秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

神話

2491/西尾幹二批判051—神話と日本青年協議会①。

  前回に関連して、つづける。
 私が読んだ順に記すと、西尾幹二は2019年に、「神話」についてこう語った。
 月刊WiLL2019年4月号=岩田温との対談。p.219-p.220。
 ①「神話は歴史とは異なります。…。
 歴史は…、諸事実の中からの事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。

 2017年にも、ほとんど同じ文を書いていた
 2017年1月/「つくる会」20周年挨拶文—全集第17巻(2018)所収、p.715。
 ②「神話と歴史は別であります。…。
 歴史は諸事実の中からの事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。

 以上、完全な同文ではないが、ほとんど同じだ。
 なお、この欄でかつて西尾幹二は文章の「使い回し」をしていると批判し、<コピー・ペースト>をしているふうに記したのは誤りで、お詫びして訂正する。「…」の部分も一致していない。
 しかし、ほとんど同じ文だ。①と②を比べて一読すれば、すぐに分かるだろう。西尾は②の印刷文書を見ながら発言したのか、あるいは対談のゲラ段階で②を対談発言の中に書き加えたのか。
 なお、②の文章の前には、つぎの一文がある。上掲同頁。
 「史の根っこをつかまえるのだとして、いきなり『古事記』に立ち環り、その精神を強調する方が最近は目立ちますが、これもそのまま信じられるでしょうか」。
 初めてこの欄に記すが、これは西尾の<保守>派内のライバル・櫻井よしこ批判であり、皮肉または当てこすりだ。
 櫻井よしこは、西尾が上を書く直前に、<古事記の精神を強調>し、「古事記」の精神・価値観を理解して掲げるのが「保守」だ旨を書いていた。「3月号」になっているが、実際にはもっと早く発行されていると見られる。 
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)、p.85-p.86。
 古事記の「精神」を強調する限りでは、西尾と同じで、「歴史」把握のための「いきなり」が良くないのだろうかと、西尾の言い分はやや不思議でもあるのだが。
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  上のような「神話」と「歴史」の区別、<歴史—解釈を許す、神話—解釈を許さず「信じる」だけ>という対置の根拠はいったいどこにあるのだろうと、不可解だった。
 少しは理解できたのは、以下による。
 すなわち、秋月なりに言い換えれば、「理屈」ではない、「神話」とはそもそも「信じるべき」ものなのだ。そのようなものとして西尾は「神話」という語を用いているのだ。そして、日本の「王権」の由来が「神話」にあることも、日本人は「信じるべき」なのだ。
 西尾幹二「神話の危機」2000年10月—同・日本の根本問題(新潮社(編集担当・冨澤祥郎)、2003) 所収、p.210-p.235。
 例のごとく西尾の文章の「論旨」をたどるのは容易ではない。上の点に焦点を当てて、叙述の順に部分的に抜粋引用する。長くなる。
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 ・「古事記の冒頭に、国生みの神話があり、…」、「神の上に神がいる」。日本民族以外と比べると「神らしくない神」だ。
 ・「日本の神様は、規範を持たない。掟を持たない」。仏教、儒教を「取り入れ」、「他の神を自らの神にするということに余りこだわりがない」。ふつうは「神仏習合」と言うが、その前に「神神習合」があったともされる。「神仏習合も神神習合の一つのバリエーションと考えられるのでしょう」。
 ・他の文明圏では「宗教」は血を流す対立を繰り返し、「不寛容」だったが、「日本の神様はどうもそうではない」。
 ・日本の神は「絶対唯一神」ではない。「自らの上に神を持たないがゆえに、すべてが神になり得る構造。…仏もまた神の一種としてとらえることが出来たという構造」、これは、「日本民族の主体性」を「暗黙のうちに自己表現」しているのではないか。
 ・仏教伝来時も、「すべてのものを神として迎え入れる日本の神の概念が非常に包容力を持ったものであったから、これを包み込むことが可能であったのです」。
 ・「死ねば仏になる」と言うが、これは「死ねば神になる」のと同じで、「日本では神は自然万物とつながっており、そこに断絶がない。…明らかに神道と仏教が一緒になっている姿です」。「日本人にとって仏教というものは、難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在だ」と言えるだろう。だから素晴らしい「仏教彫刻」を残したのであり、「日本の神話と仏教信仰とは初めから何らの矛盾なく整合したのだ」。「仏教の導入に象徴される、何でも包容する日本のアイデンティティ…」。
 ・「日本文明の特徴」は「排他性の少ない、自然形成によるアイデンティティの高さのようなもの」でないか。
 ・日本民族は「自分の原理」を主張しなかったのではなく、「何時の頃からか、自分の国を『神の国』と自覚するようになります」。
 ・「神と仏が一つになるという思想が日本の根っこだという考えが、平安末期から北畠親房を経て出来あがった日本の国家観念です」。
 ・「日本の仏教は、…社会的にほぼ幕府に利用される一方で、思想的にはアニミズム的な要素が非常に強いのでインドの哲学のようにはならない」。「そのような体系的思考は日本の仏教には向いていない」のではないか。
 ・「日本人は完結した神話と伝統の中でずっと生きてきたのです。『大鏡』、『愚管抄』、『神皇正統記』—これらの書物はすべて神代と人代とを区別せず、天皇がまっすぐに神代につながっている。天皇譜と神話の神々の世界とが一直線につながっているのです」。
 ・「日本の天皇は神話によって根拠づけられ、神話と王権が直結している」。
 ・「神話とつながるということは、自然万物とつながるということなのです。日本の天皇の場合は神話の世界とも、自然とも全部つながっている。これは世界に類例がありません」。
 ・豪族の祖先も「神話」に出てくるので、「われわれは祖先崇拝を通じて神話とつながっている」。
 ・神話学者は理解できない。「過去の日本人にとっては、神話は学問化されない何物かであり、天皇の存在とつながった信仰の対象でもあったのです」。
 ・「宗教にとって重要なのは自らの信仰であって、知識ではありません」。
 ・「研究の対象が、信仰や神話…になりますと、相手は自然現象ではなく、人間の心です。自分の心の客観化など不可能なことです」。「信仰がどういうことかを知ることは、物体の法則を知ることと同じではない」。
 ・「つまり、信じるということは、一つを信じることであって、あれもこれも信じるということではないのです」。「かように、宗教というものは科学とは正反対なものです」。
 ・「近代科学」、「合理的な学問」に対して仏教にはまだ抵抗力があったが動揺し、「神話はもっと大きな深刻な打撃を受けました」。
 ・「神話を虚構化」した「合理主義者」の津田左右吉を引き継いで戦後に「神話破壊の現象」を出現させた「その筆頭が丸山真男です」。
 ・津田史学は今なお「猛威」を奮っていて、「古代史において『日本書紀』をきちんと読まないで『魏志倭人伝』ばかり持ち上げるのも、同じ合理主義の現れです」。「中国語で書かれた歴史を信じて、なぜ日本人が書いた歴史を信じないのか」。
 ・「日本の神道の場合は、何が入ってきても全部習合したため、無垢でありつづけることができた。しかし、近代化に対峙したときに、今度こそ大きな危機にさらされることになった」。
 ・「日本の神話の危機、日本の神道の危機は、日本そのものの危機と言っていいかもしれない」。
 ・「日本は神の上に神があり、またその上に神があって、絶対の神がない。無限定の神は何をも自らの神にすることが出来るという包容力とフレキシビリティがある。そのことは日本の深い強さであると同時に、近代科学文明というものにさらされたときにはある種の大きな脆さであるようにも思える」。「理論までも外から得て自己を防衛することはできません」。
 ・「日本人の持っている長い歴史には、歴史が物語っている何かがある。…、日本人の中に自ずと宿っている生命感、神秘感といったものを回復することが重要だと思います」。
 ・日本の「神話」は、「物語—こうした神話らしい楽しいお話」がある、「…文学」でもあり、「生命というものを感じさせる話が多い」。それを「ことごとしい科学分析の対象にしても仕方がない」。
 ・「神話がまっすぐ天皇制度につながっているということで、近代以降神話は解体の危機にさらされている」が、「もし王権につながってこないのなら日本の神話はほとんど意味がない」。
 ・「神話が王権の根拠になっていることが、世界史の中で日本民族が自己を保っている唯一のよりどころなのです」。
 ・「日本人は外のものをもう借りない」。自分で「再構成」し、自分が「発信者」になる。そのときに、「日本人のこれからの文明の発展と自己回復力の源」になるのは、「神話に表現されているような自然と自己の同一性といったもの」だと信じている。
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 以上。
 日本・日本人・日本民族への強いこだわりは別として、凡人の秋月でも気づくような「仏教」認識の誤り、<こころ・神話>と<物体・科学>の単純で幼稚な対置・二分論、「神話に表現されているような自然と自己の同一性といったもの」等々の実体がほとんど不明の空疎な言辞、「生命」に言及する等のニーチェの影響があると見られる表現、等々、感じることは多い。
 また、この人にとって、—上の一の2017年、2019年の文章では明確でなかったが、この文章では—「神話」とは王権・「天皇」の生成・存続の根拠であり、かつ「神道」と全くかほとんど同一のものであることも確認できる。
 興味深く、かつ重要なのは、明らかに「仏教」よりも「神道」が優先されていることにも関連して、つぎだ。
 この「危機に立つ神話」は、「日本青年協議会・日本文化研究所共催」の「セミナー」での「講演」記録だと末尾に明記されている。p.235。
 後者は前者の関連団体。
 この講演は、西尾が「つくる会」の会長だった2000年に行われた。 
 しかし、興味深いことに、「つくる会」の実質的分裂または縮小化のあった2006年以降に、西尾幹二は、「日本青年協議会」について、こう発言した。2009年のこと。
 ・「日本青年協議会、これは日本会議の母体で、日本会議はこれの上部団体ですから、今でも日本青年協議会は存在し、組織は日本会議と一体です」。
 ・「日本会議」に「『新しい歴史教科書をつくる会』なんてえらい被害を受けた」。「会はすんでのところで乗っ取られにかかり、ついに撹乱、分断されたんです。悪い連中ですよ」
 ・「日本会議」の「正体がよくわかったので、残された人生の時間に彼らとはいっさい関わりを持たないでいきたいと思います」。
 以上、西尾幹二=平田文昭・保守の怒り(草思社、2009)
 →No.2464「四付」
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 以降へと、つづく。

