秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

社会民主党

1800/言葉・概念というもののトリック。

 言葉あるいは概念はふつうは何らかの現実や現象を把握して何らかの意味があるものとして作られ、用いられるものであって、一定の現実や現象そのものを複雑な諸要素・諸側面を全て網羅したものとして意味させているのではない。
 当然のこととして、何らかの捨象と抽象化・単純化が行われているものとして、言葉あるいは概念は理解されるべきものだ。
 そうであるにもかかわらず、言葉・概念が一人歩きする、言葉・概念の正確な意味についての正確な合致がないままに(異なる意味を持たしていることを意識しないままに)議論が行われることもある。
 また、そもそも、重要で議論の多い言葉・概念であるにもかかわらず、その正確なまたは厳密な意味を明らかにしないままで、何らかの論述や評論等を行っている者も多い。
 以上だけでは足りないが、このような言葉・概念の特性を利用して、種々の政治的主張も行われてきている。
 「社会民主主義」という語の由来は知らないが、おそらくは「民主主義」または「民主政体」をいちおうは是とできるものであることを前提として、それに「社会的」または「社会主義的」という限定を付したものだろう。
 レーニンのボルシェヴィズムはのちに「レーニン主義」または「レーニン的マルクス主義」とも言われる。
 しかし、レーニン・ボルシェヴィキもまた一時期は(ロシア)「社会民主労働党」の一員だったのだから、むろんマルクス主義=社会主義ではないとしても、少なくとも広い意味での「社会民主主義」者だったことはあった、と言ってよいだろう。
 「社会民主労働党」から分派して(当時はレーニン自体が積極的な「分派」活動者だった)<ボルシェヴィキ>派と名乗ったのもロシア語での「多数派」・「少数派」にかかわる語感とその利用という興味深い点はある。
 それはともかく、この当時およびそれ以降のレーニンの「民主主義」・「民主政体」という言葉又は観念に対する態度も興味深い。
 資本主義をもたらす革命が「自由・民主主義」の革命だとすれば、そこでの「民主主義」はブルジョア的なものであって、究極的には(あるいは社会主義社会)では否定されるべきものであるかもしれない。
 そのような趣旨で、レーニンは「民主主義」・「民主政体」の欺瞞的なブルジョア性を厳しく批判したとされる。
 しかし一方で、「民主主義」・「民主政体」は良いものだとする広範な空気?をも、おそらく(政略的判断として)意識したのだろう。
 いつ頃か、どの論考からかは確認しないが、レーニンが目ざすのは「真の民主主義」、「プロレタリア-トの民主主義」、「民衆・人民の(people's)民主主義」だとも主張し始めた。
 この点以外にもレーニンの発言・記述には独特の一貫性のなさ、不整合性があるので、レーニン全体をその全集類等を通じて過不足なく理解するのはほとんど困難だろうと、私は感じている。そのつど、そのつどの、現実の情勢に応じた?「適当な」言い回しがあるのだ。
 さて、上により、「民主主義」・「民主政体」には、ブルジョア的・市民的なものと「プロレタリア-ト的」・「人民的」の二種があるとになる。
 これは、言葉・概念の大きな進展と「分化」だ。
 このことによって、かつての「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)、現在の「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)という国名もありうる(ありえた)ことになる。
 日本共産党の現在の立場は、<ブルジョア的・市民的>民主主義・民主的制度を最大限利用して「プロレタリア-トの」・「人民の」民主主義・民主政体へと移行させることだろう。同党が最初の段階として目ざすと綱領上明記するのは、そのような「民主主義革命」だ。つまり、直接の「社会主義革命」を標榜しているのではない。
 つぎに、「議会制」・「代表議会制」・「議会主義」についても似たようなことが言える。
 ロシアの1905年「革命」後に設立された<ドウーマ>(選挙による議員で成る)に対する態度についても、ボルシェヴィキ党内部で対立があった。レーニンは、参加する(ボルシェヴィキの議員を送り込む)こと自体を否定はしなかったはずだ。
 マルクス主義者を自認する者にとって、現存する「議会制」・「代表議会制」にどう対応するかは一つの重要論点だ。ブルジョア(・市民)のための<欺瞞>装置ではないのか。
 1960年代に日本共産党・不破哲三は<人民的議会主義>というのを主張した(論考類をまとめたものだろう、同名の著書がある)。
 これによって、<議会主義>には「人民的議会主義」とそうではない体制的な・ブルジョア的な?「議会主義」があることになった。
 これは言葉・観念の大きな意味をもつ<分化>だった。
 これによって当時以降の、1961年綱領以降の日本共産党は、<議会議員のための選挙>を安心して、かつ熱心に行うようになった。
 個々の日本共産党員に対してこそ、自分たちは「人民的議会主義」に立っているのであって、体制側の「議会主義」とは異質なのだという自信と誇り?をもつことは、あるいは釈明?が与えられていることは、少なくない意味をもっただろう。
 新しい言葉・概念を「作り出す」ということには少なくなく大きな政治的・社会的意味を持つことがある。それを意識して、つまりは意図して、新しい用語を使ったり、大々的に宣伝することもある(「新自由主義」という語にはその、つまり政治的・政略的な側面が少なくとも日本にはあったように思われる。より普遍的な概念ならば今日でももっと使われているだろう)。
 予期していなかった長さになった。
 「左翼」・「右翼」、「保守」・「リベラル」、「全体主義」、あるいは江藤道朗が何気なく使う「保守自由主義」、井上達夫が「リベラル」とは違うという「リベラリズム」、あるいは「真正保守」・「自称保守」、「反米」・「反米ポチ」等々、言葉・概念の意味(内包)・射程範囲(外延)は明確にしておく必要がある、ということ、そして言葉・概念の作成や使用もきわめて実践的で政治的であることがある、ということを書きたかったにすぎない。
 なお、冒頭に言葉・概念は何らかの現実や現象を意味するという趣旨のことを書いたが、言葉・概念そしてそれらが紡ぎ出す「論理」の中で、いわば下底の言葉・概念を基礎にして、言葉・観念の世界の中で、新しい概念や観念が生み出されることもある。これもまた、おそらくとくに思想家・哲学者(哲学学者ではない)・思弁的論述者といわれる者たちにはよくあることだ。冒頭に「ふつうは」と記しているように、このような形而上の?<現象>が<存在>することを否定しているのではない。

