秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

皇太子妃

2637/月刊正論(産経新聞社)と皇室。

  月刊正論(産経新聞社)という雑誌のすごいところは、いや凄まじいところは、<祝・令和—改元特大号>と謳った同2019年6月号の<記念特集・新天皇陛下にお伝えしたいこと>に西尾幹二と加地伸行の文章を掲載していることだ。
 西尾幹二は2008年に〈皇太子さまへの御忠言〉(ワック)を出版し、2012年にそれに加筆して文庫(新書?)化して再刊した。また同年には別途『歴史通』に「『雅子妃問題』の核心」という文章を書いて、現在の天皇(当時の皇太子)は「…と言ってのけた」と表現するなどし、現在の皇后(当時の皇太子妃)を「地上に滅多に存在しない『自由』の実験劇場の舞台を浮遊するように、幻のように生きている不可解な存在」表現し、離婚せよの旨を明確に出張した。さらに、2008年8月のテレビ番組で西尾は、雅子妃は「仮病」だから「一年ぐらい以内にケロッと治る」だろう、雅子妃は「キャリアウーマンとしても能力の非常に低い人。低いのははっきりしている」、「実は大したことない女」と発言したらしい。
 加地伸行の当時の皇太子・同妃に対する主張も似たようなものだった。
 しかるに、二人のこうした主張・見解を知っていたはずだが、菅原慎一郎を編集代表とする月刊正論2019年6月号は、当時の皇太子・同妃が天皇・皇后に即位する時点で、「新しい天皇陛下にお伝えしたいこと」の原稿執筆を依頼した。そして、この二人は、文章執筆請負業の「本能」からか?、原稿を寄せた。
 西尾幹二、加地伸行は、かつてのそれぞれ自身の発言・文章に明確には言及しておらず、むろん取消しも撤回もせず、当然のこととして「詫び」もしていない。
 よくぞ、「新天皇陛下にお伝えしたいこと」と題して執筆できたものだ。
 二人の「神経」の正常さを疑うとともに、月刊正論(・菅原慎一郎)の編集方針(原稿執筆依頼者の選定を含む)もまた、「異常」だと感じられる。
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  月刊正論の元編集代表(2010年12月号〜2013年11月号)だった桑原聡は、「天皇陛下を戴く国のありようを何よりも尊い、と感じることに変わりはない」旨を編集代表としての最後の文章の中で書いた。
 これは、いわば<ビジネス保守>の言葉だけの表現ではないか、との疑問はある。
 上の点はともかく、月刊正論、そして産経新聞社、産経グループ全体が読売新聞社系メディアよりも<より親天皇(天皇制度)>的立場にあった(ある)、という印象はあるだろう。
 しかし、現在の天皇・皇后、上皇・上皇后各陛下等々の皇室の方々は、月刊正論・産経新聞社・産経グループを「最も支持し、最も後援してくれる」最大の味方だと感じておられるだろうか。
 すでに誰かが書いているだろうように、また書かずとも広く理解されてしているだろうように、桑原聡の上の言葉とは違って、月刊正論(・産経新聞社)は全体として皇室の「味方」だとは思えない。
 前天皇の「退位」に反対した(終身「天皇」でいるべきだと主張した)櫻井よしこ、平川祐弘、八木秀次、加地伸行らは月刊正論や産経新聞「正論」欄への主要な執筆者だった(秋月による「あほ」の人たち)。当時の天皇はこの議論に「不快」感をもったとも報道されたようだが、その真否を確言できないとしても、当時の天皇の意向とはまるで異なっていたことは明確だった。
 現在の皇后、雅子妃、前皇太子妃を最も厳しく攻撃し、批判したのは、西尾幹二だっただろう
 その西尾幹二はまた、月刊正論や産経新聞「正論」欄への継続的な執筆者だった(2023年時点でどうかは知らない)。
 現在の皇后、雅子妃も、現在の天皇、前皇太子も、西尾幹二が自分たちについてどのように書き、どのように主張していたかを、よくご存知だったと思われる。
 皇居内の「私的」空間にはおそらく主要な新聞紙が置かれ、それらのうちいくつかには西尾幹二のものも含む単行本の宣伝広告も掲載されていただろう。そして、皇族であっても「私的に」本や雑誌を購入することは可能だ。
 西尾幹二によって、小和田家まで持ち出されて攻撃された雅子妃は、ひどく傷つかれただろう。西尾幹二の言い分は、「病気」治癒を却って遅らせるものだった。前皇太子も、激しい怒りを感じられたに違いない。
 西尾幹二は前皇太子・同妃が2019年(5月)に新天皇・新皇后として即位するとは思いもしていなかっただろう。2016年に「意向」表面化、2017年にいわゆる退位特例法成立だったが、西尾は早くとも2012年まで、皇太子等を批判し続けた。「不確定の時代を切り拓く洞察と予言」の力(西尾・国家の行方(産経新聞出版、2020)のオビ)が、彼にはなかったのだ。
 西尾幹二は2008年に、自分の文章を「一番喜んでおられるのは皇太子殿下その方です。私は確信を持っています」と発言したようだが、いったいどういう「神経」があれば、こういう態度がとれたのだろう。
 現在の天皇・皇后にとって、西尾幹二は「最大の敵」ではなかったか、と思われる。
 その人物を、改元=新天皇・新皇后即位の記念号の執筆者の一人として起用した月刊正論(編集部)もまた、「異様」だ。
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 参考→Yoshiki, 即位10年奉祝曲・Piano Concerto "Anniversary"

2636/加地伸行・妄言録—月刊WiLL2016年6月号<再々掲>。

 加地伸行月刊WiLL2016年6月号(ワック)での発言と秋月瑛二のコメント(2017年07月16日No.1650)の再々掲。
 対談者で、相槌を打っているのは、西尾幹二
 最初に掲載したとき、冒頭に、つぎの言葉を引用した。
 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
 2023年5月末の時点で書くが、平川祐弘はこのとき、自分自身が「おかしな右翼」と称され得ることを全く意識していなかったようで、可笑しい。
 なお、花田紀凱編集長の月刊Hanada(飛鳥新社)の創刊号は2016年6月号で、加地伸行の対談発言が巻頭に掲載されたのは、「分裂」後最初の月刊WiLLだった。おそらく、手っ取り早く紙面を埋めるために起用されたのが、加地伸行・西尾幹二の二人だったのだろう(対談だと録音して容易に原稿化できる)。
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 <あほの5人組>の一人、加地伸行。月刊WiLL2016年6月号p.38~より引用。
 「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族に興味があるようです。公務よりも『わたくし』優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、という発想が感じられます。新しい打開案を採るべきでしょう。」p.38-39。
 *コメント-皇太子妃の「公務」とは何か。それは、どこに定められているのか。
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 「皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればよい。ただし、皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしいのでは。」p.39。
 *コメント-究極のアホ。この人は本当に「アホ」だろう。
 ①「皇太子殿下は摂政におなりにな」る-現皇室典範の「摂政」就任要件のいずれによるのか。
 ②「国事行為の大半をなさればよい」-国事行為をどのように<折半>するのか。そもそも「大半」とその余を区別すること自体が可能なのか。可能ならば、なぜ。
 ③ 「皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよい」-意味が完全に不明。摂政と皇太子位は両立しうる。なぜ、やめる? その根拠は? 皇太子とは直近の皇嗣を意味するはずだが、「皇太子には現秋篠宮殿下」となれば、次期天皇予定者は誰?
 ④「仕事はご夫妻ではなく一人でなさる」-摂政は一人で、皇太子はなぜ一人ではないのか?? 雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-治療専念、皇太子-治療専念不可>、何だ、これは?
 ⑤雅子妃は「秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしい」-意味不明。今上陛下・現皇太子のもとで秋篠宮殿下が皇太子にはなりえないが、かりになったとして「空く」とは何を妄想しているのか。「秋篠宮家」なるものがあったとして、弟宮・文仁親王と紀子妃の婚姻によるもの。埋まっていたり、ときには「空いたり」するものではない。
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 「雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。」 p.41。
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 「雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていただきたい。それが皇室の在りかたなのです。」p.42。
 *コメント-アホ。これが一人で行うものとして、皇太子妃が行う「祭祀」とは、「皇居」のどこで行う具体的にどのようなものか。天皇による「祭祀」があるとして、同席して又は近傍にいて見守ることも「祭祀」なのか。
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 「これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには、…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、そ夫人の出欠を問う必要はまったくありません。」
 *コメント-いやはや。雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-「お一人で一所懸命」、皇太子-「出欠を問う必要」がある>、何だ、これは? 出欠をやたらと問題視しているのは加地伸行らだろう。なお、たしかに「国事行為」は一人でできる。しかし、<公的・象徴的行為>も(憲法・法律が要求していなくとも)「摂政」が代理する場合は、ご夫婦二人でということは、現在そうであるように、十分にありうる。
 以下、p.47とp.49にもあるが、割愛。
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 この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ。
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 以上。

2629/西尾幹二批判063—雅子妃問題②。

 以下は、西尾幹二の言説(妄言)の「歴史的記録」として。あるいは、その「人格」を例証する一つとして。このとき、満76歳。
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 西尾幹二「『雅子妃問題』の核心」歴史通2012年5月号(ワック)
 一部(当時の皇太子妃批判・攻撃)を引用する。以下での「皇后陛下」は現在の上皇后陛下、「皇太子妃殿下」・「雅子妃」は現在の皇后陛下、「皇太子殿下」は現在の天皇陛下—以上、引用者。一文ずつで改行した。/は本来の改行箇所。下線は引用者による。
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 ①「皇后陛下は…耐え、馴れて、ご自身の世界を切り拓いて新境地に達した。
 皇太子妃殿下はいまだその域に達していない。
 『適応障害』といわれて九年目になる。
 一般人の自由を奪われたことが病気の原因であることは間違いない。
 皇室という環境にあるかぎり病気は治らないと医師も証言している。
 であるなら、道は二つに一つしかない。
 皇室を離れて、一般人の自由を再び手に入れるか、それとも皇室の掟に従うことを覚悟して、わが身に自由は存在しないことを大悟徹底するか、の二つに一つである。/」p.36。
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 ②皇室問題に「独特の混乱」を招いているのは「女性宮家創設」問題ではなく、「男系か女系か」も「緊急のテーマ」ではない。
 「最重要の問題は、雅子妃が皇室に一般的人の自由を持ち込み始めていることである。
 そしてそれを次第に拡大し、傍目にも異常に見えるようになったのは、単に皇室の掟に従わないだけではなく、一般社会人も当然生活する上で日常のさまざまな掟に縛られているのであるが、彼女はそこからも解放され、自由であり、天皇に学び皇后に従い皇室の歴史における自分の立つ位置を定めるという義務を怠っているので、一般社会からも皇室からも解放され、ついに何者でもない宇宙人のような完璧に自由であるがゆえに、完璧に空虚な存在になりはじめていることである。」p.36〜p.37。
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 ③「皇太子殿下」は…と「発言されたのだ」。
 「病気治癒に役立つなら公務を私的に利用すると平然と言ってのけたのでる。
 つい口を滑らして本音が出てしまったのかもしれないが、一般人が享受する私的自由は皇室にはない、との覚悟を内心深く蔵していたなら、不用意であっても、こんな言葉が出てくる筈はない。
 一般人の自由を皇室に持ち込み、なにごとも "自分流" を通されようとする妻の影響下に置かれている有様が透けて見えるようで、悲しい。/」p.37。
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 ④佐藤あさ子『雅子さまと愛子さまはどうなるのか?』(草思社)の「以上の叙述と思想から浮かび上がってくるのは、一般社会からも皇族社会からも完全にフリーな、どちらにもコミットしていない真空地帯、稀にみる楽園のような、地上に滅多に存在しない『自由』の実験劇場の舞台を浮遊するそうに、幻のように生きている不可解な存在である。…
 天皇陛下皇后陛下には生活があり、佐藤さんはじめ働く一般庶民にも生活があるが雅子妃には『生活』がない。
 無限の自由の只中にあって、それゆえに自由を失っている。
 ご病気の正体はこれである。/
 『裸の王様』という言葉があるが、ご自分ではまったく気がついていないものの、外交官のライフスタイルを失ったという嘆きやぼやきが思うに唯一の生き甲斐となり、夫への怨みや脅迫となり、与えられた花園の中を好き勝手に踏み歩く権利意識になっていると思われる
 …、学歴も高く才能もあるといわれて久しいのにほとんど目ぼしい活動もなく、子供の付き添い登校にひどくこだわって顰蹙を買ったのも、理由ははっきりしている。
 『生活』のないところにどんなライフワークも生まれようがないからである。/」p.41〜p.42。
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 ⑤「妃殿下に皇族として生きる覚悟が生じたときにはじめて彼女の『生活』が開始する。
 あるいは、ご離婚あそばされ、一般民間人になられたなら、そこでも『生活』が始まることは間違いない。
 その中間はない。
 どっちつかずの真中はない。
 あれかこれかの二つに一つで、選択への決断だけが彼女に自由を与える。/
 これがどうしてもお分かりならないでいる。
 そのために現代社会では起こり得ない次のような奇怪な絵図が展開されている。/
 「雅子妃の愛子さま付き添い登校」等…。
 「…、つい先頃まで毎日のように学習院初等科の校門前で行われた…珍妙な儀式は、封建時代の悪大名の門前を思わせる、たしかに ”異様” の一言でしか言い表せない光景である。
 こんな出来事がわれわれの現代社会に立ち現れていたことはまことに嘆かわしいし、恥しい。/」
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 参考。→即位祝賀奉祝曲・嵐「Ray of Water」(作曲・菅野よう子)、2019年11月9日

