秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

立憲民主党

1911/言葉・文章と「現実」④-革命。

 「法」よりも大切なものがある。
 これは、そのとおりだ。
 人の生命を最も尊重されるべきと考える人にとって、「法」よりも生命は重い。
 但し、「法」は、この場合は日本の刑事法だが、いろいろなことを配慮しているもので、例外的には「人殺し」を容認している。「死刑」、「正当防衛」等。
 「死」の定義も「脳死」問題も、おそらくは殺人罪(共犯を含む)・自殺幇助罪等との関係で問題になるのだろう。
 元にさっそく戻って、「法」よりも大切なものがある。これは、そのとおりだ。個々人にとって、「法」などが介在しない生活が望ましいかもしれない(しかし、かなりの程度は実質的、客観的に、そうでもないことは別に述べたい)。
 しかし、問題が「国家」の行動あるいは国政に関係する場合には-ここでの「国家」はいわゆる狭義の「政府」だけではなくて少なくとも立法・司法も含み、地方「自治」体も含む-、簡単に、「法」よりも大切なものがある、と主張してはいけない。
 花田紀凱が編集長している雑誌で、すでに月刊Hanada になっていただろう、ある号の読者投書欄の冒頭に、こんな主張が掲載されていた。
 ①<憲法よりも国家の方が大切だ。>
 この考え方は、法律レベルに落とすと、つぎと同じだろう。
 ②<情報公開「法」(法律)よりも軍事機密保持の方が大切だ。>
 これらの主張の趣旨は、私にもよく理解できる。
 だが、理解できる、というのは、そのとおりだと肯定する、という意味ではない。
 上の①に絞る。かつて、櫻井よしこは、「自衛隊は違憲だ」ということから出発しなければならないと明記していた。
 しかし一方で、2017年5月頃につぎの旨を、これまた明記した。
 <法理論的には問題があるが、現実的には、安倍晋三「自衛隊」明記提案も「したたか」で、容認できる。> これもこの欄で既述。
 そして、櫻井よしこが共同代表である「美しい日本の憲法をつくる会」とやら(正式名を確認しない)は、自衛隊員の名誉のためにも?<憲法に自衛隊明記を!>という運動をしているらしい(現実にはたぶん、日本会議派の活動員たちがしているものと思われる)。
 少し戻ると、<法的には問題があるが、現実的には>という櫻井よしこの発想は、<革命>を容認するものだ、と批判的に、この欄で指摘したことがある(2017年夏頃までに)。
 この考え方は、上の①とほとんど変わらない。
 本来の、この人が純粋には理解する「法」よりも「現実的政策」を優先させてよいことがある、ということを認めているからだ。
 国家・国政について、<国家の方が「法」よりも大切だ>と主張しはじめると、いったいどういうことになるか?
 これは「革命」を容認することだ。
 ここで「革命」は、「法」的正統性に関する<連続性>を絶つ、という意味でさしあたり用いる。
 「法」よりも「国家」が大切であるならば、「国家」のためには「法」を無視しても、同じことだが侵害しても、よい、つまり既存・現行の法・憲法との関係で「違法」・「違憲」であってもよい、ということになる。これは、<革命>を容認することだ。
 櫻井よしこの頭の中には、こういう<思想>が少なくとも一部にはある。
 そしてまた、花田紀凱も共感したのかもしれないが、<憲法よりも国家の方が大切だ。>という主張は、これを全面的・一般的に肯定する<思想>だ。
 なぜか、を少し叙述してみよう。
 問題はそもそも「国家」・「国益」とは何か、いったい誰が・どの機関が、どうやって判断するのか、にある。
 人によって「法」よりも大切だと考える「国家」・「国益」の意味内容は異なりうる。
 それを、自らの、又は自分たちの「国家」観、「国益」観でもって決定せよ、というのならば、そしてその場合には「法」>「憲法」を無視してよいという主張は、<革命>を、そして(曖昧な概念だが)<全体主義>の到来を容認するものだ。
 この点では、安倍晋三首相も、自民党も、<革命容認>思想に立ってはいないものとほぼ断定することができる。安倍首相は自らの地位が日本国憲法・公職選挙法・国会法等々に基づくことを当然に自覚・意識しており、「自衛隊」の存在とその組織や行動可能範囲が憲法(日本国憲法)に違反してはならないことを、十分に知っているものと思われる。
 だからこそ、憲法の現九条に関する内閣の「解釈」を変更したうえで、(安倍内閣は)いわゆる平和安全法制を国会に提案し、限定的集団的自衛権の<行使>を容認することに(内閣ではなく)国会も賛成して、諸法律が改正・制定された。
 この内閣・国会による「憲法解釈」を覆すことができるのは司法権(究極は最高裁判所)だが、そのような措置・判決は出ていないので、現在の状態は決して「違憲」ではない。
 従ってむろん、<立憲主義>に違反してもいない(正確には、そのような結論を、今の憲法上で出しうる権限ある国家機関が出していない)。
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 余計なことに(いつものように)立ち入れば、「立憲民主党」というのは奇妙奇天烈な名称の党だ。
 数十年前の内閣(内閣法制局)の憲法九条「解釈」だけが(またはそれまでが)合憲で、それ以外は憲法に違反し、「立憲主義」に違反すると(某一学者の影響を受けて?)考えているのだろうが、そもそも自分たちの「憲法解釈」だけが唯一正当だとする根拠はどこにもない。
