秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

田中英道

2492/西尾幹二批判052—神話と日本青年協議会②。

 (つづき)
  西尾幹二「神話の危機」2000年10月は日本青年協議会等の会員むけの「講演」内容だから、その点には留意しておく必要がある。
 日本青年協議会の上部団体とされる〈日本会議〉は「つくる会」を追いかけるように1997年に設立され、西尾が「撹乱」や「乗っ取り」を感じるまでは、〈新しい歴史教科書をつくる会〉と〈日本会議〉は友好関係にあり、またそれ以上に、「つくる会」の運動を支え、助ける有力な団体だった、と思われる。
 西尾幹二会長にとっては、自分自身への「力強い味方」だった。
 西尾が、日本の神話の具体的内容、古事記や日本書紀の「神代」の叙述、神道や広く日本の宗教について、1996年の「つくる会」設立段階でどの程度の知識・素養があったかは疑わしい。
 同・国民の歴史(1999)でも、日本の「神話」に言及しつつ、なぜか「日本書紀」や「古事記」という言葉を用いていないし、「神話」につながる日本の王権、といった論述もしていない。
 また、日本人の「顔」を示すという仏像等の写真を多数掲載しながら、「仏教」と「神道」の違い等には何ら触れていない。
 おそらくは1999年著の上の点を意識して、再度少し広げて引用すると、2000年講演では、こう言った。論評すると長くなるので、内容に介入しない。
 「日本人にとって仏教というものは、難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在だと言えるでしょう。仏教は金色の美しい彫刻を通して、美という感性的なものとして百済からこの国に入ってきた。だから、素晴らしい仏教彫刻を残すことが出来た。それは日本人のアニミズム的な自然崇拝とつながっており、だから日本の神話と仏教信仰とは初めから何らの矛盾なく整合したのだと思います」。
 きっと、だから1999年著では「難しい宗教哲学というよりも、美を味わう存在」として仏教彫刻の写真を多数掲載した、と釈明?しているのだろう(なお、それら仏教彫刻の選定は実質的には田中英道(第二代会長)の助言が大きかったことを、田中がのちに明らかにしている。全集第18巻・国民の歴史「追補」、p.734(2017))。
 ともあれしかし、1999年著と比較すると、「神話」、天皇、「神道」に関する明瞭な論述には驚かされる。
 西尾はこう断定的に語る。自分自身が、こう「信じて」いるのだ。
 ・「日本の天皇の場合は神話の世界とも、自然とも全部つながっている。これは世界に類例がありません」。
 ・「神話」は「まっすぐ天皇制度につながっている」。「もし王権につながってこないのなら日本の神話はほとんど意味がない」。
 ・「神話が王権の根拠になっていることが、世界史の中で日本民族が自己を保っている唯一のよりどころ」だ。
 1999年から一年間の間に、「つくる会」運動の有力な支持者である〈日本会議〉・日本青年協議会の歴史観・天皇観、宗教観を、相当に要領よく「学習」したのだろう。
 西尾はのちの2009年には、日本青年協議会は「西洋の思想家の名前」を出すと叱り、「天皇国、日本の再建を目指しますということを宣明させ」るような、「目を覆うばかり」の「おかしい」団体だと明言したのだったが。
 やや離れるが、西尾幹二は、読者(+書物や雑誌の編集者)や聴衆の気分・意向を考慮し、「忖度」することを絶えず(気づかれにくいように)行っている「もの書き」だと考えられる。誰しも、文筆業者はある程度はそうかもしれないが。
 --------
  西尾幹二と〈日本会議〉または日本青年協議会との関係の変化は、つぎのようなものだろう。なお、私が初めて西尾の文章を読んだのは、下の③の時期だ。
 ①無関係—②親〈日本会議〉—③反〈日本会議〉(・反八木秀次)—④宥和的?
 ③の時期には「西洋の思想家」を排除するのは「おかしい」とし、八木秀次批判文(国家と謝罪(徳間書店、2007年)p.80)では八木は「近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた」と書いていた。まるで自分は「西洋」派であって「国粋」派ではないかのごとくだ
 池田信夫の2014.09.07の「冷戦という物語の終わり」と題するブログは、有力メンバーの一人として坂本多加雄が参加した「つくる会」運動は「時代錯誤の皇国史観に回収されてしまった」、と書いていた。
 それぞれの言葉の意味は問題になるが、しかし、西尾幹二は実際にはまさに「国粋」派で「皇国史観」の持ち主だとの印象を与え続けている。
 すなわち、神話=王権の根拠(かつまた「神話」にもとづく天皇位はずっと男系男子だった)という理解と主張を変えていないことは、既述の月刊WiLL2019年4月号での発言からも分かる。
 また、「つくる会」分裂後・反〈日本会議〉の時期である2009年にも、同様のことを述べている。『国体の本義』(1937年)に論及する中で、明確にこう書く。
 ・「日本のように地上の存在である天皇が神に繋がるということを王権の根拠としている国は例外的であり、唯一無比であるかもしれません」。
 ・「天照大神の御子孫がそのまま天皇の系図につながるというのは、他にかけがえのない唯一の王権の根拠なのです」。
 西尾「日本的王権の由来と『和』と『まこと』」激論ムック2009年7月発行、同・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010)所収、p.188-9。
 1999年頃に日本青年協議会と〈日本会議〉の史観から影響を受けたことは、その後の西尾をかなり大きく変えたのかもしれない。
 もっとも、そうなったからこそ(かつ男系男子論を固持しているからこそ)、産経新聞出版から2020年にかつての産経新聞「正論」欄寄稿文をまとめた書物(編集担当・瀬尾友子)を刊行してもらえる<産経文化人>であり続けることができているのだろう。
 一人の個人でいることはできず、既述のように、「最後の身の拠き所」をそこに求めているのだ。
 上の④「宥和的?」とみなす根拠はあるが(この欄ですでに少しは触れてはいるが)、今回は省略する。
 ——

