一 6/08に<秋葉原・通り魔>事件が起きた。逮捕された犯人は、25歳だという。ということは、1982年か1983年の生まれ。
1997年5月に、神戸で「酒鬼薔薇」と称した当時14歳の少年による「猟奇的」殺人事件が起きた。この少年は1982年7月生れで、今回の秋葉原の事件の犯人と同じ年か前年の生まれ。二人は少なくとも同一世代に属している。
法的な制裁はむろんこれら犯罪者に(責任能力があれば)課せられるべきだが、<戦後日本>の教育・社会に問題はなかったのか、という問題意識はもって然るべきだろう。
ということから、別の所に1年以上前に自分が書いた文章を思い出した。
二 1 月刊・正論2007年3月号(産経新聞社)の中の稲垣武のマスコミ論評の中に一種の世代論がある。-「いじめやホームレス殺し、さらには親兄弟殺しなどが多発するいまの少年の親は、団塊ジュニアの世代に当たる」(p.174-5)。これは不正確だ。「団塊」を1947-49年でなく便宜的に1945-50年生れとし、かつ20-40歳で子供を持つとすると「団塊ジュニア」は1965-90年生れと拡散する。この世代がやはり20-40歳で子供を持つとすると、1985-2030年生れとさらに拡散する。一方、近年諸犯罪等を冒している青年たちを10-25歳とすると2005年を基準として1980-1995 年生れとなり、その親は20-40歳で彼らを生んだとすると、1940-75年生れとなる。上で記した「1965-90年生れ」とかなりズレているのでないか。
ともあれ、「ジュニア」世代は年令幅が拡大するので注意が必要だ。稲垣はまた、「団塊」世代の親は「昭和一桁世代」と書くが、これは明確な間違いだ。 1945-50年生れの者を20-40歳で生んだ者は、1905-30年生れという計算になり、「団塊」世代の親は明治38年から大正を経て昭和5年までに生まれている。中心は大正時代生れと見るべきで、「昭和一桁世代」とするのは誤りだ。
稲垣のあとの叙述を読むと、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)内の世代論と同旨のところがあり、後者の影響を受けていると見られる。だが、中西は1965年以降生れを(1935年以降生れを親とする、)「昭和二世」 と称しており、「団塊ジュニア」とは称していない。「昭和二世」と「団塊ジュニア」は必ずしも一致しないのだ。
2 このような気になる所はあるが、稲垣武の指摘が基本的に誤っているわけではない。中西輝政の本を見ないまま稲垣の文を使っていえば、昭和の第一世代には「戦前からの倫理道徳が根強く残って」いて「子供のしつけ」にもそれは反映されていたが、第二世代はそういう親はいても「『戦後教育』にどっぷり漬かって育った世代」で「子供にそんな倫理道徳を教えることはなかった」。その子供たちの第三世代は「学校でも家庭でも倫理も道徳も教えられず、野放しの欲望だけを剥き出し」、「残虐ないじめ」等をする(中西氏は第二世代を1965年以降(か前後)生れの世代としていたかと思うが、稲垣氏はこの第二の世代を誤って「団塊」世代に読み替えている)。
3 かかる基本的な理解はおそらく適切だ。戦前の教育が100%素晴らしかったとは毛頭思わないが、戦後と比べれば、国家・社会公共への奉仕精神、お互いにいたわり合う心、最近よくいう「規範意識」を培うような教育だったように思われる。
上の第一世代にはこれが残り、第二世代にもある程度は伝えられたはずだが、第二世代は自分の子供たちにそのような「しつけ」はせず、公教育の場でも「個人の尊重」(現憲法、旧教育基本法)の方が優先された。第二世代にもある程度は伝えられた、と書いたが、第一世代の直接の言葉によることもあれば、無言の立ち居振る舞いによることもあっただろう。
