秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

秋月瑛二

2504/西尾幹二批判056—電気通信大学。

 西尾幹二から2017年刊の『保守の真贋』(徳間書店)を贈呈配布してもらったことがあった。礼状は出さなかった。
 さすがに今年2022年の年賀状は来なかったが、2021年の年賀状は来た。それにはハガキにしては長い文章が活字印刷されていて、<「バイデン」によってアメリカは<「法治国家」でなくなった>旨が書いてあった。情報源はどこに?、と感じたものだ。
 さらに数年前の年賀状には<「歴史教科書」が変われば日本も変わると思っていた>と書いてあった。本当にそう思っていたとすれば、幼稚さが甚だしいと感じたものだ。上のいずれの年も、当方からは新年挨拶状を出してはいない。
 というわけで(というほどに単純ではないかもしれないが)、西尾幹二は「秋月瑛二」の本名やどういう人物であるか(あったか)を知っている。
 したがって、〈ハンドル・ネーム〉で批判するのは卑怯だ、少なくとも好ましくない、という秋月に対する批判は、西尾幹二との関係では的確ではない。
 それに、10年以上使っているこの欄用の名前を変えるのは忍び難いが、少なくともこの数年間は、本名または「正体」が誰に分かってもかまわない、というつもりで書いている。
 それより前に書いていたことだが、秋月瑛二はいかなる組織にも個人にも、政治的にも私的にも、従属していない。 
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  西尾幹二は2006年1月に、「つくる会」名誉会長辞任の挨拶文を会員あてに送った(ようだ)。「名実ともに同会から離れ…」とあるから会員でもなくなる、ということだろうか。
 その文章の中で、こう書いている。同全集第17巻・歴史教科書問題(2018年)、p.709。
 「私は研究上の場所とした日本独文学会を六十歳で退会した。
 私は『個人』として生まれたのだから『個人』として死ぬ。
 どんな学会にも属する必要はないと思ったからである。
 これに続けて、「つくる会」に参加したのも離脱するのも「個人」としてであって、それだけのことだ、と書いて、名誉会長辞任(かつ退会?)の理由としている。
 この文章は、奇妙だ。
 西尾幹二がどの学会に加入しようと退会しようと、自由勝手だ。
 しかし「個人」として生まれて死ぬということは、「どんな学会にも属する必要はない」ということの論理的な理由にはならない。
 かりにこれを一貫させるつもりならば、遅くとも「六十歳で」、つまりは1995年の翌年1996年3月までには、「全ての」組織・団体への加入・帰属をやめなければならない
 西尾幹二は、自分のうちにある「矛盾」に気づいていなかったのだろうか。
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  西尾幹二の詳細な「経歴」・「年譜」を本人自身が明確にしてほしいものだが、「帰属」団体・組織に着目すると、おおよそつぎのことが分かる。
 1958年03月、満22歳、東京大学文学部独文学科卒。
 1961年03月、満25歳、同大学院修士課程修了。
 同年04月、同、(国立)静岡大学人文学部講師。
 ここで区切ると、修士課程の標準は二年だが三年を要したことの理由は、もちろん知らないし、当面の問題とは関係がない。
 後期(博士)課程に進学せずして就職先を得ているのは、のちに現天皇と雅子皇后(当時、皇太子・同妃)の結婚自体について、西尾幹二が<「天皇家」と「学歴主義」の結合>とわざわざ指摘する、その「学歴」または「学歴主義」が背景にあることは明らかだろう。
 西尾個人は当然と思っていたかもしれないし、東京大学の教員・研究者として残れなかったことが不満だったかもしれない。だが、のちには「教育制度改革」問題で批判的に書きもする「学歴主義」の恩恵を、この人自身が相当に享受している。
 また、余計ながら、当時の大学では複数の外国語履修が要求され、第二外国語としてドイツ語かフランス語が選択されやすく(「ドイツ文学」というより)「ドイツ語」の教師の需要が近年よりも高かったことも、背景にあっただろう。
 1964年04月、満28歳、(国立)電気通信大学助教授。のち教授となる。
 1999年03月、満63歳、同大学退職。同時期か不明ながら、「名誉教授」に。
 さて、先に記したことを、もう一度書こう。
 「個人」だから「どんな学会にも属する必要はない」と言うのならば、西尾幹二は、遅くともその学会の退会と同時かそれ以前に、すなわち「六十歳」までには=1995年の翌年1996年3月までには、「全ての」組織・団体への加入・帰属をやめなければならなかったはずだ。
 しかるに、1998年度まで、特定の国立大学の教員だった。これは、当時の国立大学の定年だった満63歳(但し医学部と東京大学の少なくとも法学部は違っていた)と符号している。その年度まで(国立)電気通信大学に帰属し、何らかの職務と多額の?俸給があったはずだ。
 その権利・義務は、特定の学会の会員であるのか否かとは質的に異なっている。学会員には大会・集会出席義務すらなく、所属の意思と会費の納入さえあれば会員であり続ける。
 ともあれ、西尾幹二は60歳以降は「個人」にすぎないのではなかったか?
 なぜ、「学会」はやめても、大学教員ではあり続けたのか?
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  西尾幹二は1996年12月か1997年1月の「つくる会」の設立の重要メンバーで、初代会長にもあった。「日本独文学会を六十歳で〔1995年度中に〕退会した」したというのは、これと関係があると推察される。
 しかるに、1997年度と1998年度は、「つくる会」会長と電気通信大学教授を「兼ねて」いたわけだ。
 後者だけですでに、たんなる「個人」ではない。
 したがって、私は「日本独文学会を六十歳で退会した」、「個人」だから「どんな学会にも属する必要はないと思ったからである」という文章はきわめて奇妙なのだ。
 瑣末な問題かもしれないが、西尾幹二という人物とその文章は信用し難い例として、書いている。
 その場、その場で適当に書いている例が少なくない。いつまで自分が大学教員であったかをうっかりと?失念していたか、あるいは失念するほどに電気通信大学での義務・負担が軽かったかのどちらかだろう。
 電気通信大学等の国立大学は当時は、現行法(国家行政組織法)で言うと「施設等機関」の一つで、国立病院等とともに国家行政組織機構の中にあり、当然にその教職員の法的地位は国家公務員そのものだった(広義の独立行政法人・国立大学法人となっている現在と異なる)。西尾が文部省関連の中央教育審議会の委員として一時期に任用されていたのも、国立大学教員だったことも大きな理由だっただろう。
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  ドイツ文学で出発した「文科系」の西尾がなぜ、「理科系」の単科大学に35年ほども在職し続けたのか。
 いまただちに参照できないが、たしか同全集のいずれかの巻の「後記」の中で、具体的な大学名を明記して、誘われたけれども、世俗的な有名さよりも電気通信大学の「自由」を採ったとか長々と書いていた。西尾幹二という人の「心理」にも関係するので、手元で参照し得たときに再び言及しよう。
 関連して不思議に思うのは、西尾は電気通信大学で学生に対して、いったい何を教えていたのか、だ。「名誉教授」には勤続年数さえあれば誰でも?なれるとはいえ、1964年度〜1998年度の35年というのは、おそらくは基準年数を超えて、じつに長い。
 古田博司は、筑波大学の大学院の某専攻長になって…とか、所属大学の職務に関係することもけっこう書いていた。だが、西尾幹二は、電気通信大学での職務等について、些細なことも含めてきわめて冗舌な人であるにもかかわらず!、全くといいほど触れていない(皆無ではない)。学生に対する「教育」内容については、おそらく一切触れたことがない。
 天下に著名な西尾幹二がニーチェでもShopenhauer でもなく、ドイツ文学でもドイツ哲学でも、ましてや日本史についての「権力・権威二分論」でもなく、まさか35年間以上も初学の学生たちに、ドイツ語の発音や文法の基礎から教えていたとは、想像したくないことだが。
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2460/西尾幹二批判039—「客観」と「主観」。