2280/西尾幹二批判010・『国民の歴史』②。

  前回(批判009)の補足。
 西尾が書いているとおり、『国民の歴史』の「14」は表題自体が「『世界史』はモンゴル帝国から始まった」となっていて、最初から19頁め(全集18巻版)に、こうある(p.289)。
 「以上、『モンゴルと中国の関係略史』(一)(二)は岡田英弘氏から直かにご教示いただいて記述したが、文責は私にある」。
 「文責」、つまり文章化・要約・作文は西尾にあるが、計5頁ほどの「内容」は岡田英弘に依っていることを認めている。長々とした一連の文章群の内容は西尾幹二自身によるものではない。
 二 『国民の歴史』の「6 神話と歴史」から、気になる点をさらにいくつか挙げておこう。まず、第一。
 その11「神話の認識は科学の認識とは逆である」p.128(全集版)にこうある。
 「すでに神を感じない社会」に生きる我々が「神々によって宇宙が支えられていると感じる古代社会の言葉と感性と同じはずはない」。
 何となく読み過ごしてしまいそうな文章だが、このような「古代」の人々の「感性」の理解・認識は適切なのだろうか。
 つまり、彼らはほんとうに「神々によって宇宙が支えられていると感じ」ていたのだろうか? 西尾の一見「深遠な」言明は、じつは「適当に」発せられていることが少なくないのではないか。
 古代の人々はどういう「感性」で生きたのだろうと想像することは、私には楽しい。しかし、「神々」の意識・感覚はかなり高度なもので、なかなか発生しないのではないか、と考える。
 生きていること、そのための呼吸と心臓の鼓動を意識し、死とそれが訪れるとやがて身体は腐敗していくことを知っていたに違いない(なお、もっとのちの日本の文献によく出てくる「もがり」は再生・蘇生しないことを確認するための儀式だったように思われる)。
 また毎日昇って消えていく太陽、およそ(今でいう)一月ごとに形の満ち欠けを変えながら「この地」を回っている月、日の出・日の入りの太陽の位置が寒暖の季節ごとに異なりおよそ(今でいう)一年ごとに同じになることを、早くから知っていただろう。
 さらに、むろん、生きていくために「水」・「食料」が必要であることも。「空気」(中の酸素)はひょっとすれば所与のものとして意識しなかったかもしれないが、海中や高山では生き難いことは知っていたはずだ。
 これはヒト・人間をとり巻く「自然」にかかわることであって、いつの時点から「神」なるものを意識したのかは、よく分からないことだ。
 だが少なくともヒト・人間は、縄文時代の人々も、「神々によって宇宙が支えられていると感じ」てはいなかっただろう。「宇宙」=地球全体の感覚はまだないはずだ。「宇宙」=「自然」という意味では「宇宙」を感じていただろうとしても。
 繰り返すが、「神」という意識・感覚の発生はかなり高度の精神作用を必要とするのであって、古代の人々が何となく自然に身につけるようなものではないのではないか。むろん、「必然」ないし「規則・法則」的なことと「偶然」・「事故」的なことの区別くらいのことは当然に意識し、知っていただろうが。
 第二。西尾はもっぱら「言葉」と「文字」の関係一般に着目して、日本文明(縄文原語)と中国文明(漢字)を記述しているように見えるが、私の関心は他にもある。
 日本書記における「年」の表記の仕方には十干十二支を利用したもの、「天皇」の在位年数を利用したもの、年号(大化等)を利用したものの三種あるとされる。最初の<十干十二支>は、令和日本の現在でもなお用いられることがあるが、どのようにして、いつ頃から、日本列島の人々は利用し始めたのだろう。中国からの「輸入」以後でないとすると、それまではいったいどのようにして「年数」を数え、記憶・記録していたのだろうか。
 西尾の著書には、これに関する叙述はないのではないか。のちのちの、<陰陽五行説>についても。これらは、「仏教」・仏教典の一部にあるのではないはずだ 。
 より重要な第三は、以下。
 既述のとおり、「6」章の節名を利用すれば、この章での西尾幹二の出張したいことの重要な一つは、章名とともに以下にあると理解しても決して誤りではない。 
 ・「歴史と神話の等価値」。・「すべての歴史は神話である」
 しかし、この書物(全集版)が刊行された2017年とまさに同じ年に、西尾幹二は、つぎのように明言している。そして、翌年2018年刊行の全集の別の巻(17巻)に収載している。一文ずつ改行する。
 「歴史の根っこをつかまえるのだとして、いきなり『古事記』に立ち還り、その精神を強調する方が最近は目立ちますが、…そのまま信じられるでしょうか。
 神話と歴史は別であります。
 神話は解釈を拒む世界です。
 歴史は諸事実のなかからの選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由をどうしても避けられませんが、神話を前にしてわれわれにはそういう自由はありません。
 神話は不可知な根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。
 西尾幹二全集第17巻・歴史教科書問題(国書刊行会、2018年)p.715、「『新しい歴史教科書をつくる会』創立20周年記念集会(2017年1月29日)での挨拶文」の一部(原出、月刊正論2017年4月号)。
 西尾幹二に真面目に訊ねたいものだ。『国民と歴史』のうちの6章「神話と歴史」に関する叙述と上の「挨拶文」の内容は、矛盾しているのではないか。少なくとも、どういう関係に立っているのか。
 つづけて、第四
 西尾幹二のために、「助け船」を出すことはできる。すなわち、歴史と神話の関係・異同に関する言明は真反対のように見えてもいわば<レトリック>であって、主眼はそれぞれの「解釈」の方法の違いの指摘にあるのだ、と。
 たしかに『国民の歴史』には、こういう文章もある。18巻、p.129。
 「神話を知ることは対象認識ではない。どこまでも科学とは逆の認識の仕方であらねばならぬ」。
 「認識とは、この場合、自分が神の世界と一体となる絶え間ない研鑽にほぼ近い。」
 後者の「自分が神の世界と一体となる」は、前者の「神話」を前にしては<解釈の自由はない>という指摘と似ているとは言える。
 しかし、前者は(西尾によくあることだが)突然に「科学」という言葉・概念を持ち出し、「歴史」=「科学」(の一部)という前提に立っているようだが、「歴史」、「科学」等の概念の丁寧な説明はない。そして「逆の認識の仕方」とだけ述べて、<解釈・選択の自由がある>という旨を明確に語ってもいない。
 少なくとも、同じ2017年の発言と刊行書の内容の間の齟齬・矛盾を指摘しても、何ら厳しすぎることはないだろう。
 なお、<「神話」は解釈を許さない>という言明がなぜ、どのように根拠づけらるのか?
 これは、バカバカしいので、省略する。「神々」の時代も含めて、それ以降についても、日本書記、古事記の種々の「解釈」がなされており、議論があることは、高校生でも知っていることだろう。西尾幹二の「解釈」にはこの人に独自の(ほとんど誰も理解できない我流の)意味があるのだろうか。
 第五。そもそも、日本書記、古事記は、全体として「神話」なのか。
 西尾幹二は上の二つとも「神話」だという前提に立って、中国の「歴史」書との「等価値」性を指摘し、後者も広義では「神話」だとする。
 しかし、そもそも論として、日本書記、古事記のいずれも、全体として「神話」だ、という認識は決定的に誤っているだろう。
 よく知られるように、日本書記は計30巻から成るが、そのうち巻第一は「神代上」、巻第二は「神代下」とされ、巻第三以降・巻三十までが「天皇」を中心とする叙述になっている(神武〜持統)。   
 今日の目で見て、「史実」とは感じられないような叙述があるのだとしても、作者・編纂者は、巻第三以下は真面目に?日本国家の「歴史」書だとして記述したと考えられる。そして、彼らが「神」の時代の「話」=「神話」だと明瞭に意識して記述したのは、巻第一・第二の「神代」だけだ。
 これに関連して、日本書記の今日の「解説」者は、こう記す。
 「巻三以下巻三十まで、すべて天皇名で標題とすることは、明らかに中国史書の『帝紀』に相当するわけで、『日本書記』という書名は『日本書の帝紀』の意であることも首肯できる」。「ただ異なるのは、巻一・二が『神代』となっている点である。中国の史書は『神代』を語ることはないからである」。
 この文は巻第三以下を「人皇代」と称してもいる。
 日本書記・上(小学館日本古典文学全集、1994)「解説」の西宮一民担当部分
 一方、古事記は上つ巻・中つ巻・下つ巻の三部に分かれるが、中つ巻が神武〜応神、下つ巻が仁徳〜推古の各天皇の時代を叙述しており、上つ巻が日本書記の用語では「神代」に当たる。
 こう区別されているところを見ると、また内容から見ても、上つ巻だけは「神たちの時代」と意識されているとしても、それ以下は、作成者の「主観」においては古代の日本「歴史」だった可能性が高いものと思われる。
 このような日本書記、古事記を、例えば仁徳天皇以下も含めて、西尾幹二はすべて「神話」だ、ということから出発しているわけだ。
 全てが「史実」を記述しているとは秋月も考えないが(なお、安本美典は熱心な応神天皇実在論者だ)、「史実」であって、またはそれをかなり反映していて、決して簡単に「神話」だと認定できない部分をいずれも含んでいる、と考えられる。これは、常識ではないか。
 しかるに、西尾幹二は最初からこれらが「神話」だとしている。それから出発している。
 日本書記も古事記も実際には、全くまたはほとんど「読んだことがない」西尾の面目躍如というところだろう。
 西尾幹二はこれらの「歴史」書性をできるだけ否定しようとしする戦後「進歩的」歴史学に、最初から屈服している、とも言える。
  ついでに、ということになるが、上に二の第三で引用した2017年の「挨拶文」の一部は、一部を除き(古事記うんぬんの部分)全く同文で、対談中の発言であるはずの以下でも用いられている。
 実際の対談後の「原稿化」の過程で追加されたように思われる。
 西尾幹二は、一つながりの文章群を<使い回し>ているのだ。一粒で二度おいしい。<古事記>への言及は欠落しており、元来は別の論脈の中での文章だ。
 「神話は歴史と異なります。
 「歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません。
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません
」。 
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」月刊WiLL2019年4月号(ワック)
 西尾幹二という人物は、こういう<文章の使い回し>を(こっそりと)平気で行う人物だ、と知らなければならない。言いたいことがたまたま?同じだから、という釈明は成立しない。