2457/西尾幹二批判038—皇太子妃問題②。

 本来の予定では、西尾幹二個人編集の同全集第17巻・歴史教科書問題のつぎの重要な特徴を書くことにしていた。すなわち、一定時点以降にこの問題または「つくる会」運動(分裂を含む)に関して西尾が自ら書いて公にした文章を(「後記」で少し触れているのを除き)いっさい収載していない、という「異常さ」だ。
 いつでも書けることだが、再度あと回しにして、新しい「資料・史料」に気づいたので、それについて記す。
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  西尾幹二が2008年前後に当時の皇太子妃は「仮病」だとテレビ番組で発言した、ということは高森明勅の今年になってからのブログ記事で知った。
 その番組を見直すことは到底できないと思っていたら、実質的には相当程度に西尾の発言を記録している記事を見つけた。つぎだ。
 「セイコの『朝ナマ』を見た朝は/第76回/激論!これからの“皇室”と日本」月刊正論2008年11月号166-7頁(産経新聞社)。
 ここに、2008年8月末の<朝まで生テレビ>での西尾発言が、残念ながら全てではないが、かなり記録されている。引用符「」付きの部分はおそらく相当に正確な引用だと思われる。
 以下、西尾発言だけを抜き出して、再引用しておく。「」の使用は、原文どおり。
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 雅子妃は「キャリアウーマンとしても能力の非常に低い人低いのははっきりしている」。「実は大したことない女」。
 雅子妃には「手の打ちようがないな」。
 「一年ぐらい以内に妃殿下は病気がケロッと治るんじゃないかと思います。理由はすでに治っておられるからです。病気じゃないからです。」
 「これも言いにくいことですが、私が書いたことで一番喜ばれているのは皇太子殿下、その方です。私は確信を持っています」。「皇太子殿下をお救いしている文章だと信じております」。
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 以上、「仮病」というそのままの言葉はないが、「病気じゃない」という発言があるので、実質的に同じ。上の<セイコ>も、「最後に平田さんも雅子様を仮病と批判」と記して「仮病」という言葉を使い、出席者のうち西尾幹二と平田文昭の二人が「仮病」論者だったとしている。
 <セイコ>の感想はどうだったかというと、「二人とも、やけくそはカッコ悪いよ」と書いているから、西尾・平田に対して批判的だ。
 なお、上の引用文のうち最初の発言に対して、矢崎泰久は「天皇家にと取っ掛かることによって自分の存在価値を高めたいという人」と批判し、出版済みの『〜御忠言』についても「天皇をいじくるな」「あなた、天皇で遊んでいるよ」と批判した、という。
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  あらためて「仮病」発言について論評することはしない。
 だが、想像していたよりも醜い発言ぶりだ。「能力の非常に低い」、「実は大したことない女」とは、凄いではないか。
 これによると西尾幹二は自著を最も喜んでいるのは当時の皇太子殿下だと「確信」し、同殿下を「お救い」していると「信じて」いる、とする。
 別に書くかもしれないが、西尾幹二著によって最も傷つかれたのは、雅子妃殿下に次いで、皇太子殿下だっただろう。さらに、現在の上皇・上皇后陛下もまた。「ご病気」の継続の原因にすらなったのではないか。
 西尾幹二
 この氏名を、皇族の方々は決して忘れることはない、と思われる。もちろん、天皇男子男系論者としてではない。
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 三 1 上を掲載している月刊正論2008年11月号の<編集者へ>の欄には、西尾幹二を擁護して当時の皇太子妃に批判的な投稿が二つあり、逆の立場のものはない。
 同編集部は、<セイコ>記事とのバランスを取ったのか。それとも、<セイコ>の原稿を訂正するわけにもいかず、編集部は西尾幹二の側に立っていたのか(代表は上島嘉郎で、桑原聡よりは数段良い編集者ぶりなのだが)。
 2 上の<セイコ>記事を読んで、当時に月刊正論上で西尾と論争していたらしい松原正は、月刊正論同年12月号にこう「追記」している。
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 「西尾幹二という男について真顔で論ずるのは、所詮、愚か者の所行なのかもしれない」。
 なぜ唐突にこう書くかというと、11月号の(セイコの)記事を読み、「呆れ返ったから」だ。
 「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば、西尾が…くだくだしく述べてきたことの一切が無意味になってしまう」。
 「かふいう無責任な放言を、それまで熱心に西尾を支持した人々はどういふ顔をして聞くのであらうか」。
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 ほとんど立ち入らない。
 ただ、「西尾が狂っているのではなく、本当の事を喋ってゐるのならば」、という部分は、相当にスゴい副詞文だと感じる。
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  ついでに。
 西尾幹二『皇太子さまへの御忠言』(2008年)は相当に話題になり「売れた」はずの、単一の主題をもつ西尾の単行本だ(主題が分散している単行本もこの人には多い)。
 しかし、同全集には収載されないようであり、そもそもが「天皇・皇室」を主テーマとして函の背に書かれる巻もないようだ。
 個人編集だから、自分の歴史から、自著・自分が紛れもなく書いた文章の範囲から、完全に排除できる、と西尾は考えているのだろうか。全集第17巻にも見られる、自分史の一種の「捏造」・「改竄」なのだが。
 だが、活字となった雑誌や本は半永久的に残り、こういう文章を残す奇特な?者はきっといる。
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2447/西尾幹二批判035—「日本に迫る最大の危機」。

  西尾幹二の諸君!2008年12月号によると、日本の「論壇誌」は「イデオロギー」に嵌まらないで、「現実」に目を開き、「現実」を回復しなければならない。
 しかし、まさにその同じ論考の中で、雅子皇太子妃(当時)に関する「現実」をおそらくは完全に無視する文章を書いている。
 西尾によると、「自分の好むひとつの小さな現実を見て、他のすべての現実に目を閉ざそうとする怠惰な心の傾き」がイデオロギーの意味のようなのだが、この「怠惰な心の傾き」は、西尾幹二にも厳然と存在するようだ。
 西尾は、皇室問題での自分の主張を非難する二つの立場について、こう反駁する。
 「二つの立場の、どちらも方々も、あれほど明白になっている東宮家の危機を、いっさい考慮にいれないのです。
 問題は何もない、と言い張るのです。
 目を閉ざしてしまうのです。」
 <危機>というのは評価または解釈が混じる言葉だ。では、<日本に迫る最大の危機>という中見出しのあとのつぎの文章はどうだろうか。
 「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。
 というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。
 <見受ける>だけだと、厳密には、あくまで「推測」なのかもしれない、とも言える。
 しかし、上を全体として読むと、<雅子妃は宮中祭祀を『なさる』意思がなく、拒否し続けている>ということを、西尾が「事実」または「現実」だと受け取っていることは明確だろう。
 なお、その原因にはここでは西尾はいっさい触れていない。
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  元に戻って記すと、西尾『皇太子さまへの御忠言』による「提言」は、西尾によると「典型的な二種類の反応」を惹起した。
 一つは、多くの選択権・無制約をよしとする「いわば平和主義的、現状維持的イデオロギー」で、将来の皇后にも「もっと自由を」、「新しいご公務を」、とするもの。
 もう一つは「むしろ古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的イデオロギー」で、例えば「臣下の身」で「不敬の極み」だとするもの。自称「旧皇族」から国学院大・皇學館大学の教授まで、「伝統保守イデオロギー」からの反発も「熾烈」だった。
 これら二つ、一方は「新しい時代の自由」、他方は「旧習墨守」という「固定観念への執着」を見て、西尾幹二はこう感じた、という。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
 そのあと、既述の「あれほど明白になっている東宮家の危機」をめぐって、「自由派」も「伝統派」も、「現実はいっさい見ない、現実はどうでもいい」、「自分たちの観念や信条の方が大切なのです」と批判する。
 「論壇誌」に対しては、あらためてこう指弾する。
 「イデオロギーに頼って『ことなかれ主義』に手を貸し、揺れ動く世界の現実から目を逸らしているうちに、日本に迫る最大の危機すら曖昧になってしまう
 それが今の雑誌ジャーナリズムを覆う、いちばんの病弊なのではないですか。」
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  西尾幹二の議論が雅子皇太子妃に宮中祭祀を「なさる」意思がなく、それを拒否している、という西尾にとっての「現実」から出発していることは疑い得ない。
 その理由は一般に「ご病気」とされていたが、西尾の別の発言によるとそれは「仮病」だ。そのような「行動と思想」をもつ人物が将来に皇后になるかもしれない、これは「日本に迫る最大の危機」だ、そのような危険性を、「自由派」も「伝統派」も見ていない(自分はちゃんと見ている)、というわけだ。
 その後の事態の推移をも踏まえてということにはなるが、詳細は省いて、西尾幹二の以上のような指摘・主張は、いささか異様、異常ではないだろうか。
 「つくる会」分裂後の八木秀次に対する「人格攻撃」も凄いものだったが、皇太子妃問題をめぐって自分を批判する両派に対する反批判も、なかなかのものだ。
 「私は思わず笑いがこみあげてきました」。
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  ところで、西尾は、皇太子妃の宮中祭祀を「なさる」意思の欠如を問題にしている。
 ここでは、皇太子妃も宮中祭祀を「行う」主体の一人であることが前提とされている。このような表現をする点は、天皇退位問題に関する「5バカ」の一人、妄言者の加地伸行も同じ。
 そうだとすると、少なくとも天皇・皇后、皇太子・同妃の四名は、宮中祭祀の場所である宮中三殿で、全員で一緒に?、三殿またはいずれかの「殿」の祭神に対して「祭祀」を行う、ということなのだろうか。
 西尾幹二は、宮中祭祀とはどういうものであるのか、その際に皇太子妃はどうある「べき」かをいったい何がどのように定めているのか、正確に知っているのだろうか。明治時代、大正時代、さらには「皇太子妃」がいたとして江戸時代とそれより以前は、どうだったのか?
 不十分な理解のままであったとすれば、西尾の議論のほとんど全てが、ガラガラと崩れることになるだろう。
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  ついでに。この西尾論考は、諸君!12月号の実質的には巻頭に置かれている。
 月刊雑誌・諸君!は、その後一年以内に廃刊となった。以上のような西尾論考を重視したこととその反応は、小川榮太郎が新潮45(新潮社)の廃刊の引き金を引いた程ではかりにないとしても、諸君!編集部と文藝春秋の判断に影響を与えたのではなかろうか。
 また、西尾も明記するように、<保守>派内でも異論があり、西尾幹二(や中西輝政)はその中でも少数派だっただろう。
 いずれにせよ、<保守>派内に亀裂を生んだことは間違いない。
 翌2009年8月末実施の総選挙で自民党は大敗し、政権は民主党に移る。
 西尾幹二に限らないが、<保守>派論者はいったい何をしていたのだろう。政権交替は、自民党だけの「責任」ではあるまい。
 雅子皇太子妃・皇室問題が「日本に迫る最大の危機」だと!?
 西尾幹二は、「ねごと」を書いていたのだ。他にも多数書いている(編集者はきちんと読むべし)。
 それにもかかわらず、産経新聞出版(編集者・瀬尾友子)、新潮社(同・冨澤祥郎)、筑摩書房(同・湯原法史)らは、近年にも西尾の本を出版している。こちらも、大いに不思議だ。
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2442/西尾幹二批判033。