  西尾幹二について「真顔で論ずるのは、所詮、愚か者の所行」かもしれないが(批判038参照)、秋月瑛二には、西尾の著作と人間を真面目に論じる十分な理由がある。
 二項対立思考で単純に「反共産主義」=「保守」と理解したのは一般論として間違いではなかったかもしれないが、2007-8年頃に日本で「保守」を標榜していた雑誌や論者が上の意味での本当の「保守」だったかは極めて疑わしい。
 今日の<いわゆる保守>は日本共産党と180度の真反対に対峙しているのではなく、多分に共通性もあり、30〜20度しか開いていないのではないか旨を、すでに一年以上前に秋月はこの欄に書いた。
 保守派の中でもすぐにこの人物は信用できないと感じた者はいるが、西尾幹二は相対的にはまだマシな論者だと—じっくりと読むことなく—判断してしまっていた。2015年の安倍内閣戦後70年談話の歴史理解の基本的趣旨は村山談話と、翌2016年の安倍首相・岸田外相による日韓・慰安婦問題の「最終決着」文書の趣旨はいわゆる河野談話と、基本的には何ら変わりがないことを、櫻井よしこや渡部昇一らと違って、西尾は気づいていたと思われる。
 月刊正論(産経新聞社)のとくに桑原聡編集代表のもとでの異様さはかなり早くに気づいていたが、江崎道朗のヒドさを知って<いわゆる保守>そのものに疑問を持ち、ようやく決定的・最終的に西尾幹二から離反したのは、まさに2018年末の同全集17巻・歴史教科書問題(国書刊行会)を見てからだ。
 約10年間も、西尾の「レトリック」に惑わされ、じっくりと読解することなく、肯定的にこの人物を評価していたことを、極めて強く、恥じている。
 何と馬鹿な判断をしてしまったことか。痛恨の思いだ。
 すでにある程度は書いたし、これからも書くが(999回まで番号がある)、個々の文章の紹介や分析等を通じて、この人の「本性」・「本質」を指摘して、秋月瑛二自身の自己批判の文章としなければならない。
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  前回の批判038の最後に、個人全集第17巻には「自分史の一種の『捏造』、『改竄』が見られる」と書いた。
 具体的にその点に言及する前に、「自分史」という言葉にも含まれている「歴史」というものの捉え方自体にも、西尾には独特なところがある。
 別に論及するが、近年の単著の冒頭で、歴史は「文献」から明らかになる旨を書いて、遺跡や埋蔵物等々の「物」自体も史料になり得ることを完全に無視している。ニーチェ的「古典文献学」によると、「文献」だけが歴史叙述の素材なのだろうか。
 小林秀雄の『本居宣長』や『古事記伝』を読んで本居宣長を理解したつもりになったり、本居の「古事記伝」を読んで古事記を読んだつもりになった人がいるかもしれないが、西尾幹二もその手の一人ではないだろうか。
 こんなことを書くのも、西尾幹二・国民の歴史(原書1999)の最初の方で日本の「神話」に言及していながら、古事記や日本書紀という言葉は出てこず、この人はこの両書をきちんと読まないままで、日本の「神話」と中国の「歴史」書の同等性等を抽象的に論述するという大胆不敵なことをしている、と考えられるからだ。
 また、上の全集第17巻(2018)の「後記」の最後の方に、つぎの部分がある。
 この巻に収載した三つの文章には「ごく初歩的な歴史哲学上の概念が提示」されていると自ら書いたあと、こう続ける。
 「歴史は果たして客観たり得るのか、主観の反映であらざるを得ないのか」。
 80歳を過ぎて、このような「ごく初歩的な」問いを発していること自体に、また何やら深遠な「歴史哲学上の」?問題を提示しているつもりであるようなことにも、西尾幹二という人物の決定的な「幼稚さ」が表れている。
 何冊もの歴史叙述書を書いてきた研究者が、絶えずこのような問題に直面しつつ、苦悩しつつ執筆しているだろうことは、容易に推察できる。
 外国のものだが、R・Pipes のロシアに関する歴史書や、L・Kolakowski の「思想史」の書物でも、それを感じることがある。
 では、西尾幹二は、第一次的な史料・資料を用いた歴史書をいったい何冊書いてきたのか。歴史叙述書自体の執筆をしたことがないのだから(同・国民の歴史は歴史散文または歴史随筆、よくて歴史評論だ)、第一次史資料を豊富に用いた歴史書を一冊でも書いているはずがない。
 にもかかわらず、西尾幹二は何故、上のような「大口を叩ける」のだろうか。不思議でしようがない。
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  秋月瑛二が15-16歳のころ、つぎのような問題を友人の一人に語ったことがある。
 上にある青空はそれを見て、意識して初めて「ある」=「存在している」ことになるのであって、それなくして「ある」=「存在している」とは言えないのではないか?
 とりあえず「青空」には拘泥しないことにしよう。
 素朴に、または単純幼稚に問うていたのは、今または後年になって振り返ると、「存在」するから「意識」するのか、「意識」して初めて「存在」するのか、という問題だ。
 別の概念を使うと、「客体」が先か「主体」が先か、という問題だ。
 あるいは「客観的事実」と「主観的意識」の関係の問題だ。
 「歴史」とは「過去」に関する一定の態様・様相だ、と差し当たり言っておくことにしよう。
 西尾幹二が上で何やら深遠な問いであるかのごとく「大口を叩いて」いるのは、「過去」の様相・態様は「客観的」な事実として認識・理解(これら二語の意味も問題にはなる)できるのか、それとも「主観」の反映にすぎないのか、だ。要するに、結局は、「存在」と「意識」の関係、「客体」と「主体」の関係の問題がある、というだけのことだ。
 これを人類または人間は古くから思考し、または「哲学し」てきたのであり、単純素朴には、15-16歳の秋月瑛二ですら抱いた疑問・問題だったのだ。
 それを、80歳を超えた西尾幹二が未だ設定されていない問題であるかのごとく、少なくとも西尾には未だ不分明の「歴史哲学」!!上の問題として、書いている。
 さすがに、歴史書を執筆したことがない、「哲学」書をろくに読まないで「物書き」になってしまった人物だけのことはある。
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  最近に試訳したフランスの歴史学者のF・フュレの文章(英訳書)に、唐突につぎが出てきた。
 <ニーチェにあるのは、事実ではなく、解釈だけだ。
 三島憲一は下掲書のニーチェ部分を担当し、小見出しの一つに「『解釈』だけが存在する」と掲げ、最小限の一部だけ再引用すると、ニーチェはこう書いた、とする。141頁。
 「…実証主義に対してわたしは言いたい。違う、まさにこの事実なるものこそ存在しないのであり、存在するのは解釈だけなのだ。」。
 今村仁司.三島ほか・現代思想の冒険者たち—00現代思想の源流/マルクス.ニーチェ.フロイト.フッサール(講談社、新装版2003)
 この言明はもちろん、「客観的事実」と「主観的解釈」の問題にかかわる。
 西尾幹二は、このようなニーチェの考えの影響を、今でもかなり受けたままではないだろうか。
 ついでに、つぎのことも書いておこう。
 西尾幹二はナショナリストであり、「日本」主義者だ、と書いて、おそらく本人も異議を唱えないだろう。
 しかして、ニーチェは(19世紀後半の)ドイツの、少し広くして西欧の、もっと広く言えば欧米の「思想家」(とされる人物)だ
 そのようなニーチェについて、日本ナショナリストの西尾幹二は、いったいどういう精神・神経でもって、2020年に、堂々とつぎのように書けるのか。
 恥ずかしくないのだろうか。矛盾をいっさい感じないのだろうか。
 2020年刊行、『歴史の真贋』あとがき(新潮社)。
 私は「ニーチェの影響を受けた」。
 「ニーチェが私の中で特別な位置を占めていることは、否定できない」。
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 追記/ なお、根本的には、客観的「存在」が先にあり、それを人間は諸器官を通じて「意識」する、と現在の秋月は考える。意識、認識する「主体」が消滅しても、過去の事実も含めて、「存在」は消滅しない。かかる<素朴実在論>?で、少なくとも一般的な平凡人には何ら差し支えないだろう。
 かつての同じ15-16歳の時代を思い出すと、じっと自分の左の手のひらを見ながら、この手、この掌は「自己」の一部なのか、と思い巡らしたことがあった。「自己」、「自我」はこの手、この掌にはない、と感じていたからだ。また、世界をこう三分していた。①自分の自己、②他人の自己、③これら以外の外界。
 <私小説的自我>でもって生きてきたらしい西尾幹二は、80歳を過ぎた現在、こうしたことを、どう考えているだろうか。
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2358/古田博司·ヨーロッパ思想を読み解く(2014)②。