2279/西尾幹二批判009ー西尾と岡田英弘。

 本欄No.2217(2020.05.04)で紹介した岡田英弘の見解の一部は以下。そのまま支持する、という趣旨ではない。西尾幹二とはずいぶん異なる、ということを示す。かつての紹介部分を大幅に縮減し、かつ原文に即した部分を増やす。
 岡田英弘・同著作集Ⅲ・日本とは何か(藤原書店、2014)、p.490以下の、「歴史と神話をどう考えたらよいか」より。
 ・「本来、歴史を持っている文明は、シナ文明と地中海文明の二つだけであり、…。日本文明の歴史というのは、もちろんシナ文明のコピーである」。
 ・「日本書記」編纂の「過程はちょうど日本の建国の時期に当たっていた。その編纂は建国事業の一環だった。そのためになるべく古いところに日本国と天皇の起源を持ってゆく必要があった」。
 「シナ文明圏では、王権の正統性を保障するのは歴史であり、そのパターンから日本は抜け出せない」。「神武天皇以下、16代応神に至る架空の天皇を発明した」。「神武天皇の建国を紀元前660年となり、秦より400年以上古い」という「操作に神話は使われた」。
 ・「今でも歴史を論じるとき、なにかと神話に戻りたがる人がいる。神話から史実を読み取ろうとするのだ。しかし、歴史で神話を扱う際には、こうした神話の性質を充分わきまえておかねばならない」。
 ・「神話が与えてくれるロマンは、現実からの逃避には都合がいいだろうが、そうした情緒的ニーズと合理的な歴史を混同してもらっては困る」。
 岡田英弘上掲書の「おわりに」で、岡田はこう書いてもいる。p.532。
 「本巻の内容は、彼ら保守派で愛国者である私の友人たちの間でも、賛否両論を巻き起こすだろう」。
 「彼ら」、「私の友人たち」の中には西尾幹二の名が明記されている。同頁。
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  西尾幹二は、岡田・上掲書の「月報」に以下のことを書いている。月報p.5-p.7。
 ①岡田から「漢字」という文字の限界を「講話」してもらって、その内容を『国民の歴史』で「二ページにわたって」記した。
 (秋月注記−西尾・国民の歴史(全集第18巻版)p.118-9。)
 ②岡田の別の文章にある、日本とヨーロッパに近似性があるが、「中間にあるモンゴル帝国から世界史が始まった」との説は衝撃的で、自分ははこれを『国民の歴史』14で採用した。
 ③岡田は「日本という国号が生まれる7世紀まで日本は存在しなかったのだ、縄文も弥生もまだ日本ではない」と語った。しかし、「日本語と中国語は根本から異なり、縄文原語が推定され得るので、日本は大陸とは独立した別の文明と見る」のは許されないのか(いつか訊ねてみたい)。
 上の①はそのとおりで、内容は省略して、前回(批判008)でも触れた。
 上の②は文春文庫版の『国民の歴史』で明示した、という。時間的前後は別として、このように、他人の説を存分に<利用>するのは西尾幹二の文章・思考の特徴の一つだろう、と考えられる。というのは、モンゴルを中心にして、ヨーロッパ・日本への「文明」の拡散という図式?は、その後の西尾幹二において、しばしば見られるからだ。その際に岡田英弘等の名前を西尾は明記しない。そして私は、いったいどこからこのような説を<導入>したのだろうと感じてきた。西尾自身が「発見」できるような事柄ではない、と思っていたからだ。
 櫻井よしこにも江崎道朗にもより下品なかたちで見られる<コピー・ペイスト>の原型は、西尾幹二にもある、と言ってよい。
 上の③の二人の言葉は、<噛み合っていない>可能性がある。
 というのは、岡田のいう「日本」と西尾の「日本」が同じ意味ではない可能性も十分にあるからだ。また、西尾は「日本は大陸とは独立した別の文明」だとしきりに強調しているのだが、いつかの時点での<古代>に限ってのこの言明の当否は「日本」・「大陸」(中国)・「独立した」・「別の」・「文明」という言葉・概念の意味の捉え方によって異なるので、簡単に論じることはできない。
 常識的には、日本書記も古事記も「漢文」で書かれたのだから(但し、後者は日本的な漢字利用)、前者の一部は中国人を母語とする者が執筆したとされているのだから、さらには日本の藤原京(明日香の北)以降の「都」の条坊制は中国の洛陽等をモデルにしているのだから、等々、<中国文明>の完全な一部ではないにせよ、その強い影響下にあった、影響を受けた、ということはおそらく言えるだろう。
 もともと大陸・半島から日本列島に多数の人間が渡って来ている。列島に原住の人々がいたとして、その人々が有していた「文化」だけが日本「文明」だというのはやや苦しいだろう。それに、列島が形成されておらず、いまの日本は大陸・半島と地続きの長い時代もあった。西尾の「視野」はどこまで及んでいるのだろう。かりに縄文・弥生時代以降に限るとしても、<日本か大陸か>ということにさほどに拘泥する意味はどこにあるのだろうか。長い歴史の中では些細なことのようにも感じられる。
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 西尾『国民の歴史』「6神話と歴史」について、前回に論及しなかった点に触れようと思って書きはじたのだったが、長くなったので、次回に委ねる。

2239/西尾幹二の境地・歴史通/月刊WiLL11月号別冊⑥。

 
 西尾幹二(1935~)の遅くとも明確には2019年以降の<狂乱>ぶりは、戦後「知識人」または「評論家」、少なくとも<いわゆる保守>のそれらの「行く末」、最後あたりにたどり着く「境地」を示しているだろう。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)=月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 何度めかの引用になるが、西尾幹二は、こう明言した。
 ①「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません。
 大げさにいえば超越的世界観を信じるか、可視的世界観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってよいでしょう。
 …、少しは緩めて寛大に…と考える人…。しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません」。p.219。
 ②「日本人には自然に対する敬虔の念があります。…至るところに神社があり、儀式はきちんと守られている。
 …、やはり日本は天皇家が存在するという神話の国です。決して科学の国ではない。だから、それを守らなくてはなりません。」p.225。
 上の最後に「天皇家」への言及がある。
 ところでこれを収載する雑誌=歴史通・月刊WiLL11月号別冊(2019)の表紙の下部には、現天皇と現皇后の両陛下の写真が印刷されている。
 ところが何と、広く知られているはずのように、西尾幹二は、中西輝政や八木秀次・加地伸行らとともに、現皇后が皇太子妃時代に皇后就位資格を疑い、西尾は明確に「小和田家が引き取れ」と書き、秋篠宮への皇統変化も理解できる旨を書いた人物だ。
 平成・令和代替わり時点での他の雑誌に西尾幹二は登場していた。むろん、かつての皇太子妃の体調等と2019年頃以降とは同一ではないとは言える。状況が変わったら、同じ事を書く必要はないとも言える。
 しかし、誠実で真摯な「知識人」・「評論家」であるならば、西尾幹二は編集部からの執筆依頼にホイホイと乗る前に、あるいは乗ってもよいがその文章や対談の中で、かつての皇太子妃(・現皇后)、ひいては皇太子(・現天皇)について行った自分の言論活動について、何らかの感想を述べ、態度表明をしておくべきだろう(かつてはそれとして正当な言論活動だった、との総括でも論理的には構わない)。
 西尾幹二は、自らに直接に関係する「歴史」についても、見ようとしていないのではないか。別に触れるようにこれは<歴史教科書問題>についても言えるが、自らに関係する「歴史」を無視したり、あえて触れないようにしているのでは、とても「歴史」をまともに考察しているとは思えない。むろん「歴史家」でも、「歴史思想家」でもない。「歴史」に知識が多い「評論家」とすら言えないだろう。
 
 上掲の対談部分できわめて興味深いのは、西尾は「神話」に何度も言及しつつ、以下の二点には論及しようとはしていないことだ。
 第一。「神話」とか「神々のご意向」と、西尾は語る。
 ここでの神話とは日本で日本人として西尾は発言しているのだから、「日本(の)神話」あるいは「日本(の)神話」上の「神々」のことを指して、上の言葉を使っていると理解する他はないだろう。まさか、キリスト教「神話」またはキリスト教上の「神々」ではないだろう(仏教の「神」はふつうは「神」とは言わない)。
 しかるに、西尾幹二は、「日本神話」という語も、また、<古事記>という語も<日本書記>という語も(その他「~風土記」も)、いっさい用いない。
 これは異様、異常だ。使われていない言葉にこそ、興味深い論点が、あるいは筆者の意図があったりすることもある。
 そしてもちろん、「女系天皇は史上例がない」という西尾の<歴史認識>の正しさを根拠づける「日本(の)神話」上の叙述を一句たりとも、一文たりとも言及しないし、引用もしない。
 これもまた、異様、異常だ。なお、p.223では対談相手の岩田温が、<天照大御神の神勅>に言及している。これにすら、西尾幹二は言及することがない。
 だが、しかし、この「神勅」はかりに「天皇(家)」による日本統治の根拠になり得るとしても(もちろん「お話」として)、女系天皇の排除の根拠には全くならない。(さらには、天照大御神は古事記や日本書紀上の「最高神」として位置付けられているというのも、疑わしい一つの解釈にすぎない。)
 第二。「神話」というのは、世界でどの程度がそうなのかの知識はないが、何らかの「宗教」上のものであることが多い。または、何らかの「宗教」と関係していることが多い。ここでの「宗教」には、自然や先祖への「信仰」を含む、<民俗宗教>的なものも含めておく。
 さて、西尾幹二の発言に特徴的であるのは、「神話」を熱心に語りながら、「宗教」への言及がいっさいないことだ。
 上に一部引用した中にあるように、「神社」に触れている部分はある。また、<宮中祭祀>にも言及している。
 しかし、何故か、西尾幹二は、「神道」という語・概念を用いない。「神社神道」という語はなおさらだ。
 かと言って、もちろん「宗教」としての「仏教」に立ち入っているわけでもない。
 これまた、異様、異常だ。 いったい、何故なのだろうか。
 抽象的に「神話」で済ませるのが自分のような「上級かつ著名」な「知識人・評論家」がなすべきことで、「神道」(・「神社神道」)といった言葉を使うのは「下品」だとでも傲慢に考えているのだろうか。
 それとも、かなりの推測になるが、「神道」→「神社神道」→「神道政治連盟」→日本会議、という(相当に常識化している)連想を避けたいのだろうか。
 西尾幹二は櫻井よしこ・日本会議は<保守の核心層>ではないとそのかぎりでは適切な批判をし、日本会議・神道政治連盟の大多数が支持している安倍晋三政権を「保守内部から」批判したりしてきた。そうした経緯からして、日本会議・神道との共通性または自らの親近性、西尾幹二自身もまた広く捉えれば日本会議・櫻井よしこらと同じ<いわゆる保守>の仲間だ、ということを感じ取られたくないのだろうか。
 