 別途書いてもよいが、<立憲主義>にさほど深遠な意味があるわけではない、と秋月は理解している。
 これは要するに、「法律」=議会制定成文法よりも上位にある「憲法」が、法律制定機関(国会)・司法・行政権(地方「自治」体の立法・行政を含む)を制約し、拘束する、というだけのことだ。
 権力=政府(=安倍内閣?)だなどと理解してはならず、それよりも広い。
 核心的で最も重要な意味は、「国権の最高機関」・「唯一の立法機関」とされている国会=世俗的・一時的な「立法」者ですら、憲法には違反してはならない、ということだ。このような意味での「立憲主義」の採用はたしかに、「近代」以降のことだろう。
 かつてのソ連・現在の中国等は「立憲主義」国家か否かを、「立憲民主党」の諸氏には答えていただきたいものだ。
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 元に戻る。
 「国民」主権という場合の「国民」や、その「国民」による「国家」意思決定(・反映)手続は多様であり得る。したがって、何が「国民の意思」なのか「国民主権」に合致するかを簡単に答えることはできない。当たり前のことだ。
 興味深いかもしれない事例問題を作ってみよう。
 ①日本共産党とその党員・支持者たちが、ある程度の「実力」組織をもち、あるいは警察・「自衛隊」の内部にも党員・支持者を拡大して、これら組織の過半員は党員・支持者であるか積極的には同党に反対しない者になっている。
 ②日本共産党が現在または将来の「国会」、つまりは国民代表者であるはずの国会議員たちは、<真の>「国民」代表ではなく、<真の>「国民」の意思を示すものではないと判断・決定し、どこかで(国会議事堂前も使って?)数十万規模の大集会を開き、かつ地方各地で同様の集会を開く。
 ③かつそれが独自にもつ「実力」組織はもちろん、警察組織・「自衛隊」は、上の集会等を規制できず、少なくとも「実力」をもって解散させることができない。
 ④地方を含む上の集会参加者は事実上、首相官邸、多くの省庁の建物、警視庁および同類の地方の役所を(道府県警察本部も含めて)「制圧」する。
 ⑤日本共産党はあらかじめ<新政府>閣僚名簿を用意し、東京のどこかに<新内閣>が構成されたとし、集まったマスコミ等に今後の政策方針も発表する。
 ⑥これらに関して果敢な何らかの措置を首相・警察庁長官等の権限者は発することをせず、又はすることができず、国会(衆参の区別をしないで書く)の多数派の議員団が特別の法律を議決・公布・施行して対処しようとするが、躊躇する議員も与党内にいて、協議に時間を要する。そして、「新政府」樹立等の報道等に接したり、国会内の共産党議員の主張・意見に立腹したりして、動揺したり立腹したりした結果として、与党議員はかなり退席してしまう。
 ⑦残る国会議員たちだけでぎりぎり現行国会法等が定める定足数を充たすことが判明し、共産党議員団は現国会を「自主解散」をし、実質的には<真の>国民の意思を代表するものとして「新政府」を正統な内閣として承認し、「新政府」のもとで現公職選挙法にもとづく選挙によって新しい国会を構成する旨の提案をし、同党と共闘政党および与党内「日和見」議員を足すとぎりぎりの過半数はあったので可決される(過半数でよいかの議論は一部または相当にあったが、結果的には無視された)。
 ⑧共産党および同党議員団は国会の<過半数議員>が賛成した<有効な>議決であるとし、「新内閣」への行政権移行を宣言し、国内・国際的にも大きく宣伝・報道する。
 さて、この事態、あるいは<権力移行>は、「暴力」革命なのか「平和」革命なのか?
 そもそも「革命」にあたるのか、そうではないのか。
 <真の>「国民」の意思に基づくというのは本当か? しかし、出席国会議員の<過半数>は新政府をそれとして正当化した、ということはどういう意味をもつか?
 いろいろな場合・動きを(米軍とか天皇とかの言動等を)想定して記述すると複雑になるので、避けている。
 言いたいのは、「平和」革命か「暴力」革命か、あるいは「革命」か否かは、実際にはさほど明確になるのではないだろう、ということだ。
 これは、元々は「国民」とか「国民の意思」という言葉から書き出したのだったが、とりわけ最後の「暴力革命」という言葉・概念の理解の仕方になる。
 そして、日本共産党が「暴力革命」路線を捨てていないコワイ党だといくら主張したところで、その「暴力革命」の意味を明確にしておかないと、全く意味がない。この批判は絶対に概念的、理論的には、日本共産党にコタえていないだろう(そのおかげで票が減るのはイヤだろうとしても)。
 ロシアの十月革命(新暦11月)の<新政府設立>=「社会主義革命」と少なくとものちに言われた一日または数日間、「実力(=暴力)組織」は存在していたが、じつはほとんど「血」は流れていない、つまり旧体勢派(当時のケレンスキー首班の臨時政府側)に多数の死者が出たのでもない。大殺戮、大虐殺といったものは起きていない。
 しかし、どうもこれは<暴力革命>だとされているようでもある。
 しかし、上の日本の?事例は、現憲法下の「国会」が何とか機能しており、法的連続性を何とか認めようとしており、かつかりに抵抗する国民・旧大臣等の大殺戮等がなかったとすれば、ロシア革命よりはさらに穏便な<権力移行>なのではないか?
