「おひとりさま」の、だろうか、「孤独死」という言葉を、数年くらい前に聞いた。
 孤独死とは何だろう。誰でも死ぬときは—大量一斉処刑とか突然の事故・自然災害による場合は別として—一個体として一人で死んでいくのだろうから、その意味ではほとんど全てが「孤独死」だ。
 死ぬとき、いわゆる息を引き取る瞬間に、周りに誰一人存在しないことを意味するのだろうか。
 しかし、そのようなことは、病院の病室でも起こり得る。あとで報告を受けた家族・遺族があわてて駆けつけて来る、ということもあり得る。
 おそらくは、死ぬ瞬間に、その人の死を気にかけている家族・親族あるいは「身寄り」が一人もおらず、また、病院に運び込まれたときはまだ生きていても周囲にいるのは家族・親族あるいは「身寄り」ではなく医療関係者だけ、という場合を意味するのだろう。
 たしかに、高齢化、後期高齢者の増加と親子・家族・親族関係の疎遠化にともなって、「統計」はきっと存在しないだろうが、「孤独死」の数は増えているだろう。
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  近年でのテレビでの宣伝広告の特徴の一つは、<葬儀場>または<葬儀運営業>や<葬儀保険>の宣伝が目立ってきたことだろう。「縁起が悪い」と感じられたのか、以前はそのような業種・商品の宣伝は全くなかったように思われる。
 さて、「孤独死」の場合の葬儀はどうなるのか。
 「一番小さな家族葬」という言葉があるようだが、死ぬときは「孤独死」であっても、「一番小さな家族葬」でも行われるということは、その死者は本当に「孤独」ではなかったのだろう。
 「一番小さな家族葬」の中の最も小さいものにも該当しない「直葬」というものも、「葬儀」概念の問題だが、ある人によると、「葬儀」の種類の一つだ。あるいは、「葬式はいらない」とか言う場合の「葬式」には「直葬」は含まれないのかもしれない。
 「直葬」概念またはそれを選択するかどうかは、正確には、家族・親族あるいは「身寄り」の有無とは関係がない。
 遺体・死体に対して何の葬礼も行わず、直接に火葬場に運び、骨にしてしまう、というのを「直葬」は意味するからだ。親族・「身寄り」が同意し、同行している場合もあり得るだろう。
 葬儀の仕方・種類はそのあとの「納骨」等々までの仕方・種類まで決めてしまうものなのか。
 全くの身元不明者の場合、所管市町村がその費用で「直葬」したとして、「納骨」はどうするのだろう。知識がない。提携?している寺院があって、その経営する墓地の無名者墓に入れるのだろうか。だがそうすると、その際にその仏教式の「読経」くらいはなされるようにも推測され、そうすると、「納骨」の段階でようやく「葬礼」がなされることになるのか。いや、<政教分離>の今では、市町村と寺院との提携?自体が許容されないのかもしれない。
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  しかしながら、葬儀も納骨も生者がすることであり、死者に関係はあっても死者自身が葬儀等がどのように行われているかを、知ることはできない。
 詳細に遺言しておけば、通常の、または正常な遺族・「身寄り」はおそらくそれに従うだろうが、遺言のとおりに行われる保証はない。「死後事務委任契約」を弁護士等を職業とする者と締結しておけば、保証される程度は高くなるだろう。
 だが、しかし、死んでしまっていれば、それを確認することはできないのは、当然のことだ。
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