 一 古田博司・ヨーロッパ思想を読み解く—何が近代科学を生んだか(ちくま新書、2014)をまた読了していないが、同・使える哲学(Discover21、2015)とともに、重要な基礎概念または範疇は、つぎだ。
 「向こう側」と「こちら側」。そして、この区別と異なる、「この世」と「異界」等。
 そして、「向こう側」と「こちら側」の区別が厳密にはつき難いことは、古田も当然に意識しているだろう。
 それにしても、何とか意味をそれなりに理解してみたいところだ。
 歴史通2016年3月号(ワック出版)に、上の後者の2015年著の紹介らしき記事がある。p.134。この記事は、こう書く。
 <西洋の「向こう側」はあくまで「この世」に属し、「五感では感じられない」が「『こちら側』の根拠になるようなもの」。
 「化学式やDNAのらせん構造がそれにあたる」。
 「イデア」こそ、まさに「向こう側」のこと。
 「イギリス哲学的思考」はこの「向こう側」へと「超え出る」もので、「近代科学を生んだ」。
 「ドイツ哲学」はこれに何ら貢献せず、「近代の終焉とともに無用になった」。>
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  ①顕微鏡(・望遠鏡)、レントゲン検査、CT とかMRI とかは、「五感」を延長したもの、ということになるのだろうか。そうだとすると「こちら側」もその範囲は可変で、広くなっている。
 だが、これらの作製にも、結果の解析・分析にも、「向こう側」の研究成果がたぶん必要なのだろう。
 ②古田のドイツ哲学批判は、上の前者でも厳しい。
 おそらく、ニーチェなどは全く評価していないだろう。ニーチェはドイツの哲学者だが、そもそもカントもヘーゲルも幾分なりとも継承しているように見えない。よく言えば<屹立>している、悪く言えば、<独りで勝手に喚いている>(ようなイメージがある)。
 したがって、ニーチェから強い影響を受けたと自認している西尾幹二(+西尾が書いたもの)を、古田博司はほとんどか全く(積極的・肯定的には〕評価していないのではないか。
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  上の歴史通2016年3月号の記事は、「編集部のこの一冊」という表題が右上にあったりするので、編集部が書いたようでもある。
 だが、古田著やその基礎概念を簡単にまとめるのは容易ではないだろう。
 大胆に推測すれば、筆者である古田博司自身が、執筆している
 ところで、無署名で裁判例を理解するための解説文を判決そのものの文章より前に置くことは、民間の判決例掲載雑誌の<判例評論>や<判例タイムズ>でも見られる。いくつかのまたは重要な最高裁判決については、当該事件を担当した最高裁調査官が(アルバイトで?)執筆しているともいわれる(ほとんど同じまたは類似の文章が、のちに公式の最高裁調査官解説本に出ることもある)。
 最高裁判決ではないが、ある地裁判決の掲載時にその「解説」または「前置き」文を、無署名で執筆したことが、秋月瑛二にも一回だけある(報酬=原稿料は出た)。
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2238/秋月瑛二の想念⑧01-2020年6月。