1762/三全体主義の共通性②-R・パイプス別著5章5節。

 Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime (1995)、第5章の試訳のつづき。p.263-4.
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 (序説②)
 この問題は、ナツィスに近い理論家のカール・シュミット(Carl Schmitt)によって、理論的に説明され、正当化された。
 彼はヒトラーが政権に達する6年前にこう書いて、激しい憎しみ(enmity)は政治の質を明確にするものだと定義した。
 『政治的な行動と動機を下支えする特殊に政治的な区別は、<味方(friend)>と<敵(foe)>の区別だ。
 この区別は政治の世界上のもので、別の世界での相対的に自立した対照物に対応する。すなわち、倫理上の善と悪、美学上の美と醜、等々。
 味方と敵の区別は自己充足的なものだ。-すなわち、いずれもこれらの対照物の一つ又は多くから由来するものでもないし、これらに帰結するものでもない…。
 この区別は、理論上も実際上も、その他の区別-道徳、審美、経済等々-に同時に適用されることなくして、存在する。
 政治上の敵は、道徳的に悪である必要はないし、経済的な競争者として出現する必要もない。また、日常的仕事をする上ではきわめて利益になる者ですらあるかもしれない。
 しかし、敵は、他者であり、よそ者だ(the other, the stranger)。そして、敵であるためにはそれで十分なのであり、特殊にきわめて実存主義的意味では、異質で無縁な(different, alien)者なので、衝突が生じた場合には、その者は自分自身の存在を否定するものとして立ち現れる。そのゆえに、その者と、自分の存在に適した(self-like, seinmaessig)生活様式を守るために抵抗し、闘わなければならないのだ。』 (75)
 この複雑な文章の背後にあるメッセージは、政治過程では諸集団を区別する違いを強調することが必要だ、なぜなら、それは政治にはその存在が無視できない敵を手玉にとるための唯一の方法だから、ということだ。
 「他者」は実際に敵である必要はない。異質な者だと感受されるということで十分だ。//
 ヒトラーがその性分に合うと感じたのは、憎悪への共産主義者の執着だった。
 そしてこれは、なぜヒトラーは社会民主党を妨害する一方で、幻滅した共産主義者たちをナツィ党が歓迎するように指示したかの理由だ。
 憎悪は、ある対象から別の対象へと、容易に方向を変えたのだから。(76)
 そして、1920年代の初めに、イタリア・ファシスト党の支持者の最大多数は元共産党員だ、ということが起こった。(77) //
 我々は、三つの全体主義体制に共通する特質を、三つの項目のもとで考察しよう。すなわち、支配政党の構造、機能、権威だ。そして、党の国家との関係、そして党の民衆一般との関係だ。//
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 (75) Carl Schmitt, in : Archive fuer Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Vol. 58, Pt. 1 (1927), p.4-5.
 (76) Rauschning, Hitler Speaks, p.134.
  (77) Angelica Balabanoff, Errinerungen und Erlebnisse (Berlin, 1927), p.260.
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③第Ⅰ款・「支配党」へとつづく。