  諸君!(文藝春秋)2009年9月号はこの月刊雑誌の最終号で、記念企画の一つとして、宮崎哲弥(司会)を含む8名の座談会が掲載されている。宮崎のほか、村田晃嗣、松本健一の名があるのも、少なくとも近年の「保守」系雑誌よりは、執筆者や読者の幅広さを感じさせられる。
 この座談会は「諸君!これだけは言っておく」と題して、種々多様な話題に及んでいるが、皇室問題にも当然に?言及がある。そして、初めて知った西尾幹二の主張または理解の仕方の部分があり、興味深い。
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  四部まであるうちの<第一部・保守は何を守るべきか>の途中でアメリカが出て来た辺りから、西尾幹二は、アメリカと日本の皇室との関係の問題性を持ち出して、強調する。他の者の賛同を得ていない、彼独自の論だ。
 厳密に正確な紹介はし難しいが、おおよそつぎのような「理屈」だ。
 ①「皇室を守るのは権力なのです」。
 ②昭和天皇は「アメリカという権力を採り入れた」が、結果として「我が国は国家権力がなくなってしまったのではないか」。「権力を担っていた自民党保守政権」はかくまでに「弱体化」してしまった。
 ③「日本の国家権力がなくなっている」現在、皇室を守っている権力は何か。「それはアメリカなのではないでしょうか。だとすれば大変だぞ、というのが私の思い」。
 ④「権力が外国に移っている」。「軍事」のみならず「皇室というご存在そのものも、いまやアメリカに従属しかかっている、と考えています」。
 ⑤「東宮家が外務省に牛耳られていること」への疑問と不安を書いてきた。「対米依存心理にもっとも染まった省庁が外務省であるのは疑問の余地がない」。
 ⑥「雅子妃殿下の父君である小和田恒さん」、「この方も元外務官僚ですが、…」。
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  この欄で、西尾幹二は何故、小和田恒または小和田一族をしつこく批判するのだろうか、と書いたことがあった。
 教養学部出身だが職務上も「法学」と縁が深かった東京大学卒業者に対するやっかみまたは劣等感からする憤懣は原因になっていると今でも想像している。
 しかし、その「論理的」原因が上では語られていて、なるほど、と思わせた。
 むろん、肯定的な意味で納得したのでは、全くない。
 ①日本に国家権力はなく、アメリカに移っている。→②皇室もアメリカに従属している。→③外務省は最もアメリカに従属。→④小和田氏は元外務官僚。→⑤雅子妃はその娘(かつ元外務官僚)。
 西尾幹二が雅子妃殿下の「行動と思想」を問題視したのには、このような深遠な?、連想関係があったわけだ。
 しかし、上の①〜③は西尾の「思い込み」または「幻想」だから、真面目に受け取れる筈がない。座談会でも、例えば上の②を田久保忠衛が明確に疑問視している。
 また、雅子妃の問題の原因が父親にある、と言わんがごとき叙述は(この座談会では明瞭でないが)、雅子妃の個人的自立性をすら無視するものだ。
 アメリカと日本の「国家権力」の関係には、立ち入らない。
 但し、日本の対米従属性の指摘は西尾に限らず多いものの、それ以上に、日本には「国家権力がない」、「国家権力は外国に移った」という旨まで明言するものは稀だろう。ここには、西尾の希少性と異様性がある。
 そもそも疑問に思うのは、天皇・皇室には保護する(世俗的)権力が必要だということを前提として(日本の歴史のいつからか?)、現在はアメリカだとするが、アメリカが皇室を牛耳って、あるいは「従属」させて、アメリカにはいかなる利益があるのだろうか、ということだ。
 現在の天皇は明治憲法下と違って「国政に関する権能」を有しない。当時の皇太子が天皇になっても変わりはない。まして、皇太子妃や皇后が日本の軍事・外交に関する「国政」に(アメリカに有利になるように—括弧内・後日挿入)関与できるはずがない。天皇の「国事行為」には内閣の助言と承認が必要だが、天皇ですら、そうなのだ。
 西尾幹二は、アメリカが現在もつ皇室に対する「悪意」(p.209)として、いったいどのようなことを「妄想」しているのだろうか。
 アメリカによる日本の皇室のコントロール、これはアメリカの政策的意図として、本当に存在するのか。西尾独特の「妄想」ではないか。
 これを問題視するならば、現上皇(昭和天皇の皇太子)の家庭教師をアメリカ人女性が担当したことに遡って議論しなければならないのではないか。
 皇室を通じての日本人の「精神」のアメリカ化あるいは欧米化、ということが考えられなくはない。しかし、これも全く愚かで時代錯誤的発想だ。
 皇室を媒介としなくとも、(映画や音楽等の流通もそうだが)日本人と日本社会は、相当程度にすでに欧米化しており、一部を除いて、アメリカを「許容」している、という現実がある。アメリカにとって天皇と皇室は、今以上にいかなる役割が求められているのだろうか。
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  西尾幹二の論述の仕方の特徴と見られるものに、つぎがある。
 a’’/〜でないか、と疑問視または問題提起する。
 a’/上の疑問または問題設定をほぼ事実または正しいものに近いものと叙述する。
 a/疑問視または問題設定した事項を、事実または正しいものと(断定的に)みなして、論述を続ける。
 a’’→a’→a、と、叙述がいつのまにか進展する
 これがb’’→b’→b、c’’→c’→c と続いていくと、a、b、c について十分なまたは説得的な論証、理由づけが欠けているために、論理的に筋が通ったものという印象は生じず、良く言っても、ただ何やら深遠そうなことをあれこれと書いている、という印象しか受けない。
 上の座談会の発言の「論理」にも、例証はしないが、これに近いものがある。他の西尾の文章でも、きちんと読めば、私は同様のことをしばしば感じる。
 出てくる言葉・概念や文章の運びに関心を持つ「文学的」な人々は、西尾を高く評価する可能性はある。しかし、小説等の創作作品、「文芸」評論の文章でない限り、これではダメだ。社会、国内政治、国際政治の適確な「評論」にはならない。学術的な研究論文にならないことは、勿論のことだ。
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1650/加地伸行・妄言録-月刊WiLL2016年6月号。

 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
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 <あほの5人組>の一人、加地伸行。月刊WiLL2016年6月号p.38~より引用。
 A「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族に興味があるようです。公務よりも『わたくし』優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、という発想が感じられます。新しい打開案を採るべきでしょう。」p.38-39。
 *コメント-皇太子妃の「公務」とは何か。それは、どこに定められているのか。
 B「皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればよい。ただし、皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしいのでは。」p.39。
 *コメント-究極のアホ。この人は本当に「アホ」だろう。
 ①「皇太子殿下は摂政におなりにな」る-現皇室典範の「摂政」就任要件のいずれによるのか。
 ②「国事行為の大半をなさればよい」-国事行為をどのように<折半>するのか。そもそも「大半」とその余を区別すること自体が可能なのか。可能ならば、なぜ。
 ③ 「皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよい」-意味が完全に不明。摂政と皇太子位は両立しうる。なぜ、やめる? その根拠は? 皇太子とは直近の皇嗣を意味するはずだが、「皇太子には現秋篠宮殿下」となれば、次期天皇予定者は誰?
 ④「仕事はご夫妻ではなく一人でなさる」-摂政は一人で、皇太子はなぜ一人ではないのか?? 雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-治療専念、皇太子-治療専念不可>、何だ、これは?
 ⑤雅子妃は「秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしい」-意味不明。今上陛下・現皇太子のもとで秋篠宮殿下が皇太子にはなりえないが、かりになったとして「空く」とは何を妄想しているのか。「秋篠宮家」なるものがあったとして、弟宮・文仁親王と紀子妃の婚姻によるもの。埋まっていたり、ときには「空いたり」するものではない。
 C「雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。」 p.41。
 D「雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていただきたい。それが皇室の在りかたなのです。」p.42。
 *コメント-アホ。これが一人で行うものとして、皇太子妃が行う「祭祀」とは、「皇居」のどこで行う具体的にどのようなものか。天皇による「祭祀」があるとして、同席して又は近傍にいて見守ることも「祭祀」なのか。 
 E「これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには、…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、そ夫人の出欠を問う必要はまったくありません。」
 *コメント-いやはや。雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-「お一人で一所懸命」、皇太子-「出欠を問う必要」がある>、何だ、これは? 出欠をやたらと問題視しているのは加地伸行らだろう。なお、たしかに「国事行為」は一人でできる。しかし、<公的・象徴的行為>も(憲法・法律が要求していなくとも)「摂政」が代理する場合は、ご夫婦二人でということは、現在そうであるように、十分にありうる。
 以下、p.47とp.49にもあるが、割愛。
 この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ。

1195/西尾幹二=竹田恒泰と小川榮太郎の本、全読了。

 8月中に読了した書物に、少なくとも次の二つがある。いつ読み始めたかは憶えていない。感想、伴う意見等を逐一記しておく余裕はない。以下は、断片的な紹介またはコメントにすぎない。
 第一、西尾幹二=竹田恒泰・女系天皇問題と脱原発(飛鳥新社、2012)。

 1.第三部は「雅子妃問題の核心」。かつて対談者の二人はこの問題に関して対立していて、私は西尾幹二の議論に反対していた(ということはたぶん竹田と同様の見方をしていた)。この本では、正面からの喧嘩にならずに平和的にそれぞれが言いたいことを言っている。
 離れるが、①皇太子妃に「公務」などはありえない。皇后についても同様だ。②美智子皇后が立派すぎるのであり、皇后陛下を標準として考えてはいけない。かつての時代を広く見れば、模範的な皇族を基準とすれば、異様な皇族など、いくらでもいたはずだ、皇太子妃であっても。また、おおっぴらに語られることはなくとも、異様な天皇もいたであろう。それでも皇統は続いてきた。皇族が「尊い」理由は各人の人格・人柄等にあるのではなく「血統」にある。皇太子妃は皇太子の配偶者であるというだけで、「尊い」と感じられるべきだろう。

 2.本件当時に「怒り」のような感情を抱いたものだが、2012年4月に羽毛田宮内庁長官は今上天皇・皇后の薨去後の方法についての希望ごを記者会見で発表したことがあった。
 今上天皇が何らかの意見をお持ちになることはありうるだろうが、天皇の「死」を前提にする具体的なことを平気で宮内庁長官がマスコミに対して話題にすること自体に大きな違和感を覚えた。

 よろしくない場合もあるが、日本と日本人は井沢元彦の言うように「言霊」の国なのではないか。一般人についてすらその将来の「死」に触れることが憚られる場合もある。ましてや天皇や皇族についてをや。

 また、この本p.148によると、羽毛田は皇后陛下のご本意と異なることを発表したらしい。ひどいものだ。竹田は宮内庁ではなく皇居域内に建物はあっても「宮外庁」だと言っていたが、その通りのようだ。羽毛田は元厚生労働省の官僚。憲法改正の必要はないとしても、皇室に関係する組織のあり方は行政機関も含めて、検討の必要がある。
 3.第四部の「原発問題」では二人の意見は基本的に一致しているようだが、私は賛同していない。竹田の最初の論考に原発労働者の実態が詳しく書いてあった記憶があるが、それを読んだとき(この欄には何も書かなかったはずだが)、それなら労働環境を改善すればいいだけのことで、原発自体に反対する理由にはならない、と感じたことがある。その他、二人の<反原発>文献は読んでいない。

 第二、小川榮太郎・国家の命運-安倍政権・奇跡のドキュメント(幻冬舎、2013)。
 1.p.143-4、昨年末の総選挙についてのマスコミ報道-マスコミは二大政党からの選択という「文脈を敢えて無視するかのように、『第三極』をクローズアップした。民主党三年三カ月の検証番組はなかった。自民党に政権復帰能力があるかどうかの検証もなされなかった。第三極や多党化という泡沫的な現象を追うばかりだった」。「日本のマスコミのこの二十年に及ぶ、度重なる浅薄な選挙誘導の罪、日本を毀損する深刻度において民主党政権と同格だ」。以上、基本的に同感。
 朝日新聞等の「左翼」マスコミは民主党政権に対して何と「甘く」、優しかったことだろうか。批判するにしても<叱咤激励>にあたるものがほとんどだっただろう。そして思う、いかに「政治的」新聞社・報道機関であっても<報道>業者であると自称しているかぎり、「事実」についてはさすがに真っ赤なウソは書けない。あれこれの論評でもって庇おうとしたところで、「事実」自体を変更することは(あくまで通常はだが)朝日新聞であってもできない。民主党政権にかかわる「事実」こそが、同党政権を敗北に導き、同党の解党の可能性を生じさせている。

