秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

白峯神宮

2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。

 連綿たる「万世一系」の126代とか言うと、きれいに?きちんと?天皇位が継承されてきたようなイメージもある。しかし、三王朝交替説に立たなくとも、いろいろな、中には血なまぐさい皇位をめぐる闘い等があったことも分かる。
 多彩なことがあった、多様な天皇がいたことの一例は、つぎだ。
 全天皇について、少なくとも薨去・崩御後にすみやかに諡号・追号が付与されたのではない(諡号は美称、追号は御所・山稜名に由来する呼称で、正確には意味が違うようだが、使い分けない)。
 少なくとも、つぎの三天皇は、明治期になって「新しく」名称が決定されている。
 1は、記紀においてすら、天皇だったことが、つまり天皇に即位していたことが、否定されいてた。 
 2・3は天皇に該当する人物だとはされていたが、公式の歴史書を含めて、固有の名称(諡号・追号)が長い間なかった。これは日本史のシロウトには喫驚すべきことだ。数字は現在の皇統譜上のもの。
 1/大友皇子→「弘文」天皇(39代)。
 天智天皇(38代)の子。母は伊賀采女宅子。正妃は天武(40代)の子の十市皇女。葛野王は子で、葛野王の孫の淡海三船は曽孫。「壬申の乱」で天武・持統(41代)側に敗北する。
 2/廃帝・淡路廃帝→「淳仁」天皇(47代)。
 天武(40代)の子の舎人親王の子、つまり天武の孫で大炊王とも。舎人親王の母は新田部皇女で持統ではない。いったん天武の子の、母は持統ではない新田部親王の子の道祖王が孝謙(46代)の皇太子とされたが、これに代わって即位した(758年)。藤原仲麻呂=恵美押勝の乱(764年)終息とともに廃位され淡路に幽閉された。翌765年に脱出先で死亡。孝謙が重祚(=称徳。48代)。
 宇治谷孟・全現代語訳/続日本紀・中(講談社学術文庫、1992)p.191の巻二十一冒頭は「廃帝・淳仁天皇(第47代)」と記しているが、後記のとおり「淳仁」諡号は明治3年のことなので、代数も含めて、明治期の皇統譜に従って記したものと思われる。
 3/九条廃帝・後廃帝→「仲恭」天皇(85代)。
 安徳天皇(81代)と二重に在位していた後鳥羽(82代)が承久の乱を起こし(1221年)、敗北後に隠岐に流刑され(死後は一時期に「顕徳院」と呼ばれたらしい)、その子土御門(83代)と順徳(84代)も、それぞれ土佐・佐渡に流刑となった。
 その順徳の子で1221年に践祚したが、在位のべ4カ月で退位。1234年に満16歳で死亡。母は九条良経の娘・立子。
 上の三天皇についての天皇「諡号」付与は、つぎの明治3年「布告」により一括してなされた。
 明治3年7月24日太政官布告<大友帝廃帝九条廃帝ニ御諡号奉上ニ付御典執行>。 
 「大友帝 弘文天皇
  廢帝  淳仁天皇
  九條廢帝 仲恭天皇
  右 三帝御諡號被爲奉候ニ付明廿三日八字於神祇官御祭典破爲行候事」。
***
 このとおりで、大友皇子以外は「天皇」だったことは認められていながら、淡路廃帝や九条廃帝(または廃帝・後廃帝)はいわば通称で、正式の「固有」名は各々1100年、650年ほどの間も存在しなかった。
 これで済ませておれたというのだから、後裔たる天皇たちや皇室の過去の天皇在位者たちに対する<崇敬>心はいかほどのものだったのかと、疑い得るのではないか。
 ちなみに、第一。3/仲恭天皇(85代)の名は「仲哀」天皇(14代。神功皇后の夫)とともに「仲」の字をもち、気のせいか痛ましい。
 第二。仲恭天皇を継いだのは後堀河天皇(86代)で、後鳥羽(82代)の実兄である守貞親王の子。その子の四条(87代)とともに、皇統は後鳥羽の系統からいったんは逸れる。