1437/R・パイプスの大著『ロシア革命』(1990)の内容・構成。

 1.Richard Pipes, The Russian Revolution (1990)は、表紙、新聞書評の抜粋、著者の他の著書の紹介、扉、著作権記述、献辞(「犠牲者たちに」)、内容〔=目次〕、写真・地図の一覧、謝辞、略語表、まえがき、本文p.1-p.840、あとがきp.841、用語集〔ロシア語/英語〕p.842-p.846、年表p.847-p.856、注記p.857-p.914、参考文献〔ロシア革命に関する100の著作〕p.915-p.920、索引p.921-p.944、文献への謝辞〔9文献・資料集〕p.945、著者紹介p.946、裏表紙、から成る。p.は、記載された頁数。
 2.「内容」=目次のうち、細節を除いて、部と章のタイトル、始めの頁数を記すとつぎのとおり。
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 第一部 旧体制の苦悶 p.1
  第01章 1905年-予震 p.3
  第02章 帝国ロシア p.53 
  第03章 田園ロシア p.91
  第04章 知識人 p.121
  第05章 立憲主義の実験 p.153
  第06章 戦時ロシア p.195
  第07章 崩壊へ p.233
  第08章 二月革命 p.272
 第二部 ボルシェヴィキによるロシアの征圧 p.339
  第09章 レーニンとボルシェヴィズムの起源 p.341
  第10章 ボルシェヴィキの権力への欲求 p.385
  第11章 十月のクー p.439
  第12章 一党国家の建設 p.506
  第13章 ブレスト=リトフスク p.567
  第14章 革命の世界輸出 p.606
  第15章 『戦時共産主義』 p.671
  第16章 農村に対する戦争 p.714
  第17章 皇帝家族の殺戮 p.745
  第18章 赤色テロル p.789
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 上のうち、第9章『レーニンとボルシェヴィズムの起源』は、目次の細目部によると、以下の諸節から成っている。但し、「節」の旨の言葉も「数字番号」も、原著にはない。原著の本文では、これら(以下の各節)の区切りは、一行の空白を挿むことによってなされている。
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 第9章・レーニンとボルシェヴィズムの起源
  第1節 レーニンの青少年期
  第2節 レーニンと社会民主党 
  第3節 レーニンの個性
  第4節 レーニンの社会民主党への失望
  第5節 ボルシェヴィズムの出現
  第6節 メンシェヴィキとの最終決裂
  第7節 レーニンの農業問題・民族問題綱領
  第8節 ボルシェヴィキ党の財政事情
  第9節 マリノフスキーの逸話
  第10節 ツィンマーヴァルト、キーンタールおよび敵工作員との接触
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 以上。

1432/ロシア革命史年表①-R・パイプス著(1990)による。

 ロシア革命の歴史年表については、昨年10/22の<日本共産党の大ウソ30>の中にその一部を記しているが、研究者による本格的で詳しい年表があるので、以下に、そのまま翻訳して記載しておく。
 Richard Pipes, The Russian Revolution (1990)。これは本文842頁、その後の注・索引等を含めて946頁、最初の目次等を含めると計960頁を超えそうな大著で、邦訳書はない。
 以下は、この著のうち、p.847-p.856の「年表」の一部で、今回①は、p.847からp.849の一部まで。
 なお、上の著はおよそ1919年くらいまでを対象としており、別著の、Richard Pipes, Russia under Bolshevik Regime (1995、<ボルシェヴィキ体制下のロシア>)と併せて、おおよそスターリン期開始まで(あるいはレーニン死去まで)の、Richard Pipes の広義の<ロシア革命史>叙述が完成している。
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 「年表(Chronology)
 この年表は、この本で対象とする主要な諸事象を列挙する。別のことを記載しないかぎり、1918年2月以前の月日は、ユリウス暦(『旧暦』)により記す。この日付は、19世紀の西洋暦よりも12日遅く、21世紀のそれよりも13日遅い。1918年2月からの月日は、西洋暦に一致する『新暦』で記される。
 1889年
  2月-3月 ロシアの大学生たちのストライキ。
  7月29日 不穏学生を軍隊に徴用する権限を付与する「暫定命令」。
 1900年 
 政府、Zemstva の課税権を制限。
 11月 キエフ、その他の大学で騒乱。
 1901年
  1月11日 183名のキエフの学生を軍隊に徴用。
  2月    教育大臣・ボゴレポフの暗殺。警察支援の(Zubatov)商業組合が初めて設立。
 1902年 
 1901-2年の冬 ロシア社会民主党(PSR)の結成。
  6月    リベラル派、ストルーヴェの編集により隔週刊雑誌 Osvobozhdenie(解放)をドイツで発行。
  3月    レーニン『何をなすべきか ?』
  4月 2日 内務大臣・シピアギンの暗殺。プレーヴェが後継者。
 1903年
  4月 4日 キシネフの大量殺害。
  7月-8月 ロシア社会民主党第二回(創設)大会。メンシェヴィキ派とボルシェヴィキ派に分裂。
   7月20-22日 解放同盟、スイスで設立される。
1904年
  1月 3-5日 解放同盟、ペテルスブルクで組織される。
  2月 4日  プレーヴェ、ガポンの集会開催を承認。
  2月 8日 日本軍、旅順を攻撃。露日戦争の開始。
 7月15日 プレーヴェの暗殺。
  8月    ロシア軍、遼陽で敗戦。
 8月25日 スヴィアトポルク-ミルスキー、内務大臣に。
 10月20日 解放同盟第二回大会。
 11月 6-9日 Zemstvo 大会、ペテルスブルクで。  
 11-12月 解放同盟が全国的な夕食会宣伝活動を組織。
 12月 7日 ニコライと高官が改革綱領を討議。国家評議会に被選挙代議員を加える考えを拒否。
 12月12日 改革を約束する勅令公布。
 12月20日 旅順、日本軍に降伏。
 1905年
  1月 7-8日 父ガポンによりペテルスブルクで大産業ストライキが組織される。
  1月 9日 血の日曜日。
  1月18日 スヴィアトポルク-ミルスキー解任、ブリュイギンに交代。
  1月10日以降 ロシア全域で産業ストライキの波。
  1月18日 政府がドゥーマの招集を約束し、苦情陳述請願書を提出するよう国民に求める。
  2月    ペテルスブルクの工場で政府後援の選挙。   
  2月    ロシア軍、瀋陽(ムクデン)を放棄。
 3月18日 全高等教育機関が在籍年限を超えた者に対して閉鎖。 
 4月     第二回Zemstvo 大会、憲法制定会議を要求。
  春     6万の農民請願書が提出される。
  5月 8日 組合同盟がミリュコフを議長として設立される。
  5月14日 ロシア艦隊、対馬海峡の戦闘で破滅。D・F・トレポフ、内務大臣代行に。
 6月    オデッサでの反乱と虐殺。戦艦ポチョムキンでの暴動。
 8月 6日 ブリュイギン、(諮問機関的な)ドゥーマ開設を発表。
  8月27日 政府が寛大な大学規制を発表。
  9月 5日(新暦) 露日講和条約に署名、ニューハンプシャー・ポーツマスで。
  9月    学生が労働者に大学施設を開放。大衆煽動。
  9月19日 ストライキ活動の再開。
 10月 9-10日 ウィッテ、ニコライに大きな政治的譲歩を強く求める。
 10月12-18日 立憲民主党(カデット、Kadet)結成。
 10月13日 ペテルスブルクで中央ストライキ委員会設立、まもなくペテルスブルク・ソヴェトと改称。
 10月14日 ストライキにより首都が麻痺。
 10月15日 ウィッテ、十月マニフェストの草案を受諾。
 10月17日 ニコライ、十月マニフェストに署名。
 10月18日以降 反ヤダヤ人・反学生の虐殺。地方での暴乱が始まる。
 10月-11月 閣僚会議議長・ウィッテ、内閣に加入すべき民間人との討議を開始。
 11月21日 モスクワ・ソヴェト設立。
 11月24日 定期刊行物の事前検閲を廃止。
 12月 6日 ペテルスブルク・ソヴェト、ゼネ・ストを指令。
 12月 8日 モスクワ武装蜂起が鎮圧される。
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*1906年以降につづく。
 