 神話について叙述しながら、かつまた「神話と歴史」の関係・異同を論じながら、つまり「神話」と「歴史」という語・概念は頻繁に用いながら、<宗教>に論及することがない、またはきわめて少ないのは、西尾幹二のつぎの1999年著でも共通している。
 西尾幹二・国民の歴史/上(文春文庫、2009/原著・1999)。
 ここで扱われている「歴史と神話」は日本に固有のそれではなく、視野は広く世界に及んでいるようだ(と言っても、欧州と中国が加わっている、という程度だと思われる)。
 しかし、この主題は日本の「神話」と中国の「歴史(書)」=魏志倭人伝の比較・優劣に関する論述の前段として語られていること、または少なくともつながっていることを否定することはできない。
 そして、きわめて興味深いのは、日本または日本人の「神話」あるいは古代日本人の「精神世界」に立入りながら、西尾幹二は決して「神道」とか「仏教」とかを明確には論述していないこと、正確にいえば、「日本の神道」と「日本化された仏教」を区別して叙述しようという姿勢を示していないことだ、と考えられる。
 西尾幹二は「神道」と「仏教」(や儒教等)の違いを知っているだろうが、この点を何故か曖昧にしている。
 これは不思議なことだ。
 しかし、西尾の主眼は<左翼>ないし<左派>歴史観に対して『ナショナリズム』を対置することにあるのだとすると、上のことも理解できなくはない。
 この書には(原書にも文庫本にも)「日本文明(?)」の粋と西尾が思っているらしき日本の彫像等による「日本人の顔」の写真が掲載されている。文庫本に従うと(原著でも同じだった筈だが)、つぎの16だ。
 ①四天王・増長天像(当麻寺金堂)、②四天王・広目天像(同)、③塔本四面具・八部衆像(法隆寺五重塔)、④塔本四面具・十大弟子像(同)、⑤八部衆・五部浄像(興福寺)、⑥八部衆・沙羯羅像(同)、⑦十大弟子・目犍連像(同)、⑧十大弟子・須菩提像(同)、⑨四天王・広目天像(東大寺戒壇院)、⑩無著菩提立像(興福寺北円堂)、⑪世親菩薩立像(同)、⑫重源上人坐像(東大寺俊乗堂)、⑬二十八部衆・婆藪仙人像(三十三間堂)、⑭二十八部衆・摩和羅女像(同)、⑮護法神像(愛知・荒子観音寺)、⑯十二神将・申像(愛知・鉈薬師堂)。
 なお、口絵上の上記以外に、本文途中に、つぎの写真もある。便宜的に通し番号を付す。p.395以下。
 ⑰宮毘羅像頭部(新薬師寺)、⑱持国天像邪鬼(興福寺東金堂)、⑲雷神(三十三間堂)、⑳風神(同)、21梵天坐像(東寺講堂)、22十二神将・伐析羅大将像(興福寺東金堂)、23金剛力士像・吽(興福寺)。
 一見して明らかなように、これらは全て<仏教>上のもので、現在は全て仏教寺院の中にある。口絵部分の最後の2つの⑮・⑯が見慣れた仏像類とやや異なるが、あとは紛れもなく「仏像」または「仏教関連像」と言ってよいものだと考えられる。
 しかし、興味深いのは、西尾幹二が関心をもってこれらに論及して叙述しているのは、日本人の「精神」や日本の「文化」・「美術」であって、<仏教という宗教>(の内容・歴史)では全くない、ということだ。
 妙法院三十三間堂は平清盛が後白河法皇のために建設して献じた、とされる。
 それはともかく、上のような「日本人の顔」を描く像を「文化」ないし「美術」、広くは日本「精神」の表現とだけ捉えて論述するのは、大きな限界があるように考えられる。
 つまり、諸種・各種の「仏教」・「仏典」等に立ち入って初めて、これらの意味を真に理解できるだろう。
 もちろん、日本「文化」・「文明」や「美術史」上、貴重なものではあるだろう。
 だが、それ以上に踏み込んでいないのが、さすがに西尾幹二なのだ。
 出典を明らかにできないが、西尾幹二は<特定の宗教に嵌まることはできない>と何かに書いていたことがある。
 この人は、仏教の各宗派にも諸仏典にも、何の興味も持っていないように見える。
 おそらくは、日本の仏教または仏教史をきちんと勉強したことがない。あるいは多少は勉強したことがあっても、深く立ち入る切実な関心をこの人は持っていない。
 同じことは、じつは、日本の「神道」についても言えるのではないか、と思っている。
 西尾幹二は、神道の内実に関心はなく、その<教義>にも<国家神道なるものの内実>にもさほどの関心はない。
 そのような人物が何故、「神社」に触れ、「宮中祭祀」に触れ、女系天皇を排除すべき「天皇の歴史」を語ることができるのだろうか。
 「神社」とは神道の施設ではないのか? 「宮中祭祀」は無宗教の行為なのか? 宮中三殿に祀られている「神」の中に、仏教上の「神」に当たるものはあるのか。
 結局のところ、「神社」も「宮中祭祀」も、「天皇」も、かつての皇太子妃(・皇太子)批判も、<神道-天皇>を永続的に守りたいという気持ち・意識など全くなく、西尾幹二は文章を書いている、と思われる。
 <天皇>に触れても、少なくとも明治維新以降、「仏教」ではなく「神道」が<天皇の歴史>と密接不可分の関係を持たされた、というほとんど常識的なことにすら、西尾幹二はまともに言及しようとしない。
 いったい何故か? いったい何のためか?
 おそらく、西尾幹二の<名誉>あるいは<業界での顕名>からすると、そんなことはどうだってよいのだろう。戦後「知識人」あるいは「評論家」という自営文章執筆請負業者の末路が、ここにも見えている。

2217/岡田英弘「歴史と神話」(1998年)-著作集Ⅲより。

 岡田英弘「歴史と神話をどう考えたらよいか」同著作集Ⅲ・日本とは何か(藤原書店、2014)p.490以下。初出、月刊正論(産経)1998年・シンポジウム/古代史最前線からの眺望・基調報告(著作集によるとこれの「採録」)。
 なお、翌年刊行された西尾幹二・国民の歴史(扶桑社、1999)も、「歴史/神話」問題に触れている。
 以下、岡田論考の抜粋的引用。上掲書、p.493~p.502。
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 ・「中世」という時代区分には「歴史には一定のゴールがある、という考え方が潜んでいる。「歴史には法則性がある、という考え方」はこれから派生している。
 「この世で起きることは、すべて偶発事件であり、その偶発事件の積み重なりで、この世界はあちらへよろよろ、こちらへよろよろする。歴史に法則などあるわけがない」。
 ・「歴史家の仕事は、歴史に法則を見つけ出すことにあるのではなく、さまざまな史料から取捨選択して筋道を立て、過去の世界に合理的な解釈を施すこと、世界を理解することにある」。
 「要するに、歴史は、世界を理解する仕方の一つ」だ。「世界とは、もちろん人間の住む世界」だ。
 「世界を理解するための道具として、たとえば物理学も数学も哲学も使えるだろうが、歴史という見方もそうしたアプローチの一つなのだといえる」。
 「歴史家の存在を危うくする暴論」ではなく、先に「歴史は世界に対する解釈」だと記したように、「歴史とは一つの文化なのである」。
 ・「本来、歴史を持っている文明は、シナ文明と地中海文明の二つだけであり、他の文明はみなこの二つのどちらかから、歴史という文化をコピーしている。
 日本文明の歴史というのは、もちろんシナ文明のコピーである」。
 シナでは「変化しない世界」、地中海世界では「変化する世界」をそれぞれ書くのが「歴史」だ。「水と油」だが、「この世界を空間だけではなく、時間の軸に沿っても捉えよう」とする点でどちらも「歴史」だ。
 「時間の軸に沿い、今見えなくなった世界も実在する世界であると見て、まとめて理解しようとするのが歴史なのだ」。
 ・「では、『理解する』とは、どういうことなのか」。
 「ストーリーを受け入れる、ということ」だ。「ストーリー(物語と言ってもいい)」は頭に入りやすく、「因果関係」で結ぶと受け入れられる。
 「この世界は、本当は偶発的事件ばかりの積み重ねで、なんの筋書きもないのだが、歴史はそれにストーリーを与える機能を持っている。
 言ってしまえば、文学なのである。だから歴史をつくっているのは言葉であって、ものではない。」
 ・「18世紀末までが古代、19世紀以降は現代」だ。「国民国家」の登場は後者で、それ以前にはなかった。
 ・ヘロドトスの歴史叙述は「ギリシア神話」を利用した。
 司馬遷も、「天上の神々であった五帝を地上の人間のように書き直し、そうすることで皇帝権の起源を説明」した。
 「日本最初の歴史書『日本書記』も同様である」。編纂過程は「日本の建国の時期」だったので、「建国事業の一環」として、「なるべく古いところに日本国と天皇の起源を持ってゆく必要があった。
 そのために、「神武天皇以下、16代応神天皇に至る架空の天皇を発明した」。また、「壬申の乱に際し天武天皇が伊勢で発見した地方神」の「アマテラスオホミカミを中心とした神話を新たにつくり、神武天皇の話の前にくっつけ」た。「神様を人間に」し、「幽冥界から死んだ天皇を呼び出してくる」といったやり方で、「歴史をつくった」。
 「どんな国の歴史」も初めて書かれるときはそんなもので、「神話が歴史に読み替えられるのである」。
 ・「『日本書記』が建国の時期をなるべくむかしに持ってゆこうとしたのは、シナを意識してのことである」。
 シナは紀元前221年・秦の始皇帝のときに国が初めてできたので、「シナに対抗するには、それよりも建国を古くしなければならない。日本の天皇のほうが、シナの皇帝よりも古い起源を持っているのだ、と言わねばならない」。
 「シナ文明圏では、王権の正統性を保障するのは歴史であり、そのパターンから日本は抜け出せない」。神武天皇の建国を紀元前660年で、秦より400年以上古い、という「操作に神話は使われた」。
 ・「今でも歴史を論じるとき、なにかと神話に戻りたがる人がいる。
 神話から史実を読み取ろうとするのだ。
 しかし、歴史で神話を扱う際には、こうした神話の性質を充分わきまえておかねばならない」。
 「もっとも、一般の人たちが神話に戻りたくなる気持ちも、わからないではない。
 古代というのは、いまだに神代と同意義に使われていて、なんでもありの異次元空間なのである。そこでは現実世界の法則は通用せず、なんでもできる。…。
 そういう神話が与えてくれるロマンは、現実からの逃避には都合がいいだろうが、そうした情緒的ニーズと合理的な歴史を混同してもらっては困る。」
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2187/西尾幹二の境地-歴史通・WiLL2019年11月号別冊⑤。