だが、思うに、敗戦と「価値観の転換」があって、第一世代は、また学校の教師も、国家・社会公共への奉仕精神等々を第二世代に「自信をもって」教えることはできなかったのでないか。そうして育った第二世代がその子供たち(第三世代)に社会公共への奉仕・いたわり合う心等々の「しつけ」をできるはずがない。「団塊」世代は第一世代と第二世代の中間だが、第二世代により近いことは確かで、稲垣の見当は全く外れてはいない。私や周囲の同世代の者を見てもそれは判る。
4 本筋からやや離れれば、戦後の男女対等教育のもとで戦前よりは高学歴を身につけながらも職業人でなく多くは「専業主婦」となった「団塊」世代の女性たちは(上の第二世代の女性も同様だろうが)、いかなる「基本的価値」を自分たちの子供に伝えるかを迷ったか、又はそんなことを全く意識しなかったかのいずれかだろう。
そして、時間的にも余裕があった彼女たちが最も気にしたのは、自分の子供をどの高校・大学に進学させ、どの著名な企業に勤めさせるか又はどの立派な職業に就かせるかであり、そこには<国家・社会公共>との関連性などまるでなく、ただ同世代の他人の家庭との比較により関心があり、子供の「個人的」成果は同時に自分の「個人的」成果でもあったのだと思われる。
そのような女性たちを、「働きバチ」又は「モーレツ」サラリーマン男性だったその夫たちは放任するか、消極的又は積極的に協力した。
以上のような話はむろん相対的な「傾向」を述べており、実証的な根拠・資料があるわけでもない。だが、私も含む戦後教育のみを受けた者の多くが子供たちに望んだのはよい「成績」・よい「学校」・よい「就職先」であり、よい・立派な「人格」ではなかったこと、「社会公共への奉仕心」を持つことではなかったこと、だけはほぼ明らかではなかろうか。むろん、教育を受けた側にのみ責任があるわけではない。学校及び教師を含む「時代」の雰囲気がそうだったのだ。いや、現在でもそうかもしれない。
5 神戸の「酒鬼薔薇」事件の14歳少年は1982年7月生れで、その両親はともに「団塊」の1950年生れだった。寺島実郎・われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006)は、その両親の手記(私は未読だが、「少年A」・この子を生んで…(文春文庫、2001))を読み、「まったく書いていないこと」に「気づいて愕然とした」という。-「この本にはただの一度も『社会』とか『時代』という問題意識が出てこない。つまり、時代の課題に親として、大人として関与して苦闘しているという部分がまったく登場しない」(p.126-7)。寺島氏自身が1947年生れだから「愕然」としつつも納得できる所があった筈だ。
寺島はこうも書く-「団塊世代」の環境には、「国家とか社会とかいった全体の価値を胡散臭いものとして否定し、拒否する」という「『戦後民主主義』がつくりだした独特の文化状況が存在した」。
「団塊」世代が公教育を受けていた時代、おおよそ1955-65年にはまだ「いじめ」とか「学級崩壊」という言葉はなかった。地方や地域・学校により異なるだろうが、言葉のみならず実態も相当に少なかったのではなかろうか。上の言葉は1970年代の後半になって出てきた。中西輝政がいう「昭和二世」の先頭が小学生から中学生になった頃だ。
6 まだ一部なのかもという期待はもはやできず、いずれかの時期から学校・教育・家庭環境は「おかしく」なったように思われる。そして、それが寺島のいう「戦後民主主義」という「独特の文化状況」によることは間違いないと思われる。別言すれば、「戦後」日本の「悪しき『個人』主義・『平等』主義」という精神・文化・社会状況だ。<悪しき「平等」主義>は、<(平均)人並み>に処遇されない者に、過大な対社会への不満感情と過大な自己卑下感情を形成させ得る。この<悪しき「平等」主義>は、<悪しき「個人主義」>を基礎にしている。