0386/朝日新聞今年1/5夕刊は「初詣で」にシニカル。

 <反朝日新聞>と謳いつつ、定期購読はしておらず、外出先で偶々読むか、社説をネット上でときに見るにとどまる。べったりとこの新聞と付き合うのは、精神衛生に悪い。
 外出先で偶々読んだとき、たいてい、「朝日らしさ」をどこかに発見する。
 販売店で古物を売って貰おうかなどとぼんやり考えているうちに月日が経ったが、朝日新聞今年1/05夕刊にも「朝日らしい」記事があった。
 記憶に頼らざるをえないのだが、①正月の「初詣で」を冷笑し、②「神道」は<純粋に日本的ではない>とするものだった。
 ①は直接にそう書いているわけではない。正月の「初詣で」者数の全国的な多さに驚いて、そのような<慣例>にイチャモンをつけておきたい気分がうかがえた、ということだ。
 ②はその旨を明示して、神道からは<むしろ(東)アジアに普遍的な>ものが見えてくる、というようなことを書いていた。
 <純粋に日本的なもの>を神道に求めるという風潮?を批判したい気分の明らかな記事だった。だが、歴史をいにしえへと遡れば、「日本」という概念すら曖昧になる。古代のずっと先から原型があったとすれば、「神道」は<純粋に日本的なものではない>というのは至極当たり前のことではないか。
 執筆した若い?記者は、正月の「初詣で」という、神道という宗教との関連性の多い筈の<慣例的行事>に多数の国民が参加していることに怖れをなし、そのような現象に水をかけておきたいと思ったのではなかろうか。さすがに明示はしていないが、そのような「朝日的」気分の表れた記事だった。
 ところで、日本共産党員、社会民主党員およびこれら両党の熱烈なシンパは社寺への「初詣で」(その他「食い初め」とか「七五三詣り」とか)はしないのではなかろうか。社寺のもつ「宗教」を馬鹿にし、そのようなものに関与している<大衆>をもバカにする、まじめな党員であるほど、そのような心情をもっているのではないか、と思われる(そして朝日新聞の記者もそうかもしれない)。

