前回使った言葉とあえて結びつけていえば、西尾幹二・真贋の洞察(文藝春秋、2008.10)p.107には、「講座派マルクス主義」の「お伽話」という語がある。
西尾幹二の上の本によると、「戦後進歩主義」又は「戦後左翼主義」の代表者は丸山真男と大塚久雄だ(p.94)。
政治学が丸山真男、経済(史)学が大塚久雄だったとすると、歴史学や法学は誰だったのだろう。歴史学は井上清か、それとも羽仁五郎か。日本共産党の要素を加味すると古代史だが石母田正か。法学は、横田喜三郎(国際法)か宮沢俊義(憲法)ではないか。次いで川島武宜、戒能通孝あたりか。日本共産党的には平野義太郎の名も挙げうるかもしれないが、社会的影響力は横田喜三郎や宮沢俊義の方が大きかっただろう。
脱線しかかったが、西尾の上掲書は大塚久雄について面白いことを書いている。少なくとも一部は、知る人ぞ知るの有名な話なのかもしれない。
・大塚久雄によると、「絶対王制」と「結びついた」「特権的『商業資本』」が「新しい『産業資本』によって打倒されたかどうか」が、「市民革命」成立の有無の基準になる。
・大塚によると、フランスでブルボン王朝と結びついたいくつかの「特権的『商業資本』」が打倒されたことがフランス革命の「市民革命」性の証拠になる。日本(の明治維新)にはこのような例がない。
・しかし、-西尾は小林良彰の著書・明治維新とフランス革命(三一書房)を参照して以下を言う-江戸時代に栄えたいくつかの「特権的大商人」は明治維新を境に「廃絶」した。一方、大塚が挙げる具体の「商業資本」は、「フランス革命で廃絶」しておらず、むしろ「二十世紀の代表的企業に発展」した(以上、p.109)。
・大塚は「イギリスの農村におけるマニファクチャーの存在」の根拠として英仏二つの著書を挙げていたが(ここでは書名・著者名省略)、1952年に矢口孝次郎(関西大学)、次いで1956年に角山栄(和歌山大学)が、これら二著を大塚久雄が読んでいないことを「突きとめた」。大塚の論文当時に翻訳書はなかったが、角山栄が洋書不足時代に「隅から隅まで」原書を読んでみると、「驚くべきことにマニファクチャーのことなんか」何ら書かれていなかった。
・西尾は角山の本を参照して以下を書くが、大塚は学生に「角山の本は読むな」と警告し、「地方大学からの批判に中央のマスコミは関心を示さなかった」(以上、p.110-111)。
以上を記したのち、西尾幹二はこう書く-「驚くべき事実」だ。「コミンテルンの指令な忠実な東大教授を守るために、中央のマスコミは暗黙の箝口令を敷いたのに相違ない」(p.111)。
大塚久雄について、このような事実があったとしてみる。すると容易に推測できるのは、大塚に限らず、政治学(政治思想史学)の丸山真男についても、歴史学や法学の上に挙げたような学者たちについても(とくに丸山を含む東京大学(助)教授については)、類似のことがあった可能性がある、ということだ。
<昭和戦後「進歩的」知識人>の「権威」は、(時期によってやや異なるだろうが)コミンテルン又はGHQの歴史観・「歴史認識」との共通性の有無・程度と「東京大学」等の有力大学教授かどうかによって、一口で言えば<非学問的に>(つまりは<政治的に>)築かれたのではないか。
さらに言えば、今日の(とくに社会・人文系の)各学界の「権威」者たちは、本当に学問的・「科学的」に立派な学者・研究者なのだろうか、という疑問が生じても不思議ではない。
石母田正
1 八木秀次は、「日本の神話を読んで『神武天皇は実在したのか』…と言っても意味がない」と述べた(中西輝政=同・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)p.231)。
その直前に八木は、アメリカの建国神話は「嘘っぱちだらけ」です、と述べている。このことの関係でも、昨日に書いたように、上の発言は、日本神話上の「神武天皇」は本当は実在していない、しかし「神話」なのだからそれを「ウソ」だと指摘しても「意味がない」、という趣旨だと思われる。八木はほぼ間違いなく「神武天皇」非実在説に立っている。
しかし、安本美典、安本を支持する立花隆のように、「神武天皇」実在説に立ち、神武天皇に関する「神話」上の伝承の中に史実(事実)の存在を認めようとする人々もいる。
竹田恒泰は孝明天皇研究家ということなので古代史研究の専門家とは言えないだろうが、竹田恒泰・旧華族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)も「神武天皇」実在説を主張している。
