秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2728/生命・細胞・遺伝—04。

 ①宇宙一②地球—③生物(生命体)—④細胞—⑤遺伝子・分子—⑥素粒子。
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 生物を植物と動物に二分するのは相当に古い分類で、現在では5界説のほか6界説もあるようだ。
 いずれの場合でも植物・動物等は「真核生物」で、生命が地球上(内)で誕生したときの単細胞生物は「真核生物」ではない。
 その最初の生命(単細胞生物)の誕生の時期について、01では「約35〜40億年前に生まれた、とされている」と記して、この点に関してのみ推定年代に触れた。
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 出口治明・0から学ぶ「日本史」講義/古代篇(文藝春秋、2018)の凄まじく、唖然とさせられるところは、<日本史・古代>と謳いつつ、宇宙・太陽系宇宙・地球の誕生、そして生命体(生物)の誕生に関する叙述から始めていることだ。
 この点で、<(文学的)文科系・モノ書き>による西尾幹二・国民の歴史(1999、2009、2017)が「歴史とは何か」に次いで「一文明圏としての日本列島」から書き起こしているのと、大きく異なる。
 西尾幹二は、さらに、「北京原人」等の「『原人』の足跡が日本列島に刻まれていてもいなくても、正直、私の人生観にはほとんど関係がない」と明言した。たんなる<(文学的)文科系・モノ書き>と出口治明の違いは完璧に顕著だ。
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 最初の生命(単細胞生物)の誕生の時期以外のおおよその時期を記しておこう。
 種々の説があるのだろうが、キリがないので、上記の出口治明・0から学ぶ「日本史」講義/古代篇による。
 約138億万年前、宇宙の歴史の開始。
 約46億万年前、太陽系宇宙誕生。
 約45.5億万年前、地球誕生。
 約40億万年前〜38億万年前。地球上に「海」発生=最初の生命体(生物)の発生。
 約19億万年前、「真核生物」誕生。
 約700万年前。「チンパンジーとの共通祖先」からヒトが分かれる。
 約25万年前〜20万年前。東アフリカで<ホモサピエンス>が出現。
 約10万年〜7万年前、<ホモサピエンス>=人類が「言語」を獲得。
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 上のような時期に加えて、関心を惹いたのは、ヒトの「脳」の成熟時期だ。以下で、似たようなことが、書かれている。
 ①出口治明・哲学と宗教全史(ダイヤモンド社、2019)
 「人間が定住生活をし始めたドメスティケーションのときに、人間の脳みそは最後の進化が終わり、それから今日まで進化していないといわれています」。
 ②小林朋道・利己的遺伝子から見た人間—愉快な進化論の授業(PHP、2014)
 「(われわれの遺伝子がつくった)脳は、ホモ・サピエンスの歴史の99パーセントの狩猟採集生活において、遺伝子の増殖に都合よくつくられている」。
 「狩猟採集生活」のあとの「定住生活」開始時点で人間の「脳」は進化し切っていた、という点で、これら①と②は矛盾していないだろう。
 ③養老孟司・唯脳論(筑摩書房、1998)
 「ヒト、現代人つまりホモ・サピエンスは、ここ数万年ほど、解剖学的、すなわち身体的には変化していない」。「ヒトの脳の機能もまた、数万年このかた変化していないはずだ」。「書かれた歴史はたかだか数千年である。その間に、ヒトはまったく変化していないと言ってよいでろう」。
 定住=ドメスティケーションの開始の時期・地域について論議があるのだろうが、上の①は、「今から1万2000年前にメソポタミア地方で起きたと推測されて」いる、としている。
 なお、池田信夫の文章によると、「人類の脳は200万年前から大きくなり始め、ホモ・サピエンスが出てくる30万年前には現在の大きさになっていた」(同・ブログマガジン2023年11月23日号)。後の時期が少し早そうでもあるが、概略では間違いでないかもしれない。
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 以上のことは、つぎを推測させる。
 第一に、最も複雑で高度の機能をもつ「脳」が数万年前から今日まで基本的に変わっていないとすると、心臓・肝臓等々の器官の「機能」もまた、その当時にすでに現代と同様の進化を遂げていただろう。各器官の構造・機能について当時のヒトは知っておらず、「細胞」の知識も全く持っていなかっただろうが、「脳」等の<身体>は今日と同様に「働いて」いたのだ。
