先週のいつだったか、西尾幹二・日本人は何に躓いていたのか(青春出版社、2004)の第五章・社会(p.232-266)、実質的には「ジェンダー・フリー」主義・同教育批判、だけを読んだ。
「ジェンダー・フリー」教育のおぞましさ・異様さ、そして<男女共同参画社会>推進政策の狡猾さ、は既に知っていることなので驚きはしない(最初に知ったときは驚愕した)。
西尾幹二は、しかし、いくつか記憶に残る言葉・文章を記している。
・「過激なフリーセックスは、レーニンの指導する共産主義社会で実際に行われて、既に失敗だったと結論が出て、スターリンが是正した歴史が残っています…」(p.241)。
こんなことは知らなかった。
・「フランクフルト学派とか、ポストモダンとかいう思想」は、欧州では「たいてい」、「大都会の片隅の深夜の酒場にたむろするタイプの一群の特定な思想の持ち主たち」に支持されている「思想」だ(p.243)。
なるほど。きっと反論する人がいるだろうが、イメージは湧く。
・(上と基本的に同旨を含む)「男女は平等」だが「別個の違う存在」なのに「意図的に混在させ、区別なしに扱うのは反自然な思想」でないか。かかる考え方は「いわゆるフランクフルト学派や、ポストモダン、とりわけ自ら同性愛者であるような思想家、ミシェル・フーコーのような人たちによって推進されました」(p.256)。
そういえば、思い出したが、評論家?の武田徹はミシェル・フーコーの「言説を引用」することがある、と石井英之が称賛するが如く書いていた。
・中川八洋の『これがジェンダーフリーの正体だ』との本によると、上野千鶴子は、名詞の性の違い(女性名詞・中性名詞・男性名詞)を示す「文法用語」にすぎなかった「ジェンダー」(性差)を「フェミニスト運動の都合にあわせて」作った(引用されている上野の原文では「…を主張するために生まれました」)と「告白」している。
セックスとジェンダーの違いは、なんて勉強?したのはいったい何だったのだ、と言いたくなる。
・上野千鶴子を教員として招いたのは、「東大の判断がおかしい」。昔は別だが「今はそもそも東大というのは左翼の集団です…」(p.265-6)。
(なお、西尾が上野千鶴子を「左翼フェミニスト」と形容していた記憶があるが、再発見できなかった。)
東京大学という最高?学府に<左翼的な>教員・研究者が<多い>印象があるのは確かだ。東京大学所属だから目立つ面はあるのだが、-「左翼」という語の定義に立ち入らないが-憲法学の樋口陽一(前)、長谷部恭男、蟻川恒正は<左翼>又は少なくとも<左翼的>だろう。さらに遡れば、小林直樹や芦部信喜だって…。靖国問題(ちくま新書)を書いた高橋哲哉も東京大学(教養学部?)だ。もっと古くは、GHQに協力して一時期は<左翼的>だった横田喜三郎(のち、最高裁長官)は法学部で国際法担当、<進歩的知識人>の御大・丸山真男は法学部の政治学(政治思想史)担当、といった具合。過去および現在に、他にも気のつく人物は多い。東京大学出身の上級官僚や法曹は、こういう人たちの「教育」を受けて生まれてくる(きた)のだ…。
この最後のテーマ(東京大学と「左翼」、そして一般社会)は別の機会にも言及する。
「ジェンダー・フリー」教育のおぞましさ・異様さ、そして<男女共同参画社会>推進政策の狡猾さ、は既に知っていることなので驚きはしない(最初に知ったときは驚愕した)。
西尾幹二は、しかし、いくつか記憶に残る言葉・文章を記している。
・「過激なフリーセックスは、レーニンの指導する共産主義社会で実際に行われて、既に失敗だったと結論が出て、スターリンが是正した歴史が残っています…」(p.241)。
こんなことは知らなかった。
・「フランクフルト学派とか、ポストモダンとかいう思想」は、欧州では「たいてい」、「大都会の片隅の深夜の酒場にたむろするタイプの一群の特定な思想の持ち主たち」に支持されている「思想」だ(p.243)。
なるほど。きっと反論する人がいるだろうが、イメージは湧く。
・(上と基本的に同旨を含む)「男女は平等」だが「別個の違う存在」なのに「意図的に混在させ、区別なしに扱うのは反自然な思想」でないか。かかる考え方は「いわゆるフランクフルト学派や、ポストモダン、とりわけ自ら同性愛者であるような思想家、ミシェル・フーコーのような人たちによって推進されました」(p.256)。
そういえば、思い出したが、評論家?の武田徹はミシェル・フーコーの「言説を引用」することがある、と石井英之が称賛するが如く書いていた。
・中川八洋の『これがジェンダーフリーの正体だ』との本によると、上野千鶴子は、名詞の性の違い(女性名詞・中性名詞・男性名詞)を示す「文法用語」にすぎなかった「ジェンダー」(性差)を「フェミニスト運動の都合にあわせて」作った(引用されている上野の原文では「…を主張するために生まれました」)と「告白」している。
セックスとジェンダーの違いは、なんて勉強?したのはいったい何だったのだ、と言いたくなる。
・上野千鶴子を教員として招いたのは、「東大の判断がおかしい」。昔は別だが「今はそもそも東大というのは左翼の集団です…」(p.265-6)。
(なお、西尾が上野千鶴子を「左翼フェミニスト」と形容していた記憶があるが、再発見できなかった。)
東京大学という最高?学府に<左翼的な>教員・研究者が<多い>印象があるのは確かだ。東京大学所属だから目立つ面はあるのだが、-「左翼」という語の定義に立ち入らないが-憲法学の樋口陽一(前)、長谷部恭男、蟻川恒正は<左翼>又は少なくとも<左翼的>だろう。さらに遡れば、小林直樹や芦部信喜だって…。靖国問題(ちくま新書)を書いた高橋哲哉も東京大学(教養学部?)だ。もっと古くは、GHQに協力して一時期は<左翼的>だった横田喜三郎(のち、最高裁長官)は法学部で国際法担当、<進歩的知識人>の御大・丸山真男は法学部の政治学(政治思想史)担当、といった具合。過去および現在に、他にも気のつく人物は多い。東京大学出身の上級官僚や法曹は、こういう人たちの「教育」を受けて生まれてくる(きた)のだ…。
この最後のテーマ(東京大学と「左翼」、そして一般社会)は別の機会にも言及する。