上の書は「神武天皇は実在した」との節名をもち(第二章内)、戦後さかんに唱えられた「非実在説」が「広く浸透しているのが現状」だとしつつ、「東征伝説は真実と考えよ」等と主張している(p.65-69)。
竹田恒泰は戦前の皇国史観のように(?)日本書記等の「神代」の記述を丸ごと真実と信じよ、と主張しているわけでは全くない。いずれかの時期に「初代」の天皇が実在していたことに間違いない、非科学的・非合理的と感じられる記述の中にも「一定の真実」が「含まれている場合がある」(p.67)という立場から、上のような主張をし、「非実在説」に決定的な根拠があるわけでもない等と述べているのだ。
竹田の上の本の「主要参考文献」には、安本美典の著書はなく、安本の雑誌論文が一つだけしか挙げられていないことからして、竹田はとくに安本美典説の影響を受けたわけではないと見られる。
なお、初代~九代の天皇の各在位年数をすべて「十数年と見なすと…」と、安本と同様の発想をして神武天皇の活躍時期に論及しているのが興味深いが(p.70)、安本は天照大神~21代(雄略)までの平均在位年数を「9.56年」としているようだ(天照大神=卑弥呼を神武天皇の5代前とする。安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)p.277)。
2 八木秀次は、「最近の研究によれば」、として「天武天皇・持統天皇の時代、七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったと見るようです」と述べた(一部前回と重複。同ほか・日本を弑する人々(PHP、2008)p.247)。
昨日は、「最近の研究」とは誰々のどのような研究かは気になったものの、「国」とか「国のかたち」あるいはそれの「固まり」の意味の理解の仕方は多様でありうると考えて読み飛ばし、(上記の「神武天皇」うんぬん以外は)「天武天皇・持統天皇の時代」や「継体天皇」の時代以前の諸天皇(+神功皇后)に一切言及がないことを奇妙に思っただけだった。
しかし、再び安本美典が引用している別の学者の叙述を読んで、上の八木秀次の叙述の内容も、いささか勉強不足であり、戦後「左翼」の古代史(・天皇制度史)学の影響を受けている、と感じた。
私なりに言えば、①「天武天皇・持統天皇の時代」になされた重要なことは(隋(589-618)・)唐(618-907)に倣った<律令体制の整備>であり、国家(行政)機構の整備・強化等に関して重要な意味があっただろうことを否定しないとしても、中国(隋・唐)の影響を受けて(又はそれを積極的に継受して)七世紀末又は同後半に「『国のかたち』がようやく固まった」と理解するのは、いささか主体性を欠く日本「国家」の歴史の(自虐的ですらある)捉え方ではないか、②「天武天皇・持統天皇の時代」以前には、日本には「国のかたち」は全く又は殆どなかったのか、<大王(オホキミ)>や<大和朝廷>という概念自体がある程度の国家(行政)機構・仕組みの整備を前提にしている筈だが、八木はこれを否定するのか、という感想又は疑問を抱く。
安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)の「はじめに」のp.6-7に、次のような長山泰孝(大阪大学名誉教授)の文章(2003年のもの)が引用されている。一部を省略又は要約して再引用する。
「今の古代史は非常識」だ、つまり、「律令国家によって初めて国家というものが成立したというのはこれは常識と合わない」。「隋と正式に国交を交わし」た「それ以前の推古朝」は何なのだ、「国家ではないのか」ということになってくる。/「ずいぶん国家の成立が押し下げられてきている」。「自分の国の歴史の発展をできるだけ遅く考えたいというのが、戦後の歴史学の出発点だったところがあった。そこからつくられた情念だったわけ」だ。/「最近、考古学の方」がいうには「三世紀の少なくとも中頃には国家は成立している」。「文献史学」では空白のままきて「不思議なことに六世紀のわずか一〇〇年の間に全部出そろう」。/「まったく記紀を無視する戦後の歴史学が今問題であって…」。
いろいろな歴史理解はありうるだろう。だが、この長山泰孝だと、八木秀次のように(「最近の研究によれば」としてであっても)「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まった」らしい、とは発言しないのではないか。
3 近現代史に限らず、すべての日本史の時期について、戦後にマルクス主義歴史学者が活躍したことは周知のことだ。古代史(学)については、石母田正(いしもだ・ただし)という、日本共産党員ではないかと思われる学者の影響力が大きかった。言及したことのある直木孝次郎も、親マルクス主義の「左翼」だ。