0286/無限に近い目的は「罠」だ-日本共産党綱領。

 日本共産党の綱領(2004.01、第23回党大会)が最後に「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」と題してまず「生産手段の社会化」を提唱していること自体の中に、ソ連・東欧の失敗や北朝鮮・中国での経済運営の失敗に学べないマルクス・レーニン主義(科学的社会主義)の病弊を看てとることができる。
 さらに、その「五」の最後には、「(一七)社会主義・共産主義への前進の方向を探究することは、日本だけの問題ではない」との見出しを立て、「二一世紀を、搾取も抑圧もない共同社会の建設に向かう人類史的な前進の世紀とする」ことをめざすという、美辞麗句らしきもので結んでいる。
 読書のベースは阪本昌成の別の著の次は同・リベラリズム/デモクラシー〔第二版〕(有信堂、2004)だったのだが、やっと、第一部のp.116まで読了した(その次は、阪本昌成・法の支配(勁草書房)の予定)。
 そのp.111にA・ゲルツェンという人の次の語句が引用されている。
 「無限に近い目的などは目的ではない。それはいわば罠なのだ」(ゲルツェン・向う岸から)。
 この文章を阪本は「統治」は「人類や労働者階級を救済するためにある」のではなく「人びとが現世の諸利益を獲得し、維持し、増進することを可能にする」ためにある、ということから、<政治理論>・<国制論>に関して引用している。
 私は日本共産党の上のような<政治理論>を連想してしまった。<21世紀の遅くない時期に民主連合政府を>という目標もすでに「無限に近い目的」だと思うが、その後の「社会主義・共産主義への前進」などは「無限」そのものの将来の目標ではないか。そして、それはじつは「罠なのだ」。
 可哀想にも「」に嵌ってしまった日本共産党員以外に、どの程度の支持を同党が獲得できているか、それは私の今月末の参院選の結果についての大きな関心の一つだ。
 いずれ消滅する政党だとは思うが、とりあえずは、憲法九条護持の主張を(社会民主党とともに)明言して、選挙の争点の一つとしているのは、この点が曖昧な民主党よりはそのかぎりで潔いし立派だ。
 そして、6000ほどもあるという「九条の会」が一般国民をも巻き込み、かつ日本共産党の支持を増大させていれば、同党の得票や議席は増えるはずだ。しかし、同党の得票や議席が変わらないか減少するとすれば、「九条の会」運動は、次の二つのいずれかであることが判明するだろう。
 第一に、憲法九条改正反対の国民の集まりであり、日本共産党が主導権を持っておらず、又は少なくとも選挙時の投票行動にまで影響を与えるには至っていない。
 第二に、日本共産党の地域・職場の「支部」が名前を変えただけのものに殆ど等しく、ほとんど<仲間うち>だけの「会」になっている。
 憲法改正に向けての障害物に他ならない日本共産党(と社会民主党)の選挙での帰趨を早く知りたい気もする。

0283/マスコミ・出版界(の一部)は何故<反安倍>なのか。

 7/15(日)午後の某テレビ局のなんとか委員会に、講談社の今は某女性月刊誌の編集長だとかいう藤谷英志という者がパネラーとして出演していて、安倍首相・安倍政治に対して明らかに批判的な論調でコメントしていた。それを聴きながら、マスコミ・出版界の少なくとも一部には強固に存在するのだろう<反安倍ムード>を感じることができた。また、藤谷某はそのような人びとの中の典型的な人物のような気がした。
 むろん推測なのだが、安倍首相に対する批判意識の理由の第一は、安倍氏は頭が悪い、というものではないかと感じることがある(上の藤谷某氏の発言の中にもそのように受けとめられる口吻はあった)。その際、むろんこれまた推測なのだが、安倍氏の出身大学が問題にされて(成蹊か成城か、私はじつは正確に記憶していない)、もっと<いい>大学出身のマスコミ・出版界の連中が安倍首相をバカにするにような風潮があるのではないか、と推測している。
 だが、誰でも一般論としては認めるとおり、18ー19歳の時点での特定の分野での知識・能力でもって、現在の、とりわけ政治家としての、能力・技量を判断してはならない。
 先日の7?党党首討論会の模様を録画で概ね観たが、個別政策についての詳しさ、個別政策の全体から見ての位置づけの確かさ等について、安倍晋三は、他の党首に抜きん出て優れている、と感じた。日本共産党の志位某も社会民主党の福島某も東京大学出身の筈だが(民主党の小沢一郎氏は慶応?)、これらに安倍はむろん引けをとってはいない。
 事務所費用問題では歯切れが悪かったし、首相ならぱもう少しゆっくりと堂々と語った方がよいようにも多少は感じたが、数の上では多い野党党首たちを相手とする議論という<修羅場>に十分以上に耐えていた。
 安倍首相はこれまでの自民党総裁=内閣総理大臣の中でも決して政治家としての知見・能力について劣ってはおらず、むしろ優れている方に属するのではないだろうか。たんなる二世議員、「坊ちゃん」政治家ではない。あまたいる自民党議員の中から50歳代前半の若さで総裁(→首相)に選出されたのだから、やはりそれなりの、あるいはそれにふさわしい知見・能力・技量・人格をもっている、と感じる。
 それでも、世の中にはアベとかアベシンゾーとか安倍首相を呼び捨てにして、<低能(脳?)>等々の罵詈雑言を書きまくっているブロガーもいるだろう。6/20に紹介したが、曽野綾子の文章を再び思い出す。
 「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない。総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。なぜなら、…これは全く安全な喧嘩の売り方なのである。…相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる」。
 安倍首相に対する批判の第二は、その<右派的・(明瞭な)保守派>的立場に向けられていそうだ(この点を上の藤谷はより明確に語っていたと思う)。
 ここで先日も言及したが、平和祈念=革新=進歩的・モダン=そして善軍事を話題に=保守=反動的・伝統的=そして悪、という何ら論証されていない(朝日新聞がかかる雰囲気を醸成しているかもしれない)二項対立的な強いイメージがなお残っていることを感じる。
 そして、マスコミ・出版界の者たち(の一部)にとって重要なことは、<インテリ(と自らを思う者)>は、上の二つのうち前者を採るべきだ、と彼らは無意識にせよ<思い込んで>いると見られる、ということだ。
 <庶民>の目線でなどと言いつつ、彼らの多くは、自らを<庶民>とは自己規定しておらず、<庶民>と区別された<インテリ(の端くれ)>と思っているのではないか(講談社の藤谷の如く、ふつうの会社員・銀行員・公務員とは違う長髪両分けスタイルも一つの<スタイル>なのだろう)。
 そして、上のとおり、(似非インテリのゆえに?)現実ではなく観念が先走って、<軍事を話題にする=保守=伝統的>の方を嫌悪し、その中にいると彼らが断じる安倍首相をかなり強く嫌悪する原因になっているのではなかろうか
 そのようなマスコミ・出版界の者たちが作る紙面・誌面を読まされる多数の国民は、いうまでもなく<被害者>だ。