  言葉・概念というのは不思議なもので、それなくして一定時期以降の人間の生活は成り立ってこなかっただろう。というよりも、人間の何らかの現実的必要性が「言葉・概念」を生み出した。
 しかし、自然科学や医学上の全世界的に一定しているだろう言葉・概念とは違って(例えば、「脳」の部位の名称、病気の種類等の名称のかなりの部分)、社会・政治・人文系の抽象的な言葉・概念は論者によって使用法・意味させているものが必ず一定しているとは限らないので、注意を要する。
  面白く思っている例えば一つは、(マルクスについてはよく知らないが)レーニンにおける「民主主義」の使い方だ。
 レーニンの「民主主義」概念は多義的、あるいは時期や目的によって多様だと思われる。つまり、「良い」評価を与えている場合とそうでない場合がある。
 素人の印象に過ぎないが、もともとは「民主主義」は「ブルジョア民主主義」と同義のもので、批判的に用いられたかに見える。
 しかし、レーニンとて、-ここが優れた?政治運動家・「革命」家であったところで-「民主主義」が世界的に多くの場合は「良い」意味で用いられていること、あるいはそのような場合が少なくともあること、を十分に意識したに違いない。
 そこで彼または後継者たちが思いついた、または考案したのは、「ブルジョア(市民的)民主主義」と対比される「人民民主主義」あるいは「プロレタリア民主主義」という言葉・概念で、自分たちは前者を目ざす又はそれにとどまるのではなく、後者を追求する、という言い方をした。
 「民主主義」はブルジョア的欺瞞・幻想のはずだったが、「人民民主主義」・「プロレタリア民主主義」(あるいは「ソヴェト型民主主義」)は<進歩的>で<良い>ものになった。
 第二次大戦後には「~民主共和国」と称する<社会主義をめざす>国家が生まれたし、恐ろしくも現在でも「~民主主義人民共和国」と名乗っているらしい国家が存続している。
 似たようなことは「議会主義」という言葉・概念についても言える。
 マルクスやレーニンについては知らない(スターリンについても)。
 しかし、日本共産党の今でも最高幹部の不破哲三は、<人民的議会主義>と言い始めた。
 最近ではなくて、ずいぶん前に以下の著がある。
 不破哲三・人民的議会主義(新日本出版社、1970/新日本新書・1974)。
 「議会」または「議会主義」はブルジョア的欺瞞・幻想として用いられていたかにも思われるが(マルクス主義「伝統」では)、日本共産党が目ざすのは欺瞞的議会主義ではなく「人民的議会主義」だ、ということになった。現在も同党の基本路線のはずだ。
 <民主主義革命・社会主義革命>の区分とか<連続二段階革命>論には立ち入らないし、その十分な資格もない。
 ともあれしかし、そうだ、「たんなる議会主義」ではなく「人民的議会主義」なのだ、と納得した日本共産党員や同党支持者も(今では当たり前?になっているかもしれないが)、1970年頃にはきっといたに違いない。
  しかし、元に戻って感じるのだが、これらは「民主主義」や「議会主義」という言葉・概念を、適当に(政治情勢や目的に合わせて)、あるいは戦術的に使っているだけではないだろうか。
 <反民主主義>とか<議会軽視=暴力>という批判を避けるためには、「人民民主主義」・「人民的議会主義」という言葉・概念が必要なのだ。
 たんに言葉だけの問題ではないことは承知しているが、言葉・概念がもつ<イメージ>あるいは<印象>も、大切だ。
 人間は、それぞれの国や地域で用いられる<言葉・概念>によって操作されることがある。いやむしろ、常時、そういう状態に置かれているかもしれない。
 自明のことを書いているようで、気がひける。
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 四 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 p.222で、西尾幹二はこう発言する。
 ・「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神」だ。「自然科学ではない科学」を蘇生させる必要がある。
 ・日本人が持つ「神話思想」は、「自然科学が絶対に及び届くことのない自然」だ。
 ここで西尾は、「自然科学」(または「科学」)と「日本的な科学(の精神)」を対比させている。
 これは、レーニンとて「民主主義」という語が~と上に記したように、西尾幹二とて?、「科学」という言葉・概念が<良い>印象をもつことを前提として、ふつうの?「自然科学」ではない「日本的な科学」が大切だと主張しているのだろう。
 民主主義または欧米民主主義とは異なる「日本的民主主義」というのならば少しは理解できなくはない。しかし、「自然科学」またはふつうの?「科学」と区別される「日本的な科学」とはいったい何のことか?
 これはどうやら日本の「神話(思想)」を指す、又はそれを含むようなのだが、しかし、このような使用法は、「科学」概念の濫用・悪用または<すり替え>だろう。
 ふつうの民主主義ではない「人民民主主義」、ふつうの議会主義ではない「人民的議会主義」という語の使い方と、同一とは言わないが、相当に類似している。
 五 西尾幹二・決定版国民の歴史/上(文春文庫、2009/原著・1999)。
 これのp.169に、つぎの文章がある。この部分は節の表題になってもいる(p.168)。
 「広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである」。
 つまり、「神話」は、<狭義の歴史>ではなくとも<広義の歴史>には含まれる、というわけだ。
 「神話、言語、歴史をめぐる本質論を以下展開する」(p.166)中で語られているのだから、西尾としては重要な主張なのだろう。
 あれこれと論述されていて、単純な議論をしているのではないことはよく分かる。
 しかし、上の部分には典型的に、「神話」と「歴史」の両概念をあえて相対化するという気分が表れていると感じられる。
 つまり、「歴史」概念を曖昧にし、その意味を<ずらして>いるのだ。
 こうした概念論法を意識的に用いる文章を書くことができる人の数は、多いとは思えない。
 言葉・概念・文章で<生業>を立ててきた、西尾幹二らしい文章だ。
 相当に単純化していることを自覚しつつ書いているが、このような言い方を明瞭な形ではなくこっそりと何度でもするとすると、こうなる。
 ああ言えばこういう、何とでも言える、という世界だ。
  <文学>系の人々の文章で、フィクション・「小説」・<物語>と明記されて、あるいはそれを当然の前提として書かれているものならばよい。
 そして、いかに読者が「感動」するか、いかほどに読者の「心を打つか」が、そうした文章または「作品」を評価する<規準>となる、ということも、フィクション・「小説」・<物語>の世界についてならば理解できなくはない。
 しかし、そうではなくノン・フィクションの「学問」的文章であるならば、読者が受けた「感動」の質や量とか、どれだけの読者を獲得したか(売れ行き)の「多寡」が評価の規準になるのではないだろう。
 何となしの<情感>・<情緒>を伝えるのが「学問」的文章であるのではない。
 <文学>系の人々の文章も様々だが、言葉の配列の美しさとか思わぬ論理展開とかがあっても、それらはある程度は文章の「書き手」の巧拙によるのであって、「学問」的著作として評価される理由にはならない。
 これはフィクション・「小説」・<物語>ではない、「文学」つまり「文に関する学」または「文学に関する学」でも同じことだろう。
 何となく<よく出来ている>、<よくまとまっている>、<何となく基本的な趣旨が印象に残る>という程度では、小説・「物語」とどこが異なるのだろうか。
 <文学系>の人々が社会・政治・歴史あるいはヒトとしての人間そのものについて発言する場合の、評価の規準はいったい何なのか。
 長い文章を巧く、「文学的に」?書くか否かが規準ではないはずだろう。
 長谷川三千子もきっとそうだが、西尾幹二もまた、日本の社会・政治、あるいは「人間学」そのものにとっていかほどの貢献をしてきたかは、全く疑わしい、と思っている。今後も、なお書く。
 江崎道朗、倉山満ら、上の二人のレベルにすら達していない者たちが杜撰な本をいくつか出版して(日本の新書類の一部またはある程度は「くず」の山だ)、論理的にも概念的にも訳の分からない文章をまとめ、「その他著書多数」と人物紹介されているのに比べれば、西尾幹二や長谷川三千子はマシかもしれない。
 しかし、学者・「学術」ふうであるだけ、却ってタチが悪い、ということもある。
 <進歩的文化人>ではない<保守的文化人>と自認しているかも知れない論者たちの少なくとも一部のいい加減さ・低劣さも、いまの時代の歴史の特徴の一つとして記録される必要があるだろう。

2167/折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)。

 折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
 p.41~。折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。青太字化は秋月。
 ***
 ・「神話という語は、数年来非常に、用語例をゆるやかに使われて来ている。
 戦争中はもとより、戦争前からで、すでに広漠とした、延長することの出来るだけ、広い意味に使われていた。
 それは、ナチス・ドイツの用語をそのまま直訳したものであろうが、-<中略>-この神話という語も、そうした象徴風な受けとり方がせられている。」
 ・「私ども、民俗学を研究する者の側から考えると、神話という語はすこぶる範囲を限って使うべき語となる。
 普通に使われているより、さらに狭い意義なのだから、それとはよほど違うのである。
 神話は神学の基礎である。
 雑然と統一のない神の物語が、系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として、神学ができる。
 神学のために、神話はあるのである。
 従って神学のない所に、神話はない訳である。
 言わば神学的神話が、学問上にいう神話なのである。」
 ・「神代の神話とか神話時代とか、普通称されているが、学問上から言う神話は、まだ我が国にはないと言うてよい。
 日本には、ただ神々の物語があるまでである。
 何故かと言えば、日本には神学がないからである。
 日本には、過去の素朴な宗教精神を組織立てて系統づけた神学がなく、さらに、神学を要求する日本的な宗教もない。
 それですなわち、神話もない訳である。
 統一のない、単なる神々の物語は、学問的には、神話とは言わないこととするのがよいのである。
 従って日本の過去の物語の中からは、神話の材料を見出すことは出来ても、神話そのものは存在しない訳である。」
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 折口信夫について、以下の著に接した。
 植村和秀・折口信夫-日本の保守主義者(中公新書、2017)。
 斎藤英喜・折口信夫-神性を拡張する復活の喜び (ミネルヴァ書房、2019)。