2285/西尾幹二批判011—『国民の歴史』③。

 西尾幹二・国民の歴史(1999、2009、2017)について、<歴史随筆>・<広義での歴史読み物>にすぎない、とすでに書いた。
 これの「随筆」ぶりは、第27章に該当するだろう「27・終戦の日」(全集版p.516-)が「私の父には異母弟が二人おり」から始まって、終戦直後に西尾が父親に出したという文章の<原文写し>までが掲載されていることでも容易に知られる。
 そのあとには「29・大正教養主義と戦後進歩主義」と題する戦後<進歩派>知識人批判とか、「31・現代日本における学問の危機」「32・私はいま日韓関係をどう考えているか」などの「国民の歴史」を扱う<歴史書>らしくはない主題が続き、最後の章(らしきもの)は「34・人は自由に耐えられるか」という表題だ。
 それぞれ、「随筆」または「評論」(・「時事評論」)に該当するとしても、もちろん「学術書」とか「研究書」と言われるものに該当しない。
 したがって、西尾がつぎのように2009年に書いた(ようである)のは、勘違いも甚だしい、と考えられる。
 「私の思想が思想としては読まれず、本の意図が意図どおりに理解されないのは遺憾でした」。全集第18巻p.695。
 いったいどこに、「思想」があるのだろう。いろいろな書物の何らかの複写・西尾の脳内での「編集」があるとしても、「思想」はない。
 あるとすれば、この書がもともと<新しい歴史教科書をつくる会>の運動を背景として出版された、という背景を考えると、強いていえば<日本主義>・<日本民族主義>・<愛国主義>、きわめて曖昧な(頻繁には使いたくない一定の意味での)<保守主義>ということになるのだろうが、これらの<主義>は至るところに、あるいは現在の「いわゆる保守」や日本会議という活動団体の中や周辺にはどこにでも見られるもので、一般的・抽象的・観念的に語ることはできても、詳細な研究に値する「思想」ではない。
 言い換えると、西尾幹二はもともと一つの「社会運動」のためにこの書物を書いたのであって、自分の「思想」うんぬんを語るのは、相当に<後付け>的説明だ。
 西尾の表現によるとまるで少なくとも本質的には「思想」書のごとくだが、一方で、「学術」書とか「研究」書とかは自称していない(ようである)ことは興味深い。
 「学問」よりも「思想」が、したがって「学者」よりも「思想家」の方がエラい、と考えているのかどうか。もちろん、この人は「思想家」ではなく、「評論家」または「時事評論家」、もっと明確には、一定の出版業界内部での<文章執筆請負自営業者>にすぎない、のだけれども。
 少し戻ると、第二代の「つくる会」会長だったらしい田中英道は、「月報」ではなく西尾幹二全集の中に本文と同じ活字の大きさの「追補」執筆者として登場して(このような「編集の仕方」の異様さはまた別に触れる)、西尾著のかつての批判者・永原慶二の文章をつぎのように紹介・引用している。原文を探しはしない。
 「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示することは学者に許されることではない」。全集上掲巻p.735。