0270/日本の社会民主党の友党は世界に存在しない。

 西尾幹二・江戸のダイナミズム(文藝春秋、2007)によると、ドイツにもキリスト教とは別の「ゲルマン神話」というものがあるらしい。「日本神話」があるのと似たようなものだ。だが、そもそも生徒・学生時代の勉強不足なのか、「ゲルマン神話」なるものをもつ基本的には同じ民族なのに(中世にはすでに「ドイツ」との語はあったと何かで読んだか実際にドイツのどこかの古い教会で見たが)、ドイツは何故普仏戦争後1871年まで「統一国家」を形成しなかったのだろう、隣のフランスはとっくに一つの中央集権的国家になっていたのに、と不思議に感じる。フランスのような強力な王権が形成されず、最大の邦でも北・東独の一部の プロイセンだった。ミュンヘンのバイエルン、ドレスデンのザクセン等々に分かれていた。日本ほどではないが、フランスよりは丘陵が多くかつ複雑な地形だったことも関係しているだろうか。
 どの週刊誌か忘れたが、福田和也がたぶん明治天皇(昭和天皇?)か明治時代の政府高官の渡仏に関連させて、恐らくは短期間のパリ滞在記を書いていた(この数ケ月以内に読んだ)。そこにアンバリッド(廃兵院)の建物の前の広い空地の話も出てきて、彼が書いている道路幅か長さが私の記憶よりは小さいと感じたのだか、それはともかく、アンバリッドの奥にナポレオンの墓があり、入らなかったが軍事博物館もあるらしい。そのアンバリッドとやらは議会下院(ブルボン宮)の建物よりも大きく、前庭も広い。ナポレオンを軍人として記憶しようとしているであろう建物をまっすぐ北に進むと大きな橋(アレキサンドル3世橋)があり、さらに少し進むと軍服姿のドゴールの細身の銅像が交差点付近(左=西がシャンゼリゼ)に立っている。
 何が言いたいかというと、要するに、「軍事」的なものに対するフランス人又はパリ人の抵抗のなさだ。
  フランスは核保有国だ(この点、ドイツと異なる)。仏社会党出身のミッテラン大統領が日本に来て国会で演説したとき、自国(フランス)が核を保有する意味・正当性も述べたらしい。だが、社会党好き?のさすがの朝日新聞もその部分は報道しなかった、とこれは昨年だと思うが、何かで読んだ。
 フランス社会党は自国の核保有に反対しておらず、米国を含むNATO加盟にも反対していない。むろん、フランスは自国の正規軍を有しており、フランス社会党がこれに反対しているわけがない。これらは英国労働党についても同じで、核保有の点を除けば、ドイツ社会民主党も全く同様だ。
 こうした、安全保障面で安心できる政党があるなら、日本でも社会民主主義系の政党をたまには応援してもよいという気持ちになるかもしれないが、日本の社会民主党ではダメだ。この党は、社会民主主義系だろうが、むしろ憲法九条絶対保守の土井たか子的<護憲>政党としての性格の方が強く、欧州の社会民主主義諸政党や米国の民主党とは安全保障政策が全く異質だ。
 日本共産党は論外。できるだけ早く、日本共産党と社会民主党を消滅させるか国会議員数0~2の泡沫政党化してはじめて、建設的な第二党の形成を語りうることになるだろう。
 現在の民主党は一部では日本共産党と同じ候補者を推薦しており、小沢代表が<全野党…>という時、日本共産党まで含めている。旧日本社会党で社会民主党に行けなかった(行かなかった)者が民主党内に残っていることは言うまでもない。建設的な、政権を任せられるような政党ではありえない。
 基本的な問題であるはずの憲法の将来のあり方について<検討します、論じます>としか言えない政党が、政党として一つにまとまっていること自体が不思議だ。
 ゲルマン神話からフランス・パリ・アンバリッドを経て日本の民主党までの、幅広い??文章になった。