 第二に、脳の機能としての「感情」・「意識」・「記憶」等々も、ヒトは数万年前に身につけていただろう。平安時代の紫式部や清少納言がわれわれと基本的に同様の「美的」感覚を持っていたとしても不思議ではない。また、人種の差異を超えて、日本に来る外国人観光者の子どもたちが愉しいときはにこにこしているのも、何ら不思議ではない。
 この欄の2024/03/12で引用した、科学雑誌NEWTON-2016年6月号のつぎの文章の意味も、おおよそ納得できることになる。
 「いとおしさや、嫉妬、うらみ」といった「社会的感情」を含む「現代の人間の感情を生むしくみは、農耕時代以前の300万年前〜3万年前の生活や環境のもとで発達したと考えられている。/とくに社会的感情の多くは、特定の仲間たちと長く関係をともにするようになったことでつくられてきたと考えられているという」。
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 一方で、そのような「脳」と「人体」を古くから持ちながら、生物学・生命科学上や医学上の発見・開発、あるいは医療技術・医薬品等の発見・開発は(分野により種々だが)相当に遅れて、早くても17世紀以降のことだ。分野・知識・技術・薬剤によっては、100年前、50年前以降のものもある(例、心筋梗塞にかかるカテーテル検査・ステント留置術は約50年前に始まった)。
 つぎの著によると、「抗うつ剤」の研究・開発、脳内の「神経細胞」を覆って守るだけとほぼ考えられてきた「グリア細胞」に関する研究は、まだ途上にある。
 S·ムカジー=田中文訳・細胞—生命と医療の本質を探る/下(早川書房、2024)
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2087/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)④。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 第5章第2節以降の抜粋・一部引用等。引用は原則として邦訳書による。
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 第二部/第5章・説明を組み立てる〔Assembling an Explanation〕②。p.146-p.152。
 第2節・有機体、身体、脳。
 我々は、自分も、「一個の純身体〔body proper〕(『身体』と略す)と一つの神経システム(『脳』と略す)をもつ複雑な生ける有機体である」。
 「脳」は普通には「身体の一部」だが、本書での「身体」は、「有機体」から「神経組織(中枢神経系と末梢神経系)を除いたもの」を意味する。
 「有機体」は「一つの構造と無数の構成要素」をもつ。「一つの骨格構造」をもち、その「多数の部品」〔parts〕は「関節で連結され筋肉で動く」。「システム的に結合」する「多数の器官」ももつ。これは「外縁を形成する境界または膜」をもち、「おおむね皮膚」で成る。
 この「器官」、すなわち「血管〔blood vessels〕・頭・腹の中の器官〔chest and abdomen〕・皮膚」を、本書で「内臓」〔複数形viscera, 単数形viscus〕とも呼ぶ。「内臓」は普通には「脳」も含むが、ここでは除外される。
 有機体各部は「生物学的組織」〔biological tissues〕で、またこの組織は「細胞」で、構成される。
 各「細胞」は、「細胞骨格〔cytoskelton〕を作るための無数の分子、多数の器官とシステム(細胞核〔cell nuclei〕と多様な細胞器官)、境界」で構成される。
 「生きている細胞や身体器官を実際に見ると、その構造と機能の複雑さに圧倒される」。
 *
 第3節・有機体の状態〔state〕。
 「生ける有機体」は次々に「状態」を帯びつつ「絶え間なく変化」している。のちに「身体状態」や「心的状態」〔mind state〕を用いる。
 **
 第4節・身体と脳の相互作用-有機体の内部。
 「脳と身体は、これら両者をターゲットとする生化学的回路と神経回路〔biochemical and neural circuits〕によって、分割不可能なまでに統合されている」。
 この「相互結合」の「中心ルート」は二つ。①「感覚と運動の末梢神経」〔sensory and motor peripheral nerves〕。「身体各部から脳」、「脳から身体各部」へと「信号」を送る。②「血流」〔bloodstream〕。「ホルモン、神経伝達物質、調節物質といった化学的信号」を伝搬する。