 秋月瑛二の想念-2020年6月①。
 いろいろなことを考える。
 最も深くは、人間にとっての、正確には現在の人間や社会にとっての「知」・「知識」の意味だ。脳内の一定部分に強くか弱くか、継続的か一時的にか蓄積される<認識>の束のようなもので、「教養」とか言われるものを含む。
 ヒトと人間の「進化」に<精神>活動、<知識獲得・継承>活動が不可欠だったことは論じるまでもなく、「精神」活動・「知的」活動一般を否定するつもりはないし、否定できるはずもない。
 だが、世界の国や地域で同じ程度ではないとはいえ、いずれかの時代から、「教養」を含む「知」の意味は、あまりに高く、大きく評価されすぎになってしまって、ほとんど誰も疑問視していない(つまり当然視している)。
 これは人間または国民・住民に一様に言えることでもない。
 「専門知識」・諸概念を伴う「理論」を知っている者たちが、人間の世界の中にいることは必要だ。しかし、どの程度の人が、どの範囲の数の人々が、「知識」や「理論」を知っている、身に付けている必要があるのか。
 「知識」は個人的にも獲得でき、「家庭」でも教えることができるが、「知識」提供がおおむね<社会化>(・国家化)されたのは大雑把に言って<近代>以降のことだろう。
 「国家」自体が強く大きくなるために、「国民」自体に対する「公教育」が必要だった。
 日本に限ればもともと日本人の識字率は高かったところ、明治以降の「義務教育」制度等々によって、基礎的な素養・教養程度において、日本人は高いとか言われている。
 しかし反面で止目しておいてよいと思われるのは、本来は、もともとは、-その意味が<本来は>問題になるが-必要ではない「知識」も<教え込まれた>ということだ。
 それぞれの人々、ある程度の範囲の人々には<本来は不要>だったとすると、その人たちに対する「教育」にかけたエネルギーは、浪費、無駄だったことに論理的にはなる。
 戦後日本もまた、<高教育>の方向へとつき進んだ。
 戦前は小学校・高等小学校までくらいが<ふつうの庶民>の最終学歴だったところ、新制高校への進学率は100パーセント近くになり、かつての旧制中学への進学率以上にするかに高く、同一学年の45-50パーセントが「大学生」になっている、とされる(旧制度期の実際については時代・時期により異なるだろうが、こだわらずに書いている)。
 彼らは、4-6年を「大学生」として過ごす。
 この「大学教育」の現在の日本での意味はいったい何か。
 大学教授等の大学教師たちがいて、一方では「研究者」でもあるようだが、おそらく少なくとも過半数はろくに「研究」もせず、「論文」もほとんど書かず、「教育」だけをしている(正確には、「教員」人事を含む大学・学部運営への関与もある)。
 彼ら「大学教師たち」の今日での存在意義は、いったいどこにあるのか。
 彼ら「大学教師たち」こそ、「知識」や諸概念を伴う「理論」について、あくまで<大衆>と比べて相対的に見てというだけだが、かつまた一定の「分野」に限ってのことだが、<より高く、広く>知っている、とされる。
 だが、彼らの「知識」等とそれをいちおうは享受する「学生」たちにとって、そもそも具体的な「知」や「精神活動」はいったい何のために役立っているのか。
 大学進学・卒業の意味が実質・実体ではなく<レッテル・ブランドの獲得>に代わったと指摘されて久しいだろう。むろん一部は除外して、総体としては、という意味だ。
 馬鹿馬鹿しい<レッテル・ブランド>のために、壮大な精神的・物理的エネルギーが無駄に使われている、という感触を拭いがたい。当然に、膨大な数の親・保護者、学校教育関係者を巻き込んでいる。
 医師、あるいは専門法曹、専門技術者等々、必要な職業・資格があることは否定できない。
 しかし、そうした職業に就かない、資格を獲得しない、おそらくは最少でも過半数の学生たちにとって、「大学教育」とは何なのか、何のために「大学教師」が必要なのか。
 <レッテル・ブランドの獲得>が第一で、第二は(社会人としての?)「教養」だとすると、こんな馬鹿馬鹿しい、無駄なものはない。
 クイズ番組で優勝することができるほどの多数で雑多な「知識」を各人が持つ必要はない(アメリカで諸種の辞典類を全て詰め込んで必要語句を探索できるAIが優勝したとの話を読んだことがある。勝利しても彼=AIロボットは「喜ばなかった」そうだ)。
 現実社会を「現実に」生活していくためには何ら役に立たない「教養」も、-あるいは「教養」をそういう限定された意味で使うと-それを習得することは無意味で、無駄だ。
 最近のコロナウイルス禍に引きつけて言うと、ウイルス・細菌・生命といった基礎的概念、産まれ落ちたときにすでにある、あるいは生後に社会的に獲得した「免疫」(遺伝、自然免疫)、そうした「機構」をもつ「細胞」やその集積体について、基礎的にではあれ、何らかの「知識」を持っている方が、はるかに有益ではないだろうか。
 あるいは広げると、<何故、見えるのか(脳は外界を画像として知覚するのか>、<何故、皮膚は感じるのか(触覚)>等々といったヒト、人間(あるいは多くの生命体)そのもの全員に関係がある、まさに<自分自身のこと>に関する「知識」をもっていることの方が、はるかに意味があるのではないだろうか。
 とある外国の歴史上の王朝名・国王名を知らなくとも、外国での「~戦争」やその勃発年について知らなくとも、まさに<自分自身のこと>である人体・脳・細胞・生命に関する「知識」を持っている方が、はるかに有益だ。
 明治以降のどこかで、<教育・教養>政策には、根本的な見直しが必要だったかに見える。
 だが、これを<変革>するにはよほどの大きな<時代意識>の変革が必要だろう。
 単純に言えば、<無駄な知識・精神活動>よりも<健全なヒト・人間としての活動>だ。「知」ではなく、「感性」あるいは今日に必要な「人間的な=同種の生命体への共感を持つ感情」や適度に鍛えられた健康な身体の培養により意識と配慮をむけて重視することだ。
 むろん、むつかしい。意味・内容自体も問題だが、そのような基礎的な関心自体に乏しいだろう。
 現在の日本で<知的精神活動>を行っている者たちの大半は、明治以降・戦後日本へと続いた<教養教育>の優等生・少なくとも劣等生ではなかった者、で占められている。彼らはほぼ「知育」に限っての<学校での成績・順位>を自己存在の根拠にしているゆえに、根本的に「知」のありようを問うたりするのは、<自己否定>につながる危険性がある。従って、「知識」にかかわる教育の意義を、根本的に疑問視することはない。大まかな分類のもとで差異がもうけられても、全員が、又はほぼ全員が、真の必要性を問うことなく、<同じような>教育を受けるべきだと考える。
 コロナ禍が「終息」して「日常」に回帰するという場合の「日常」は近代日本と戦後日本が作り上げてきた相当程度に人為的なものなので、例えば現在の<学校>のあり方や<学校制度>は、日本人にとっても、当然の「日常」であるはずはない。
 つづく。