0241/「9条ネット」という政治団体があった-土屋公献は共同代表。

 「9条ネット」というのは憲法9条護持のための<市民団体>のようなものかと思っていたら、来月の参議院選挙では独自の候補を立てる「政治団体」(・「政党」)だと知って、やや驚いた。
 日本共産党に対して「協力・共同の協議」を申し入れる2007年5月1日付文書によると、末尾記載の「共同代表」は、つぎの12人だ。
 「伊佐千尋(作家)/糸井玲子(平和を実現するキリスト者ネット)/伊藤誠(経済学者)/神田香織(講談師)/北野弘久(日本大学名誉教授・税法学者)/國弘正雄(英国エジンバラ大学特任客員教授・元参議院議員)/澤野義一(大阪経済法科大学教授)/鈴木伶子(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)/土屋公献(元日本弁護士連合会会長)/藤田恵(徳島県元木頭村村長)/前田知克(弁護士・東京)/矢山有(元衆議院議員)」。
 ここに名のある「土屋公献」とは朝鮮総連本部の建物の移転登記につき総連側の代理人だつた人。<慰安婦を考える会>とかの役員をしているらしいくらいだから、九条護持運動くらいは彼にとっては当たり前のことかも。
 週刊文春6/28号によると、「9条ネット」の候補者(予定者)は9名で、天木直人・元外務官僚はその1人だ。他に、「栗原君子新社会党本部委員長)」という名もある。
 上の「協力・共同の協議」の申し入れは日本共産党の5/7文書によって素っ気なく「要請は、お断りいたします」と拒否されている。その際、「「参院選での『平和共同候補』を求める運動について」の党見解」にもとづくこと、「「市民運動」を名乗るこの運動が、新社会党の応援団ではないのかということも率直に指摘しました」と理由付けをしていることからすると、私にはどうでもよいようなことだが、日本共産党は「9条ネット」を「参院選での『平和共同候補』を求める運動」と同一視しているか、その一つと見ているようだ。また、「9条ネット」を「新社会党の応援団」とも見ているようだ。
 上記のように「新社会党本部委員長」を候補者の一人としていることからすると、後者の指摘はあたっているようでもあるが、「9条ネット」全体を新社会党が牛耳っているほどではきっとないだろう。だが、「新社会党」にも「本部委員長」として属し、「9条ネット」という政治団体の候補者でもあるという栗原君子の立場は、外野席から見ると、解りにくいことは確かだ。
 興味深く思ったのは、「九条の会」呼びかけ人の一人である奥平康弘(元東京大学社会科学研究所教授/憲法)が
たいへんな時代になつてしまいました。みなさんの驥尾にふして頑張ろうと存じます。よろしく。」とのメッセージを送っていることだ(「9条ネットメッセージ」欄)。
 九条の会は日本共産党のいわば「公認」の運動体なのだが、9人の呼びかけ人は<飾り>として置いておいて(自由な活動を認めつつ)、全国の個々の<九条の会>を実質的に支配する、というのが日本共産党の方針だろうか。
 なお、旧日本社会党の有力ブレインだったと思われる小林直樹(元東京大学法学部教授/憲法)も「
趣旨は賛成ですが、社、共両党との関係をどうするか、心配ですね。ご健闘を祈ります」とのメッセージを寄せている(同上)。
 日本共産党と社会民主党以外の<9条護持>主張の明確な政治団体(政党)に集う人びとというのはどういう人たちなのか(民主党は9条護持政党ではない)、に関する具体的イメージは湧かないのだが(日本共産党被除名・被除籍者も中にはいるのだろう)、9条改憲派は「9条ネット」をとるに足らない組織として無視してよいかどうか、その答えは来月7/29におおよそ分かるのだろう。