 2.つぎの文章は、しっかりと噛みしめて読まれるべきだろう。-安倍晋三の「微妙な戦いは、我々国民一人一人が、安倍政治の軌道を絶えず正し、強い追い風で安倍の背中を押し続けない限り、不発に終わる。そして、もしそれが不発に終われば、日本は、中国の属国となってその前に這いつくばり、歴史と伝統を失い、日本人ではなく単に日本列島に生息する匿名の黄色人種になり下がるであろう。/その危機への戦慄なきあらゆる政策論は、どんな立場のものであれ、所詮平和呆けに過ぎない」(p.203)。

 3.知らなかった(大きくは報道されなかった)ので戦慄すべきことが書かれている。p.234以下。

 「事実上の発射準備」である「射撃管制用レーダーの照射」を中国海軍艦艇が行ったのは1/30で、翌月に小野寺防衛相が明らかにし抗議した。「最早挑発ではない。歴とした武力による威嚇」であることに注目すべきことは言うまでもない。問題は、以下だ。
 「
民主党政権時代にも、レーダーの照射は少なくとも二回あったが、中国を刺激するとの理由で公表しなかった」。

 小川が書くように(p.235以下)、民主党政権が続いて「その極端な対中譲歩が続いて」いれば、尖閣諸島はすでに「実効支配されていた可能性が高いのではないか」。

 小川はその理由を言う。-中国が「軍事」衝突なく施政権を奪えば、尖閣に日米安保は適用されない。「もし民主党政権が『中国を刺激するな』を合い言葉に、軍事行動なしに中国に施政権を譲ってしまえば。その段階でアメリカには防衛義務はなくなる」。
 ここでの「施政権」とは、「事実上の支配」とおそらくほぼ同義だろう。民主党政権が中国による何らかの形での尖閣上陸と実力・武力・軍事力による「実効支配」を、日本の実力組織(さしあたり、海上保安庁、自衛隊)を使って妨げようとしなかったら、かかる事態は生じていたかと思われる。小川はさらに、次のように書いている(p.237)。

 「勿論、民主党政権は口先で抗議を続けただろう。型通りの抗議を続けながら泣き寝入りを…。しかし現在の国力の差では、中国に実効支配を許したものを日本が取り返すことは至難だ」、日本は「世界の笑い者になる」。この点だけでも、「安倍政権の誕生は、間一髪だった」。

 さて、中国が強い意思をもって尖閣に上陸し「支配」しようとする状況であることが明らかになったとき、朝日新聞は、あるいは吉永小百合を含む「左翼」文化人は何と言い出すだろうか。<戦争絶対反対。上陸と一時支配を許しても、その後で中国政府に強く抗議し原状回復を求めるとともに、中国の不当性を国際世論に広く(言葉を使って)訴えればよい。ともかく、日本は武力を用いるな>、という大合唱をし始めるのではないか。かかる「売国奴」が「左翼」という輩たちでもある。

 4.この本は安倍晋三支持の立場からのもので、そうでない者には異論もあるかもしれない。だが、悲観的、絶望的気分が生じることの多い昨今では(今年に入っても程度は質的に異なるが、似たようなことはある)、奇妙に安心・楽観的気分・希望を生じさせる本だ。  

0825/三島由紀夫「文化防衛論」の一部。

 三島由紀夫「文化防衛論」の末尾(最後の一段落)は、つぎのような文章だ。「昭四三、五、五」という執筆年月日が一番最後にある。
 「私がかういうことを言ふのは、東南アジア旅行で、……、共産主義の分極化と土着化の甚だしい実例を見聞してゐるからである。時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆ーでつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治的概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。/―昭四三、五、五―」
 (初出-中央公論昭和43年7月号。決定版三島由紀夫全集第35巻p.50-51(新潮社、2003))
 <文化概念としての天皇>なる概念に拘るつもりはない。 
 「象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねない」、という41年前の三島の懸念と予想は現実化しつつあるのではないか。三島の鋭さと今現実にある虞れを、ともに強く感じる(なお、現在の「国民」が「圧倒的多数を以て」「象徴天皇制を支持」していると考えるのは、甘い認識である可能性もある)。
 「〔文化概念としての〕天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だ」、という指摘も適確だと思われる。皇太子妃バッシングに耽り、「小和田王朝」うんぬんと能天気なことを話題にする前に、「天皇」(制度)、そして「日本」の危機こそが深刻に意識されなければならないのではないか。雅子妃殿下こそが「天皇」(制度)と「日本」の危機の一因だなどと喧伝するのは狂気の所業だ。また、皇太子妃の「公務」なるものを平気で語る知識人(らしき者)がいるのにも驚いている。
 「〔文化概念としての天皇が崩壊して、〕もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる」、という指摘も-怖ろしくも-当たっていると思われる。
 
<容共>政権のもとで、米国よりも中国(中国共産党)を選好するような政策が選択されれば、その行き着くところは、<容共>政策のために「利用される」かぎりでの(中国共産党にとって少なくとも邪魔にならない)「天皇」(制度)が残るか、現憲法上の「天皇」条項が国会議員の2/3以上の発議によって国民投票にもとづき削除されるか、ではないか。
 この懸念・憂慮は、まっくの杞憂だとは思えない。心ある日本国民は、現実を深刻に受けとめる必要がある。

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0812/月刊WiLL-トチ狂った政治・時代感覚と「使い回し」以上のひどさ。

 一 サピオ10/14・21号(小学館)の小林よしのり「天皇論・追撃篇-『WiLL』の雅子妃バッシングの病理」は、月刊WiLL編集長・花田紀凱とともに西尾幹二も批判していて、西尾幹二・橋本明・保阪正康の三人を<「秋篠宮を次の天皇に」と主張する「国民主権」トリオ>と称する(p.70)。
 皇太子・同妃問題での西尾幹二の論調をこの欄で批判したことはある。小林よしのりは大?雑誌上での正面からの批判で、勇気がある。
 二 上の小林よしのりのものを見て(読んで)いて思い出した。
 月刊WiLL10月号(ワック)は8/30の衆院選投票日の直前に発行されている。その10月号の背表紙は「総力特集・民主政権で日本沈没!」だが、表紙および目次の右端に最重要なもののごとく掲げられているのは、橋本明=西尾幹二「特別対談/雅子妃のご病気と小和田王朝」だった。
 じつは、アホらしくて、この「特別対談」なるものを読まなかったし、今でも読んでいない。
 今感じているのは、衆院選投票日直前に発行の雑誌の表紙・目次の右端に並べたテーマが「雅子妃…小和田王朝」だったという、月刊WiLL、そして編集長・花田紀凱の政治的・時代的センスのなさ、だ。よりにもよって衆院選投票日直前に「…小和田王朝」を右の第一に持ってくることはないだろう。
 それにもう一度見てみると、背表紙は「総力特集・民主政権で日本沈没!」だが、表紙と目次上で「特別対談/雅子妃のご病気と小和田王朝」の次に掲げられているのは、曽野綾子「麻生総理の卑怯な靖国発言」。
 曽野綾子を批判しているのではない。
 衆院選投票日直前発行雑誌の表紙・目次上の第一は「雅子妃…小和田王朝」、第二は「麻生総理の卑怯な…」、だったのだ。
 この雑誌と編集長・花田紀凱は、本当に「民主政権で日本沈没!」という気持ちだったのだろうか?。
 少なくとも表紙・目次の作り方は、<トチ狂っていた>としか思えない。
 三 月刊WiLL11月号は別の意味で奇妙で、問題がある。
 小さなことから言えば、民主党または民主党中心政権批判ではなく、背表紙を「総力特集/独裁者・小沢一郎徹底解剖!」として、民主党(・同政権)全般ではなく(10月号で済ませたつもりか?)もっぱら小沢一郎のみに焦点を当てている。
 上のことはまぁよいとしても、次の点は異様であり、出版倫理の観点からも問題がある、と考える。
 すなわち、表紙および目次上に小沢一郎「徹底解剖」の論文(文章)を右から6つ並べているが(執筆者は順に、森田実・石原慎太郎・北野弘久・松田賢弥・中西輝政・阿比留瑠比)、それらのうち、新規の文章と見られるのは森田実のもののみで、本文部分を実際に見ると、残り5つはすべて月刊WiLL上に過去に掲載されたものの「再録」だ(石原のものから順に、07.05、07.12、09.05、07.11、09.05からのもの)。また、中西輝政・阿比留瑠比のものは全部の「再録」ではなく「抜粋」。
 「抜粋」であろうと全部の「再録」であろうと、過去に同じ雑誌に掲載されたものであることに変わりはない。
 上の旨は、表紙にも目次にも明記されていない。本文へと頁を捲って初めて明らかになる。
 二年前のものを含む文章のタイトルをそのまま記憶している読者は少ないだろう。そして、上の5つはこの11月号のために新しく執筆されたものだと想定して購入した人々がほとんどだろう。
 私自身、とくに中西輝政が今の時期にどういう論評をするかに関心を持ったが、見事に裏切られて、中西の文章はすでに読んだことのあった2年ほど前の文章の「抜粋」だった。
 これは一種の<不当表示>にあたるもので、雑誌の消費者としての読者を瞞着する、詐欺のようなものではないか。
 表紙の面積の半分、目次の1/3ほどを占めるタイトル・執筆者表示のうち、5/6は、「抜粋」を含む「再録」なのだ。
 これは、いったん商品として販売したのと全く同じものを、既に購入した者に対しても(そのことをほとんど隠したまま)もう一度販売しようとすることに等しい、と思われる。
 いつか、<使い回し>という言葉が流行した。月刊Willと編集長・花田紀凱がしたことは(さすがに雑誌の全部ではないが)、重要部分の<使い回し>なのではないか。
 いや、<使い回し>とは、前の客が食べずに、きれいに?そのまま残っているものを次の客に提供することで、次の客にとっては初めての(主観的には)新しい料理だとすると、月刊WiLLと編集長・花田紀凱がしたことは<使い回し>よりもひどいことなのではないか。
 堂々と表紙・目次上に<再録>と明記すべきだ。
 出版業と読者の関係が、新設の消費者庁の「消費者行政」の対象になるかどうかは知らない。概念的・理論的にはなりそうだが(雑誌販売も商品の消費者に対する販売だ)、出版・表現にかかわる商品を実際に消費者庁(・消費者センター類)が扱うとは思えない。
 だが、最低、出版<倫理>の観点からは問題になるのではないか。
 余程原稿が集まらないのか、原稿執筆者が見つからないのか、そして「再録」して、ある
程度の分量にしないと定価分だけの「量」の文章を掲載できないのか、内情はもちろん知らない。
 だが、月刊WiLLはどうやらまともな雑誌ではない、トータルにそうだとは言わないが、部分的には又は一面については、そう感じている。

