一 この本の最終頁はp.219で、もともと長くはない。
しかし、1頁に横14行、縦36字(14×36)の504文字しか詰まらない作り方をしているので(つまり一つの活字文字が大きいので)、1頁あたりの文字数だけ比ると同年7月刊行の西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店)の2/3以下程度しかない。
したがって、かりにこれと同様の文字数を詰め込むと、最終頁のp.219というのは、じつはp.140からp.150になってしまう。厚さ・外観だけでいうと、かなりの<上げ底>だ。
二 p.212以下にある、「主要参考資料」の数の多さも目を惹く。
A<日本人著作関係>が85(冊)、B<外国人著作関係>が34(うち全て英語の原書が11)(冊)、C<論文関係ほか>が、14(件)。計、133件。かつまた、本文の内容との関係は不明なままだ。
以上は、すでに書いたことの要旨。
三 何と言っても際立つのが、ある意味では目を剥くのは、この「主要参考資料」に記載されている書物類の著者についての<差別>だ。もう少し各著者について調べてからと思っていたが、とりあえず分かることだけでも記しておこう。
すでに別のテーマの際に簡単に記したが、①西尾幹二、藤岡信勝のものは、一つもない。一冊も「参考資料」とされていない。
②これに対して、中西輝政のものは、堂々とある。
A/中西輝政・国民の文明史(2003)。
B/中西輝政・日本文明の興廃(2006)。
このうちAは、西尾幹二・国民の歴史(1999)のいわば姉妹書のようなものだ。ともに産経新聞社刊行であるとともに、末尾に「新しい歴史教科書をつくる会」の役員名簿が記載されているなど、個人著だが同時に1997年に正式発足の「つくる会」の企画?にもとづいてもいるようだ。
要するに、この会の「運動」の一つとしても位置づけられるものだったのではないか。
あらためて確認すると、「編・新しい教科書をつくる会」と、きちんと表紙に記載されていた。
同じ性質の、同じく日本の歴史全体に関する書物だ。
しかし、○中西輝政、×西尾幹二。これが歴然としている。なぜか?
C/西尾幹二=中西輝政・日本文明の主張-『国民の歴史』の衝撃(PHP、2000)。
これはどうか。西尾著の『国民の歴史』刊行の翌年の二人の対談本。内容は、中西輝政の上のA・Bに相当に重なる(主題がとの意味で、同じ文章があるとの趣旨でない)。
だが、おそらくきっと、西尾幹二の名があるからだろう。これは×。
本来のテーマから逸れるが、ここで以下を付記しておく。
2007年以降にいずれかまで、「日本会議」・椛島有三と中西輝政と関係は良好?だったようで、つぎの二つの著を確認できる。
D/小堀桂一郎=中西輝政・歴史の書換えが始まった!-コミンテルンと昭和期の真相(明成社、2007.10=<日本の息吹ブックレット>)。「日本の息吹」とは日本会議機関誌(月刊)。
E/中西輝政・日本会議編・日本人として知っておきたい皇室のこと(PHP、2008.11)。
2015年安倍内閣戦後70年談話への反応内容等、西尾幹二と中西輝政の二人は「かなり近い」と感じていたが、かつての、こうした<待遇?>の違いは、なぜ?
なお、DもEも上記椛島有三著の刊行後のもので、当然に<参考資料>には入っていない。
③西尾幹二や藤岡信勝の書物がいっさいなくて、なぜこの人等のこの著は記載されるのか、と奇妙に感じるものがある。
・加藤陽子・戦争の日本近現代史(2002)。
・田原総一朗・日本の戦争(2000)。
その他、朝日新聞社刊のつぎの二つもある。
・草柳大蔵・実録満鉄調査部/上・下(1983、朝日新聞社)。
・日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部編・太平洋戦争への道/1~7(1987、朝日新聞社)。
自分の理解・主張を支えるものだけでなく、反対のものも挙げられて当然なのだが、そうすると、<日本帝国主義>、<日本の侵略>に関する膨大な日本の「左翼」の書物を挙げる必要がある。上の4つは、椛島有三において、どういう位置づけなのか?
こんなのもある。
・佐藤優・日米開戦の真実(2006)。
記載されているつぎの本は「大東亜戦争」に関係があったのか、確かめてみたい。
・百地章・政教分離とは何か(1997)。
また、さすがに?、渡部昇一著3冊、渡部昇一編著1冊も堂々と?日本文献の最後にある。
どう書いてもはっきりしているのは、つぎのことだ。
西尾幹二、藤岡信勝の著がいっさいない。無視されている。排除されている。
もともと、多数の「参考資料」をどのように生かしたのかは定かでない、とすでに書いた。したがって、ほとんど<推薦図書>なのではないか、とも書いた。
そうすると、加藤陽子や田原総一朗の位置づけに読者としては迷うけれども。
しかし、ともあれ、西尾幹二、藤岡信勝の著がいっさいない、排除されているのは、不思議だ。そして、奇妙だ。
何らかの<意図>があるに違いない、と考えて当然だ。
<公平さ>などよりも<政治的判断>を優先する。これ自体を批判するつもりはない。「日本会議」事務総長の本なのだから。
「日本会議」事務総長の、2007年という時期の本。2007年に、何があったか?