 この後堀河天皇の陵は「観音寺陵」といい、その子の四条天皇の陵は「月輪陵」内にある。前者は今熊野観音寺に距離的には近いかもしれないが、参拝道は途中まで孝明天皇の後月輪東山陵と共通しており、直進しないで途中で左に分岐する。この後堀河天皇・観音寺陵も<泉涌寺境内>と記述されることがある。後者の四条天皇陵はは文字通りかつては明瞭に泉涌寺境内にあり、のちの江戸時代の後水尾天皇らと陵の区画を共通にしている。
 この二人の陵墓が泉涌寺境内または付近に造営されたのは、文献で確かめていないが、承久の乱(変)に勝利した幕府(北条義時ら)の意向だろうと推察される。すでに存在はしていた泉涌寺境内・付近への天皇陵設置は、この後堀河・四条から始まるのだ(江戸時代は全天皇の陵がが泉涌寺「境内」の月輪陵・後月輪陵)。
 第三。2/淳仁天皇(47代)の陵は淡路島にあるようだが、現在にも京都市にある白峯神宮の祭神となって祀られている。
 白峯神宮(上京区飛鳥井町)のウェブサイトによると、この神社はもともとは陵(白峯陵という)は香川県坂出市にある崇徳天皇(崇徳院)を祀るためのもので孝明天皇の発願によるが、遺志をひきついで明治天皇が明治元年(1868年)に造営して祭神とした。そして、同6年(1874年)に淳仁天皇も「併祀」した、という。
 同ウェブサイトは「由緒-御祭神と御聖徳崇敬の意義」の中でこう明記する。-崇徳天皇は「~御非運の生涯であ」った、「~御無念の様子を偲んであまりあるものがあ」る。淳仁天皇(淡路廃帝)は「藤原仲麻呂の乱を契機に御廃位となり淡路島に御配流されて、…同島にて崩御」した。
 「当神宮は、かような歴史上御非運に会われた御二方の天皇の御神霊をお祀り申し上げております。
 しかしながら、両天皇の<中略>御聖徳はまことに偉大でありながら、かつ御無念な御生涯であられたことを悲しむものです。
 かかる場合は、後世の人々がその聖徳を偲び、御霊を慰め奉ることが大切です。」
 崇徳天皇とともに、明治になるまで固有名称すらなかった淳仁天皇がどのように意識されているかが分かるだろう。「御霊を慰め」る必要があるのだ。
 なお、①明治天皇が皇位践祚後に白峯山稜に勅使を派遣して崇徳に「謝罪」した翌日に即位式を行ったこと(8/27)、②京都の白峯神宮に「霊」が遷って親拝した翌々日に明治改元をしたこと(9/8。年頭に遡って明治となった)については、以下を参照(著者は<白峯神宮御鎮座120年史>に依拠している)。
 井沢元彦・逆説の日本史02/古代怨霊編(小学館文庫、1998/原著1994)、p.161-4。
 第四。「ちなみ」ついでに、さらに蘊蓄を傾けよう。天皇から話題が逸れていくけれども。
 白峯神宮(京都・今出川通り北)の歩いていける南西方向に晴明神社がある(堀川通り西)。安倍晴明を祭神とする神社だ。参拝者はサッカーとのゆかりもある(旧飛鳥井家宅跡の)白峯神宮とどちらが多いのだろうか。「晴明」由縁で、羽生結弦選手による絵馬か額が(手の届かない上の方に)掲示されているらしい。安倍晴明は近くの「一条戻橋」下に「式神」たちを匿っていたともされる。
 ところで、近くの阿倍王子神社の末社のように思えるが、安倍晴明神社という神社が大阪市阿倍野区にある(独自の社務所がないようだ)。祭神は名前のとおり。この辺りで生まれたとの伝承があるらしい。
 やや北方に、「阿倍野保名郵便局」という名の小さな郵便局がある。「保名」(やすな)という地名はどこにもないと思われるが、これは阿倍晴明の父親の名前だとされている。安倍晴明が生きた(らしい)時代から1000年以上経って、その名を冠する神社があり、父親の名に由来する郵便局がある。気が遠くなるような話の一つだ。
 さらについでに。阿倍王子神社の裏、安倍晴明神社の前を通っているのがかつての「熊野街道」で、現存する僅かな部分の一つらしい。地名としても残る「王子」という名も、後白河上皇等々による<熊野詣で>から由来する。
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 下は、白峯神宮(京都市上京区)、安倍晴明神社(大阪市阿倍野区)。いずれも、ネット上より。

