最初はBLOGOS 上で見つけたのだったが、熊代亨が書いていることは面白いし、有益だ。
池田信夫のものはたぶんすみやかに全てのものを読了しているが、名前(書き手)や主題を見ただけで読む気がしないものも多い。
その点、シロクマ(熊代亨)氏のようなブロガーを発見するのは楽しい。
→熊代亨ブログ
2020.06.28の「『生きづらさ』の根源を…」では、資本主義、人間・生物、仏教等々に論及がある。
またどこかでこの人は、白衣で仕事をしているときは「精神科医」の「役割」を果たし、脱ぐとブロガーに変身するとか書いて、「役割」論に触れていた。
各人が自己について認める「役割」、あるいは<演じている(つもりの)>役割というものがある、というような趣旨を含んでいると思われ、「役割」という概念およびこの視点は、identity 論や「自己」論にもかかわって興味深い。
さっそくに、以下を入手した。但し、まだ読んでいない。
熊代亨・健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて(イースト・プレス、2020年6月)。
--や××の書物を読むより、きっと有益だろう。もっとも「益」か否かの判断基準の問題はあるが、少なくとも私には<面白い>だろう。
---
熊代亨は現役の精神科医のようなのだが、「精神科学」には関心を持ってきた。
一度だけこの欄で、木村敏(1931~)について言及したことがある。
所持だけはしている、精神科医・精神医学者の書物に、以下がある。
木村敏・異常の構造(講談社現代新書、1973)。
木村敏・分裂症の現象学(弘文堂、1975)。
木村敏・自己・あいだ・時間-現象学的精神病理学(ちくま学芸文庫、2006/原著1981)
木村敏・時間と自己(中公新書、1982)。
木村敏・自分ということ(ちくま学芸文庫、2008/原著1983)。
木村敏・偶然性の精神病理(岩波現代文庫、2000/原著1994)。
木村敏・心の病理を考える(岩波新書、1994)。
中井久夫・「思春期を考える」ことについて(ちくま学芸文庫、2011/原著1985)。
中井久夫・最終講義-分裂病私見(みすず書房、1998)。
大塚明彦・「精神病」の正体(幻冬舎、2017)。
ほかに、中野信子のものも一冊くらいは所持しているかもしれない。
隣接・周辺に広げると、福岡伸一、茂木健一郎(例、同・脳と創造性-「この私」というクオリアへ(PHP、2005))、養老孟司から、さらに団まりな(この欄に既出)まで入ってくる。
もっとも、専門性が高いものも多いことや、私自身の怠惰と時間的余裕のなさで、なかなかじっくりと読書することができない。
「自己」・「精神」・「名誉心」は、特定の一部の<文学部>出身者だけが扱えるものでは全くない。
池田信夫のものはたぶんすみやかに全てのものを読了しているが、名前(書き手)や主題を見ただけで読む気がしないものも多い。
その点、シロクマ(熊代亨)氏のようなブロガーを発見するのは楽しい。
→熊代亨ブログ
2020.06.28の「『生きづらさ』の根源を…」では、資本主義、人間・生物、仏教等々に論及がある。
またどこかでこの人は、白衣で仕事をしているときは「精神科医」の「役割」を果たし、脱ぐとブロガーに変身するとか書いて、「役割」論に触れていた。
各人が自己について認める「役割」、あるいは<演じている(つもりの)>役割というものがある、というような趣旨を含んでいると思われ、「役割」という概念およびこの視点は、identity 論や「自己」論にもかかわって興味深い。
さっそくに、以下を入手した。但し、まだ読んでいない。
熊代亨・健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて(イースト・プレス、2020年6月)。
--や××の書物を読むより、きっと有益だろう。もっとも「益」か否かの判断基準の問題はあるが、少なくとも私には<面白い>だろう。
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熊代亨は現役の精神科医のようなのだが、「精神科学」には関心を持ってきた。
一度だけこの欄で、木村敏(1931~)について言及したことがある。
所持だけはしている、精神科医・精神医学者の書物に、以下がある。
木村敏・異常の構造(講談社現代新書、1973)。
木村敏・分裂症の現象学(弘文堂、1975)。
木村敏・自己・あいだ・時間-現象学的精神病理学(ちくま学芸文庫、2006/原著1981)
木村敏・時間と自己(中公新書、1982)。
木村敏・自分ということ(ちくま学芸文庫、2008/原著1983)。
木村敏・偶然性の精神病理(岩波現代文庫、2000/原著1994)。
木村敏・心の病理を考える(岩波新書、1994)。
中井久夫・「思春期を考える」ことについて(ちくま学芸文庫、2011/原著1985)。
中井久夫・最終講義-分裂病私見(みすず書房、1998)。
大塚明彦・「精神病」の正体(幻冬舎、2017)。
ほかに、中野信子のものも一冊くらいは所持しているかもしれない。
隣接・周辺に広げると、福岡伸一、茂木健一郎(例、同・脳と創造性-「この私」というクオリアへ(PHP、2005))、養老孟司から、さらに団まりな(この欄に既出)まで入ってくる。
もっとも、専門性が高いものも多いことや、私自身の怠惰と時間的余裕のなさで、なかなかじっくりと読書することができない。
「自己」・「精神」・「名誉心」は、特定の一部の<文学部>出身者だけが扱えるものでは全くない。