「戦後体制からの脱却」とはかかる状況からの離脱をも意味していた筈なのだが。
稲垣武
再述すれば、産経・山本雄史は自らのブログ7/30上で、最後に「安倍首相は引き続き政権を維持する決意を固めている。政権にとどまることで、さらなる国民の反発が予想されるのだが、…。安倍首相は空気を読めているのだろうか」と結ぶ一文を書いた。コメントに対して「「退陣しろ」とまでは書いてません。におわせるような部分はありますが…」と逃げている文章もあるが、退陣すべきだった(続投すべきでなかった)と考えており、そう主張したのは実質的に明瞭なことだ。
なお、以下はすべて、同氏の書いたものの引用だ。①「国民に「首相が居座っている」という印象を持たれても仕方がないような発言が多い」、②「不信任とみられても仕方がない負け方だ」、③「国民がノーを突きつけているという事実をこの人〔首相〕にはわかっているのかなあ?と思わせるような発言が多かった」、④「国民の審判が下ったにもかかわらず、…現在の状況を把握されていないのではないか?という疑問」を持った、⑤「自民党の最高責任者は安倍首相なので、責任が問われるのは筋としておかしくない」、⑥「首相自身が、自身の置かれている状況を正確に把握しているように思えなかった」、⑦首相発言は「民意なるものを軽視しているとしか思えない」。
上のブログ本文を中心にして、いくつかの疑問も湧き、質問もし批判もしているのだが、山本雄史のブログ上にはまだ、<秋月氏に答える>、<…に反論する>というタイトル又は内容の文章は掲載されていない。
ネット上に新しい言論空間の可能性があるというなら、頬かむりしないで何らかの反応をネット上で示したらどうだろうか。私は一個人としての山本氏ではなく、産経新聞記者としての山本雄史氏に向かって発言している。
さて、依然として、この人はなぜこんな皮相で単純なことしか書けず、主張できないのだろうか、とその理由・背景について思いめぐらしている。いくつかそれらを推測するとともに、あらためて質問をしておこう。
第一に、山本は安倍首相は退陣すべき旨を主張したとき、内閣総理大臣の地位に関する衆議院と参議院の位置づけの違いを少しでも考慮しただろうか。
政治(も)担当する新聞記者ならば、国会法・公職選挙法・政治資金規正法等の基本的概要を熟知しておく(少なくとも簡単に確認・調査できる状態にしておく)べきなのは当然だが、現憲法上の関係規定を知っておくべきことは当然のこと、言わずもがな、のことだろう。
安倍首相は憲法の定めにもとづき衆院・参院両院の議決によって内閣総理大臣の地位に就いた。これ以上は既述のことでもあるので反復しない。
山本は、衆院の内閣不信任議決→総辞職か解散、に対して参院にはかかる手段又は制度はない、ということくらいはきちんと理解した上で問題の一文を書いたのだろうか。
むろん参院選の結果について党首に<政治的責任>の問題が発生しうることは一般論として否定しない。だが、かりに、こうしたあたり(憲法制度・憲法諸規定)について何の知識もなく、何の考慮することもなく、安倍首相は退陣すべきとの一文を書いたのだとすれば、もうそれだけで政治(も)担当記者として失格だと思われる。
質問したい。山本雄史記者は、内閣総理大臣の選任、内閣総理大臣の地位に対する参議院の権限に関する憲法上の諸規定を知ったうえで、又は考慮したうえで上のような主張をしたのかどうか。
なお、参院選挙の位置づけに関する参考となる論述を含み、かつ安倍首相続投を支持するものとして、以下がある。<リンク削除>