 日本共産党の党員だった、または少なくとも完全に<容日本共産党>の学者だった永原慶二を全体として支持する気持ちはさらさらない。
 しかし、「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示」しているとの批判?は、おそらくは相当に適切だ。西尾幹二には「直感」と「弁舌」がある。
 だが、この永原の指摘が決定的に奇妙なのは、「学者に許されることではない」と批判?していることだ。
 すなわち、西尾は「学者」として『国民の歴史』を執筆したのではない。
 西尾幹二は、「学者」ではない。「学術」書・「研究」書として『国民の歴史』を刊行したのではない。
 したがって、上の表現を借用すれば、「直感と結論を何の証明もなく、無媒介に、弁舌だけで意味ありげに提示」しているという批判は、当たらない。なぜならば、西尾幹二は「学者」ではないからだ。「学者」ではない西尾には、そのようなことはもともと「許される」ことなのだ。
 西尾よりも神がかり?しているらしい田中英道が書いている永原に対する反論・批判や西尾擁護は、当然に的確ではない。
 なお、アリストテレスによる<学問分類>に孫引きで言及して、西尾幹二のしていることは<制作的学問/弁論術>に該当し、隣接させている<制作的学問/詩学>ではない、等と指摘したことがある。No.2251ー2020.07.09。
 その際アリストテレスの<学問>体系によると学問・科学は大きく三分類されるが、「制作的学問」はつぎのとおり、最も下位に位置づけられる(らしい)。
 A/理論的学問、B/実践的学問、C/制作的学問。
 「弁論術」・「弁舌」あるいは「レトリックの巧みさ」は、もともと「学問」性の低いものだ。今日の常識的な語法では、創作=詩・小説・映画・音楽・演劇等々とともに「学問」ではそもそもない。相手や読者・公衆を「説得」する、「その気にさせる」ことはできるものではあっても、<事実>・<真実>を追及するものではない。
 さらになお、アリストテレスが「詩学」に含めているとみられる詩・小説・演劇・音楽等々は人々の「こころ」を「感動」させる力が十分にあり得るが、西尾幹二が生業としてきた「弁論術」には、そのような力はないか、あっても、上記のものよりは程度が小さい、と言えるだろう。
 

1257/田中英道の新著と佐伯啓思の「天皇制」論。

 田中英道・戦後日本を狂わせた左翼思想の正体(展転社、2014.10)の中に、2013年に皇太子退位・皇位継承を論じた山折哲雄と山折論考は「たいへんに大事な問題を提出しようとしている」と受けとめた佐伯啓思論考(新潮45、1913年4月号)への簡単な論及がある(p.209-210)。
 田中は、山折や佐伯の議論は<「近代」主義者の見解>、あるいは<社会主義者ではなく「近代」主義の立場に立った近代リベラル立場のものだ>とほぼ断定している。田中によると、ここで「近代リベラル」とは「権力や権威から自由な立場に立とうとする、相対的な態度」のことらしい。

