秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

神宮

1219/遷宮と天皇と政教分離と。

 10月初旬の「遷宮」について、テレビは当初の予想よりは丁寧に報道していた。しかし、神宮(伊勢神宮)と天皇(家)との関係に触れたのは全くかほとんどなかったようだ。臨時祭主の黒田清子さんとの語りかテロップが入っても不思議ではないシーンにも、そのようなものはなく、映像だけが彼女を映し出していた。

 また、内宮の遷御の儀に内閣総理大臣・安倍晋三が「出席」したことを知り、そのような事前の知識がなかったので驚いた。かつまた神道という特定の宗教の祭事への出席であるので、憲法上の<政教分離>原則との関係を問題にする者がいても不思議ではないのに、そのような論調はまったく出てこなかったようであることも印象に残った。

 さて、古くなるが、2008年の春頃にこの欄で何度か、伊勢神宮・天皇(家)・政教分離について言及している。

 ・日本の起源・天皇と「神道」(3/25)   ・伊勢神宮「式年遷宮」と天皇(家)(3/27) 

 ・天皇制度と「宗教」-伊勢神宮式年遷宮費用問題から発展させて(4/04)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離(4/15)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき(4/16)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき2(4/18)

 ・1945-1947年の神社と昭和天皇(4/19)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3(4/20)

 ・天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき4(4/21)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-1(4/24)

 ・日本共産党系の藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(新日本新書)-2(4/24) 

 ・天皇・神道・政教分離-つづき4(4/26)

 ほかに、この時期には、つぎのようなものも書いていた。
 ・戦後日本を支える「大ウソ」-非武装・政教分離(4/05)

 ・長部日出雄の「神道」論(諸君!5月号)と石原慎太郎「伊勢の永遠性」(4/28)

 神道関係者、とくに伊勢神宮や神社本庁関係者には自明のことを多く書いているとは思うが、5年以上前によく勉強(?)したものだという個人的な感慨も湧くので、関係者や専門家以外の方々には参照していただきたい。なお、別の時期にも同様のテーマを集中的に書いたかもしれないが、たまたまこの辺りの時期の古い書き込みを見る機会があったので、2008年3月下旬~同4月の書き込みに限っている。