0789/朝日新聞系出版社と「共闘」する月刊WiLL・花田紀凱。週刊文春8/13・20号の友納尚子は違う。

 週刊文春8/13・20号(文藝春秋)に友納尚子「『離婚・別居・廃太子』論・皇太子と雅子さまは何を思われたのか」という文章がある(p.168-171)。
 これで初めて知ったが、橋本明は月刊WiLL9月号(ワック)で初めて<廃太子>論を述べたのではなく、橋本明・平成皇室論-次の御代にむけて(朝日新聞出版、2009)という本を出している。月刊WiLLの彼の文章はこの本のいわば要約・反復あるいは<ついで>の作品だったようだ。
 友納はこの橋本明の議論を批判している。すべてに言及しないが、例えば、①「根本的にいえる」のは橋本には「精神疾患に対する知識と理解が足りないのではないか」、②橋本は天皇・皇后<一体>論(この名称は私による)を説くが、それならば、皇太子ご夫妻は「多くの場合おひとりで公務にのぞまれた昭和天皇と、香淳皇后のあり方を否定したというのだろうか」。
 そしてタイトルに見られるように、皇太子・同妃両殿下に対して友納は同情的だ。西尾幹二も述べなかった(西尾は基本的には<離婚>論だろう)<廃太子>論を含む議論を明言する著書が出版されていること、そしてその内容を両殿下が全くお知りにならないとは考え難い。こんな本と議論の存在を知って、両殿下、そして今上天皇・皇后両陛下のご心情はいかばかりか。
 ついでに書いておくと、昨年に八木秀次が述べた(少なくとも示唆した)のは現皇太子の皇位継承不適格論で、直接の(現時点での)<廃太子>論とは少し異なる。中西輝政が述べたのは現皇太子妃殿下の皇后就位疑問論で、やはり現皇太子についての<廃太子>論とは同一ではない。
 だが、月刊WiLL(ワック)の編集長・花田紀凱は当然にこの友納尚子記事に不満なようで、産経新聞8/08の週一連載「週刊誌ウォッチング」を利用して「雅子妃べったりが目に余る」と述べる。そして、問題意識や結論が彼と同じらしい週刊新潮8/13・20号(新潮社)の記事については紹介するだけで、批判的コメントはない。
 「細かいことだが」として、花田紀凱はこう結ぶ。「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている。『文春』が『離婚・別居・廃太子』と順番を変えたのは何か意図があるのか」。
 以下は上の点よりは細かいこととは思えないので、指摘しておこう。花田の述べるとおり「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている」のだとすれば、花田紀凱が編集長の月刊WiLL9月号(ワック)の橋本明の文章のタイトルは、いったいなぜ、「『廃太子』を国民的議論に」になっているのか。この点に編集長・花田の意向が全く働いていないとは言い難いように思われる。内容的にも橋本は「別居、離婚、廃太子」に触れているが、なぜタイトルは「『廃太子』を国民的議論に」なのか
 花田紀凱によるこの簡略化には「何か意図があるのか」。
 ところで最後に、橋本明の上の本の出版元は掲記のとおり朝日新聞出版。これは元は朝日新聞社の一部(出版関係)だったものが別会社になったもので、週刊朝日アエラは現在は朝日新聞社ではなく朝日新聞出版によって刊行されている。また、<朝日新書>シリーズも朝日新聞社ではなく、この朝日新聞出版が発行元だ。
 本多勝一・中国の旅(朝日文庫)等々の明瞭な「左翼・反日」本も、現在はこの朝日新聞出版が発行しつづけている。
 ついでに書くと、朝日新聞出版のウェブサイトのトップには朝日新書等の執筆者だからだろう、「保阪正康さんサイン会」、「姜尚中サイン会」の案内へのリンクもある。
 上でほとんど明らかなように朝日新聞出版とは実質的に朝日新聞社と同一で、かつ明瞭な「左翼」出版社だ。新潮社や(株)文藝春秋が「左翼」から「保守」までかなり幅広く出版しているのとは異なる。
 そんな出版社が刊行・発売する本を書いた者に月刊WiLLは同様の内容の原稿執筆を依頼した。<反雅子妃殿下>において、少なくとも皇室に混乱をもち込む又は混乱を過大にする目的において、月刊WiLL・花田紀凱と朝日新聞社は<共闘>していると評してよい。
 月刊WiLLと朝日新聞系出版社発行の本の一つは同じ論調だ-この指摘を花田紀凱は否定できないだろう。正しい又は妥当な内容であれば<朝日新聞>出版の本の執筆者でも<利用>する、と釈明する他はないものと思われる。
 ともあれ、奇妙な構図だ。  

0784/「廃太子」を煽動する「極左」雑誌・月刊WiLL(花田紀凱編集長)。

 月刊WiLL9月号(ワック)が、ついに、表紙に「廃太子」という言葉を使い、それを勧めるがごとき論文を掲載した。橋本明「『廃太子』を国民的議論に」がそれで、巻頭目次欄でもこのタイトルのままだ。
 
 実際には「廃太子」のみを論じているのではなく、皇太子妃殿下の「現状」からして、次の選択肢があると考えているようだ(p.39-)。
 第一は、別居して雅子妃殿下が徹底的に治療し、健康を取り戻す。第二は、離婚。第三が「廃太子」で、これは「秋篠宮を皇位継承第一位にする方策」を同時に意味する。
 というわけで現在の皇太子殿下の「廃太子」のみを「国民的議論に」と主張しているわけではないが、「廃太子」をも明確に視野に入れてその可能性を論じている点で刮目されるべきであり、かつ憂慮される。
 現皇室典範3条は「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」と定める。
 すでに立太子を済ませ、皇太子=皇位継承第一位順位者となっている現在の皇太子殿下の「廃太子」には、「精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」という要件の充足が必要であり、その旨の皇室会議の認定が必要だ。
 橋本明によると所功がサンデー毎日(毎日新聞社)7/26号に書いているようだが、所功が言うように、皇太子妃殿下の病気その他の事情が、皇太子殿下自身についての、「精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」に該当するはずがない。この規定を無視するということは、法律(皇室典範)を無視することであり、法律違反措置を積極的に提唱しているに等しい。
 この弱点を薄めるために、あるいは離婚若しくは「廃太子」論を展開するために橋本明が採っているのは、いわば天皇・皇后お二人の<一体論>だ。いわく、「お一人のうち一人が欠けても成り立たないほど二人が一人になったかと見まがう姿」を国民は見てきたが、「これが戦後の皇室のあり方」ではないか。
 「戦後の皇室のあり方」を、憲法・法律を無視して勝手に決めるな、と言いたい。戦後まだ二代目の天皇・皇后にすぎない。
 皇太子妃殿下、さらには皇后陛下のご病気、あるいは宮中祭祀への不参加すら、皇太子や天皇の地位を脅かすものでは全くない。
 「お一人のうち一人が欠けても成り立たないほど二人が一人になったかと見まがう姿」はほほえましいし、望ましいかもしれないが、皇室あるいは天皇についての絶対的な慣習や要件ではない。例えば、戦後の昭和天皇の<地方巡幸>はおそらくほとんどが天皇陛下お一人でなされ、当時の皇后陛下は同行されていない筈だ。天皇および皇嗣としての皇太子と、皇后または皇太子妃を一体のものとして混同してはならない。
 橋本明は<狂った>ことも述べている。すなわち、現皇太子殿下、「秋篠宮さま、黒田清子さま」の「三人」で、「皇位継承についてもどのような方法が一番良いのか…話し合って頂き」、「答えが出たら天皇〔今上天皇陛下〕に判断を仰ぐ」、「これが本当にベスト」だ(p.41)。
 「天皇陛下の御学友」、元共同通信社記者・幹部だったという橋本明は、上のようなことを書いて恥ずかしくないのだろうか。そして皇室にとってもきわめて<危険な>主張であると感じないのだろうか。
 橋本明は皇位継承者について要するに、<今上天皇の子どもたちで話し合え、結論が出れば今上天皇に申し出て判断を仰げ>と言っているのだ。馬鹿馬鹿しい。
 <今上天皇の子どもたち>のうち誰がどのようにして<話し合い>を主導するのかよく分からないが、彼らの「答え」に今上天皇は拘束されるのか、それとも別のご「判断」もありうるのか。
 橋本は実質的には「答え」を尊重されるだろうとのニュアンスで書いているが、論理的にはむろん、<今上天皇の子どもたち>と<今上陛下>のお考えが異なることはありうる。こんなこと、誰でも想定することができる。
 上のような問題は本質的疑問では全くない。
 橋本の議論は、皇室典範を、そして少なくとも明治以降の皇位継承ルールを全く無視している。
 江戸時代以前も含めて、次期天皇=皇位継承者を前天皇が個人的に(好みで)決めたり、複数の皇位継承適格者(?)の「話し合い」で実質的に決めたりすれば、皇室内に混乱が生じ、ひいては国政全体にも悪い影響を与えることは、歴史的にも明らかだろう。
 現皇室典範2条は皇位継承順序につき、以下のように定める(/は改行)。
 「①皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
 一 皇長子/ 二 皇長孫/ 三 その他の皇長子の子孫/ 四 皇次子及びその子孫/ 五 その他の皇子孫/ 六 皇兄弟及びその子孫/ 七 皇伯叔父及びその子孫
 ②前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
 ③前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする」。
 橋本のいう「国民的議論」がこの条項の改正の議論を意味しているとすれば、それは論理的には成り立つ。だが、詳論はしないが、この諸規定はきちんと遵守していった方がよい(「皇族」の範囲に関する議論は必要だ)。
 また、「この条項の改正の議論」を含まざるをえない「国民的議論」を、と主張しながら、改正案を示すことなく、ときどきの天皇やその親王(・内親王?)たちの「判断」や「話し合い」に委ねよ、としか主張しない橋本はきわめて無責任だ。さらに、皇室問題に関連してルールなきアド・ホックな判断の余地を大幅に認めようとする点で、皇室・皇位継承問題を混乱に陥れる危険な主張をしている。
 皇室・皇位継承問題が<混乱>して喜ぶのは誰か。皇位の安定的継承がなされないことを喜ぶのは誰か。日本国内の、日本国民の中の「左翼」または<天皇制度解体論者>であり、日本から<日本的な(日本のナショナルな)>要素が欠落していくことを望む一部の外国だろう。
 この問題に関するかぎり、月刊WiLL(ワック、花田紀凱編集長)は、今のところは表立った主張を声高にはまだしていない<天皇制度解体(廃止)論者>と同じ「極左」の位置にいる。 