 ともあれ、基本的な言葉・概念の使い方によって、「現実」はいかようにでも形容され、表現され得る、という面がある。
 <真の国民の意思>が何かはむろん容易には具体的に判明しないが、<それを代表する>とする政党・同党議員がまさにそれを代表すると「思い込んで」、実力組織の用意も含めて、強力に上のような「事例」を生じさせることはあり得るのではないだろうか?? 彼らにとって、「国民主権」原理と、なんら矛盾していないのだ。もともと国会以外では、<多数者に支えられた>新政府なのだ。
 なお、1917年10月、第ニ回全国ソヴィエト大会でのメンシェヴィキ等の「退席」はボルシェヴィキ(のちの共産党)に明らかに有利になっており、たぶん<全国労働者・兵士代表ソヴィエト大会>の名前でレーニンは<臨時政府は打倒された>等の声明を発した。
 長くなったがともあれ、「暴力革命」という概念の意味も明確ではなく、その範囲内に一定の「現実」が該当するか、という問題が生じることも当然にあり得るだろう、ということだ。
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 日本会議会長の田久保忠衛は昨年か一昨年の同会機関誌「日本の息吹」定例号かその特別号で、以下の旨を明言していた。
 <あらためて綱領・設立宣言等を読んでみたが、なかなかいいことを書いているではないかと思った。>
 会長が「あらためて」読んでこう感じた、というのも幼稚な感じがするが、これに関して言いたいのは以下だ。
 どの組織・団体もその設立趣旨・規約等々に<悪い>こと、一般的に<指弾されるようなこと>は書かないだろう。人を殺す団体です、とか日本の破壊を目指す団体です、とかはまず(前者はたぶん絶対に)書かない。
 設立宣言等に書いていることと、客観的にその組織・団体が行っている活動の効果や影響は(それがあるとして)同じであるとは全く限らない。「言葉・文章」と「現実」的機能が同じであるはずがない。
 日本共産党もまた、その綱領で、「社会主義」・「共産主義」という言葉を気にかけなければ、「なかなかいいこと」らしきものを書いている(以下、現行の綱領の一部)。
 ・「…さらに高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる」。
 ・「二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とすることをめざして、力をつくす」。
 前者のうち、「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」。なかなか、美しい社会ではないか。とくに「真に平等で自由な人間関係からなる…」は気にいった。「真に」と書いてあるから、では「ニセ」は?という疑問が生じるし、「原則として」とあるのも、タマにキズだけれども。

1899/G・ステッドマン・ジョウンズ・カール・マルクス(2016)。

 ソ連解体後でも、日本の出版社およびこれに影響をもつ日本共産党員や容共「知識人」の外国の<反共産主義>文献に対するガード(つまり、自主検閲・自主規制)は堅いようだ。
 L・コワコフスキの大著、R・パイプスの二著のほかにシェイラ・フィツパトリク・ロシア革命(最新版、2017)も邦訳書はない。
 一方で例えば、江崎道朗が唯一コミンテルン関係書として付録資料のそのまた一部を利用していた邦訳書・コミンテルン史(大月書店、1998年)は、立ち入った内容紹介はこの欄でしていないが、レーニン擁護まではいかなくともレーニンになおも「甘い」ところがある。かつまた、著者の二人は20-30歳代だったと見られ、そのうち一人の現在はネット検索してもさっぱり分からない。
 また、岩波書店のシリーズものの一つ、グレイム・ギルほか=内田健二訳・スターリニズム -ヨーロッパ史入門(2004年)は、レーニンとスターリニズムとの接続関係を何とかして認めないように努めている。まだ、この欄では紹介、言及していない。
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 カール・マルクスの人生や論考全体に関する近年の研究書に、以下がある。
 ①Gareth Stedman Jones, Karl Marx :Greatness and Illusion (Cambridge、2016年)。
 ②Jonathan Sperber, Karl Marx :Nineteenth-Century Life (Liveright、2014年)。
 これらは、目も耳も早そうな池田信夫が紹介したかもしれないと思ったが、まだのようだ。
 ①のG・ステッドマン・ジョウンズ・カール・マルクス-偉大と幻想(2016)は、奇妙な読み方だろうが、そのEpilogue であるp.589-p.595 を辞書なしで何とか読んでしまった(Kindle 版ではない)。
 小川榮太郎の文章を探して確認して読むよりは、私にははるかに知的刺激になる。
 小川榮太郎によると、彼の文章の意味が分からない者は、<小川榮太郎の「文学」>を理解できない人間なのだそうだ。
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 上の①の最後の部分を試訳する余裕はないが、著者は興味深いことを書いている。たぶん、以下のようなことだ。
 ・エンゲルスはマルクスの生前の手紙類をロシアの友人、「社会主義」者のLavrov に渡したが、その内容を<資本>の第二巻・第三巻の編集に利用しなかった。
 ・プレハノフ、ストルーヴェおよびレーニンがロシアのマルクス主義は「史的唯物論対人民主義」、「西欧化対ロシア主義」の闘いだとしたとき、エンゲルスは異論を挟まなかった。このことは、農民共同体の重要性が直接的な政治的争点になった国で、マルクスの見解を忘れさせる意味をもった。
