秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

知性

2361/知識・教養·「学歴」③—与那覇潤・知性は死なない(2018)。

 与那覇潤・知性は死なない(文春e-book、2018)。
 与那覇批判が目的ではない。全部に賛同するのではないが、具体的内容については、どちらかというと好意的だ。
 知識・知性・「教養」のあり方という観点から取り上げる。
 但し、まともに読んだのは、「はじめに」と第1章・第4章・第5章だけだ。
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  池田信夫も茂木健一郎も、日本の危機、衰退傾向を語っているようだ。そして、打開策を何とか探ろうとしているように見える。しかし、具体的展望は(誰にも)描けていない。
 この危機意識がどのように日本の政治家・「学者」・国民に共有されているかは疑わしい。危機あるいは、良くない(と感じられる)兆しはいつの時代でも多少はあるだろうし、世界の「諸国」の中で日本はどの程度に「危うく」なっているのかは、秋月には断言し難い。また、そういうことを論じること自体が相当におこがましいことだとも思っている。
 たしかに、政治・行政・メディア(とくに新聞・地上波テレビ・政治系出版)・教育等々、よくなってはいないとは明瞭に感じられる。秋月も、頻繁にげんなり、うんざりしている。
 逐一この欄で記さないのは、全く楽しくはないことだからだ。また、もともとこの欄の「つぶやき」に(2017年前半にしきりに書いたように、大海の底にうごめく小さな貝の呼吸が作るほんの僅かな水流の揺れでよいと思っているので)、「拡散して」そのような現状を変える力などない、と観念しているからだ。
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  与那覇は上の著の冒頭で、つぎの「戦後日本の特徴」が平成時代に限界に達し、又は批判にさらされた、又は自明のものでなくなった、という(簡略化する)。
 ①海外派兵禁止の平和憲法の理想、②自民党一党支配、③経済成長、④日本型雇用慣行、⑤アジアの最先進国との自負。
 そのあと、「敗北した平成の学者たち」という見出しを立てて、「大学教員をはじめとする多くの知識人」を俎上に上げる。
 「多くの知識人」は危機を感じて、分析し、具体的行動に出たが、「その結果は、死屍累々です」。
 憲法学者、政治学者、経済学者(の一部、別の)、教育学者、…。
 単純化の弊やその他の分野への言及欠如を問題にしないことにしよう。
 要するに、与那覇からすると、「活動する知識人」の時代=平成は「終焉をむかえようとしている」。欧米も含めて、「知識人の退潮」は明らかになりつつある。
 そして、つぎの問題設定がなされる。
 「知識人の好機ともみられていた…時代に、どうして『知性』は社会を変えられず、むしろないがしろにされ敗北していったのか」。
 「知性は死なない」という立場から、「知性の退潮」を分析する…。
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  以上は、「はじめに」。
 ずいぶんと真面目で、真剣な本だ。ほとんど「自分の(興味がある)こと」で精一杯の私には、こんな主題を正面から考えたことはない。
 秋月瑛二は「知識人」なるものをこれほど意識しなかったし、また期待もしなかった。「知識人」であることを標榜して、または無意識にでもそれを前提として<論壇>等で名前を出していた人々はいたのだろうが、ある程度は羨望しつつも、しかし、「知識人」が現実を変えることなどほとんどできないだろうと感じていた。
 なお、大学の教員=知識人、ではない。大学教員はいちおうは各特定分野の「専門家」でかりにあっても、「知識人」ではないし、大学教員でなくとも「知識人」はいる。アカデミズム・学界に帰属しない「知識人」はいる。
 さて、上につづけると、「知識人」業界というものがあって(業界とは主として出版印刷業)、「知識人」というのはその業界の中で有名になり、何となく現実社会のために奮闘しているという(つまり現実の変化に役立っているという)印象または「幻想」・「思い込み」を自分たち自身が抱いて、幸福に生きている人たちだろう、という感じがあつた(だから羨望しもする)。
 しかし、「知識人の黄昏」を明記する点では、大いに賛同する。そんな「知識人」はとっくに時代遅れとなり、世の中の現実にほとんど従いていけていない。大いに指摘し、明記すればよい。
 一方で、「知性は死なない」のか否かは、「知性」という語の理解の仕方による。
 ヒト・人間は何らかの意味で「知性」を育ててきたし、今後も有していくだろう。しかし、この著がイメージしているだろうような「知識人」または<学界>は、崩壊して何ら差し支えない。
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  秋月が何をつぶやいても社会的には無意味だと思うが、知識・教養・「大学」(・学界)の再構成・再編成が必要だ。
 しかし、<大学(・学歴)>重視意識が減少しているようには見えない。
 予備校、塾は依然として活況なのではないか。親たちは、一体大学の各学部でどんな科目の講義があるのかを全くかほとんど知らないで、自分の子弟が、ともかくも「大学」に入り、無事に「卒業」することを願っている。そして、同一学年の何と2人に1人ほどが「大学生」・「〜大学卒」と称されることになった。
 ついでに書くと、司法試験は日本で最もむつかしい試験だなどと言われながら、ほとんど誰も、どんな試験科目があるかを知らない(「憲法」が必修であっても、第9条(戦争・軍事)や第1条以下(天皇)に関する出題があったことはないので、これらに関して受験生には深い知識・教養はまるでない)。また、国家公務員になるための(とくに総合職・上級)試験の科目も(種々に分かれているが)、多くの人は全く知らない。そんなことに関係なく、<大学(またはその名前)>入学・卒業、国家公務員試験合格という表面だけに多くの人は関心をもつ。内実に関心が向かわない。
 人々はなぜ(あるいは日本人は、戦後ずっと、または戦前のあるときからずっと)、「大学」信仰あるいは「学歴」信仰や『試験」信仰を持ちつづけるのだろうか。大正末期からすでに100年、戦後に限ってもすでに75年。
 1979年生まれだというこの著者も、「知識人」を論じる際に、たぶん、戦後の「大学」制度をほぼ当然の前提にしている。
 これ自体を何とかしないと、またはそれが伴わないと、日本の大きなBreakthrough はないように思われる。—とここで言っても何の意味もないだろう。
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 中途になったので、この書には、別にさらに触れる。
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2277/「わたし」とは何か(10)。