第二に、朝日新聞等のマスコミの選挙報道の仕方についての認識が、少なくとも私とは異なっている。少なくとも私、と書いたが、同様の認識・理解は決して少なくはない。例えば、それぞれ私のブログで取り上げたのだが、産経の古森義久は7/11ブログ「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」で、このタイトルどおりのことを批判的に指摘・主張していた。
週刊新潮7/26号も「「安倍憎し」に燃える朝日の「異様すぎる選挙報道」」との見出しの特集的記事を書いた。
また、稲垣武は8/02に「今回の参院選での選挙報道は疑問だらけ」とし、選挙結果について「戦後レジームからの脱却を唱えた安倍首相と対立する朝日新聞の「反安倍キャンペーン」が功を奏した」と簡潔に言い切っている。
さらに、そもそも山本雄史が所属する産経新聞自体が「何たる選挙戦」という他マスコミ批判をかなり含む特集記事を投票日直前に連載したのだ。
ところが山本は、驚くべきことに、産経新聞、古森、稲垣(そして私等)のような認識を全く又は殆ど持っておらず、むしろ他マスコミを擁護する言葉を発している。
例えば、①「安倍氏の志も業績もなにひとつ伝えず、すべて悪意に解釈する報道を日々執拗に繰り返して強引に作り出された空気ではないか」との山本ブログ文へのコメント(発信者の名は省略させていただく)に対する、「うーん、少なくとも産経新聞は安倍政権の良さ、魅力を徹底的に報道していたと思いますが…」。ここでは、他マスコミには言及しないで逃げている。
②「産経は一貫して、安倍政権支持を明確にしてきました。公平さの面で言うと、首相サイドの記事が選挙期間中も多かったです。産経が公平な報道をしてきたか、というと何ともいえません」。ここでは何と、安倍首相支持を明確にしてきた(という)産経新聞の「公平さ」を問題にしている(!)。安倍首相を批判した朝日新聞等の方が「公平」だったと主張していると理解されてもやむをえない文章だ。
③「野党の失言や不祥事について、マスコミは意図的に無視していた…。うーん、そういう印象はあまりない」。
④「確かに、一部メディアは「安倍叩き」に奔走してました。ただ、軽薄かどうかは、国民は意外にシビアに見ていると思います」。ここでは一部メディアの「安倍叩き」奔走の事実は承認しながら、それを「軽薄」だとは言っていない。むしろ、「安倍叩き」奔走は決して「軽薄」ではなかった、と擁護しているニュアンスの方が強いことは明らかだ。
以上の言葉は、一般の人が書いているならば読み流す類のものかもしれないが、新聞記者、しかも産経の記者の言葉となると、驚かざるをえない。
山本雄史氏は、自らが帰属する産経新聞の主張・判断よりも他マスコミのそれらをむしろ支持しているようだ。産経の記者が産経新聞の「公平さ」を疑問視した部分は、歴史的にも記録、記憶されてよいものになるだろう。
さて、推測になるが、山本は産経以外の各紙を読み(例えば私と違って全紙に容易にアクセスでき容易に読めるに違いない)、諸テレビ局の報道ぶりを見て、数の上では多かったかもしれない<反安倍>ムードの方の影響を受けてしまったのではなかろうか。あるいは朝日等の他紙の記者と接して語り合ったりしているうちにその影響を受けて、自社(産経)よりも他紙の主張の方に魅力?を感じたのではあるまいか。稲垣のいう朝日新聞の「反安倍キャンペーン」の効果は、あるいは同氏のいうマスコミの「狂風」は、マスコミ内にいる産経・山本の心理・考え方にまですら及び、巻き込んだのではなかろうか。
あらためて質問したい。朝日新聞に便宜的に又は代表させて限定しておくが、朝日新聞の今回の選挙報道ぶりに問題(批判されるべき点)はなかったのかどうか。かりにあったとすれば、それはどの程度のもので、貴氏はそれをどう批判するのか(「問題はなかった」と言うなら、その旨答えてほしい)。