 ・エンゲルスはロシアでの農民の多さ、都市プロレタリアートの少なさを指摘はしていたが、マルクスの1883年直前のロシア・農村共同体(ミール)に関する見解は20世紀にまで(ロシア革命以前に)ロシアに伝わらなかった。〔イギリスやロシアの農村共同体に関する論及がEpilogueの最初にあるが割愛する。〕
 ・マルクス=エンゲルス全集を編纂したRyazanov はマルクスからの手紙のやりとりがあったことを想い出し、かつAkselrod文書の中にあることが判ったが、編集者はマルクスの手紙が忘れ去られた本当の理由を理解できなかった。
 ・マルクスの手紙は、「正統派マルクス主義」派の「都市に基礎をおく労働者の社会民主主義運動の構築という戦略」ではなくて、プレハノフらに、「農村共同体を支援する」ことを強く迫るものだった。
 ・〔秋月の読み方では、マルクスは後進国とされるロシアでのプロレタリアートの少なさ・弱さからして、これの支持を得ての「革命」-「プロレタリアート独裁」を想定していなった。二次的に(必ずしも理論的にではなく)「農民」の支持を求めるいわゆる<労農同盟>論は-元々は日本共産党も継承した-マルクスではなく、レーニン・ボルシェヴィキによる。〕
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 このG・ステッドマン・ジョウンズの2016年著に対する書評をさらにネット上で見つけた。
 Terence Renaud (Yale Uni. )は、マルクスの伝記はとくにIsaiah Berlin、George Lichtheim およびLeszek Kolakowski のものが「スタンダード」だとしつつ(コワコフスキを除き、邦訳書があって所持している筈だ)、この著者も青年マルクスと成年マルクスの哲学上の継続性を承認する。しかし、長くは紹介しないが、こんな紹介があって、「しろうと」には意外感を抱かせる。一部だけ。
 「ステッドマン・ジョウンズは、マルクスの政治論は1860年代に変化した、と主張する。
 イギリスに逃亡中の間に、彼は社会(的)民主主義者、そして暴力的手段を拒絶する労働組合支援者に変化した。
 マルクスは蜂起についてのジャコバン型やブランキ型を放棄し、ゆっくりとした漸進的な変化を支持した。
 多数の共産主義者たちがのちに信じたのとは反対に、マルクスは革命に関して単一の劇的な事件ではなくて長い過程だと考えた。
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 しかし、このTerence Renaud は、著者のGareth Stedman Jones (1942~、Uni. of London)は、「新左翼」-「フランス構造主義派」-<マルクス主義放棄>と立場を変えており、自己正当化のためのマルクス理解・解釈ではないか、とかなり疑問視しているように読める。
 Stedman Jones はかつてNew Left Review の編集長だったらしく(1964-1981)、これはL・コワコフスキを批判するE・トムソンの文章が別の雑誌に掲載された1970年代前半を含んでいる(その反論がこの欄に試訳を掲載したL・コワコフスキ「左翼の君へ」)。
 T. Renaud という研究者についても全く知らないのだが、Stedman Jones の主張を鵜呑みにするわけには、きっといかないのだろう。
 だが、いろいろと興味深い議論または研究ではあるようだ。
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 日本で、マルクス(やエンゲルス)あるいはレーニン等に関する、冷静な学問的研究を妨げているのは、マルクスとマルクス主義あるいは「科学的社会主義」を党是とする政治組織・政党が存在していて、その「政治的」圧力が、意識的または無意識的に、日本の人文社会分野の研究者を<拘束>しているからだと思われる。
 <身の安全を図る>ために、日本共産党が暗黙に設定している<タブー>を破って「自由な学問研究」をすることを、事実上自己抑制しているのではないか、と秋月瑛二は推測する。「自由な学問」・「大学の自治」は共産主義組織・政党によって蝕まれているのではないか。
 かつまた、「(容共)左翼」に反発している人々も、立憲民主党や朝日新聞等を批判することがあっても、なぜか正面からの<日本共産党批判>には及び腰だ。
 なぜだろうと、つねに不思議に感じている。日本の出版業界やマス・メディア業界(これらも資本主義的で自由な営利企業体だ)の独特さ、奇妙さにも一因があるに違いない。

1827/読書しないでメモ。

 WiLL8月号増刊・歴史通(ワック、2018)。
 歴史通(ワック)というのはワックの季刊誌かと思っていたが、今は月刊誌の増刊号という扱いなのだろうか。
 表紙に、<朝日・NHKが撒き散らす「歴史」はフェイクだらけ>とある。
 朝日・NHKが撒き散らす「歴史」はフェイクだらけ、だとして、では、月刊Willの執筆者(・編集者)が撒き散らしている、いや失礼、適切に?伝播させている「歴史」には、「フェイク」はないのだろうか
 月刊正論、月刊Hanada、月刊WiLLの歴代編集者や執筆人の多くは、<日本会議史観>に染まってはいないのだろうか。「東京裁判史観」とか故渡部昇一のように言い出すと、すでにおかしい。
 櫻井よしこは国家基本問題研究所理事長だが、この「研究所」の評議員を務める編集者もいた。
 そして、伊藤哲夫、櫻井よしこ、江崎道朗らは、なぜかまず、聖徳太子の<十七条の憲法>を高く評価する。
 聖徳太子は皇族だったとされる。しかし、聖徳太子は神道よりも仏教に縁が深く、かつ政治的には敗北者だった。
 聖徳太子および近接の天皇・皇族たちの墓地(御陵)は飛鳥を含む奈良盆地にはなく、いまの大阪・南河内にある(太子町!)。伊藤哲夫、櫻井よしこ、江崎道朗らは、なぜかを説明できるのだろうか。