 松岡正剛・千夜千冊からどうして<「わたし」とは何か>を主題とする書き込みを始めたのか、忘れてしまっていた。関連して入手した浅野孝雄訳・フリーマンの書の冒頭の、<あなたとは何か>という問いに刺激されたのだった。
 浅野孝雄著によるダマシオ説に関する叙述を紹介して、(10)という区切りのよい所で終える。「延長意識」等々についてなので、「わたし」の問題からは離れる。「わたし」=Self、self-conciousnessは、「こころ」(mind)や「意識」(conciousness)と同義ではない。
 また、ダマシオの著書は、<デカルトの誤り>の他に、入手可能な邦訳書・原書をすでに所持だけはしているのだった。したがって、それらを直接に読むので足りるのに気づくが、浅野孝雄の紹介に引き続いて頼る。 
 浅野孝雄=藤田晢也・プシューケーの脳科学(産業図書、2010)。p.196以下。
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 1 アイデンテイティ。
 「自伝的自己」が「個人の所属する集団・民族の文化的伝統の内に組み込まれ、それと一体化したもの」。これが、「個人のアイデンティティ」だ。
 アイデンティティは、「人格」=自伝的自己や「中核自己」=「われ」とは区別される。
 2 「拡張意識」(extended conciousness)
 原自己・中核自己・自伝的自己という「出来事の連鎖」の上に「拡張意識」が生まれる。
 これは、「二次的マッピング」で生起した「現象」が、global workingspace(バース)、dynamic core(エーデルマン)で、「他の全ての情報・表象」すなわち「記憶・感情・作業記憶と結合し、辺縁系(海馬)、傍辺縁系などの働きによって時空間に定位される」ことによって発生する。
 「一方の根」が「身体シグナルと結びついた原自己」にあるので、「感情」(feeling)の性格を失わない。
 他方で、「現在起こっている事象と緊密に結びついている」ので、「起こっていること(what happens)についての感情」だ。
 「外部の対象」と同様に「大脳皮質」内の「一つの表象」も「中核意識の生成を刺激し、その拡張意識への発展を促す」。
 3 「知性」(intelligence)
 「拡張意識」は「知性」と我々が称するものの「母体」となる。「有機体が有する知識を最大限に利用することを可能とする点」において。しかし、「知性」そのものではない。
 「知性』は、「拡張意識が呼び起こした知識を利用して新奇な反応」=「新しく統合された認識(大局的アセンブリまたはアトラクター)」を生み出す、「拡張意識よりもさらに高次の能力」だ。
 「前頭葉に宿る知性の働き—創造力—」は「人間精神の最高位に位置」し、「全ての個人の精神、さらには文明を発展させてきた原動力」であって、この精神的能力こそが、アリストテレスのいう「能動理性」だ。
 4 ダマシオはこのように、「原自己」という最下位の事象が最上位の「知性」に至るまで「変容をつづけながら螺旋的に上昇する構造」としして、「意識」を理解する。「意識の全構造」が、原自己・中核自己を中心とする全ての「経験と環境の認識」と「相互依存的な関係」を取り結ぶ。頂点にあるのは「知性」だが、「そのピラミッド自体は複雑なフィードバック・システムを形成している」。
 ——
 叙述はさらに、ダマシオにおける(有名な)「情動」と「感情」の区別等に進んでいるが、ここで終える。
 「意識」もそうだが、「アイデンティティ」(identity)や「知性」という日本人もよく用いる概念・言葉について説明され、何がしかの定義もされていることは、新鮮なことだ。「わたし」=「自己」についても。
 もとより、私は全てを理解しているわけではないし(脳に関する基礎的知識・素養が不十分だ)、納得しているわけでもない。また、「最上位」の「知性」をもってしても、人類は平気に「殺し合い」、平気で「人肉食い」もしてきたのだ、と思いもする。
 また、このような<一般論>でもって、全ての個々の人間の自己意識を含む「意識」の詳細な全構造の内容が判明するわけでもないし、それは永遠に不可能だと思ってもいる。
 但し、究極的・本質的には(茂木健一郎が若い頃から言っているように)、人間の「精神」作用は、「自己意識」も「こころ」も、何らかの、複雑な物理化学的作用の一つに他ならないことを、「文科」系人間も知っておく必要がある。「世俗的名誉」、「世間的顕名」、「体裁」を維持したいとは、いかなる「気分」、いかなる「意識」によるのか??
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