関連して言及するが、山本雄史ははたして、朝日新聞という新聞社がどういう主張をし又はどういう虚報(捏造報道)を発してきたか等についての十分な知識を持っているのだろうか。昨年末の若宮啓文論説主幹の(私には滑稽至極な)コラムを読んだことがあるのだろうか。読んだとして、どういう感想を持ったのだろうか。あるいは、朝日新聞のみを批判する単行本、朝日新聞批判を含む単行本は何冊も出版されているのだが、この人はいったい、どの程度読んでいるのだろうか。
そこで端的に質問する。1.最近10年間についてでもよいが、朝日新聞の論説・主張の「傾向」をどのように評価しているか。2.上のような単行本のうち何冊、かついずれの本を読んだことがあるのか(全くないなら、その旨答えてほしい)。
なお、質問ではないが、北朝鮮当局は安倍首相の辞任を要求した、という。
別の国家の人事に介入してくるとは噴飯ものだが、北朝鮮は朝日新聞と同じ主張をしたことになる。いや、朝日新聞が先立って北朝鮮と同じ主張をしていた、と見るべきものだろう。
第三に、山本雄史は安倍首相よりも小沢一郎を積極的に評価しているようだ。例えば言う-「小沢一郎が地味に地方や事務所回りに精を出した。一部メディアは小沢の作戦を冷ややかに受けとめていたが、小沢のやっていることは選挙の王道で、何ら奇をてらったものではない。そもそも、遊説で票が取れると思ってはいけない」。
上の「一部メディア」とはどのメディアを指すのかよく分からないが(産経新聞だとしたら、再び驚愕だ。ネット上で自社の報道ぶりを再び公然と批判していることになる)、上の記述内容自体を問題にしようとは思わない。適切な指摘だと思われる部分があるからだ。
だが、山本のかなり固い<安倍嫌い>を読まされると、小沢一郎についての、この山本という人の知識・認識の程度・内容を知りたくなる。
90年代の政界の中心にいて<掻き混ぜた>のは小沢一郎その人だった。細川連立政権を生んだのは実質的に小沢一郎だったと言ってよいが、日本社会党を政権内に入れさせ、官僚を<社会党(社会民主主義)>に慣れさせ(例えば、文部官僚と日教組の接近→「ゆとり教育」)、細川首相の先の戦争は<侵略戦争だった>との単純な歴史認識の表明も生んだ。その後の村山・自社さ連立政権も、小沢一郎(新生党)と社会党・さきがけの自衛隊国際貢献等に関する対立と細川政権下での小沢の露骨な社会党外しにそもそもの原因あったのだとすると、小沢こそが社会党を自民党の方に追いやり(社民主義に甘かった当時の)自民党が受け入れたことによって成立した、ということもできる。そして村山政権は戦後50年国会議決(当時の安倍晋三議員は退席したと記憶する)や同村山談話をも生んだ。とくに後者は「自虐的」と評しうるものだった。小沢一郎が生んだともいえる一連の細川・(羽田)・村山政権は、―呼称はむつかしいが―親中国(・北朝鮮)「自虐的」政権だった、と言えなくもない(そのように論評する人もいる)。
一方、新進党瓦解後、小沢一郎は自由党を結成していて、一時期自民党と連立与党を構成した。過半数獲得のために自民党が自由党を必要とした事情があったが、小沢は政権与党内での自らの地位の向上を狙っていただろう。公明党の連立参加により自由党がいなくとも与党は過半数を取れるようになり、自由党は小沢自由党と保守党に分裂して前者は野党に転じた。その直前に小沢・小渕首相会談があり、会談後に小渕首相は脳梗塞で倒れたのだが、会談において小沢一郎は、小渕首相に対して、自己の政府内要職(首相を含む)の地位の保障を要求したのではないか、と私は想像している。
前後するが、小沢一郎らが新生党を結成して自民党を離党したとき、立花隆は<何が改革派だ、ちゃんちゃらおかしい>旨述べて朝日新聞紙上で酷評した(とっくに朝日読者でなかったので当日は読んでいないが、のちに有名になって別の本で読んだ)。小沢一郎は田中角栄-金丸信の直系の「金権」政治家(新しそうでじつは古い政治家)だという少なくともイメージはあったのだ。