 日本にもかつて<憲法>があったなどという<言葉・概念>の幼稚なトリックに嵌まっていなければ幸いだ。
 つづいてなぜか、1000年も飛んで、後醍醐天皇も通過して、<五箇条の御誓文>を褒め讃える。
 そして、江崎道朗は、十七条の憲法・五箇条の御誓文・大日本帝国憲法は「保守自由主義」で一貫しているのだとのたまう。
 こういう単純化はたいていか全てそうだが、間違っている。<フェイク>の最たるものだ。
 ところで、こういう増刊ものは、新しい論考や座談だけではなくて、すでに発表されている論考等を再度掲載していることがある。
 <一粒で二度おいしい>のは出版社(・編集者)と執筆者(余分の収入になるとすれば)であり、迷惑なのはきっと<知的に誠実な>、新鮮な情報を期待している読者だろう。
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 八幡和郎・「立憲民主党」・「朝日新聞」という名の"偽リベラル"(ワニブックス、2018)。
 入手して、「はじめに」だけ一瞥した記憶がある。
 八幡和郎は文筆で「食って生きている」人物のようで、多数の安っぽい書物を敬遠してきたのだが、意外によいことを書いていることを、この半年くらいに、この人のブログで知った。したがって、現在は敬遠してはいない。
 池田信夫・所長とどういう関係にあるのか詳しく知らないが、親しくはあるようだ。
 そして、池田が八幡に対して「新手の皇国史観」だと批判したら、八幡が「それはそうかもしれないけれど」とか反論していたのが面白かった。
 面白かったというのは、内容もそうだが、たぶん同じ共同ブログサイトの執筆者でありながら、相互に批判し合っていたからだ。
 内容の当否に立ち入らないが、こういう<自由さ・率直さ>はなかなか面白く、よいと思われる。
 産経新聞の「正論」欄編集者が元原稿にあった特定の人物(批判された櫻井よしこ)の名を事実上削除した感覚とは、かなり異なるだろう。
 さて、上の本。「読まない」で書くが、第一に、望むらくは、秋月瑛二が<敵視している>勢力のことをやはり批判している、と理解したいものだ。立憲民主党と朝日新聞が明記されているところをみると、大いに期待できるだろう。
 第二、私は、「左翼」または共産主義(・社会主義)者・日本共産党および<容共>の者たちを、この欄で批判している。簡単には「左翼」または「容共」論者だ。
 しかして、八幡和郎のいう「偽リベラル」とはいったいどういうつもりの呼称なのだろう。
 もちろん、「本当の」・「真の」リベラルではない、ということは簡単に理解できる。
 中身を読めば書いているのかもしれないが(そう期待したいが)、リベラルまたはリベラリズムの概念論争に決定的な意味があるとも思えない。
 気になるのは、八幡和郎は「偽リベラル」を何と簡単に呼称しているかだ。立憲民主党や朝日新聞等でははっきりしない。要するに、共産主義(・社会主義)者・<容共>者ときちんと呼称して、対決しているか否かだ。
 私の理解では、立憲民主党と朝日新聞が「左翼」の中核にいるわけでは決してない。
 しかし、<特定保守>論壇もそうなのだが、商売として<左翼>をやっている気配がたぶんにある立憲民主党と朝日新聞を攻撃すればよい、というのでは不十分だろう。
 批判の矢はきちんと、日本共産党「等」の今に残る共産主義(・社会主義)者に向けられなければならない。
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 以上の二者。いずれも、本当に「読まないで」書いてしまった。
 八幡の本は入手して数ヶ月、本棚のどこかに置いたままだ。「本来の」リベラルの立場からするという、原理的「左翼」あるいは原理的護憲派、憲法九条死守派に対する批判など、簡単に想像できそうであるからでもある。大きく間違っていれば、幸いだ。

1796/池田信夫5/04ブログと「国民党」・憲法九条。

 池田信夫5/04「平和憲法が野党をダメにした」によると、新しい「国民党」の綱領には「違憲の安保法制の白紙撤回」や「解釈改憲を許さない」があるそうだ。
 池田とともに、やれやれという感じがする。
 昨年9月、もう半年以上も前になるが、毎日新聞の第二面あたりに、「保守かリベラルか」という大きなタテの見出しがあった。
 それは当時の民主党の代表選挙が前原誠司と枝野幸男の闘いになると報じるもので、前原=「保守」、枝野=「リベラル」と旧民主党内を位置づけ又は「色分け」していたわけだ。
 保守とリベラルという語のこういう使い方が印象に残ったのだった。それはともかく、9月から10月にかけての民主党や総選挙に関するコメントの中で共感できたのは、池田信夫によるものだった。
 原典、ソースの確認は厳密に行って、典拠は示してきたつもりだが、ここでは端折る。
 池田は、民主党が割れて反共・非共と容共の違いが明瞭になるだけでも意味がある、そういう形で選挙が行われるだけでも今回の(昨秋の)総選挙の意味はある(それだけてもよい)という趣旨のことをブログで(どの欄だと特定しないが)書いていた。
 これに秋月瑛二が同感できるのは、<反共・非共>対<容共+共産党>こそが現在の日本の最大の対立軸だと考えているからだ。後者は、私のいう「左翼」だ(とくに菅直人が首相のときの民主党は、民主党全体が「左翼」だと考えてきた)。
 そして、より具体的には、国会等々において日本共産党と「共闘」してもよい、又はそうすべきだ、とするのが「容共」=「左翼」だ(旧社民党で小選挙区当選のために旧民主党に移った辻元清美、何と東京大学名誉教授の上野千鶴子等々、いっぱいまだいる)。
 そういう民主党の中で<反共・非共>の旗幟を明確にしたい議員たちがいたのはよいことで、前原が代表となり、総選挙も想定して、小池百合子の「希望の党」と合流することとなった。
 このとき、安倍晋三首相・自民党総裁は、こう皮肉り、あるいは挑発した。
 <選挙目当ての野合ではありませんか!