2078/秋月瑛二の想念⑦-2019年11月。

 「自由」、「平等」、「正義」あるいは「日本(民族)精神」、<真・善・美>でも何でもよい、こうしたものに関する<思考>・<思想>の実体はいったい何なのか?
 なぜ人々はこうしたものに関して考え、かつ人によって差異や対立があるのか、あるいはなぜ、どのようにして、日本でも欧米でも、<左翼>と<右翼>等々の差異や対立があるのか、を問う前に、そもそも、「思考する」、「哲学する」等の人間の<行動>の実体は何か?
 精神的自由、その中でも「内心の自由」なのかもしれないが、その「内心の自由」によって形成される「意思」・「意図」・一定の「思想」・「哲学」等は、人間の、論者によれば生物の中で人間にしかない<理性>の働きかもしれない。
 <(個人的)人格の形成・陶冶・完成>を目標とするような(旧制高校的・教養主義的)人にとっては、以上で十分なのかもしれない。
 自分個人の「理性」の発現体である言葉・文章・論考・書物によって、他ならぬ自己の「考え」・「思想」等の<立派さ・偉大さ>が表明され、実証される(はずな)のだ。そうした人々にとっては。
 しかし、そうした人々も他ならぬ生物の個体であり、ヒトの一員であるからには「死」を迎えざるをえず、それ以降は、「考え」も「思想」も、その基礎にある「理性」も、その(かつて生きていた)人間には、なくなってしまう。
 自己の<霊魂>・<魂魄>の永生を真に「信じる」ならば、別だ。
 「考え」・「思想」等も、それらの表明のために用いられる言葉・文章等も、「理性」なるものも、よく考えれば、少しでも<事実>に向き合う気持ちがあれば、それぞれの人間・ヒトの「精神」作用であり、「脳内」作業の所産であることが分かる。悲しいかな、自分を高い「人格」をもって「思索」していると自負している人の「理性」による行為も、他者と本質的には異ならない、生物が行う種々の営為の一つにすぎないことが分かる。
 強い「思い込み」・「偏執」というのは(<左翼>であれ<右翼>であれ)、脳細胞の、あるいは神経回路の一定の、独特な絡まり具合によって生じる。
 生物・ヒトに関する自然科学または「科学」に接すると、かつての「文科」系人間には見えていなかった世界が、新鮮に立ち現れてくる。「観念」・「思索」こそが<人間>なのだ、と「思い込んで」いる<文学的>人々は、むろん江崎道朗や小川榮太郎も含めて、ほんの少しは、秋月瑛二の程度には、生物・ヒトに関する自然科学または「科学」を知った方がよい。
 「言葉」・「観念」を弄ぶだけでは、虚しい。何の意味もない。たんなる「自己満足」だ。しかし、拡散されるそうした空しい「言葉」・「観念」に酔ってしまう人々が生じるのも、またそのような陶酔によってこそ<食って生きて>いくことができる人々が生じるのも、人間という生物の種の<弱さ>・<不十分さ>であり、そして人間世界の<はかなさ>なのだろう。
 あるいはまた、<食って生きて>いくことはできるようになってきた人間の<文化>による、日本社会も含めての、贅沢な<遊び>なのかもしれない。
 <余暇>が生じてこそ、種々の「娯楽」・「エンターテイメント」産業も成立するのだが、「評論」・「言論」もまた相当程度に産業化・商業化してきているので(「情報産業」、広義の「エンターテイメント」産業)、「言葉」・「観念」(・「観念体系」)に陶酔した人々によって書かれる文章や書物もまた、それらを「気晴らし」として必要とする人々によって読まれるのだろう。需要が、一定程度はあるのだ。
 そこにはしかし、「自由」、「正義」あるいは<真・善・美>とかの高尚な?理念はない。「売れれば」よい。「売れる」ことは「じっくりと読まれる」ことを意味せず、また、「読まれる」ことは、著者が尊敬されたり敬愛されたりすることをむろん全く意味しないのだけれども。
 侮蔑の対象にしかならないような書物が、依然として多数出版されている。それに関係して(出版社も編集者も)<食って生きている>または<生活の足し>にしている人々がいる。
 これはどの程度「日本的」現象なのだろうか。日本語という世界的には一般的ではない「閉鎖的」な言葉で、しかし相当程度の規模の「市場」をもつ日本社会で発表される、多数の日本語による雑誌・書物。これらは、世界的な規模・視野での批判に晒されることはほとんどない。侮蔑の対象にしかならないような書物が依然として多数出版されているのは、ある程度は、ヒト・人間の一種である「日本人」が形成する社会の特殊「日本的」現象なのだろう。

1902/秋月瑛二の想念⑥-2019年01月。

 Emotion を「情動」と訳している書物があった。Feeling は「感情」として区別されていたが、「想念」の英米語は何なのだろう。「情念」ではない。
 たんに想い抱くという程度の意味で用いているが、「想う」という語は分解し難い。きっと、感性と理性の両方が混じる言葉だ。
 ともあれ、秋月瑛二の「想念」のつづき。
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 自分の葬式には(数十人ということはないだろうから)何百人くらい、何千人くらい来るだろうと考えている者がいるかもしれない。
 年齢ではなくて死後叙勲というものもあるらしいから、自分が死ねばいかなる勲章が貰えるのだろうと想像する者もいるのかもしれない。
 どちらも秋月瑛二には関係がない話だが、どうやら自分の死後の報道のされ方まで思い浮かべて死ぬ人もいるようだ。
 来年の秋には50年になる。1970年11月に死んだ三島由紀夫であれば、自分の死後の報道ぶり等を想起しても何ら不思議ではなかっただろう。
 だからこそ、信頼できる一人か二人に「檄文」を預けて、公表してもらうために残していた。あの「檄文」自体が政治的意味をもつもので、あれが公表されること自体が三島の自裁の大きな目的だった、と思われる。
 三島由紀夫の「文学」作品と政治的(に見えていた)行動がいかほど理解されていたかは問題ではあるが、しかし三島ほどの高名だと、自分の死の何らかの影響を自ら想定していても何ら不思議ではない。
 しかし、三島ほどの怜悧な人物は、自分の「魂」あるいは「霊」が死後も残存するとは微小だに考えてはいなかった、と思える。
 「檄文」自体を他者に預けたのもそうで、自分の「霊魂」が残り続けるならば、それを通じて肉体の「死」後も思いを伝え続けることができたはずだろう。彼は、自分も所持していた「檄文」が自衛隊関係者によって奪い取られ、その意味内容が「現実」から消失するのを懼れていたのだ。
 三島由紀夫は最後に輪廻転生という仏教的観念を背景としたらしい作品を遺した(私も昔にたぶん一読した)ようだが、「転生」を本当に<信じて>いたのだろうか。そうは思えない。
 逸れかかっているが、ヒト・人間の「死後」にはそれぞれの「自己」は存在せず、「死後」のことを想像し、思い画いてみたところで、その正しさ、適確さを、自ら確認しようがない。
 自分の葬式に何人くる?、誰々が来る?
 そんなことを「死者」が分かるはずはないだろう。
 同様のことは、死後の<評価>とか<歴史的位置づけ>についても、当然に言える。
 何らかの意味で顕名、高名であり、何らかの<歴史>に残るかもしれない人間でかりにあったとしても、その人物はその評価や歴史的位置づけを生前に知ることができるはずはない。
 当たり前のことを書いている。1100年以上前に死んだ菅原道真は、自分が「天神」となり天満宮の「神」になっていることを、絶対に知っていない。
 150年以上前に死んだ吉田松陰は、「明治維新」なるものを知らないし、自分の大きな像が自分の墓地近くに建立されて自分を祭神とする「松蔭神社」の方を見ているなどと、全く想像もしなかっただろう。
 世俗的な「名誉」・「評判」がどうであれ、死んでしまえば、それが永続的に維持されるか否かなど、分かりはしない。
 多少は「名」のあった者でも、たいていは、一時期に話題にされただけで、そのうちにすみやかに、(何年も経てば多くは遺族からすら?)忘れられてしまう。
 まことにヒト・人間は、あるいは「生物」の個体というのは、<平等>なものだ。絶対的に平等だ。
 みんな、「死んでいく」。そして、永遠に「意識」はなくなる。
 そう考えると、一時的な、世間的な、世俗的な、あれこれの毀誉褒貶など馬鹿々々しいものだ。
 それでも、生きている間は<食って生きて>いかなければならない。それが<本性>、<本能>だ。また、意識とは無関係に、各臓器、各細胞は、生きようとしている。さらに、「死」を自己決定できても、通常は実践することができない。
 そしてまた、一時的な、世間的な、世俗的な、「名」や「肩書き」等々にこだわるのもある程度はヒト・人間の本性・本能かもしれない。
 しかし、これは多分に、社会、時代によって、あるいは国家や共同体によって、「名」や「肩書き」、あるいは「経歴」、「資格」等々にかかかわる<意識>は異なる、変わるものだ、と思われる。
 再び逸れるが、S・フィツパトリクの著・ロシア革命(2017)の既読(・試訳済)部分で興味深かった一つは、かつてのかの国の人々のIdentity-「帰属意識」・「自己認識」・「自己同一性」、「識別」等々と訳し得る-をとくに検討し、叙述していたところだった。これは、階級・階層か職業や地位かとかの問題にかかわる。
 戻ると、個々の人々の「帰属意識」は「名」、「肩書き」、「経歴」、「資格」等々によって生じ得るものだが、果たしてそれは<永遠>のものなのか?
 一時的な、世間的な、世俗的な類のもので、本当はどうでもよい、少なくとも瑣末なものではないか。
 「肩書」、「経歴」(「学歴」を当然に含む)、「資格」等々ではなくて、もっと大切なものがある。死後はともかく、少なくとも生きている間は、もっと大切なものがある。 
 そんなことを新しい年の初めにあらためて「想念」した。きっと、くだらないことだ。