従って、天皇制度や「国」の成り立ちに関する古代史学なるものは疑ってかかっておいた方がよい。上で長山泰孝も指摘又は示唆しているように、現にある<天皇制度>の権威を高めることのないように、その歴史は実際よりも短くされるか又は軽視されている(あるいは神話=ウソとして完全否定されている)可能性がある。また、日本「国家」の権威・特性・歴史的な古さ(長さ)を強調することにならないように、その成立・「確立」の時期は「押し下げられてきている」(長山)可能性がある。
さて、「最近の研究によれば」、「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったとみるようです」と発言する八木秀次は、長山が「非常識」とする<左翼>古代史学の影響を受けてはいないだろうか。
古代史についてもマルクス主義者とそうでない者の<闘い>というものは客観的には存在している。まさかとは思うが、日本の近現代史(学)はともかく古代史(学)についてはそのような対立はなく、中立的・客観的に学問が展開している、とでも八木秀次は考えているのではないかとすら憂慮してしまう。
ともあれ、歴史認識問題は、近現代史についてのみあるわけではない。不用意にでも<左翼>日本史学(>古代史学)の影響を八木秀次が受けているのだとすれば、その八木が<保守思想の理論化・体系化>をしたい旨を語っているのだから(中西輝政=同・保守はいま何をすべきかp.131)、また、この人は<保守系>の(筈の)「日本教育再生機構」とやらの要職を務めているらしいのだから、<ことはまことに重大で、由々しき問題だ>と思われる。
その直前に八木は、アメリカの建国神話は「嘘っぱちだらけ」です、と述べている。このことの関係でも、昨日に書いたように、上の発言は、日本神話上の「神武天皇」は本当は実在していない、しかし「神話」なのだからそれを「ウソ」だと指摘しても「意味がない」、という趣旨だと思われる。八木はほぼ間違いなく「神武天皇」非実在説に立っている。
しかし、安本美典、安本を支持する立花隆のように、「神武天皇」実在説に立ち、神武天皇に関する「神話」上の伝承の中に史実(事実)の存在を認めようとする人々もいる。
竹田恒泰は孝明天皇研究家ということなので古代史研究の専門家とは言えないだろうが、竹田恒泰・旧華族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)も「神武天皇」実在説を主張している。
上の書は「神武天皇は実在した」との節名をもち(第二章内)、戦後さかんに唱えられた「非実在説」が「広く浸透しているのが現状」だとしつつ、「東征伝説は真実と考えよ」等と主張している(p.65-69)。
竹田恒泰は戦前の皇国史観のように(?)日本書記等の「神代」の記述を丸ごと真実と信じよ、と主張しているわけでは全くない。いずれかの時期に「初代」の天皇が実在していたことに間違いない、非科学的・非合理的と感じられる記述の中にも「一定の真実」が「含まれている場合がある」(p.67)という立場から、上のような主張をし、「非実在説」に決定的な根拠があるわけでもない等と述べているのだ。
竹田の上の本の「主要参考文献」には、安本美典の著書はなく、安本の雑誌論文が一つだけしか挙げられていないことからして、竹田はとくに安本美典説の影響を受けたわけではないと見られる。
なお、初代~九代の天皇の各在位年数をすべて「十数年と見なすと…」と、安本と同様の発想をして神武天皇の活躍時期に論及しているのが興味深いが(p.70)、安本は天照大神~21代(雄略)までの平均在位年数を「9.56年」としているようだ(天照大神=卑弥呼を神武天皇の5代前とする。安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)p.277)。
2 八木秀次は、「最近の研究によれば」、として「天武天皇・持統天皇の時代、七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったと見るようです」と述べた(一部前回と重複。同ほか・日本を弑する人々(PHP、2008)p.247)。
昨日は、「最近の研究」とは誰々のどのような研究かは気になったものの、「国」とか「国のかたち」あるいはそれの「固まり」の意味の理解の仕方は多様でありうると考えて読み飛ばし、(上記の「神武天皇」うんぬん以外は)「天武天皇・持統天皇の時代」や「継体天皇」の時代以前の諸天皇(+神功皇后)に一切言及がないことを奇妙に思っただけだった。