 この言葉は、正確には奇妙なことだ。
 なぜなら、自民党こそが、最大の「選挙目当ての」、あるいは議員やそれになりたい者たちが「選挙での当選」を最優先にして入党し、そのような者を軸にしていくつかの集団を作って「野合」している政党だからだ。
 この安倍晋三発言(・演説)のたぶん翌日だっただろう、小池百合子はこの発言を意識していたに違いない。そこで、こう言った。
 民主党議員を<丸ごと受け入れるのではない。(一部は)排除します。
 新党・希望の党に吹いていた風向きがここで変わったようだ。
 しかし、どう真面目に考えても、(旧)民主党内の明確な<容共>または明確な<反・保守または自民党>の議員全てを取り込んだ新しい党というのは想定し難い。
 小池百合子は「改革保守」、「しがらみのない保守」を目指すと、明確に発言していた。
 したがって、「排除」であれ「拒否」、「区別」であれ、論理的には全く問題はないものだった。
 しかし、この言葉に<傲慢さ>を感じたのだろうか、「言葉」の揚げ足取りを好む日本のマスコミは「排除」という語をしきりと報道した。
 そしてむしろ関心は、新党ではなく、新々党である「立憲民主党」へとさらに移ってゆき、野党の中では枝野幸男を党首とする立憲民主党が第一党になってしまった。
 当時、池田信夫のブログをよく見ていたのだが、こうした状況の変遷をよく感じ取れた。
 そして、いつだったか、池田は、<今回の総選挙は、政治的には一回休み(だった)>と書いた。
 これにもまた、同感できた。
 ほとんど変わらなかった。大きくは変わらなかった。
 しかし、重要な一つは、上記のように「改革保守」・「しがらみのない保守」を標榜した<希望の党>が惨敗したことだ。なぜだったのだろうか。
 この「保守」色が<なんとなく左翼>を含む一般有権者に嫌われた可能性もあり、また立憲民主党に新鮮さを感じた人たちも多くいたのかもしれない。
 しかし、その理念から見て、<希望の党>と立憲民主党は基本的に異質だったはずなのだ。同じ<新党>という名で括れるようなものではなかった。
 また、昨年前半にはあった小池百合子ブーム的なものは、<本来の保守>だと自らを考えている日本会議や産経新聞主流派には気にくわなかった可能性がすこぶる高い。
 日本会議・産経新聞主流派は政治運動の中での「保守」運動の主流・中心だという(自分たちはそう考えている)位置を奪われてしまう危険を感じたのだ。
 危険は、小さいときに摘み取っておくにかぎる。
 そこで、<保守系>月刊雑誌にも、立憲民主党や共産党よりもむしろ<小池百合子>を批判し警戒する論考や記事が多くなった。
 いちいち立ち入らないが、当時の月刊正論、月刊Hanada等を見れば明らかだろう。
 櫻井よしこはこの当時以前から、小池百合子に対する敵意を丸出しにしていた。
 政治運動団体・日本会議の基本的な考えにそったものだと思われる。
 また、中国問題等々でかなりよい発言等をしていた有本香までもが、編集者・出版者に依頼されたからだろう、反小池百合子の論考や書物を書くに至った。
 日本会議・産経新聞主流派の<保守系>評論家に対する影響は大きい、と言わなければならないだろう(その例は、江崎道朗にも見られる)。
 産経新聞の表向きの姿勢は別として、少なくとも日本会議の幹部たちの関心は、共産党でも立憲民主党でもなく、自民党を大きくは減らさないこと、そして小池百合子(=希望の党)を大きくさせないことにあった、と推察させる。
 日本会議という特殊な政治団体という「ピース」に気づいてそれを嵌めて、初めて理解できることが秋月にはある。
 なぜ、産経新聞社発行の月刊正論の編集代表者・桑原聡は、あれほどまでに橋下徹を危険視したのか
 さらに別の機会に書く。要するに、彼らは自分たちの影響力の外で「保守」と名乗る又は「保守」だと評される者の存在を認めたくないのだ。
 小池百合子のいった「しがらみのない保守」とは何だったのか?