 八木秀次が憲法学者・佐藤幸治を「近代主義」者と称していた又は評していた記憶はあるが、私自身はこの「近代主義」なるものの意味はよく分からない。<近代リベラル>も同様だ。大まかには、社会主義者・マルクス主義者(明確なシンパを含む)ではないが、<明確な?>「保守主義」者でもない、という意味なのだろうか。
 上の点はともかく、佐伯啓思については、「日本」や「愛国」を論じながら、「天皇」や「神道」あるいは日本化された仏教への言及がはなはだ少ない、という感想をもち、その旨この欄で記したこともある(但し、正確な内容は思い出せない)。戦前の浪漫主義・西田幾多郎哲学等よりも、日本に固有の天皇や神道(・日本化された仏教)に、その歴史も含めて立ち入らないことには「日本」も「愛国」も語り得ないのではないか、という考えは今でも変わりはない。
 あらためて佐伯啓思の新潮45昨年4月号の論考を瞥見してみると、田中英道が問題視しているごとくであるように、<国民の意思によって天皇制を廃止することも可能だ>旨の指摘・叙述が複数回あって、強調されている。また、「天皇制」という概念用法はともかく、天皇位が「世襲」のものであることは、いわば<世襲の象徴天皇制>は憲法で定められており、国民の意思により変更可能であっても憲法改正によらざるをえないこと、その他の皇位継承のあり方を含む諸論点は国民代表議会による法律で改廃が可能であることが明瞭には区別されず、ともに「国民の意思」による改廃可能性が語られていることも気になる。
 もっとも、憲法1条は皇位が「主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記しているので、現憲法を無視しないかぎりは(無効とみない限りは)、佐伯啓思の理解が誤っているわけではない。憲法学者もおそらくすべてがそう解釈しているだろうし、かつ親コミュニズムの学者たちは(日本共産党のように現時点において明確に主張しないものの)将来における天皇制度廃止(憲法14条違反??)を展望しているだろうし、立花隆もまた憲法改正による「天皇制」廃止の可能性を憲法1条を根拠として強調していた。

 佐伯啓思は日本の「天皇制」という政治制度は「おそらく世界に例をみない」と述べつつ、だからといって素晴らしいとも廃止すべきだと言うのではなく、この独自性をわれわれは知っておく必要がある」とのみ述べる(前掲p.332)。この辺りも、佐伯自身の中には「天皇制」尊重主義?はなく、距離を置いた、<相対>主義?だとの印象を与える原因があるかもしれない。
 もっとも、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのも問題があるだろう。佐伯啓思は、日本の天皇制度の特質の三つ、第一に、世襲制、第二、政治権力からの距離(祭祀執行者)、第三、「聖性」のうち、戦後は第三の、「聖性」を公式には喪失している、とする。佐伯による日本の天皇制度の歴史の理解は戦後の歴史教科書による、ひょっとすれば、陳腐で<左翼>的に誤っている可能性がなくはないとも感じるのだが、専門的知識の乏しい私はさておくとして、上の指摘はほぼ妥当なものではないだろうか。<祭祀執行>(むろん神道による)についても戦後憲法のもとでは天皇(又は天皇家)の「私的」行為としてしか位置づけられていないという問題点があることも、そのままではないが佐伯は触れている。
 そして、結論的には佐伯は、国民が<祭祀王としての天皇をフィクションとして承認する>か否かに天皇制度の将来はかかっている旨述べる。「王」という語の使い方は別として、この主張も、私には違和感がない。
 上のことを国民が承認するとすれば、現在の憲法上の天皇条項の内容や政教分離に関する条項の改正、すなわち、佐伯は明言していないが、憲法改正が必要になる。そして、そのようにすべきだと-神道祭祀を公的に位置づけ、政教分離原則の明瞭な例外(またはこの原則がそもそも妥当しないこと)を認めるべきだと-私は考える。
 元に戻れば、少しすでに触れたように、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのはいかがなものか、という気がする。すべてではないにせよ、<保守派>の議論には憲法・法律・行政制度等々についての知識・素養を欠く、もっぱら原理的・精神的な(あるいは文学論的な?)が議論もある(それらだけでは現実的には役に立たない)と感じることもあるところであり、田中英道の本が-まだ一部しか読んでいない-そのような欠点をもつものでないことを願っている。