 つぎの簡単な要約ですら、「脳と身体の関係性」の「複雑」さを示す。
 (1) 「身体のほとんど全ての部分、全ての筋肉、関節、内臓は、末梢神経を介して脳に信号を送る」。これら信号〔signals〕は「脊髄か脳幹のレベル」で脳に達する。そして、「いくつかの中継点」を通って「頭頂葉と島領域にある体性感覚皮質」〔somatosensory cortices in the parietal lobe and insular regions〕に入る。
 (2) 身体活動から生じる「化学物質は血流を介して脳に達し」、直接に又は「脳弓下器官」〔subfornical organ〕等の特殊部位を活性化して「脳の作用に影響を及ぼす」。
 (3) これと逆に、「脳は神経を介し、身体各部に働きかける」。仲介するのは「自律(内臓)神経系と筋骨格(随意)神経系」だ。前者への信号は「進化的に古い領域」=「扁桃体、帯状皮質、視床下部、脳幹」〔amygdala, cingulate, hypothalamus, brain stem〕で、後者への信号は「進化的には様々な時代の運動皮質と皮質下運動核」〔motor cortices, subcortical motor nuclei〕で発生する。
 (4) 「脳」はまた、血流中の「化学物質」、とくに「ホルモン、伝達物質、調整物質」の生産や生産指示をして「身体に働きかける」。
 実際にはこれら諸項よりもっと複雑で、「脳」の若干「部分」は、「脳部位からの信号」も受け取る。
 「脳-身体の緊密な協力関係」で構成される「有機体」は、一個のそれとして「環境〔environment〕全体と相互作用する」。しかし、「自発的、外的反応」ではない「内的反応」も行い、後者のいくつかは「視覚的、聴覚的、体性感覚的、等々のイメージ」を形成する。これが「心の基盤〔basis for mind〕ではないか」と私は考える。
 ***
 第5節・行動と心〔behavior and mind〕。
 「脳のない有機体」すら「自発的に」または「環境中の刺激に反応」して活動=「行動」する。これには、①「見えない」もの=例は「内部器官の収縮」、②「観察」できるもの=例は「筋肉の引きつり、手足の伸張」、③「環境に向けられた」もの=例は「這う、歩く、物をもつ」がある。
 これらは全て、自発的であれ反作用的であれ、「脳からの指令〔commands〕」による。
 だが、「脳に起因する活動」のほとんどは「反射作用」を一例とする「単純な反応」であり、「熟考」〔deliberation〕によるのではない。
 有機体の複雑化により「脳に起因する活動」は「中間的なプロセス」を必要とするようになり、「刺激」ニューロンと「反応」ニューロンの間に他ニューロンが介在し、「様々な並行回路」が形成された。
 こうした「複雑な脳」をもつ有機体が「必然的に心をもった」のではない。そのためには、つぎの「本質的要件」の充足が必要だ。すなわち、「内的にイメージを提示し、『思考』〔thought〕と呼ばれるプロセスの中でそれらのイメージを順序よく配列する能力」。イメージには「視覚的」のみならず、「音」、「嗅覚的」等もある。
 「行動する有機体」の全てが「心」・「心的現象」〔minds, mental phenomena〕をもつのではない。これは全てが「認知作用や認知的プロセス」をもつのではない、と同義だ。「行動と認知作用」の両者をもつ有機体」、「知的な行動」をもち「心」をもたない有機体もあるが、「心を有し」つつ「行動」をもたない有機体は一個たりとも存在しない。
 私見では、「心をもつ」とは、つぎのような「神経的表象〔neural representations〕を有機体が形成すること」を意味する。すなわち、「イメージ〔images〕になり得る、思考と称されるプロセスの中で操作し得る、かつ、将来を予測させ、それに従って計画させ、次の動作を選択することで最終的に行動に影響を及ぼすことのできる神経的表象」。
 このプロセスに「神経生物学〔neurobiology〕の中心」がある。つまり、「学習によってニューロン回路に生じた生物学的変化からなる神経的表象が我々の中でイメージに変わるプロセス」=「ニューロン回路(細胞体、樹状突起、軸索、シナプス〔cell bodies, dendrites, axons, synapses〕)の中の不可視のミクロ構造〔microstructural〕の変化が一つの神経的表象になり、次いでそれが我々が自分のものとして経験するイメージになるプロセス」。