しかし、再び安本美典が引用している別の学者の叙述を読んで、上の八木秀次の叙述の内容も、いささか勉強不足であり、戦後「左翼」の古代史(・天皇制度史)学の影響を受けている、と感じた。
私なりに言えば、①「天武天皇・持統天皇の時代」になされた重要なことは(隋(589-618)・)唐(618-907)に倣った<律令体制の整備>であり、国家(行政)機構の整備・強化等に関して重要な意味があっただろうことを否定しないとしても、中国(隋・唐)の影響を受けて(又はそれを積極的に継受して)七世紀末又は同後半に「『国のかたち』がようやく固まった」と理解するのは、いささか主体性を欠く日本「国家」の歴史の(自虐的ですらある)捉え方ではないか、②「天武天皇・持統天皇の時代」以前には、日本には「国のかたち」は全く又は殆どなかったのか、<大王(オホキミ)>や<大和朝廷>という概念自体がある程度の国家(行政)機構・仕組みの整備を前提にしている筈だが、八木はこれを否定するのか、という感想又は疑問を抱く。
安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)の「はじめに」のp.6-7に、次のような長山泰孝(大阪大学名誉教授)の文章(2003年のもの)が引用されている。一部を省略又は要約して再引用する。
「今の古代史は非常識」だ、つまり、「律令国家によって初めて国家というものが成立したというのはこれは常識と合わない」。「隋と正式に国交を交わし」た「それ以前の推古朝」は何なのだ、「国家ではないのか」ということになってくる。/「ずいぶん国家の成立が押し下げられてきている」。「自分の国の歴史の発展をできるだけ遅く考えたいというのが、戦後の歴史学の出発点だったところがあった。そこからつくられた情念だったわけ」だ。/「最近、考古学の方」がいうには「三世紀の少なくとも中頃には国家は成立している」。「文献史学」では空白のままきて「不思議なことに六世紀のわずか一〇〇年の間に全部出そろう」。/「まったく記紀を無視する戦後の歴史学が今問題であって…」。
いろいろな歴史理解はありうるだろう。だが、この長山泰孝だと、八木秀次のように(「最近の研究によれば」としてであっても)「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まった」らしい、とは発言しないのではないか。
3 近現代史に限らず、すべての日本史の時期について、戦後にマルクス主義歴史学者が活躍したことは周知のことだ。古代史(学)については、石母田正(いしもだ・ただし)という、日本共産党員ではないかと思われる学者の影響力が大きかった。言及したことのある直木孝次郎も、親マルクス主義の「左翼」だ。
従って、天皇制度や「国」の成り立ちに関する古代史学なるものは疑ってかかっておいた方がよい。上で長山泰孝も指摘又は示唆しているように、現にある<天皇制度>の権威を高めることのないように、その歴史は実際よりも短くされるか又は軽視されている(あるいは神話=ウソとして完全否定されている)可能性がある。また、日本「国家」の権威・特性・歴史的な古さ(長さ)を強調することにならないように、その成立・「確立」の時期は「押し下げられてきている」(長山)可能性がある。
さて、「最近の研究によれば」、「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったとみるようです」と発言する八木秀次は、長山が「非常識」とする<左翼>古代史学の影響を受けてはいないだろうか。
古代史についてもマルクス主義者とそうでない者の<闘い>というものは客観的には存在している。まさかとは思うが、日本の近現代史(学)はともかく古代史(学)についてはそのような対立はなく、中立的・客観的に学問が展開している、とでも八木秀次は考えているのではないかとすら憂慮してしまう。
ともあれ、歴史認識問題は、近現代史についてのみあるわけではない。不用意にでも<左翼>日本史学(>古代史学)の影響を八木秀次が受けているのだとすれば、その八木が<保守思想の理論化・体系化>をしたい旨を語っているのだから(中西輝政=同・保守はいま何をすべきかp.131)、また、この人は<保守系>の(筈の)「日本教育再生機構」とやらの要職を務めているらしいのだから、<ことはまことに重大で、由々しき問題だ>と思われる。
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