1838/2018年8月-秋月瑛二の想念④。

 月刊正論2017年3月号の「編集部作成」のチャート(マップ)は、「保守の指標」と題しつつ右上・左上・左下・右下という反時計回りの4象限をつぎのように示す。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派。
 月刊正論・産経新聞はAで、朝日新聞はCなのだそうだ。
 秋月瑛二が2017年の1/30や2/02で示したのは、つぎだった。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)。

 対米協調・不信+自尊・自虐という二基準と保守・容共+リベラル・ナショナルという二基準とどちらが「優れて」いるか、あるいは少なくともどちらが<視野が広い>か、ということには再びたちいりはしない。
 ここで問題にしたいのは、こうした何らかの二つの要素だけを組み合わせた<社会思潮>の四分類程度で複雑・多岐にわたる「思想」・「意識」等を整理・把握できるのか、という問題設定の仕方そのものだ。
 なるほどある程度の「単純化」は必要で、そうしないと「知的」作業が成り立たない。
 しかし、わずかの四分類(四象限化)で済ませること自体が、タテ・ヨコ(上下・左右)の二次元しかない一枚の(平面の)紙の上の作業であることの限界を示しているだろう。
 つまり、三つ目の対立軸を立てて、平面四角形ではなく、サイコロの形のような立体的、三次元的四方型を想定しての思考方法を、最低でも、しなければならないだろう。
 ヒト・人間の本能に内在する感覚からしても、この程度の思考程度はかなり容易に行えそうな気がする。二次元の四象限化程度では、<簡略化>が行き過ぎている可能性がすこぶる高い。
 上のような四象限化を「公式に」示した月刊正論編集部は、その頭の単純さを暴露しているようなものだ。もっとも、それにお付き合いして対案を考えた秋月もおかしいかもしれない。
 もっと多様で柔軟な発想をすべきで、思考の方法や基準を「硬直」させてしまってはだめだ。
 ***
 例えば、「日本会議」と日本共産党は、真反対の側にいると相互に意識しているかもしれない。
 例えば平面上に一つの円があるとして、かりに前者が左端近くに、後者が右端近くにある、としよう(これも、あくまでかりにだ)。たしかに、両者は真反対の側にいて、対立しているように見える。
 しかし、その同じ円形を底面・上面とする円柱を、つぎに想定してみる。
 底から、または上からその円柱を覗いたとする。
 たしかに真下又は真上から見ると、両者は真反対側にいて対立しているようだ。
 しかし、例えば透明の円柱全体を横から眺めたとすると、「日本会議」と日本共産党はいずれも、底面部(下部)又は表面部(上部)に並ぶように存在していて、円柱全体の中ではきわめて近い位置にいる、ということが考えられる。
 対立していそうでいて、この両者は、それぞれの「観念」的な単純発想において、きわめてよく似ているのではあるまいか。
 いつか、つぎの趣旨を書いたことがある。
 不破哲三・日本共産党は「未来」にユートピアを求め、櫻井よしこ・「日本会議」は(日本の歴史・伝統/天皇という)「過去」に理想を求めようとする
 いずれも現在・現況に不満で、過去か未来の「空中の一点」に変革・回復目標を設定する点で、共通しているのではないか。
 むろん、これらは、現存勢力の支持・団結を維持し拡大するという、世俗的・卑近的な「政治的」目的をもつことでも共通するが、これは今回はさて措く。
 円柱を想定するとすれば、もちろんそれ以上に、円球、つまり地球のような丸い立体を想定し、かつその表面部分(地表面や海面)だけではなく、透明なガラス球のごとく内部・奥(地底・海底)も見える、という球形を想定することができるだろう。
 先だって、宇宙空間にいて眺めているような発想が必要だとも書いた。かりに上下・左右・前後について可視能力のある点的な物体の中に認識主体がいるとすれば、それ自体または他者の移動の方向が<上下・左右・前後>のいずれであるのは分からない、それらのいずれでもありうるのではないか、ということを書いた。
 だが、発想・思考のためには何らかの「軸」が必要だとすると、東経・西経/北緯・南緯の二つの軸で表現しうる地表面(・海面)に加えて、地球の中心(地核)までの距離(深さ)をも加えた三つの軸くらいはやはり必要かもしれない。そうでないと、全てが<相対的>になる。
 またこのように円球を想定した思考は、サイコロ的四方型を想定するよりも、はるかに複雑な思考をすることができる。
 上下・縦横・左右の三次元的発想によると、四象限ではなく、2×2×2の八象限化が可能だ。これでも線的(一次元)、平面的(二次元的)思考よりは、優れている。
 だが、所詮はまだ、<社会思潮>等を八つに分類することができるにすぎない。
 世の中には、もっと多数の、無数に近い論点、対立点がある。
 この点、その「内部」を含めた、表面ではなくてむしろ「内部」の位置こそに注目する円球・地球的発想では、ほとんど無限の位置を設定でき、かつ何らかの方法・基準・指標でそれを表現することが可能だ。
 もとより、ヒト・人間の一個体には、このような厳密で複雑な作業をする能力はない。しかし、発想としては、この程度に複雑・多様であることを意識して、「観念」化・「硬直」化を可能なかぎり回避する必要がある。
 唐突だが、では上の「厳密で複雑な作業」をITはすることができるか。将来的にも、絶対にすることはできないだろう。