0457/民放社員=「日本の特権階級」、社会系教育・教科書のヒドさ。

 以下、別冊宝島1479・知られざる日本の特権階級(宝島社、2007.11)p.123の「高すぎる民放各社の『年収』」とのタイトルの表による、民放各社の平均年収。()は平均年齢。平均年収額は税込みと見られる。
 テレビ朝日-1365万円(41.3歳)、朝日放送-1587万円(39.8歳)、東京放送=TBS-1560万円(49.5歳-ママ)、毎日放送-1518万円(40.8歳)、フジテレビジョン-1575万円(39.7歳)、日本テレビ網-1432万円(39.8歳)、等。
 適正な給与・報酬の額の判断はむつかしいし、その額に値する内容の「仕事」をしていれば、文句をつける筋合いのものでもあるまい。
 だが、40歳前後で各局の社員とも上のような年収額があるのは、少し多額すぎはしないか。統計資料を持たないが、感覚としていうと、平均年収ですらすでに、50歳代の中央省庁の局長クラス、50歳代の都道府県・政令指定市の部長・局長クラスと同じ程度ではないか。
 民放各社の収入は基本的には民間企業等の広告費であり、その広告費の一部は、最終的には当該企業等の(製品・サーピスの)消費者・利用者多数によって負担されている。特定の製品・サーピスを提供する個別企業に比べて、民放各社はより多数の視聴者国民によって経済的には支えられている。
 民放各社は-新聞社もそうだが-税金を最大の資金源にしていることを理由に公務員の収入や<厚遇ぶり>を批判することが多い。各社労組又は民放労連と当局の労使交渉で決められることとはいえ、自らの民放各社の年収額や<厚遇>(職員厚生施設等々)には無意識・無批判だとすると、自分の収入はいったいどこから来ているのだとマジメに考えてもらいたいものだ。<格差>を批判し、<格差是正>とかを主張する資格は<高収入>のマスコミ社員にはないと思われる。そしてまた、こうした民放各社の番組制作者の多くの最大の愛読・愛用新聞が、先日言及したように、朝日新聞だとは……(絶句)。
 ついでに、宝島社ではなかったが、西村幸祐責任編集・誰も知らない教育崩壊の真実(撃論ムック、オークラ出版、2008.05)。
 ジェンダー・フリー教育(フェミニズム教育)のおぞましさについては既に食傷気味だが、社会(・歴史)系の教科書や教育のヒドさに呆れて、「日本」という国に住むのがイヤになる気分すらする(本の具体的内容は省略)。私自身がある程度は実際に読んでみたことはあるのだが。 
 こんな状況では、日本史等の社会系科目を中学・高校で必修化したり、履修科目数を増やしたりするのは、むしろマイナスになる可能性が高い。
 日本共産党員が、あるいはマルクス主義者が、あるいは<左派リベラリスト>が「大学教授」の肩書きに隠れて、自らの「価値観」・「歴史観」を教科書に忍ばせていることがあるのは明らかだと思われる。「共産党が書き、社会党が教え、自民党がお金を出す」(p.82、田中英道)という実態は、「社会党」を「社民党又は民主党」に替えれば、現在でも間違いなくあるだろう。「教え」るのも「共産党」(員)である場合もあるに違いない。
 愉しくならない話・文章を読むことが多い。多分に厭世的にすらなる。