余計なことを私の推測も交えて長々と書いたが、問題にしたいのは、山本雄史記者が上に一端を示したような90年以降の政界改編の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、どの程度の知識・見識を持っているのか、ということだ。20年もまだ経っていない近年の日本の政治状況・歴史や重要な政治家の一人について、十分な知識と見識なくして、小沢氏等について十分に適確な記述・論評ができるのだろうか。政治(も)担当の新聞記者なら、書物を通じてであれ、基本的な概要は知り、理解して何らかの見識は持っておくべきだろう。
はたして、山本雄史記者は、上のような十分な知識と見識を持っているのかどうか。
そこで、質問したい。90年以降の政界(政党改編等)の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、何という書物を読んで知識・見識を得たのか(小沢一郎の著書を含む)。これらに関する知識・見識が不十分のままでは政治(も)担当の新聞記者の資格はないと考えるので、あえて問う。
なお、私がすでに書いた以下も参照。<リンク削除>
もう一つ、第四点を予定していたが、長くなったので、「民主主義」・「民意」論とともに次回に回す。
いくら何でも<完全沈黙>はないだろう。
8/02付でこんなことを書いている。一部抜粋する。
「民主党に肩入れしてきたメディアは、「山が動いた」と大はしゃぎ」、「しかし今回の参院選での選挙報道は疑問だらけ」だ。
<年金記録大量紛失問題が、参院選の第一の争点になったが、これには、戦後レジームからの脱却を唱えた安倍首相と対立する朝日新聞の「反安倍キャンペーン」が功を奏した。>
<朝日は参院選公示の7月12日付社説「『安倍政治』への審判だ」で「年金の問題はこの選挙の大きな争点」とし、国民の年金不信、閣僚の「政治とカネ」の醜聞、失言の連発を「逆風3点セット」と名付け、首相が「実績を評価してほしい」とテレビで訴えているものの、「逆風3点セットに直撃され、『年金記録信任選挙』(民主党の小沢代表)の様相を呈しているのはさぞかし不本意なことだろう」と厭味たっぷりのコメントをした。>
<朝日の21日付社説「この風向きをどう読むか」では「与党幹部が言うように、参院で与野党の勢力が逆転したら、本当に『大混乱』になるのだろうか」と問い、「与党だけで採決を強行する強引な国会運営はできなくなる。その意味で、政治が落ち着きを取り戻す『正常化』でもあるからだ」と、野党を勝たせても大丈夫かという、選挙民の不安に蓋をしようとした。>
<朝日の言うことは、そういう〔多数獲得民主党の対決姿勢への不安の〕予測を棚上げにした詭弁(きべん)にすぎない。そうまでして安倍政権を打倒しようとする朝日は、朝日新聞綱領の冒頭にある「不偏不党の地に立って」をかなぐり捨てたとみていい。>
<産経新聞は24日付から5回にわたって1面に「何たる選挙戦」を連載、…警告した。しかし…、マス・メディアの起こした狂風にかき消された。/この狂風は、朝日など左翼系新聞とともにテレビの影響が大きい。とくに民放各局のワイドショーでは、繰り返し閣僚の醜聞や失言を派手に取り上げた。>
以上、紹介のみ。異論は全くない。
文藝春秋と新潮社ではどちらかというと文藝春秋の方が(文春新書の執筆者を見ても)より「保守的」とのイメージがあるが、週刊誌となると逆になって、週刊文春よりも週刊新潮の方が「保守的」又は親与党的だ。正確には、週刊文春よりも週刊新潮の方が朝日新聞をはじめとする「左翼」に対して<厳しい>、と言った方がよいかもしれない。