1837/2018年8月-秋月瑛二の想念③。

 一 「知」的作業は何らかの「価値」をもち得るので、対価を受けることは当然にあり得る。そのこと自体を問題視しているのではない。
 ただ、指摘しておきたいのは、対価という「金」は自分自身や自分に頼る「身内」が食って生きていくための資力そのものなので、<食って生きて>ゆくために「知」的表現内容を微小とも(または大きく?)変えるというのは、十分にあり得る、ということだ。
 この原稿のままでは編集者は「いい顔をしないかもしれない」、この雑誌の読者には支持されそうにない、この新聞の読者層が関心をもってくれるだろうか、反論・批判が山のように編集部に届くとイヤだなあ、等々。
 こういうことを一切考慮しないで、日本の<言論人>・<評論家>たちは「自由」に、「独立」して、「知」的表現活動を行っているだろうか。
 誰でも最低限度<食って生きる>ことを考えるだろうから、このこと自体もまた、一概に非難することはできないだろう。
 しかし、読者としては、そういう考慮もして原稿を書き、「知」の作業をしている論者もいる、ということを意識しておくべきだろう。
 固有名詞は挙げないが、私にはつぎの趣旨の文章の記憶があって、印象に残っている。
 一つ。ある人が、某新聞紙上で<~と私をネットで批判する人がいるが、その当時は、これの他に見解発表媒体はなかったのだから、仕方ないではないか、という旨を書いていた。
 二つ。別のある人が、既発表のものを集めた某単行本の中で、この当時はこれが発表できるギリギリの線でした、という旨を書いていた。
 要するに、発表媒体を何とかして持ちたい「言論人」もいること、「知」的作業の発表内容を雑誌によって<自主規制>している「言論人」も明瞭に存在している、ということだ。
 そうした「言論」の内容が、完全に<自由>なものになっているはずはないだろう。
 関連して、前回に触れた、自己を<差別化>するための言論という例も思い浮かべることができるが、固有名詞を挙げるのがこの稿の目的ではない。
 別に「知」というものの虚像性には触れたい。
 ともあれ、現に世俗の世界で行われている「知識」や「理解」あるいは「評論」の作業は、生きているヒトの行動として、人間・ヒトの本能や限界から全く自由というわけではない。少なくとも、この秋月瑛二の書きものとは違って、「金」=対価や「名誉・顕名」と関係があるかぎりは。
 二 議場での議長席や演壇・演説者台から見るとたしかに、議場の「左翼」と「右翼」(およびその中間)という感覚が先立つだろう。
 だが、前回の述べ方には不十分さがある。すなわち、ヒトは二本脚を持ち、左右の二本の腕を(ふつうは)持つので、そうでなくとも<右と左>の感覚は本能的にあるだろう。
 そして、第一に、脚で地上に立つということ自体、下へと働く強い「引力」とそれがない「上」の区別の意識もまた、本能的に内在させていると思われる。
 第二に、脚で歩くのは「前を向いて」だから、人間の眼が前方しか見えない(真後ろが見えると怪人だろう)結果として、見えない「うしろ」の感覚も、要するに「前と後」を区別するという意識も、本能的に持つものと思われる。
 この第二の点は、重要なことだ。つまり、<前進と後退>、<進歩と退却>という意識は相当に強く人間に根ざしていて、前者をこそ、つまりは<前進>や<進歩>を後者と違って「良い」ものとする思考は、かなり本能に近いように見える。
 「前進」と題する機関紙をもつ政治団体もあるようだし、日本共産党中央委員会の月刊雑誌は「前衛」と題する。
 逸れかかるのかは止めるが、こうなってくると、<進歩>か後退・保守または反動かは、そもそも言葉の上で最初から勝負がついているようなものだ。
 もともと、「前進」は、前へと「進む」のは、ヒト・人間にとって必要不可欠で、「良い」ものにほとんど決まっているのだ。
 元に戻って、さらに続けよう。
 こうして、少なくとも三次元(左右・上下・前後)の意識を人間は本来有しているはずなのに、<右か左か>、<(共産主義を含む又は容認する意味での)民主主義かファシズム・軍国主義か>という左右線的、二項対立的思考がなおも強いように思われるのは、いったいどうしてだろうか。最も単純な「発想」を選びたいのかもしれない。
 <アベ政治を許さない>のか否か、<安倍政権の敵か味方か>(産経新聞社『月刊正論』のある号の目次・冒頭)という発想も全く同じのようなものだ。
 もっとも、月刊正論編集部はたぶん2016年末か2017年初頭に、公式に?四象限からなる「思想」チャートを示したことがあった。ヨコ軸とタテ軸を使う、線的思考ではない、平面的(二次元的)思考での整理だと言える。
 その内容の欠陥にいささか驚いて、私なりの四象限チャートをこの欄に示したこともある。
 それぞれを確認するために、ここで区切ろう。
 別の論脈だが、「自分」と「他者」、「自分たち」と「それ以外」、<内と外>、<味方と敵>。
 これらはかなり本能に根ざしているだろう。しかし、<内と外>や<味方と敵>という二分を狂熱的に意識してしまうと、いったいどうなるだろう。こんなことにも触れたい。