0725/西尾幹二は何故、「左翼」週刊朝日1/16号に寄稿して、皇太子ご夫妻を批判したのか。

 大まかな記憶では昨年の4~6月頃に西尾幹二の皇室(とくに現皇太子妃殿下)論に言及したのち、昨秋以降のこの問題に関する西尾の諸発言は(読んでも)この欄では触れないできた。
 前回に再び言及してしまったので、さらに続ける。
 西尾幹二は、週刊朝日1/16号(朝日新聞出版)の<天皇陛下と美智子さまの20年>との特集の中に、「ご自覚欠ける皇太子ご夫妻・『民を思う心』をお持ち下さい」と題する文章を寄せている。
 ここでは批判(諫言)の対象の中心は雅子妃殿下(・小和田家)ではなく、「皇太子ご夫妻」になっている。そして西尾は昨年来、「皇太子殿下と雅子殿下に皇族としてのご自覚が欠けているのではないか、天皇制度そのものが傷ついているのではないかと問題提起した」とも書いている(p.22)。
 この部分での問題は、「皇族としてのご自覚が欠けている」とする、その根拠・材料の真否にあるだろう。歴史上もいろいろな皇太子妃殿下(・皇后陛下)がおられた筈で、雅子妃殿下の、西尾が言うような宮中祭祀へのご態度などは、「天皇制度そのもの」にとっては些末な問題だと私は理解している。現皇太子殿下が宮中祭祀に粗雑に対応されているとは、西尾も語っていないはずだ。
 また、西尾幹二は、羽毛田宮内庁長官の「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論があることによって」、「両陛下が深く傷つけられた」という指摘は、「妃殿下を弁護する論者に対する批判」であり、「形を変えた妃殿下に対する明確な批判」だ、と「私はみています」と述べている(p.22)。
 この叙述又は論理はおかしいのではないか。<左翼・反日分子>たる「妃殿下にとって」、特有の日本文化の象徴・継承者である「皇室そのものがストレス」なので宮中祭祀へのご参加・同席も熱心ではなくなっている、とするのが、雅子妃殿下に対する批判者たちの<論旨>ではないのか。
 前回も書いたように、そうだとすると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」を提起しているのは西尾幹二らであり、そうした「論」によって「両陛下」を「深く傷つけ」ているのは、西尾ら自身ではないのか。
 西尾によると、「妃殿下にとって皇室そのものがストレス」等とする「論」が出現していることの原因は「元をただせば」、雅子妃殿下の「公務と祭祀の長期ご欠席」が「様々な憶測を呼んでいる」ことで、皇太子殿下こそが両陛下に「謝罪の意を伝えるべき」なのだそうだ(p.23)。雅子妃殿下こそが「論」発生の元凶、というわけだ。
 だが、これもおかしい。「様々な憶測を呼んでいる」と西尾は書くが、客観的な事実だと誰もが認めているわけでもないデータを提出したり推測を語ったりして「憶測」をし、かつ、<左翼・反日分子>が<獅子身中の「虫」>になっているとほぼ断定するかのような書き方をしてきたのは、西尾ら自身なのではないか。
 「様々な憶測」をし、勝手な(部分を少なくとも含む)主張をしている者たちの側には、両陛下のご心痛に対して、いかなる責任もないのか
 西尾は最後に言う-「妃殿下の問題一つをとっても、両殿下には『公』の自覚がなさすぎます」。「今のうちに、どうかご姿勢をお改めになるよう努力して下さい」(p.23)。
 問題は、前者のように簡単に<断定>してしまってよいのか、だ。また、最後の一文については、皇太子ご夫妻に対して「…努力して下さい」と小学校の教師の言の如き書き方がなされていることに驚く。せめて、<…ご努力をお願いしたい>くらいにはならないものか。
 私自身の皇室の方々への言葉遣いにも多数の問題があるだろう。何しろ、学校・家庭で、そんなことは教育されずに育ってきた。だが、<愛国・忠君>?の筈の西尾幹二ならば、教師が生徒に、あるいは先輩が後輩に諭すような言葉遣いは慎むべきではないのか。言葉遣いは必ずしも本質的問題ではないとは思うが、西尾幹二の、皇室又は皇太子ご夫妻に対する叙述には、ある種の<冷たさ>を感じるところがある。
 あらためて観て確認はしないが、4/05のテレビ番組の中でも、皇太子殿下に対して、一般人に対するのと全く同様の言葉遣いがなされていたことがあり、一瞬驚きを感じた。
 ところで、これまた正確な内容を確認はしないが、西尾幹二は、文藝春秋は(月刊文藝春秋も(株)文藝春秋)も)立場が明確ではない、<左翼>に引き摺られているのではないか、との旨の論考を何かに書いていた。
 今回取り上げた西尾の文章は、文藝春秋とは異なって明確に「左翼」の朝日新聞系会社(子会社)の出版する週刊誌に掲載されている。しかも、西尾が望んだことではないとしても、「20の証言」の中でただ一つ別枠(罫線囲い込み)の扱いを受けており、かつ、表紙の「週刊朝日」の文字の上に、「西尾幹二」とその文章のタイトルが(他の19名とは異なり)特記されている
 このような特別扱いを朝日新聞系週刊誌によって受けたこと、さらにはそもそも「左翼」系週刊誌に(依頼を受けてだろうが)執筆したことを、西尾幹二はどう考えているのだろうか。
 20名の文章のうち皇太子ご夫妻を批判するのは西尾幹二ただ一人だ。西尾は、朝日新聞的な、どちらかと言うと「左翼」的な読者が多いとも推察される週刊誌に執筆して、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、と考えたのかもしれない。
 だが、西尾幹二は文藝春秋以上に朝日新聞を嫌ってきたはずだ。これまでの経緯は、むしろ<天敵>どおしであったのではないか。だとすると、西尾が週刊朝日による執筆依頼を拒否しても、何ら不思議ではなかった、と思われる。
 何故、週刊朝日に「保守」論客・西尾幹二が登場するのか(曾野綾子らも同じ号に書いてはいるが…)、奇妙でなくはない。
 そして、西尾の主観的な気持ちが、上記のように、「左翼」的な者たちにも支持を拡げたい、自らの問題提起を知ってほしい、ということだったとしても、客観的には、西尾幹二は「左翼」と手を組んで皇室内に<混乱>を生じさせようとしている(又は拡大しようとしている)、という疑念を生じさせても、即時に一笑に付されるようなものではない、と考えられる。
 また、週刊朝日編集部の側が西尾幹二の名を「利用」しようとした、との疑いには、より十分な理由があるようにも思われる。
 70歳を超えてまだまだ髙い知的水準を維持しておられるようである西尾幹二には、別の方面でもっと活躍していただきたい、と願っている。同・私の昭和史(新潮社)も早く完結させていただきたい。

0580/八木秀次は客観的には刑法第230条又は第231条に違反する「犯罪者」ではないか。

 戦前の不敬罪や現憲法下でも存立の余地があるとの議論がある象徴(天皇)侮辱罪や皇族(皇室)侮辱罪にいつぞや触れた。
 現法制のもとで法的に又は法論理的にある可能性は、一般国民について適用のありうる<名誉毀損罪>又は<侮辱罪>を皇族個人に対する<名誉毀損>・<侮辱>について適用することだ。
 (現行)刑法第230条と第230条の2は次のように定める。
 「第230条(名誉毀損)
 1
 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀 [き]損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。」
 第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
 
 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
 3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」
 これらによると、天皇・皇族関係発言や記事のほとんどは「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める」場合に該当するとされるだろうから、「真実であることの証明があったとき」にのみ加罰性がない、ということになる。
 侮辱罪に関する規定はもっと簡単だ。 

 「第231条(侮辱) 
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。」
 これら名誉毀損罪・侮辱罪によって保護される利益の主体の中に少なくとも「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」が含まれることは、次の条文によっても明らかだ。
 「第232条 (親告罪)
 1 この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
 2 告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う。」
 <天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>以外の皇族の場合は当該皇族(皇太子妃を含む)個人が「告訴」することが可能だと解される。上の規定は内閣総理大臣等による代理告訴に関する規定であり、上記特定の皇族以外の皇族の個人的・人格的利益が保護されようとはしていない(=名誉毀損や侮辱の対象にはならない)、とは解されない。
 もちろん(代理を含む)告訴には事前の警察・検察との調整が必要だろうし、内閣総理大臣の<政治的>判断も必要なので、戦後ずっとそうだったと思われるが、<天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>を含む皇族に対する「名誉毀損」や「侮辱」について告訴がなされることは今後もないだろう。皇室関係の文章を書いている文筆家(売文業者を含む)や関係雑誌・書物を出版する出版社は、そのような知識くらいはもって、執筆し出版しているのだと考えられる。
 だが、現実に告訴される可能性がないからといって、皇室について何を書いてもよいというわけではないことは、すでに示唆したとおりだ。良心・良識感覚による自律が必要になってくる。
 上のようなことをふまえて再度話題にするが、諸君!7月号(文藝春秋)誌上での次の八木秀次の文章はどう評価されるべきなのだろうか(p.262)。
 「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 「皇位継承順序を変える」ということは文脈上明らかに現皇太子から(その「皇嗣」性を否定して)別の方に「皇位継承順序」を移すことを意味する。これは、現皇太子は皇位継承適格性を欠いていると言っているに等しい。将来の「天皇」適格性を否定している(遠慮して書いても、疑問視している)、と言っても同じだ。
 しかして、その根拠は? 
八木秀次は刑法第230条の2の第一項又は第三項にいう、「真実であることの証明」をすることができるのか。
 便宜的に八木秀次に限っておくが、同誌上の中西輝政の文章も現皇太子妃殿下に対する「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的には当たる可能性が高い。
 勝手な推測だが、西尾幹二の現皇太子・現皇太子妃両殿下に対する月刊WiLL(ワック)誌上での論調が後になればなるほど、厳しくなくなっている(いちおうはすべて一読している)のは、基礎的な事実の認定が不十分な中で(いかに皇室の将来を憂慮しての心情からであっても)特定の皇族個人を非難するのは「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的に当たる可能性があり、皇室・宮内庁等が<法的>問題化する可能性が100%ないわけではない、ということを誰かにアドバイスされたからではないだろうか。
 別のことをついでに書いておくが、<世すぎのための保守>派、<稼ぐための保守>派、<生活のための保守>派(「派」には文章書き等の個人も編集者・出版社も含む)、には嘔吐が出る。<左翼>についてと同様に。
 いかなる「政治的」組織・団体とも無関係の私にはいかなる義務も責任もない。当然に、一円の収入にもならないこのブログへの記入も含めて。

0559/八木秀次とは何者か・5-現皇太子皇位継承不適格論の主張者。

 一 八木秀次は、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」と書き、続けて、皇室典範3条の「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」という定めのうちの「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしないこと」は該当する、という法解釈を示した。
 この八木の指摘については、すでに何回か言及した。
 ここでは、あらためてその論理の杜撰さを、より詳しく述べる。
 二 1 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)で、八木はまず、こう言っている。
 皇太子「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあるという説にはそれなりに信憑性があるのは事実です…」(p.205)。
 皇太子妃殿下が数年にわたって宮中祭祀に<陪席>しておられないのは、皇太子殿下のご発言等から見て事実のようだ。また、妃殿下の心身または体調にすぐれないところがあることも事実のようだ。
 だが、上の如く、八木もまた、「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にある」とは断定的には認定していない。あくまで、「それなりに信憑性がある」とだけ自ら述べている。「それなりに信憑性がある」とは、厳密には<たぶん>・<おそらく>の類の推測・憶測であり、その程度が高い方に属する(と判断されている)場合に使われる表現だと思われる。
 2 ところが、「遠からぬ将来に……祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」という「皇室の本質に関わる問題が浮上…」と八木が書くとき、「それなりに信憑性がある」ということが、断定的事実へといつのまにか発展・転換している。「祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」との表現は、現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられるということを疑い得ない事実として前提にしている。
 ここに、八木の論理の杜撰さ・いい加減さ、あるいは論理の<飛躍>の第一点がある。
 三 以上のことは、現皇太子妃殿下に関する事柄で、皇太子殿下ご自身に関する事柄ではない。にもかかわらず、八木は、将来における「祭祀に違和感をもつ皇后」の誕生と「祭祀をしない天皇」の誕生とを何故か同一視しているようだ。
 「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生…」というふうに使い分けている、同一視していないとの反論がありうるが、これは当たっていない。
 何故なら、八木はその直後に、皇太子妃ではなく皇太子にのみ関係する、「皇位継承の順序を変えることができる」要件の解釈について語っているからだ。
 現在、皇太子殿下が皇位継承の第一順位者であることは言うまでもない。八木は現皇室典範に従って論じようとしているので―現皇室典範の有効性や合理性を疑う論者もありうるので、その場合は別の議論の仕方をする必要があるが―、現皇室典範の関係規定を引用しておく。
 皇室典範第2条第1項「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。一 皇長子 二 皇長孫 …<略>」
 皇室典範第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。…」
 1 つまり、八木はいつのまにか、皇太子妃殿下の「祭祀」への「違和感」問題を皇太子の<皇位継承適格性>問題へとを発展させている。ここには見逃すことのできない、大きくは第二の、論理の杜撰さがあり、論理の<飛躍>がある。
 「祭祀をしない」ことが、「皇位継承の順序を変えることができる」要件に該当するかを論じるためには、そもそも現皇太子が「祭祀をしない」天皇になるのかどうかを認定していなければならない筈だが、このキー・ポイントを八木は脱落させている。
 八木の頭の中を想像すると、現皇太子妃殿下は「祭祀に違和感をも」っており、「祭祀に違和感をもつ」皇后が「誕生する」という問題があり、そのことは同時に、皇太子妃殿下=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」こと、つまり「祭祀をしない天皇」の誕生につながる、というのだろう。
 だが、どう考えても、上の論理には無理がある。かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 皇太子妃ではなく皇太子殿下については、宮中祭祀に長期間列席されていないとの情報はない、と思われる。
 現皇太子が「祭祀に違和感をも」ち、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実であって初めて、皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変える」可能性の要件該当性を論じることができる筈だ。
 しかるに八木は、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実だとする根拠を何も示していない。皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられる、という100%事実だと認定されてもいないことを(自ら「それなりに信憑性がある」とだけしか述べていないことを)、根拠らしきものとして挙げているだけだ。
 ここにはきわめて重大な論理の<飛躍>がある。むろん、きわめて杜撰な思考回路が示されてもいる。
 再び書くが、かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 ことは皇位継承適格にもかかわるきわめて重大な問題だ。天皇家を、あるいは皇位というものを、大切に考えている筈の八木秀次は、なぜこんな無茶苦茶なことを言い出しているのか。現皇太子、皇位継承第一順位者、将来天皇になられる(皇位を継承される)蓋然性がきわめて高い御方に対して、きわめて失礼・非礼なのではないか。
 2 さらに厳密に考えると、宮中祭祀の少なくとも重要部分の主宰者は天皇ご自身であり、皇太子でも皇后でもない、ましてや皇太子妃でもない、とすれば、現皇太子が天皇として「祭祀をしない」か否かは、現皇太子が皇位を継承されて天皇におなりになって初めて判明することだと思われる。
 そもそも皇太子でいらっしゃる段階で「祭祀をしない天皇」になると断定することはできないし、その蓋然性・可能性を想定することも厳密にはできない。消極的な予想してもよいのかもしれないが、しかし、現皇太子は天皇になられて、宮中祭祀を立派に行われるだろう、と私は想像・推定している。現皇太子が「祭祀をしない天皇」になると、少なくともその可能性が高いと、何故、いかなる理由をもって八木は主張するのか。
 三 上のような諸点がクリアされないかぎりは、そもそも、「祭祀をしないこと」は皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変えることができる」要件の一つとしての「皇嗣に…重大な事故があるとき」に該当するかどうかを論じようとしても、全く無意味なことだ。
 にもかかわらず、八木はこの問題にもさらに踏み込んで、<該当する>と結論的判断を示してしまっている。ここに、論理の杜撰さ、<飛躍>の大きな第三点がある。
 相当にヒドい論理の<飛躍>だ。
 上記のように、①宮中祭祀にとって天皇こそが本質的・不可欠で、皇太子といえども<付き添い>者・<陪席>者であるにとどまるとすれば-但し、たぶん失礼な言葉になるが、実質的には将来に備えての<勉強>・<見習い>という要素が皇太子についてはあるものと思われる-「皇嗣」(皇室典範3条)の段階ではまだ「祭祀をしない」天皇になられるか否かは分からないのだ。
 ②「祭祀をしない」天皇になられるだろうとの予測をかりに関係者(とくに皇室会議構成員)ほぼ全員がもつようになってはじめて、ギリギリ皇室典範3条の問題になりそうに見えるが、現状はそのような状況にはない。皇太子殿下は、現況において、宮中祭祀を<欠席>されていることは基本的にはないはずだ。
 ③反復になるが、皇太子妃(将来の皇后予定者)が「祭祀に違和感をもつ」か否かは、皇太子=皇嗣の宮中祭祀への対応の問題とは別の問題だ。この二つを八木は何とか、レトリック又は<雰囲気>で結びつけようとしている(そこで論理の杜撰さが露わになり、論理の<飛躍>を必要とするに至っている)。
 宮中祭祀が基本的には天皇ご一身の行為であるかぎり、現皇太子=将来の天皇の祭祀行為への積極的対応と、皇太子が現皇太子妃=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)こととは、何ら矛盾しない。
 竹田恒泰いわく-皇太子妃殿下が皇后になられたときにまだご病気であれば、「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 西尾幹二、中西輝政とともに八木秀次は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
 皇室に入ってきた<獅子身中の虫>=<左翼>を排除するため、という正義感に燃えて、八木は今回冒頭に引用のことを書いたのかもしれない。しかし、主観的善意が適切な具体的主張につながる保障はむろん全くない。
 八木秀次が、皇太子妃の現状を批判的に問題にし、それを飛躍・発展させて現皇太子の皇位継承適格性を否定することまで明言したことは、皇室に関する混乱が発生し拡大することを喜ぶ<天皇制度解体論者>をほくそ笑ましただろう。そのかぎりで、八木は<保守的「左翼」>とも、<底の浅い保守>とも評されうる。そのくらいのインパクトのある文章を月刊・諸君!7月号に書いてしまった、という自覚・反省の気持ちが八木にあるのかどうか。