2150/西尾幹二の境地-歴史通・月刊WiLL2019年11月号別冊④。

  西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 西尾発言、p.219。
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません。」
 ①「神話」とだけ言い、日本書記や古事記の名を出さないこと、また②「神」という語が付いているが、神道等の「宗教」にはいっさい言及しないこと。これらにすでに、西尾幹二の<言論戦略>があると見られる。これらには別途触れる。
 上の、神話→女系天皇否認、というこの直結はほとんど信じがたいものだ。
 かりに神話→万世一系の天皇、を肯定したとしてもだ。
 しかし、神話→女系天皇否認、ということを、西尾幹二は2010年刊の書で、すでに語っていた。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封4/「国体」論と現代(徳間文庫、2015/原書2010)。
 文部省編・国体の本義(1937年)を読みながら解説・論評するふうの文章で、この中の「皇位は、万世一系の天皇の御位であり、ただ一すじの天ツ日嗣である」を引用したのち、西尾はこう明言する。p.171(文庫版)。一文ごとに改行。
 「『天ツ日嗣』というのは天皇のことです。
 これは『万世一系』である、と書いてあります。
 ずっと一本の家系でなければならない。
 しかもそれは男系でなくてはならない
 女系天皇では一系にならないのです。」
 厳密に言えば文部省編著に賛同しているか否かは不明であると言えるが、しかしそれでもなお、万世一系=女系天皇否認、と西尾が「解釈」・「理解」していることは間違いない。
 ひょっとすれば、2010年以前からずっと西尾はこう「思い込んで」きて、自分の思い込みに対する「懐疑」心は全く持とうとしなかったのかもしれない。これは無知なのか、傲慢なのか。
  万世一系=女系天皇否認、と一般に理解されてきたか?
 通常の日本語の解釈・読み方としては、こうはならない。
 しかし、前者の「万世一系」は女系天皇否認をも意味すると、この辺りの概念・用語法上、定型的に理解されてきたのか?
 結論的に言って、そんなことはない。西尾の独りよがりだ。
 大日本帝国憲法(1889)はこう定めていた。カナをひらがなに直す。
 「第一條・大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
  第二條・皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す」
 憲法典上、皇位継承者を「皇男子孫」に限定していることは明確だが、かりに1条の「萬世一系」概念・観念から「皇男子孫」への限定が自動的に明らかになるのだとすると、1条だけあればよく、2条がなくてもよい。
 しかし、念のために、あるいは「確認的」に、2条を設けた、とも解釈できなくはない。
 形成的・創設的か確認的かには、重要な意味の違いがある。
 そして、結論的には、確認的にではなく形成的・創設的に2条でもって「皇男子孫」に限定した(おそらく女系天皇のみならず女性天皇も否認する)のだと思われる。
 なぜなら、この旧憲法および(同日制定の)旧皇室典範の皇位継承に関する議論過程で、「女帝」を容認する意見・案もあったところ、この「女帝」容認案を否定するかたちで、明治憲法・旧皇室典範の「皇位」継承に関する条項ができているからだ。
 「万世一系」が「女帝」の否認・排除を意味すると一般に(政府関係者も)解していたわけでは全くない。
 明治憲法制定過程での皇位継承・「女帝」をめぐる議論は、以下を読めばほぼ分かる。
 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)。
 とくに、上掲書のp.25~p.45の「Ⅰ/明治前期の『女性天皇』論」。
 ***

2147/岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(2014)②。

 岡田英弘著作集第三巻・日本とは何か(藤原書店、2014)。
 以下、第Ⅴ部・発言集より。
 <日本の神話の起源
 ・「日本の神話の起源を論じるときには、二つの点から考えなければならない。
 一つは、神話というのは「現実を説明する方途」の一つだ、という点である。
 これは歴史と同じ機能なので、神話と古代史は混同されやすいのである。」
 ・日本の神話も「実際に行われていた祭りや宗教儀式の説明として、『日本書記』が編纂される過程で、新たにつくりだされていったのであろう」。
 ・「日本の神話は、時系列に沿って物語が進行する特異な構造になっている。それがギリシア神話などと大きく違うところである。
 『日本書記』を書いた人々は、『史記』、とくに「五帝本紀」の叙述の仕方を、明らかに意識していたと思われる。
 「五帝本紀」の「帝」というのは、天の神であり、また大地母神の夫であり、「五帝本紀」は、五人の帝が交代で天下を統治する、という筋書きである。
 『日本書記』を歴史に組み替えるとき、「五帝本紀」を意識して、同じようなパターンで神々の行動を時系列に並べた、ということであろう」。
 ・「もう一つの点は、神々の中心をなす神格が、アマテラスオホミカミになっていることである。…。それなのに中心の神格となっているのは、壬申の乱はアマテラスオホミカミの庇護によって成功した、という当時の人たちの認識が働いているからである。
 アマテラスオホミカミが中心に据えられていること一つをとっても、日本神話が今のような形をとった年代がわかる。」
 以上、p.505-p.506。初出、シンポジウム「古代史最前線からの眺望」月刊正論(産経)1998年5月号p.319-p.320。
 <古代から大和民族は存在したか
 ・「民族というのは、20世紀になって発生した観念である。19世紀に興った国民国家という体制が生んだ観念だと言っていい。
 現実に、大東亜戦争のあと、…独立した諸国を見ると、初めはそこに民族などない。独立してから民族をつくり始めている。」
 ・「大和民族はどうか。じつは日本人のあいだで民族という観念が共有されるようになったのも、20世紀に入ってからのことである。そもそも「民族」という言葉には外国語の用語がない。
 20世紀になって、日本で発明された純粋の日本語なのである。」
 ・「7世紀の日本天皇の出現で大和民族が生まれたのではないか、と疑問を持つ人がいるに違いない。じつは、そのときできたのは、民族ではなく、いわば日本というアイデンティティなのである。」
 ・「当時の日本列島には倭人のほかに、新羅人も百済人も高句麗人もいた。韓半島を見ても、新羅には高句麗人も百済人も漢人もいたし、百済には倭人も新羅人も高句麗人も漢人もいた。…。
 つまり、日本列島も韓半島も、さまざまな人たち、異質の者たちの雑居状態だった。」
 ・「こうした状況を変えたのは、シナにおける唐の勃興である。
 唐の皇帝に対して独立を保つために、日本という政治的アイデンティティが急遽発明された。
 白村江の敗戦以前にも倭王はいたが、日本列島全体を支配していたわけではなかった。日本はいわば連合組織だったのだが、唐という脅威を前に、その連合組織が団結した。
 3世紀、倭人の諸国が寄り集まって選挙で卑弥呼を女王に立て、後漢王朝が滅びた大混乱に対処したのと同じようなことが、このとき繰り返されたのである。
 天皇という王権に人々が結集した。そこから新たに日本文明が発達をし始めるのである。」
 以上、p.511ーp.513。初出、、シンポジウム「古代史最前線からの眺望」月刊正論(産経)1998年5月号p.327ーp.330。
 *** 

2124/西尾幹二の境地・歴史通/WiLL2019年11月号③。

 一 「神話と歴史」の関係・区別を論じ、前者の優先性・優越性を語る点で、つぎの二つで西尾幹二は共通している。
 A/西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL2019年11月号別冊(ワック)、p.126-。月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 B/西尾幹二・国民の歴史
(産経、1999)-第6章・第7章。
 さすがに、20年間を挟んで、と感じられるかもしれないが、少しばかり吟味すると、一貫しているわけではない。例えば、Bには歴史も「とどのつまりは神話ではないか」との「哲学的懐疑心」が肯定的な意味で語られていて(p.157)、神話と歴史の<相対性>もむしろ強調されているように読める。
 一方、Aでは両者を峻別して「神話」の絶対的超越性を説いているがごとくだ。-「歴史はどこまでも人間世界の限界の中」にあるが、「神話は不可知の根源世界で、…人間の手による分解と再生を許しません」(p.219)。
 Aが<女系天皇否認>のための前提として語られているアホらしさには、すでに触れた。日本書記等がかりに<万世一系>の根拠になっても、<女系否認>の根拠には全くならない。
 この点はさて措くとして、20年間も同じ考え方でおれるはずがない、等々の釈明は可能だ。20年間も同じテーマについて全く同じことを書いていたのでは「進歩」がない。
 しかし、西尾幹二のつぎの著は、「歴史」をどう語っていただろうか。
 C/西尾幹二・保守の真贋-保守の立場から安倍政権を批判する(徳間書店、2017)。
 
保守ならば、当然真っ先に心の中に響き渡っている主張低音があるはずである。……そして、これらをひっくるめて<五、歴史>。」p.16。
 上で省略した一~四は、つぎだ。1・皇室、2・国土、3・民族、4・反共(反グローバリズム)。従って、西尾幹二によると、これら四つを「ひっくるめたもの」が<5・歴史>となる。
 西尾のこの著では、「保守」の「要素」を総括したものが、「歴史」だ。さほどに「歴史」という観念・概念は重視されている。
 そして不思議なことに、全部を詳細に読んだわけではないが、この「歴史」と「神話」の関係・区別には論及が全くかほとんどない。
 上のA、2019年の対談では「歴史はどこまでも人間世界の限界の中」にある等々と語って、<女系天皇>問題は、今日の日本で「神話」という「超越的世界観」を信じることができるか否かの問題だ、などと壮言しているにもかかわらず。
 西尾は、2017年著との関係について、書物や対談の趣旨から判断して「歴史」を同じ意味で使っているわけではない。自分の著作を全体として見て評価・論評してもらいたい、と釈明するかもしれない。しかし、上の二つ(AとC)での「歴史」概念の差異は著しい。そして、書物等、従って執筆時期や読者層を考慮して、この人物は、上の釈明があてはまっているとかりにしても、<それぞれに、適当に>同じ基礎的な言葉・概念を使い分けている、ということが明らかだ。
 そのつど、そのつど、上に挙げた要因によるのはむろんのこととして、同一の書の中ですら文脈に応じて、同じ概念を異なる意味・ニュアンスをもつものとして使う、ということにこの人物は習熟しているのだ。
 D/西尾幹二・あなたは自由か(ちくま新書、2018)。
 この書で、基本概念としての「自由」は揺れ動いている。そして、書物としてまとめる際に追記したかに見えるp.115-p.119は、ほとんど意味不明のことを喚いている。気の毒だ、見苦しい、と感じるほどだ。
 二 A/西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL2019年11月号別冊、p.222。ここに天皇論や「歴史」論ではない興味深い発言がある。
 ・「日本的な科学の精神」が「自然科学ではない科学」として「蘇る」必要がある。「分析と解析」だけではダメだ。
 ・「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」は「自然科学の力とどう戦うか」だ。
 ・日本人が愛するのは、自然科学が与えている知性では埋めることのできない隙間」だ。
 ヨーロッパの庭園・建築物と日本の違いを話題に挿入しているが、より詳細な意味が語られているわけではない。しかし、おや?、と思わせる。
 これと似たこと、または通じることを、西尾は上のD・あなたは自由か(2018)でも書いている。p.37。近年に共通する「思い」に違いない。
 「経済学のような条件づくりの学問、一般に社会科学的知性では扱うことができない領域」がある。それは「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」だ。
 「自然科学」ではなくここでは「経済学」を含む「社会科学的知性」を排除しようとしている。少なくとも、「自然科学」とともに「社会科学」もまた、西尾幹二の「意識」またはその言うところの「自由」の問題を解決することはできない、ということだろう。
 ここでの「社会科学的知性」とは、すぐ前に「条件づくりの学問」という語があるように、生活条件の整備・向上のための「学問」・「知性」を意味させているようだ。この叙述の前には、子どもの成長を妨げる条件を排除する環境の整備だけでは「真の」成長にならない、人の住居を快適にしても「真の生活」にはならない、という旨の文章がある。p.36-。
 簡単に言えば、西尾には<物的条件>の整備ではなく<精神・こころ>が重要なのだ。「ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由という問題」こそ(だけ?)が。
 この著に関する論評はこの欄の別の項で扱っているので、子細には立ち入らないが、以上の部分やこの著の第2章<資本主義の「自由」の破綻>を読了しても感じるのはつぎだ。
 第一は、西尾幹二の、もともとあったに違いない<反欧米主義>だ。
 上のAのp.223にこうある。「西洋と東洋がひとまとめて、日本文化と対立している。そういう風に私は思っています」、とある。
 この<反欧米主義>とはもう少し言えば、<近代啓蒙主義>あるいは<ヨーロッパ近代>に対抗・反対しようとする<日本(・愛国)主義>だ。
 さらに言えば、<資本主義の「自由」の破綻 >という章題にも現れていると見られる、<反・資本主義>、<反・自由主義経済>の気分だ。別に言及するが、かつてソ連・社会主義諸国内にいて拘禁された者たち(ソルジェニーツィンら)の、解放されて「西側」諸国に接した際の「西側・自由主義」への批判・皮肉を長々と紹介したり言及したりしているのは、西尾の<反・資本主義(自由主義)>の気分をおそらくは明瞭に示している。
 この<反・資本主義(自由主義)>の気分は、当然に、西尾は断固として否定するかもしれないが、少なくともかつての「社会主義」への憧憬・「容共」気分と共通することとなる。
 この欄でレシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流の試訳をしていて<フランクフルト学派>に関する部分を終えているが、上に記したような西尾の文章部分を見ながら、コワコフスキ紹介によるこの<フランクフルト学派>(アドルノ、ホルクマイアー、ブロッホ、マルクーゼら)のことを想起せざるを得なかった。
 <フランクフルト学派>は「左翼」だとされる。そして、むろん簡単に要約できないが、資本主義のもとでの「科学技術」の進展や「大衆文化」の醸成に批判的で、「より高い(higher)」文化が必要だとした。近現代「科学技術」、そして「啓蒙(主義)」に対する強い懐疑・批判を特徴とする。
  西尾幹二の「自然科学」批判は、フランクフルト学派の近現代「科学技術」や「近代啓蒙(主義)」に対する批判・攻撃と(少なくとも気分として)共通性がある。
 西尾は、例えば以下の文章を、どう読むだろうか。
 「フランクフルト学派の哲学者たち」が「現実に提示しているのはほとんど、エリート(élite)がもつ前資本主義社会の文化へのノスタルジア(郷愁)だった」(№2032)。
 「ホルクハイマーとアドルノの新しさは、この攻撃を実証主義と科学に対する激しい批判と結びつけ、マルクスに従って、悪の根源を…〔要するに資本主義経済-秋月〕のうちに感知することだ」。
  「フランクフルト学派がもつ主要な不満」は、「資本主義が豊かさを生み、多元的な欲求を充足させ」るのは「文化の高次の(higher)形態にとって有害だ」、ということにある(№2025)。
 彼らは「『大衆社会』やマス・メディアの影響力の増大を通じた、文化の頽廃、とくに芸術の頽廃を攻撃した。また、大衆文化の分析と激烈な批判の先駆者たちで、この点では、ニーチェの継承者であり、エリートの価値の擁護者だった」(№2004)。
 第二に、<物的条件>の整備ではない<精神・こころ>の重要性、「各自における、ひとつひとつの瞬間の心の決定の自由」を西尾幹二が語るときの、その基礎的な<哲学>・<人間論>の所在だ。「唯我論」だとは言わないことにしよう。最近にこの欄で紹介したつぎの文章だけ、再び掲げておく。
 <自分の著書(初版)への「宗教的、文化的右派」からの批判には、無視されると思っていたので、驚いた。①「心は脳の産物」、②「脳は進化の産物」という現在の「心理学者や神経科学者」には当然の前提が、「彼らにとって急進的かつ衝撃的だった」。
 スティーヴン・ピンカー/椋田直子訳・心の仕組み-上(ちくま学芸文庫、2013)の「2009年版への序」(№2116/2020.01/07)。
 西尾幹二はまだ17世紀の<デカルト・心身二元論>の段階にいるのではないか旨、すでに記したことはある。

2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。

 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)。月刊WiLL2019年4月号の再収載。
 この項の前回①(№2074)に記したように、西尾幹二の原理的考え方は、「神話」>「歴史」>「自然科学」、という公式だ。
 これが何のために使われているかというと、タイトルに「皇室の神格と民族の歴史」とあるが、今日での皇室論、そして皇位継承論、そして男系継承論=女系否定論を主張するためにある。
 西尾幹二によれば、「女系天皇を否定し、あくまで男系だ」とするのが「日本的な科学の精神」であり、「自然科学ではない科学」であって、通常の「自然科学」とは「戦う」必要がある。p.222。
 また、「女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問い」に他ならず、「神話は歴史と異なる」。歴史観として言えば、通常の歴史観=「可視的歴史観」ではなく「超越的歴史観を信じる」か否か、の問題だ。p. 219。
 そして、最も簡潔には、つぎのことを言いたいのだろう。
 「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である…」。p. 219。
 西尾の「神話」崇敬論・「日本の科学」論・「超越的歴史観」からすると、次のとおりなのだ。
 <126代の皇位は、一点の曇りもなく、男系で継承されてきた。
 かりに西尾の「神話」崇敬の立場にたつとして、はたしてそうなのか、というのが前回の最後に指摘しておいたことだ。
----
 西尾は「神話」という言葉を使い、単純な?「歴史」と区別して前者の優越性を説く。
 そのとおりだとかりにして、そこでいう「神話」とは、対談の主旨・論脈からして、日本(民族)の「神話」であることはおそらく論じるまでもないだろう。
 つまり、日本の「神話」、<日本神話>のことを意味させていると理解しなければ、西尾の論旨を理解することができない。
 とすると、問題は、つぎのようになる。
 <日本神話>は、「女系天皇を否定し、あくまで男系」と語っているのか?
 <日本神話>からして、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」と言えるのか?。
 気の毒なことだ。一種の悲劇だろう。
 第一。<日本神話>として通常は理解されているのは、日本書記と古事記(その他の風土記類)の中にある「神話」とされている部分だ。
 日本書記と古事記の記述の全てが「神話」なのではない。
 以下、つぎの著をとりあえず瞥見する。
 宇治谷孟・全現代語訳/日本書記-上・下(講談社学術文庫、1988)。
 竹田恒泰・現代語/古事記〔ポケット版〕(学研、2016)。
 ほとんど常識的なことを、以下に書く。
 日本書記と古事記の記述の全てが「神話」なのではない。
 前者は全30巻から成るが、巻第一・巻第二がそれぞれ「神代上」・「神代下」とされ、巻第三がのちにいう「神武天皇」=初代天皇の項だ。
 常識的な理解だろうが、巻第一・巻第二が「神代」についての「神話」なのであって、巻第三以降のいわば<人代>は「神話」的部分を継承または包含しているとしても、執筆者または編纂者は<歴史>のつもりで叙述しているものと解される。本当の「史実」か否かは別の問題。なお、西尾は神武以下8代を含む「126代」を真実と信じて疑っていないようだ。
 後者は大きく三つの「巻」に分かれていて、「上つ巻」・「中つ巻」・「下つ巻」がある。
 これらのうち「上つ巻」の最後の節・項が「天孫降臨と日向三代」で、「中つ巻」の最初の節・項は「神武天皇」(「下つ巻」の最初は仁徳天皇)。
 常識的な理解では、これらのうち「上つ巻」だけが、そのまま<日本神話>を構成する。
 さて、上を前提として西尾に問おう。
 これら二著(=記紀)の「神話」部分、つまり「神代」や「上つ巻」の叙述において、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」ことは、いったいどこに書かれているのか??
 そもそも初代天皇自体が厳密には「神話」ではないこととして叙述されていると見られ、日本の「神話」=記紀等の「神話」部分が<皇位継承の仕方>を記述していないのは、明々白々だろう。
 第二。つぎに、一歩かあるいは百歩か譲って、かりに日本書記や古事記の全体を「神話」だと理解することしよう。
 前者はいわゆる「壬申の乱」の時代も含んでおり、最後の巻第三十は「持統天皇」に関する記述だ。後者の最後はそれよりも早く、「下つ巻」の最後は「推古天皇」に関する節・項だ。
 ついでに竹田恒泰の「解説」によると、古事記が「推古朝」で終わっているのは、古事記完成の元明天皇の「当時には推古天皇の次の舒明天皇以降が『現代』と考えられて」いたかららしい。上掲書、p.488。
 さて、日本書記と古事記の上記のそれぞれの範囲内の、いったいどこに、「126代の皇位が一点の曇りもない男系継承である」ことが書かれているのか?
 日本書記と古事記の各全体を見て、これらが皇位継承について「女系天皇を否定し、あくまで男系」だとしていると、なぜ判断することができるのか。
 気の毒なことだ。一種の悲劇だろう。いや笑い話だ。
 西尾は、こう釈明または反論するのかもしれない。
 いや、これらの「日本神話」の趣旨の<解釈>によって導くことができる、と。
 この反論・釈明は西尾にとっては成り立たない。
 なぜなら、西尾は「一点の曇りもない」と明記している。
 かつまた、そもそもが西尾にとって、「神話」を前にしては「解釈の自由」はないのであって、「人間の手による分解と再生」を許さないものなのだ(対談、p.219)。
 記紀の各全体の<趣旨>とか<解釈>とかを、西尾は持ち出すことができない。
 第三。さらに、かりに日本書記や古事記の記述を全体として「日本神話」だと理解するとして、それらの「解釈」によって、皇位継承につき「女系天皇を否定し、あくまで男系」だ、と主張することができるのか?
 これもまた、否定せざるを得ない。推古の前までの大王または天皇は全て「男」であることや、持統の前までを含めても女性天皇の数は少ない(推古、皇極=斉明。+のちに皇位に就いていることが否定されたが神功皇后)ことをもって、上のことの根拠にすることはできないだろう。
 以上、三段階をとって、記した。①記紀の本来の「神話」部分には天皇・皇位の問題すら出てこない。②記紀全体が「神話」だとしても、皇位継承の仕方は「一点の曇りもない」ほどに明瞭には記述されていない。③全体が「神話」だとしても日本書記・古事記から、<女系>否定の趣旨を「解釈」することはできない。
 皇位継承の問題も含めて、日本書記と古事記の間には記述内容に違いがある。また、それぞれについて、「解釈」の余地があり、実際に種々の議論が学説等においてなされている。
 これらを別に措くとしても、「神話」論から出発する西尾の見解・主張は根拠のないものだ。西尾の「信念」・「信仰」を披瀝したものにすぎない。
 もともとは、日本の歴史・「伝統」が現在または将来の皇室・皇位に関する議論の決定的な根拠になるわけではない。西尾もこれを認めているからこそ、<論陣>を張っているのだろう。<新しい伝統>は形成され得る。
 しかし、そのような限度であっても、秋月には妄言・虚言だと思われる「信念」を露骨に活字にしてほしくないものだ。
 境地・心境といえば響きはまだよいが、西尾幹二はなぜ、このような「信念」を強弁する<境地・心境>に至ったのか
 ----
 下は歴史通/WiLL11月号別冊(2019)より。
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2074/西尾幹二の境地・歴史通11月号①。

 月刊WiLL2019年4月号(ワック)に、つぎの対談が掲載されたようだ。
 西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」。
 これが、歴史通/WiLL11月号別冊(ワック)に再掲されている。
 前者を読んでいないので知らなかったが、後者を読むと、今年の初めに西尾幹二が考えていたことが分かり、興味深いとともに、いささか驚き、また呆れる。
 その西尾発言部分を、まずは引用する。一行ごとに改行する。
 「女性天皇と女系天皇の区別」はかなり理解されてきたようでもある。<中略>
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません
 大げさにいえば、超越的歴史観を信じるか、可視的歴史観しか信じられないかの岐れ目がここにあるといってもいいでしょう。
 126代の皇位が一点の曇りもない男系継承であるからといって、今や…情勢が変わったのだから政治世界の条件は少しは緩めて寛大にしてもよいのではないかと考える人が急速に増えているようです。
 しかし残念ながらそれは人間世界の都合であって、神々のご意向ではありません。//
 神話は歴史と異なります。
 日本における王権の根拠は神話の中にあるのであって、歴史はそれを支えましたが、歴史はどこまでも人間世界の限界の中にあります。
 歴史は…、諸事実の中から事実の選択を前提とし、事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由を許しますが、神話を前にしてはわれわれはそういう自由はありません
 神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません。
 ですから神話を今の人に分かるように絵解きして無理なく伝えるのは容易な業ではなく、場合によっては危険でもあり、破壊的でもあるのです。//
 例えば、女系天皇の出現を阻止するのは…今や無理であり、…女性宮家を創設して、…が合理的で、男系継承一点限りの原則論ではもはややっていけない、と囁く声が保守派の中からさえ聞こえてきます。
 それでいいのですか。」
 ここで、いちおう区切る。
 これまでのところで、原理的な問題として西尾幹二が取り上げているのは、<神話と歴史>という問題だ。そして、明確に、前者を尊いものとしている。
 池田信夫は「天皇が『万世一系』だとか、男系天皇が日本の伝統だと主張するのが保守派ということになっているが、これは歴史学的にはナンセンスだ」と書いているが(同11月11日ブログマガジン)、ひょっとすれば?、「歴史学的にはナンセンス」であることは、西尾も容認するのかもしれない。
 しかし、西尾幹二は、「歴史学」が示す「可視的世界観」に立ってはならず、「人間世界の限界の中」にある「歴史」によらず、また「人間世界の都合」によらないで、「神々のご意向」に添わなければならない、という見解を主張しているようだ。
 なぜなら、「歴史」には「事実を選ぶ人間の曖昧さ、解釈の自由」があるが、「神話を前にしては」「そういう自由」はない。
 「神話」と「歴史(学)」と関係は、一般論として、興味深い主題ではある。
 ごく最近に読んだジョン・グレイの書物の一部は、近代人文社会科学は「ヒューマニズム」を基礎としており、それはまた一種の「信仰」であり「迷信」だ、と主張しているとみられる。
 むろん、J・グレイの方が、西尾幹二よりも視野が広く、思索は深い。
 まだこの欄で紹介していないが、つぎの書物には、つぎのような印象深い一文がある。
 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)=John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)、邦訳書p.85。
 「曇りのない知見は、歴史、地理、物理学など、広い分野に学んで身につくものである」。
 西尾幹二の知見は、幼稚な秋月瑛二の目から見ても、「曇りのない知見」だとは思えない。
 以上はさておき、「歴史(学)」の対象には「神話」も含み、またJ・グレイの示唆するように「歴史(学)」もまた何らかの「宗教」(近代ヒューマニズム、近代啓蒙主義にもとづく人文社会系学問)を基礎にしているとも言えるから、西尾のように「神話」と「歴史」を対比させること自体が、なおも説得力を欠くところがあるだろう。
 しかし、それにしても、公然たる、明確な「神話」優越論だ。
 これが、日本人、あるいは世界も含めてもよいが、人間多数の支持を受け得るとは考え難い。
 「神話は不可知の根源世界で、全体として一つであり、人間の手による分解と再生を許しません」と何やら深遠なことを言っているようでもあるが、じつはほとんど無意味だ。
 「人間の手による分解と再生」を許さないのが「神話」であり、人間はそれに従うほかはない。これを西尾は「可視的歴史観」と区別される「超越的歴史観」と称しているようだ。要するにこれは、「神話を信じるべきだ」、という主張だ。
 世界観、人間観、人生観として、これは成り立つ可能性はある。キリスト教も含めて、真に敬虔な「宗教信者」は、たぶんそう考えているのだろう。
 だが、論じるまでもなく、そして残念ながら、普遍的な、または日本と日本人に不変の「世界観、人間観、人生観」として西尾が勝手に他者に押しつけることができるものではない。西尾幹二の「虚しい思い込み」にすぎない。
 この点ではまだ、岩田温のつぎの言葉の方が冷静だ。
 「神話をすべて信じろというのは現代人にとって難しいでしょうが、神話を敬う態度は必要だと思います」。上掲書、p.220。
 秋月もまた、「敬う」と表現できるかは別として、日本書記であれ古事記であれ、日本と日本人の歴史を考察するにあたって、これらのうちの「日本神話」を無視してはならないと思っているし、「事実」・「史実」ではないものがあると注記しつつ諸記述・諸「物語」を学校教育の場にも導入すべきだと思っている。
 しかし、むろん「神話を信じる」べきだ、という前提に立っているのではない。
 なお、上に引用部分にはないが、西尾幹二は、原理的・基本的な論点として、つきの主張を行っていることにも注目される。以下、引用。上掲雑誌p.222。
 「女系天皇を否定し、あくまで男系だという一見不合理な思想が、日本的な科学の精神です。
 自然科学ではない科学が蘇らない限り、…へひた走ってしまいます。
 それが行きつく先はニヒリスムです。<一文略>
 自分たちの歴史と自由を守るために、自然科学の力とどう戦うか。
 現代の最大の問題で、根本にあるテーマです。」
 ここでは私は、「ニヒリズム」観念には関心がない。
 興味深い一つは、「自分たちの歴史と自由」の大切さを説いて、ここでは(「神話」ではなく)「歴史」を重視していることだ。西尾幹二における諸概念の使い方には、そのときどきの、文章の流れの中に応じたむら気に対応して、結構いいかげんなところ、がある。
 それよりも決定的に重要だと感じられるのは、最後にある、「自然科学の力とどう戦うか」、これが「現代の最大の問題で、根本にあるテーマ」だ、という主張・見解だ。
 むろんこれも、西尾幹二の独自の主張の一つにすぎない。
 すでに言及した部分を含めて言えば、西尾幹二は、こういう図式を描いているようだ。
 「神話」>「歴史」>「自然科学」
 これまた面白い理解の仕方だ。J・グレイによると「曇りなき知見」を得るためには「物理学など、広い分野」を学ぶことが必要なのだが、西尾によると、「自然科学」と戦うことが必要なのだ。J・グレイとは真反対にあるとも言える(なお、この人物は<容共>主義者ではない)。
 岩田温もこれにほぼ追随していて、「皇室は、近代的な科学に抗う日本文化」の「最後の砦」だとか、「無味乾燥な『科学』」だとか発言している。上掲雑誌、p.224。
 ここに、はしなくも、日本の「文学」系人間に特徴的であることが多い無知蒙昧さが明瞭に示されている、と秋月は感じる。人間である日本人を理解するためには、人体・脳等々を学問対象とする「医学」、その基礎にある物理学、化学等々、そして脳神経生理学、進化生物学等々もまた必要なのだ。
 これら現代「自然科学」を無視しては、さらには「戦う」などという姿勢・感覚では、日本人も、その歴史も、西尾幹二もときに用いる「日本精神」なるものも、理解することができない、議論することすら不可能だと思われる。
 さて、以上は全体をいちおう一読したあとでの原理的、基本的な論点の所在の指摘だ。
 とりあえず問題になるのは、しかし、つぎにあるだろう。
 万が一「神話」と「歴史」(と「自然科学」)の関係が西尾が考えるようなものだとして、つまり西尾の見解にかりに従うとして、つぎの問題がただちに生じる。
 西尾のいう「神話」とは少なくとも日本書記上の「神話」だろう。あるいは古事記も含んでいるかもしれない。
 そして、第一に、日本書記(8世紀初頭成立)が記述する「神話」は、「神々のご意向」として、上に西尾の言葉を引用したような意味での「神話」としてそのまま「信じる」必要があるのか。あるいは「信じる」ことができるのか?
 第二に、「126代の皇位が一点の曇りのない男系継承である」ことは、日本書記(+古事記)が記述する「神話」に照らして、疑い得ないものなのか?
 岩田温は西尾に迎合して?、つぎのように語る。上掲雑誌、p.220。
 「人の世を扱う歴史には人間の自由があるが、神話には人間の自由がないとのご指摘、大変勉強になります。
 確かに歴史は解釈の余地がありますが、神話はその神話を受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られます。」
 大いに「勉強」すればよいが、西尾の「神話」・「歴史」の対比とともに、これは少なくとも日本書記(+古事記)につては<妄言>・<誤謬>だ。
 ①日本書記と古事記では、記述内容が異なっている場合も少なくない。
 ②日本書記の記述は「解釈」を許さないほどに「一義的に明確な」ものではない。「神話」であっても、あるいは「神話」部分だからこそ、「受け入れるか、受け入れないかという二者択一を迫られる」ような意味明瞭な記述にはなっていない。
 日本書記の記述にだって、「解釈」の争いがあることがある。これは、ほとんど常識ではないか。
 西尾と岩田の二人は、いったい何を喚いているのだろうか。とりわけ、<日本の「保守派」知識人>西尾幹二は、いったい何を考えており、いかなる境地に達しているのだろうか。
 (つづく)
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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