・ナチスの「ホロコースト」のような犯罪を日本人・日本軍・日本政府は行っていない。<左翼>にありがちな主張なのだろうが、ドイツと日本の戦前の「罪」を同類のものとして理解する、という大きな過ちに朝日新聞・若宮啓文も(そのことを知りつつ結果としては)陥っているようだ。
つづけて次のように書く。
⑦「隣国のナショナリズムは日本よりも強烈だ」。「しかし、だからこそ…相手の気持ちをどうほぐすか、そこは日本の知恵と度胸が問われているのではないか」(p.96)。
日本の「ナショナリズム」は強く警戒し批判する一方で、「日本よりも強烈」だという「隣国のナショナリズム」に対して(上の「…」の部分で「言うべきことは言いつつ」といちおう書くが)何と優しい言葉だろう。隣国(中国・韓国)ではなく、まずは日本政府を非難・攻撃する、又は注文をつける、という姿勢で朝日新聞と若宮啓文は一貫していると言ってよい。
⑧中国の「反日デモ」と小泉「靖国参拝」を相殺し、次のように提言する。南京事件につき「日本側は規模がどうあれ、市民や捕虜の虐殺という非道の事実を重く受け止める」、小泉首相は「謙譲の精神で靖国参拝をとりやめる」(中国側への提言は省略、p.101)。
「市民」に紛れこんだ便衣兵は「市民」ではなく、抵抗や脱走をする「捕虜」は捕虜ではなく「兵士」。これらを攻撃することは合法的な戦闘行為で「非道」ではない、という論点があることを天下の朝日新聞・若宮啓文が知らない筈はないと思うが。
また、若宮啓文はなぜ首相靖国参拝を批判するのか。「A級戦犯」合祀が理由かと思われるが(p.104以降の別の項参照)、ではB級戦犯・C戦犯の合祀はどうなのか、と同趣旨の見解をもち、主張をする人々に対してとともに、若宮にも訊ねてみたい。
⑨「勝者は決して非を認めない」。広島への原爆投下につき英国軍幹部は「広島市が受けた懲罰」は「日本全体への報復の一部」と語ったが、原爆投下には種々の問題がある。しかし、「非道の責任を米国にだけ求めるのはフェアでない」。沖縄では日本軍に島民が「集団自決を求められた」等々があったりした。「民間への無差別攻撃を非難する資格が果たして日本政府にあっただろうか」(p.109-110)。
ここまでくるといよいよ<気味が悪い>。
ここでは米国を擁護し、旧日本軍をむしろ責める。<反日>・<自虐>そのもの。
日本の「資格」を問題にするなら、日本軍による「民間への無差別攻撃」の実例を挙げるべきではないのか。また、かりにその実例があったとして、日本は「反省し」、米国にも「反省」を求める、日本は自己批判すべきとしかつ米国も「批判する」ならば分かるが、どうして<米国だけを責めるな、その資格は日本はない>という主張のみになるのか、きわめて不思議だ。
まず第一に、<日本が悪かった>。この一線から若宮啓文は全く抜け出すことができない。見事に(単純に)、一貫している。こんな人が論説主幹だったのだから、朝日新聞は見事で(単純で)、恐ろしい。
もう少し記録しておきたいことがあるので、たぶん次回に。
「東京法廷において決定された意思が…動かし難い権威ある意思であることはいうまでもない。…意思の寛厳について論ずる資格をもたないし、また論じようとも思わない」。
「この際銘記しておきたいことは、この裁判が…軍国主義的な過去の日本の完全な精算を要求すると同時に、…未来に建設すべき日本の姿を明確に平和国家として規定するものだという点である。しかもこの要求と規定は、今後決して再審の機会を与えられることなく、いつまでも日本国民の行動を制約するものだということである。そして、われわれは進んでこの制約に服するものである」。
この社説は、東京裁判が過去の日本の「清算を要求」し将来の日本を「規定」するので、日本の行動を「制約」するが、「われわれ」=朝日新聞は「進んでこの制約に服する」と宣言している。
占領下なのでGHQに「迎合」する気分があったに違いないが、それにしても見事に、自分には自分で思考し判断する能力・資格がない、ただただ(東京裁判判決を)有難く頂いて永遠に尊重します、と告白しているわけだ。
しかし朝日は主権回復後も、すなわちGHQのプレスコードによる実質的な「検閲」があり自由な言論ができなかった占領期が終わって独立して以降も、「自由な」マスメディアとしては最悪・最低の告白を改めようとせず、占領期間中の、<自虐史観>あるいは東京裁判史観をそのまま維持し続けた、と私は理解している。
ここに朝日新聞の致命的な欠陥があるのでないか。近年の靖国・戦犯問題等での朝日の論調の基礎にも、この60年近く前の社説があるようだ。その意味でじっくりと読まれてよい社説だと思う。
扶桑社は産経・フジグループの会社だから扶桑社新書もそのグループの新書というイメージをもつが、それにしては、文春新書や幻冬舎新書の方がラインナップに魅力を感じるのは何故だろう。
勝谷誠彦・偽装国家(扶桑社新書、2007.03)の最後の15頁だけ読んだ。「偽装」とは建築物の耐震強度の「偽装」から来ている言葉だろうし、日本国家の状態がその表現でわからなくもないので「偽装国家」という語は批判しない。
だが、「利権談合共産主義」の方はどうだろう。「利権談合」は「共産主義」の形容詞的に用いられているのか、ほぼ対等の意味をもって用いられているのか。どちらにしても、「共産主義」は、本来、「利権談合」などという生易しい言葉で表現できる主義又は国家体制ではない。こんなふうに簡単に「共産主義」という概念を使うと、共産主義の本質を却って曖昧にしてしまう。
幸いまだ全く一般的になっていない言葉なので、勝谷は、もうこの言葉を使うのは止めたらどうだろう。
最後の「「偽装憲法」を今こそ見直せ」と「おわりに」だけ読んだ。前者の内容に異論はない。
異論はないどころか、大人たちが「自虐史観」にひたり、学校でそんなものを教えておいて、「虐め(=いじめ)はやめようなどと(とは?-秋月)、ちゃんちゃらおかしい」というのは正論で、論理的だ。自国と自国民を「虐めて」いる人たちが「虐め」はやめようという資格はないし、そんな大人を見ている子ども達が「虐めに立ち向かえる」はずがない。そのとおりだ。
また、集団自衛権を否定して友好国の艦船が攻撃を受けたときに「スタコラ逃げるような卑怯な国」の学校で、「友達が虐められたら助けてあげなさい」と教えられだろうか。そのとおりだ。
日本の安全・平和は「憲法神社に9条を飾って、土井たか子みたいな巫女が土下座してお祈り」してくれていたおかげではなく、「本当に偶然」に保たれたという部分については、たんなる「偶然」ではなく理由を別に探せるとは思うが、憲法9条2項の削除だけの限定的改憲の主張も、よく分かる。
勝谷誠彦は某テレビのトーク番組でしばしば安倍首相・安倍内閣を批判し、民主党・小沢一郎氏への親近感を示していた。「小沢さんは安倍さんよりも右ですから」とたしか言っていたこともある。
まさかとは思うが、「おわりに」の最後の、日本を率いるべき、「自分の中に確固たる倫理を持つ」「尊敬されるリーダー」として、小沢一郎を念頭に置いてはいないことだけは、強く期待しておきたい。
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