0552/「われらの天皇家、かくあれかし」-<批判・注文>派4と<中間>派5。

  月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の「われらの天皇家、かくあれかし」という大テーマのもとでの計56人の文章のうち、現皇太子妃(雅子妃殿下)の現況についての何らかの言及のある文章は―区別がむつかしいものもあるが―20。6/13に続いて、その内訳を瞥見する。
 2 現皇太子妃(雅子妃殿下)に対して批判的、又は皇太子・同妃ご夫妻(もしくは妃殿下との関係で皇太子)に「注文」をつけている、というようにあえて一括できそうなのは、次の4名だ(当然に、区別・分類はむつかしいものであることを繰り返しておく)。
 ①秦郁彦-「雅子妃が…美智子皇后に代わって『国母』としての」役割を果たしうるか。「お病気ならしかたがない。回復を待つしかない」という「国民の思いやりも、そろそろ限界に達しそうな気がしている」(p.243)。
 ②久能靖-雅子妃をかばう皇太子も宮中祭祀の重要性を認識しているはずで、「皇室は祈り」との美智子皇后の言葉を「重く受け止めて欲しい」(p.204)。
 なお、この久能靖は「皇室ジャーナリスト」だが、「ジャーナリスト」は比較的に皇太子等の皇族に対して<対等>の物言いをする傾向にあるのを感じた。
 例えば、皇太子妃(問題?)にとくに言及している中に含めていないが、「ジャーナリスト」との肩書きの奥野修司は、近年「戦後の民主化を象徴した筈の『開かれた皇室』が、急速に『閉ざされた皇室』に変質しはじめた」と書いている。「開かれた皇室」論を微塵も疑っていないようなのは興味深い。また、奥野の「天皇ファミリーは裸のまま、危機にさらされている」(p.194)という<客観的>な表現の仕方も、天皇家を取材(・ジャーナリズム)の対象としてしか見ていない心性を感じさせる。
 ③山内昌之-今上天皇・皇后は「『祈り』の姿勢」をもち、敬愛されている。「皇太子御夫妻」は「この『祈り』の意味と無私の価値」を「継承して欲しい」(p.265)。
 これらの②と③は、とくに③は、<批判的>ニュアンスの少ない、むしろ「期待」を示すものとして、次の<中間派>にも分類できそうだが、何らかの<不満>があるからこそこれらのような「期待」又は「注文」の文章ができている、とも読める。
 外国人の文章を取り上げる意味は疑問なしとしないが、④ケネス・ルオフ-皇太子ご夫妻にはまだ「明確な象徴性がない」。「社会的に有意義なお仕事…に努力を注ぐ道を決心なさるべきだろう」。
 以上の4名は皇太子妃(・皇太子ご夫妻)に批判的だとしても、離婚・皇后位不適格・(皇太子の)皇位継承疑問視、といった議論と結びつけているわけではない。この点で、先に記した中西輝政・八木秀次・西尾幹二のグループとは全く異なっている。
 3 <中間派>とかりに呼んでおくが、現況に<憂慮>を示しつつ皇太子妃(・皇太子)を批判するわけではない(少なくともその趣旨は感じ取れない)人々が5名いる。五十音順に記す。
 ①大原康男-「皇太子妃雅子殿下のご病気とそれに伴って聞こえてくる大内山のざわめきも気がかり」だ(p.189)。
 大原の「気がかり」のあと二つは、皇位継承者(おそらくは悠仁親王以降の)問題と(天皇の)靖国神社ご親拝問題。なお、「大内山のざわめき」という「ざわめき」という言葉に、<騒いでいる>者たちへの批判的なニュアンスを感じ取ることが不可能ではない。その点を強調すると、次の<批判者を批判する>グループに入れてもよいことになろう。
 ②佐藤愛子-皇太子妃問題は「誰が悪いのでもない。時代の変化のゆえの悲劇」だ。「時代の波に揉まれておられる」天皇陛下を「おいたわしく思う」。
 ③田久保忠衛。「雅子妃に環境を合わせるか、…現状を続けるのか、環境と御本人を分離するかのいずれかしか対処方法はない」と書いて、抽象的にせよ制度論・方法論に踏み込んでいるようである点は、西尾幹二らと共通性がある。しかし、皇太子妃に対する批判的な心情は殆ど感じられず、上の文につづけて、「胸が痛む。ましてや天皇、皇后陛下の御心痛はいかばかりか」と書く。
 また、天皇・皇后両陛下と皇太子・同妃一家に<亀裂あり>旨の宮内庁長官発言やその報道ぶりに関して、「世界に例のない日本の皇室に反対する向きはさぞかし喜んでいるだろう。『天皇制打倒』などと叫ぶ必要もなくなるから」と書き、さらに、「スキャンダルを暴くマスコミの集中攻撃」に触れて、「国の中心を寄ってたかってつぶすのか」とも記す。
 これらの後者の部分は西尾幹二らとはむしろ正反対の立場のようでもあり、むしろ次の<批判者を批判する>立場のようにも解釈できる。
 というように分類し難いところがあるが、両方を折衷して無理やり<中間派>としておく。
 ④中西進-「週刊誌の広告」に「心が痛む」。皇太子妃の夢が実現できないのは、「国民および皇室関係者が、…あいまいな皇室観の中で八方塞がりになっている」からだ(p.236、p.238)。
 ⑤松崎敏彌-「雅子さまには、一日も早く、ご体調を回復していただき、お元気な笑顔を再び見せていただきたい」(p.255)。
 4 以上。あと残りは6人。この人たちは<批判者(マスコミを含む)を批判する>というグループとして一括できると思っている。別の回に。

0550/天皇こそ、かつ天皇のみが、宮中祭祀の主体、ということについての呟き。

 昨日、「皇后や皇太子妃が(宮中祭祀に)どのように関与するかについては多様な形態の歴史があったものと推察される」と書いたが、竹田恒泰の叙述の趣旨はもっと深いところにあると理解すべきだ、と考え直した。
 昨日書いたことと矛盾はしていないが、「天皇の本質は『祭り主』」で「皇后や東宮妃の本質」はそうではない、「全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」、等の竹田恒泰の指摘は要するに、宮中祭祀の主体は<皇室>でも<皇族>でもなく、<天皇陛下ご一身>だ、ということだ。そして、天皇は「神」だとは言わないものの、天皇こそが、また天皇のみが、践祚後の大嘗祭で皇祖神と寝食を共にすること等によって、皇祖神の「神霊」と接触する(そして祈る・願う・祀る等の)資格と能力を有する者として扱われる、ということではないか、と思う。
 天皇の代わり(「代拝」等)を神職にある者=「掌典」職の者が務めることができる祭祀行為があるとしても、皇后、皇太子、皇太子妃は、いかに天皇に近い「皇室」の方々又は「皇族」であっても、宮中祭祀の主体にはなりえない、なぜなら、天皇や神官がもつような、「神霊」と接触する資格・能力がないから、ということではないか。
 従って、皇后、皇太子、皇太子妃その他の皇族が宮中祭祀に「列席」することがあっても、それは彼らも宮中祭祀を「している」のではなく、「陪席」して、あるいは「付き添って」、天皇の祭祀行為を(実際に視野に入れるかどうかは別として)<見守っている>(又は形・表面は天皇の真似をしている?)にすぎないのだろう。
 従ってまた、皇后、皇太子、皇太子妃に「宮中祭祀のお務め」なるものがある筈がない。「お務め」するのは基本的に天皇のみだ。皇后、皇太子、皇太子妃に「お務め」がかりにあるのだとすると、それは「陪席」する又は「付き添う」義務ということになるが、この義務は宮中祭祀にとって「本質的」なものではないし、また、時代によって又は人によって、この意味での義務の有無や義務履行の仕方は異なってきた、ということなのだと思われる。
 以上は私なりの現時点での理解だ。祭祀行為や神道に関する知識が不十分なことによる誤りや概念の不正確さがあるだろうが、お許しいただきたい。
 それにしても、天皇の祭祀行為について、いかに無知だったかを痛感する。また、宮中祭祀といっても多数のかつ多様なものがあるようなので、一括しての議論は避けるべきとも考え始めている(他に、宮中祭祀以外の祭祀-例えば伊勢神宮・靖国神社…-の問題もある)。
 もっとも、<保守>派を称している人々の中にも私と似たようなレベルの人はいるようだ。戦後の風潮、つまり天皇・皇室・祭祀行為への無関心・無知識の傾向は、<保守>派の論客と言われる人々にも間違いなく及んでいる。