 大まかに言って、「脳の全般的機能」は①脳以外の「身体」で「進行していること」、②「有機体を取り巻く環境」を、「熟知」〔be well informed〕していなければならない。この「熟知」によって、有機体と環境の間の「適切かつ生存可能な適応」が達成される。
 「進化的視点」からは、「身体」がなければ「脳」は存在しなかった。ちなみに、「身体も行動も」あるが「脳や心」のない「単純な有機体」、身体内の「大腸菌のような多くの幸福なバクテリア」の数は、人間よりもはるかに多い。
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 第6節以降につづける。

2079/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)①。

 アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 上の書物については、「池田信夫のブログマガジン」に言及する中で、この欄ですでに2回触れた。しかし、内容の紹介または読書メモには至っていない。
 適宜、興味深い部分を抜粋・要約または一部引用する。引用は原則として邦訳書による(微細に修正している部分がある)。
 まずは「序文」だが、これは原著(1994年)のそれで、<新版へのまえがき>ではない。
 要約、引用等はこの欄の執筆者の関心と能力によるので、適切であるとは限らない。また、内容のある程度の専門科学性にもよるだろうが、「第一の話題」と明記してくれている部分は(言葉上は)ないなど、元々完璧に読みやすい文章ではないようにも感じる。
 番号は秋月が勝手に付したもので、原文にはない。
 英語書を参照して、適宜、原語を〔〕で示す。
 なお、「情動」と「感情」は相互排他的な言葉ではないようだ。<新版へのまえがき>ではほぼ「情動」だけが用いられている。
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 序文(初版、1994年)〔Introduction〕。
  第一の話題は、フィネアス・ゲイジ[Phineas Gage]という男性の事例とそれを契機とする考察だ。
 この事例から、「感情が理性という仕組みの不可欠な要素ではないか」と感じた。
 本書で提示したい考え方の第一は「情動や感情」[emotion, feeling]と「理性」[reason]の関係だ。おそらくはこう言える。
 「人間的な理性の戦略は、進化においても、そして一人の人間においても、生体調節機構[the mechanisms of biological regulation]という誘導的な力なしには発達しなかった。そして、その生体調節機構の顕著な表現が情動と感情である」。
 「その戦略の効果的な展開は、かなりの程度まで、感情を経験する持続的な能力に依存している」。
 もう少し語ろう。「情動と感情」は「理性」・「推論」[reasoning]に悪影響を及ぼし得ることを否定しないが、一方で、前者の欠如が後者に悪影響を及ぼし得るということも、「驚くべき、新しい」知見だ。
 「情動と感情」に注目することによって、人間は「理性」的でないと主張するのではない。「情動と感情のプロセスのある種の側面は合理性[rationality]にとって不可欠である」と提示するだけだ。
 我々の将来には「不確実さ」[uncertainty]がある。「そのとき情動と感情が、その基礎にある生理学的仕組み[physiological machinery]と一体となって、不確かな将来を予測し、それを基礎にして我々の行動を計画するという厄介な仕事を助ける」。 
  本書では、①「合理性障害と特定の脳損傷との関係」を最初に明らかにしたゲイジの事例を分析し、②同事例と最近の研究が示す「人間と動物の神経生理学[neuropsychological]研究」上の関連事実を概観し、③つぎの考え方を提示する。
 すなわち、「人間の理性は一つの脳中枢[brain center]に依存するのではなく、多様なレベルでの神経組織[neuronal organization]を介して協調して機能するいくつかの脳システムに依存している」=「前頭前皮質[prefrontal cortices]から視床下部[hypothalamus]や脳幹[brain stem]まで、『上位』脳領域と『下位』脳領域が協力して理性を生み出している」。
 上に言う「下位」レベルの「神経組織」は、「情動や感情のプロセスや有機体の生存に必要な身体機能[body functions]を調節する」ものと「ずばり同じ」だ。これは、「事実上すべての身体器官[bodily organ]と直接的相互的な関係を保っている」。よって、「身体は、推論、意思決定、そして社会的行動や創造性という最上位のものを生むという作用の連鎖の中に、直接に置かれている」。