その週刊新潮7/26号はかなり大きく「「安倍憎し」に燃える朝日の「異様すぎる選挙報道」」との見出しを立てて、殆ど巻頭特集のような扱いをしている。以下、言葉・フレーズだけの引用(カッコ内は記者とは別の評論家等)。
「これでもかという安倍打倒参院選キャンペーン」、「よほど宿敵・安倍首相の支持率が下がったことがうれしかったに違いない」、「…との手前勝手な解説まで入っている」、「この程度で驚いてはいけない。…では…を強調し、…と露骨な投票行動をおこなっている」、「さながら野党機関紙の様相」、「さらに…も凄まじい。…安倍首相に…とケチをつけ、…と畳みかけている」、「年金問題…民主党の支持基盤である自治労…オクビにも出さず、ひたすら安倍攻撃に邁進する」、「極めつきは…と一国の総理の発言を”ヘ理屈”とまで言ってのけた」、「ここまで”政治党派性”を露骨にしての政権攻撃は異様…。ジャーナリズム史に残る事態…」(古森義久)、「普段使わないような情緒的な言葉を多用して安倍攻撃をおこなっている」(古森)、「朝日は、安倍政権にマイナスになることだけを書きつづけていますから」(屋山太郎)、「自分の価値観だけをひたすら押しつけてくる、ただのビラ。”反政権ビラ”…」(屋山)、7/09記事では安倍内閣・自民党支持率回復につき「見出しを打たず、前回の参院選より低いと…」、「まさに世論操作そのもの」、「とにかく安倍憎しという一心で記事をつくっている」(稲垣武)、「昔は…オブラートにくるんで政権批判をしたのに、今は感情むきだし。…新聞以下のイエローペイパー、デマ新聞のレベル…」(稲垣)、「朝日自身が”戦後レジーム”そのもの」(稲垣)、「朝日は、昔のコミンテルン…。…自分たちの思想を宣伝し、ずっと嘘を言いつづけることで、白を黒にしてしまう」(本郷美則)。
いやはや、この記事を読んでも、<読売新聞や産経新聞も逆の立場で朝日新聞と似たようなことを…>などとの呑気なことを言える人はいるのだろうか。いるとすれば、その人はまともな神経の持ち主ではないか朝日新聞の記者自身ではないか。
この週刊誌記事の最後の文はこうだ。
「日本と日本人をひたすら貶めて生きてきた朝日新聞。その常軌を逸した報道は、…朝日ジャーナリズムの断末魔の叫びなのかもしれない」。
近い将来、上の「なのかもしれない」を「だった」に替えて読み直したいものだ。
産経新聞7/21の花田紀凱の連載コラムで、同氏は上の週刊新潮の記事についてこう書いている。
「まさにその通り。朝日の反安倍偏向報道、目に余る。どこが不偏不党だ。朝日も恥を知った方がいい」。
朝日新聞自身も自らの<異常>・<偏向>ぶりを自覚しているのではなかろうか。そして、それが「ジャーナリズム史に残る事態」かもしれないことを意識しているのではなかろうか。
しかし、そんなことにかまっている余裕がこの新聞社にはないのだ。自民党を敗北させ、安倍晋三を首相の座から引き摺り下ろすことができるかもしれない絶好のチャンスが訪れている(と判断している)のだ。この機会を絶対に逃すまいと、必死の、「常軌を逸した」紙面づくりをしているのだ。
自民党のある程度の敗北はやむをえないとしても(むろん民主党よりも多数議席の方が望ましい)、安倍晋三を絶対に内閣総理大臣の地位から下りさせてはならない。
朝日新聞の意向・主張に添うことは日本の国益にならず、その主張と反対の方向を選択することこそ日本の戦後の教訓であり指針だった。朝日の考える方向に誘導されず、それをきっぱりと拒否しなければならない。
月刊WiLL、諸君!等には毎号、朝日新聞の報道ぶりを批判するコラム等が掲載されている。
また、稲垣武・「悪魔祓い」の戦後史(文藝春秋、1994。文春文庫版1997)、同・「悪魔祓い」の現在史(文藝春秋、1997)等々が批判の矛先の重要な一部としている。これら稲垣の二著の副題はそれぞれ、「進歩的文化人の言論と責任」、「マスメディアの歪みと呪縛」だ。