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0435/伊勢神宮「式年遷宮」等と天皇(家)。

 伊勢神宮(正式名称はたんに「神宮」)の内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)はともに、20年ごとに本殿を隣接地に新しく建築し直す。これを「式年遷宮」といい、前回は平成5年・1993年の10月に行われた。これが第61回で、次回・第62回の「式年遷宮」は平成25年・2013年に行われる。20年ごとだから、単純に計算して1220余年前から行われていることになるが、一時期途絶えたことがある。が、ともあれ、奈良時代の持統天皇の時代という、現代人から見れば、はろけくも昔に始まり、現代まで続いている。
 この行事(むしろ「祭事」か)は現在では形式的には一宗教法人のもののはずだが、前回の「式年遷宮」については昭和59年・1984年に、当時の天皇(昭和天皇)が実質的にいってこれの準備を開始することを「許す」旨の意思を伝えた。これを「聴許」というらしい。
 その意思は宮内庁長官の文書に示されている。
 「宮内庁長官官房官発第一六六号/昭和五九年四月四日/宮内庁長官 富田朝彦
 神宮大宮司 二條弼基 殿
 回答/三月二十二日付け造庶発第三号により御上申の第六十一回神宮式年遷宮の儀につきましては、本日御聴許になりました。/この旨お伝えします。
」(/は改行)
 (以上、主として、神宮司庁企画(DVD)・第六十一回神宮式年遷宮/伊勢の遷宮-総集編-による。)
 伊勢神宮の「遷宮」につき天皇の「聴許」があらかじめある。次回・第62回についてもすでに現(今上)天皇の「聴許」がなされていると思われる。
 ところで、憲法にはこうある。
 「第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
 「第20条 1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
 宮内庁という紛れもない国家行政機関の長官が上の如き文書を発している。これは「公」文書ではないのだろうか。そして、天皇も憲法上「日本国の象徴」・「日本国民統合の象徴」とされる国家の(戦前の天皇機関説を持ち出すまでもなく)重要な「機関」と称してよいものだとすれば(「機関」が適切でないならば別の概念でもよい。ともかくも、国家機構の一部を占めるものと理解して誤りではないと考えられる)、天皇が、伊勢神宮という一宗教法人の活動に直接に「関与」していると言えないのだろうか
 そしてさらに、上掲の憲法20条3項で禁止されている「国及びその機関」の「宗教的活動」に該当しないのだろうか。
 あるいは、伊勢神宮から見ると、当該「宗教団体」は20条1項で禁止されている「国から特権を受け」ることをしているのではないのだろうか(なお、式年遷宮の費用は募金による。だが、確認していないものの、天皇及びその他の皇族によっても費用の一部は負担されている筈だ)。
 しかし、憲法20条の<政教分離>規定にかかわらず、天皇による「神宮式年遷宮」への関与や天皇その他の皇族による費用負担(天皇等が支払う「金銭」はすべて国が法律に基づき支出しているもので、かりに「私事」・「私生活」というものがあってそれらに使われるものであっても、出所から見るとすべて「公金」だ)が憲法に違反しているという議論は(私は)聞いた又は読んだことがない
 戦後になってからも、1953年、1973年と「式年遷宮」は行われてきており、当時は日本社会党(またはその前身の左・右社会党)が存在した。1993年というのは日本社会党を含む連立政権が誕生した年だった。にもかかわらず、日本社会党が天皇・皇室の伊勢神宮への関与等を法的に疑問視したという記憶は全くない
 憲法の規定を離れて言えば、伊勢神宮に天皇家がかかわるのは異様でも何でもない。何よりも、内宮の祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)で、天皇(家)の先祖(むしろ「始祖」に近い?)とされる(神話上であれ)人物だ(外宮の祭神は天照大神の食事を担当していたとされる)。歴史的に見れば、伊勢神宮は天皇(家)・皇室の祖先を祀る最大・最高の神社だったのだ。現在でもそうだろう(なお、奈良県・橿原神宮-祭神は神武天皇-は明治期に造営されたと記憶する)。
 そのような歴史的経緯を無視して憲法20条を解釈することはできず、憲法1条により「天皇」の存在が正式に承認されていることとも合わせた、総合的な解釈が必要になる。
 先日、天皇・皇室と神社の関係に触れ、両者の関係を憲法20条・「政教分離」の形式的解釈で論じてはならない旨を書いたのは、上記の「式年遷宮」のことを知っていたからでもある(それだけではないが)。
 さらに付記すれば、天皇・皇族に限らず、毎年正月、日本国の内閣総理大臣は伊勢神宮に参拝している。今年は野党第一党党首・小沢一郎も参拝した。福田首相の東京からの交通費はどこから出ていたのか?。福田首相に随行した秘書官等はいかなる性格の仕事をしたのか?。
 にもかかわらず、朝日新聞すら、上のことを問題視・疑問視しなかった筈だ。公人としてか私人としてか、などというような質問をしたマスメディアの記者もいなかった筈だ。
 明らかに、表面的・形式的には伊勢神宮は国政担当者から「特権的」扱いを受けている、と言ってよい、と思われる。だが、そのことに(現在の野党第一党はもとより)朝日新聞すら目くじらを立ててこなかった、という厳然たる事実がある、ということはきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、状況に何らかの変化があると、朝日新聞や一部の者たちががそれを<憲法違反>だと言いかねない、と思われるからだ。
 なお、神道、神社に限らず、いちいち正確には確認していないが、皇室に縁のある寺院は、現在でも皇室と何らかの(他の寺院とは異なる)特別の関係があるだろう。皇族を離脱した者の子孫が住職(法主?、貫首?)をしているような寺院だ(いわゆる「門跡」。例、京都市・曼殊院)。
 また、京都市の泉涌寺(せんにゅうじ)のように、奈良時代の天皇を除く全ての天皇を祀っている寺院もあり、そこでは毎日朝夕、過去の多数の天皇の位牌(御尊牌)を前にして読経が行われている筈だ。そして、現在の天皇(家)からも、この寺院に対してはいくばくかの金銭(手当、お礼。正式には「御下賜金」か?)が出費されていると推測される。
 このような「特別の」関係をもって「政教分離」条項に反するとは言えないだろう。そして、おそらくは憲法学者も含めて誰も、違憲とは指摘・主張してきていないと思われる。このこともきちんと記憶されておいてよいだろう。将来、こうした皇室と寺院の関係も「法的に」問題にする新聞や論者が出現してくる可能性があるからだ。

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