秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

社会主義的市場経済

2474/西尾幹二批判047—根本的間違い(続4-2)。

 (つづき)
 六 2 ソ連崩壊=「冷戦終了」により時代状況は変化したのであって、「反共」とともに、またはそれ以上に、「反米」を主張すべきだ、という西尾幹二の基本的論調の間違いの原因・背景の第二と考えられるものは、こうだ。
 西尾がA「文芸評論家」あがりで国際情勢や国際政治にまで「口を出す」評論者となったこと自体、そしてBいわゆる<保守論壇>の中で何らかの意味で「目立つ」、すなわち「特徴のある」・「角の立つ」文章執筆者であろうとしたこと。
 前者Aについて
 2017年の「つくる会」20周年会合への挨拶文にある<「反共」だけでなく最初に「反米」も掲げた>という部分に着目して叙述してきてはいるが、既述のように2002年頃の西部邁や小林よしのりとの関係では「反米」という<思想>自体の真摯さは疑わしい。
 だが、その後、引用はしないが自ら「親米でも反米でもない」と一方では明記しつつも、「反米」的主張を強く述べ続けているのも確かであり、その反面で「反共」性は弱くなっている。
 また、国際政治や中国に対する見方も、もともとは一介の「素人」だったらしく、懸命に「学習」したのかもしれないが、ブレがある。あるいは一貫していないところがある。
 例えば、2007年のつぎの文章は、どう理解されるべきなのだろうか。
 「ソ連の崩壊は第三次世界大戦の終焉であり、本来なら国際軍事法廷が開かれ、ソ連や中国の首脳の絞首刑が判決されるべき事件であった。…。
 かくて、ソ連と中国は『全体戦争』の敗北国家でありながら、ドイツや日本のような扱いを受けないで無罪放免となり、大きな顔をしてのうのうとしている。」
 月刊諸君!2007年7月号。
 明らかに、ソ連と中国を「敗北国家」として一括している。
 ソ連が崩壊し諸国に分解して、東欧諸国とともに「社会主義」国でなくなったとして、中国も「敗北」して「社会主義」でなくなったのか??
 日本共産党は<後出しジャンケン>をして1994年にスターリン施政下(たぶん1931-32年頃)以降のソ連は(じつは)<社会主義国でなかった>と認識を変更したが(何とソ連の期間全体の9/10!)、中国もそうだったとは言わなかった。1990年代末には友好関係を回復して「市場経済をつうじて社会主義へ」進んでいると認定した(現在では、「社会主義を目ざす国」性自体を否定している)。
 おそらく西尾幹二は、当時は「文学」・「文芸」か別のことに熱中していて、つぎのことにも無知なのだろう。上記と同様に時期等を確認しないままで書く。
 ソ連と中国は国境で「戦闘」をするなど、対立していた。米ソではなく米ソ中の三角関係があった時期があった(日本の対中外交にも当然に影響を与えた)。中国はソ連を「社会帝国主義国」と称し、「社会主義」国ではないと非難していた(日本共産党が間に入って宥めていた)。中国の首脳が、日米安保条約を容認すると明言したこともあった(対ソ連を考えてのことだ)。
 もっとも、同じ2007年に、つぎのようにも書いた。
 「今後日本人はアメリカに依頼心をもたないだけでなく、共産主義の枠組みの中にある中国に対してはより自由で、…一段と大きい距離を持っていなければならない。」
 月刊諸君!2007年11月号
 ここでは、「共産主義の枠組み」はなおも存在しており、中国はその中にある、とされている。
 また例えば、近年の2020年の書物の緒言の中に、一読しただけでは理解することのできない、つぎの一文がある(実際の執筆は2019年11月のようだ)。
 西尾・国家の行方(産経新聞出版、2020)、p.21-22。
 「1989年の『ベルリンの壁』の崩壊以来、なぜ東アジアに共産主義の清算というこの同じドラマが起こらないのか、アジアには主義思想の『壁』は存在しないせいなのか、と世界中の人が疑問の声を挙げてきたが、共産主義と資本主義を合体させて能率の良さを発揮した中国という国家資本主義政体の出現そのものが『ベルリンの壁』のアジア版だった、と、今にしてようやく得心の行く回答が得られた思いがする」。
 よく読むと、1989年の『ベルリンの壁』崩壊=「中国という国家資本主義政体の出現そのもの」と、ようやく納得した、ということのようだ。
 そもそも欧州とアジアは同じではないのだから、前者と「同じドラマ」が後者で起きると考えること自体が、西尾の本来の「思想」と矛盾しているだろう(「世界中の人が疑問の声を挙げてきた」かは全く疑わしい)。秋月はまだ「起きて」いない、と思っているけれども。 
 問題は「共産主義と資本主義を合体させて能率の良さを発揮した国家資本主義政体」(の出現)という理解の仕方だ。
 この部分の参照または依拠文献は何なのだろうか。
 中華人民共和国という国家の性格または本質について疑問が生じ、議論があることは分かる。だが、こんなふうに単純化し、かつそれで「得心」してもらっては困る。
 上の「出現」の時期について西尾がもう少し具体的にどこかで書いていたが、所在を失念した。
 だが、いずれにせよ特定のある年とすることはできないだろう。「社会主義(的)市場経済」の出現時期も私には特定できないが、鄧小平がいた1992-3年頃だろうか。そうだとすると、2019-20年になってようやく納得した、というのはあまりに遅すぎる。それとも、GDPが日本を追い抜いた頃なのか。しかし、そうなる前に、「政体」自体は出現しているはずだろう。
 西尾幹二の中国を含む国際政治・国際情勢に関する「評論家」としてのいいかげんさ・幼稚さを指摘している文脈なので、上の議論には立ち入らない。
 但し、つぎの諸点を簡単に記しておく。
 ①「国家資本主義」というタームの意味に、どれほどの一致があるのだろうか。
 レーニンのNEP政策のことを「国家資本主義」と称した時期や人物もあった。1949年の建国時にすでに「国家資本主義」という規定の仕方も中国自体にあった。そうであるとすると、今にしてようやく気づくことではない。
 ②西尾幹二によると、現在の中国は資本主義国でも社会主義国でもない、両者を「合体させて能率の良さを発揮した」国家らしいが、これは現在の中国を美化しすぎているだろう。
 ③上のような国家「政体」の出現が、なぜ「ベルリンの壁」崩壊と同じドラマであるのか、さっぱり分からない。「ベルリンの壁」崩壊→旧ソ連圏での「社会主義」諸国の消失だとすると、西尾によっても中国の半分は今でも「社会主義」国なのであって「同じ」ではない。
 ④1921年に中国共産党は設立されたとされ、昨2021年、現在もある中国共産党は創立100周年記念祝典を行った。
 ⑤結党の指導者で、かつ1949年に中華人民共和国を建国し国家主席となった毛沢東は現在もなお、「否定」されていない。
 共産党の歴史、戦後の中国の歴史は現在まで(法的にも)連続して続いている(この点、人々の感情や意識の次元は別として、旧ソ連を「否定」して現在のロシアは成立しており、両者の間に全体的な法的連続性はない)。
 ⑥テレビで見聞きした記憶によると、昨年の中国共産党100年記念式典で「共産主義実現に邁進する」旨が宣言され、同日に共産党に加入した一青年は「人生を共産主義に捧げる」、インタビューに答えて語った。
 以上。西尾幹二に見られる旧ソ連または「共産主義」に対する<甘さ>には、別に言及するだろう。
 ——
 後者Bから次回はつづける。

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

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