1836/2018年8月-秋月瑛二の想念②。

 一 「知識」や「思考」の作業やそれを発表する作業もまた、<食って生きて>いくことと無関係ではありえない。綺麗事や理念のために「知的」営為が行われてきたとは全く限らない。
 こう前回に書いた。ではこのブログ欄はどうなのかが問題になる。やはり昨年に何度かつぎのように書いていた。
 大海の深底に棲息する小さな貝の一呼吸が生じさせる海水の微少な揺れのようなものだ。
 全ての個人・組織(・団体)から「自由」であり、「自由」とは孤立している、孤独だ、いうことでもある。
 というわけで、かりに「知的」営為だとしても(少なくとも、単にうまい、きれい、かっこいいとだけ何かに反応しているのではない)、私の場合は<食って生きて>いくことと何の関係もない。生業・職業ではないし、何らかの経済的利益を生む副業でもない。誰かに命じられて書き込んで「小遣い銭」をもらっているわけでもない。
 しばしば何のためにこの欄を、と思ってきて、途中で止めようと思って放置したこともあった。せいぜい読書メモとしてでも残していこうかと思って1800回以上の投稿になったのだが、このブログ・サイトというのは自分が感じまたは考えたことを時期とともに記録し、検索可能なほどにうまく整理してくれる便利なトゥールだと徐々に明確に意識したからだろう。
 このような<自分のための>という生物の個体固有のエゴイズム以外に、この「知的」営為の根源はないだろう。
 ときに閲覧者数が数ヶ月にわたってゼロであれば(数字だけはおおよそ分かるが、かなり早くから-日本国憲法「無効」論者から「どアホ!」と貼り付けられてから-、コメント・トラックバックを遮断している)止めようかと思ったりする。それでもしかし、つまり読者ゼロでも、上の便利な機能は生きているので、やはり残して、気がむけば何かを表現しようとし思っている。
 最近はこういう秋月瑛二のような発信者も多いかもしれない。
 しかし、新聞・雑誌に活字になる文章やテレビ等で発言される言葉には「知的」作業そのものだったり、その結果だったりするものの方が多いだろう(政治・社会に直接の関係がなくとも)。
 二 そのような「知識」や「思考」の作業あるいは「知的」営為は、いかなる<情念>あるいは<衝動・駆動>にもとづいてなされているのだろうか。近年は従前よりも、こうしたことに関心を持つ。
 だいぶ前にJ・J・ルソーの<人間不平等起源論>を邦訳書で読み終えて、この人には、自分を評価しない(=冷遇した)ジュネーブ知識人界(・社交界?)への意趣返し、それへの反発・鬱憤があるのではないか、とふと感じたことがあった。
 ついでに思い出すと(この欄で既述)、読んだ邦訳書の訳者か解説者だった「東京大学名誉教授」は、その本の末尾に、「自然に帰れ!」と書いたらしいルソーに着目して、ルソーは自然保護・環境保護運動の始祖かもしれない旨を記していた。「アホ」が極まる(たぶんフランス文学者)。
 戻ると、「知的」文章書き等のエネルギーの多くは、①金か②名誉だろう。
 別の分類をすると、A・自分が帰属する組織(新聞社等)の仕事としてか、またはB・フリーの執筆者として(対価を得て)、「知的」文章書き等をしているのだろう。
 後者には、いわゆる評論家類、「~名誉教授」肩書者、現役大学教授や大手研究所主任等だが本来の仕事とは別に新聞や雑誌等に寄稿している者も含む。
 これらA・Bのいずれの場合でも、①金の出所にはなる(義務的仕事の一部か又は原稿料としてか)。
 また、Aの場合でも、自分が帰属する(何らかの傾向のある)組織の中で目立って社会的にはかりに別としても組織内で「出世」することは、つまるところは金または自分の生活条件を快適にする(良くする)ことにつながるだろう。組織・会社の一員としての文章であっても、<名誉・顕名→金>なのだ。
 Bの場合には、<名誉・顕名→金>という関係にあることは明確だろう。
 そして名誉又は顕名、要するに<名前を売って目立つ>ためには同業他者と比べて自分を<差別化>しなければならない。あるいは<角をつける>必要がある。
 そのような観点から、敢えて人によれば奇矯な、あるいは珍しい主張を文章化する者もいるかもしれない。
 但し、この場合、a文筆が完全に「職業・生業」であるフリーの人と、b別に大学・研究所等に所属していて決まった報酬等を得ているが、随時に新聞・雑誌等に「知的」作業またはその結果を発表している人とでは、分けて考える必要がおそらくあるだろう。
 食って生きる-そのための財貨を得る、ということのために、a文筆が完全に「職業・生業」の人にとっては、原稿等発表の場を得るか、それがどう評価されるかは直接に「生活」にかかわる。なお、おそらく節税対策だろう、この中に含まれる人であっても「-研究所」とかの自分を代表とする法人を作っている場合もある。
 櫻井よしこ、江崎道朗。武田徹、中島岳志の名前が浮かんできた。
 四人ともに、それぞれに、上に書いたことに沿って論じることもできる。
 それぞれについて、書きたいことは異なる。しかし、書き始めると数回はかかるだろう。

0667/「秋月映二」ではなく「秋月瑛二」。撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(2009.02)を一部読む。

 一 西村幸祐責任編集/撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(オークラ出版、2009.02)は10日ほど前に入手し、気を惹いたものはすでに読んだ。
 民族問題の特集のようだが、佐藤優批判がいくつか揃っている。若杉大のもの(p.114-)は小林よしのり対「言論封殺魔」佐藤優論争の紹介・整理だが、櫻井よしこ「『国家の罠』における事実誤認」、高森明勅「佐藤優『護憲論』のトリック」(各々p.118-、p.126-)は明らかに佐藤批判だ。
 櫻井よしこによると(初出は2005)、佐藤優の上の本が新潮社・ドキュメント賞の候補作になったとき、事実誤認を理由としてゼロ採点した、という。むしろ興味深いのは高森論考で、佐藤優は、天皇制度擁護のための護憲派なのだ、という。つまり現憲法1~8条改悪(削除)阻止のために「護憲の立場」を採るのが「真の保守」だ、と佐藤優は言っているらしい。
 高森明勅はあれこれと1~8条死守と9条改正は矛盾しない旨等を述べているが、なかなか面白い、聴くべき<護憲論>だ。天皇制度の歴史に無知・無関心の圧倒的多数の国民(主権者)は、皇室に何か大きな不肖事でもあると、もともとひそかに天皇・皇室制度解体を目論んでいる朝日新聞等のマスメディアの煽動しだいでは、天皇は多忙でお気の毒、天皇・皇族にも人権を、皇室に対する国費支出額が大きすぎる、皇居を国民公園に、等々の理屈に納得して天皇制度廃止(憲法1~8条削除)の提案があれば、過半数の賛成票を与えてしまいかねないのではないか、という不安を私はもつ。そのような国会議員の構成にならなければよいのだが…。
 そのような憲法改正に対して私は反対の<護憲>派になるだろう。
 上のように、当たり前のことだが、何をどう変えるかが問題で、一般的な改憲論・護憲論の対立などは存在しない。現在<護憲論>とふつうの場合には言われているものは、憲法9条改正(とくに2項削除)に反対して9条を護持する、という意味での護憲論なわけだ。
 憲法9条改正と憲法1条以下改正と、どちらが先に国会で発議されるか、といった心配をしなければならないことになるとは、情けない。中国(共産党)は究極的には、天皇制度解体を望んでおり、神社神道も邪魔物と感じているだろうということは間違いないと思われる。日本国内には今でも、そのような中国(共産党)に迎合する<売国奴>団体・個人が絶対にいる。
 三浦小太郎「ハーバーマスとその誤読」(p.140-)も、短いが興味深く読んだ。
 二 ところで、「匿名コラム/天気晴朗」(p.179)を読んでいて最後の三段めに入って驚いてしまった。
 「秋月映二というブロガー」が「闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性」というエントリーで八木を「こき下ろしている」、「まさに秋月の言うの通り…」。
 これはこの欄での私の文章のことであるに違いない。私は秋月瑛二で「映二」ではないのだが。上のエントリーは今年1/08のものだ。
 さらにところで、「秋月瑛二」で検索すると-検索サイトによって違い、異様と思える並べ方をするものもあるが-、中身を読まず、冒頭又はタイトルを見ただけだが、①「秋月瑛二」を産経新聞記者と誤解している人がいる。私は産経新聞社とはいっさいの組織的関係がない。②私を「媚東宮派」と呼んでいる者がいる。皇室問題での西尾幹二批判がそのような呼称になっているのだろう。何と呼ぼうと勝手だが、「媚東宮派」という語を使うからには、それとは異なる「派」の存在を想定しているに違いない。それは「反東宮派」だろうか、「親秋篠宮派」だろうか。どちらにせよ、そういう対立を持ち込み、拡大しようとすること自体が、天皇制度の解体につながっていく可能性・危険性を孕んでおり、朝日新聞等の「左翼」が喜んでいそうなことだ、ということくらいは感じてほしいものだ。

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