0042/「団塊」世代のみが「隠れた世紀病」に罹ったのか-「正論」5月号・田中英道論文を読む。

 月刊正論5月号(産経)に田中英道「「68年世代」の危険な隠れマルクス主義-左翼思想に染まったのは日本の「団塊の世代」だけではない」がある。新聞広告にこのタイトルが載っていて、関心を持ち買って読んだ。
 日本の「団塊の世代」は「左翼思想に染まった」ことを前提とする副題が気になった。当時は大学進学率はたぶん約1/3で、大学生でなかった者、そして大学生でも少なくとも過半は(たぶん3/4は)、大学での「全共闘」運動を経験していないからだ。
 だが、一時期新しい教科書をつくる会々長だったという田中の主題は、「団塊」世代の厳密な分析ではなさそうだ。すなわち、大雑把に言って反権力・反(資本主義)体制ではマルクス主義と共通する(その意味で「隠れマルクス主義」の)、マルクーゼ(1898-1979)やハーバーマス(1929-)を代表とする所謂フランクフルト学派の論文・発言・行動の影響を受けて欧米でも「68年」頃に過激な学生運動があり、日本の「68年」を中心とする、「団塊」世代が担った全共闘運動もその一環だった、その意味で世界的な同一世代による社会変動がこの頃に起きた(そして社会はより悪くなっていった)、というのが最も主張したいことのように読める。
 それはそれで興味深いし、恥ずかし乍ら、ルーマンとやらの論争でも有名な(だが読んだことのない)ハーバーマスがフランクフルト学派に属することも初めて知った。だが、背景的な欧米の同時代の雰囲気は指摘のとおりだとしても、「全共闘」運動(又は「団塊」世代)とフランクフルト学派の関係については、そもそも「全共闘」運動は何だったか、どういう理論と組織に支えられていたのか、を含めて、もう少し実証的な叙述又は根拠が欲しい、という感じがする。
 また、この論文は「団塊」世代批判だ。かいつまんで紹介すると、この世代による「自由教育」が「寒々しい日本人とその家族を生み出した」、フランクフルト学派の影響も受けて、環境・男女同権・原発等々につき「反権威主義」という名の「破壊運動」を継続しており、「大学とかマス・メディアを支配している「団塊の世代」が、保守主義の傾向に、常に反対の態度」をとり、「贖罪観を、日本人に植え付けようとする動き」を支えているのもこの世代だ、「大学教員やマス・メディアに巣くうこうした運動」を注意深く見守り、阻止すべきだ、この世代の「隠れた世紀病」の克服は容易でない。
 省略しすぎの紹介だが、論証にはあまりに具体的・実証的・統計的根拠がなさすぎるだろう。殆ど何も示しておらず、田中の「直感」によるものと思われる。
 しかし、じつは半分は、私の直感も田中の見方を支持している。朝日新聞の若宮啓文は1948年生まれで、自ら「社会党支持だった」ことを雑誌上で明言しているくらいだから、田中の主張を裏付ける、恰好の、典型的な人物かもしれない。一方、支持できない、又は不十分だと思う残り半分は、つぎの点に関係する。
 第一に、「隠れた世紀病」あるいは「隠れマルクス主義」あるいは「反権威主義」という病に罹っているのは、日本においては「団塊の世代」だけだろうか。この著者を含む60年安保世代のある程度の部分も、田中はきっと健康だったのだろうが、すでに罹っていたと思われる。
 1960年に20歳になった人は1940年生れで、1945~1952年の「占領下」の教育を少なくとも部分的には経験しているのだ(その間に東京裁判があり「新」憲法施行もあった)。フランクフルト学派の動向などに関係なく、彼らが受けた、GHQ批判・日本の伝統擁護等々が許されない教育が<病原菌のない、正常な>ものだったとは思われない。また、その時期に日本のマルクス主義は復活しているのだ。
 第二に、「団塊」世代に全く責任がないとは言わないが、指導・煽動した別の世代が存在すると思われる、ということだ。「団塊」世代は完全に自分たちだけの力で67年~71年頃の全共闘運動等々を展開したのだろうか。使嗾し、誘引する、もっと年上の別の人たち又は世代がいたに違いない、と私は思っている。いつか触れた川上徹は1940年生まれの筈で「団塊」世代ではなく、日本共産党・民青同盟の側の指導者だった。中核派の北小路敏は生年を確認できないが、60年安保の際もブントに属して主流派全学連幹部として「活躍」したようで「団塊」世代ではなく、かつ67年~71年頃は革共同中核派の指導者で同派を通じて「全共闘」や「全闘委」にも影響を与えていただろう。東京大学全共闘の議長だった山本義隆は1941年生まれで、「団塊」世代ではない。
 私の印象では、それこそ相当に「直感」的だが、「団塊」世代、大まかには1952年生まれ(今年に55歳)辺りを下限として、それ以上の年齢の人々でおおよそ1928~29年生まれ(今年78~79歳)までの人々は、それ以下の世代よりも、「反権力」的信条あるいは「何となく左翼」の気分がより強い。
 きちんとした資料は示せないが、日本社会党又は(日本共産党を含む)「革新」勢力の支持者が最も多かったのは、日本社会党がなくなるまでの数十年間の世論調査の報道の記憶では、おおよそ「団塊」世代を含むそれ以上の世代だったように思うのだ。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー