秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

神経細胞

2720/人類の「感情」の発生—300万年前〜3万年前。

  アントニオ·R·ダマシオ=田中三彦訳・感じる脳—情動と感情の脳科学·よみがえるスピノザ(ダイヤモンド社、2005)。
 この著(原題、Looking for Spinoza)は冒頭で、<感情の科学>の未成立または不十分さを強調している(感覚、感情、情動、情緒、感性といった語との異同には留意する必要はある。但し、さしあたりはこの点を無視してよい)。
 だが、脳神経学者(?)ダマシオも、以下のような進化生物学(?)の叙述または説明を、大きくは批判しないのではないだろうか。
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  科学雑誌NEWTON-2016年6月号「脳とニューロンシリーズ第3回/喜怒哀楽が生まれるわけ」。
 以下、上の一部の引用。一文ずつで改行、本来の改行箇所に/の記号を付す。
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 「喜怒哀楽は基本的に、自分のおかれた環境に対して生じるものだといえる。
 一方で、感情には、自分と他人の関係において見られるものも数多くある。
 いとおしさや、嫉妬、うらみ、といったものだ。
 これらは、『社会的感情』とよばれる。/
 現代の人間の感情を生むしくみは、農耕時代以前の300万年前〜3万年前の生活や環境のもとで発達したと考えられている。
 とくに社会的感情の多くは、特定の仲間たちと長く関係をともにするようになったことでつくられてきたと考えられているという。/
 また私たちは、感情を自覚するだけでなく、ほかのだれかにおきた出来事をわがことのように怒ったり、悲しんだりすることがある。
 つまり、他人の感情に共感できる。
 共感のしくみに深くかかわっているかもしれないと考えられているニューロンに、『ミラーニューロン』というものがある。
 …… 」
 <以下、略> 
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  20万-30万年前というのは、アフリカ東部でホモ・サピエンスが誕生したとされている時期だ。そして、上のNEWTON編集者のいう300万年前〜3万年前に入っている。
 この叙述に従うと、人類はその「共通祖先」や「原人」たちの長い時代のあいだに、「感情」を形成しつつあった。あるいは、人類は、「感情」というものをほとんど備えて生まれてきた。「日本」や「日本人」の成立よりはるかに昔のことだ。
 ホモ・サピエンスが地球各地へ分散していっても、同じような状況では、<かなりの程度>、きわめてよく似た「感情」をもち、そしてきわめてよく似た「感情」表現をする、これらも当然のことだ、と言えるだろう。
 もちろん、人種や民族による、さらには各個体による、差異は完全にない、全く同じだ、などと言うことはできないとしても。
 そしてまた、他人の感情との<共感性の欠如>という一種の「心の病気」が人間のごく一部には生じている、ということを否定できないとしても。
 ——

2503/平野丈夫・何のための脳?-AI時代の行動選択と神経科学(2019年)より。

   <身分か才能か>、、<家柄(一族・世襲)か個人か>、<生まれか育ちか>、<遺伝か生育環境か>という興味深い重要な基本問題がある。
 平野丈夫・何のための脳?—AI時代の行動選択と神経科学(京都大学学術出版会、2019)。
 この中に、「生まれと育ち、経験による脳のプログラムの書き換え」という見出し(表題)の項がある。p.59〜。関心を惹いた部分を抜粋的に引用する。
 ・「外部からの刺激に応じて適切な行動選択を行う脳・神経系はどのように形成される」のかについて、「遺伝的に決定される過程と、動物が育つ時の外部からの刺激または経験に依存した過程の両者が関与することがわかっている」。
 ・「網膜の神経細胞が視床へ軸索を伸ばす過程は、遺伝的要因により定まっている」。
 ・「一方で、大脳皮質のニューロンの各種の刺激に対する応答性は、幼児期の体験によって変わる」。
 ・「このように、神経回路形成において感覚入力が重要な役割を担う時期は幼弱期に限定され、この時期は臨界期と呼ばれる。臨界期の存在は視覚情報処理に限られない。言語習得等にも臨界期がある」。
 「神経回路の形成には、遺伝的にプログラム化された過程と、外部からの刺激または入力に応じた神経回路の自己組織化過程が関与する。
 神経回路の自己組織化は入力に応じた神経機能調節であるが、情報処理過程が刺激依存的に持続的に変化する現象であり、学習の一タイプと見なせる。」
 以上、至極あたり前のことが叙述されているようでもある。遺伝的に定まった過程と「幼児期」にすでに臨界を迎える過程とがある。
 前者は生命の端緒のときか出生以前の間かという疑問も出てくるが、たぶん前者なのだろう(但し、その場合でも一定の時間的経過を要するのだろうと素人は考える)。
 また、個々人にとって後発的に出現する視覚神経系等の「個性」が「遺伝」によるのか「幼児期」の体験等によるのかは、実際には判別できないだろう。もっとも、いろいろな点で「親に似る」(あるいは祖父母に似る)ことがある、つまり「遺伝」している、ということを、我々は<経験的に>知ってはいる。もちろん。「全て」ではない。子どもは両親の(半分ずつの?)「コピー」ではない。
 なお、上の叙述の実例として「鳥類」と「ネコ」が使われている。上のことはヒトまたはホモ・サピエンスだけの特質では全くない(魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類は全て、大脳・間脳・中脳・小脳・延髄を有する。神経系もだろう。平野丈夫・自己とは何なのか? 2021年、p.31参照)。
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  西尾幹二は「自然科学の力とどう戦うか」が「現代の最大の問題で、根本的にあるテーマ」だと発言し、対談者の岩田温も「無味乾燥な『科学』」という表現を用いている。月刊WiLL2019年4月号。p,223, p225。
 こんな<ねごと>を言っていたのでは、現代における「思想家」にも「哲学者」にも、全くなれないだろう。
 ヒト・人間も(当然に「日本人」も)また生物であり、それとしての「本性」を持つということから出発することのできない者は、今日では、「思想」や「哲学」を語る資格は完全にないと考えられる。
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  上に最初に引用した平野丈夫の一文は「外部からの刺激に応じて適切な行動選択を行う…」と始まる。
 問題は「<適切な>行動選択」とは何か、どうやって決めるのか、だ。
 むろん平野も、困難さを承認し、それを前提としている。
 だが、上の著の「はじめに」にあるつぎのような文章を読むと、ヒト・人間を含む生物科学は(脳科学も脳神経科学も)、人間に関する、そして人間が形成する社会(・国家)に関する「思想」や「哲学」の基礎に置かれるべきものであるように感じられる。
 「動物の系統発生を考慮すると、脳・神経系のはたらきは動物が最適な行動をとるための情報伝達・処理・統合にあると考えられる。
 それでは、最適な行動とはどのようなものであろうか?
 それは個体の生存状況改善と子孫の繁栄に最も寄与する行動だと思う。
 なぜなら、現存動物種は進化過程における自然選択に耐えて生き残ってきたからである。
 しかし、ある生物個体が良好な状態であることと、その子孫・集団または種が繁栄することとは必ずしも両立しない。
 また、どのくらいの時間単位での利得と損失を考慮するかによっても、最適な行動は異なる。
 個体、グループまたは種にとって何が最適かは、実は正解のない難問である。
 ヒトを含む動物は各々の脳を使い、様々な戦略と行動の選択を行うことによって、個体の生存と血族または種の繁栄を図ってきた。」
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  緒言中の一般論的叙述だが、含蓄はかなり深い。
 「最適な行動」=「個体の生存状況改善と子孫の繁栄に最も寄与する行動」と言い換えても、後者が何かは「正解のない難問」だ。
 第一に、各個体と「子孫・集団または種」、あるいは「個体、グループまたは種」のいずれについて考えるかによって異なり、第二に、どのくらいの時間単位での「最適」性を想定するかによっても異なる。
 個体の「生存状況改善」と子孫の「繁栄」と言っても、具体的状況での判断はきわめて困難だ。
 それでも、大まかで基本的な思考・考察の出発点、視点または道筋は提示されているだろう。
 何のために生活しているのか? 何のために学問・研究をするのか?、何のために文筆活動をするのか?、何のために種々の仕事をするのか?。
 最低限または基礎的には<個体の生存>(食って生きていくこと)だったとして、それ以外に優先されるのはどのような集団の利益か。家族か一族か、帰属する団体・個別組織か、その団体・組織が属する「業界」か、それとも(アホだと思うが)「出身大学・学部」の利益・名誉か、あるいは「日本」・「国益」か、ヒトという「種」か、等々。
 生命・生存の他に、いかなる経済的または(名誉感覚を含む)精神的利益に「価値」を認めるのか。複数の「価値」が衝突する場合にはいずれを最優先にするのか。
 せいぜい1-2年先までを想定するのか、20年、50年、100年先までを時間の射程に含めるのか。
 自分自身(個体)の生存と自分自身の世俗的「名誉」にだけ関心を持つ者には、このような複雑で高次の問題は生じない。
 なお、上での表現を使うと、「最適な行動」の「選択」をする、複数の「選択可能性」の中から一つを選ぶ、これが可能である状態または力が「自由」であり、その基礎にあるのが「意思の自由」または「自由意思」だと考えられる。そのさらに基底には、脳内の「情報伝達・処理・統合」の過程があるのだけれども。

2264/「わたし」とは何か(2)。

  茂木健一郎はいつからなのかYouTube上に頻繁に「語り」をupしていて、きっと全て面白いだろうが、全部には従いていけない。最近にときどき話題にして指摘している、日本の学校教育や入試制度の欠陥・問題点には、歴史的、大雑把には「人間史」的に見ても、共感するところが大だ。
 その点も重大だが、「私」なるものとの関係でも、興味深い発言が目立つ。言うまでもなく、その<脳科学>という専門分野からきている。
 12月6日のタイトルは「自己意識のセントラルドグマは正しいのか?」。
 その下に、「「私」の自己意識は、宇宙の歴史でたった一回生まれ、死んだらその後は「無」であるという考え方は正しいのでしょうか? 私のコピー人間は私と同じ自己意識? 私と他人の意識の関係は? 生まれ変わりや前世は?」とある。
 茂木健一郎は、要約を試みると、こういうことを言う。
 ——
 僕を含む人間は生まれて、死ぬ。僕の「自己意識」も一度かぎりだ。前世も後世もない。「生まれ変わり」はなく、たった一度だけの「人生」だ。
 このような理解を<自己意識のセントラルドグマ>と言うことにしよう。セントラルドグマとはある分野で疑いないものとして絶対視されているもののこと。
 僕はこれに疑問をもつが、従来にいう<前世>・<生まれ変わり>を信じるからではなく、<私は私であるという自己意識の成り立ちに関する原理的考察>をしたとき、それが<正しい科学的・論理的立場>なのかを疑問視している。
 現在の脳科学によれば脳内の神経細胞の結合パターンによって<私の自己意識>も生まれる。<外部記憶装置>はなく、その(一個人の)結合パターンの中に全てが含まれる。これをコピーするとするとその瞬間に<コピー人間>ができるが、そのコピーもまた不断に変遷していく。その<コピー人間>によって「私」も抽象的には影響を受けるだろうが、<私の自己意識>に影響するとは思えない。
 私は私であるという秘私性・自己意識に関係はない。自己意識(Self Conciousness)とは脳内の前頭葉・大脳皮質?等によるメタ認知で閉じており、<情報的な同一性・類似性>により担保されたり、影響されたりはしない。<コピー>もまた別の「自己意識」をもっていく。
 情報論としては、いっときの<情報を他にコピー>しても、<私の自己意識>を変えない。
 人生の過程の分岐点、可能性は多数あり、実際とは別の「私」が生成した可能性があるが、その「私」は今の「私」とは異なる。
 <脳の自己意識の距離(非同一性)は絶対的>だ。「壁」を越えることはできない。
 <僕の自己意識を形成している情報内容>はつねに変わっていく。自然的か、他律的にかは別として。その(神経細胞の結合パターンの変化による)情報内容の変化、「意識状態」の変化は、かつての「私」との関係では連続していて、「自己意識」と言えるだろう。
 だが、そうすると、「コピー人間」の自己意識と現実の「私」の自己意識の関係は、一定時期の「私」の自己意識が連続的に変化したものだという点では共通する。「私」と全く無関係だ、とは言えない。
 とすると、極論すれば、その関係は、現実の「私」の自己意識と今いる数百億の「人間」の自己意識、かつて歴史上にいた無数の「人間」の自己意識の関係と、原理的には同じなのではないか。
 そうだとすると、元に戻ると、「死」によって私の自己意識が消滅するとは論理的には言えず、「意識」は一個なのではないか。時空・物質も「一個の電子」だという議論と同様に。
 世界中には「一つの意識しかない」。現れ方が異なるだけだ。とすると、<自己意識のセントラルドグマ>を疑問視することができる。
 ——
 茂木にとっては不満が残る要約かもしれないが、少なくともおおよそは、こんなことを語っている。
  茂木が言及している自著を(所持はしていても)読んでいないので、どこまで理解できているかは疑問だが、私には、茂木の言いたい趣旨は分かるような気がする。これを契機として、いくつかのことを述べる。
 第一。「私」、あるいは(それぞれの人間の)「自己意識」はつねに変化している。これは、茂木健一郎が当然の前提としていることだ。
 しかし、この点が一般にどの程度共有されているかは疑わしいようにも見える。つまり、いろいろと「変化」はしたが、「私の根本」は変わっていない、「自己」の同一性は保たれている、と何となく感じている人の方が多いのではないか。
 あるいはそのように観念しないと、現実に生きていくことはできない、とも言える。
 茂木が考えているのと比べると世俗的で卑近なことだが、秋月瑛二がときどき感じる疑問の一つに以下がある。
 ある人がある年に「殺人」をしたとして、その人は(公訴時効内の)10年後に逮捕され、起訴されて、死刑判決を受けた、とする。
 被告人は、こう主張することができないのだろうか ??
 10年前の自分は今の自分ではない。別の、とっくに消滅した「私」がしたことで、今の「私」と同一ではない。なぜ異なる「私」の<責任>をとらされ、今の「私」が制裁を受けなければならないのか。
 厳密に言えば、論理的には、茂木の理解するとおり、10年前の彼と今の彼とは同一ではない。「変化」しており、上の被告人の主張は正しいと考えられる。
 しかし、現実の世俗世界で通用しないだろうのは、立ち入らないが、<そういう約束事になっている>からだ、というしかないだろう。あるいは、<生まれてから死ぬまでの個人・個体の<同一性>>というドグマが、世俗世界では貫かれている、と言えるのかもしれない。
 第二。いや、YouTubeの聴き取りとその要約作業があって、疲れた。別の回にしよう。
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