 「情動、感情、生体調節」は「人間的理性」においてそれぞれ一定の役割を果たしている。=「我々有機体[our organism]の下位の指令[lowly orders]が、上位の理性のループの中に存在する」。
  ダーウィンの記述に、人間の「心的作用」[mental function]に「進化の過去の影が存在する」旨があるのは興味深い。但し、上位の理性が下位に変化するわけではなく、例えば「倫理原則」[ethical principle]に脳内の「単純な回路の関与」が必要だとしても「倫理原則」の価値は下がらない。
 変化してよい可能性があるのは、「同じような生物学的習性[biological disposition]を有する多くの人間が特定の環境の中で相互作用するとき、ある社会的背景の中で生じる倫理的原則の起源に生物的要素はどのように寄与してきたか」に関する我々の見方だ。
  本書の「第二の話題」は「感情」だ。
 「感情」は「人間の特質と環境との適合または不適合に対するセンサー」だ。
 この「特質」[nature]とは、①「遺伝的に構築され我々が受け継いだ一群の適応[adaptations]という特質」と②意識的か否かを問わず「社会的環境との相互作用をとおして我々が個人的な成長の中で獲得してきた特質」の両者を意味する。
 我々は「感情」を通して「生物学的な活動の只中にある有機体の姿」を見る。本来的な苦楽が定められた「身体状態」[body state]を感じ取れなければ、「人間の条件[human condition]には苦悩も至福も、切望も慈悲も、悲劇も栄光もない」。
 「複雑精緻なメカニズム」を知れば「驚異の念は増す」。「感情[feelings]は、人類が何千年ものあいだ、人間的な精神や魂[soul or spirit]と呼んできたものに対する基礎」を形成している。
  本書の「第三の話題」は、「脳の中に表象される身体[body]が、我々が心[mind]だとして経験する神経プロセス[neural processes]の不可欠の基準[frame of reference]を構成していること」だ。「人体という有機体そのもの」が、外周「世界」の他に「常在的な『主観の感覚』を構築するための基準」として、つまり我々の「洗練された思考、最善の行動、この上ない喜びや悲しみ」全ての「基準」として、使われている。
 上の考え方は、以下を基礎とする。①「人間の脳と身体は分かつことのできない一個の有機体[organism]」であり、「相互に作用し合う生物学的および神経的な調節回路[biochemical and neural regulatory circuits](内分泌、免疫、自律神経的要素を含む)によって統合[integrate]されている」。
 ②「この有機体は、一個の総体として環境と相互作用している」。身体または脳のいずれかの相互作用ではない。
 ③我々が「心[mind]と呼んでいる生理学的[physiological]作用は、その構造的・機能的総体に由来する」のであり「脳のみに由来するのではない」。「心的現象」は「有機体という文脈」でのみ「完全に理解可能」なものだ。
  「いまや心がニューロン〔神経細胞[neuron]〕の活動から生じていることは明白だから、まるでニューロンの作用が有機体の他の部分から独立しているかのよう」に語られる。しかし、「脳を損傷」した多数患者を診るにつれて、「心的活動[mental activity]は、ごく簡単なものからきわめて精緻なものまで、脳と身体の双方を必要としているという考え方」を抑えられない。
 「身体の優先性」[body precedence]から出発すると、我々は「どのようにして周りの世界を意識[concious]」するのか、我々は「認識しているもの」や我々が「認識」しているということを、どう「認識」[know]するのか、といった問題を解明できる可能性がある。
 「愛や憎しみや苦悩、優しさや残忍さ、科学的問題の計画的解決や新しい人工物の創造」は全て「脳の中の神経活動」に依拠するが、それは「脳が過去から現在まで、かつ現在もなお、身体と相互作用している」ことを前提とする。「苦しみ」は、始まりが「皮膚の中」であれ「心象」[mental image]であれ、「すべて肉体[flesh]の中で起きる」。
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 以上。
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