 
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1422/美しい日本04-神社等の位置03。

 山門をくぐって、さらに何段か下った、日射しの少ない暗い参道をまっすぐ歩いたことがあった。四国八八所巡礼の82番、高松市にある根香(ねごろ)寺だ。
 もう一つ、宮崎・日南市の鵜戸神宮も、下っていくように作られている。
 バス停から少し登った所を(トンネルの方にいかないで)さらに登ると、海の方向へと下っているやや古くはなっている参道がある。
平地まで下ると神社の雰囲気が漂っているが、この神社の特徴は、さらにそのあとにあった。つまり、海に面した岩壁に作られたハシゴのような人工の石段を何度か曲がりながら行き着いたところが、岩壁中に30~40度ほど口が開いた洞窟になっていて、その中に、拝殿と本殿が収まっている。最初はぎょっとして、のちに不思議なかつ神々しいものに思えてくる。
 こんな社殿は、おそらく他にはないのではないか。
 この神社はふつうの参道自体も下向きだ。但し、波が吹き込んでくるかもしれないほどの岸壁中に貝の蓋のように開いた空間内の社殿の位置は、参道の上がり・下がりの違いという論点からはすでに離れている、独特のものだ。
 海に対して切り立った岩の中の隙間に、昔の人々はきっと、不思議さ、異様さを感じるとともに、「神」の存在を感じていたのだろう。
 例の如く余計なことを書くと、四国82番の根香寺の前の81番の札所は白峯寺で、それぞれ高松・坂出両市にまたがる五色台という丘陵の東部と西部にある(従って今では、平地から歩いて登るのはかなり厳しいようだ)。
さて、この白峯寺のすぐ近くには崇徳上皇の墓陵があり、当該墓陵独自の参道もあるが、白峯寺から簡単に行ける。墓陵の前に立つと(又はしゃがむと)石製の墓碑以外には、緑の木々しか見えない。
 竹田恒泰がひざまづいている写真を扉とする、崇徳上皇に関する本を彼が出版している。同・怨霊になった天皇(小学館、2009)。また、僧・西行も一度は実際に訪れたようで(12世紀だろう)、江戸時代に入ってからの上田秋成による雨月物語の最初の話は「白峯(しらみね)」という題。そこでは、崇徳(の霊)と西行が会話を、あるいは議論をしている。
 この会話・議論は実際のものに近いのかどうか、西行がこれについての何かの記録を残しているのかは知らない。物語では、保元の乱あたりの崇徳上皇の行動とその後の朝廷側の彼に対する措置について、崇徳と西行の間で、一種の「歴史認識」論あるいは「正義」論が交わされる。江戸時代にまで、そして雨月物語を通じて今日まで、崇徳と西行にかかわる話が残っているのは興味深いことだ。
 麓にも、崇徳が実際に流刑され隔離されて生活していた辺りに、「天皇寺」という寺があり、79番の札所だ(これを神宮寺としていたはずの神社も同じ境内かとすら思うほどに近接して存在している)。崇徳上皇と無関係なはずはない。
 京都市・今出川通り堀川東入るに、明治改元の直前に、「白峯神宮」が設置され、崇徳上皇はこの神社の祭神になった。この神社へ明治天皇や昭和天皇は、とか書き出すと、テーマから離れてしまうし、長くなりすぎる。この白峯と冠する神社自体は、楼門も拝殿・本殿も同じ平地上にあるはずだ。
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