0214/「戦後体制からの脱却」とは何か-産経6/09森本敏コラムに寄せて。

 産経6/09の正論コラム欄の森本敏「真の「戦後体制からの脱却」とは何か」には、全くと言っていいほど異論がない。軍事・防衛の観点からの「戦後体制からの脱却」の意味は、長い文章ではないが、殆どここに書かれていることに尽きるのでないか。そして、「戦後体制からの脱却」とは軍事・防衛の面の問題に限られないとしてもそれが中心になるだろうと考えられるかぎりで、「…からの脱却」の意味の重要部分が指摘されていると思われる。
 要するに、「戦後半世紀、ぬるま湯の中に漬かって米国に国家の生存を依存して一人の自衛官の戦死者も出さないことを自慢にして生存してきた。こうした幼児のような平和概念から脱却する事こそ、求められている」のだ。
 あるいは、「ぬるま湯の中でほろ酔い加減になって自分をごまかすことはやめよう。湯の外は寒くて厳しい」のだ、「現実政治の中で、国家として当然の試練を受け入れることこそ戦後体制からの脱却と言える」のだ。
 軍隊を保持すれば戦死者が生じるかもしれない。しかし、国家が偽善者のままでいるよりは、-単純に死者の数によって優劣を判断するつもりはないが-失われた尊い兵士の生命に真摯に哀悼を捧げる(シャキッとした、骨格のある)社会になって、親子間の殺害、少年男女のいじめによるものも含めた自殺等の死者が激減すれば、その方が遙かによいではないか。
 「一人の自衛官の戦死者も出さ」なかった代わりに、戦後の日本社会は無駄な又は無為な死者をむしろ多数生んできたのではないだろうか(親子間の殺害の犠牲者、いじめによる自殺者等の他に少年による集団リンチの犠牲者となったホームレスの人もいた筈だ)。
 だが、上に語られているような<覚悟>を日本人の多くがすでにしているとは考えられない。私も同旨のことを書いたことがあるが、森本も「現時点でこうした〔自衛軍を設置する〕憲法改正案が国民投票によって否定される可能性は高いと思わざるを得ない」と書く。
 朝日新聞の論陣の張り方や朝日の読者の多さ等々を考慮すると、九条二項改正による軍隊の正規容認が容易になされるとは思われない。朝日新聞等の他に、日本共産党、社会民主党は必死の抵抗を試みるだろう。
 しかるに、九条二項改憲の側の運動が活発になされているという印象は私にはない。
 むろんまだ三年はあり、いずれは日本の進むべき方途が明確になるだろう。それまで、国論の大分裂のままで、緊張した月日が続くだろう(かかる観点からは、日本と同一状況にあるのではないが、フランス大統領選の53%対47%という数字は興味深かった。勝者は敗者の1.13倍しか得票していない。私には大接戦に思える)。
 それにしても、九条二項改正に反対の人びとはいったい日本をどのような国家にしたいのか、日本社会をどのようにしたいのか、よく分からない。
 日本共産党や社民党の党員たちは論外だが、客観的には彼らと「共闘」して九条の会に集ったり、安倍首相をヒドい言葉で批判し罵倒し続けている人びとは、いったい何を目指しているのだろうか。よく分からない。
 あえて想像し、かつあえて挑発的に書いておけば、戦争や軍隊のことを考えもせず(客観的には米国の核兵器の付いた日米安保体制のもとで)、ぬくぬくと、ある程度の豊かさと安全と個人的趣味に当てられる時間を確保しながら、適当に為政者の悪口を自由に言うこともできる生活を<保守>したいだけではないのか
 国家・公共についての理想など持っておらず、ただ、個人的な小さな幸福をめざした、それなりに安逸で気侭な日々を失いたくないだけではないのか
 朝日新聞となると、それ以外の目的も加わる。権力を批判し弱者の立場に立って<正義づら>をするという、格好のよい、インテリ的立場(もちろん彼らは高収入でもある)というものを守りたいだけではないのか。口先だけで空想的な偽善的言葉を吐いて、そういうスタンスのままでやはりヌクヌクと生きていきたいのだろう(「口舌の徒」という語がぴったりだ)。
 私の推測では、九条二項改正反対派の者たちの方が改憲派の人びとよりも高い収入や地位など「守りたい」ものを多く持っていそうな気がする。彼らは戦後の歴史の中で獲得してきたそれらを<保守>したいのだ。自分自身の個人的な利益のために、将来の予想がし難い<変化>を怖れているのだ
 九条二項改正反対派の人たちは、かかる推測に(もっと上で書いたことを含む)どう反論するだろうか。
 ここで<保守主義>とは何かが、私には気になる問題として登場してくる。
 すなわち、<戦後民主主義>・上で簡単に触れられている<戦後的平和>・<戦後的個人主義>はすでにある程度は、日本の伝統・歴史・精神にしっかりとなってしまっているのではないのか
 そして<保守主義>を説くことは、これらを<保守する>ことに反対することにはならないのではないか。
 結局、<戦後体制>の意味や<保守>の対象の問題に帰一する。
 <戦後的価値>という言葉を使っておくと、もはやこれを100%否定することはできないだろう。安倍首相もそこまでは考えていないはずだ。ただ、<戦後的価値>を今後もずっと維持したいという立場と<戦後的価値>の中には問題・欠点が明らかになってきたものもあるのでそれを是正する(その意味で<戦後的価値>を修正する、又は「戦後体制からの脱却」をする)必要があるとする立場が対立しうる。現在見られる対立は、このように説明又は表現できるかもしれない。
 だが、ここでも、<戦後的価値>とは何か、是正・修正すべき<戦後的価値>とは何かという問題がつきまとう。
 表面的な非難・批判合戦に終わらせるのではなく、本当は、上に抽象的に述べた問題について、言葉の意味を明確にさせながら、かつ具体的な論点に即して、対話あるいは対論がきちんとなされるべきだろう。
 だが、どうやら大分裂したままで最後の<勝負>の場に直面してしまうような気もする。日本人は、日本民族は、本当はもう少し<叡智>を持っている筈なのだが…。

ギャラリー
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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