 自民党にいた小池だから、いろいろなことを知っているに違いない。そしてすでに当時に秋月はこう意識したものだ。すなわち、「しがらみ」=日本会議の影響ではないとしても、「しがらみ」の中には安倍晋三等(日本会議関係国会議員)と日本会議の間のそれも含まれているに違いない、と。
 安倍内閣が昨8月頃に支持率を落としていた背景の一つは、「お友だち」つまりは稲田朋美等の日本会議と親近的な議員を閣僚や自民党の要職の就けている、という印象だったと思われる(そして、小池百合子は安倍総裁のもとでの自民党では「疎外」されていた)。
 なお、これまた特定の手間を省くが、八幡和郎は選挙後に、「希望の党」がもっと増えていた方が憲法改正は容易になったとだろうブログで書いていた。この感想も、池田信夫のそれとともに的確だろう。
 総選挙結果に関するもう一つの重要なことは、日本共産党は議席を減らしたが大敗したわけでもなく、日本共産党が候補者を立てなかった選挙区でかなりの立憲民主党の候補者が当選したことだ。つまり、現在の立憲民主党国会議員には共産党員や本来は同党支持者の票が入っている。
 そして、日本共産党幹部会委員長・志位和夫は、こう明言した。
 <志を同じくする候補が多く当選したのはよいことだった(決して悲観しない)>、と。
 日本共産党からすれば、立憲民主党は<志を同じくする>党と見られていることに注目しなければならない。
 この「志」というのは、社会主義(・共産主義)への道というわけではなく、現時点では、2015年成立の平和安全法制は違憲だと言い続け、<九条改憲を許さない>と主張する姿勢に間違いないだろう。立憲民主党というのはこの点では日本共産党と同じで、紛れもなく<容共>政党であると認識しなければならない。
 かくして、憲法問題では、共産党・立憲民主党・社民党・自由党という共産党と「左翼」政党が明確に揃い組みすることになった。
 ここで今回の冒頭に戻るが、玉木雄一郎らの「国民党」なるもの所属の議員たちが、昨年の民主党分裂の意味を忘れ、一体何のための分党で、何のための「希望の党」設立だったのかを放念しているのだとすれば、見識と良識、人としての倫理感の欠如を疑わせる。
 池田信夫が指摘するように、「憲法」でしか自民党と差別化できない野党というのは、きわめて存在意義が薄い。
 あらためて書いてもよいが、九条をめぐる「改憲」か「護憲」(または改悪阻止)かは、現在の日本の基本的な対立軸では全くない、と考えるべきものだ。
 そのように対立軸を設定してきたのは、憲法学界に党員や支持者を多く獲得することを地道に?積み上げてきた日本共産党の戦略そのものだ。
 日本共産党は、「憲法」を利用して、あるいはそのいう「平和と民主主義」を利用して、党員や支持者、そして選挙での票を獲得し、拡大しようとしてきたのだ(その長い闘争のわりには、それはまだ完全には成功していない、とは言える)。
 憲法九条をめぐる対立は現在の日本にとって決して最大の、あるいは本質的な問題ではない。いや、正確に言えば、九条二項の廃止・国防軍の設置に賛成か反対かではなく、二項存置「自衛隊」明記に賛成か反対かというのは、全くとるに足らない、馬鹿馬鹿しい、非本質的な、「とんちんかんな」議論を生じさせている、ニセの対立点だ。
 すでに内閣法制局、そして内閣の憲法解釈が変わり、2015年の国会・両議院もまた、その解釈を支持して平和安全法制を成立させ、施行させた。<フルスペックではない>にしても現憲法下でも限定的な集団的自衛権の行使はできることに、法制上なっており、現在の国会も内閣もこれは違憲ではないと判断している。
 新しい「国民党」は、これをいったいどうしたいのか?
 かつまたこれを論じることに、いま、どのような意味があるのか。
 日本共産党が今でも自衛隊の存在自体が違憲だと主張し続けているように、立憲民主党同様に「国民党」もまた、2015年平和安全法制について「違憲の安保法制の白紙撤回」と主張し続けるつもりなのか。バカバカしい。
 ついでに追記しておく。
 枝野幸男は自衛隊の憲法明記は2015年平和安全法制による「集団的自衛権行使の容認」を憲法が容認することになるから(二項存置)自衛隊明記に反対する、と言った。
 また、小池百合子は、自信たっぷりではなかったが、現在防衛省の中の重要だが一部署であると言うしかない自衛隊を(防衛省設置法を飛び越えて)憲法上のものにするのは奇妙だ、と昨秋に述べていた。
 この二つの議論は、いずれもおかしい。憲法・法律の関係、憲法解釈というものが分かっていない。「とんちんかんな」議論がすでにいっぱい始まっている。
 今回は立ち入らない。
 青山繁晴、高市早苗のように、二項存置「自衛隊」明記論に反対し、二項自体の削除を支持することを明確にしている自民党国会議員もいる。こちらの方が「正しい」方向だろう。
 (二項存置)「自衛隊」憲法明記についての自民党の条文案では、「自衛隊」に関する違憲・合憲論争に「終止符を打つ」ことは絶対にできない。かつまた、違憲・合憲論争をかえって刺激して大きくすることになる。自信をもって、確言できる。
 この点は機会があればまた書きたいが、国民投票の現実的可能性等々も勘案すると、大きな関心はなくなっている。

1495/食糧徴発廃止からネップへ③-R・パイプス別著8章6節。

 前回のつづき。
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 第8章・ネップ-偽りのテルミドール。
 第6節・食糧徴発の廃止とネップへの移行③ 〔p.393~p.394〕
 1922年と1924年の間に、モスクワは貨幣なき経済という考え方を放棄し、伝統的な会計実務を採用した。
 政府は予算上の欠損を充たす山積みの紙幣を必要としていたので、会計上の責任体制への移行は困難だった。
 ネップ(新経済政策)の最初の三年間、ソビエト同盟では実際には、二種類の通貨が並んで流通していた。
 一つは、denznaki とか sovznaki とか呼ばれる、実際には無価値の『引換券(token)』、もう一つは、chervonets と呼ばれる、金を基礎にした新しいルーブルだ。//
 ルーブル紙幣は、印刷機が作動するかぎりで急いで製造された。
 1921年にその発行数は16トリリオン(trilliom、16兆)だったが、1922年には2クヴァドリリオン(quadrillion=1000 trilliom、2000兆)に昇った。これは、『16桁の数字をもつ量、財務というよりも晴天の空での天文学を連想させる量』だった。(98)
 無価値の紙券が、洪水のように国を覆いつづけた。政府は一方で、新しい安定した通貨を生み出し始めた。