0548/取り返しのつかない一生の蹉跌ではないか-中西輝政・八木秀次・西尾幹二。

 一 諸君!7月号の56人の文章のうち、<皇太子妃問題>に言及しているのは20。うち、天皇制度自体に批判的と見られるのは、原武史、森暢平の2つ。
 二 以下は、前回のつづき。
 皇太子妃(雅子妃殿下)を批判・攻撃し、制度上の何らかの提言までしているのが、中西輝政、八木秀次、そして西尾幹二の3人。全体の56から見ても、また20の中でも、<異様な>(少なくとも<少数派>の)見解だ。
 私的に内々にご意見申し上げる、というのとは全く異なり、月刊雑誌を利用して、<世論>の一部として現皇太子妃等に圧力を加えていることに客観的にはなるものと思われる。主観的な善意の有無はともかく、現皇太子妃(雅子妃殿下)の心身によい影響を与えるだろうか? 攻撃だけが目的ならばそれで執筆者は目的を達しているのかもしれないが。
 1 西尾幹二は首相あて質問・要請文のスタイルで書いているが、月刊Will5月号(ワック)での文章と併せて読むと、ここに明瞭に位置づけられる。
 西尾幹二は、①小和田家が皇太子妃を「引き取るのが筋」との旨を書いた(月刊WiLL上掲p.39-40)。これは、常識的には現皇太子妃は<離婚(離縁)せよ>ということを意味するだろう。
 また、②「秋篠宮への皇統の移動」との提言も「納得がいく」と明記した(同上p.42)。
 この②は法律としての現皇室典範2条の定め(長男が最優先の皇位継承者の旨等)に反し、かつすでに所謂立太子された皇太子殿下がいらっしゃるので、同3条(皇位継承順序の変更)の要件に該当するとする「皇室会議の議」が必要となる。
 本来はこういう話題をこの欄で取り上げるのはそれこそ畏れ多いことで恐懼の至りだが、すでに月刊雑誌上で公表されている以上、このブログ欄でだけ隠しても意味がない。以下、同じ趣旨で記録に残す(すでにこの欄で一部書いたことと重複する)。
 2 中西輝政は、①現皇太子妃の「皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」と明記する(諸君!上掲p.239-240)。
 再考して、現皇太子妃の<「皇后位継承」を不可とすること>は、基本的には、皇太子殿下との離婚か、皇太子自体が天皇位を継承しないこと、によってしか実現しない。
 「離婚」は<左翼>・<フェミニスト>を喜ばせるだろう。「皇室会議の議」を要すると思われるが、皇族同士の離婚の例があるかどうかは知らない。後者の「皇太子自体が天皇位を継承しないこと」も簡単ではないことは、「秋篠宮への皇統の移動」について上に記したとおりだ。
 中西は、②「皇太子妃におかせられては、…特段のご決意をなされるようお願い申し上げたい」とも書く(p.239)。「特段のご決意」の意味・趣旨が不明だが、「宮中祭祀」に列席することか、それとも<離婚>のことなのか(後者は西尾幹二がいう小和田家による「引き取り」とほぼ同じ)。
 なお、中西は、③皇太子妃が「宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない」のが真実なら「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」(p.239)と書いて、このことを①・②の前提にしている。また、「皇族」、「平成の皇室」という語を使っているが、これらの人的範囲は明確にされていない。
 3 八木秀次は、つぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」。そして、皇室典範3条が定める皇位継承順序の変更可能な要件の一つである「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしない」ことは該当する、という解釈を示した(p.262)。
 既述のように、「皇室の本質」という場合の「皇室」の意味・範囲は明確にされていない。
 また、「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する…」というのは、いったいいかなるニュアンスを含む文章だろうか。「祭祀をしない天皇」と「祭祀に違和感をもつ皇后」とは全く意味が異なる。「いや少なくとも」という語で簡単につなげてよいものだろうか? 思考・論理の曖昧さが垣間見える気がするのだが…。
 三 以上の3人の見解は、つぎの竹田恒泰の文章が適切なものだとすると、前提自体がそもそも欠けている。
 そうだとすると、中西、八木そして西尾は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
 竹田恒泰の叙述を再掲する(月刊Will7月号(ワック))。
 ・「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。
 ・皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇
は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。
 ・「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ。

 ・東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 この竹田の理解は(上の三人のそれと比べると)より正確又はより適切なのではないか。かりにそうだとすると、西尾幹二、中西輝政、八木秀次は<いったい何を大騒ぎしているのか??>
 今上天皇による宮中祭祀の場合の美智子皇后を「標準」と考えるのは歴史的には正しくないし、明治維新以降の宮中祭祀の慣例もまた絶対に遵守すべき「皇室」のルールではないだろう。明治期以前に、もっと長い長い、天皇による祭祀の歴史があり、皇后や皇太子妃がどのように関与するかについては多様な形態の歴史があったものと推察される。

 他人事ながら、自らを恥ずかしく思わないのか、と感じるのは、中西輝政だ。中西は、「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」と書いてしまった(八木秀次もほとんど同じだが)。中西は「真実であるなら」と留保(条件・仮定)を付けたと弁明するかもしれないが、かりに「真実」だったとしても、竹田恒泰の言を信頼するかぎり、「天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題」などと大仰に言うほどの問題ではないのだ。
 
先月だったか、産経新聞に小さく、櫻井よしこが所長(理事長)の国家基本問題研究所が提言を発表したとかの報道があった。ウェブ上の情報によると、中西輝政はこの研究所の「理事」らしい。上記の諸君!特集の56人の中で中西と同じ見解とは思えない考えを書いている「理事」の遠藤浩一や「副理事長」の田久保忠衛がいるようなので、中西輝政が提案しても、上のような中西見解が、この研究所全体の提言にはならないだろう。だが、「国家基本問題」の所在を見誤ったと思われる中西は、―余計なお世話だとは思うが―「理事」を辞めてもよろしいのではないか。
 あと、15人残っている。さらに続ける。

0520/月刊WiLL7月号(ワック)、有村治子論文と竹田恒泰論文を読む。

 月刊WiLL7月号(ワック)。読んだ順に感想的コメントを付す。
 第一。有村治子「映画『靖国』騒動で戦犯とされた私」(p.249-)。稲田朋美の論稿や産経新聞の報道で概略は知っていたことだが、「表現の自由」を圧迫する政治介入をしたかの如き報道をされた本人の弁で、より詳細も知り、納得もいく。
 ①今回の悪玉報道機関は朝日新聞ではなく、共同通信だったようだが、朝日新聞はマトモだったのか? そうとも思えないが。
 ②田原総一朗は、立花隆と違い、少なくともほぼ全面的に嫌いではない。しかし、今回は映画「靖国」の李監督とともに記者会見をしたりして、みっともなかったようだ。立花隆のように<晩節まで汚す>ことのないように。
 ③出演者・被撮影者の同意を得ていない等、手続的にもヒドい映画のようだ。だが、この「騒動」で知名度・関心度が高まって無「騒動」の場合よりも儲けたとすれば、「騒動」自体が(「反日」と示唆すること自体が)作戦だったのかもしれない、と思ったりする(とすると、週刊新潮は巧く利用されたことになる)。
 ④山田和夫高橋邦夫の名を忘れないようにしよう。とくに高橋は、あるときは映画人九条の会・事務局長、あるときは映画労働組合連合会委員長。有村治子に対しても使い分けているらしい。しかも、1998年には東映労連副執行委員長として、東条英機を描いた映画「プライド」の上映を阻止すべく(=「表現の自由」を封殺すべく)「直接行動を組織化していた」。社会的には著名ではないが、こういう<左翼>がゴロゴロといるんだよねぇ(嘆息)。
 ⑤高橋邦夫と同様に、日本弁護士連合会(日弁連)日本共産党も<ご都合主義>のようだ。後者は当然だが、前者の日弁連を政治的に中立・公正な団体だと誤解してはいけない。結局はどういう弁護士たちが執行部・種々の部会を握っているかだが、「表現の自由を守れ」とだけ言って、「出演者の人権を守れ」という声が上がってこないというのだから、想像はつく(いや、とっくに知っている)。
 第二。竹田恒泰「西尾幹二さんに敢えて注〔忠?〕告します/これでは『朝敵』といわれても…」(p.30-)。
 西尾幹二の同誌5月号・6月号のものも読んでいる。率直に言って、全体として、竹田恒泰の<勝ち(優勢)>だと感じた。
 ①西尾幹二が「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」(5月号p.43)とまで書いたのにはいつか記したように些か驚いたが、「天皇制度」や「廃棄」という言葉の問題は別として、「皇室がそうなった暁には」という条件付きであり、「そうなった」とは「…皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態が現出する」ということを意味している、と読める。従って、西尾による一種のレトリックで、「皇后陛下のご病気の名において皇室は何をしてもいいし何をしなくてもいい、という身勝手な、薄明に閉ざされた異様な事態」の現出を阻止する必要がある、というのがおそらく(どちらかというと)本意だろう。従って、最後の部分の「天皇制度の廃棄に賛成する…」だけを取り出して批判するのは当を得ていないと思われる。竹田の叙述には、そのような(やや単純な読み方をしている)気配がないではない。
 ②だが、竹田に最も共感するのは、西尾幹二が皇室のことを心配し、皇太子妃(ひいてはその父親等)の言動等を問題視したい気持ちは分からなくはないが、わざわざ月刊雑誌に<公表>することはないのではないか、ということだ。
 竹田は書く。-西尾論文を読んだ読者は皇室の将来を不安視し、マスコミは皇太子批判を乱発する可能性が大きくなるが、「不安と不信」を煽り立てても事態は「良い方向に動く」ことなく、「何も解決しない」。/西尾論文の内容が大方事実ならば「直接両殿下に申し上げるべき」だ。「東宮御所に投書する」ことも可能だし、「西尾氏ほどの言論人であれば、人脈を辿って両殿下のお手元に諫言書を届けることもできた」。「公の場」・「雑誌の記事」で非難されることは「取り返しのつかない打撃」だ。しかも、両殿下は個別の記事について「ご意見」を発する、「反論する」立場にない(以上、p.32-33)。
 以上は、そのとおりではないか。西尾幹二はいったい何を一番の目的として月刊WiLL5月号論文を公表したのだろうか。
 竹田によると、西尾は自らのブログ5/01付に「当事者が読んで心を入れ換えるなんてあり得ませんから、…もうすべてが遅すぎるのかもしれません」と書いているらしい(p.33)。また、おそらく同文が月刊WiLL6月号にもある(6月号p.77)この欄の上の方では、西尾幹二は皇室のことを心配し「…異様な事態が現出する」ことを阻止したいのが(どちらかというと)本意だろう、と書いたのだが、「もうすべてが遅すぎるのかもしれません」と言っているのなら、もはや諦めており、しかも「天皇制度の廃棄に賛成する」と主張しているのと殆ど同じではないか。そうだとすると、まさに「保守派を装った」「反日左翼」(p.30)と同然になってしまう。そして、西尾は、皇室・<天皇制度>の将来を気に懸けて、というよりも、<自分(の文章)が(世間に)目立つ>ために5月号論文を書いた、と指弾されても不思議ではないことになろう。だがはたして、西尾の本意はどうなのか。
 ③竹田の論考で教えられたのは、祭祀における天皇とそれ以外の皇族との違いだ。伊勢神宮・式年遷宮あたりのことから始まって、最近は比較的に天皇・皇室・政教分離に言及することが多かったのだが、祭祀行為における天皇と皇室の区別をしないで漠然と一括して書いてきた。この点、おそらくは正確な知識をもっているだろう竹田によると、次のとおりだ。
 「宮中祭祀は重要」だ。「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だ。しかし、「それは天皇の話」で「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。/皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様。「現在の宮中三殿」でもそのように祭祀はなされている。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。/「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例がある。…幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ(p.41)。
 竹田はさらに、東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」、と言い切っている。
 ④竹田のものを読むと、立ち入らないが、たしかに西尾論文は<事実認定>が甘い。推測又は伝聞が多そうだ。「『適応障害』というのは…一種のわがまま病」といった文も、些か筆がスベり過ぎている感もある。
 また、竹田が現皇太子も立派な天皇になるだろう、と自信をもって書いているのも印象に残った。
 ⑤さて、月刊WiLL(花田紀凱編集長)、そしてワックは5月号、6月号でだいぶ売り上げを稼いだようだが、はたしてマスコミ・ジャーナリズムの一つとして西尾幹二論文の掲載はよかったのかどうか(とくに「保守派」の筈の雑誌・出版社として)。
 6月号では表紙には「総力特集・小和田一族と皇室」と打ちながら、中身を見ると「皇室」は話題にされていても「小和田一族」については全く又は殆ど言及されていない、という(私から見ると)<恥ずかしい>こともしている
 この<小和田一族>、とくに小和田恒を批判的に取り上げるくらいなら許されるし、私も関心をもつ。女系天皇となれば、その祖父となる人物だ。
 だが、朝日新聞社の「アエラ」がこの半年の間のいつかに「雅子さまへの公開質問状」という見出しで何やら書いていて(内容は見ていない)、「公開質問状」という表現自体が皇族の一人(かつ皇后になられる可能性のある方)に対してはやや非礼ではないか、と私は感じた。それ以上の「傲慢さ」・<非礼さ>を月刊WiLLの最近のいくつかの論文・座談発言には感じるのだが、花田紀凱編集長よ、いかがだろうか。売れればよい、というものではあるまい。
 これまでもそうだが今回のこのような私自身の叙述の中に、天皇・皇室に対する非礼な(丁重ではない)言葉遣いがあるだろうことは自覚している。また、ある時期以降、人名には現存の方も含めて「氏」・「さん」等を一切付けないことで統一したので、ひょっとして失礼な言い方になっているとすれば、ご海容を乞うしかない。
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