横田滋が「親の代から」とっていた朝日新聞を「8月末で解約」したと抗議文で書く原因となった有名な1999年8/31社説「「テポドン」1年の教訓」の一部はこうだった(読売論説委編・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)p.154~に全文あり)。
「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致問題をはじめ、障害がいくつもある。/しかし、植民地支配の清算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的責務といってもいい」。
当時家族会事務局長だった蓮池透によれば、読んで「頭にきて」すぐに朝日新聞社に電話をしたら、論説委員は出せない、返答が欲しければ返信用封筒に切手を貼って同封せよと対応された、「障害」とは「邪魔」の意味かの質問に、拉致に関する北朝鮮の態度が正常化交渉再開の「障害」になっている旨が本意であり誤解されれば残念だ、と文書回答してきたが、2002年12/27の北朝鮮報道検証の特集企画の中では、「障害」とは「乗り越えなければならない、つまり解決されなければならない課題という意味」をこめて用いた、と「障害」の意味を一転させた、という(諸君 !2003年01月号p.38-39)。
石原慎太郎東京都知事が「不法入国した多くの三国人、外国人」との表現を使ったとき、朝日新聞2000年4/13社説は「不法入国した…」との限定があったことを無視し、かつ「三国人」という語の歴史に無知なままで、差別語の「三国人」を使うのは「恐ろしいほどの無神経さ」だと罵倒し、「都知事というポストは、気ままな政治信条の表現の場ではない。…はき違えてもらっては困る」とまで書いた(読売論説委編・社説対決50年(2001)p.276-)。
何度も書いてきたようなことだが、朝日新聞はいったい何様なのか。「恐ろしいほどの無神経さ」に驚く。そして、「はき違えてもらっては困る」と言いたい。
- 2007参院選
- L・コワコフスキ
- NHK
- O・ファイジズ
- PHP
- R・パイプス
- カーメネフ
- ケレンスキー
- コミンテルン
- ジノヴィエフ
- スターリン
- ソヴェト
- ソ連
- ソ連解体
- トロツキー
- ドイツ
- ニーチェ
- ネップ
- ヒトラー
- ファシズム
- フランス革命
- ブハーリン
- ボルシェヴィキ
- ポーランド
- マルクス
- マルクス主義
- メンシェヴィキ
- ルソー
- レシェク・コワコフスキ
- レーニン
- ロシア革命
- ワック
- 不破哲三
- 中国
- 中国共産党
- 中川八洋
- 中西輝政
- 丸山真男
- 九条二項
- 佐伯啓思
- 保守
- 全体主義
- 八木秀次
- 共産主義
- 北朝鮮
- 大江健三郎
- 天皇
- 安倍内閣
- 安倍晋三
- 安倍首相
- 小学館
- 小林よしのり
- 小沢一郎
- 屋山太郎
- 岩波
- 左翼
- 慰安婦
- 憲法九条
- 憲法学界
- 憲法改正
- 文藝春秋
- 新潮社
- 日本会議
- 日本共産党
- 日本国憲法
- 月刊WiLL
- 月刊正論
- 朝日新聞
- 桑原聡
- 樋口陽一
- 橋下徹
- 櫻井よしこ
- 民主主義
- 民主党
- 江崎道朗
- 池田信夫
- 渡部昇一
- 産経
- 百地章
- 皇室
- 石原慎太郎
- 社会主義
- 神道
- 立花隆
- 竹内洋
- 自民党
- 自衛隊
- 花田紀凱
- 若宮啓文
- 菅直人
- 西尾幹二
- 西部邁
- 読売
- 諸君!
- 講談社
- 辻村みよ子
- 週刊新潮
- 遠藤浩一
- 阪本昌成
- 鳩山由紀夫