 財政改革は、ニコラス・カトラー(Nicholas Kutler)に託された。この人物は、銀行家、セルゲイ・ウィッテ内閣の大臣で、政府の仕事から引退したあとは、カデット(立憲民主党)の国会下院議員だった。
 カトラーの奨めで1921年10月に作られた国有銀行(Gosbank)の理事会の一員に、彼は指名された。
 政府が新通貨を発行することや国家予算を帝政時代のルーブルで表記することも、彼の助言によっていた。(99)
 (類似の改革は二年後に、ヒャルマール・シャハト(Hjalmar Schacht)のもとでのドイツでなされることになる。)
 国有銀行は1922年11月に、chervontsy 、5種類の銀行券を発行する権限を与えられた。これら銀行券は、25%は金塊と外国預金、残りは農産物や短期の借款で支えられた。
 新しい各ルーブルは純金7.7グラムに相当し、金の価値は帝制時代の10ルーブルと同じだった。(+)
 Chervontsy は法的な弁済よりも国有企業間の大規模の取引や決済に用いられることが想定されたが、古い引換券(token)と一緒に流通した。後者は、天文学的数字にかかわらず、小規模の小売り取引で必要とされた。
 (レーニンは、貨幣政策としては金を伝統的な地位に復活させる必要があると批判されて、共産主義が世界中で勝利するやいなや、ルーブル紙幣の使用は手洗所の建設に限られることになる、と約束した。)(100)
 1924年2月までに、Chervontsy で表記された貨幣量は10分の9になった。(101)
 引換券(token)ルーブルは1924年に流通しなくなり、帝制時代のルーブルの金の内容をもつ『国家財務省券』が取って代わった。
 このとき、農民は、国家への納税義務を一部又は全部、生産物ではなく金銭で履行することが認められた。//
 租税制度もまた、伝統的な方向で改革された。
 金ルーブルで計算される国家予算は、定期的に作成された。
 1922年に総支出の半分以上に達していた欠損は、次第に小さくなった。
 1924年に公布された法令は、欠損を埋めるための手段として銀行券を発行することを禁止した。(102)//
 国有企業の経営者は抵抗したにもかかわらず、小規模の私企業や協同企業を推進する布令が裁可された。これら企業は、法人格を付与され、限られた数の有給労働者を雇用することが許された。
 大企業は依然として国家の手のうちにあり、政府からの助成金で利益を確保し続けた。
 レーニンは、社会主義の国家的基礎を、彼の権力基盤とともに徐々に破壊するという危険(リスク)がネップにある、ということを十分に察知した。そして、経済の『管制高地』の支配権は政府が維持することを確かなものにした。輸送はもとより、銀行、重工業および貿易(=外国との取引)についてだ。(103)
 中規模の企業は、健全な会計実務に従うように命じられ、自立的になった。その会計実務は、Khozrazchet として知られる。
 怠惰な又は非生産的な中規模企業は、賃貸借の対象になる第一次の候補だと指示された。
 4000以上のこのような企業は、その大部分は小麦製粉業だったが、以前の所有者か又は協同企業に賃貸された。(105)
 こうしたことを容認したことは、設定した基本的考え方で、とくに社会主義の実務ではきわめて嫌悪された被雇用労働者を許した点で、主として重要だ。
 生産に対する実際の影響は、限られていた。
 1922年に国有企業は、価額を規準として、全国家産業生産高の92.4%を占めた。(106)//
 Khozrazchet への移行は、自由な業務や商品の綿密な構造を放棄することを強いた。そのために、およそ380万人の国民は、1920年と21年の間の冬に、政府の費用でもってその基本的な必需品を与えられた。(107)
 郵便と輸送は、〔政府から〕支払われるものとされた。
 労働者は金銭で給料を受け取り、公開の市場で必要な物を何でも購入した。
 配給もまた、次第に少なくなった。
 小売取引は、一歩一歩、私営化されていった。
 国民は、都市の不動産を売買すること、印刷業社を所有すること、薬品や農機具を製造すること、を許された。
 1918年に廃棄されていた相続する権利は、部分的に復活した。(108)//
 ネップは、魅力的でないタイプの起業家、古典的な『ブルジョア』とはきわめて異質な者たちを培養した。(109)
 私企業にとってロシアの環境は根本的に非友好的で、かつその将来は不安定だったので、経済自由化を利用した者たちは、得た利益を明日のことなど考えないで費やした。
 政府やそれと似た社会にパリア人のごとく取り扱われて、『ネップマンたち(Nepmen)』は、現物でもって返報した。
 貧窮のど真ん中で、彼らは贅沢にかつ目立って生活し、高価なレストランやナイトクラブに群らがった。毛皮のコートで身を包んだ愛人たちを見せびらかしながら。//
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  (98) Arthur Z. Arnold, ソヴェト・ロシアの銀行、信用、貨幣 (1937), p. 126。
  (99) カー, ボルシェヴィキ革命, Ⅱ, p.350-352。
  (+) 帝制時代の『chervonets 』とは、金貨の名前だった。ソヴェトのchervontsy は多くは紙幣で、ある程度は新たに鋳造されたけれども。
  (100) レーニン, PSS, XLIV〔第44巻〕, p. 225。
  (101) N. D. Mets, Nash rubl' (1960), p. 68。
  (102) ソ連の国民経済・1921-23以降〔統計年鑑〕, p.495-6, p. 498。
  (103) レーニン, PSS, XLV〔第45巻〕, p. 289-290。
  (104) RTsKhIDNI, F. 5, op. 2, delo 27, list 34。
  (105) Genkina, Perekhod, p. 232-3。
  (106) カー, ボルシェヴィキ革命, Ⅱ, p.302-3。
  (107) リチャード・パイプス, ロシア革命, p. 700〔第二部第15章「戦時共産主義」第8節「市場廃棄の努力と陰の経済の成長」〕。
  (108) Allan M. Ball, ロシアの最後の資本家 (1987), p.21-22。
  (109) 同上の各所。
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 ④につづく。
ギャラリー
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